表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

前編

前作「YOU」と併せますとより一層おいしくいただけます。単独でも安心してお召し上がれますのでご安心ください。




 俺の名前は溝口健二。43歳男性、妻子がある。いや、あった。子供は14歳と12歳の男子が一人ずつ。会社では俺は企画開発部門の技術課課長を務めていた。

 事業は順調ではあった。だが長い不況の影響は確実に在って、日本での事業展開よりも安価な労働力を求めて海外への進出に主眼を置くようになっていた。その余波で俺も海外への赴任を命ぜられた。

 赴任先は東欧。ソビエトが崩壊し混乱を呈していた情勢もすっかり落ち着いて、平和であるかのように見えた。いや、確かに平和であった。いくら平和を取り戻していたとは言え、まだ中学生小学生の子供たちを連れて海外へ、といくのも不安が多く単身でこの国にやってきた。

 言語の壁の高さは言うまでもないが、それよりも難儀したことがある。自分で料理するのが苦手でいつも妻の手料理、外食産業に頼りきっていた俺にはこの国の食事が口に合わなかったのだ。しかし人間の適応力はすばらしく、決して相容れないと初めはへそを曲げていたはずのこの国の味にもすっかり慣れた。

…しかしやはり日本に置いてきた家庭の味がたまらなく恋しくなる。


 会社が命じた赴任期間は三年。その一年を無事に過ごし、事業も順調でこのまま家族の待つ日本に帰ることが当たり前に思えていた。





 だが俺はこの国で死んだ。この上なくあっさりと。



 平和になったはずのこの国の陰の部分には、むしろ拡大した貧富の格差および賄賂や暴力で秩序を保つ裏社会の存在があって、それらの微妙な均衡の上にこの平和が成り立っていた。その日俺に訪れた突然の出来事はこの国では時々ある話の営利目的の誘拐だった。

 恐ろしかった。本と新聞で目にしたことは何度もあったが我が身に起きるとは思いたくなかった。この国、および世界の情勢をかんがみれば俺に起きないはずはない。黒髪でそこまで身長はなく、スーツを着て大きな企業に出入りしているとなれば金を持つ日本人である可能性が高い。奴等にしてみたら例え俺とは言え日本人をさらう事は巨大な金額が手に入るビジネスチャンスになるわけだ。

 だが連中の企みは大きく外れ、俺の勤めていた企業はこの国の警察の介入を支持し、事態の沈静を図った。追い詰められていくことに気づき激昂した連中は俺に銃口を向け、黒い鉄の穴から乾いた音が響いた。










 抵抗することも出来なかった。


 俺は信じていた。妻子があり、会社の命で表向きは平和でも裏に残る闇の深いこの国に赴任してきた俺を見捨てるような真似は決してしない。


だが、俺にはこんな現実しか与えられなかった。



 腹に受けたときは意識があった。5発食らった。あまりの激痛に声が出ず、息も出来なかった。怒りに燃える奴等の目をそれにも負けない憤怒の形相で見上げていると、俺の視線に余計腹が立ったのだろう。地面を舐めている俺の背中に向けて発砲した。


音が二回聞こえたから、2発撃たれたのだと思う。音が聞こえた直後にはもう何も見えなくなっていた。






 目が覚めた。そのはずだ、意識がある。さっきの出来事は悪い夢だったかのようで痛みも無くなっていた。だが確証がもてない。さっきまでのことが夢だったのか、それとも俺が今居るこの世界が夢なのか。あれが悪い夢だったのなら、この真っ暗闇も早く晴れて欲しい。


怖いのだ。


 その時俺は闇の中に居た。前後左右だけではない。上も下もわからない。自分の体がどうなってしまったのか、一番知りたいことがわからない。とてつもない恐怖。拉致され銃口を向けられていたことに勝るとも劣らない不安感が再び俺に襲い来る。いつまでも続くかのような時間の中、時折襲い来る耐え難い眠気だけが俺を救ってくれた。


 それが何時までも繰り返されていくうちに俺は理解した。俺が置かれたこの世界が夢ではなく、現実に俺が死んだことを。空腹になることもない。もよおすこともない。俺は死に、今まで実感の無かった霊魂と言う存在になっているのだ。


そして俺はこの暗闇から抜け出ることが叶わない。

この閉ざされているのに無限に広がる孤独な世界の中で、俺の感情は溶かされ、薄くなっていく。怖かったはずの暗闇が、当たり前に変わっていた。













……


俺は考えていた。繰り返し思い出していた。


 子供の頃からそうだった。家族は多くて一人になることなどほとんどなかった。学校でも友達は多く、中学高校とともに入っていた柔道部でも副将を務めて後輩からも慕われた。大学に通うために一人暮らしを始めても、結局は大学内での友人がやってくるなどしていつも騒がしかった。

 就職してからも大学生の時分から付き合っていた女性と会うことが多く、入社したての不安や孤立感も和らいでいて心のゆとりは十分あった。


その女性と結婚し、家族が出来た。


 子供は大きくなっていき、やんちゃの盛り。立派なワルガキになった我が子がこんなに腹の立つ存在だったとは思いもしなかった。頭ごなしに叱れば当然反発する。俺もした。因果を説けば屁理屈をこねる。俺もした。見れば見るほどに、俺だ。それが二つも。どうすればこいつらはおとなしく落ち着くのだろう。それがずっと悩みの種だった。



…本当ににぎやかな家だった。そう、まさに俺が子供だったの時のように。



人がそばにいるのが当たり前の人生。孤独を感じることなどあるはずがない。

こんなに、こんなに怖いものなのか…



幸せだったのだ。なんて俺は恵まれていたんだ。無自覚だった俺が許せない。

どうしてこうなるまで…




戻りたい。幸せだったあの世界に。

俺は、この暗い闇の中に居たくない。出してくれ、お願いだ。


 慣れてしまったはずの暗闇の中、俺の胸に再び感情がほとばしる。引き裂かれるような感覚。俺はここに居てはいけないんだ。ここから出て、またあの幸せがあった世界に戻らなくてはいけないんだ。必死で手を伸ばし、掴むものなど一片もなかったこの空間を懸命にかき回していた。







どうしてこうなったんだ。




どうして俺は死んだんだ。




どうして俺はこの国に来たんだ。





……

会社のため、俺の出世、社内での立場のため。


ひいては俺の家族のため。

家族のためにここに来た。それはいい。後悔はない。






どうして奴等は俺を拉致した?





俺じゃなケればいけなかったのか?






別の人間ではいけなかったのか?










…どうして会社は金を払わなかった?





俺が撃たれない、死なずニすむ選択肢はなかったのか?






お前達が命じたンだ。お前達には俺ヲ何としてもこの世界につなぎとめておく責任がアッたはずだ。俺の家族のたメに…!






俺はこコにいナクテはいけないのカ?





否、ソンなハずがナイ。



出ナクテは、戻らなクテハ。アノ幸セダッタ世界に…



例エ俺ガスデニ死ンデ霊魂トなっテイテモ、家族ガ、妻ガ、子供達ガ待ッテイル俺ノ家ニ…



 暗闇ヲ掻キ回シテイタ俺ノ手ガ何カヲ掴ンダ。キット扉ダ。確証ナンテ無イ。ダガ、ソウニ決マッテイル。持テル力ノスベテヲ腕ニ込メテ引キ開ケタ。


…光ダ。一体ドレホド待チ侘ビタダロウ。眼下ニ広ガル景色ハ少シモ見覚エガナイ。霊魂デアル俺ハ宙ニ浮イテイルラシク、目ノ前ニハ常緑樹ノ枝ガアッタ。


 気温ハ分カラナイ。今ノ季節ハイツナノダロウ。空ヲ見上ゲルト灰色デ分厚イ雲ガ覆ッテイタ。セッカク宙ニ浮クコトガ出来ルノダカラ、コノママ飛ンデ日本ニ帰ロウ。例エドレダケ時間ガカカロウトモ。

 ココハドコカノ森ノ中ノヨウダ。途中、小サナロッジヲ見タ。モシカシタラアノ小屋デ俺ハ殺サレタノカモシレナイ。ソンナコトヲ考エタ。


 飛ンデ少シスルト壁ノヨウナ物ニブツカッタ。ダガ目ノ前ニハ何モ無ク、マダマダ森ガ広ガッテイタ。戸惑ッタ俺ハ何度カ直進ヲ繰リ返シタガ、通ルコトハ叶ワナカッタ。場所ヲ変エテ再度試ミタ。結果ハ同ジダッタ。


ドコカラモ出ルコトガ出来ナイ。


 何故ダ。今マデ出ル事ガ叶ワナイト思ッテイタ暗闇ニ閉ジ込メラレ、ヨウヤク出ラレタカト思エバ今度ハコンナ僻地カラ逃レラレナイトハ。ドコマデ行ッテモ同ジデハナイカ。


ドウシテ俺ヲ、アノ世界ニ返シテクレナインダ。

ドウシテ…



 再ビ絶望ト失望ガ俺ヲ包ミ込ム。次第ニ辺リハ暗クナッテイキ、分厚イ黒イ雲カラハ白イ雪ガ降リテキタ。ソウカ、冬ナノカ。マダ俺ノ足ノ下ニ広ガル世界ヲ埋メ尽クスホドノ勢イハナイ。イズレ閉ザサレル時ガ来ルノカモ知レナイ。













…閉ザサレテシマエバイイ。今スグニデモ閉ザサレテシマエバイイ。

俺ノ全身ニ、ザワザワトシタ感覚ガ広ガル。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ