040話 影
何故侍女をつけないのか、というアリスからの問いに、エーデル王女の表情が曇ったのは一瞬で、一人でお風呂に入るのが好きなのだと笑う。アリスはその笑顔に違和感を感じつつも、それ以上は聞かなかった。
「フィナ、体の洗い合いをしましょう」
「え? えええ!?」
エーデル王女は驚いているフィナの手を引き、とても楽しそうに笑う。フィナは終始顔を真っ赤にして、エーデル王女にされるがままだ。少し悪戯がすぎるときは、アリスがやんわりと間に入って止めにはいる。
「エーデル様。そのような場所はフィナ様ご自身で洗いますので」
「そう? 侍女はここは洗ってはくださらないの? わかったわ、では違うところを洗いますわね」
エーデル王女はとても素直だ。そして、何故か注意しても嬉しそうにするのだった。悪戯をしているつもりではないのかもしれない。アリスは自分の幼かった頃の弟や妹を思い出した。
ふと人の気配を感じ、入口に目を向けると侍女が一人浴室内の衝立の側で何かをしている。脱いだ服を片付け、新しい着替えを置き、体を拭くタオルを置いていた。侍女はエーデル王女に対して仕事をしていないわけではないようだ。
「私のは触らなくていい」
アリスが侍女に声をかけると、ささっと手を引っ込めて、逃げるようにして出て行った。そんなに強い口調で言ったつもりはなかったが、侍女は脅えている様子だった。アリスは小さくため息をつくと、タオルが置いてある場所まで一人で歩いて行った。念のため、何か変なものが置かれていないかを確認する。特に問題はなさそうだ。
それにしても……。
着替えのために置かれていたナイトドレスを手に取ったアリスは、苦笑いをした。着たら中は全部透けて見えるだろう。服を持って行かれなくて良かったと、アリスは胸を撫で下ろした。
お風呂から上がり、三人はエーデル王女の私室へと向かった。ナイトドレスの上には暖かいガウンを着ているため、エーデル王女もフィナも表面上は決して恥ずかしい姿ではない。くっついて歩く二人の後ろをアリスは付いて歩いた。
魔法薬によって明かりを灯された廊下は、煌々と輝いている。えんじ色の細かな模様の描かれた絨毯が敷かれ、壁は白く、一定の間隔で金の装飾が施されている。豪華で美しい。しかし、見た目とは裏腹にこの城内は陰湿な空気が流れている。以前から思っていたことだが、肌に吸いつくような負の感情というのだろうか……。アリスはそんな風に感じた。
周りを注意深く観察しながら歩みを進める。街の外の民は希望に満ちて輝いているにも拘らず、ここに務める使用人たちは覇気がないようにも見えた。バルダス元国王やカルディア王子が亡き後もここを圧迫する何かがあるのかもしれない。
「フィナ、この城にいる間は絶対に私の側にいてくださいね」
部屋に入るなり、エーデル王女は笑顔を消してそう伝えた。先程までの笑顔とのギャップが激しく、フィナとアリスは戸惑った。ピリピリとした空気にフィナはぐっと手を握り締める。
「アトラスの血は危険だわ。あの人がいる限り……」
「あの人とは?」
アリスの問いに、エーデル王女は無言で部屋の奥へと進む。落ち着いた色合いのソファーに深々と腰を落ち着ける。
「お茶を出せなくてごめんなさい。部屋には入らないようにと伝えておりますので。かけてください」
エーデル王女に薦められると、フィナはアリスの顔を見た。アリスがそれに頷き、一緒に目の前のソファーにかける。
「あ、フィナはこちらに」
いつものエーデルの笑顔にフィナは少し緊張がほぐれ、言われたとおりにエーデル王女の隣に座った。エーデル王女もフィナが隣に座ったことでどこか安心したようだった。隣に座ったフィナの腕に自分の手を絡めると、エーデル王女はアリスを真っ直ぐ見つめた。
「ティス王太后……。あの人は、捕らえられたバルダス元陛下とカルディア様を見捨て、お兄様に命乞いをしたわ。全て従うとそう言ったの……。だけど、私は信じてはおりません。母を死に追いやったあの人を……」
「どういうことですか?」




