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20:怪我の功名

小道具紹介


《ディシーブロッド》


最近発明された新しい移動手段。(真実の歴史専用)

とはいえ、乗り物ではなく、その名の通り[ロッド(棒)]である。

[移動手段の棒]という表現は意味不明だが、

その正体は折りたたみ式の特定脳波誘発装置。

要するに、抗体宿主の脳に一種の[誤解]を与えてミスト化現象を促し、

ポストロジーへと移動させる仕様。

同じ用途で使われる[ミスティシロップ]は使い捨てであるため、

団体が移動する際は人数分が必要だったのに対し、

[ディシーブロッド]は一本あれば最大で20人程を連続で送る事ができる。

使用後はバッテリーをチャージすれば再使用可能。

しかし、内部構造が複雑なため、

周りの人間を全員送って最後に残った一人が自分自身に使った場合、

これを所持している事でミスト化の際に記憶される情報量が増え、

他の面々よりもポストロジーに着く時間が長引いてしまう。

故に、[各支部から本部へ数名送る]といった場合の他はあまり使われない。

ただ、ミスティシロップ程に優れた携帯性が無いので、

歴史間移動時には今でもミスティシロップの配布が義務付けられている。

表面の材質は主にプラスチック製(本編では合成樹脂と記載)。



人物紹介


《マーヤ・スロック》 170センチ 53キロ 135歳 女 


ポストロジーにある研究所の総合責任者。

恐ろしい程の科学マニアで、

人生の多くを科学に費やしてきたが故、

全ての分野が専門と言える程の知識量がある。

いつも眼鏡を掛けているが、

伊達に装着しているだけで視力は良い。

最近はスクエア型のフレームに嵌っている。

未だに20代と見紛う程に若々しく、美しい事に加え、

対人関係のボーダーラインが近く、

人懐っこい性格をしているため、

部下達からの人望や人気が高く、

熱い視線で見詰められたりする事も少なくない。

クウェナとは若い頃からの親友。

予備知識もなく、唐突に小箱へと強制収容されたルダは、

その静かな空間にうずたかく積まれた物資の数々を見渡しながら、

辻褄の合わせ様がない事態の急転ぶりに動揺していた。


「(何があったんだ)」

「(ここはどこだ?)」


直後、密室である筈の場に気流が発生し、

床に右膝と右手を突いたファードが、ルダの目の前に出現する。


驚いて仰け反った元聖職者は、

弾みで床に落ちていた毛布を踏み付けてしまい、

その予想外の感触にも驚く。


ファードは背後にその動きを感じ、立ち上がって振り返る。


「よう」


ルダは特に驚きのないファードを見て、彼は事情を知っていると判断し、

混乱の解決を求める。


「ここは一体?」


「俺も良く分からんが、どうも[箱]の中らしい」


疑問がより深まっただけのその返事に、ルダは硬直する。


いきなり会話が滞った事から、

質問者の期待した水準に足る解答ではなかったと反省したファードは、

せめて知っている限りの情報を提供しようと改めた。


「安心しろ、ここへは一時的な作戦会議のために来た」

「(まあ、お前は[ぶち込まれた]って感じだったが)」

両扉そこから出れば、またさっきの街へ戻れる」


両扉に振り返るルダに対し、

続け様に反対方向を指差すファード。


「あっちのドアはトイレと風呂だ」


再び視線を誘導される中、

そのやりとりに対して既視感が湧くルダ。


ファードも一瞬遅れて、

彼と初対面の時も似たようなヘルプを添えた事を思い出す。


ルダのいぶかりは、当然ながら多量に残っているが、

とりあえずこの部屋に対するイメージの方向性だけは定まった分、

いくらか他に意識を向ける余裕が出たため、今度は欠員について問う。


「レッシュさんは?」


それを受けたファードは、チラッとルダを見遣った後、出口に向き直る。


「多分、あの怪物の目をごまかす細工でもしているんだろう」


その言葉の直後、

両扉にピントを合わせた二人の背後で激しい気流が発生する。


男二人が反射的に振り返ると、

可愛らしくも色っぽい美女が、

体の左側面を向けて床にしゃがみ込んでいた。


彼女は先客二人に気付いて体勢を立て直し、

小さく右手を上げる。


「やっほー」


「おそかったな」


「うん、教会の裏まで回ってました」

「勿論、[あいつ]には見られてません」


レッシュは遅れた理由を早口で述べると、

そわそわしながら本題に入った。


「急いで作戦を纏めましょう」

「早くしないと[あいつ]がどこかに行ってしまうかもしれないので」


「ああ」と、うなずくファードと、

その横で目を丸くしているルダ。


「じゃあ、とりあえずファードさんの作戦を明確にしましょう」

「えっと、私の解釈では、ルダさんのその剣の先端に、

ファードさんの能力で[尖らせた固体]を取り付けて、

それを私が作った大きな弓で飛ばす…」

「って事ですよね?」


「ああ、その通りだ」


ファードはそう返しつつ大剣を床に置き、

ルダの持っている剣の柄に手を伸ばす。


ルダはそれを見て一瞬[ある疑問]が浮かび、

反射的に彼から剣を少し遠退かせる。


が、彼の[服装]と一連の[振る舞い]が疑問の答えを物語っていたため、

「(あ、この人もクウェナ様やレッシュさんと同じで、

感染しない体なのか)」と、直ぐに気付き、

執拗に追尾してきたファードの右手に黙って剣を委ねた。


装飾こそ派手だが、刃毀はこぼれと汚れの激しい剣を受け取ったファードは、

早速その先端に左手を当て、鋭利な突起状の細長い結晶を取り付けると、

剣を目の高さまで上げて水平にし、

中心線であるしのぎ(剣身の真ん中部分)とのズレをチェックする。


「手作業だから精密ではないかもしれんが、

観た限りズレはほとんどない」


そう言ってレッシュにロザヴェグ・クリスを又貸しするファード。


レッシュもそれを素早く一通り観察した後、

「うん、凄いですねこれ」と、称賛する。


「でも問題点がいくつかあります」

「その剣を飛ばせるだけの弓となるとそれなりの規模になりますし、

縦撃ちではなく、横撃ちじゃないと無理ですね」

「そうなると、複雑な土台も編みこまないとだから…、

ちょっと難しいかも」


「いや、あんたは[強力な弓]を作ってくれるだけで良い」


「弓[だけ]ですか?」


「ああ」

「これをパーツにする」


ファードは床から拾い上げた大剣の身を、左手中指の第一関節でノックする。


「土台も俺が作る」


「あ、そっかあ」

「それを使って[バリスタ](固定式クロスボウ)を作るって事ですね?」


「ああ」


「なるほど、その剣をティラー(弓床)にして、

私がボウの部分の作成と射手を担当する訳だ」


「ああ」


その案に感心していた様に見えた彼女だが、少し顔を曇らせる。


「うーん、威力を生むという部分だけ見れば良い考えだけど、

固定だと狙いが自由に付けられないというデメリットがありますね」

「射線まで誘導するとしても、

うまくそれに乗ってくれるとは限らないし」

「それと、強く撃ち出すという前提があると、発射以前にも問題が…」


そう言って剣をファードに返却したレッシュは、

左手から出現させた弦で、瞬時に弓を作る。


「こうやって左手で弓を作り…」


続けて右手から弦を伸ばし、先に用意した弓の弦に絡める。


「右手で出した弦をこうやって絡めた後…」


次いで、先程絡めた弦を収縮させて引き絞る。


「こうして引き絞り…」


最後に、右手の弦を解除する。


「発射」


弾かれて小刻みに揺れる弓の弦を見詰める男二人。


「という流れになりますが…」

「当然ターゲットはじっとしている訳ではないし、

逆にこちらは機動性がない上に、

私自身が部品を作っているので、

チャンスまでずっとその体勢をキープする事になります」

「ですが、私の弦は光っていて目立ちますから、

相手からしても魂胆見え見えですし、

丁度良い位置に都合良く来てくれるなんて、まず在り得ないかも」


ファードは全て計算ずくと言わんばかりに笑みを浮かべる。


「土台は[可動式]にする」


レッシュは目を見張る。


「え!?そんな事が…」


再びロザヴェグ・クリスをレッシュに預けて大剣を下ろすと、

しのぎを上下に向けた形で水平にし、

刃の先端に結晶を発生させるファード。


だが奇妙な事に、

その固体は剣身の下面から[垂れた]様に付着させてあり、

形も[いびつな円柱状]で、下部だけ滑らかな丸みを形成しており、

長さも20センチ程しか無く、[土台]と呼ぶには大分短かった。


しかし、彼の次の一手が、その謎を解く鍵を作る。


ファードは右手で剣を持ったまま、続け様に左手で床のカーペットに触れ、

高さ1メートル程の太目の円柱を出現させると、

その円柱の上に、先程剣に付着させた結晶部分を乗せたのだ。


すると、床から伸びた円柱の上面は擂鉢すりばち状に窪んでいる様で、

剣に付いた結晶と心地良い程にピッタリと噛み合っており、

ファードが剣を土台に乗せたまま上下左右に動かすと、

スムーズ且つ高速な可動性に加え、

程よい摩擦抵抗による微調整もできた。


「こんな具合だ」


「わぁ、すごー」


「土台上では方向と角度しか調整できないが…」


ファードは剣を一旦持ち上げる。


「こうして、緊急時には外して逃げる事もできる」

「まあ、別にこれを持って逃げなくても良いが、

壊されると厄介だからな」


パーツとなっている大剣の重量をマイナスと感じたレッシュが、

ふと提案を出す。


「その剣がなくても、ファードさんの固体だけで作れませんか?」


ファードは自分だけが前提にして考えていた問題点を挙げる。


「この土台にしてもそうだが、形はいびつにしか作れない」

「一応、現時点での感覚で言うと、尖らせるのが一番簡単で、

丸みはあまり正確性を求めなければ作れる程度」

「しかし、[真たいらな表面]となると…」


突如、左手で[円盤]を拵えたファードは、

「ほら、この通り…、無理だ」と、

凸凹でこぼこした結晶の円盤をレッシュに渡す。


ロザヴェグ・クリスを脇に挟んでそれを受け取り、

平面を手で摩ってみるレッシュ。


「あらぁ」

「あ、でも軽い」

「(凄い…、加工すれば、良質な素材としてかなり幅広く使えるわ)」


[型かた]があれば、幾らかまともに作れるかもな」


「あ、それ良いアイデアですね」

「型を使えば複雑な部品も作れそうだし、

材質は軽量で頑丈となれば言う事なしだわ」

「物資が不足しているこのご時世で、ファードさんは救世主かも」


レッシュは微笑みながらファードの持つ大剣の柄に手を添え、

それと入れ替わる様に立ち退くファードに円盤を渡す。


その円盤を瞬時に消去する彼の横で、

一通り土台の使い勝手を体感した美女は、

「あー、良いですねぇ」と、

右手にロザヴェグ・クリスを持ち替え、左手から弦を出現させる。


二本の縄状に編み込んだそれを、

大剣に付着した円柱状の結晶に強く巻き付けた後、

左右に伸ばしながら棒の様に硬質化させ、

それぞれ1メートル程伸ばしたその先端を上へ直角に折り曲げると、

そこから更に細く編みこまれた弦がお互いに向かって伸び、

中心となる剣の鎬上で交わる。


次に、右手から出現させた弦を、

先程作った[弓の弦]に絡めて引き絞り、

弓床にボルト(矢)の代用品であるロザヴェグ・クリスを乗せ、

引き絞った弦をその柄尻に当てる。


ただのテストだろうと思いながらそれを見ていた男二人は、

次の瞬間意表を突かれる。


レッシュが部屋の壁に向かって、

躊躇無く[汚れた剣]を放ったのだ。


少し焦りながら剣の飛翔先を目で追うファードとルダ。


しかし、その視線は予想より大分短い距離で止まった。


柄に絡んだ光の弦が硬質化し、

約8メートル程先で剣を空中停止させていたのだ。


「うん、良い感じ」


右手から伸びた弦を掌へと吸い込む様にして剣を手繰り寄せ、

回収するレッシュ。


「でも…」


ロザヴェグ・クリスを見詰めながら、彼女は少し考える。


「この剣の形状は飛ばすには適していないので、

恐らく、ブレずに飛ぶのはせいぜい15メートル程だと思います」

「まあ、あの皮膚を貫くだけの威力が維持できるのもそれくらいの距離でしょうし、

どっちにしても、かなり接近しないといけません」

「お二人には、その範囲にあいつをおびき寄せてもらい、

尚且つ、巧くこちらに鳩尾みぞおちを向けさせるという、

ちょっと複雑な仕事を任せる事になりますが、大丈夫ですか?」


「ああ、任せておけ」と、即答するファード。


続いて彼女がルダと目を会わせると、

黙って力強くうなずくルダ。


「ありがとう」

「じゃあ、早速行きましょう」


急拵えのバリスタを持ち上げるレッシュ。


「んっ…、重い…」


よろめきそうな彼女を見て、直ぐ様補助に付くファード。


「ありがとう」

「でも、こうすれば運べますので」


レッシュは大剣全体に螺旋模様を描くかの如く、太い縄状の弦を巻き付ける。


そして、大剣を背中側に回すと、

光の縄をショルダーベルトの様にして上半身に固定する。


「なるほど、便利だな」


「ええ、弦を使えば結構重い物でも持ち上げれます」

「さ、行きましょう」


ファードはそれを聞き、床に設置した結晶の処理に掛かる。


「あ、待って」

「それはそのままで良いです」


その予想外の言葉を発した美女へと向き直るファード。


「サンプルとして本部ポストロジーに送りたいし」


簡潔な理由付けと同時に出口へと歩を進めるレッシュ。


だが、それに男二人が続こうとした矢先、彼女が振り返った。


「でも、お二人は武器なしで大丈夫ですか?」

「まあ、武器があっても攻撃としてはあまり役には立たないかもですが、

素手だと露骨に誘っている感が否めないのもあるし」

「一応、この部屋には武器のストックも少しありますので、

なにか持ってきましょうか?」


「ああ、それなら…」


ファードは先端の尖った1.5メートル程の棒を作り出すと、

「ほら」と、ルダに差し出す。


突然のマジックに少し驚きつつも、反射的に棒を受け取ったルダは、

見た目より大分少ないその重量にも驚く。


「何これ、ほんと軽いな」


その後、自分用の武器を作らないファードを不思議に思い、

「あんたの分は?」と、尋ねるルダ。


「俺は倒れた街灯を使って槍でも作る」

「そして、あわよくば奴の弱点を突く努力はしてみるさ」


そう言ってレッシュに向き直るファード。


「あんたを信用していない訳じゃない」

「あくまで、可能性を増やしたいだけだ」


レッシュは可愛らしく微笑む。


「ええ、わかってますとも」

「(私に掛かるプレッシャーも減らそうとしてくれてるくせに、ふふっ)」








三人が箱から出て再び広場に戻ってみると、

流石にもうヴァルヒューグの姿はそこに無かった。


しかし、近くで重々しい破壊音が断続的に聞こえるため、

おおよその位置は見当が付いた。


「さて、土台はどこに設置する?」


「じゃあ、あの辺で」


広場の中央より少し南よりの位置を指しつつ、

そこに小走りで向かうレッシュ。


それを追うファードの直ぐ後ろに付いて走っていたルダが、

「じゃあ、俺は先に行ってるからな」と、

ヴァルヒューグがいるとおぼしき方向へ進路を変える。


そんな彼を目線で追いながら走るレッシュ達は、

バリスタの設置地点に到達するやいなや、

機敏な動作で準備に取り掛かる。


「ここだな」


「ええ」


その返事と同時に土台が形成されたのを見て、

レッシュは背中の大剣を急いでセットし、機能性を確かめる。


「おっけー」


「では、俺も奴を引っ張ってくる」


そう言って駆け出す彼の背中に、

「気を付けて」と、レッシュ。


だが、ファードが取った軌道は、先程ルダが向かった方角とは大きく逸れていた。


不思議に思ったレッシュが見ている中、

ファードは[折れた街灯]の近くにしゃがみ込み、

断面に結晶製の鋭利な穂先を取り付ける。


その重々しい急拵えのスピアーを軽々と肩に乗せたファードは、

予定通り誘導対象の追跡に掛かるが、

直後、先発したルダが荒れ狂う巨人を引き連れて広場へと帰還した。


「思ったより近くにいた」


ファードは出鼻を挫かれて一瞬立ち止まったのを機に、

向きだけは怪物の方に固定したままゆっくり横歩きし、

ルダの進路の先に立つ。


そして、シビュレーの時と同様、

相手の突進力を逆手に取ろうと、

槍の穂先がヴァルヒューグの鳩尾の高さに来る様に傾け、

結晶によって地面に固定する。


それを見たルダが、設置された槍とニアミスする様にすれ違うと、

素直にもそれに沿って追尾してくるヴァルヒューグ。


しかし、流石にこんな安易な作戦が実を結ぶ筈も無く、

怪物の懐に迫った街灯の槍は、

巨大な曲刀による横薙ぎにより、あっさりと跳ね除けられる。


ところが次の瞬間、ヴァルヒューグが不自然にバランスを崩し、

大地を揺るがしながらうつ伏せに倒れた。


レッシュとルダが何事かと目を見張ると、

曲刀を石畳に突き立てつつ起き上がった怪物の左膝が結晶を纏っており、

くの字に固定されていた。


怪物がスピアーに気を取られる一瞬を読んでいたファードが、

巧みに接近して相手の左膝を封じたのだ。


「[いつどこで何をするか]が掴めれば、手の打ちようもある」


「おのれぇ!」


「(あからさまな罠は、移動のポイントを絞り、特定の動作を誘発し、

チャンスを生むための布石だったのか…)」

「(なんて人だ…、それに比べて俺は…)」


ルダはファードの機転に感心すると同時に、

何も出来ない自分に対して恥じらいの念さえ持った。


「位置は悪くないか?」


そんな彼を挟んで、射撃スタンバイ中のレッシュに確認を取るファード。


「ええ、でも…」


ファードがヴァルヒューグに振り返ると、

怪物は自由の利く右膝を地面に突きながら、固定された左膝を前に出し、

曲刀の柄尻を結晶に打ち付けて砕こうとしていた。


「こんなに激しく腕を動かされたら…」


「そうか、[位置は]問題無いんだな」


そう呟いたファードがヴァルヒューグの背後に隠れた直後、

その左膝を包んでいた結晶が砕かれた。


だが、ヴァルヒューグが背後に振り返る事はなかった。


それどころか、立ち上がりさえしなかった。


不意に[顔の呼吸口が塞がれた]からだ。


レッシュとルダは、その効果を生み出した光景に再び目を見張る。


怪物の顔面を結晶が覆っていたのだ。


顔に激しい違和感を覚えたヴァルヒューグは、

それを取り払おうと、刀を持ったままの右手と素手の左手を顔に回したため、

腹部が無防備な状態になる。


そこで怪物の陰から姿を現したファードは、

がら空きの鳩尾を指し、レッシュに合図を送った。


しかし、既に状況を把握し、

表情を引き締めつつ狙いを定めていた彼女は、

その合図の一瞬前にロザヴェグ・クリスを発射する。


凄まじい速度で飛翔する剣は、

大胸筋と腹直筋の境目を的確に捉え、

想像より鋭い刺突音を伴わせて肉壁を貫通した。


「!?」


流石のヴァルヒューグも、これには身を縮め、

小刻みに揺れ出す。


明らかに効果の見られる状況を受け、

案外呆気なく成功した作戦に若干拍子抜けしながらも、

気を緩めず展開を観察する三人。


刀こそ未だ手放しはしないが、やがて両腕はだらりと下げられ、

脱力したように上半身を屈める怪物。


少しずつ討伐の確認へと迫る中、

奇妙にも揺れ幅が徐々に大きくなってきた事を感じたレッシュが、

ふと、ある事を思い出す。


「(そうだわ!ヒューグは耳の後ろにも呼吸器が…)」


それに気付いた時、

ファードの立ち位置が巨人のテリトリーである事にも同時に気付く。


「いけない!ファードさんそこから離れて!」


ファードがパッとレッシュに振り向いた瞬間、

下げられていた怪物の左手が予備動作無く彼に迫った。


重く且つしなやかなバックハンドブローを無防備に受け、

派手に吹き飛ぶファード。


明らかに受身を取らずに石畳へと叩き付けられた彼を見たレッシュが、

能力を解除して駆け寄ろうとした矢先、

素早く立ち上がったヴァルヒューグが、

顔に結晶の面、鳩尾に汚れた剣を帯びたまま、

曲刀を振りかぶりながら不思議と的確に彼女へと迫り、

これまた正確な狙いで彼女に刀を振り下ろした。


ファードを気にしながら、

彼の位置とは反対方向となる左へとそれを回避するレッシュ。


その攻撃によって、バリスタを構成していた土台も弓床も大破し、

打ち砕かれた破片が激しく周囲へ飛び散る。


その時、レッシュの右膝に鋭い感覚が走る。


「んっ!!」


砕かれた結晶の破片の一つが、彼女の右膝に直撃したのだ。


バランスを崩し、怪物の攻撃範囲内で尻餅を突く美女。


だが、直ぐに追い討ちが来ると思いきや、

次の攻撃には先の正確性が無く、

がむしゃらに刀を振るうだけのヴァルヒューグ。


それを見て、視界を遮る結晶の凹凸により、

相手の詳細な位置が掴めていない事を悟るレッシュ。


「(さっきは弦の光が目印になったから、

私のいる方向が分かったんだわ)」

「(元のリーチが長いからミート範囲も広いし、

距離の計測は大雑把でも当たる分、正確に見えたのね)」

「(でもむしろ、こんなに闇雲な暴れ方だと、

狙いとタイミングが掴みづらい分、避けるのが難しいな)」


そうこう考えている内、攻撃があわや彼女の足を掠める所に降り注いだ。


流石に危機感を覚え、尻餅の姿勢で後退りするが、

やはり右膝を傷めた状態では思う様に動けず、

仕方なく8メートル程先に設置された街灯に弦を伸ばし、

尻の下にプロテクター代わりの網を形成して自分をそれに引き寄せる。


しかし、距離を置いて一息吐いたその時、

不意にヴァルヒューグの攻撃を止まった。


先程までは距離が近かっただけに、

敵の胸から下辺りしか視界に入らなかったレッシュが見上げると、

その顔はしっかりとこちらに向けられていた。


ギクッとする美女。


「(やだ!光で方向が分かっちゃったんだわ!)」


結晶を越して見る世界で、

彼女の姿らしき像が取る体勢を考慮した上か、

今度はじわじわと圧力を掛けるかの如く、

胸に刺さった剣をグラグラと揺らしながら、

不気味にゆっくりと迫り来る怪物。


レッシュはあたふたと周囲を見渡す。


だが、隣の街灯までは30メートル程もあり、

同じ方法を使うにしても下準備の段階で阻止される事は明白なので、

背に腹は変えられないと判断した彼女は、切り札の投入を試みる。


「(ちょっとカッコ悪いけど、今は[箱]を使うしか…)」


そう思って彼女がポーチに手を掛けたその時、

怪物と美女の間に血塗れの男が割って入った。


ふと手を止めるレッシュ。


「ルダさん?」


何かが自分の前に立ちはだかった事を認識したヴァルヒューグだが、

足を止める事なくそのままのペースで前進する。


しかし、ルダはそれに構わずおかしな行動に出た。


突如、正面から怪物に突っ込んだのだ。


相手の遠近感の無さ故か、

これと言った抵抗を受ける事なく懐に入る事に成功した彼は、

持っていた結晶の棒を怪物の腰巻のベルトに挟むと、

それに足を掛けて怪物の腹部によじ登った。


ヴァルヒューグはその意味不明な行動を受け、

立ち止まって懐の異物に顔を向ける。


だが、次にルダの取った行動が、

怪物とレッシュに[呆気]を与える。


地面から2メートル程の高さにある怪物の鳩尾に、

まだかろうじて刺さっている剣の刃を大胆にも左手で掴み、

奥へと押し込み始めたのだ。


余りにバカげた発想に、

一切の抵抗も見せない怪物。


「(そんなの無茶よ!)」


レッシュもそう思った直後、

彼の右手が怪物の[傷口]に当てられている事に気付く。


「(あれ?)」


次の瞬間、ロザヴェグ・クリスが身をうずめる傷口が、

青白く光り始めた。


「(まさか…、治して…)」


ただならぬ気配を感じた怪物も、その行動に疑惑を持つが、

タフネスに絶対の自信があるためか、未だ余裕の物腰を維持し、

むしろ、その行動の[オチ]を期待さえしていた。


それを好都合と考えているルダが、

尚も不可解な挙動を数秒間続けていると、

怪物は進展のなさに対して流石に業を煮やし、

オチのない悪足掻きと結論付け、

彼を左手で鷲掴みにして強引に引き離した。


そのまま高く持ち上げられ、右手の曲刀が振りかぶられたその時、

彼は奇妙な言葉を発す。


「固定しといたぜ」


ピタリと手を止めた怪物の脇で、その返答が飛ぶ。


「グッドだ」


その台詞と同時に、ヴァルヒューグの左前方から、

[巨大な結晶の塊]を灯具部分に纏った街灯が、

充分な遠心力と風切り音を伴いながらフルスイングされた。


ドシュッ!!


重々しく、鈍く、湿っぽい鳴動めいどうの後、

怪物の体が硬直する。


塊はロザヴェグ・クリスの柄尻に見事ジャストミートし、

ヴァルヒューグの脊髄を貫いたのだ。


握力が消え、無造作に地面へと落とされる曲刀とルダ。


直後、三半規管の信号が絶たれた巨体が、

固まったままそれらに向かって倒れ込む。


強い力で握られたために体中が痺れているルダは、

自分はもうじき変異する物という誤認がある事も相俟って、

それに潰される覚悟を早々に決め、

特にリアクションなくそれを見詰めていた。


だが、そんな彼の視界の枠外が不意に輝き始め、

何かが腕に絡み付いたと思った瞬間、強い力で後方に引き摺られる。


自分の足下すれすれに殷々(いんいん)と崩れ落ちる怪物を尻目に、

その力の出所に振り向くルダ。


そこには、まばゆい黄金色の光芒の中、

右手から弦を伸ばす美女の姿があった。


やがて安全な位置までルダを運んだレッシュは、

能力を解除して一息吐きながら力を抜き、

街灯のスカートに寄り掛かる。


そして、倒れた怪物の横でお手製ハンマーを投げ捨て、

少しよろめきながら合流してきたファードに向かって微笑む。


「手強かったですね」


「ああ」


ルダは寝そべった体勢からゆっくりと起き上がり、

そんな会話を交わす二人に背を向けた胡坐あぐらへと移行した。


その動きで彼に目を向けたレッシュが、

先程の窮地で救済された恩を思い出し、

「ルダさん、さっきはありがとう、助けてくれて」と、労う。


ルダは顔だけ振り返ると、少しだけ表情を緩めて応える。


「いえ…、こちらこそ、二人が来てくれて助かりました」


ローテンション且つ素っ気無い返事のみで顔を前方に戻したルダだったが、

何故か再び彼女へと素早く向き直ると、

突如、四つん這いでレッシュへと距離を詰め出す。


その奇妙な動きに反応し、咄嗟に彼の目線を追うレッシュとファード。


すると、彼の見据える先には、

素晴らしい脚線美に付着した汚点の如き、痛々しい青痣あおあざがあった。


血塗れの男が四つん這いで自分に迫ってくるという怪奇な図式の中、

彼の意図を察しながらも、それを態度に出し難いレッシュは、

とりあえず彼にファーストコンタクトを任せる。


彼女の前に辿り着き、

膝立ちになって広げた両手をレッシュの青痣前に運び、

「いいですか?」と、律儀にも肌に触れる許可を求めるルダ。


レッシュは一瞬、ルダの右手にある十字傷が気になったが、

「ええ、お願いします」と、あえてその事には触れずにうなずく。


それを受け、ルダは彼女の患部に優しく手を添える。


やがて、静かに呼吸する彼の両手が青白く発光し始め、

レッシュの痣も同様の彩色に染まる。


何事かと距離を詰めてきたファードが、

それを上から見下ろしているのを横目に観たレッシュは、

回復を待つ間、初見の彼が持つ[この光景への疑問]に応じようと考え、

目の前で怪しい施術を振るう血塗れの男を、改めてファードに紹介する。


「あ、こちらはルダさんと言って、そこの教会の僧侶さんです」

「さっき話したでしょう?傷を癒せる僧侶の方がいるって」

「それは彼の事です」


「そうか」


シンプルな返事のファードだったが、

その情報を得て直ぐに気付いた事があり、

倒れているヴァルヒューグに顔を向ける。


「(なるほど、どうやって剣を固定したのかと思っていたが…)」

「(敵の傷を癒すとはな、なかなか発想力がある奴だ)」


そして再びルダに焦点を合わせたファードが、

先程まで傷の治療に感心していたにも拘わらず、

彼の[心の傷]に塩を塗る様な言葉を浴びせる。


「髪型が変わったな」


「え?」と、意表を突かれるレッシュと、ノーリアクションのルダ。


「面識があるんですか?お二人は」


「ああ、昼間にあっちの支部で会った」

「丁度、あんたが買い物に出でてすぐ後に訪ねて来た」

「その時は髪の毛があったがな」


治療を済ませ、手を下ろしながら険しい表情で俯くルダ。


それを奇妙に思ったレッシュが呟く。


「もしかして…」


「レッシュ!」


突如飛んできた声の方を振り向く三人。


「あ、クウェナ様」


すっかり体中を赤黒く染めたクウェナとアヴァンは、

横たわる巨体に視線を向けながら、レッシュ達に駆け寄る。


「これはお前達がやったのか?」と、

ヴァルヒューグを指差しながら尋ねるクウェナ。


「はい、皆で力を合わせて…」


それを聞いたクウェナは、彼女の言う[皆]の顔を一人ずつ見渡す。


そして、レッシュの前にしゃがむスキンヘッドの若者に目が行った時、

見覚えと初見の入り混じった感覚のあるその横顔が記憶から照合され、

一人の候補者に絞られる。


「そなたは、もしや…、ルダか?」


俯いたまま黙り込むルダ。


「やはりルダか」

「その頭は…?」


彼が沈黙を保ち続ける中、

ヴァルヒューグに歩み寄って興味深そうに状態を調べるアヴァンが呟く。


「素晴らしい、最低限の損傷のみで動きを封じてある」


少し興奮気味の彼は、目を輝かせながらクウェナに報告する。


「クウェナ様、ここまで状態の良いサンプルは類稀たぐいまれです」

「研究材料として一級品ですぞ」

「早速、大型輸送用の小箱で回収しましょう」


「ああ」


レッシュは[小箱]というキーワードに反応し、

「あ、クウェナ様」と、彼女の斜め下から呼び掛ける。


クウェナの無言の注視を引き付ける中、

ポーチから[救援用の小箱]を取り出しつつ立ち上がり、

彼女に差し出すレッシュ。


「これ」


「ああ、ありがとう」


「ごめんなさい、カーペットを少し血で汚してしまいました」

「それから一部のストックと、

浴場のドアノブにも若干汚染の疑いがあります」

「でも、触れたのは毛布が積まれた一帯だけで、他は安全です」


「わかった、安全なストックは全部ここに置いて、クリーニングしておく」


「あ、それと、中に素敵な素材のサンプルがあります」


「素材?」


「ええ、こちらにいるファードさんの…」


その時、引き続き怪物を調べていたアヴァンが、何かに気付いた。


「ん?」

「この剣は、もしや…」


クウェナとレッシュとファードもその言葉に反応し、彼に注意を向ける。


直後、ヴァルヒューグの巨体を軽々と引っくり返すアヴァン。


ファードはその光景に目を見張る。


「(なんて力だ…、あれも能力なのか…?)」


「やはり…」


鳩尾に密接した剣の柄を見て、

それが大司教ハマウより存在を口止めされた剣、

ロザヴェグ・クリスであると悟り、

俯いたままのルダを見遣るクウェナとアヴァン。


「お前…」


クウェナと目を合わせる事ができず、地に向けて声を吐き出すルダ。


「私は、もはや僧位より堕落しました…」


ゆっくりと立ち上がり、

剣をそのままにして去ろうとする彼の背中に、

「アイラはどうした?」と、問い掛ける。


ルダは足を止め、背を向けたまま再び俯く。


「私が…斬りました…」


一同の注目はルダに吻合し、

その言葉をそれぞれが違う角度で受け取る。


「なに…?」


「私も、もうじき怪物と化すでしょう…」


下を向いたまま、ゆっくりと歩き出すルダ。


「待て、ルダ」


その言葉では止まらない彼に、更に言葉を重ねる。


「今こそ話そう、お前の過去について」


ルダは立ち止まって素早く振り向く。


そんな彼に歩み寄ったクウェナは、

アヴァンより受け取ったアンカーのカメオを無言で差し出す。


「私の…過去…?」







「おまえは、元々、この世界の人間ではないのだ」


すっかり事態の落ち着いた焦げ臭い街路の片隅に置かれた、

未だ原形を留めるベンチの上にて、

突然衝撃的な言葉から始まった話に、黙って聞き入るルダ。


「レッシュやファードと同様、おまえは[もう一つの歴史]から来た…」


俯いたままのルダは、

数十メートル向こうで話し込んでいるレッシュとファードに、

一瞬だけ焦点を合わせる。


「突然、こんな事を言われても、頭の整理が付かないだろうが、

これは事実だ」


信じていた物が総崩れになる程の受け入れ難い話が、

大分青みを帯びてきた空の下で続く。


「私達が、歴史を清めるために設置した[入口]を、

少年だったお前は意図せず潜ってしまった…」

「つまり、お前が捜そうとしている家族も、こちら側にはいないのだ」


彼は表情一つ変えずに、青黒い影となった地面を見詰める。


「こちらへの出口は、いつも不安定だ」

「偶然、この街の川へと出てしまったお前は、

ハマウに拾われ、今に至る訳だ」


しばらく口を閉じていたルダが、

クウェナとは異なる前提での考えを語る。


「なぜ…、まだ人でいられた時に…」

「未来に希望を持っていた時に話してくれなかったのです…」


クウェナは微笑む。


「安心しろ、希望はまだどこにも行っていない」


ゆっくり顔を上げるルダ。


「[入り口]を潜る直前、

ガーナに対する[抗体]が体に植え付けられるのだ」

「その宿主は、奴らの血を浴びても感染する事はない」

「私達の異質な体の秘密がそれさ」

「更に、常人にはない特別な能力を身に有する事ができる」

「そう、お前の[治癒能力]もその一例だ」

「そして、抗体を持つ者は[若さ]を普通の人間より長く保つ事ができる」

「お前は17歳くらいから、

ほとんど変わらない自分の容姿を不思議に思っているだろうが、

それにはそういった道理が作用しているのだ」

「だが、抗体は老化を遅らせるが、成長の妨げはしない」

「お前が少年のままではないのは、そのためだ」


クウェナからの言葉が止まり、

クロムイエローからアイアンブルーへのグラデーションを見上げるルダは、

やがて地上へと視界を戻し、囁く様な声を発す。


「人は余計な想いから開放された時、

それまで心の奥底に潜んでいた、未知の自分が現れるのですね…」

「私は、怪物になるという思い込みに背を押され、

築き上げた自分という物と、その歩んできた道を随分と乱してしまった…」

「恐怖も雑念も戒律も信念も全て捨て、無性のままに剣を取り…」

「アイラの事も…」


クウェナはルダを見遣り、その肩に手を乗せる。


「それを気に病む事はない」

「あの状況でなら、それが過ちとは一概に言えないだろう」

「それに…」


次の言葉に対する確信と責任が充分ではないクウェナは、

若干のためらいから間を空けるが、

やがて自らもそれに希望を込める事で気を補い、

強く言い放つ。


「アイラは元の人間に戻す事ができる」


鋭くクウェナに顔を向けるルダ。


「えっ?」


「我等が希望を託す[謀はかり]があるのだ」

「それが[歴史を書き換えるためのカギ]を握っている」


ルダはその理解できる訳のない台詞に、疑問文で返す。


「歴史を…書き換える…?」


目を見開く彼に対して深くうなずいたクウェナは、

[後悔]を鍵とし、[時の記憶]より見出した光明にて世界を照らすべく、

自らの精進を本懐に旅立った青年について語り始めた。







ガーナの侵攻を何とか退けるも、

半分以上の建物が倒壊するという痛々しい傷跡を残すニューイータの街に、

荒野を囲む山脈の合間から遅めの朝日が降り注ぐ。


東に面した街壁の上で、

ツィンネに折り畳んだ両腕を置くファードが陽光に目を細める中、

その左後方から軽い足音が迫り、

やがて発生源である美しい女性の姿が彼の横目に入る。


が、若干の違和感を感じて直視すると、

彼女はセクシーコスチュームの上に、

前方の開いた白いロング丈パーカーを羽織っていた。


「これから色々とする事があるけど、とりあえずはホッとしましたね」


「ああ」


向きを変えずに答えるファード。


しばらく間が空き、レッシュは朝日に背を向けてツィンネに寄り掛かる。


「あなたの戦いぶりは素晴らしかったわ」


ファードはレッシュの方に視線だけを向けて微笑む。


「あの土壇場で次々と浮かぶアイデアと、

それを実践する行動力には驚きました」


「不思議と頭が冴えていた、

普段はこれといって何も浮かばないんだが」

「充分に寝たからかもな」


「ふふっ、そうなの?」


「ああ、昨日までの俺は、

そんなに肝が据わってる方じゃなかったからな」

「こっちの世界じゃ、抗体を持てば肉体が強化されると知ってから、

急に気も強くなった小心者だ」


レッシュも笑みを浮かべて返す。


「ふふふっ、わかるー」

「私もそうだから」

「なので、それを知らずにあれ程奮闘してくれたルダさんは凄いです」


「ああ、そうだな」


しばらく沈黙が流れる。


「でも、クウェナ様がよく言います」


その声に反応し、一瞬だけ美女へと顔を向けるファード。


「成長の第一歩は、自分を良く知り、強さも弱さも認める事だと」


チラリとファードの横顔を見遣るレッシュ。


「あなたは自分の長短をよく理解し、非を素直に認め、

特徴を上手に活かしてます」

「それって、とても素晴らしいと思います」


ファードは照れを表に出さず、

「あんたに言われるなんて光栄だ」と、静かに言い放って微笑む。


レッシュも口に手を当ててクスッと微笑むと、

寄り掛かっていたツィンネに体重をかけ、その反動で直立し、

全貌を表した朝日へと振り返って額に手を当てた。


涼しく湿った風が、

陽の目を浴びる二人の髪を靡かせながら吹き抜ける。


一時の安息の中、一日の始まりを感じさせる空が、

これからの事を意識へ取り入れるきっかけとなり、

緩んできた精神を引き締める二人。


内心に残る照れを拭いたいファードは、

その弾みを利用して表情を切り替え、

目先の手順についてレッシュに尋ねた。


「さて、次はどうする?」


再び街の方へ向き直りつつ返答するレッシュ。


「私があなたと一緒に[ポストロジー]に…、

あ、つまり[本部]に行く予定でしたけど、

こうなると復旧に一人でも多くの協力が欲しい所ですね」

「なので私はここに残って、復旧を手伝います」


「では、俺も協力しよう」


にっこりと微笑むレッシュ。


「ありがとう」

「その気持ちはとても嬉しいです、だけど…」

「あなたはルダさんと一緒に、本部へ送られるそうです」


勝手に決められていた成り行きについて感じた理不尽を抑え、

黙って聞き入るファード。


「あなたが今後、幻導士としてこちらの世界に力を添えるかどうか…、

何をするにしても、まずは本部でその答えを聞いてからです」


そう説明の切り口を取ったにも拘わらず、

レッシュはまるで彼の心積もりを知っているかの様に続ける。


「どちらにせよ、今のままこの世界に残ると、

あなたは[あちらの世界]で神隠し扱いです」

「あなただって、知人に無駄な心配は掛けたくないでしょうし、

後を濁さないためにも、[あちら]へ戻る義務があります」

「なので、まずは[あちら]への入口がある本部へ行かないと、

話が始まらないのです」

「今回の侵攻がなければ、今頃はとっくに送られていたはずだし」


シリアスな表情の彼女に対し、ファードは何故か微笑む。


「まるで、俺の考えが分かっているかのような口振りだな」


一瞬目を見開き、吹き出すレッシュ。


「そうね、ふふふ、ごめんなさい」


「(半分誤解しているがな)」


数秒間を空けた後、

彼女は笑顔のまま街の方を振り返る。


「あ、今から噴水広場で炊き出しがあるみたいですよ」


「炊き出し?」


「ええ、さっき持ってきた小箱の中の食材とか道具を使って、

シチューを作っているそうです」


シチューという言葉に強く反応するファード。


「シチューか…」


「え?嫌いですか?」


「いや、昨日の朝もシチューを食った」


再度吹き出したレッシュは、

「まさかのネタかぶりですか」と、両手で腹を押さえつつ前屈みで笑う。


体勢を戻した彼女は、

可愛らしい笑顔のまま、前髪を手で横に分けながら続ける。


「まあ、あなたを本部に送るのは、9時以降という話なので、

のんびり食べましょ」


「ああ」


「今、支部にいたアスティンさんがこっちへ来ているんですが、

彼も丁度本部に用があるみたいで、

あなたとルダさんに同行し、本部で事情を話してくれるそうです」

「(同行って言っても実質は三人別々だけど、ふふっ)」


「それは助かる」


「なので、9時前くらいに教会前で彼等と合流してください」


「わかった…」


ファードはいつものポーカーフェイスでなく、

若干残念そうな表情でそう答える。


レッシュもそれを見て、少し俯き加減で視線を下げる。


僅かに静寂が場を包んだ後、

レッシュが再び笑顔を作って仕切り直す。


「さあ、ご飯に行きましょうか」


そう言って軽快に歩き出す彼女に無言で続くファードだったが、

数歩進んだ後、ふとした疑問を彼女に投げ掛ける。


「本部というのは遠いのか?」


一瞬ペースを緩めて後続の彼の横に付くレッシュ。


「そうですね、そこそこ遠いです」

「ここからだと、[普通]に行ったら三日は掛かるかな」

「ウィグリスだし」


「なに?」


「最短ルートでも二日は掛かりますね」

「鉄道を使うルートなんですが、

乗れるのはここから丸一日くらい行った所だし」

「その鉄道も、調子が悪いと途中で何度も停車させられますので、

ここから[足で]本部に行く場合は、

余程の事情がないと使わないんですけどね」


神妙な面持ちで呟くファード。


「まさかそんなに掛かるとはな…」

「できれば急ぎたい理由があるのだが」


「あ、大丈夫ですよ」

「今日の午後には本部に着いてると思います」


あまりに矛盾した言葉を受け、ファードは呆然とする。


「なんだって?」


レッシュはチラリとその顔を見て微笑むと、

楽しそうに種明かしをする。


「ふふふ、さっき言ったのは、地理的な距離の話ですよ」

「あくまで[普通]に移動した場合の所要時間であって、

幻導士独特の移動方法なら、数時間程度で行けるんです」

「ただし、片道のみですけどね」

「でも、本人からすれば一瞬で到着した様に錯覚します」

「あれは面白いですよ」







罹災の少なかった街の噴水広場で、

からくも難を乗り切った民や兵達の行列が、

社会的地位の限定なく組織された炊き出し班から朝食を受け取っていた。


レッシュとファードが列に加わった頃には、

既に半数以上に配給を済ませた状態だったため、

待ち時間は然程無かったが、

それでも遅れてきた参列者が続々と背後に続く。


深皿に盛られたシチューを手にしたレッシュは行列から抜け、

少し離れた所に立ち止まって振り返り、

一つ後ろのファードを待つ。


ファードも湯気の立つ深皿を受け取ると、

自分を目で追うレッシュを素通りし、

奇跡的にも損壊のなかった噴水に歩み寄って、その縁に座る。


彼の動向に合わせて付いてきたレッシュも、

その左隣りに優しく腰を下ろす。


ファードが反射的に彼女へと視線を向けると、

彼女は行儀良く両手を胸の前で合わせ、

「いただきます」と、小さくお辞儀する。


見られている動静を感じつつ、その美しい唇を可愛らしく尖らせ、

スプーンで掬ったジャガイモにフーフーと息を吹きかけるレッシュ。


そしてスプーンをゆっくりと口に運び、

まだ熱いジャガイモをホフホフと口の中で転がしながら、

ファードの方にキョトンとした顔を向けて視線を合わせ、

徐々に笑顔へと変えて行く愛らしい美女。


それに釣られてファードも微笑む。


「なに?食べないんですか?」


彼女は笑顔のまま、

もぐもぐと動かす口にスプーンを持った右手を当てる。


手はパーカーの袖に隠れ、

か細くて綺麗な指だけがそこから突き出ており、

その指にスプーンを挟みながら口を押さえる仕草はとても可愛らしく、

更にその状態から向けられた美しい瞳に対し、

若干照れ臭さを覚えたファードは、

直ぐに視線を逸らし、自分の深皿を見下ろす。


「いや、いただく」


ファードはスプーンでシチューをぎこちなくかき回し、

その結果、何かに気付く。


「肉が入ってないな」


そんな贅沢発言を零しつつ、引き続き深皿内をかき回した後、

溢れる程にシチューを掬い上げたスプ-ンを口にくわえる。


「少しだけ入れたらしいですよ」


そう言って、自分の皿を軽く捜索するレッシュは、

かなり細かい肉の断片を見付け、

「ほら、これ」と、スプーンに乗せてファードに見せる。


ファードはそれを見て、率直な感想を述べる。


「随分こま切れ状態だが、一応入ってはいるんだな」


レッシュはにっこりと笑みを零すと、

「はい、どうぞ」と、ファードの皿の上にそれを運び、

スプーンをひっくり返してその中に入れる。


レッシュ側は、意識しての行動かどうか定かではないが、

ファードの方は、その肉片を輸送した物体の肩書きを気にしながら、

無表情で自分の皿の中を見詰めた後、

「ありがとう」と、少し照れながら微笑む。


「いえいえ」


しばらく黙々と食事を続ける二人。


「あんたは、この仕事に就いてどれくらい経つ?」


突然の質問に、首を左右に軽く振って前髪を退かしつつ、

口を動かしながらファードの方を向くレッシュ。


そして、目線を一瞬上に向けてから答える。


「一昨年からですね」


「結構長いんだな」


「そうかな…、なんだかあっと言う間に感じてます」


「そんなに長くあんな怪物どもと関わってて、良く無事でいられたな」


レッシュは笑顔で答える。


「あれ?言ってなかったかな」

「こちらで抗体を持っている人間は、

剣で切られたり、矢に当たったり、

高い所から落ちたり、水中で溺れたり、

とにかく肉体が致命的な状態に陥っても、

ポストロジーに強制移動させられるだけで、

命に別状はないどころか、体に傷一つ残りません」


いまいち意味を飲み込めなかったファードだが、

とりあえず自分に有利な話だと分別できたので、

「ほう、それは至便だな」と、返す。


その時、レッシュはある事に気付く。


「あれ?え?もしかして…」

「今までそれを知らないで戦ってたんですか?」


「ん?」

「そうだが?」


ポカンとした顔で言う彼を見詰めながら感心するレッシュ。


「(すごいわ、ファードさんもルダさんも…、

抗体による命の保証を知らなくても、あんなに大胆に戦えるなんて…)」

「(勇気に裏打ちされた知略と行動力…、ほんとにすごい素質だわ…)」


無言で驚く彼女に、

「どうした?」と、ファード。


レッシュはクスッと微笑む。


「いえ、御見逸れしました」


「?」


困惑の表情でシチューを掬うファードだが、

それを口に運ぶ前に、先程の話の気掛かりな点について発問する。


「しかし、肉体が致命的な状態に陥っても…、と言ったな?」


「ええ」


「あんたは、かなり武術に長けているが、

そんな状況になった事があるのか?」


浅くうなずくレッシュ。


「新人の頃はよくありましたね」

「始めは怖くて、ほとんど何もできないままに強制移動…、

というのが続きましたし」

「だから、あなたが初陣であんなに立派に戦えるのが、

とても凄いと思いました」


ファードは少し口角を浮かせる。


「あれは…」

「あんたの華麗な戦いに煽られての事だ」

「一種の見栄だな」


レッシュは無言で笑顔を返す。


ちょっと照れ臭い空気をしばし漂わせた後、

更なる質問を切り出すファード。


「ところで、さっきから気になっていたんだが、

その強制移動というのはなんだ?」


「先程話した、肉体が致命的な状態に陥った時に、

抗体が宿主を守るためにミストを発生させて、

もう一つの歴史へと誘導しようとする働きの事です」

「その入り口はポストロジー…、つまり本部にあるんですが、

宿主の意思とは関係なくそこへと向かって行くので、

強制移動と呼ばれています」

「でも、あっちの世界への入り口前にはフィルターがあって、

ミストのままではそこを通れず、再び宿主は実体化させられるから、

あっちの世界に直行という訳ではないんですよ」

「なので、ポストロジーに行きたい場合は、

逆にそれを利用するのが通例です」


詰まる所、

それがこれから自分が向かう場所への基本経路だと悟るファード。


「まさか…、俺とルダもその手法で移動させられるのか?」


「ええ、もちろん」

「ここからなら、その方が断然早いですよ」


ファードの頭の中に、

ちょっとしたスプラッターを含むイヤなイメージが描かれる。


「つまり…、そのために刺されたりするのか?」


「ぷっ!」


激しく口を押さえて吹き出すのを堪えるレッシュ。


「…ふふ!…んふふふふ!」


彼女は、真剣な面持ちのファードが見詰める中、

十数秒間その状態で大ウケした後、

やがて肩の力を抜いて大きく息を吐く。


「ふぅ~…、うふふ…」


そして笑顔のまま彼と目を合わせ、

その過激かつ無用な心配を取り払う。


「大丈夫、いくらなんでもそんな手荒な事はしませんよ」

「ミスティシロップという薬を飲むだけです」


「薬?」


「ええ、液状の薬です」

「それを飲めば、体に無理な負担を掛ける事なく、

その場で[適量]のミストを発生させれるんです」

「適量であるために、宿主がミスト化する瞬間の肉体の形状と、

実体化の際に復元される形状の誤差を最小限に抑えられるから、

ミストそのものの繋がりをシンプルにできる分、動きが軽いので、

強制移動の速度を最大まで引き出せるという利点もあります」


何故かこのタイミングで再び笑いが込み上げた彼女は、

それを堪えながら続ける。


「もちろん…ふふ、刺したりしても…、ふふふ…、

本部には…、行けますが…んふっ…」


ぶり返してきたレッシュは、一旦呼吸を整える。


「ふぅ…」

「それだと、抗体に含まれる復元情報が多くなる分、

ミストの発生量も増えてしまい、

結果、動きが重くなるので、余分な時間が掛かってしまうんです」

「なので、普通はそんな物騒な手段を取ったりしませんから、

ご安心くださいね、ふふっ」


「なるほど、それを聞いてホッとした」


にっこりと可愛らしく微笑んだ彼女は食事を再開するが、

スプーンを口に含んだ際にまたもや笑いが込み上げ、

俯きつつ肩を縮めながら小刻みに揺れる。


「そこまでツボにハマったか」







「あっちに家族や友人等は?」


食後から一時間強が過ぎ、

自分の見送りのために教会前まで随伴中のレッシュに、

歩きながらそう問い掛けるファード。


「ええ、います」

「みんなには、仕事でジェハスに引っ越すと言ってあります」

「ウソはつきたくないので、本部が用意してくれた家に、

ほんとに引っ越しましたし」


その台詞の一驚を喫した部分に触れるファード。


「あんたのために家を用意してくれるとは、

相当期待されてるんだな」


レッシュは毎度の様にクスッと微笑む。


「幻導士達の間では、

出身地ごとに特定の場所に引っ越すのが大流行してまして」

「しかも、引っ越した全員が[ご近所]になるという奇跡が多発してます」


それを聞いて納得するファード。


「なるほど」

「カモフラージュのために用意された住宅地か」


「そうです」

「家に時々届く郵便等は、係の方が分別してこちらに届けてくれますし、

休暇中はちゃんと会いに行ってるので、何とかごまかせてます」


レッシュはそこで、かつての自分が気にした要素を思い出し、

ファードも気にしていると想定して、

その心配を解除しようと試みる。


「あなたもご家族が気がかりでしょうけど、

あちらに帰る時にちょっと工夫すれば、

あの箱を開けるより前の時間に戻れたりするので、

自分で自分のアリバイ作って行方知れず状態を回避できますし、

ご家族に全く心配を掛けずに済みますよ」


「それは面白いな」

「だが、俺の身内は妹だけだから、特にアリバイを作る必要はないな」


「えっと…、ミュアさん?」


「ああ」

「だが、箱を開けるより前の時間に戻れるのはありがたい」

「(あいつらの先回りができるからな)」


それを聞いたレッシュは急に表情を引き締め、

その言葉に含まれた危険性を指摘する。


「ありがたいですけど、

細心の注意を払わないと大変な事になりますので、

くれぐれも気を付けてくださいね」


「大変な事?」


「ええ、特に矛盾を生じさせるような行いは控えてください」

「例えば、あなた自身がここに来るためのきっかけを、

未然に阻止してしまう…、とか、そうゆうの」


「なるほど、そいつはヤバそうだ」


「ええ、でも…」

「あまりに作為的でないなら、過剰に気を付けなくても大丈夫です」

「例えば…」

「本来、自分がその時いるはずのない場所で誰かと接触したとしても、

案外それは矛盾とはならず、

むしろ、[二人以上のあなたが同時に存在する]という前提で出来た、

[正規の歴史]だったりするので」


「奇妙な話だ」


「わざと強引に歴史を捻じ曲げたりするのが危険なだけで、

例えあなたが偶然あなた自身と対面し、会話し、

未来の情報を教えても、

鍵となる事件の絶対的否定要素を含まないなら、

普通に歴史の本道として認可されますからね」

「よく誤解されがちですが、

[複数の自分が同時に存在する]という要素は矛盾ではないのです」

「簡潔に言うと、過程と結果を知っている出来事には、

下手にちょっかいを出さない方が良い、という感じです」


「肝に銘じておく」


「向こうに行く前に、その辺は詳しく言われると思います」


彼女は真剣な面持ちを不意に緩める。


「まあでも、あなたならそんな迂闊な事しないでしょうけど」


ファードは苦笑いを返す。


「どうかな」


その時、そんな会話を交わしつつ歩を進めていた二人と、

教会前で合流済みの面子が、

お互いの姿を確認できる位置関係が築かれる。


既にクウェナ、アヴァン、ルダ、アスティンは集まっており、

自分達待ちの状態だと悟って少し焦り、

小走りへと移行するファード達。


全員が揃うと、自然に移動班と見送り班に分かれて向かい合う一同。


先程まで血塗れだったルダは、入浴と着替えを済ませた様で、

一応は見違える装いをしていたが、

白いTシャツ、カーゴパンツ、サンダルという、

明らかにポストロジーでの着替えを想定したクウェナの指示によって、

適当に着せられたコーディネートだった。


「では、取り掛かるか」


クウェナはそう言って、

肩に掛けていた細長いケースを地面に下ろし、蓋を開ける。


咄嗟に彼女へと顔を向けるファードとルダだったが、

直後、彼女が取り出した[奇妙な棒]へと二人の注意が向けられる。


「あ、それを使うんですか?」と、横からレッシュ。


しゃがんだまま質問者を見上げるクウェナ。


「ああ」

「シロップも小箱の中にあったが、その横で[これ]が目に付いてな」

「先月届いたばかりだし、丁度良いから使ってみようかと」


「なるほどー」

「なんて言いましたっけ?[それ]」


「[ディシーブロッド]」


「そだそだ」

「あ、ファードさん、ごめんなさい、

さっき言った薬ではないみたいです」


「そのようだな」


全体的に黒で纏められたその角棒の材質は主に合成樹脂で、

長さは50センチ程だったが、

握り部分は何故かピストルグリップ仕様という怪しさに加え、

ご丁寧に[引き金]まで付いており、

グリップより10センチ程先から直線平行幅が三倍程に広がっていて、

更に、それ自体は棒状であるにも拘わらず、

一見するとつがいの様な物が装着された関節部分が、

幅の広がり始めと先端に見て取れた。


奇妙なのは、

その[関節]が棒本体を一方に折り曲げる形状にはなっておらず、

幅広部分の中心線から左右対象に取り付けられている事だ。


次の瞬間、その技巧的な棒の[謎]にして[最大の特徴]が、

クウェナによって露にされる。


幅広部分の中程辺りを両手の指で摘み、

左右に90度ずつ[開いた]のだ。


興味深げに見ていた初見の面々も、

幅60センチ程に開かれたロッドの形態から、

もう一段階先に付いた関節部の役割が自然と把握できた。


案の定、それも90度ずつ前方へと折り曲げられ、

結果的に[凵 の字型]に開かれたそれは、

全体で見ると[直角さすまた形状]となった。


「さて、準備はいいな?」


良く見ると、両先端には内側に向いた小さな突起があり、

それが醸し出す[更なる怪しさ]が気になるファードとルダの後ろから、

「ええ」と、アスティンが応える。


その緊張感の無い声によって少し警戒心が緩み、

「ああ」「はい」と、続くファード達。


全員の返事を受けるや否や、

右手にディシーブロッドを持ったクウェナが、アスティンに歩み寄る。


「来週には戻りますので」


「わかった、ジャスティス殿とマルケス殿とマーヤによろしく伝えてくれ」


「はい」


「まあ、ジャスティス殿はどうせ出てると思うから、

無理にとは言わないぞ」

「いても見付けるのは困難だしな」


「ですよね」と、吹き出すアスティン。


その会話を耳に入れながら、

ファードとレッシュはどこか寂しそうな表情で目線を合わせる。


「さて、送るぞ」


そう言って、ディシーブロッドの[コの字部分]をアスティンの頭に向け、

両端の突起が耳より少し上に来る様に位置を調整する。


目をつむるアスティン。


クウェナがためらい無くトリガーを引くと、

耳鳴りの様な高周波が即座に響き、

そこから約一秒程空けて青白い閃光が瞬いた。


全員の色認識が落ち着いた時、アスティンの姿は既に無く、

その光景を初めて目の当たりにしたファードとルダは、

驚愕の表情を露骨に出していた。


「さて、次はルダだ」


その言葉にギクッとした彼だったが、

一通り説明は受けていたので直ぐに覚悟を決め、

クウェナに自分から歩み寄る。


そしてアスティンと同様に目を瞑ったタイミングで、

自分の顔の周囲に異物の気配をひしひしと感じるルダ。


直後、高周波が鳴り響き、閃光が走る。


何のリアクションもなく、残ったファードを見遣るクウェナ。


それを見たレッシュが、焦った様にファードに駆け寄る。


一歩前へ踏み込んだファードは、

不意に横目で捕らえた彼女の動きに焦点を合わせる。


そんな彼の横に着いたレッシュは、

ファードに右手を差し出して言う。


「また会いましょうね」


体ごとそちらに向け、爽やかに微笑みながらそれを握るファード。


「ああ」


「あなたはまだ今後の意思を表明してないのに、

こんな事言うのはおかしいですけどね」


笑みを深めるファード。


「そこは安心してくれ」

「こっちの世界が心配で、とても無関係を洒落込む気になれない」


いつも通り、クスッと微笑むレッシュ。


それを見たファードは、白く美しい彼女の手を離し、

次のジョークを飛ばす。


「元の仕事にも、給料以外のモチベーションが無かったしな」


口に軽く握った右手を当てて、可愛らしく微笑むレッシュ。


数秒の間が空き、

「じゃあ、行く」と、仕切り直すファード。


「はい」


レッシュは笑顔のまま、肩の高さで手を振る。


顔を彼女の方に固定したままで体だけクウェナに振り返り、

時間差を付けて顔も正面に向けたファードは、

表情をニュートラルにした後、先の二人と同様に軽く目を瞑る。


まぶたの内にレッシュの笑顔が残る中、

高周波が鼓膜を越えて脳まで強烈に伝わり、

それを不快に感じる間もなく、ピタリと止んだ。


「あ、きたー」


聞きなれない幼声に反応したファードがパッと目を開くと、

体感一瞬前とはまるで別な景観に変貌していた。


そこは色とりどりの美しい花々を敷き詰めた中庭の様な場所で、

視界の右手寄りに、先程の声の主と思しき少女が、

建物の奥へと駆けて行く後姿が見えた。


不思議そうな顔付きで一歩踏み出すと、

足に妙な抵抗感と、水切り音が纏い付く。


反射的に見下ろすと、足が温い液体に浸かっており、

その下がガラスである事を理解するのに数秒要した彼は、

自分が水面に立っている物と錯覚する。


「やっと来たか」


その言葉で顔を上げるファード。


すると、建物の奥から先程の少女に手を引かれた長髪の男が現れ、

そのままベランダの手摺り越しに問い掛けて来た。


「ファード君だな?」


ファードは少し間を空け、黙ったまま小さくうなずく。


「心配したぞ、君だけ遅れていたから」

「まあ、観た限り、

その体格に応じてクウェナが余計な加減を入れた事が原因だろうな」


未だ状況が把握できないのか、呆然とするファードに対し、

少し目を丸くする長髪の男。


「クウェナから何も聞いてないか?」


再び無言でうなずくファード。


「変だな、ルダ君には説明が行き届いていたが…」

「まあ良い」

「ようこそ、ポストロジーへ」


相変わらず固まっているファードを見兼ねて、

マルケスは微笑みながら右手の親指で自分の背後を指し示す。


「さあ、遠慮せずに入ってくれ」

「ルダ君もアスティンも来ている」







壁の一面がガラス張りになっている広々とした応接間に案内され、

見知った先着二名それぞれと目を合わせた後、

テーブルを挟んで彼等の向かいに座る若い女性ともチラりと見遣りつつ、

長髪の男に示されるまま、ルダの隣に腰を下ろすファード。


そんな新参者の座りかけに、

小さくハッとした素振りを見せた長髪の男が、

彼に手を差し出しながら自己紹介する。


「私はマルケス」


ファードは一度掛けた腰を直ぐに上げ、

それを握って同じ様に応対する。


「ファードだ」


交わした手が離れると、

マルケスの横に座っていた若い女性が中腰で立ち上がり、

「私はサラ、よろしく」と、愛想を込めずに会釈する。


それに対してもコピー的な動作で返したファードが再び着席した時、

ふと右隣に違和感を覚え、素早くそちらに顔を向ける。


すると、いつの間にか先程の少女が馴れ馴れしく隣に座っていた。


パッと見ただけで疑い様もなく[ご機嫌]であると分かる程、

無垢で素直で可愛らしい笑顔を近距離から向けられ、

流石のファードも自然に口角が上がる。


そんな中、マルケスが左手を顎に当てつつ言う。


「君はあちらから来たばかりにも拘わらず、

こんな形でここに辿り付けるとは、大した才能だ」


ファードはその意味が良く分からなかったが、

「どうも」と、一応は礼を言う。


「あ、マルケス様、それでは私はこれで」


そう発して席を立ったアスティンに、パッと顔を向ける一同。


「ああ、報告ご苦労だった」

「ジャスティスは知らんが、マーヤならラボだ」

「おっと、これは言わずもがなだな」


「ですね」と、アスティンは吹き出す。


「あれだけ上等なサンプルが二つも届いたとあらば、

今頃は目の色変えて弄くり回してるだろうしな」


「ははっ、容易に想像が付きます」


微笑みながらソファーの裏側へ回り、

ファードとルダの背後を通過する彼を目で追いながら、

「あっちにはいつ帰るんだ?」と、尋ねるマルケス。


アスティンは一旦足を止めて早口で応える。


「今日中にここの用事を全部やっつけて、明日の朝に出ます」


「そうか、まあ、その状況ではのんびりもしていられないよな」

「では、帰ったらクウェナに、

[今が落ち着いたら、ゆっくり気保養しろ]と伝えてくれ」

「どうもあいつはスケジュールを詰め込み過ぎるからな」


アスティンは再び笑顔を見せて答える。


「わかりました」

「では」


マルケスに軽くお辞儀をし、

ガラス張りとは対面の壁にある通路へと入って行くアスティン。


部屋に残る全員がテーブル側に顔を戻した所で、

改めてマルケスが切り出す。


「さて、ファード君」

「この世界の事や、幻導士や、抗体については、

向こうの支部の連中に粗方聞かされたと思う」

「なので、君にその辺の説明は無用と見なし、

代わりに一つ頼みたい」


「(頼み?)」


前屈みになって両肘を膝に突き、手を組むマルケス。


「君の能力で作り出した[結晶]のサンプルを見せてもらったが、

非常に素晴らしい材質だ」


特にリアクションのないファード。


「レッシュからのレポートを読んで驚いたのだが、

[型]さえあれば、様々な形状を生成できるそうじゃないか」


「(適当に言っただけなのだが、

いつの間にかレポートにまとめていたとはな…)」

「まあ…」

「試した事はないが、多分できると思う…、という段階だ」


「なるほど」

「まだ、君から今後の[意思表明]を取らない内に、

こんな事を依頼するのも恐縮だが…」

「差し支えなければ、

今、早急に作らせている[型]で実験させてもらいたいのだが、

構わないか?」


その単刀直入な要求に、ファードは浅く数回うなずく。


「そうか、ありがとう」

「勿論、君の体調を考慮した上で実施させてもらうので、

不調を感じたら即言って欲しい」

「君はまだ抗体が宿って二日目だそうだし、

それでいて、随分と能力を多用したとも報告にあったしな」


先程の[連続うなずき]を使い回すファード。


「ともあれ、型の完成にはもうしばらく掛かるので、

その間に洗浄を済ませ、着替えを選んでくるといい」


マルケスはサラに顔を向け、その肩に軽く手を載せる。


「はい」と、立ち上がるサラ。


「彼女が浴場とドレッサーフォートに君達を案内する」

「ルダ君は既に入浴を済ませたそうだが、

念のためにもう一度頼む」


「わかりました」と、ルダ。


その返事を受けると同時に、

マルケスも立ち上がる。


「サラ、着替えが済んだら彼等をラボに連れて来てくれ」


「了解」


「では、後程、材工のルームAで合流しよう」


マルケスはそう言ってソファーから離れ、

先程ファードが入ってきた中庭に続く通路へと向かいながら、

少女を手招きする。


「さあ、リューシュ、おいで」


サラは羽織ったカーディガンのポケットに両手を入れたまま、

未だ座ったままマルケス達の動きに見入る男二人の背後を通りながら、

落ち着いた口調で言う。


「ほら、私達も行くわよ」


顔を見合わせつつ立ち上がったファードとルダは、

言われるまま彼女の後に続いた。








鉄紺のニット帽、ブラックのVネックTシャツ、

ランプブラックのスラックス、

黒のデニムアッパーと白のソールに分かれたスニーカーという、

全体的に黒系で纏めたファードと、

白の半袖プルパーカー、

煤竹色すすたけいろのスキニーパンツ、

スチールグレイのデニムアッパーと白のソールのスニーカーという、

全体的に明るい色をチョイスしてきたルダが、

ラボラトリー(研究所)第一層、材料工学課に通され、

私服の上に白い研究服を重ね着したチームの歓迎を受ける。


ラボラトリーと言っても、

そこは二人がイメージしていたよりも随分とお洒落で、

白くて汚れ一つない壁の側に立ち並ぶ木製棚には、

美しい花々を活けた花瓶の数々や、

カラフルなガラス細工の置物や、

可愛らしいキャラクターのぬいぐるみ等が置かれていて、

天井も高く、広々とした間取りの開放的な空間の中に、

ちょっとしたプライベート感を演出していた。


だが、それら以上に彼等の意識を支配したのは、

見た事もない位にハイテクな研究設備だった。


いや、そもそも、

それが研究設備であるとさえ認識できていない新顔二人は、

パーツ数の多いインテリアグッズに圧巻していた。


そんな中、10名程で構成されたチームの中から一人、

眼鏡を掛けたマニッシュショート(短めな)の女性が抜け出ると、

ポカンとした顔で部屋を見渡しているファードとルダに、

早歩きで近付いてきた。


身長は170程のスレンダー体型、

見た目は20代後半、

ボタン全開の研究服の下は、

ピッチリと肌に密着したボルドーのTシャツ、黒のミニスカ、

生足にハイヒールという、非常にセクシーな出で立ちの彼女は、

ファードとルダの前に立ち止まると、

切れ良くマルケスの方に顔を向け、

大人びながらも可愛げのある声で発問する。


「どっち?」


マルケスは無言で長身の方を示す。


女性はスクエア型眼鏡の黒いフレームを摘んで位置を正しながら、

「ほほー」と、ファードに顔を接近させ、

全体をジロジロと見回した後、ニヤリと意味有りげに微笑む。


かと思えば、

突然、彼の左手を掴んで一方的に握手の形へ持って行き、

それを上下に激しく振りながら、

「いやー、君最高!」と、右手で彼の左二の腕をバンバン叩く。


「あ、私はマーヤ」

「いちお、ここの責任者ね」


ファードは若干彼女の勢いに飲まれ、

「ファ…、ファードだ」と、少し仰け反りつつ応える。


「うん」


マーヤはファードの手を握っているにも拘わらず、

ルダの方を向きながら粗雑にそう返して手を離すと、

今度は横に大きく踏み込んでルダの前に立つ。


その動きに若干ビク付いたルダに対し、

先程と同様、強引に左手を取って握手した彼女は、

「そいじゃ、君がヴァルちゃんの傷を治した子かぁ」と、

美顔を近付け、ジロジロと見詰める。


「うん、君も素敵!」


満面の笑みでそう言いながら、

ルダの左の二の腕をバンバンと叩いた後、

握手を解かないまま、交互に彼等へと視線を送ると、

「うひひー、二人とも面白いデータが取れそ」と、呟くマーヤ。


「マーヤ、彼等はまだ表明も済ませてないぞ」

「第一、ポストロジー勤務になるとも限らん」


マルケスのその言葉に、

「えー、そんなの勿体無いよぉ」と、脱力したリアクションの彼女は、

そのついでに握手を解除して振り返り、

何やら直方体の金属を持っている部下五名の内、

一番左手側にいる一人を指で呼び寄せる。


「駆け足」


その言葉でペースを早めた部下は、

持っていた直方体を彼女に差し出す。


良く見ると、アタッシュケースの様なロックが側面に付いており、

その事から[二枚重ね]だと分かるそれを受け取った彼女は、

下面に空いている小さい穴に指を掛け、パカッと二つに開く。


蝶番ちょうつがいで繋がれたそれの内側には、

50センチ程の長さの[剣]をかたどった[溝]が彫られていて、

柄尻と切っ先の部分に付いた細い管状の溝は外側まで通じており、

二つ付いているロックの間にも、

何故か外側のみと繋がった溝が掘られていた。


マーヤは、それをファードに提示しつつ解説する。


「どーん」

「これが型です」

「えっと、ここが能力を込める穴で…」

「こっちが空気を逃がす穴ね」

「別に逆でも良いけど」


柄尻の溝と切っ先の溝の意味を伝えた彼女は、

続いてファード側に問題は無いか尋ねる。


「君がどんな感じで能力を発現するのか分からないから、

適当に作っちゃったけど、これの通りに生成できるかな?」


「やってみよう」


ファードは自分でも興味があったので、

早々に型へと手を伸ばす。


その動きに反応して、彼に型を託すマーヤ。


型を閉じ、側面のロックを掛け、

下面の小さな穴に右の人差し指を入れたファードは、

「ワクワク」というマーヤの呟きと同時に、

型の内部を満たす様にイメージしながら、

能力を行使した。


少し空気が漏れる音が聞こえただけで、

これと言ったエフェクトもなく済んだ地味な作業の成果を、

マーヤに差し出すファード。


それを受けたマーヤは、生き生きしながらロックを外し、

オープンを試みるが、そこで一つの問題が発生した。


「…」

「開かないし」


どうも、結晶がぴったりと上下を接着してしまった様だ。


「えーん」


マーヤは無表情でそう言いつつ、

部下の一人に向かって近くの台に置かれた工具箱を指差す。


瞬時に反応し、工具箱をマーヤの元へとダッシュで運ぶ部下。


彼女はそれを床に置くようにジェスチャーで指示し、

ミニスカにも拘わらず、堂々としゃがみ込んで工具箱を漁る。


「むふー、しかし想定の範囲内だったのです」


そう呟きながら、ネジの締緩ていかんによって力を加える工具、

[セパレーター]をチョイスし、

ロック間に開いた穴に作用部分を入れた後、

部下達が違う意味で注目する中、

セパレーターのクランクを回すマーヤ。


徐々にきつくなり、口元にも力を入れながら回し続けると、

やがて、バリバリという大きな音を立てて型が開かれた。


目前に広がった光景を観たマーヤが、

「きゃー、なにこれー」と、はしゃぐ。


そこには、くっきりと型通りの形状をした、

美しい[結晶の剣]が横たわっていたのだ。


型を持ち上げて、周囲にそれを公開すると、

覗き込んだ一同から感心の声が上がる。


マーヤは次に、型からそれを外そうと試みるが、

下部にはまだ引っ付いている部分があって抵抗されたため、

工具箱から小さなレンチを拾い上げ、

梃子の原理で軽く剥がす。


「うひゃあ!かっるーい!」


彼女は輝く笑顔でその剣を小さく振り回す。


「みてみて、ほら、凄いよ」


そう言ってマルケスに剣を渡すと、

彼も非常に興味深くそれを見定める。


「ふむ、見事な物だ」


「めっちゃ大量生産したいんだけど」


ギラ付いた眼を向けられたファードは、

その圧力に少し仰け反る。


「気持ちは分かるが、まず手順を踏まないと」


彼女に剣を返却しながら、彼女の熱を冷却するマルケス。


「そうね」

「とりあえず、これ、頭と尻尾の余計なとこ取っちゃって」


マーヤは最初に型を持ってきた部下に剣を渡すが、

直後、何かを閃いた様な素振りを見せ、

作業に取り掛かろうと移動する部下の背中に、

「あ、待った」と、声を飛ばす。


反応して振り返った部下に歩み寄り、

彼の持つ剣で、自分の右手の人差し指の先端を傷付けるマーヤ。


少し焦る部下を尻目に、その指をルダに差し出して言う。


「治して」


あまりの自分勝手な言動に呆気を覚えつつ、

無言で彼女の手に左手を添え、

右手の人差し指を傷口に当てるルダ。


彼女は眼鏡のフレームを摘んで額まで持ち上げ、

光り出した傷口をじっくりと至近距離で見詰める。


「やだ、気持ちいい」


治療が済んでルダの手が離れると、

マーヤは表面に残った血をためらい無く研究服で拭き取り、

物の数秒で回復した指を再びじっくり観察する。


「すげー」


どんどんテンションの高まる彼女は、

不意にマルケスに迫る。


「ね、ね」

「この子らのアメンカージット、採取していい?」


「何度も言うが、表明がまだなんだ」

「今はまだ、彼等にその義務はない」

「それに、これからライブラリーへ行くし」と、釣れないマルケス。


「えー、そっかあ」

「じゃあせめて…」

「残った型に流し込んでもらっていい?」


興奮気味のマーヤは、マルケスを通さず、直接ファードに交渉する。


一瞬マルケスを見遣った後、

「あ、ああ…、構わないが…」と、たじろぐファード。


「やっほい!」

「ほら、持ってきて、持ってきて」


部下達を急かす彼女を見て、

マルケスは溜め息を吐いた。


「(やれやれ…)」

「(100年来の付き合いだが、

未だこいつのペースには付いて行けん)」

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