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1:未来からのきっかけ

キャラクター紹介


リエール・シークレン 21歳 男 身長171cm 体重58kg

自由奔放。

体型は痩せ寄りだが、なかなかソフトな筋肉質。

気が向いた時に日雇いの仕事をこなすだけの淡々とした日々を送っている。

突如、町を訪れた[謎の美女]を観に行くために向かった宿屋で、

運命の歯車が大きく動き出す。


フィリップ・マルルーニ 21歳 男 171cm 60kg

リエールの幼馴染で親友。

体型も身長もリエールとほぼ同等。

思慮深く、リエールの勢い任せな行動を制御したり、

ツッコミを担当する。


キャラクター紹介は進行に合わせて順次追加していきます。

既出キャラクターの詳細も追加します。

世界の中心を座標系基準で見た時、

そこより北東に[ミラディア]と言う名の国がある。


その小さな島国は、外の国との通商により発展していたのだが、

今節は常得意とする相手国[リダム]の度重なる時化の煽りで、

首都である[トーテス]の商業もすっかり寂れていた。


だが、それと隣接しながらも長閑に腰を据える町[ナティッド]は、

そんな首都の有様には無関心と思える程のゆとりに満ち、

過ぎ行く日々が平凡であると錯覚する民衆が、

身近で起きた[時の異変]に気付く筈もなかった。




その日の夜、ナティッドは夕刻より続く嵐に見舞われていた。


豪雨を受けて静穏を狂わされた池のほとりに、

町の住人からは[自由奔放]で広く知られる青年の家があり、

この騒々しい気象の中、仕事から帰宅したその青年が戸口を潜る。


「あ~ぁ、明日は風邪かなこりゃ…」


彼はそう呟いた後、濡れた薄手のジャケットを玄関横のコートラックに掛け、

着用しているTシャツの裾を掴んで脱衣姿勢を取りつつ、

「ねえ、紅茶お願い、砂糖一つで」 と、

リビングにいる唯一の家族にオーダーする。


「おかえり、大変だったねえ」


髪の縒れた母からの(ねぎら)いを、上半身露出状態で受ける彼の輪郭は、

身の丈171センチ、体重はやや痩せ寄りの58キロながら筋肉質、

性格は穏やかで明るく、自身最大の売りは[人懐こさ]と豪語する程、

これと言って特筆すべきユニークを持たない青年ではあるが、

ルックスだけは近所限定でそこそこ上等な評価を受けており、

それに増長してか、お洒落には多少気を使うタイプだった。


そんな息子からの要求に答えるべく立ち上がった母が、

リビングと隔たりのないキッチンに足を運び、

紅茶を淹れる準備に差し掛かる。


一方、未だ玄関に半裸のまま滞在中の発注者は、

脱衣によって[ずれ]の生じたバンダナを頭から外し、

チョコレートカラーでミディアムショートの髪を右手で掻き上げた後、

コートラックに掛けたジャケットを手に取り、

何故か再び玄関のドアを開く。


次に、雨の降りしきる屋外に一歩だけ踏み出すと、

脱ぎたてのトップス二着とバンダナを握り締めた両手を前方に突き出し、

それらを強く捻って脱水する。


そういった手順を踏んだ衣類は、普通なら洗濯籠にでも落とし込むものだが、

無精な彼はシワくちゃで湿ったままのシャツとジャケットを再度身に纏い、

バンダナを肩に掛けながら[猛然たる雨音]の侵入口を閉め、リビングへ向かう。


そして、泥付き靴の腰革を包む程に裾のたるんだトラウザーの右ポケットを探り、

雑に掴んだ[本日の稼ぎ]をテーブルの上に優しく放り投げた後、

目に付いた新聞紙を無造作に掴み、どっかりと椅子に腰掛けて脚を組む。


「ほらっ!ちゃんと体を拭いて着替えておいで!」


母はそう言って彼の前に紅茶の入ったカップを置き、

テーブル上に散らばったお金を回収しながら、息子の一つ上座に腰を下ろす。


「うん」と、広げた新聞に見入ったまま返す青年。


やがて、手探りで紅茶入りのカップを掴んだ彼が、

それを口へと運ぶ動作にかかった時、

「フィリップ君がついさっき来たよ」と、

母から簡潔なレポートが飛ぶ。


青年はカップを持った手を止め、

相変わらず新聞に意識の大部分を注ぎながら、母に問う。


「何処から入ってきた?」


「何言ってるの?そこからよ」と、玄関を指す母。


「ほう、公正侵入法を取ったか」


「あんた、あの子となんか約束してたの?」


「別に」


「びしょ濡れになって来てくれたんだから、後で謝っとくのよ」


青年は沈黙を返す。


「わかった!?」


雨音をける程の声量により、

天井から下がるランタンの灯火が一瞬だけはためく。


「歩いて20秒くらいの距離じゃん」


あくまでマイペースな青年。


「それに俺、あいつに来てくれなんて頼んでないもん」


彼はそう言って席を立ち、

いつもより大きめに鼻唄を吹奏しながら階段に向かう。


「ちょっと!お風呂は!?」


「表でイヤッて程水浴びしてきたから、パス」


「風邪ひくよ!」と、背中に母の言葉を受けるが、

青年は応答せずにバンダナを肩から外し、

それをジャケットの左ポケットに押し込みながら階段を上る。


そして部屋に入った彼は、自分の鼻唄に合わせてターンを決め、

靴を脱いでベッドへ飛び乗った。




翌朝、窓から差し込む朝日を浴びて気持ち良く目覚めた青年だったが、

昨夜の雨が町中に与えた影響を考えた末、

仕事に出かける意気が薄くなっていた。


[仕事]と聞こえ良く言っているが、彼は定職に就いている訳ではなく、

[お駄賃]レベルな収入の日雇い雑用をこなす日々を送っており、

毎朝町の中を気ままにブラブラするだけで、

依頼希望者が次々と声を掛けてくるのだ。


大方は、店番、倉庫の整理、厨房の掃除、

品物配達、家畜の世話、草むしり等のパターンだが、

きつい労働系の仕事を任されそうな場所には、

なるべく近寄らないよう心掛けていた。


しかし、本日の内容はおおよその見当が付く。


恐らく、何処へ行っても昨夜の罹災の後処理だろう。


殆ど軽めのボランティアとしてやっているので、

ずぼらになりがちな彼は、

結局、再度毛布に潜って二次睡眠を志す。


だがその直後、部屋の中に湿った風が吹き込み、

彼の上に何かが勢いよく覆い被さった。


「おい!リエール!起きろ!」


梯子はしごを使って二階の窓から侵入してきた隣人のフィリップだった。


子供の頃からすっかりお馴染みとなっているこの悪戯に、

「それいい加減止めろって…」と、

苦しそうな声でクレームを出すリエール。


「昨日、こっちで晩飯食おうと思って、

あの雨の中を酒まで用意して来てやったのに」

「お前が帰ってなかったから居座る口実がなくて、

せっかくのスモークサーモンを食い逃がしただろが!」


自分とは正反対のテンションでペラペラとしゃべるフィリップに、

リエールはある要求を出す。


「…、とりあえず降りてくれ…」


フィリップは素直にベッドから降りると、嬉しそうに話し始めた。


「ところでリエール、

おまえ、こないだ『出会いがないな~』とかボヤいてたよな?」


「ん?ああ…、こんな田舎じゃな…」


「そいつはどうかな、ちょっと着替えてついて来いよ」


ニヤついたままそう進言し、窓からそそくさと出て行くフィリップ。


リエールは毛布を捲ってベッドから降りると、

着替える事なく靴を履き、窓から彼を追う。


下で待っていたフィリップは、

自分の忠告を無視して梯子をノロノロと降りてくる男に、

「おい、せめて寝グセくらい直して来いよ」と、口添えするが、

リエールの方はその指摘を想定した上での行動だった。


彼が玄関ではなく窓から出てきたのは、

母にそれを言われないためでもあったからだ。


それ以前に面倒臭かったからだが…。


「そんなにだらしない格好して行くと、後悔するかもな」


スポーティショートな黒髪、

ベージュの半袖ワイシャツ、その下には藤色のTシャツ、

黒茶の革ベルトに灰茶のカーゴパンツ、

白と黒のスニーカーというカジュアルなナリをした友人に、

追加で指摘を受けつつ大地に降り立ったリエールは、

先導する様に歩き出した彼の背中を追う。


そして、就寝前から着用中のジャケットのポケットに手を入れ、

肩を上げて縮こまりながら自宅の玄関前を通過する際、

「あ、ごめん、ちょっとトイレ…」と、アプローチに踏み出す。


「ここで待ってるかんな」と、フィリップ。


しかし、その行動に本末転倒感を持ったリエールは、

「あ、やっぱお前んちで借りるわ」と、

普段から別荘気分で使っている友人宅に走った。




陽の角度は浅く、まだ地に伸びる影も目立つ中、

未だ行き先も告げずに歩く誘導者と、無言でそれに続く追従者。


町の大通りへと続く[カムカスター橋]を二人が渡る頃、

まだ明けて間もない静かな町に、湿気を含んだ爽やかな風が吹いた。


しかし、リエールは昨夜の[水浴び]のせいで、

爽やかさも身震いに繋がる。


「う~、さみっ」


それを聞いたフィリッップが、待っていたぞとばかりに咎める。


「だから着替えてくれば良かったんだ」


言われると思っていたため、反応せずに聞き流すリエール。


「ここだ」


フィリップが勿体振って案内した場所は、カムカスター橋の目と鼻の先、

[地域一のお客様満足度]を宣伝文句とする[地域唯一]の宿屋、

[バターカップ]だった。


「なんだここかぁ、何?もう客が入ったの?去年より早いな」


事の次第を軽く説明するフィリップ。


「昨日の大雨にもかかわらず、

トーテスから女の子がやって来たとユリアに聞いてな」

「あいつの話じゃ、その娘メッチャ可愛いんだとよ、これがまた」


リエールの眠そうな顔が一気にほころんだ。


「マジで?」


「俺もちょくで見てないからわからんが、

いっちょ期待してみようじゃないか」


「そうだな」


ひっくり返った看板を尻目に、二人は両扉全開の入口を潜る。


狭いロビーの受付に立つこの宿の娘が、ズケズケと立ち入る彼等を見て、

「あら、お二人さん、ウチで仕事してくれるの?」と、

期待感の薄い質問をする。


「うん、日当はたかが知れてるけど、キーピングしてやるよ」


おべっかの欠片も添えず、豪胆なまでの上から目線でそう答えつつ、

バンダナを取り出して寝癖をカモフラージュするリエール。


「偉そうに…、どうせ[あの]が目的でしょ?」


「まあね、で、どの部屋?」と、横からフィリップ。


傍若無人な彼等を観て、軽くため息を吐いた受付嬢だったが、

現時点の彼等にはない[ある前提]を元に、普段は守秘する部屋割りを明かす。


「…二号室だけど、邪魔しないようにね」


彼等はその言葉の意味を深く考えずにノーチェックで奥へと進むが、

部屋の前に到達した際、中から複数の話し声が聞こえた。


「あれ?他に誰かいるのかな…」


先頭のリエールが足を止めてそう呟く。


その時、二号室のドアが半分程開き、

中からこの宿の長男が静かに現れたが、

彼は廊下に立つ[冷やかし客]二名を見て小さく驚いた後、

「おっと…、お前らか…」と、呟きつつ微弱なタッチでドアを閉め、

俯き気味の姿勢で早々と玄関の方へ行ってしまった。


二人はそれを軽く視線で追った後、

僅かな隙間の残るドアを[ノック]も[遠慮]も無く全開にして室内を覗く。


するとそこには、妙な組み合わせのグループが、

部屋の左手奥隅に設置されたベッドを囲む構図があった。


「…で、後は熱を下げないと…」


「氷はないかしら?」


何やら医療関係の人間も混じっているその団体を、

リエール達が廊下から静かに眺めていると、

中に紛れていた宿の主人が二人に気付き、声を掛けてきた。


「おう、お前達」


その声がきっかけとなり、そこにいた全員がリエール達に注目する。


「どうかした?」と、部屋に浅く立ち入るフィリップ。


その質問をスルーし、主人は続けた。


「丁度いい所に来た、ちょっと[廃鉱]へ行ってきてくれないか?」


「えっ?」「えっ?」


唐突の注文に、口を揃えて聞き返す二人。


「この娘、熱がひどくて介抱が長引きそうなんだが、

医者の先生が持ってきた分の薬が底を突いちまったらしくてよ」


半端な紹介を受けた女医が、

屈み込んだ体勢から立ち上がって解説に入る。


「昨日から往診に来てるんだけど、

持ってきた解熱剤を昨日だけで全部使っちゃったの」

「思ったより症状が重い子がいてね、油断してたわ」

「夕方に一度トーテスに戻って補充するつもりだったんだけど、

あの嵐で戻りそびれちゃって、昨夜はここに泊まったの…」


そこで宿の主人が説明を引き継ぐ。


「なもんでトーテスの病院まで戻るより、

廃鉱から取ってきた方が手っ取り早いだろ?」


この町にはリエール達の曾伯父ひいおじの代に掘られた古い坑道があり、

当時は主に軟マンガン鉱を採取していた。


しかし、大した儲けにならなかった上に、

南の町[テキア]で石炭が発見されため、

その需要も相俟あいまってテキアの炭鉱に人が流れ、

この町の鉱山は十年足らずで廃鉱と化してしまった。


だが、その内部の[年中適度な気温]という利点を活かし、

今は一部を改装して薬物や酒等の保管庫としているのだ。


「なに?具合が良くないの?」


リエールが部屋の中程まで進入しつつ発問する。


「ああ、多分昨日の嵐にやられたんだろうな」


そう答えた宿の主人がベッドの傍から立ち退いたため、

空かさずベッドに歩み寄って、横たわる女性を覗き込むリエール。


しかし、そんな図々しい行動に対する彼女側からの反応はなかった。


というのも、彼女は病状により意識がはっきりとしていない様で、

軽く眉間に力を込めながらまぶたを閉じていたのだ。


だが、そんな有痛性を含んだ表情でさえ、

その容貌は目を見張る程の秀麗さを放っていた。


白く美しい肌にラインの整ったバランスの良い眉、

可愛らしい小鼻に桜色の瑞々しい唇、

引き締まった輪郭を縁取るミディアムショートの艶やかな栗毛。


上品ながらあどけなさを含むその顔立ちを見て、

彼女を[噂通りの美女]であると分類した新参野次馬は、

フィリップの方を見てニタッと笑う。


釣られて少し離れた所から彼女の美顔を確認し、

リエールに笑みを返すフィリップ。


ところが、それを受けたリエールは急に顔をしかめ、

軟派精神を含まぬ鋭利な眼差しを[ベッド上の美女]に注ぎ出す。


彼女を病人として見ると、その汗だくの顔と激しい呼吸に加え、

周囲に群がる人々の事さえも認知する余裕のない苦悶が、

なんとも痛々しく思えたからだ。


リエールがそんな心情に至ったタイミングを見計らってか、

「おい、行ってくれるか?」と、

先程の依頼を再浮上させる宿の主人。


テンションが上がった状態のリエールは、

宿の主人に険しい顔を素早く向けて、

「OK、わかった!」と、相棒の許可なく[勢い契約]する。


「行こうぜ!フィリップ!」


駆け出しながらそう言い放ったリエールが、そのまま廊下に踏み込んだ矢先、

「ちょっと待って」と、何故かクールに歯止めを掛けたフィリップは、

反射的にピタっと立ち止まったリエールに背を向けたまま、

どうも頭に引っ掛かる懐疑を、誰にともなく尋ねた。


「もちろん行くのは構わないけど、何で今まで誰も取りに行かなかったの?」


『そう言えば!』と、言いたげなリアクションの後、

意気を少し落としつつ部屋へと向き直るリエール。


「私は医者ですから、彼女を診てなきゃ」と、女医。


「俺は午前中の汽車に乗る用事があるから、

これから支度しないと」と、宿の主人。


「もっと早く知っていたら僕が取りに行ったけど、

もう仕事の時間だし…、君等が行ってくれると助かるが」と、

何故かこの場にいる石材店の息子。


最後に、後ろ髪を束ねた見知らぬ長躯の男が、

「俺は客だ、場所がわからない」と、低い声で回答する。


それを聞いたリエールが腕組みをして呟く。


「う~ん、そうか~客か~、なら仕方ないか…、」

「っていうか他にも客いたのか、ここにしては繁盛してるな」


「余計なお世話だ」と、宿の主人。


フィリップは客と主張する男に尋ねる。


「その娘のお連れさん?」


「いや、俺は治療のサポートとしてここにいるだけで、

午後には出る予定だ」と、ポニーテールの長身男。


「なるほど」


皆の言い分を理解し、軽く息を吹いてから仕切り直すフィリップ。


「そいじゃ、ちゃっちゃと行って来ようか」


「よし!」と、スタート体勢を取ったリエールだが、

直後、忘れ物に気付く。


「あ、鍵は?」


「いや、薬の棚には鍵は掛かってない」と、宿の主人。


「おっけ」

「って、無用心だな」




リエールの家の裏側にある麦畑の脇を通り、

ぬかるんだ道に気を付けながら廃鉱へ向かう二人。


「俺も熱でるかも知れないから、

解熱剤射ってもらうかな」と、リエール。


「あぁ、そうしろ」と、いい加減な返事のフィリップ。


「でもさ、俺注射好きじゃないんだよ」


そう言いながらリエールは、

ズボンのポケットから板状のガムを取り出す。


「それが大衆の標準感覚だろうよ、おい、一枚くれ」


リエールは無言でその要求に応える。


「わるいな」


麦畑を抜けると、鮮やかな萌葱色もえぎいろの芝生が一面に広がり、

それを分断する様に伸びる一本の砂利道には、

青空を映し出す水溜まりが無数にあった。


「こんな何にも無いような田舎に、

あの嵐の中でも来なきゃならない用事ってなんだろうな」


ガムを口に含んだリエールが、不意に浮かんだ疑問を呟く。


「誰かと待ち合わせしてるらしいぞ、バターカップで」


フィリップが水溜まりを飛び越えながら発した情報に驚くリエール。


「なんで知ってんの?」


「ユリアに聞いた」


「お前の妹は、なんでそんなに詳しいんだ?」


「あの娘、ウチに寄ったらしいんだ、バターカップに行く前に」


「え?なんで?」


「俺、そん時風呂入ってたんで、良くはわかんないが、

別に彼女が突然ウチの玄関叩いて訪ねて来たって訳じゃなくて…」

「ほら、夜中に雷が鳴り出しただろ?」


「うん、丁度俺が寝ようと思った頃だな」


「あん時、ユリアが雷怖いんでカーテン閉めようとしたらしいのね」

「そしたら、変な[カッパ]を着た人影が歩いてるのが窓から見えて、

それを眺めてたら目が合っちゃったらしいのよ」

「そしたら、その人が窓に近付いて来て、何か話しかけてきたんだって」

「でも、雨の音がうるさくて何言ってんのかわかんないし、

ズブ濡れで可哀相だから、とりあえず家に入れてあげたんだと」

「そしたら、バターカップで誰かと待ち合わせしてるって話だから、

風呂入ってた俺の代わりに、親父が送ってあげたんだって」

「以上」


「ほ~」と、何度もうなずくリエールだったが、

その情報を元に改めて考えてみると、妙な点に気付いた。


「あの宿で待ち合わせか…、だけど、それって珍しいよな」

「こんな、観光スポットも無いようなローカルな土地で、

ほぼ[行きずり客]だけのマイナーな宿を待ち合わせ場所に指定するなんて、

どんな奴なのか顔を見てみたいもんだ」


「うむ」


そうこう言いながら廃鉱近辺に辿り着いた二人は、

真っ暗な空間への入口前に佇む。


「相変わらず不気味だな」と、フィリップ。


「言えてるな」


リエールはそう答えて数歩踏み出し、

後ろで立ち止まってるフィリップに顔を向け、

「入ろうぜ」と、顎で暗闇を指す。


「ああ、また天井に頭ぶつけない様に注意」






廃鉱に張り巡らされた坑木の壁や支柱には、

一定の間隔毎に大型のハリケーンランタンが掛かっていたが、

入って直ぐ右手の壁に打ち付けられた木製ボードに、

レンタル用の小型ランタンが複数個常備されており、

ほとんどの訪問者はその小型ランタンを拝借するため、

現在では壁のランタンの出番は基本的に無かった。


だが、今回の侵入者二人は小型ランタンに目もくれず、

ためらいも無く軽快な足取りでダークゾーンへと進んで行く。


そして、入口から数メートル内部に到達した所で、

左手側の支柱に掛かるハリケーンランタンを外したフィリップは、

そのホヤを開けてリエールに手渡すと、

続けてズボンの右ポケットから[紐で纏めたマッチの束]を取り出し、

そこから抜いた一本のマッチを、

セットで所持している[煉瓦の欠片]に擦り付けて着火する。


間を置かず、相方が差し出すランタンの芯に灯を宿し、

ホヤを素早く閉じてキャリングハンドルに手を掛けるフィリップ。


構造上、明度こそ小型ランタンより多少高いものの、

大型で無骨な故、携帯に難のあるアイスグリーンの器具を掲げた彼が、

「行こうぜ」と、先陣を切る。


ゆっくり歩きながら周囲に目線を配ると、

昨夜の嵐のせいで坑道は全体的に湿っており、

足元には大小様々な水溜まりもチラホラ見受けられた。


「たまに深いのがあるから怖いよな」


足元に注意しながらそう発すリエール。


「ああ、酒屋は結構入る事あるんだから、

少しくらい整備しとけって言いたいな」


「だな、全然配慮がないからなぁ、あそこんち」


二人は文句を言いながら薬物の保管場所に到着し、

まず壁に掛けられたランタンに明かりを灯す事で、

場のカンデラを増やす。


「こんなに湿っぽくなってるけど、薬とか大丈夫なんかな」


フィリップが、ふと疑問を口走る。


「瓶に入ってるから平気じゃない?」


リエールはそう返答しながら薬の保管されている棚を開け、

立ち並ぶ薬瓶の中から適当に一本手に取ると、

壁のランタンに寄ってラベルを読み始めた。


「そういや、どれが解熱剤なのか聞いてこなかったな…」


「だな…、あん時の流れですっかり忘れてたよ」


しばらくラベルに表記してある細かい文字列に刮目した後、

「ふ~む…、これだな」と、根拠無くお座なりに断定するリエール。


「どれ?」


フィリップはそう言ってリエールの手元を覗き込み、

知識を一切持たない自分を棚に上げる姿勢で物を確認する。


「え~と、アセ…チ…、アセチル…サ…、

え~?これかなぁ?」と、顔をしかめるフィリップ。


「かまわねえ、適当に持ってっちめぇ」


「そうだな、五本ぐれぇ持ってきゃ~どれか当たってるだろ」


二人は数本ずつ違ったラベルの薬を取り、

上着とズボンのポケットにそれを収納する。


「なんか、ポケットのこの重量感が心地悪いよな」


特に反応せず、用済みのランタンの灯を吹き消したフィリップは、

手を擦り合わせながら呟く。


「う~、長時間いると冷えてくるな…、

おまえ、そんなんでよく寒くないな」


その言葉に対し、湿った衣服に身を包んだリエールは、

「いや、普通に寒い」と、当然の返答。


そんな帰り道、彼等は突如として志向を惑わされる事象に出くわした。


坑道の途中、来る時は角度的に陰になっていた場所で、

左手側に伸びる[見覚えのない通路]を発見したのだ。


この廃鉱に来るのは頻繁ではないにしろ、

とりあえず内部構造くらいなら把握済みの二人は、

[記憶と異なる景観]に直面して無意識に足を止める。


しかし、その[立ち止まり]は、

彼らの予想よりずっと長い物となる。


というのも、ただ[見覚えのない]だけなら別段気にする事もないが、

何気なく明かりを向けた際、幾つかの[おかしな点]に気付いたのだ。


まず、二人が直感的に[おかしさ]を覚えた点は、

通路の差し掛かりに設けられている[積み石の障壁]にあった。


それは、明らかに進入防止策と見て取れるにも拘わらず、

その完成度は[本気の通行止め]と言える水準ではなく、

[障壁]の存在自体、二人に軽い矛盾を感じさせたのだ。


次におかしいのは、[障壁]が本来の役目を果たしているならば、

ただの通行人によって通路が発見される筈がない点であろう。


と言うのも、その[障壁]は既に半分程崩れていて、

奥へと続く通路が露呈していたのだ。


更に、崩壊部から垣間見える幅2メートル程の通路内は、

固いチャート(角岩)にも拘わらず、

他と比べて一目瞭然な程に側壁や天井が整っていて、

目測ではあるが、その表面にはまだ[新しい]と思える質感があった。


そして、極め付けにおかしな部分、

彼等の注意が最も注がれた点は[地面]であった。


壁や天井以上にならされた地面には艶さえあり、

両側面には排水用の溝まで掘られていたのだ。


「おい、なんだあれ」


周囲に響くリエールの大声に対し、

「ああ、この先に何かあるのかな」と、

不思議そうな面持ちながら落ち着いて返すフィリップ。


「というか、ここに石積みの壁なんてあったっけ?」


「記憶にはないが、まあ、あったんだろうな」


フィリップも内心には込み上げてくる物があったが、

[別の任務中]という要素を考慮した上の自主規制なのか、

ある程度ノリを抑えた対応。


だが、リエールは眉間に力を入れて続ける。


「それに不自然じゃないか?」

「こんな出来の粗い壁が昔からあったとは思えんし」


表情を変えるフィリップ。


「言われてみればおかしいな…」

「多分、昨日の嵐で水が漏って来て…、

積んであった石が崩れたんだろうな」

「ほら、天井も壁も、いくらか湿ってるしな」


その言葉の確認のため、崩れた石の一つを拾い上げたリエールは、

水滴の付着したそれを見詰めながら、新たに湧いた疑問を呟く。


「いくら昨日の嵐が強かったとはいえ、

あれ位のは過去に何度もあったと思うし、

仮にこの壁が昔から積まれてた物だとしたら、

このショボさから考えても今更崩れるのは変だな」


フィリップは少し考えを巡らせる。


「やっぱり、積まれたのがそう昔でもないのかもな、

もしくは単純に、崩れる度に誰かが来て修復してたか」


修復が前提だと、どうも腑に落ちない点が残るリエール。


「ここって、せいぜい酒屋が月一で入るくらいで、

薬も今回みたいな場合の備蓄だし、

他はこれといって使ってる奴いないよな?」


「ああ、あとは不定期にチラホラと誰かしら来る程度だな」


リエールは崩れた石積みの壁をしばらく見詰めた後、

手に持っている石を地面に放りながら呟く。


「うーん、落盤注意って事なら、板一枚で済むしなあ」

「この先はかなりのデンジャーゾーンなのかねえ」


「どっちにしても板を貼り付けときゃ済むな」

「それにこの[丁寧な仕事ぶり]…、

どっちかっつーと、むしろ安全エリアっぽくない?」


「だよな」


そもそも人の入る頻度が少ないこの場所で、

何故かかなりの手間を掛けて作られた通路の入口に、

こんなチープな壁が積まれた意味が解せず、

しばらく沈黙の中で軽く混乱する二人。


「うちらが前にここ来たのは…、二年前くらいだったか?」


「だな」


「絶対こんな壁も穴もなかったって、マジで」


再び考え込むフィリップ。


「うーむ、何しろ二年前だからなあ、うろ覚えだが…」

「もしお前の記憶が正しければ、

この先は少なくとも[過去二年以内に掘られた穴]と結論付けるしか…」

「そうだとしたら、掘った目的がイマイチわからんけど」


その言葉で疼く物を感じたリエールは、

ゆっくりとフィリップの方を向き、

「ちょっとだけ、行ってみるか?」と、持ち前の冒険心を表に出す。


とても病人を待たせてるとは思えない無責任な提案だが、

胸中はリエール同様にワクワクしているフィリップも、

条件付きで賛同する。


「ああ…、だが、軽く覗いてみてもし奥が長く続いているなら、

一旦薬を届けてから戻って来ようぜ」


「そうだな」


そう返してフィリップの持つランタンに手を伸ばしたリエールだが、

言い出しっぺの分際で未知なる領域に若干の不安を持ち、

「おまえ先行って」と、手を引っ込める。


「いいだろう」


予想に反してあっさりした答えを聞き、

自分に情けなさを感じたリエールは、

素早くフィリップの腕を掴み、彼の進行を止める。


「やっぱ俺が行くよ」


軽く噴き出したフィリップは、

「ほら」と、ランタンをリエールに差し出す。


リエールはそれを受け取って、

半端に残っているバリケードに蹴りを入れて崩した後、

未知の領域へと慎重に足を踏み出した。


だが、その出端にランタンが照らしたのは、正面数歩先にある壁だった。


「行き止まりか?」


背後から飛来したその疑問と同じ物を心に抱いたリエールだが、

場とミスマッチな程の繊細さを感じる空間を見渡しながら、

調査のために距離を一歩詰めた途端、情報が更新された。


「いや、左に曲がってる」


そこは直角に近いL字路になっていて、

曲がり角の先を恐る恐る覗きつつランタンを掲げてみると、

その灯火により不自然な光景が浮かび上がった。


明らかに鉱山夫の仕事とは思えない構造が続いていたのだ。


奇妙な事に、その床はかなり手の込んだ舗装が施され、

壁もそれまで剥き出しだった岩肌から、

突然、丁寧に加工されたブロックの様式に移行しており、

その境目のすぐ先にある突き当たりには、

黒ずんだ銀色のドアが立ち塞がっていて、

ドアの少し手前の壁に、上へと傾いたレバーが備わっていた。


意表を突かれた展開に、小さく仰け反るリエール。


「来てみろ、すげえぞ」


「え?なになに?」


興味深げなフィリップの接近を待たず、誘引者は角を曲がって行く。


「このレバーでドアが開くのかな」


取っ手の無いドアを観てそう判断したリエールがレバーを掴み、

それを切り替えようと体重を乗せるが、

根元が錆びているのか、はたまた何かが支えているのか、

その金属棒はビクともしなかった。


そんな中、後続のフィリップが角から顔を覗かせ、

一瞬その先の構造に驚いた後、

壁から突き出たレバーにぶら下がる男とその先のドアを観て、

「なに?それがドアと連動してるの?」と、関連性を問う。


「ちくしょ、かたいわぁ」


まるでセメントででも固められているかの様に、

寸分も動く気配さえ見せないレバーと格闘するリエールを抜いて、

フィリップがドアに歩み寄り、それを少しだけ押してみた。


すると、多少の抵抗を感じたが、

弱い力を加えただけで音も無くあっさり退くドア。


「なんだ、普通に開くじゃんよ」


反射的にそちらを向き、言葉通りの光景を確認した後、

「なにコレ」と、レバーにツッコミを入れるリエール。


フィリップがドアから手を放し、

鼻で笑いながらそちらに顔を向けていると、

突如、容積の広い軽めの衝撃が彼の左肩を襲った。


ガン!


「いてっ」


実際は全然痛くなかったが、驚いた弾みで誇大主張し、

反射的に前方へと向き直るフィリップ。


すると、先程押し開けたドアが自動的に閉まってきていた。


「びっくりしたー、勝手に閉まるんかい!」


フィリップはその仕組みを考慮し、

今度は少し開けたドアを片手で押さえながら、

「それ貸して」と、リエールにランタンの譲渡を催促する。


無言で素早くそれに応じるリエール。


そして、ランタンを携えたフィリップが一気にドアを全開にした途端、

不思議な出来事が起きた。


辺りがランタンの明かり以上に明るくなったのだ。


「…」


二人はそれに無言で戸惑い、立ち竦んだままその部屋を見渡した。


見るからに上等な石材によるあつらえの、

白くて艶のある床や壁や天井に囲まれたその部屋は、

材質と色の相乗効果によって光の反射率がかなり高く、

明度が増した理由はそこにあるとすぐに判ったが、

それを悟る過程で他に見受けた要素が二人の興味を更に惹き付けた。


空間を囲う石材の表面はただ白いだけに在らず、

美しい模様が描かれていたのだ。


左右の壁には雲の流れを感じさせる柄が銀の塗料で描かれており、

高く開放的な天井へと続く一対のそれは、

中心で渦を形成しながら合流し、

一本のラインとなって正面の壁に落ち込んでいた。


そしてラインが辿り着く地点に、

目算で縦30センチ、横20センチ程の幅の[四角い窪み]があり、

その周囲にも文字らしき物が小さく何行かに渡って記されていた。


だが、何と言ってもそれら以上に彼らの心を躍らせたのは、

正面の壁際の少し手前で輝きを放つ、

神々しい装飾の成された[箱]であろう。


フィリップの肩越しに中を覗いていたリエールは、

その高揚感による後押しもあって、早々に下調べから離脱し、

友人の掲げるランタンの下を潜る様にして部屋に立ち入ると、

足早に[箱]に近付いて屈み込み、

自分の影に隠れるそれに目を近付けて観察する。


それは洒落たデザインの文様が彫り込まれた[白い金属製の箱]で、

壁に観られる文字と同じ言語と思しき韻文いんぶんが、

蓋の縁を周回する様に刻まれていた。


鍵穴は見当らず、中央には光を表現したであろう十二角形のレリーフ、

両サイドには翼を模った様なオーナメントが施されいて、

サイズこそ然程大きくなかったものの、

中身への期待を高めるには十分な趣向だった。


「ファンタスティックな展開」


迂闊うかつに触んなよ~、モロに怪しいぞ[ソレ]」


背後からゆっくり歩み寄るフィリップの警告がまだ終わらない内に、

無造作に箱に手を掛けるリエール。


「おい!ちょっと待て!」


それを観て焦ったフィリップが発したその言葉と同時に箱は開かれた。


カッ!


奇妙にも箱の中から強い光が放たれ、目を細める二人。


「…」


互いに息を飲んだ気配を感じ取る。


「ふぅ~…焦ったぜ」

「まったく、お前には警戒心がないのか!」


リエールはフィリップの説教には反応せず、

箱の前に屈んだまま真剣な声で言った。


「それより、[これ]が今の光を?」


フィリップは箱の中身を見て眉を釣り上げた。


「こ…、[これ]って…」


それは、箱の中底に横たわる一冊の厚い[本]だった。


濃厚で暗い赤の表紙に記されている謎の文字と、

中央に嵌め込まれた白色に透き通る宝石よって、

鳥肌が立つ程に神秘的な見目形に飾られたその本を、

恐る恐る手に取るリエール。


「あ、軽い…」


そう呟きながら手に取った本を顔に近付け、

まじまじと見詰めながら何気なくそれを裏返すと、

反対側にも白く透き通った宝石が嵌め込まれていた。


高価そうな宝石を惜し気もなく二つ嵌め込むという贅沢ぶりに、

驚嘆の念を持つのは当然の事だが、

リエールは同時に強い違和感も覚えた。


と言うのも、その宝石はなかなかのサイズな上に肉厚で、

見た目の質感から単純計算しても、

重厚な書籍部と併せて[この軽さ]は不釣り合い過ぎる印象だったのだ。


更に、次のステップでも奇天烈な事実に直面する。


神秘的なその本の表紙に付いたボタンを外し、

元来の使用目的である[内容閲覧]を試みた訳だが、

不思議な事に、強く力を込めても開かないのだ。


「あれ~?なんだこれ…、おかしいな…」


「どれ、ちょっと貸してみろ」


まるで固く閉まった瓶の蓋を開けられない妹に対応するかの如く、

フィリップが前方で悪戦苦闘中の男に右手を差し伸べる。


リエールは本を放る様にしてフィリップの手に落としたが、

それを受けた彼は不可解な動きを見せた。


「うわ!」


本を持った手が強く地面に吸い寄せられたかの様に、

ガクッと上体を屈めたのだ。


その意味不明な動きに首を傾げるリエール。


「どうしたんだ?」


フィリップはランタンを床に下ろし、

「どこが軽いんだ!重いじゃねーか!」と苦情を出しつつ、

空いた左手を本に添えて上体を起こす。


リエールはフィリップがふざけているのかと思ったが、

演技にしてはリアルなその動作を不信に思い、

「落としてみ」と、本の下に右手を差し出す。


フィリップが手を放すと、

パスッ!と軽い音を立ててリエールの右手に収まる本。


「…、お前、パントマイムうまいな」


その本に対する感覚に誤差を感じているフィリップが、

「え?マジで?…もっかい貸してみ」と、再レンタルを申請。


リエールが、今度は本を落とす事なく手渡した途端、

更に不可解な出来事が起きた。


「うわっ!」


今度はリエールも一緒に、腕が引かれる程の重量感を覚えたのだ。


そして反射的にフィリップが手を離すと再び軽量化する。


二人はこの特異質の物体に驚いて顔を見合わせ、

しばらくそのまま固まっていたが、やがて揃ってニヤつき顔へと変貌する。


「おもしれぇ!」


リエールが大声で叫んだ。


釣られて興奮度の増したフィリップが、簡単にモノを分析する。


「仕組みはわからんが、持つ奴によって重くも軽くもなるみたいだな」

「更に、重いと感じる奴と、軽いと感じる奴が同時に持っても、

優先されるのは重さなんだな」


二人はこの不思議な本を眺めながら、

お互いに[同じテーマ]について考えていた。


それは、これを持ち帰るための[正当な理由]だ。


[ここに箱と中身を隠した者]が、

何故に[ここに箱と中身を隠した]のか。


それは、人の手に渡らぬ様願うためなのか、

もしくは発見者に委ねるためなのか。


どちらにせよ、[これ]をここから興味本意で持ち出す事が、

[これ]にかかずらう見知らぬ連中の間に、

なんらかの[好ましくない事態]を招くかも知れない。


今一歩、[持ち出す]という選択に踏み込めない理由はそれだった。


持ち出したい…、だが、何か引っ掛かる…。


しばしの静寂の間、二人は胸中でそんなモノローグをくり返していた。


やがて、互いに思っていながら触れずにいた疑問を、

あたかも今気付いたかの様にリエールが口に出す。


「だけど、誰が何のために…」


フィリップが入口の方を振り返りながら見解を述べる。


「なんにせよ、一時的に保管しておくって雰囲気じゃないな」


リエールはその言葉に後押しされ、

ある程度のインターバルを空けて婉曲えんきょくに言う。


「おまえも考えただろうが…」

「ここに[これ]がある事を知ったからには、

[これ]の素性にも興味が湧くよな」


それを聞いたフィリップも、[持ち出し]方向を支持した意見を飛ばす。


「持って帰って、アンティークに詳しいロートレックに鑑定してもらうか」


いよいよ[持って帰る]という選択肢が表面化した。


相方の意思を確認した事で勢い付いたリエールは、

本をわきに挟んで箱の方を振り向き、

「となると、この洒落た箱を置き去りにはできまい」と、

開いている箱の蓋をコトッと閉める。


「んだんだ」と、ランタンを拾い上げて箱との距離を詰めるフィリップ。


だが、ランタンで片手が塞がっているフィリップは、

どう手伝おうかで戸惑い、

まずはリエールの出方を観てから後手で援助する事にした。


見た目には重量感のある箱だが、

サイズから考えて一人で持った方が持ちやすいと判断したリエールは、

フィリップの助力を要求せずに箱の角を掴んで持ち上げを試みる。


すると、まるで紙製の空箱かと思う程に、加えた力が無駄に逃げて行く。


「お!?軽い!」


イメージしていたよりもずっと少ない目方に驚いたその声に、

不自然な雑音が紛れた。


ガシャン!


次の瞬間、二人は[万有引力の法則]を痛感する。


ドサッ!


不意に闇と静寂に包まれた二人は、

強張った表情で横たわりつつ固まっていた。


確認すべき事が幾つもあるが、闇がそれを困難にさせる。


とりあえずお互いの気配はするし、

床が[開いて]落とされた事もわかるが、

周囲がどんな状況なのか見当が付く筈もなかった。


しばしの沈黙の後、寝ていても仕方がないと思ったのか、

この制限下でも許容されている行動の一つ、

[発言]によって事態を報ずるフィリップ。


「多分、盗人除けのトラップだろうが…、見事に引っ掛かっちまったな」


二人の無警戒さが災いした出来事だが、

[罠にはめられた][地面に叩き付けられた]という被災意識や、

[暗闇によるストレス]は、性格上さほど感じていなかった。


しかし、この事実を認めた時、これも性格上、

「くくく…」「ふふふ…」「あ~ははははは!」と、

反応は[笑い]となって現れた。


リエールが状況とミスマッチなテンションで言う。


「くくく…、ふぅ~、マジで焦ったから、とりあえず」


「ああ、俺も焦ったわ」と、笑いながらフィリップ。


「って言うか…」

「マジで焦ったから、とりあえず」


「だな、いきなりだもんなー」


「この際だからはっきり言うけど…」

「マジで焦ったから、とりあえず」


「分かったよ、もう」

「三回も言うな」


空かさず声のする方向にツッコミを入れたフィリップは、

続けてズボンのポケットを詮索しながら当面の目標を明確にする。


「とにかくこの暗がりを何とかしないとな」


ポケットに手を入れたまま、

指の動きだけで束からマッチを一本抜き取ると、

感触で丸みのある方を判別し、煉瓦の欠片で摩擦を加える。


だが、その灯が浮かばせた光景は、

第一に衝撃的な印象を受ける物だった。


まず、一番身近な衝撃的要素はランタンにあった。


所持者のフィリップがクッションになったおかげで割れずには済んだが、

開いたホヤからアルコールが漏れて、彼の上着に染み込んでいたのだ。


「…、道理で冷たいと思ったよ」


しかし、それは服を絞ってリサイクルすれば解決するが、

周囲の地形に見られる衝撃的要素は、楽観視できない問題だった。


落ちた穴は下に向かうにつれて幅が広がっており、

壁も平坦なため、とてもよじ登れそうになかったのだ。


最も、例えよじ登れようと、穴が塞がっているが…。


だが、第二に彼等の意識を支配した印象は、またもや[奇妙]だった。


こんな地理的条件にも拘わらず、[脱出できる見込み]が有るからだ。


その根拠は、二人のすぐ横に立つ[扉]から齎されていた。


[箱]に観た文様と同じ物が入ったその扉は、

白い金属の板に取っ手が付いただけのシンプルな造りで、

周囲の灰色の壁とは不釣り合いだったが、

その扉の嵌まっている枠だけは艶やかな褐色の石材で縁取られており、

併せて見るとなかなか手が込んでいるものの、

同時に、テーマを定めず急拵えした様な印象もあった。


二人は口を開けたまま、しばらくその扉を茫然と見詰める。


「あちっ!」


マッチの火はフィリップの指まで到達し、

反射的に落とされた勢いで消えた。


再び闇が立ち込める中、リエールが早口で言う。


「燃料の染み込んだお前の上着を燃やす…、ってのはどうだ?」


「なるほど!そりゃいいや!この生地なら良く燃え…、って馬鹿言うな!」


この状況下でもまだ余裕がある所を見せながら、

ポケットの中の薬瓶を取り出して床に置き、

上着を二枚とも脱ぐフィリップ。


そして再びマッチに火を付け、それをリエールに託した彼は、

マッチの束と煉瓦もリエールの側に置き、

「消えたらまた付けて」と、声を添える。


「おっけー」と、それらのアイテムを自分に引き寄せるリエール。


フィリップは次に、フィラーキャップを外したランタンを一旦床に置き、

座ったまま両足の靴底で燃料タンク部分を挟んで少し斜めに固定した後、

比較的アルコール含有量がんゆうりょうが多いTシャツを両手で握ると、

[燃料注ぎ口]目がけて絞り出す。


その口径の狭さ故に慎重さが要求される作業を横で見ていたリエールは、

手中のマッチでは間が持たない事を早々に悟り、

まだ一本目の燃え代が充分ある内に追加のマッチを用意すると、

煉瓦ではなく現役のマッチから火を移す。


「あれ?この箱、あんなに激しく落としたのに蓋が開いてないな」


相方のその言葉に釣られ、

作業しながら箱をチラッと見るフィリップだったが、

特に応対はせず、やがて絞りきった上着を広げてシワを伸ばし始めた。


「アルコールくさっ!」


フィリップの嘆きを余所に、

機能を回復したランタンにキャップを戻したリエールは、

「てっきり灯油だと思ってたけど、アルコールなのな」と、呟きつつ、

スムーズに光明を宿す。


白い扉が眩しい位に光を反射して、周囲の明度が一気に上昇する。


「ほらこれ」と、リエールがマッチと煉瓦をフィリップに返却する。


「あいよ」


受け取ったそれらをズボンの右ポケットに収めて立ち上がり、

湿っぽい二着のトップスを急いで装着した後、

続け様に周囲の薬瓶も回収するフィリップ。


「だけど、落ちた時にランタンの火が消えて、逆に良かったな」


「なんで?」


目を見開いて聞き返すフィリップに、リエールが解説する。


「だって漏れた燃料に引火したらシャレにならないじゃん」


「あー!そうだな、あぶねぇ…、消えなかったら大惨事だったかもな」

「結構広範囲に零れてたし、おーこわ」


所々メッキの剥がれたランタンを、しばし無言で見詰める二人。


会話に一段落付いたため、いつかは触れるであろう議題が、

リエールから持ち上がった。


「ところでさ…、開けるしかないよな?」


「そうだよな…」


そう答えながら床のランタンを拾い上げたフィリップは、

「開けるしかないよな」と、思い切り良く扉の取っ手を掴んだ。


ところが、その扉は押しても引いてもピクリとも動かない。


「あれ?見た目には鍵が掛かってる気配はないけどな…」

「というか鍵付いてないし」


「どれ」


簡単な確認のノリでリエールが取っ手を引くと、

造作もなく軽い音を立てて扉は開いた。


フィリップはそれを見て少し考えた後、大きくうなずいた。


「あ~…そういう事か…、この[本]と似た様に、開ける奴を選ぶんだな」


しかし、リエールの反応は無かった。


彼の横顔は、扉を開いた先にある[何か]に強く気を取られている様だった。


妙に思ったフィリップが、扉の向こうを覗き込みながら尋ねる。


「どうした?」


そこでフィリップが目にしたのは、実に奇怪な現象だった。


扉によって画されていたラインを隔てて、

ランタンの明かりが断ち切れていたのだ。


更に不思議なのは、それが闇によってではなく、

真っ白な[霧の壁]で遮られていた事だ。


それはまるで[白い闇]が立ち塞がってるかの様で、

正に[奇妙]そのものだった。


「…」


二人は例によって茫然としていた。


それを調べるつもりなのか、好奇心からなのか、

リエールがゆっくりと手を伸ばす。


そして指先が[白い闇]に触れた瞬間、

リエールの姿が、フッとそれに[吸い込まれた]。


フィリップは既に茫然としていたが、更に茫然とした。


しかし、それは長くは続かなかった。


非常にゆっくりとだが、扉が閉じ始めたのだ。


あまりに突然、

[ここに残る]か[白い闇に入る]かの選択を迫られるフィリップ。


先程は相方が[消えた]様に見えたが、

それまでの人生で培ったデータ上、

現実的にそんな事あり得ないという答えに縋るしかない彼は、

多分、リエールが自分で濃霧の内部へと突入した物を、

異常な状況下のために見間違えたのだと自分に言い聞かせ、

「おい、大丈夫なのか?」と、白い闇に向かって問い掛ける。


空しい静寂が流れる中、決断のタイムリミットに焦りながらも、

できるだけ考えを張り巡らせる残留者。


勿論、恐怖はあるが、[入る]を選ばなければ閉じ込められてしまう。


しかし、入った先に安全の保証もない。


そもそも、リエールが無事なのかさえ怪しい。


だが、もし無事でないなら救助に向かわなければという使命感。


同時に、この穴が罠であり、この霧がペナルティであるなら、

何故ドアで隔てる必要があるのかという矛盾。


そして、そこから浮上する白い闇への新しい見解。


場に置かれた人間に対して膨大な思考を促しながらも、

非情な様相でどんどん狭まって行く脱出経路。


フィリップは気持ちの整理ができず、

あたふたと周囲を見回していたが、

やがて不意に[箱]が目に付いた。


その時、ひとまず箱で扉が閉じるのを押さえようと閃いた彼は、

急いで箱を掴んで力を込めるが、

まるで地面に溶接されてるかの様に全く持ち上がらない。


そうこうしてる内、扉の閉まり具合は半分以下まで達していた。


フィリップは覚悟を決める間もなく、[白い闇]に入らざるを得なかった。



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