035話 裏切り
「ところで、マーサさん。フィニアスさんには好きな人がいるってことを伝えたんすか? 教えてねーなら言った方がいいっすよ」
アルバートの助言でアランが手紙(たとえ内容が報告書だったとしても)を送ったということは、マーサを繋ぎ止めたいと思ったということ。アルバートは、真面目な顔に戻ってマーサにそう助言した。
マーサはエリー王女からアルバートへと視線を移し、少し考えてから答えた。
「お伝えはしておりません。そうですね、そうすれば私が既に立ち直っているということをアピールすることができ、フィニアス様も安心されますものね」
それもあったが、思っていた以上にフィニアスとマーサが頻繁に会っていたことがアルバートは気になっていた。フィニアスは元々誰にでも優しく、親身に相談も乗るような人である。しかし、相談には乗ることはあっても、プライベートまで一緒に過ごすことはしなかった。他の人と違う所はそこだ。今、二人はほとんど毎日のように会っており、噂になる程だった。
これはただの親切心だけではないように思えたのだ。相談に乗っているうちに恋に発展した。なんて、よくある話だ。
「おぅ、んじゃフィニアスさんに伝えたら俺に教えて。そしたらマーサさんには他に好きな人がいるらしいって噂流すから」
「アルバート、何故そのような噂を流す必要が? マーサが困ってしまうのでは?」
好きだというマーサの想いが、意図しない所から伝ってしまうのではないかとエリー王女は危惧した。
「マーサさんの相手には十分すぎるほどモヤモヤする噂が流れた。この噂によって逆に身を引かれても困るっしょ? それを払拭する必要がある。それに"他に好きな人がいる"という噂を聞けばそいつは、"もしかして自分のことか"と思うかもしれないだろ? マーサさんの好きなやつが誰かはわからねーわけだから、今度は期待感を煽るわけだな」
アルバートの言葉一つ一つにエリー王女は聞き入り、感嘆の息を漏らす。
「アルバートって凄いのですね……」
「色々と考えてくださってありがとうございます。では、本日の夜にでもお話したいと思います」
マーサは、今日もまた少し遅い時間にフィニアスと待ち合わせをしていた。城内にある食堂の隅で二人は食事を共にする。ほどよく食事が進んだ頃にマーサがフォークを置いた。
「フィニアス様。実は、まだお話していないことがございまして」
改まった様子のマーサに合わせて、フィニアスもフォークを置き聞く体勢を整える。
「どうしましたか?」
柔和に笑みを浮かべるフィニアスに、いつものようにマーサは微笑む。
「はい。レイのことは今でも愛しておりますが、私の心の中にもう一人の方が住むようになりました」
その言葉を聞いてフィニアスの心臓が跳ねる。
「もう一人……ですか?」
僅かな期待を押し込み、動揺を隠すようにフィニアスは尋ねた。
「私は今、とある方に恋をしております。ですので、私はそれほどもう悲観しているわけではございません。今まで色々と気遣っていただいてありがとうございました」
一瞬でも自分のことではないかと思ってしまったフィニアスは、決まりの悪さと共に僅かに浮き上がった心がズシンと鉛のように重く沈む。膝に置いた手が震え、ぐっと拳に力を入れた。
「そうでしたか……。それは良かったです。ああ、では私と一緒にいて有らぬ噂を立てられては困りますね。残念ですが、二人きりで会うのはもう止めておきましょう」
いつものように微笑むフィニアスを見たマーサは、さすが話が分かる方だと安堵し、深く頭を下げる。
その姿で相手は自分ではないことがはっきりと肯定された。フィニアスは決して自信過剰だったわけではない。マーサの優しさが多少なりとも期待感を持たせてしまっていたのだ。お互い故人を想いつつも、一緒にいることを同じように心地好く思ってくれているのではないかと思っていたのだ。
この事実は、後ろから頭を殴られたかのように衝撃的で、フィニアスの抑えていた感情を呼び起こすものであった。急激に視界が狭まり、暗闇に放り出されたような感覚に陥ったフィニアスは顔を歪めた。
「マーサさんはレイくんに負い目を感じたりはしないのですか? あ、いえ。責めてるわけではないです」
そうは言ったものの、そのような気持ちは入っていた。マーサに裏切られたような気がし、フィニアスの心の中で、チリチリと小さな炎が燃え始めていた。




