なぜ科学を語ってすれ違うのか、のまとめ
「なぜ科学を語ってすれ違うのか」の面白かったところ。
ジェームズ・マークス・ブラウン著。
ルヴェイの研究
視床下部のINAH-3は、異性愛者の方が、同性愛者よりも大きい。
と述べたが、原因と結果、どっちがどっちかわからない。
同性愛者だと大きくなる? 大きいから同性愛者?
さらに、本人に聞き取りをしていない、異性愛者としていたうち二人は同性愛者だったことがわかっているなど、批判がある。
ベイリーとピラード
双生児を調べ、一方が同性愛者のとき、他方も同性愛者である割合は、一卵性のほうが二卵性よりも多かったので、遺伝性なのではと言った。
批判はいくつかあるが、
1.二峰性分類法を用いたこと(0と1のように二項分類すること)
ホモとヘテロをはっきり区別できるものと仮定したが、たとえば、どちらの集団もバイセクシャルの集団と大きく重なっているかも
2.時代遅れのキンゼー・テストを使っている
3.双子の一方だけにしか聞いていない。参加した方がしなかった方にくだした判断にどれほどの信頼性がある?
ホモセクシュアルに関する四分類
1.同性愛は遺伝で決まるから、自然で文句を言うことではない
2.同性愛は遺伝で決まり、それは治療すべき遺伝病である
3.同性愛は社会の影響で作られ、選択肢として尊重されるべきだ
4.同性愛は社会の影響で作られ、邪悪な選択である
サミュエル・ハンチントン(文明の衝突で有名な人)は、ヴェトナム戦争中に、悪名高い戦略村政策について合衆国政府に助言している。
この人の言っている発展途上国を近代化するための方程式はでたらめだし、アパルトヘイト下の社会は満たされた社会だったと言っている。
実在論とは(著者の立場)
1.科学の目的とは、実在をほぼ正しく記述すること
2.科学理論は正しいか間違っているか二つにひとつであり、その正誤は私たち(の社会や文化など)に依存しない
3.理論が正しい(誤りだ)ということは、根拠によって裏付けることができる。(しかし、すべての根拠がある理論を支持してもなお、その理論が誤りである可能性は残る)
理論家がどんな背景を持つか二よって理論は変わりうる。競合理論があると、バイアスが目につく。
女性研究者によって、提示されている話は、たとえば以下。
ウーマン・ザ・ギャザラーモデル(犬歯をむき出しにしない優しい男を選ぶために今の人間のように進化してきた)
卵子の繊毛――活発に動いて精子をとらえる。受動的ではない。
科学から、事実から倫理を引き出せるのか?
知識の営利化。
例えば、金融機関は、経済学部に、高い税金が生産性に及ぼす影響を調べさせたことがあるが、どこかの営利団体が、貧困が子どもの発達に及ぼす影響を調べさせることはありそうにない。
経済的利害を公表すべきと筆者は言う。ぼくもそう思う。
専門性は大事かもしれない。
死刑に賛成する人は多いが、アメリカで死刑のためにかかるお金は200万ドル。終身刑は50万ドル。
ブラウン運動。気体分子運動論を補強する現象。古典熱力学を補強しない。でも、ブラウン運動は熱力学とはまったく関係がないと思われていた生物学の現象。競合理論がふたつ(気体分子運動論と古典熱力学)あったから、この現象の意味がわかった。
偏見と気づかない偏見はある。よってアファーマティブアクションをして、背景の違う科学者を取り入れ、競合理論が出てきやすい土壌を作る方が有益。
グールドとベルカーブという本。
この本は、知性がたったひとつの因子(g因子)によってあらわされている。多重知能を前提から否定している。
知性は遺伝するとしているが、ベルカーブのようにランダムに分布するなら、階層は固定化されない。仮に遺伝するとしても身長も遺伝するが、平均身長は環境によって高くなっている。
ドイツで育った子供は、親のアメリカ人が、白人にしろ、黒人にしろ、知能に差は見られない。
ニュートンのレイプメタファー。これは示唆的。