049話 原因
デール王国へ向かうため、フィニアスは準備にとりかかる。潜入捜査では各々で必要なものを用意するため、先ずは医務室で薬を貰うことにした。
医務室へ通じる廊下を曲がった時、フィニアスの心臓が大きく跳ねる。
いつものように背筋をぴんと伸ばしたマーサが先を歩いていたのだ。両手をぎゅっと握り締め、目を細めた。
今は会いたくない……。
そう思ったフィニアスは、踵を返そうとした。しかし、マーサがふらふらとよろめいたのが見え、フィニアスは様子を伺った。頭を抱え苦しそうにしているその姿を見た瞬間、先ほどの"会いたくない"という気持ちはどこかにいってしまい、小走りでマーサの元へと駆け寄っていた。
「っ! マーサさん――――!!」
手を伸ばせば届く距離で、マーサが突然倒れた。名前を呼ぶが反応はなく、顔も青ざめている。フィニアスの心臓は嫌な音を立てた。妻のリリーと重なる。
マーサを横抱きにし、医務室へと走った。
「先生っ!」
ドアを開けるなり飛び込むように入ったフィニアスは、ベッドにマーサを寝かせる。
「突然倒れましてっ! 先生、マーサさんは大丈夫なのでしょうか?」
白衣を着た五十半ばの男性が、フィニアスに向かって片手を上げて落ち着くようになだめた。そのままマーサに近寄り、診察を開始する。フィニアスが不安そうにそれを眺めていると、医師は小さく眉間にしわを寄せたように見えた。
「フィニアスくん、悪いけど少しだけ外してくれるかい?」
そう言ってフィニアスをカーテンで仕切られた向こう側へと追い出した。何か悪い病気なのだろうか? フィニアスは落ち着かない様子でうろうろと結果を待つ。
「あー、フィニアスくん、ちょっと……」
暫くするとフィニアスは医師に呼ばれ、カーテンで仕切られた簡易的な個室へと入る。マーサは未だに青ざめた表情で眠っていた。
「先生、マーサさんは……」
「今のところは二人とも無事だよ。だけど、少し出血が見られるから絶対安静が必要だ。暫くここで寝泊まりしてもらうよ」
「絶対安静ですか……」
それを聞いたフィニアスは心配そうにマーサを見つめる。
「大丈夫、貧血で倒れたようだから暫くしたら目を覚ますだろう。なに、絶対安静といっても念のためだ。直ぐに良くなるよ」
「分かりました。ありがとうございます」
「フィニアスくんがついてるから大丈夫。父親としてちゃんとするつもりなんだろう?」
そう言って意味深な笑顔を残して、医師は仕切りの向こうへと出ていた。
ほっと息をつき、ベッド脇の椅子へと腰をおろした。フィニアスはマーサの寝顔をじっと見つめる。絶対安静という言葉に、フィニアスの表情は硬いままだった。辛そうな表情のマーサを見ていたら、思わず頬に触れたくなり手を伸ばす。しかし、宙に浮かんだその手をぐっと握りしめてそれを思いとどめた。
行き場のなくなった右手の拳を自分の額に当てて俯き、瞳を閉じる。自分の行動を嗜めるように大きく深呼吸をした。
少し落ち着きを取り戻したフィニアスは、先ほどの医師とのやりとりを思い出す。
――――今のところは二人とも無事だよ。
――――父親としてちゃんとするつもりなんだろう?
その台詞にフィニアスは考えを巡らせ、一つの答えを導きだした。
妊娠している……?
城内では、フィニアスとマーサが付き合っているという噂が広まっていた。それで医師はフィニアスを父親だと思い込んで話をしていたのだろう。
妊娠をしていたという事実にフィニアスは頭を抱えた。いや、喜ばしいことではないか。彼女の幸せを願うことが友人としての努め。むしろ良かったのだと、そう言い聞かせた。
「ん……」
「マーサさん? 大丈夫ですか?」
マーサの声に反応したフィニアスは、顔を覗き込んで声をかけてみる。しかし相変わらず苦しそうな表情をしているだけで反応はない。フィニアスは小さく息を吐き、自分の出番はもうないのだと立ち上がった。
「……アラン様……」
「え?」
腕を掴まれたフィニアスは驚き、マーサを見下ろすと、眠っているマーサの瞳から一滴の涙が零れた。




