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7:帰り支度と旅支度

《リエール・シークレン》  21歳 男

本編の主人公。

結構なオシャレさん。

貴重品の扱いが粗末。


《フィリップ・マルルーニ》 21歳 男

リエールの親友&ツッコミ役。

親友同様にオシャレさん。

だが、アクセサリーはあまり身に付けない。


《ミュア・アネスト》 18歳 女

容姿端麗。

物語のキーパーソン。

子供の面倒見も良く、

なかなか世話好きな一面も。


《ニーニャ・ラ・フィロ》 22歳 女

才色兼備。

優秀で明るくて美しい幻導士の一人。

物事の細部までよく気が付く。


《エルニー・アトロラーチェ》 22歳 男

文武に長ける美青年。

その美しさから女性と良く間違われる。

声も中性的。

頭の回転が速く、洞察力も鋭い。


《マルケス・バロウ》 145歳 男

幻導士の中でも高位の一人。

見た目は30代だが、かなりの長寿。


《ジャスティス・ブラッド・アロン》 147歳 男

マルケスと同様、幻導士の中でも高位の一人。

マルケス同様、見た目は30代。

しかし、歴史の生き証人。


《サラ・モグレフ》

ポストロジーの用務員。

なかなか美人。

今回はチョイ役だが、周りからは頼られている。

エルニーの案内を受けてライブラリーを東に抜けると、

開放的な芝生の庭に出た。


芝生には舗装された歩道が設置されており、

両脇を花壇に挟まれたその歩道は二股に分岐していて、

左手側に伸びる先には、

バロック風の派手な装飾が施された宮殿の様な建物があり、

右手側の先には、陸屋根が特徴的な建坪30程の屋舎が二軒、

隙間無く連なっていた。


「なにあれ?」


背後から聞こえたリエールの声に振り返ったエルニーは、

彼の視線が左手側の宮殿染みた構築物に向けられていたので、

その観察対象について簡単な解説を入れる。


「あれはショッピングセンターだよ」

「色々な物が売ってて面白いよ」


「へぇ、見たい見たい」


「残念だけど、今は時間ないよ」

「どっちみち、君等はここのお金持ってないでしょ?」


「ここのお金?」


「うん、ティルムね」


「ウィグリスの通貨か」と、横からフィリップ。


「そうそう、ここはウィグリスの国土だからね」


その情報に驚く後続の二人。


「うわ、ミラディアから随分と離れてるな」


フィリップが脳内で大まかな距離を計算する。


「ミラディアからだと…、

まず蒸気船でサランの港まで大体二週間ちょっと…、

で、そこから鉄道で丸一日くらいの距離だな」


それを聞いたリエールが、腕組みをしてしみじみと呟く。


「俺等そんなに遠くまで来ちゃってたのか」


「だな」


「しかし、でかい建物だな」


「うん、僕も初めは驚いたよ」


そんな会話を交わしながら、分岐点を右に曲がる一行。


正面に見える二軒のアプローチの先は、

立ち並ぶ屋舎同士を連結するベランダになっていて、

均等な間隔で並ぶ列柱の合間は、

コートスクエアの中庭で見掛けた物と同じく、

半円アーチのヴォールト様式だった。


そんなベランダへと続く短い階段の前に差し掛かった時、

右手側の建物内部から話し声が聞こえた。


「あ、ちょっと待ってて」


エルニーは背後の二人にそう指示しながら急加速し、

目の前の階段をたった二歩で上り切って右手側の建物へと駆け込む。


数十秒後、少し緩んだ表情で戻ってきた彼は、

従順に待機していたリエールとフィリップに予定変更を告げる。


「だめだ、浴場はマーヤさん達が違う目的で使ってる」

「すぐ済むと思うけど、時間ないし、着替えから選ぼうか」


「マーヤさん?」


「うん、ラボの責任者」


問い掛けて来たリエールの前をそう答えながら通過し、

そのまま二人を隣の建物へといざなおうとしたエルニーだったが、

幾らか進んだ所で何故か突然立ち止まり、

浴場の玄関に視線を戻してしばらく固まる。


「(いや、やっぱり待つべきかなあ)」

「(でも、ジャスティスさん達が準備してるし、

[トランスファーベース]も大分進んでるから、

急がないと彼等の身内にも心配掛けるしなぁ…)」

「(まあ、この二人には手袋とかを着けてもらえば大丈夫かな)」


エルニーは考えを纏め、

「さ、行こう」と、階段下の二人を手招きし、

結局、停止直前と同じ軌道を取る。


そんな彼の追従者二名も小走りで階段を登り、

大きめの歩幅でベランダを進みながら何気なく顔を左に向けると、

鮮明な発色の芝生をベースに、花々や樹林や人工物に彩られた、

広大で爽やかな景色が視界に入る。


少し歩行速度を下げてそれに見入るリエール達の先で、

ドアの前に立つエルニーが振り返り、

リエールの持つリグレットを指しながら勧告する。


「それ、手摺の上にでも置いておけば?」


反応して焦点を発言者に移したリエールは、

素直にそれを受け入れ、

とりあえず最寄の手摺の上にリグレットを置く。


「この先は手ぶらの方が良いからね」


後ろの二人の到着を待たずにドアを開け、

軽快に内部へと立ち入るエルニー。


リエールは視界から姿を消した彼を追い、

初訪問という前提からか遠慮がちに部屋を覗き込む。


しかし、その矢先、

てっきり奥へ進んで行ったと思っていた尾行ターゲットが、

対面する形で両手を前に突き出しながら待ち構えていた。


「ちょっと待って」


「おっと、びっくりした」


驚くリエールを他所に、

入口のすぐ左脇にあるシューズラックから、

革製の前閉じスリッパを二足取り、

リエールとフィリップの足下にそれぞれ並べる。


「これに履き替えて」

「ここはその靴のままではまずいと思うから」


「了解」


素早くスリッパに履き替えた二人に対し、

「あ、そのスリッパで脱いだ靴には触れないでね」と、

神経質な程に細かい注文を追加する。


だが、言われた側はそれに疑問を持つのをやめ、

「あいよ」と、すんなり聞き入れる。


「で、この靴はどうするの?」


「後で洗うから、今はそのままにしておいて」

「さ、どうぞ」


入室許可を得て、

先程までとは感触の異なる一歩を踏み出すリエール達。


オックスブラッドのカーペットが敷かれたその温暖な部屋は、

まろやかな香り漂う40じょう程の静かな空間で、

窓から差し込む光の中に舞い乱れる埃が際立つ中、

様々な図案の服が木製のハンガー掛けの下に肩を並べていた。


部屋の右手側の壁には、

曇りガラス付きのドアが間隔を空けて三つ並んでおり、

その先、右手側奥隅の壁際には、

狭くて急角度な上り階段があった。


「ここは[ドレッサーフォート]って言って、

出張用とかプライベート用の衣類が無料提供されてる場所なんだ」

「一階には女性用のが揃ってて、君等のは上」


エルニーはフィリップを見ながら天井を指し、

林立するハンガー掛けの合間を縫って階段へと向かう。


何故かレディースコーナーに見入るリエールを抜いたフィリップが、

並んでいる服に指で波を立てながら先導者を追っていると、

突然背後から高揚感の籠もった声がする。


「これいいな」


足を止めて振り返るフィリップとエルニー。


「だから、ここは女性用の…」


「でも、いいじゃんコレ」


ボタン一つの短躯な濃い臙脂色えんじいろのベストを胸の前で広げ、

前方の二名に堂々公開するリエール。


「おっ!」


それを見たフィリップが、彼の意見に食い付く。


「確かに、違和感なさそうだな」


「はい、上着決定」


リエールは満足気にそう言うと、

ベストを左脇に挟みつつ、左手をズボンのポケットに突っ込む。


そのまま他の服に目をやりながら、

フィリップと平行して階段へと歩を進めるリエールに、

「サイズはどう?」と、エルニー。


パッと正面に向き直った被調査者は、

「平気だと思うよ」と、いかにも当て推量から成る結論を返す。


「あ、いけない!」


いきなり会話の流れを乱したエルニーに驚くリエール達。


「まだお風呂入ってないのに、それ触っちゃだめだよ!」


「え?」

「あ…、えっと」

「ごめん」


慌ててベストを掴み、発見場所をかえりみるリエールだが、

どうしようかとやり場に困った挙句、

結局あたふたするだけにとどまる。


だが、エルニーにはそんな彼に対する苦情等無く、

自分側の責任だけを強く感じていたため、

彼のリアクションが思ったよりオーバーなのを受け、

若干焦り気味に素早くフォローを入れる。


「いや、僕の方こそ、ごめん」

「ほんとなら、入る前に言っておかないといけない事だし」


譲歩されたリエールは、突如、大袈裟に態度をひるがえす。


「ああ!そうさね!そっちが悪い!」


「えぇ!?豹変したし!」


「土下座されても許さないからね!」


「うわ!めっちゃキレてるし!」


「この恨み、末代まで忘れんぞ!」


「こら」


見兼ねたフィリップが、

リエールの後頭部を見事なスナップで叩く。


「お前、器小さ過ぎだろ」


そのツッコミに吹き出すリエールとエルニー。


しばらく頬を緩めた後、

少し真顔に寄せたエルニーは、対象を変えて確認を取る。


「フィリップ君はその辺触ってないよね?」


フィリップは先程指で波を起こした列を一瞬観て、

「ごめん、俺も触っちゃった」と、広げた左手でそこを示す。


「うわ~」


エルニーは額に右手を当てて瞼を強く閉じる。


「リグレットに気を取られて言い忘れたぁー」

「その前まで覚えてたのになあ…」

「あーあ、先に言うべきだった…」

「不覚…」


階段に座り込んでガクッと頭を落とす彼を見たリエールは、

定石じょうせきとも言えるフィリップとの顔見合わせをした後、

そんなエルニーに歩み寄りつつ、

安易な発想を軽率に口から出す。


「正に、リグレットが生んだ後悔って訳か」


「うわ、しょーもな」


「ふふっ、ふふふふ…」


そんな低レベルのネタでさえ、

下を向きながら肩を揺らしてウケるエルニーに対し、

リエールが安易さを延長させた独断を発す。


「ちょっと触っただけだし、平気じゃない?」


次に、フィリップを手招きして横に立たせた後、

彼の手を掴んでへその高さまで持ち上げ、

掌を上向きにして見下ろす。


「ほら、こいつ手はそんなに汚れてないし」


弱々しく顔を上げたエルニーは、

「いやいや、その安直な考えが、どれ程危険か…」と、

脱力したまま立ち上がる。


「露骨に血を浴びているフィリップ君どころか、

一見汚れのない君の服や体にも、

ガーナの血や汗や唾液なんかが付着している可能性は、

100パーと言って良いくらいだからね」


自らの体を一通り見回すリエール。


そして、それらが見当らない事を確認した後、

諸に汚染指数の高さが伺える幼馴染を左手親指で示す。


「こいつはともかく、

俺は問題視するほどでもないんじゃ?」


「とんでもない」

「ミュアちゃんの証言によれば、君はプログレプスに直接触れられてる」

「それも凄い圧力でね」

「肉眼では分からないにしても、

皮脂や汗による汚染はまず絶対だと見るべき」


「良く覚えてないけど、触られたのは多分一瞬だし、

ここに来るまでに飛んじゃったんじゃない?」


「ミスト化はそこまで都合の良い物じゃないんだ」


窓の横に置かれているクローゼットの前まで移動しながら、

解説を続けるエルニー。


「ミスト姿から元に戻る時、

本体の健常的生存状態への復元率が99.99999%で、

そこは非常に助かるんだけど、

宿主を中心とした一定範囲の復元率も98.99%もあって、

抗体とは水と油関係のガーナと言えど復元されてしまうからね」

「それにさっきも言ったけど、

例え一瞬の接触でも、その圧力は凄まじいから、

探せばちょっとした肉片さえ付いていてもおかしくないくらいだし、

検査すれば体中で反応が出ると思う」


「検査なんてあるんだ」と、フィリップ。


「うん、お風呂に入った後で受けてもらうよ」

「というか、ヒストリーホールへの通路に仕込まれた装置が、

オート検査してくれるんだけどさ」


「おーとけんさ?」


「つまり、人が操作しなくても、

機械が勝手にしてくれるって事」


「ほー、凄いね、それ」


フィリップが目を輝かせながら感心するその横から、

「アウトだったらどうなるの?」と、リエール。


「警告ブザーが鳴って、ホールへの入口がロックされるの」

「体が綺麗でも、服に微量のガーナが付いていただけでダメ」

「まあ、前室でもクリーニングされるから、

反応した事は今までにないらしいけど」


「そうなんだ」

「でもそれなら、ここでそうこだわる事もないんじゃない?」


一見すると核心を衝いている様なその言葉を受け、

エルニーは話の前提を明確にしていなかった事に気付く。


「ああ、うん、あのね」

「こだわる理由はそこじゃないの」

「この部屋にあるのは、今の僕等みたいに、

あっちの歴史へ帰還や出張をする人[専用]ではなく、

ポストロジー勤務のみんなで共用の品なんだよね」

「つまり、普段着としても使ったりするの」

「でもこれは、[みんなで綺麗に使おうね]なんて標語的な話じゃなく…」


本来の目的を放置し、クローゼットの前で演説に力を注ぐエルニーは、

そこで一旦言葉を止め、部屋全体を見渡してから話を再開する。


「ここの服は、こっちの世界で遠出する場合には着てかないし、

仮に着ていくとしても、

ポストロジーは出入りの時にクリーニングと点検があるし、

外からのお客に開放されてる場所なんかは、僕等も制服でしか立ち入れないし」

「つまり、基本的に抗体がある人しかこれは使わないんだけど、

[だから汚染されてても良い]って[甘い考え]を持つ事は、

世間からの[信頼]に背く行為だからね」


「あー、なるほど」


「こんな世界に生きる人々には[拠り所]が必要だし、

その筆頭が僕達なんだから、自覚をしっかり持たなきゃ」

「[恐ろしいウィルスを身に帯びて日常を過ごす団体]…、

なんて噂が広まったら、幻導士の国際評価が下がるだけじゃなく、

僕等にだって[誇り]があるからね」

「1%の油断だって許されないんだ」


「あ、そうだよね…、ごめん」


少し彼のプロ意識に対して軽率であった事を反省するリエール。


だが、そんなリエールの謝罪姿勢を見たエルニーには、

元々彼の言動に対する不快な点は一切無かったため、

苦情と受け取られてしまったのではないかと若干焦る。


「え?あ、いや、君を責めてる訳じゃないよ」

「単純に理由の説明だよ」


そう言ってエルニーが爽やかな笑顔を見せると、

同じく笑顔で調子を合わせるリエール。


「そっか」

「まあ分かってたけどね!」

「ちょいと大人ぶってみたのさ!」


「そこは[ぶり]じゃなくて良い年頃だと思いやすぜ、旦那」


一同が顔を綻ばせ、空気が回復した所で、

突っ込みを入れたばかりのフィリップが仕切り直す。


「ともあれ、そうゆう事情があったのか」

「ちょっと軽く考えてたな」


「うん、なので細か過ぎるようだけど、

汚染されたらその度合いにかかわらず、

即刻、洗浄と点検をしないといけないの」

「だけどほら、今はあんまり時間掛けられないでしょ?」


「ああ、うん」

「そりゃ細かくもなるか」


「うん、それにさ」

「そのクリーニングや検査の結果は絶対ではないし、

この仕事をやるからには、

汚染に対して神経質過ぎるくらいで丁度良いからね」


「そっか、そうだよね」と、リエールは微笑む。


「うんうん」と、その横でフィリップ。


エルニーも彼等に微笑みを返してからクローゼットを開き、

ハンガーに下がった女性物のジャケットやスーツを尻目に、

下段に収納されている籠を前屈姿勢で掴んで引っ張り出し、

フィリップが触れた服群の前まで運んで床に落とす。


「しかし、そこまで細かいもんなんだな」


リエールが自分の着ている服をもう一度見渡しながら呟く。


「うん、僕も初めはピンとこなかったよ」


顔だけ彼に向けたエルニーだが、

その際、リエールの持つベストが目に付き、

結局の所をはっきりさせるため、

ベストを指して問い質す。


「で、やっぱりそれ着ていくの?」


「うん、もし大丈夫なら」


「乾くのを待ってたら、時間がどんどん押しちゃうけど」


自分の持つベストを見下ろしながら、

軽いノリで答えるリエール。


「な~に、そんなの待つまでもないさ」

「着てる内に乾くだろ?」


「それじゃ、今着てるのを着ていくのと、あまり変わらないよ」


微笑みながらそう返した後、

リエールの方に体ごと向けて両掌を胸の高さで広げ、

指のみのジェスチャーでパスを要求するエルニー。


それに反応したリエールは、

持っているベストを丸めてエルニーに投げたが、

少し距離があったため、途中で広がって床に落ちた。


エルニーは黙ってそれを拾うと、

広げて軽く埃を払い、簡単に畳みながらフィリップに尋ねる。


「え?この辺りを触ったって言ったよね?」


フィリップは波を起こした場所を改めて指し示す。


「うん、その向こうからそこまでくらい」

「申し訳ありませんでした」


爽やかな笑みをフィリップに向け、

「いや、気にしないで」と、エルニー。


しかし次の瞬間、それが強張った真顔に変わる。


「この恨みは末代まで忘れないけどね!」


「あんたもかい!」


フィリップの無意識による反応突っ込みの直後、

その場の全員が吹き出す。


数秒間、陽気に相好を崩した後、

「いやあ、君とは仲良くなれそうだ」と、

未だ顔がほころんだままのリエール。


その発言に、

「だな」と、フィリップも即同意する。


「うん、相性が良いみたいでホッとしたよ」

「これからしばらく一緒なのに、

微妙に気を使う間柄になったらどうしようって、

ちょっと心配してたんだ」


「ははっ、大丈夫、うちらはふところ広い方だし」


「自分で言いますか、それを」


エルニーはその発言で会話に区切りを付け、

フィリップによって汚染されたと思わしき範囲より若干広めに境界線を取り、

そこに掛けられた衣服を一着ずつ几帳面に畳みながら籠に入れて行く。


その面倒とも思える仕事を、

苦情一つ出さずにこなすエルニーを見たフィリップは、

彼に余計な手間を掛けさせた事を改めて申し訳なく思い、

反省も込めて同じ過ちを繰り返さぬよう肝に銘じるが、

その前提が頭に入ったがために、

遠くない過去に自分が起こしていた問題に気付いてしまった。


「というか、うちらが最初に通された部屋で、

このまんま思いっきりソファーに座っちゃったりしたけど…」


それを聞いたエルニーは、

若干ビク付いているフィリップの予想に反して

振り向きもしない程に軽く応対する。


「ああ、あそこはもう、

汚れてて当たり前の人達が集まる部屋だから」

「なんたってミスト移動の出口だしさ」

「そうでなくても、

抗体持ちの人しか立ち入り許可されてないし、

家具一式も念のために毎日クリーニングされてるからね」


余裕で想定内だったと知り、ホッとするフィリップ。


だが次の瞬間、エルニーが突然作業を中断し、

「あ、そうだ」と、回れ右をしたため、

やはり何か不味い点があったのかと、フィリップの体に緊張が走った。


しかし、当のエルニーはそんな彼には目もくれず、

先程のクローゼットの右隣に置かれたタンスに小走りで向かう。


「ほんとは二階にあるやつを渡そうと思ったんだけど」


そう呟きながら両手に嵌めた白い手袋を外して素手の状態にし、

左手でそれをズボンのポケットに突っ込みながら、

右手で下から二段目の引き出しを開き、

しゃがみ込んで中を漁り始める。


不思議そうなリエールとフィリップの視線を背中に受けつつ、

ポケットの中の品と似た[白い手袋]を二組と、

[折り畳まれた白い布]を二枚、タンスから取り出す。


それらを持って二人の前に舞い戻ったエルニーは、

「二人とも両手を前に出して」と、

白い布二枚を自分の左肩に掛けながら要求する。


黙って言葉に従うリエールとフィリップの両手に、

[ベルト付きの白い手袋]を軽く被せた後、

左肩から布を一枚取り、

両手でバサバサと上下に振って広げる美青年。


やがて全容を現したそれはただの布ではなく、

丈の長い薄手の[ケープ]になっていて、

エルニーはそれを広げたまま彼等の背中側に回ると、

汚染レベルの高いフィリップを優先して羽織らせ、

残りの一枚でリエールの上半身を包んだ後、

「先に上へ行って、服を選んでていいよ」と、

床屋の客スタイルの彼等に進言し、

服の回収作業を再開するため、

自分の手袋を再度装着しながら籠の側に戻る。


二人はエルニーの挙動を視線で追いながら、

被せられた手袋の着用具合を調整し、

ベルトをしっかり締めた後、振り返って階段に向かう。


「あ、上がってすぐの所にあるタンスの横に籠が積まれてるから、

選んだ着替えはその中に入れて」


「おっけ」


背を向けたまま右手を上げるリエール。


「くれぐれも試着は禁止だからね」と、

彼等の背後から念を押すエルニー。


フィリップは少し振り返ったが、

リエールは特に反応しなかった。


急角度な階段を上がり、

二階に到達した直後の突き当たりを左に曲がると、

一階より狭い割にラインナップの薄い洋服部屋があった。


しかし、そこから奥側の壁までの距離の短さと、

その壁に一つだけドアが取り付けてある事から考えて、

隣にもそれなりの規模の部屋がある様なので、

そちらに幾許いくばくかの期待を持てた。


「お前はどんな感じでキメる気なんだ?」


階段近くのタンス脇に積まれた[持ち手付きの籠]を一つ取りながら、

相棒にそう尋ねるリエール。


フィリップも同様に籠を手にし、

ゆっくり物見歩きしながら返答する。


「落ち着いたイメージかな…、大人っぽく行こうかと思ってるんだ」


「なるほど、ということは…、

黒のレオタードに網タイツを合わせ、蝶ネクタイとカフスと、

うさぎの耳付きヘアバンドでアクセントを付けようってハラだな」


長々としたリエールのボケを、

表情一つ変えずに受け止めるフィリップ。


「やっぱ読まれたか、無難な線だがその辺りが王道だろ」

「って変態まっしぐらか!」


ニヤつきながら視線を合わせる二人。


そして服選びを再開したフィリップが、今度は真面目に言う。


「タートルネックで伸びが良いTシャツがあれば、

上はシンプルにそれだけでも良いし」

「ないなら、襟の狭い半袖のかな」

「で、その上には、いつも通りワイシャツの予定」

「下はジーンズでいいかね、全体的に平凡だけど」

「おたくは?」


リエールは少し考えてから、

「あのベストなら、スポーティだろ」と、

既に選出済みの上着で方向を定める。


「紺かグレージュのシャツの上に着るのが俺好みなんだけど…」

「見つけたらパスお願い」


フィリップは背筋を伸ばして部屋を一通り見渡し、

得られた検索結果を告げる。


「グレージュ…は、見たかぎり置いてないな」


リエールも大雑把に部屋全体を流し目でチェックした後、

「じゃあ紺、( )(かっこ)半袖、で行こう」と、物色に戻る。


フィリップは再び部屋を見渡すが、

その際、服の配置から考えて、

自分より相棒に利があると判断できたため、

リエールが観ているコーナーを指しながら、

「シャツはそっちだろ?」と、役割を返還。


そんな矢先、ピンとくるリエール。


「今丁度、注文通りの品を見付けたよ」


それを籠の中にキープしつつ、

念のために他のシャツもチェックしていると、

突然、リエールに向かって何かが飛来し、

正面のシャツ群に覆い被さった。


直後、フィリップの言葉がそれを追い掛ける。


「ズボンはそれが合うだろ」


飛んできたそれは、深い青の生地で、

たるみの無いすっきりしたニッカーボッカーズだった。


リエールはそれをじっくり吟味した後、

「素晴らしい、流石に分かってるな」と、親友の功績をたたえ、

そのズボンを籠に収容しながら何故か入口へ戻ると、

階段を覗き込む様にして下の階に向かって叫んだ。


「エルニー!」


丁度階段の中程まで上って来ていたエルニーが、

ビクッと揺れて見開いた目をリエールに向ける。


「おっと、ごめん、そこにいると思わなかったから」


謝罪も早々に用件に入るリエール。


「あのさ、靴とベルトって、ここにはないのかな?」


「ああ、隣の部屋に揃ってるよ」


階段を上り切ったエルニーは、

立ち退いたリエールを横目に、

早足で隣の部屋へのドアに向かう。


そして手袋を外してからノブを引くと、

顔だけリエールに向け、

「どうぞ」と、ドアを開けっ放しで奥へとスタスタ入って行く。


リエールもそれに続き、

革、ゴム、金属等、様々な臭気の入り混じった空間に立ち入る。


その主な発生源は、内周を覆うシューズラックだと一目で分かる程、

あらゆるタイプの靴が大量に揃っていて、

中央に置かれたハンガー掛けには、豊富な種類のベルトが垂れ下がっており、

左手で下唇をいじりながらそれを選考しているエルニーに、

「これってサイズ別?」と、部屋を見渡しつつ尋ねるリエール。


エルニーは左手側のシューズラックを指差し、

それを右にスライドさせながら、

「向こうから順に大きくなってるよ」と、回答。


「リエール君サイズいくつ?」


リエールは履いているスリッパを見下ろしながら返答する。


「多分26.5」


「じゃあ、あそこらへん」と、正面の少し右を指すエルニー。


「おっ!」


突然、目に付いた一本のベルトを手に取るリエール。


エルニーの示した先を見た時、

脇目に引っかかったベルトに興味が傾いたのだ。


「これいい!」


バックル等の金具がなく、

紐を結んで固定するタイプのその革製ベルトについて、

「クラフトだね」と、エルニーが一言添える。


リエールが反射的にコメンテーターへと向き直る。


「えっ?クラフト?」


「うん、去年地元に帰った時は流行ってたし、

今でも人気あるんじゃないかな」


「何が?」


いきなり後方から会話に入るフィリップ。


ベルトをフィリップに差し出す様に見せて、

「このベルト」と、簡易な説明で済ますリエール。


フィリップは自分から会話に参入した割に素気も薄めで、

「おお、良いじゃん」と、とりあえず返し、

「俺も後はベルトと靴だ」と、二人の間からベルトを眺める。


リエールはベルトを既に選んでいたので、

フィリップ登場による窮屈さに後押しされ、

靴コーナーへと出発する。


入れ違ったフィリップは、

さっきまでリエールがいたスペースに立つ訳だが、

直後、早々に趣向の合う品を発見する。


しかし、それを手に取ろうにも、

右隣にいるエルニーの反応をつい意識してしまうので、

自然な流れで取得できる空気を作ろうと試みる。


「エルニーは服を選ばないのかい?」


下向き加減のまま、フィリップに上目を向けて答えるエルニー。


「部屋に出張用のをキープしてあるから、

後はベルトをどうしようかなぁ~って」


「エルニー」


突然の呼び掛けを受け、エルニーが顔を上げると、

リエールが底の厚いスニーカーを提示しながら、

「このスニーカーさ、もっと緩いのないかな?」と、訊いてきた。


エルニーは軽く口をすぼめて少し硬直してから、

「ごめん、ちょっとわかんない…」と、目を細める。


「あ、いいんだ、これでも履けると思うから」


フィリップはそのやり取りを好機と見て、

エルニーの注意がリエールに移っている隙に、

お目当ての品を素早く手にした。


そして、それを見られない内にその場から離れ、

靴の選出に向かう。


すると、彼の挙動に気付いたエルニーも、

すぐ様黒い革ベルトを取る。


どうやら、互いに同じ意識だった様だ。


リエールは再びフィリップと入れ違う形でシューズラックから離れ、

先程ベルトを手にしたポジションへ帰還する。


「選んだよ」


「じゃあ後は、フィリップ君の靴だけだね」


その時、何か物足りないと感じていた部分に気付くリエール。


「あ、そうだ、バンダナはないかな?」


発問者が着用しているバンダナを一瞬見遣り、

「それなら、僕のを貸すよ」と、話を一歩進めて返すエルニー。


「サンクス」


リエールはバンダナを外してエルニーに差し出すが、

エルニーはそれに着手せず、

「あ、下に置いてある洗濯物の籠に入れて」と、

階段の方を指す。


「あいよ」


その返事の後、

外したバンダナをどうしようか迷った素振りの彼を見て、

厳戒態勢を取るエルニー。


案の定、リエールは自分の持つ籠にそれを入れようとしたため、

先輩幻導士から即注意が入る。


「あ、そこに入れちゃだめ」


自分でも気が付き、ピタリと手を止めるリエール。


「おっと、あぶないあぶない」

「これ、どうしよ…」


「洗濯籠に入れるまで、そのまま持ってるのが良いかも」


エルニーはそう言いながらフィリップの様子に目を向ける。


それに釣られてフィリップの方を向いたリエールが、

のんびり靴を選んでいる彼を急かす。


「ほらフィリッピング!とっとと選ばんか!」


その言葉に後押しされたフィリップは、

幾つかの候補から絞った黒茶の皮靴を手にし、

少し未練たらしくシューズラックに顔を向けつつ、

来た道筋を辿る様に戻る。


「相も変わらず鈍臭ぇ野郎だ」


リエールは大袈裟に悪態を吐くと、

そのノリのままエルニーに顔を向けて続けた。


「確か三年くらい前、サウスクトルへ遊びに行った時…」

「あいつのせいで帰りの船を二日伸ばす羽目になったんだ」


「古い話引っ張り出すな」


リエールの右斜め後ろから、

その背中に突っ込みを入れるフィリップ。


「大体、あれは食中しょくあたりのせいだ」


「皿に敷かれた葉っぱみたいなのまで食うからだ」


「だって、うちではいつも食うから、

それが常識かと思ったんだもん」


「何でも自分に都合よく解釈するからさ」


「(お前に言われたかねーぞ)」と、内心フィリップ。


「まあ、お前が寝込んでいる間、

一人で余分に名所回ったりして、

結構楽しかったのは内緒だったりするが」


「じゃーいいじゃないの」


「うむ」

「友達に頼まれてた買い物も思い出したしな」


リエールは突然姿勢を正し、かしこまる。


「改めて言おう…」

「寝込んでくれて、ありがとう」


フィリップも姿勢を正す。


「いえいえ、こちらこそ、

治療費の一部を出してくれて、ありがとう」


肩を縮めて静かに笑うエルニーの横で、

再び態度を大きくチェンジするリエール。


「え?あれは貸しですよ?」

「いま利息1800%くらい付いてますよ?」


「うわ、法外だし」


「早く返済しないと、

どんどん手が付けられなくなるよ」


「助けて頂いた恩がある身で誠に恐縮ですが…」

「返す気は毛頭ない」


「ぷっ、はははっ」


傍観者が吹き出したのを機に、

リエールとフィリップも一緒になって笑い出す。


やがて場が落ち着き、呼吸を整えたエルニーが、

「でも惜しいな~」と、首を傾げながら声を発す。


何事かと彼を見るリエールとフィリップ。


「僕、ノースクトルなんだよ、出身」


リエールは嬉しそうな表情で、

「おー、そうなんだ」と、浅く数回うなずく。


「結構近いじゃん、ミラディアから」


「だね」


「可愛い娘多いらしいな」


「多いね」


自慢気に返答した彼が開放状態の出口に向かって歩を進めると、

リエール達もワンテンポ遅れてそれに習う。


逸早いちはやく靴やベルトの部屋を出たエルニーは、

衣装部屋側のドアノブに手を掛けながら後続二人を待ち、

彼等が自分の前を横切ったのを合図にドアを閉じる。


そして再び先頭に立つエルニーが階段に差しかかった頃、

リエールが彼の後頭部に尋ねる。


「ニーニャもノースクトルなの?」


振り返る事なく答えるエルニー。


「いや、ニーニャはサウスクトルって言ってた」


「おー、近いねえ」


「偶然にも狭い範囲に集中してるね、僕等」


「旅行の時に会ってたりしてな」


リエールが先程からちょこちょこ挟んで来る安易な発想に、

エルニーは微笑む。


「ふふ、三年前ならどうかな、もうこっちで働いてたし」

「帰郷のタイミングと君等の旅行が重なってれば、

もしかすると会ってたかもね」


「そっかー」

「だけどニーニャもかなりイカしてるよな」


フィリップが最後尾から会話に入る。


「うん」と、エルニー。


「んだな」と、リエール。


「あれ?」


次にエルニーが発したその言葉には、二人も意表を突かれた。


階段を降りた先に、洗濯物の籠を持ったニーニャが、

こちらを見詰めながら立っていたのだ。


エルニーは第一に気になる要素をニーニャに問い掛ける。


「聞こえた?」


ニーニャは答えず、照れ臭そうに微笑む。


前方の美男子が誰に話しているのか把握していないリエールが、

彼の肩越し視点で部屋を覗き込む。


「おお、噂のニーニャさん」


エルニーがニーニャに近付きながら籠を指差して言う。


「いいよ、それ僕が持って行くから」


ニーニャは少し重量のある籠をエルニーに渡すと、

不思議そうに問う。


「これって何?誰か触っちゃったの?」


右脇に籠を抱えたエルニーは、

左後方を一瞬だけ適当に指す。


「うん、フィリップ君がね、僕が説明しとくの忘れちゃってさ」


「そうそう」

「そのせいで、お互いに末代まで恨みを引き摺る程、

険悪なムードに…」


リエールによる誇大されたレポートを聞いて、

可愛らしく微笑むニーニャ。


続けて前に出たリエールは、

エルニーの抱えている籠にバンダナを放り込み、

上体を左に傾けて全開の入口を観た後、

体を戻しながら欠員について質す。


「ミュアは?」


ニーニャは一瞬リエールを見てから背後に振り返り、

直ぐ顔を前に戻して答える。


「外でリューシュとお花観てるんじゃないかな、

さっきまで付いてきてたから」


その報告が済むや否や、

エルニーが早口で質問を挿入する。


「ところで、どうしたの?」


ニーニャは見開いた目をエルニーに向けて瞬かせる。


「ん?」


そして、喉の前で広げた手を組み、

腕を張りながらその手をへその下まで降ろしつつ、

左側の洋服の列を観ながら、

「着ていく服を選ぼうかなぁと思って」と、答える。


「そうかそうか」

「この中に気に入ってたのがあったらごめんね」と、

籠を少し持ち上げるエルニー。


「ううん、気にしなくていいよ~」


「そか、よかった」

「ところで、浴場からマーヤさん達出てこなかった?」


「うん、遠くからだけど、七人くらい出てきたの見たよ」


「そか」


エルニーはニーニャの右側に踏み出し、

「じゃあ、僕等はお風呂行くから」と、

爽やかな笑顔ですれ違う。


続くリエールも柔らかく口角を上げた表情で、

手を振りながらニーニャの横を通過すると、

「ごゆっくり」と、彼女も手を振り返す。


フィリップは先程の発言による照れが少し残っており、

自分にも引き続き手を振ってくれている彼女に対し、

ぎこちない微笑みを向けて誤魔化しながら足早に進んだため、

前方のリエールに不自然な形で追い付いてしまい、

強制ペースダウンを受ける。


だが、先頭のエルニーが部屋を出た直後、

籠を抱えたまま突然しゃがみ込んだため、

すぐ後ろにいたリエールは急停止し、

更にその後ろのフィリップはリエールの背中にぶつかった。


より気不味さが増したフィリップが、

リエールの横から前方を見ると、

エルニーが入口前に放置してある汚れた靴を回収し、

逆さまにして籠に入れていた。


そして立ち上がった彼は、振り返ってリエールの足下を指し、

「それ、履いたままでいいから」と、再びペースメイクに掛かる。


ドレッサーフォートを後にした三人は、

ニーニャの言葉通り、

庭でリューシュと花壇を観ているミュアが目に付いたため、

そちらに顔を固定しながら隣の部屋へと向かう。


ベランダを行く男性三人からの注視に気付き、

彼等に笑顔で手を振るミュア。


リューシュもミュアのその行動に連鎖反応して、

ピョンピョン跳ねながら頭上で両手を振る。


男性側も軽く手を振り返し、

それぞれのタイミングで顔を進行方向に戻す。


ドレッサーフォートに隣接するスィールリバーは、

入口の扉を潜って早々、

いきなり広々とした脱衣場になっていて、

吸水性の良さそうなフカフカの白いマットが床を覆っていた。


入口正面の壁際一面には、戸の無い木製の二層ロッカーが並び、

一部に白衣らしき物が収納されている他は空だったが、

上には折り畳まれたタオルが大量に積んであった。


そんな低めのロッカーの連なりの最果て、正面の壁の左隅には、

白壁をアーチ状にくり抜いた様な隣室への入口が見受けられ、

更にそこから左の壁には、地味な枠に収まった大きな鏡が設置されており、

その尚も左脇には、縦長の用具入れが一つと、

両開き扉のキャビネットが二つ並んでいた。


それとは逆、玄関右手側にも、

[おそらく]左右対称になった間取りがあると思われた。


というのも、入ってすぐ両脇、

高さ2.5メートル程の位置にカーテンレールがあり、

右手側にある濃紺のカーテンは六分ろくぶ程閉まっていて、

その奥の目視を遮っていたのだ。


「え?何?ここ脱衣場?」


「そだよ」


驚くリエールに対して、さも当然とばかりにそう返し、

入口から左手側へと進むエルニー。


「君、靴のままだけど、いいの?」


「うん」


「なんじゃそら」

「こっち側、仕切りもないないしさ」


本来なら玄関の両脇にある筈のカーテンだが、

何故か玄関左のレールには、

肝心なカーテンが掛かっていない事に気付くリエール。


「さっき入った時からなかったから、

多分、洗って干してるんじゃないかな」


「え?じゃあ、こっちで着替えたりしてて、

誰か入ってきたらやばいじゃん」

「特に女子」


「ふふっ、そうだよね」

「(とか言いつつ、そうでもなかったり)」


「こっちが男のスペースなの?」


「うん、特に標識とかはないけど、

なんか自然にみんなそうしてる感じ」

「まあ、結局は同じ部屋に繋がってるけどね」


それを聞いたフィリップが、後ろから介入する。


「それって、つまり…」

「混浴って事?」


「うん、まあ、そうなんだけど」

「あ、その着替えはここに置いてってね」


玄関から壁の穴までの中間辺りでその指示を受け、

ロッカーとは逆側の壁際に着替えの入った籠を置く二人。


「浴場というのは単なる通称なだけで、

使い道が広いからね、ここ」

「奥を見れば、いくらか意味が分かるかも」


説明より一見と判断した先導者エルニーは、

歩行ペースを速める。


その意図を感じ、質問を止めてそれを追う二人。


マットに足音を吸収されながら壁に空いた穴へと到達し、

その通過際にエルニーが歩きながら予告する。


「多分、君達のイメージと違うと思うよ」


彼がそれを言い切らぬ間にリエール達が観た内部の光景は、

言葉通り、まるでイメージと異なると同時に、

二人の胸を強く高鳴らせる物だった。


全体的にフォレストグリーンで彩られたその浴場はかなり広く、

部屋の中央を右端から左端まで横切るライン上に、

幅2メートル、深さ1.2メートル程の[掘]が設けられており、

床はそれに向かって緩やかに下る段々構造になっていた。


堀の中には右手側をかみとする流動体が見えるが、

それはただの水ではなく、

若干の白みを帯びながらも高い透明度を有した液体で、

堀の両端にある送水口と排水口も、

先程から良く見かけるアーチ状になっており、

どちらにも目の細かい金網が張られていて、

感覚的にではあるが、それを掻い潜る流れには、

[溶液]とは思えぬ[肌理きめ細さ]があった。


外観から二階建てと誤解する程の高さを持つ天井には、

直径1メートル前後の丸い天窓が規則正しく六つ並び、

そこから差し込む光は、正に名前の由来通り、

森林の渓流に注ぐ木漏れ陽を思わせる風趣で、

それらに加え、優しいせせらぎと部屋の音響が相俟って、

より一層の清々しさを醸し出していた。


「凄ッ、流れるお風呂か」


「メッチャ手が込んでるな」


目新しい浴槽に興味をそそられ、

早々にケープごと上着を脱衣しようとした二人を見て、

エルニーが慌て気味に[待った]を掛ける。


「あ、脱がなくて良いよ」

「そのまま入って」


その言葉が壁にリバーブする中、

二人は顔見合わせをする。


「さっき、ジャスティスさんも言ってたでしょ?」

「[その服も浴場で洗浄してしまうといい]って」


数回うなずいた後、

「そうゆう事ね」と、口を揃えたリエールとフィリップは、

パタパタと足音を響かせながら緩い段を下りる。


「あ、手袋だけは、ひっくり返してそこに流しちゃって」


「オーキードーキ」


まだ堀まで少し距離のある段階で、

手袋を脱ぎ出す二人。


「俺、昨日風呂入ってないんだよ」


リエールのその言葉が木霊によって増幅される。


「大声で言う事かよ」


先頭のリエールは水路の縁で立ち止まり、

裏返した手袋を水に浸してから手放しつつ、

水深を目測で大まかに把握する。


「まあまあ深いな」

「よし、泳ぎの練習しようぜ」


そう意気を上げたリエールは、

水泳の妨げになるケープとスリッパを堀の中に脱ぎ捨て、

深さ1メートル程の人工川に張り切って飛び込む。


「いいねえ」と、手袋を掘にポイ捨てし、

先人の取った一連の行動を真似るフィリップ。


エルニーは洗濯物を川下に運びながら、

流れに逆らって平泳ぎする二人に忠告を飛ばす。


「ちゃんと髪も洗うんだよ」


返事をせず、全身を水面下に沈める二人。


そんな二人の下流に[汚染された衣料品]を放り込み、

空になった籠も水中に投げ入れたエルニーは、

再び浮上して騒がしく泳ぐ二人を眺めながら水辺にしゃがみ、

[仄ほのかに白い溶液]で手を念入りに濯いだ後、

二つある出口の内、入室時に経由した方へ向かう。


そんなエルニーを、

突如、水中から現れたリエールが呼び止める。


「エルニー!」


「ん~?」と、目を見開いて振り返るエルニー。


「泳ぎは得意か?」


リエールのその質問に、エルニーは首を傾げて、

「ん~…」と、眉間に力を入れながら天窓を見る。


「まあまあいけると思うよ」


「あっそ」


それを捨て台詞に再び潜るリエール。


「えぇ!?」


エルニーはその無意味なやり取りに少しポカンとしてたが、

やがてニヤつきながら脱衣場に踏み入り、

真っ白な薄手のバスタオルを二枚携えて再来する。


「多分、汚れはもう落ちてると思うよ」


しかし、対象の二人を取り巻く水鳴りによって、

その言葉は遮られた。


そこでエルニーは、

二人の発てる飛沫しぶきが届く瀬戸際まで移動してから、

再度声を掛ける。


「もう充分だと思うよ」


すると入浴中の二人は、堀の底に足を付けて立ち上り、

垂れ下がった前髪を両手で掻き挙げる。


然る後、リエールは上目使いでエルニーを見ながら呟く。


「もっと泳ぎたいのに…」


「のに…」と、続くフィリップ。


エルニーは口許だけ少し笑って、

「分かるけどさ…」と、弱々しく言うと、

彼等の現在位置からは届かない地点からタオルを差し出す。


二人はエルニーのその仕種を観て渋々水から上がり、

彼からタオルを受け取った後、服と靴下を脱ぎ出す。


手ぶらになったエルニーは、

何故かまた脱衣場に向かう。


「そういえば下着の代えは?」


ランニングシャツ姿で髪を絞るリエールからの問いを背に受け、

「あっ」と、立ち止まるエルニー。


「脱衣場のキャビネットに入ってるけど、

ちょっと待ってて、その前に点検しちゃうから」


そんな身振り手振り付きの彼の返事を聞いて、

フィリップが手前勝手な思い込みを呟く。


「俺はてっきり、下着は代えなくて良いのかと思ってた、

その事に触れなかったから」


「うん、実際良いんだよ、今洗浄したし」


フィリップの見解をあっさりと認める白服美青年。


「ただし、点検して問題がなかったら、ね」

「でも、下着は変えるべきだと思う、

その方が安全で早いし」

「それに、濡れたままじゃ着てて気持ち悪いでしょ?」


リエールは下着を取り替えるのが面倒だったし、

昨晩の嵐や、タンスに掴まっての湖縦断といった経験により、

濡れた衣服を着用している事が気にならなくなっていたため、

「別にいいよ」と、間髪入れずに答え、

着ているランニングシャツを着たまま捻る。


「ここに入る前から濡れてたもん」


相棒の声をきっかけに、

の程経験した水難の数々を連想したフィリップが、

続け様に[下着変えないプラン]を支持して建言する。


「もう慣れっこだよ」


それを聞いたリエールは、素早くフィリップに顔を向けて、

「な?」と、意思のシンクロを楽しむ。


フィリップもタオルで脚を拭きながらノリ良く続ける。


「着てると勝手に乾いてくるよな」


「またそれか」


エルニーはシンプルに突っ込みを入れると、

中途半端に向き直っていた体勢を整え、

早歩きで壁の向こうに姿を隠す。


しばらくして、左手に[粉入りの小瓶]と、

右手に[取っ手付きビーカー]を持って戻ってきた彼に、

「それは?」と、尋ねるフィリップ。


「ガーナが残っているかどうかを点検するための道具」


白のノースリーブにブロックチェックのトランクスという、

猛暑日の在宅スタイルでお揃いを決め込む二人組に対し、

簡潔な説明をしながら水際にしゃがみ込んだエルニーは、

堀の中の流動体をビーカーで汲み取る。


興味深げなリエール達が見詰める中、

限界容量の約半分まで液体を帯びたビーカーを床に置き、

続け様に小瓶の蓋を開けた直後、

何故か一瞬ためらってから瓶も床に置き、

不意にスッと立ち上がる美男子。


「これ脱いでくる」


先程から何かと慌しいエルニーを目で追うリエールとフィリップは、

彼の着用するジュストコールのだだっ広い袖口を見て、

その行動に納得の表情。


脱ぐだけにしては長く感じる間を空け、

半袖ワイシャツにベスト姿で急ぎ舞い戻ったエルニーは、

先端が二又に分かれた1.5メートル程の棒を所持しており、

それに食い付いた二人から同時に同様の質問が飛ぶ。


「なにそれー」「なにそれー」


「これは[マニピュレーター]だよ」


エルニーはクイックにそう応えると、

二又とは逆の先端に位置するグリップを握り、

そこに付いているトリガーと二又の開閉が連動している様を実演して見せる。


「すげー」


「貸して貸して」


タオルを首に掛け、

半ば強引にそれを借り受けたリエールは、

興味津々でいじり回す。


それを横で見ていたフィリップは、

点検道具との符合性の無さから生じた疑問を口に出す。


「これ何に使うの?」


先程の場所に屈んで小瓶を右手に取ったエルニーは、

「それで洗濯物を拾おうかと思って」と、質問者を見上げる。


「なるほど」

「っていうか手で取った方が早くない?」


「うん、断然早いね」


ついさっき水から上がったばかりの彼等は、

そこで前提の差異に気付く。


「あ、水に入らずに取るための道具か」


「うん」


その返事と同時に、蓋の開いている小瓶を、

躊躇なくビーカーの口目掛けて逆さまにするエルニー。


一瞬、中身を豪快にちまけるのかと思ったギャラリー二人だが、

不思議と中身は殆ど出ず、

その後にエルニーが見せた瓶を小刻みに揺らす仕草と、

それによって内容物が程良く零れ落ちる様子を観て、

瓶に[振り出し口]が付いている事を悟る。


桜色の粉がビーカー内の液中でくれないの水煙となり、

やがてそれ全体を濃厚な赤に染め上げた頃、

エルニーが小瓶を左手に持ち替え、

ビーカーに右手の人差し指を入れてステアする。


そんなこんなで完成した[点検用溶液]を手に、

だらしなく脱ぎ捨ててあるフィリップのワイシャツに向かって、

しゃがんだまま接近するエルニー。


そしてワイシャツを左手のみで大雑把に広げた後、

溶液を少量ずつそれに振り掛ける。


元々濡れている生地が更なる吸水を強要され、

その色までも干渉される様を黙々と見詰める一同。


「もうちょっと薄めるか」


そう呟いたエルニーは、

堀の方へとしゃがんだまま小さく横移動した後、

ワイシャツの端を摘んで引き摺り、水辺に寄せる。


そして、掘に流れる液体を左手で掬い、

ビーカー内の貯水量をちびちびと増やす。


それを数回繰り返し、

より薄くなった溶液をワイシャツの一箇所に注ぎ、

それを全体に広げる様に撫で伸ばすエルニー。


しばらくそれを観察した彼は、

「あ、こっち側はOK、問題無いみたい」と、

ビーカーを置いて両手でワイシャツを摘む。


中腰のリエールが不思議そうに、

「え?何で分かるの?」と、エルニーの横顔を見る。


「異常があったら、青くなるらしいんだ」

「僕も未だに見た事ないんだけど…」


「そうなんだ」

「でも、これってもう一回洗うんだよね?」


「うん」


「メッチャ二度手間じゃん」


「うん、そうなの」

「だから時間掛かっちゃうんだよねー」


エルニーはそう言いながらワイシャツをひるがえし、

裏側も同様に点検した結果、

そちら側も汚染がない事を無言で確認した後、

すっかり赤く染まったそれを掘で濯ぐ。


そして引き揚げたワイシャツを堀の上で強く絞りながら、

リエールのすぐ後ろに落ちている靴下に目線を送りつつ、

「靴下もそれを履いてくの?」と、尋ねる。


黙ったまま浅く数回うなずく二人。


「あ、そうだ」


不意にハッとした素振りを見せた後、

左手にねじれたワイシャツを持ったまま、

いきなりリエールの右腕を掴んで、

川下にグイグイと引っ張って行くエルニー。


いぶかしげな顔付きのフィリップがその行動に見入る中、

排水口に張られた金網に引っ掛かる[洗濯籠]を指差し、

申し訳なさそうに言う。


「あれ、取ってもらって良い?」


リエールは少し戸惑ってから、

手に持っているマニピュレーターと洗濯籠を交互に見つつ、

「合点承知」と、堀の縁に踏み込む。


そして、水中の洗濯籠に目掛けてマニピュレーターを伸ばすが、

流石に揺れ動く水面越しでは距離感が掴めず、

苦戦を強いられる。


やがてじれったくなってきた彼は、

自分が[濡れても構わない服装をしている]事から、

「ええい!かくなる上は!」と、

タオルとマニピュレーターを床に放り、

縁に手を突いて足先を水中に入れる。


それを見たエルニーは、

リエールが再び堀に入るという条件が追加されるだけで、

様々な繰り合わせが生じる事を瞬時に計算し、

彼のせっかくの自己犠牲(?)を有効活用しようと試みる。


「あ、ちょっと待って」


縁に腰掛けた姿勢で、

膝から下だけを水面下に浸したリエールは、

彼の呼び止めに顔だけ振り向く。


しかし、エルニーは待機を指示した相手を保留し、

薄紅の溶液が入ったビーカーを指差して、

「どうせなら、ついでに…」と、

その近くにいるフィリップに対し、回収を目線で訴える。


頭にタオルをグルグルと巻いていたフィリップはその手を止め、

素早くビーカーを拾い上げて依頼者へ手渡す。


「ありがとう」


エルニーがリエールに向き直ると、

彼は気を遣ってか、縁の付近でうつ伏せになっていた。


軽く吹き出したエルニーは、

手中にある捻れたワイシャツを床に置き、

そんな彼の纏う下着上下の点検を開始する。


垂らして、広げて、馴染ませて、観察。


背面には変色のない事を見極めた後、

右手の人差し指を床に向け、手首をくるくると時計回りさせながら、

「前も」と、反転を注文するエルニー。


発言者の姿が視界にないため、それを耳で判断したリエールは、

素早く寝返りを打つ。


だが、いざ点検開始というその時、

[着用中下着の前面]に限り、

今までのやり方では画的にも感覚的にも問題がある事に気付く一同。


「…」

「あ、前は自分でやる?」


エルニーは早々に気不味さ回避の提案をし、

対するリエール側もそのテンポに合わせる。


「だね」

「一応、垂らすだけ垂らしてちょうだいな」


「はい」


ビーカーを仰向けの彼の上で傾け、

まるでオムライスにケチャップを掛ける様に、

トランクスからシャツへと薄紅の蛇行を描くエルニー。


首と上体のみを少し起こしてそれを見ていたリエールは、

まだ溶液を垂らしている途中にも拘わらず、

それを両手で引き伸ばし始める。


やがて下着の表面を溶液が覆い付くし、

変色がない事を見受けると、

「裏側もやるの?」と、

崩れた胡坐あぐらの姿勢でエルニーを見上げる。


「[やる]って言うか、

下着なら裏側にも浸透してるから、

ひっくり返してチェックするだけでいいよ」


リエールはそれを聞くや否や、

立ち上がりつつランニングシャツを裏返しながら脱ぎ、

その肩の部分を両手で摘んで高く上げ、両面ともじっくり確認する。


「大丈夫みたいだね」


横からの中性的な声に、

「うん」と、うなずいた後、

再びシャツを裏返して着用するリエール。


それと同じタイミングで、

頭に巻いたタオルごとシャツを脱いだフィリップが、

タオルは無作為に落としたままシャツを床に広げたのを見て、

反射的にそれの点検を開始するエルニー。


そんな彼等の視界の外で、

突如、リエールが力強く二人に振り向く。


「パンツは脱ぐの恥ずかしいから、

穿いたままチェックするかんね!」


何故か無駄に威圧的な口調を受け、

一瞬、見開いた目をリエールに向けたエルニーは、

そのわざとらしいふくれ顔を見て微笑む。


「ふふふっ、おっけー」


続け様に、落ち着いて彼のボケを処理するフィリップ。


「そこ威張らなくていいから」


エルニーが笑顔のままフィリップのシャツに溶液を掛ける間、

リエールは彼等に背を向けてトランクスの内部を調査する。


だが、臀部でんぶ側は確認が難しい事に気付き、

「やべえ、後ろ良く分かんねえ」と、

ウエスト内側を見下ろしながら左右に腰を捻る。


見兼ねたフィリップが、

自分のすぐ右横に落ちているバスタオルを拾い上げ、

彼に向かって放った。


「ほれ」


丁度振り返った時に飛来したタオルを顔に受け、

床に落ちる途中で受け止めたリエールは、

早速それを腰に巻く。


そんな彼がトランクスを膝まで下ろした時、

フィリップが背後からそのウエストゴムの部分を摘んで、

「どれどれ」と、引っ張りながら裏側を覗き込む。


硬直するリエール。


「あのー…、自分で見ますので…」


リエールのささやかな抵抗は無碍むげにし、

上体や首や目線の角度を変えながら、

汚染反応の有無を調べるフィリップ。


「あ、大丈夫だわ」


その報告と同時にウエストゴムが開放され、

パンッと元のサイズに収まる。


「よし」


その音を合図に再びトランクスを穿き上げたリエールは、

腰のタオルを外して背後に軽く投げた後、

[洗濯籠の回収]と[下着の染色を洗い流す]という二つの目的のため、

堀の中へ静かに入る。


一方、フィリップのシャツを点検し終えたエルニーは、

「はいこれ」と、持ち主にそれを返却しながら、

目線を次のターゲットであるトランクスに移す。


フィリップはシャツを受け取りながら身を屈め、

先程リエールが投げたタオルを拾い上げると、

シャツを手に持ったまま、タオルを腰に巻く。


そして素早くトランクスを脱ぎ、

先程のシャツと同様、床に広げる。


エルニーは残り少ない溶液の配分を調整しながら、

ブロックチェックへ向かって慎重に振り掛けて行く。


その間にランニングシャツを着るフィリップと、

洗濯籠を陸揚げするリエール。


検査の結果、前も後も表も裏も、

「変化なし」と、見做みなされたアンダーパンツは、

フィリップに即時返還される。


受け取ったそれを再装着するフィリップを横目に、

エルニーが先程仕事を頼んだリエールの様子を見ると、

彼は既に洗濯物を何枚か水際に積み上げていた。


そんな作業をせっせと繰り返すリエールに対し、

「それさ…、こう…、絞ってから広げて並べてもらっていい?」と、

ゼスチャー付きで要求したエルニーは、

相手の反応を待たずに、粉の入った小瓶拾得に向かう。


だが次の瞬間、何故かいきなりフィリップと正面から鉢合った。


驚いて目を見開くエルニーに、

「はい」と、小瓶を差し出すフィリップ。


「おお、ありがと」


彼の配慮に感謝しながらそれを受け取ったエルニーは、

上流に向かって服を並べるリエールの動きを計算し、

彼の作業の邪魔にならない位置に陣取って、

素早く点検溶液作成に取り掛かる。


その左横から堀へと入ったフィリップは、

リエールを避けながら排水口まで素もぐりで泳ぎ、

すっかり下着の赤味を落とした状態で水面から上半身を出す。


だが、彼はそのまま掘に残留し、

最も壁際に敷かれた未点検の服の前に位置取って、

塗布&裏返し&濯ぎ役としてスタンバイする。


そんな彼から動向を探られている白服の美青年は、

丁度、先程より多量に点検用溶液を作り終え、

小瓶をポケットに入れつつ立ち上がり、下流に向き直った。


その際、上目遣いを自分に向けながら待機中のフィリップに気付き、

彼の意図をなんとなく理解する。


エルニーはそれに誘導されつつ、

軌道上に落ちていた脱水済みのワイシャツを拾い、

未だ捻れの残るそれを歩きながら揺すって広げ、

右手にビーカーを持ったままで両肩部分を摘み、

雑に畳んで床の洗濯籠に入れた後、

更にその籠を左手で掴み上げた。


そして、フィリップの前に達するや否や、造作なく籠を床に落とし、

水際に広げて並べられた服の点検に取り掛かる。


注がれた溶液を、すぐに両手で服全体に伸ばすフィリップ。


数秒眺めた後、

「OK」と、合図を出すエルニー。


素早く裏返すフィリップ。


再度、溶液を掛けるエルニー。


垂れ落ちてくるそれを、服に塗りたくるフィリップ。


しばしの観察後、

「うん、大丈夫」と、容認するエルニー。


薄紅に染まった服を掘で濯ぎ、

強く絞って脱水するフィリップ。


その衣服を受け取り、

左手と左膝だけでコンパクトに畳んだ後、

洗濯籠の底に詰め置くエルニー。


それを見て畳み方を学習し、

次からは畳んでから手渡そうと考えるフィリップ。


そんなサイクルの点検が三枚分程繰り返された横で、

排水口の網に掛かった全ての衣服を並べ終えたリエールは、

一息吐く事もなく堀から上がり、

自分と幼馴染の脱ぎ捨てた衣類群を回収に向かう。


やがて水辺のコンビが更に数枚の点検を済ませた頃、

床に並べられた衣類の行列は、

部屋の中央よりも上流側に達していた。


遂に手の空いたリエールだったが、

休む事無く再び掘に入り、

ザバザバとフィリップの隣に付いて点検に助力する。


作業効率がアップした事で集中力も高まり、

無言でそつなく業務をこなしていく一同。


しかし、見覚えあるベストの登場によって、

不意に沈黙が破られる。


「あ、このベストは着てくんだったな、お前」


フィリップが何気なく濯いだベストの予約を思い出し、

隣に立つリエールの肩にそれを掛ける。


リエールは視野の片隅でチラッとそれを見ると、

「うん」と、小声で答え、すぐに勤めを再開する。


そして数分後、ようやく全ての洗濯物が潔白を証明され、

「ふぅ、終わったか」と、腰に両手を当てるフィリップと、

彼と同じポーズでゆっくり息を吐きながら部屋を見渡すリエール。


そんな彼等の下流でビーカーを洗ったエルニーは、

ギュウギュウ詰め状態の籠を床に放置したまま、

マニピュレーターを拾って脱衣場に向かう。


それを見送りつつ堀から上がり、

床に落ちている二枚のバスタオルをそれぞれ回収するリエ-ル達。


しばらくして、新たにバスタオルを二枚持って戻ったエルニーは、

「はい」と、彼等との距離を詰めながらそれを差し出す。


既に拾ったタオルで下半身を拭いていた彼等は作業を中断し、

使用済みと引き換えに新しいタオルを借り受ける。


エルニーは引き取った古いタオルを堀で濯いで絞り、

それを畳んで満杯の洗濯籠に乗せる。


そしてその見るからに重そうな籠を、

華奢きゃしゃな体格ながら軽々と持ち上げた彼は、

「じゃあ、あっちで着替えちゃおうか」と、

涼しい顔で脱衣場へと進行する。


その光景が含んだ違和感に気付いていないリエール達は、

タオルに下着の水気を吸わせながらスローペースで歩き出す。


「ここ、こんなに汚しといていいの?」


所々に赤い水溜りのある床を見たフィリップが心配する。


脱衣場へ踏み込む直前のエルニーが、

「大丈夫」と、振り返る。


「そうゆうのは用務員が定時に処理してくれるから」


「用務員?」と、リエール。


ところが、その質問に対する答えはなく、

脱衣場に入った所で入口側を見ながら立ち止まるエルニー。


その時、壁の向こうから女性の声が聞こえた。


「あら、エルニー君、お風呂使ってたの?」


エルニーはそれにも答えずに、

リエール達と声の方を交互に見る。


「誰か入ってるの?」


その言葉の後、眼鏡をかけた髪の長い女性が、

浴場に美顔を覗かせた。


「この人が用務員」と、洗濯籠を抱えたまま紹介するエルニー。


フィリップがリエ-ルに囁く。


「さっきのニーニャといい、噂をすればだな」


用務員の方を見て微笑みながら、

小さくうなずくリエール。


女性は浴場にいる見知らぬ二人に対して、

壁に隠れていた残りの半身を晒し、

視線をリエール達に向けながら、顔だけ少しエルニーに向けて尋ねる。


「新人?」


「うん」


「リエール君に…、あっちフィリップ君」と、

手で対象を示しながら簡単な紹介を添えるエルニー。


それを受けた女性は、顔を振って前髪を脇に避かすと、

ボタンを全開にした白衣のポケットに手を突っ込んだまま、

「ここで庶務をやってるサラよ、よろしく」と、

少し機械的に自己紹介する。


「あ、どうも」と、会釈を返すリエール。


次にサラと目線が合ったフィリップは、少しドキッとしてから、

「あ、始めまして」と、固い動作で挨拶する。


それに応対して軽く頭を下げたサラは、

直後、広範囲が赤く濡れた床に気付く。


「ちょっと、何あれ」


大声にビクッとする男三人。


「いや、点検を…」


若干恐縮しながら答えるエルニー。


「もう、始末が悪いんだから」


サラは少し押さえ気味にそう言うと、眼鏡を外してポケットに収め、

「いいわ、私やっとくから」と、

脱衣場の鏡の左脇にある用具箱を開く。


「それを期待してたとこ」

「(っていうかそれが仕事じゃん)」


エルニーが素直(?)に本心の半分を打ち明ける。


サラはそれに反応せず、

右手をポケットに入れたまま用具箱からモップを持ち出し、

エルニーの脇を威圧的な体運びで通過する。


「なんで私の番の時にこう汚してくれるのよ」


リエール達はそう愚痴るサラを見送りながら、

肩に乗せたベストの上にタオルを掛けつつ、

脱衣場のエルニーと合流する。


「あの人も結構美人だな…」


リエールがそう呟くと、

「うんうん」と、フィリップも同感を露にする。


そんな会話を耳に入れながら、

洗濯籠を壁穴近くのロッカー前に落とし、

キャビネットを開いてゴソゴソと内部を物色するエルニーは、

その左横にある[着替えの入った籠]の前に後続二人が立ったタイミングで、

突然キャビネットの左扉を足でバタンと閉め、

音に反応して振り向いた彼等に向かって、

「はい」と、真っ白な下着の上下をそれぞれに差し出す。


「多分、これでサイズ合うと思う」


リエールは若干戸惑ってから掌をエルニーに向け、

「あ、このままで良いよ」と、保守的に返す。


「そう?」


「うん、平気」と、フィリップもそれを後押しする。


「そっか」


エルニーは食い下がる事無く再びキャビネットを開き、

手に持っている二組の下着を元の場所に戻す。


その間、着替えのズボンを取り出して広げたリエールは、

肩にベストとタオルを掛けたまま、素早くそれに足を通す。


フィリップはアッシュグレーのタートルネック半袖Tシャツを手に取り、

湿った下着による滑りの悪さを押し切って着用する。


キャビネットの扉を左右とも閉めたエルニーは、何故かまた浴場に向かうが、

立ち入る一歩手前で足を止め、中で清掃作業中のサラに言った。


「サラさん、洗濯物ここに置いときますから」


それに対する返事はなかったが、

リエールとフィリップが声に反応してエルニーを見ると、

彼は微笑みながら小さくお辞儀していたので、

何らかのリアクションがあった物と思われた。


着替えに意識を戻したリエールは、

次に紺の半袖Tシャツに袖を通し、裾を整えた後、

「エルニー、靴下パス」と、エルニーに向かって両手を広げる。


その注文に答えず、籠ごとリエールに差し出すエルニー。


リエールはエルニーの持つ籠を漁り、

薄いグレーの湿った靴下を一組抜き取る。


そのついでに、フィリップの白い靴下も取ってやろうとした彼だったが、

丁度フィリップが自分で取りに来たので手を引っ込めた。


「おーい、まだいるー?」


突如飛来したサラの呼び声を聞いたエルニーは、

フィリップが詮索中の[手元の籠]と[浴場への壁穴]とを、

そわそわしながら交互に見るが、

やがて籠を床に置き、小走りで浴場に向かう。


それを目で追う事なく、

位置が下がった籠を追ってしゃがみ込むフィリップ。


だが、籠内サーチをその後数秒程続けた彼は、

「あれ?」と、少し焦り気味に呟く。


「俺の靴下がないぞ」


続けて洗濯籠を先程より深く掻き回すが、

とにかく中身が多いので、

上層だけでも一度外に出すなりの策を取らないと、

捜索は難航しそうだった。


しかし、籠内の狭いスペースを綺麗使っているその収納術は、

雑に中身を出すときちんと戻せなくなりそうなので、

その仕事を担当したエルニーの許可を得ようと、

彼の帰還を待ちながら低い積極性で探し続ける。


やがて少し急いだ雰囲気を纏って戻ってきたエルニーは、

そんなフィリップを見て、

「なに?まだ見付からないの?」と、早口で言う。


「これ、上の方だけちょっと外に出しても良い?」


「うん」と、その作業をせかせかと買って出る美男子。


「あ、あったあった」


方法を変えて早々の発見に、

若干の羞恥心を持ったフィリップは、

「思ったより上の方にあった」と、言い訳を添えつつ、

素早くそれを回収する。


「靴下を入れたのは後半だったからね」


そんな一件にはお構いなしで着替えを済ませたリエールが、

つま先で新しい靴のフィット調整をしながら発問する。


「で、これからどうすればいいんだ?」


エルニーは反射的にリエールに目を向けるが、

その際、変化した彼の容姿に意識が向き、

「あ、似合うねそれ」と、

[一見した感想]を[質問の回答]より優先して口に出す。


「ありがと」


鏡でその評価の確認を取とろうとしたリエールだったが、

まだ着替えの進んでいないフィリップが間にいたため、

「ええい!どかぬか!」と、

片足立ちで靴下を履く彼を軽く押す。


バランスを崩して両足立ちになったフィリップは、

苦情一つ出さずに場所を空ける。


エルニーは洗濯物を戻しながら、

鏡の前で全身をチェックしているリエールに、

「じゃあ、ライブラリーの待合室へ行ってて」と、今後の指示を出す。


「それどこ?」


リエールは鏡の隅に映り込んだエルニーに向かってそう問い掛けた。


それと同時に洗濯物の整理を済ませたエルニーは機敏に立ち上がり、

質問者に体を向けながら後ろ歩きで進みつつ、慌しい素振りで答える。


「悪いけどリューシュに訊いて案内してもらって」

「ちょっとサラさんに頼まれちゃって、寄る所ができたから」

「その後、僕も着替えてそこに行くよ」


そう言い切った途端に前後反転して走り出した彼の背中に、

「OK」と、返したリエールは、

一瞬フィリップを見遣ってから、自分も玄関へと足早に進む。


相棒のその動きを視界の外で察知したフィリップは、

[焦り]を着替えるペースに反映させる。


そんな彼に一切の気遣いなくベランダに出たリエールは、

体もリフレッシュし、服装も一転した事に浮かれていたが故、

手摺の上に放置した[リグレット]の[リ]の字さえ意識に無いまま、

楽しそうに花を観ているキュートな二人組みに歩み寄る。


「ミュアたん、ミュアたん」


先程まで反響効果のある部屋にいたので、

外でミュアに呼びかける自分の声に違和感を持つリエール。


「んー?」


ミュアは前屈みで花を観ていたが、

前髪を横に掻き分けてリエールに振り向く。


「これどお?」


リエールは控え目に腕を広げるだけの単純なポーズを取って見せる。


「あ!良いねそれ!」


ミュアは嬉しそうに胸の前で軽く手を合わせてそう叫ぶ。


「かっこいい」


リューシュも単純な言葉で称賛する。


「そいつは、わーいと言っても過言ではないな」


続けて着ているベストを摘み、その由緒を説明するリエール。


「だけどこれ、女の子用なんだ、本来」


「あ、そうなの?」


「ほれ、ボタンが左に付いてるだろ?」


「あ~、ほんとだ~」


たわいもない会話だが、こういった交友の場で、

リエールだけ好印象を得ているのが悔しいフィリップは、

細部の調整も程々に、急いで脱衣場を後にした。







ライブラリーの東側の部屋は、

小さいサイズの本棚が立ち並ぶ図書室になっている。


先程エルニーに誘導された時にも経由したその部屋の扉を、

今度はリューシュの案内で逆から潜る一同。


背中を合わせた本棚が、

部屋の中央を節目とした左右に同じ数だけ配置されていて、

いま通ったばかりの入口から見て奥側には、

机と椅子のセットが左右それぞれに一つずつ置かれており、

正面にある全開の扉の先は廊下になっていた。


「こっち」と、突然走り始める案内役のリューシュ。


早歩きでそれを追うリエール達だったが、

彼女が開放中の扉に向かうのかと思いきや、

部屋の中央辺りで急に右折して本棚と本棚の間に入って行ったため、

慌てて速度を上げ、示された軌道に沿って同箇所を曲がる。


すると、正面の壁に木製のドアがあり、

それを思いきり開けて振り返ったリューシュが、

三人を急かす様にピョンピョン跳ねてから中に入って行った。


やがてそれに続く面々がその先の部屋を覗くと、

そこは高級ホテルのラウンジを思わせる風趣のインテリアで、

白地の壁に備え付けられた燭台上の揺らめく光が、

それら自身の影を鮮やかに浮かび上がらせるという小粋な演出付きの、

広くて洒落っ気あるスペースだった。


そんなくつろげる場の中央には、

美しくも神々(こうごう)しい姿をした天を仰ぐ女性の白い彫刻が置かれており、

その足下に一重咲きの薔薇が飾られていて、

台座を囲む八角形の縁の内側にも、

花の無い観葉植物が敷き詰められていた。


内周を見渡すと、

入ってきたドアから左手側の壁中央に両開きの扉があり、

取っ手の下に重々しい錠前が付いていたが、

ロックは既に解除済みだった。


そんな扉の両脇、取っ手より少し高い位置には、

可憐な少女が水瓶を肩に抱えたレリーフが見受けられ、

その水瓶から優しく滑らかに流れ落ちる薄い白の液体を、

少女の足元に設置された水受けが静かに汲み取っていた。


部屋の中程にいたリューシュは、

ミュアが内装に目を輝かせながら追い付いて来たのをきっかけに、

彫刻の周囲に配置されたアンバーのベンチソファーへと走り、

ポスッと軽い音を立ててそれに座る。


ミュアは歩行速度を維持したままリューシュに続き、

その隣にスカートを敷く仕種付きで位置取る。


入口近くの小さなテーブルを中心にセッティングされた、

長いソファーと二つの椅子が目に付いたリエールは、

その椅子の内、自分から近い方にどっかりと腰を下ろす。


ドアを閉めながら部屋に立ち入った最後尾のフィリップは、

リエールの動きに反応して、残ったもう片方の椅子に着席した。


しばらくの沈黙の後、

リューシュが座っているソファーをポンポン叩きながら言う。


「こうゆうのあたしんちにもある」


「んー?」


ミュアが座ってるソファーを摩りながら答える。


「いいなー」

「おうち何処なの?」


リューシュは嬉しそうに、

「のーすくとる」と、リエール達の方をチラッと見る。


「へぇ、ノースクトルなんだぁ」


「おねえちゃんは、おうちどこ?」


「ん?」

「おねえちゃんは、ミラディアという国の、トーテスっていう所」

「だから、リューシュのおうちとそんなに遠くないね」


リューシュは理解していなかったが、これまた嬉しそうに、

「うん」と、うなずく。


「あたしんち、おとなりはパンうってるおみせ」


間髪入れずに、実家自慢に繋げるリューシュ。


「いいなー」

「おねえちゃん、お隣りのお隣りがお花屋さん」


「わーい」

「いきたいなー」


「リューシュお花好きだもんね」


「うん」と、笑顔でうなずくリューシュ。


「うち、お向かいが池」と、不意に横からリエールが割り込む。


反射的にリエールの方を振り向く女性陣。


「そうなんだー」


「で、隣人はたしか、フィリップとかいう名前だったような…」


「うちは左隣りが川だよー」


リエールのネタと被って、自宅の立地情報を口供するミュアは、

「ん?なに?」と、直ぐに聞き逃したネタに触れる。


ネタのタイミングを間違えた事で、少し気不味いリエールは、

「いえ、お気になさらず…」と、誤魔化す。


横でクスクスとウケるフィリップ。


そこに着替えを済ませたニーニャが、

遠慮がちにドアを開けて入って来た。


袖が肘より少し長い位の紺のタートルニットに、

丈の短いバフ色で無地のサイドプリーツスカ-ト、

ヒールの高いグラディエーターサンダル、

ベ-ジュのハンドバッグというシンプルなものだったが、

ニーニャの持つ魅力を充分に活かしていた。


先程までのイメージとはガラリと変容し、

大人っぽくなったニーニャにしばし見惚れた後、

「やあ」と、低く手を挙げるリエールと、

無言で同様のアクションを取るフィリップ。


ニーニャもそちらに美しい微笑みを向けつつ、

小さく手を振って応じる。


それをニコニコ顔で観ているリューシュの横で、

「おかえり」と、入口前に立つ美女に向けて手を振るミュア。


反射的にそちらを振り向き、

「ただいま」と、手を振り返すニーニャ。


「着こなしが良いね」


ニーニャのファッションセンスを褒めるリエールに対し、

「うんうん」と、同感するミュア。


「そうかな?」と、照れ臭そうに顔を綻ばせたニーニャだったが、

次の拍子で、どの位置に座ろうかで迷ったため、

左手で髪を横に分けつつ、少しその場に停滞する。


ミュア達の側にあるもうひとつのソファーに座れば、

彼女と仲良くなれそうなのでそっちへ行きたかったが、

なにしろ注目されているので、

そこまで移動するのが少し気不味く、

かと言ってリエール達の方に座るのも、

ミュアと仲良くなるチャンスを逃す事になるので惜しい気があった。


リエールはニーニャがどっちに座ろうか迷ってる事を悟り、

「そこにどうぞ」と、向かいのソファーを広げた右手で示す。


その助け船によって、

戸惑いによる硬直時間が長引かずに済んだニーニャは、

内心ホッとして、そのソファーにやさしく座る。


一息吐いた後、ニーニャが誰にともなく尋ねた。


「後はエルニーだけ?」


「うん」「そうそう」


リエ-ルとフィリップが同時に答える。


視線を下げながら数回うなずくニーニャ。


そして、再び空間が静寂に包まれる気配を漂わせた時、

一同の目が部屋の入口に向けられた。


エルニーが静かに入って来たのだ。


「あ、来た」


ニーニャはエルニーの方に顔を向けながら、

既に全員分かってる事実を言葉にする。


ベージュの半袖のブルゾンに、

白いカシュクールシャツ、ネイビーのパンツ、

薄紫に白い底のスニーカーというコーディネートなエルニーは、

「はいこれ」と、リエールにオリエンタルブルーのバンダナを差し出す。


「ああ、サンキュー」


バンダナを手渡す際、

エルニーがリエールの手ぶらぶりに気付いて問い掛ける。


「リグレットは?」


頭にバンダナを巻く行動中にハッとなるリエール。


「やば!手摺の上に置いて来ちゃった!」

「取ってきた方が良いかな?」


「まあいいんじゃない?誰も持ち運べないしさ」


「そっか」


リエールは気が抜けた様に再び着席するが、

エルニーは座る気配もなく、なにやら忙しそうに続けた。


「そこで、マルケスさんに会ったんだけど、

もう準備は出来てるから、

[ヒストリーホール]に行っててくれってさ」


「あ、はい」と、立ち上がるニーニャ。


その動作に後押しを受け、

引率モードに入ったエルニーは、

部屋のもう一つの出口である錠前付きの両扉へと進む。


だが、扉を開く前に左脇のレリーフの前に立った彼は、

水瓶から流れる溶液で手を洗い出す。


「え?何?それってそうゆう事?」と、フィリップ。


「うん、これも浴場のと同じ溶液ね」

「この先のクリーンルームで服とかも除菌されるよ」


エルニーは顔だけ振り返ってそう解説し、

ポケットからハンカチを出して手の水気をぬぐう。


「(ジョキンってなんだ?)」と、

知らぬ間に心の内でシンクロするリエールとフィリップ。


そして取っ手を掴むと、

未だのんびりしているリエール達の方へ振り返り、

「さぁ、みんなも手を洗ってから奥へ進んで」と、

扉を両方とも押し開ける。


角度的にその奥が見える瀬戸際にいたミュアが、

立ち上がりながら上体を傾けて扉の向こうを覗くと、

水平の視線にも拘わらず、

いきなり丸みのある白い[天井]が見えた。


どうやら、その先も他で見たようなアーチ型通路で、

下り階段になっている様だ。


リューシュは勢い良くソファーから離れ、

扉の前に立つエルニーの足下に付いて彼を見上げる。


エルニーは屈み込んでそんな妹を抱え上げ、

右のレリーフで手を洗浄させる。


同じタイミングでニーニャが左のレリーフを使用する中、

リューシュに誘導されるのが癖となっているミュアは、

エルニーの後ろに並ぶ。


洗浄を済ませて開放されたリューシュが、

走って先へ行くのをハンカチを持って見送ったニーニャは、

それを落ち着いて追うエルニーの後に続く。


ミュアも包帯部分を濡らさないよう気を付けつつ両手を洗い終えると、

「早く早く」と、暖気のんきな男二人を手招きしながら扉を潜る。


それを受けたリエールとフィリップは、

急速に人気が薄れた事に内心焦りがあったが、

無駄に余裕を装った素振りで席を立った。


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