053話 名前
マーサの言葉にエリー王女はふわりと微笑む。
「わがままだなんて誰が思いますでしょうか。弱っている時こそ、愛する人に会いたいと思うものです」
マーサの手にエリー王女は手を添えた。その手の温かさに、その優しい瞳にマーサはレナ王妃を思い出す。
「エリー様はとてもレナ様に似ていらっしゃいますね……」
笑みを浮かべてそう伝えると、エリー王女は頬を仄かに染めた。
「マ、マーサは自分の気持ちを抑えすぎです。もっとわがままを言ってください。そんなに私が頼り無いのでしょうか……」
尻窄みになるエリー王女の声にマーサは苦笑いを溢す。もう片方の手をエリー王女の手に乗せた。
「お優しいエリー様。そうではございません。ただ、ご迷惑をおかけしたくなかったのです。……それはエリー様にもアラン様にも」
「アラン?」
何故アランの名前が出てくるのか分からず、エリー王女はきょとんとした。
フィニアスに言われた通り、もう自分だけの問題ではないとマーサは思った。妊娠した以上、報告する義務がある。アランに迷惑をかけるかもしれない。しかし、一番迷惑をかけてはならないのはエリー王女ただ一人である。
胸に大きな重りを乗せたまま、エリー王女を真っ直ぐ見据えた。
「私は妊娠しているそうです……。この子の父親は……アラン様です」
「え? ええ?」
エリー王女は両手で口許を隠し、目を大きく見開いた。
「あ、あの……アランとは、あのアラン?」
「はい。エリー様の側近でいらっしゃるのに報告もせずに申し訳ございませんでした。私のようなものがアラン様の子を宿すなど恐れ多いことでございます。きっとこのことを知ったらアラン様は困ってしまうでしょう。ですが、心のどこかで喜んでいる自分がいるのです。もしかしたらこれで一緒になれるのではないかと儚い夢を抱いているのかもしれません」
悲しく笑う表情が痛々しく、エリー王女は頭を左右に振った。
「卑下しないでください。アランには勿体ないくらいマーサは素敵なのですから! あっ、アランも勿論素敵ですよ? アランはとても真面目で責任感の強い人です。女性を泣かせるようなことはしないと信じております。そうでなければ、私の側近になどなれませんから。マーサは考えすぎです。アランもきっと考えすぎて言葉にしなかっただけだと思います。マーサもアランも自分のことは二の次ですもの。ふふふ。私、安心しちゃいました。アランであれば何も心配することはないと思います。それにしても、もうっ。全然気が付きませんでした。もっと早く言ってくだされば良かったのに」
エリー王女は花開くように微笑みを浮かべ、これで何も心配ないと高揚感だけを残して言葉を連ねる。
「申し訳ございません……。ですが、まだ……」
「結婚式は産まれる前にしましょう。お腹が目立つ前がいいですね。きっとマーサは誰よりも素敵な花嫁さんになるに違いません。ああ、それに赤ちゃん! 男の子かしら? それとも女の子かしら? ね、マーサ。一緒に赤ちゃんのお洋服を作るのはどうかしら? 王女だからダメとか言わないで下さいね」
マーサの不安など何でもないというように、エリー王女は瞳を輝かせ未来に夢を馳せる。次から次へと楽しいことを想像してはマーサに聞かせた。
「エリー様、気が早すぎます。まだアラン様がどうされるか分からないのですから……」
困ったようにマーサは呟いたが、エリー王女はお構いなしだった。マーサは嬉しそうなエリー王女をただ優しく見つめる。勝手に話してしまったことはアランに対して後ろめたかったものの、エリー王女に隠しごとがなくなり少しだけ気が軽くなった。
終始そのやり取りを見ていたアルバートは、妊娠という事実について驚いていた。まさかの事態に戸惑ったが、それを受け止めこの先どうするべきかを考える必要があるのだ。アルバートはいつも以上に眼光を鋭くした。
アランがマーサ宛に手紙を送った時点で気持ちは少なからずある。妊娠がわかれば認知もするだろう。
しかし、絶対とは言えない。
アランからの気持ちを直接聞いていないということもあったが、それよりも見合いの話が心配だった。アランの状況は一通り報告を受けており、見合いの相手と一緒にいることも知っていた。見合いとは本人と別のところで動くものだ。だからラッシュウォール家とバッファ家について調べてみようと思っていたところだった。
水を差すようで気がひけたが、アルバートは一歩前に出てエリー王女の隣に立つ。
「マーサさん。俺としては手紙でいいから早急に報告するべきだと思ってる。ややこしくなる前に」
「ややこしく……?」
エリー王女もマーサもアルバートをじっと見つめた。
「見合いの話が動いている」




