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052話 温かな思い出

 マーサを見下ろすエリー王女は、自分のことのように悲痛な面持ちだった。


「心配なさらないで下さい……」


 安心してもらうために出した声は自分が思っていたより弱々しく、エリー王女はさらに悲しそうに顔を歪める。これほどまで心配してくれる(あるじ)を持てたことに、申し訳ない気持ちもあったが喜びの方が大きく感じた。


 マーサは手を伸ばしエリー王女の髪を優しく撫でると、急な吐き気をもよおした。ベッド脇の机の上に袋を被せたバケツを見つけ、マーサは慌ててそれをつかみ嘔吐する。


「マーサ! ど、どうしましょう! アルバート、マーサが!」


 エリー王女の声が響き渡る。背中をさするエリー王女の方が顔面蒼白だ。


「……ありがとうございます。ですが、私のようなものにそのようなことは不要です……」


 直ぐに医師とアルバートがやってきた。起こした体を直ぐにベッドに沈みこませる。妊娠とはなんとも辛いものだ。こんなことがずっと続いては仕事に支障がでてしまう。母は自分を妊娠したときはどうだったのだろうか。そう思ったら、ふと懐かしい記憶が蘇ってきた――――。




 母はレナ王妃の女官として仕え、父はアトラス王国の騎士だった。マーサはそんな父と母を誇りにしており、自分も同じように国に仕えたいと思っていた。


 美しいレナ王妃はマーサの憧れである。気高く優しい王妃。そんな王妃からエリー王女が産まれた。マーサはこの時十二歳である。


 直々にレナ王妃から私室に呼ばれたマーサは、おさげを揺らし深く(こうべ)を垂れていた。


(おもて)を上げて、こちらにいらっしゃい」


 耳に心地よい声が降り注ぐ。頬を染めて(おもて)を上げると優しく笑みを浮かべたレナ王妃が輝いていた。初夏の香りのする風が優しく通り抜け、レースのカーテンが揺れる。バルコニーへの扉の前にある揺り椅子がレナ王妃と腕の中の赤ちゃんをゆっくりと揺らしていた。


「……は、はい」


 見とれていたことに気がついたのは、レナ王妃が不思議そうに首をかしげていたからだった。慌てて返事を返し、恐る恐る傍に近づく。遠くから見かけたことはあったが、このように近くにいることも声をかけられたことも初めてだった。震える足で一歩一歩前へ進む。どれくらいの距離まで近づいてよいのか分からず、レナ王妃の側に立つ母に視線を送った。母もまた優しく笑みを浮かべ頷く。


「うふふ。遠慮なさらずもう少し傍に」


 レナ王妃はふわりと微笑むと右手を差し出した。マーサは躊躇したが、ひざを曲げ、お辞儀をしてから震える手を乗せた。レナ王妃は輝くような笑顔でその手を引く。マーサは恋に落ちたかのように胸が高鳴った。傍に引き寄せられるとレナ王妃からふわっと良い香りが漂う。


「見て、マーサ。この子がエリーよ」


 レナ王妃の腕の中には、レナ王妃と同じ髪色の薄紅藤色の髪をふわふわと揺らした赤ちゃんが眠っていた。膨らんだ柔らかな頬は薄桃色に染まり、長いまつげが影を作る。なんと愛らしいのだろう。女神のような方からは天使のような子が産まれるのだとマーサは思った。


「いずれ貴女にこの子の女官を務めて貰いたいと思っているの」


 レナ王妃の言葉にマーサはパッと顔を上げる。そこには優しく微笑むレナ王妃とその後ろに立つ母もまた優しく笑みを浮かべていた。高鳴る胸を両手で抑え、高揚で真っ赤に染まった顔を深く下げた。


「あ、ありがとうございます!」


 そうしてその日から、マーサは母の仕事を手伝うようになった。女官としての仕事とエリー王女のお世話を共に行う。仕事は大変であったが、輝くような毎日であった。


 とてもとても愛らしいエリー王女。初めての寝返り。初めてのハイハイ。初めてのつかまり立ち。初めて歩き始めたあの日……。


 どの場面でも、レナ王妃も母も幸せそうに笑っていた。エリー王女の成長を喜び慈しむ。そんな二人を見ることができてマーサは幸せだった――――。




「マーサ……何処か痛いのですか?」


 また涙が勝手に溢れていたようだ。慌てて涙を拭い笑顔を作る。そして、布団の中にある手でこっそりお腹を撫でた。


 ここに赤ちゃんがいるのだと思うと不思議でならない。全く実感はないが、こうも涙もろいのは妊娠が原因だったのだ。妊娠……。これが現実ならば考えなければいけない。


 自分がどうしたいのかを。


 子供が出来たことはとても嬉しい。自分には縁のないものだと思っていたが、欲しいとは思っていた。そして好きな人の子を宿すことが出来た。


 レナ王妃や母のような母になりたい……。


 そう、産みたいのだ。しかし、アランの気持ちがまだ分からない今、勝手に決めてはならない。

 フィニアスの言葉"逃げずに話し合う"という言葉が反復する。

 本当に伝えて良いのだろうか。こんな好きでもない相手に産んで欲しくないのでは?


 マーサはアランを縛ってしまうようで嫌だった。胸に手を当て、瞳を閉じる。どうしたいのか……。




 今、一つだけ叶えたい願い。




「……たいです」

「え? やはりどこかが痛いのですか?」


 瞳を閉じたままマーサは首を振り、エリー王女を見上げた。今までであれば誰にも伝えることはなかったかもしれない。しかし不安で心細くてどうしようもなかったのだ。


「早くあの方にお会いしたいです……。こんな風に思うことはわがままでしょうか?」


 マーサは今もっとも強い気持ちをエリー王女に伝えた。







挿絵(By みてみん)

※マーサ12歳 ラフ画。

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