028話 副隊長
アトラス城下。民営のとある酒場は、一か月前の襲撃からは免れていたため、通常通り営業していた。丁寧に磨かれた木目の床に、白の漆喰の壁。明るい照明に照らされた店内には、男女合わせて六十名もの人が各々楽しく話をしていた。今日は貸し切りだ。広い店内は、中央が吹き抜けとなっており、二階にもテーブル席が設けられている。そこからであれば、大抵の状況を把握することが出来た。
元々は少人数の飲み会にしようと思っていたアルバートだったが、相手の男が、マーサのことを本気になっても困る。なので今回は盛大にやることにした。これであれば、逃げ場も増える。
目的は、マーサがこの会に参加することだけでいい。
アルバートは二階からマーサの様子を見守りつつ、盛り上げ役に徹していた。そして、何度マーサを見ても店内を忙しく動いているだけで、誰とも話している様子はなかった。
「あんまり男と仲良くなりすぎるなとは言ったけど、店の手伝いをしろとは言ってねーんだけどな……」
苦笑いを溢したアルバートが、もう少し楽しんでもらうために一階へ降りようとした時だった。一人の男がマーサに近づいてきた。アルバートは階段上でその様子を注意深く見つめた。
「マーサさん。今日はみんなで楽しむ会ですよ? どうしてそんな……」
「あ、フィニアス様もいらっしゃっていたのですね。いえ、お店の方が大変忙しそうでしたので、少しお手伝いをさせていただいておりました」
マーサはフィニアスに笑顔で応えた。マーサの片手にはお盆に乗った沢山のお酒。もう片方の手は、それを支えるように添えられている。そんなマーサを見て、フィニアスは柔らかい笑みを溢した。
「そうですか……。では、私も手伝いましょう。それが終わったら私のお相手をしてください」
「いえ、お気遣いなさらずにフィニアス様はゆっくりし――――」
そう言い終わる前に、フィニアスはマーサの持っていたお盆をそっと奪い、「案内を」と笑顔で促した。強引ではあるが、とても軽妙で非の打ちどころがなかった。
アルバートからは、相手に気に入られないようにするよう言われていた。そうは言っても、そもそも気に入ってもらうこと自体難しいと思っているマーサは、それに関して気にはしていなかった。また、フィニアスは既婚者である。そのため、いつも通り微笑みを浮かべ、お礼を伝えた。
「フィニアス副隊長! お疲れ様です! え? どうしてそんなことを?」
お酒を持って行った先で、若い騎士の一人がフィニアスとお盆を交互に見ながら驚きの声をあげる。
「交流も大事だからね。さ、これを。君たちはこれかな?」
「は、はい! ありがとうございます」
フィニアスは柔和な笑みを浮かべたまま男女六人のグループにお酒を配る。侍女三人は、頬を染めながらお酒を受け取ると嬉しそうにお礼を述べた。
「邪魔をしてすまなかったね。じゃ、ゆっくり」
若い騎士三人の腕を軽く叩いて、フィニアスは自然な流れでその場から立ち去った。
歩くたびに声をかけられるフィニアスは、部下たちから慕われていることが良く分かる。また、器量も良いからか、侍女たちはチラチラの彼を見ているようだった。対応なども含め、マーサも確かに格好いいとは思った。黒に近い茶色のジャケットにスカーフを首にかけ、三十五歳という落ち着いた年相応のお洒落な格好がよく似合っている。
マーサはそんなことを考えながら、フィニアスの後ろをついて歩いていた。その後、二組のカップルに最後のお酒を渡すとくるりと振り返った。
「さ、僕らもゆっくりしましょうか」
フィニアスは素早く椅子を用意し、お酒も自ら取りに行ってくれた。恐らくお店が忙しいと伝えたので、わざわざ取りに行ったのだとマーサは思った。彼は、何度もエリー王女の護衛に付いていたため、マーサとも会っている。言わば、顔見知り程度の仲だ。
マーサは下した髪を整え、フィニアスを待った。今頃、アランは何をしているだろうか。手持無沙汰になったマーサは、ふとそんなことを思う。小さくため息をついた。動いている方が何も考えなくて良かった……。寂しい気持ちを奥にしまいこむと、皺の寄っていない紺色のスカートを無駄に撫でつけたり、白いブラウスのリボンを縛り直したりと時間を持て余した。
暫くするとフィニアスが朗らかな笑みをたたえならが、両手にお酒の入ったグラスを持ってきた。
「お待たせしました。どうぞ」
店内は騒がしく、気を使う必要もないはずなのに、フィニアスは丁寧に静かにグラスを置いた。
「ありがとうございます」
「いえ、お疲れ様です」
フィニアスがそう言いながらグラスを掲げると、マーサもそれにならってグラスを掲げてから一口飲んだ。そういえば何も口にしていなかったなと、マーサはのどの奥が潤って行くのを感じた。
「お腹も空きましたでしょう? 料理を頼んできたので、もう少し待っててください。私もさっき仕事を終えたばかりなのでペコペコですよ」
目を細めて笑いながらお腹をさするフィニアスを見て、マーサも微笑みながら「私もです」と伝えた。フィニアスは大人の余裕とでも言うのだろうか、女性の扱いも慣れておりとても話しやすかった。




