17:裏をかく玄妙思想
キャラクター紹介
《ファード・アネスト》 23歳 178センチ 69キロ 男
ノウアブルセンス[ウェアリングソリッド]詳細後述。(今回は使用せず)
ミュアの兄。
黒髪で無造作なムービングショート。
物静かというより無愛想だが、社交的ではある。
ただ、あまり言葉には気を付けない。
いつも冷静で状況分析能力や適応能力が高く、
逆境に強いタイプだが、何気に美女に弱い部分も。
《レッシュ・ウィニア》 23歳 166センチ 女
ノウアブルセンス[ストリングスレイ]詳細後述。(今回は使用せず)
ヴィタリバーウォール支部に勤務する、超絶美女幻導士。
大人っぽい振る舞いだが、中身はオープンで取っ付き易い性格をしており、
その美貌と色気は男女問わず視線を釘付けにする程。
本人は特に意識してはいないが、
軽装を好むため、結果的に若干エロチックなコーディネートが多い。
《ルダ・ファグザ》 20歳 169センチ 58キロ 男
ノウアブルセンス[レストレスリポーズ]詳細は本編にて。
《クウェナ・ミース》 ???歳
ノウアブルセンス[ヴォイドプロジェクション]詳細後述
(今回は使用せず)
本編の都合により、
ルダとクウェナのプロフィールは今回未記入にしてあります。
尚、本作は小説投稿サイト[暁]との重複投稿をしています。
投稿した順番はこちら側の方が先です。
暁版
http://www.akatsuki-novels.com/stories/index/novel_id~2857
かつて、恵み多き川を囲む様に少数の人間が寄り集まり、
綿花の栽培によって細々と切り盛りしていた小さな町[テセメタ]は、
急過ぎる速度で物騒化した世の中に対応する時間を運良く与えられ、
他の地域からの避難民を大勢受け入れた事で規模を拡大し、
今では[ヴィタリバーウォール]と呼ばれる都市へと成長した。
その周囲を取り巻く巨大で頑強な街壁は、
こんな時世でなければ[特徴]と呼べるだろう。
しかし、今はそれがどの街でも当たり前になっており、
[物珍しい]とは分類しないのが大衆のコモンセンスだが、
初見のファードからしてみれば、
門を潜る際の近距離から見上げたその風貌は、
正に圧巻そのものだった。
「でかいな…」
人の横行が多い街に入って間も無く、
「あれが、この地区の幻導士達の支部よ」と、
周囲の家々より少し大きめの住宅について解説するレッシュ。
「普通の家の様だが…」
「そう思わせる事が狙いなの」
支局のドアの前に到着すると、ファードの方を一瞬向いて、
「みんなに紹介するから」と、ドアをノックする。
「居れば…、ですけどね」
しばらくすると、ドアが小さく屋内側に開き、
不愉快そうな表情をした20代後半位の男が隙間から顔を出した。
だが、外に立つ人物を観た直後、表情が普通に変わる。
「なんだレッシュか…、自分で開けりゃいいだろ」
レッシュは、自らが抱えている[赤黒く染色された服と靴]を軽く挙げ、
「血が付着してるの」と、簡潔に説明。
男はそれに目を向けた後、
レッシュの後ろにいる無愛想で奇抜なファッションの男を見遣る。
「ああ…、さっき服を持って出てったのは、そうゆう事か…」
「そうよ」
「こちらファードさん」
「よろしく」と、軽くお辞儀をするファード。
男はドアを全開にして、
「アスティンだ、よろしくな」と、二人の進路上から身を退かせる。
そんな彼の前を早歩きで横切ったレッシュを追って、
ファードは見慣れない様式のインテリアを見渡しながら、
緩やかに内部へと侵入する。
入って正面には上へと伸びる階段があり、
左手側に立つアスティンの背後は壁しか無かったが、
右手側は開放感のある16畳程のLDKになっていて、
ライトなメープルのフローリング中央に、
白のカウチソファと黒のローテーブルが気取り無く設置されていた。
その右手奥側に見える小規模のキッチンは、
必要最低限の道具や調味料の類が計算高くすっきりと整理されており、
その几帳面さは一見、モデルルームの無機質な飾りの様でもあったが、
壁・道具・設備の使用感が含む[隠しきれない年季]は、
細部まで手入れを行き届かせている住人への[尊び]に繋がり、
それによる見方の変化は、
むしろ[狭さ]を活かそうとする使用者の工夫を浮き彫りにした。
未だ玄関付近でそんな空間認識をしている初訪者を余所に、
リビングの中程まで軽快な足取りで進んでいたレッシュが、
背後に気配も足音も無い事を不審に思って振り返る。
それによって案内客との間に謎のディスタンスが存在する事を知り、
目を丸くしながら直ちにペースを落とした彼女を見て、
慌てた様に足早で移動を開始するファード。
その後方で玄関のドアを閉めたアスティンが階段へと歩み出し、
首を垂れながら一段目に踏み込んだ矢先、
「ごめんなさい、浴場のドアも開けてくれませんか?」と、
それを呼び止めるレッシュ。
「人使いが荒いな、お前は」
アスティンは口角を上げながら苦情を出しつつ、
小走りでキッチン左に位置するドアに向かい、
それを全開まで押し開けてドアを固定し、
そそくさと場を明け渡す。
「すみません、ありがとう」
血濡れの衣を携えた美女に笑みと頷きを返し、
再び上階へと向かうアスティン。
少しだけ彼を見送った後、
無言のままファードにチラリと視線を送ってから、
先程開かれた部屋へと立ち入るレッシュ。
続くファードが入口を潜ると、
そこは奥行きのある狭い長方形のフロアプランで、
床の大部分は[ふわふわの白いカーペット]で覆われていた。
すぐ右手側にある壁の奥には隣の部屋への入口があったが、
それは[壁をアーチ状にくり抜いた穴]といった感じでドアは嵌まっておらず、
中から水の流れる音が聞こえた。
左手側には木製のロッカーが壁に沿って立ち並んでおり、
その奥、部屋の角に置かれた蓋の無い大きな木箱に歩み寄りながら、
「ここは脱衣場です」と、解説を添えたレッシュは、
血に染まった衣類を木箱に放り込んだ後、
「こちらへ」と、アーチ状の穴を通って浴場へと入って行く。
そんなレッシュを追って奥を覗き込んだファードは、
余りに意表を突かれたその内装に目を見張る。
そこは間取りこそあまり広くはなかったが、
壁や天井に張られたベージュのパネルが、まるで鏡の様な光沢を帯び、
窓から差し込む光が乱反射するその部屋の中央の床には、
幅150センチ、深さ80センチ程の[堀]があった。
それは浴場を横断する様に片側の壁から向かいの壁まで伸びていて、
そこに60センチ程の深さで水が流れており、
一般家庭の外観を持つ建物にそぐわぬその設備には、
流石に大きな違和感があった。
「ここで体や衣類を[洗浄]するのよ」
そう言って、堀の縁にしゃがみ込み、流れる水で手を濯ぐレッシュ。
そしてスッと立ち上がると、
自分を顔で追うファードを避けて何故か脱衣場に引き返す。
数秒後、タオルを二枚持って再び浴場に戻った彼女は、
壁の手すりにそれらを掛けると、[流れるお風呂]の縁で身を屈め、
着衣状態のままで爪先を水に浸す。
ゆっくりと流れの底に座り、束ねた髪を無作為に解くと、
開放されたサラサラのストレートヘアがレッシュの色気をより引き立たせ、
部屋中を飛び交う陽光が、
その端麗な顔や肩に付いた水滴にも反射して煌々と肌を飾る。
服を着ているとは言え、艶めかしいまでのその美貌と色香に意識を奪われ、
立ち尽くしたまま彼女に見惚れるファード。
そんな彼の方へと不意に振り返り、
「さあ、あなたもどうぞ」と、にこやかに入浴を勧めるレッシュ。
それ受け、急に目が覚めたかの如くハッとしたファードに、
「服を着たままで良いのよ」という既知の追加情報が飛ぶ。
しかし、その言葉に含まれた納得の行かない点に囚われた彼は、
自分の着ている服を見下ろして呟く。
「だが、この服はまだ汚れてはいないが…」
レッシュは水中で腕を摩り挙げながら、
当時世初心者の甘さを指摘する。
「いいえ、とんでもない」
「その服には、あなたの体に付着していたガーナが多量に移っています」
「なので、[洗浄]するか[処分]が必要よ」
正直な所、まだ合点がいった訳ではないが、
この短時間で数多の支援をしてくれた彼女の言葉には信頼があったし、
どの道、現在着用中の衣服に愛着が湧く事は無いと悟っていたファードは、
「そうか」と、簡素な言葉であっさり受け入れ、
少し躊躇してから[流れるお風呂]に近付き、
気を使って美女の浸かる位置の下流に移動すると、
先程の彼女と同様、ゆっくりと水に浸かる。
「思ったより冷たくないでしょう?」
「ああ」
「髪もきちんと洗ってくださいね」
「ああ」
その返事の後、穏やかに水から上がったレッシュは、
絢爛な美体から水を滴らせつつ壁の横棒に歩み寄り、
掛けてあるタオルを取って顔から順に水気を取る。
そして玲瓏たる濡れ髪を拭きながらファードに振り返り、
「あなたの着替えを取ってきますね」と、可愛らしく微笑む。
「今度はちゃんと選ぶから、安心してゆっくりと入っててください」
「サイズも大体わかったし」
「ああ、ありがとう」
レッシュは再度微笑みを返すと、
背中、胸部、腹部、脚部にサッとタオルを走らせた後、
その湿ったタオルを折りたたみながら脱衣場に踏み込む。
その可憐な姿が壁に隠れる前に、簡単な質問を飛ばすファード。
「あんたの着替えは?」
「ロッカーにいつも用意してあります」
そう言って壁の陰に入ったレッシュが、なぜかまた浴場に顔を覗かせる。
「これから着替えますけど、その間はこっちに来ちゃだめですからね」
ファードは気色を露わにうなずく。
「ああ」
レッシュも毎度の様に微笑みを返し、美顔を引っ込めた。
白い半袖Tシャツワンピース、
その長い丈に隠れた黒のホットパンツ、
黒のニーソックスに白と黒のスニーカーという、
先程より[露出を抑えた服装]でリビングに待機していたレッシュは、
同じく新趣向の衣装を纏って場に参上したファードを嬉しそうに出迎え、
自分が手掛けたスタイリングの出来栄えをチェックする。
ソフトマッチョなボディにフィットしたアイボリーのポロシャツ、
適度にルーズな濃色ストレートジーンズに、
ブラウンのレザーベルト、
ブラックの本革マウンテンブーツ、
そして何故か右手に握られた、黒ベースの白チェックネクタイ。
「今度のは前のより似合ってると思うけど…、どうですか?」
「ああ、申し分ない」
「サイズは?」
「ピッタリだ」
「さっきまであんたのセンスに疑いを持っていたが、すっかり晴れたよ」
「汚名返上できた様ね」
互いに微笑み合う二人。
「あ、それは?」
ファードの右手に丸く収められたネクタイを指すレッシュ。
「どうも窮屈で性に合わないからな」
レッシュは口に手を当てて小さく噴出す。
「オシャレではきつく締めなくて良いんですよ」
ファードは手に持ったネクタイを見下ろしながらぶっちゃける。
「まあ、正直言うと付け方がよく分からない」
さらに噴出すレッシュ。
「港湾運送業だからな、付ける機会がない」
「ふふ、そっか」
「じゃあ、私が」
ネクタイをファードの手からやさしく抜き取り、
一歩踏み込んでファードの首に掛けるレッシュ。
甘くすっきりな香りを帯びた美女の急接近に少し緊張したファードは、
自分の首元で行われる作業にむずむず感を覚えながら視線を泳がせる。
「こうやって…、こう…、と」
「ハイ、これでおっけー」
適度に弛ませたネクタイを見下ろすファード。
「付け慣れてるな」
「うん、普段自分で付けてるから」
「好きなんです、オシャレネクタイ」
「なるほど」
少し間が空く。
「あ、休みますか?」
「ああ…」
「元々、残業明けと徹夜で疲れていたからな」
「それは厳しいですね」
「徹夜って言っても飲んでただけだが」
レッシュは例によって口に手を当てつつ噴出す。
「ふふふ、そうなんですか」
「じゃあ、二階の廊下の突き当たりにある部屋は誰も使っていないので、
ご自由にどうぞ、寝具は揃ってますし」
「鍵は掛かってません」
そう言ってテーブルの上に置かれたショルダーバックを取り、肩に掛けるレッシュ。
「出かけるのか?」
「夕食の支度をするから、買い出ししてきます」と、日常的な返事。
「さっき[朝飯]を済ませたばかりだが…」
レッシュは微笑みを返すと、
「それでは、ゆっくり休んでください」と、ファードに小さく手を振ってから玄関に向かう。
「あ…」
レッシュは何かを思い出した様に玄関のドアの前で立ち止まり、振り返る。
「あなたの事は、本部である[ポストロジ-]に連絡しておきましたから」
「あなたが幻導士として、この状況の改善に協力するにしても、
このまま元の世界に帰るにしても、一度本部に行かなきゃなので、後で案内しますね」
「ああ」
理解はしていないが、とりあえずうなずくファード。
そんな彼の方を向きながらドアを開け、
「では、行ってきます」と、キュートなスマイルを残して退出するレッシュ。
ファードはその可愛らしさを意識に焼き付けつつ、
閉まった玄関のドアを数秒間見詰めていたが、
やがて階段へと歩を進め、それをゆっくり上り始める。
だが、階段を上り切ったその時、
玄関のドアを外側からノックする音が聞こえた。
反射的に振り向いたファードは、
しばらく硬直して玄関に視線を向けていたが、
ノック音は間隔を置いて再度響く。
仕方なく階段をスマート且つ素早く下りて玄関に立ち、
ドアを手前に引く部外者。
するとそこには、聖職者の様な身なりの若い男が立っていた。
身長170センチ前後、黒の毛髪はツーブロックショート、
ランプブラックのキャソックを纏い、
何故か船のアンカーを模ったストーンカメオのペンダントを首に下げ、
足元は黒のモンクストラップという身形のその男は、
ファードを見て少しぎこちなくお辞儀をする。
相手から目を離さずに浅いお辞儀を返すファード。
「クウェナ様は居られますか?」
よそ者のファードには、
責任を持って答えかねる問い掛けから切り出してくる聖職者。
「悪いが、俺はここの者じゃない」
聖職者は特にそれには動じる様子を見せずに次の質問に繋げる。
「どなたか、こちらの方は居られませんか?」
言葉こそ丁寧で落ち着きがあるが、
どうもそれがしっくりこない感のあるその男に、
ファードは[ここ]に関して知っている限りの情報を与える。
「さっき外に一人出て行ったが、もう一人どこかに居たはずだ」
「少し待ってくれ」
「はい」
ファードは取り合えずその男を玄関に待たせ、
もう一人の知った顔であるアスティンを探そうと二階に駆け上がる。
二階は上がって直ぐL字廊下になっていて、部屋が合計五つあったが、
突き当りの部屋も含めた全てのドアをノックしても反応が無かったため、
高めの騒音を伴いながら急いで一階へと舞い戻り、
続けてリビングにある複数のドアを全て開けて回ったが、
結局誰も見付からず、表情をしかめて客人の元に素早く戻る。
「すまない、どうやらその一人もどこかに出ている様だ」
「そうですか…、そいつは困っ…」
「…困りました…、教会の遣いでクウェナ様をお迎えに上がったのですが…」
その男に垣間見た[本質]が引っ掛かったファードだが、
特に深く考えず、無責任に進言する。
「じゃあ、中で待ってるといい」
「多分すぐ戻るだろう」
「(適当だが)」
聖職者は目を見開いて、
「よろしいですか?」と、確認を取る。
「ああ、俺の家じゃないがな」
男は少し戸惑ってから、
「では、失礼します」と、玄関に一歩踏み込む。
ファードは男を居間に案内すると、
窓際に置かれたソファーに広げた手を向ける。
小さなお辞儀を挟んでからソファーに歩み寄り、ゆっくりと腰を下ろす男。
しばらく静粛が流れる。
「じゃあ、俺はこれで失礼させてもらう」
「トイレはあのドアの奥だ」
この建物に詳しくないはずのファードが、窓の近くのドアを指す。
若き僧侶がそこに目を向けた矢先、
「さっき開けたらトイレだった」と、
実は最近入ったニュースである事を明かすファード。
「では…、俺は寝る」
姿勢の正しい聖職者は、座ったままファ-ドの方に体を向け、
その体勢で深くお辞儀をする。
ファードはその視線を気にしながら階段を上がって行くが、
中程辺りに差しかかった時、玄関がノックなしでいきなり開いた。
先程と同様、再び玄関を振り向くファード。
するとそこには、いかにもよそ行き用の身繕いをした、
ミドル無造作ヘアでショートコンチネンタルな髭を生やした30代くらいの長身男と、
その[付き人]と思しき控えめな装いの、
若々しく美しい顔立ちをしたショートボブの娘が、
階段にいるファードを驚き顔で見上げる図式があった。
ファードはその二人と交互に目を合わせ、しばらく固まっていたが、
横から聖職者がその状況を打開する。
「クウェナ様」
立ち上がって玄関に歩み寄り、
[付き人の様な娘]に向かって丁寧に頭を下げる聖職者。
その呼び掛けでファードから視線を逸らす玄関の二人。
「おお、ルダか」と、ファードが付き人と考えていた地味目の娘。
「こんにちは、その節は教会へのご寄付をありがとうございます」
「いやいや…」
クウェナは階段に立つ見知らぬ男を見上げながらルダに近付き、
その男にも聞こえる程の小声で尋ねる。
「あの者は?」
ルダもファードを見上げて囁く。
「いえ、私もあの方と面識を持ったのは先程が初めてで…」
ファードは自分でもまるっきり不審人物だと認識していたので、
半端に向き直っていた体勢を整えて階段を下り、
こちらを眺める一同の前で立ち止まって軽くお辞儀をする。
「俺はファード」
「[カルターン]とかいう場所でレッシュに会い、彼女の案内を受けてここに来た」
長身の男が尋ねた。
「カルターンで?」
うなずくファード。
「もしや[あちら側]から来たのか?」
「ああ…、よく分からないがレッシュにはそう聞いた」
長身の男はクウェナの耳に口を近付けながらも、普通の声量で言う。
「クウェナ様、どうやら箱でこちらに来た候補者の様ですな」
「ふむ、その様だ」
「危険地帯に出た新人は、
何かしらに襲われて本部の方に飛ばされるのが九分通りだが、
無事にここに辿り着いている所を観ると、かなり素質はある様だな」
「レッシュに助けられただけかも知れませんが」
クウェナは一つ多めに添えられたその言葉を流し、
ファードに一歩近寄ると、白く美しい手を差し出す。
「私はクウェナ」
「この支部の頭取を務めている」
黙ってその手を握りつつ、会釈程度に頭を下げるファード。
「この背の高い男はアヴァン」
紹介を受けたアヴァンも手を差し出す。
「よろしく」
ファードは先程と同様の素振りで応対する。
クウェナは横で交わされる握手が済んだ事を確認すると、
聖職者の肩に手を乗せ、彼を紹介する。
「この者はルダと言って、
ここより南西にあるニューイータの教会で読師をしている」
「ルダと申します」
ルダは手を差し出さず、ファードに向かって深々とお辞儀をする。
そんなルダが上体を起こしたタイミングで、クウェナが質問を飛ばす。
「ところでルダ」
「わざわざ教会から差し遣わされるとは、どんな所用があっての事だ?」
「クウェナ様をお迎えに上がるようにと、大司教様からの言い付けがございまして」
「やはりそうか…」
「わざわざその様な手間をかけんでも、
二時半には出ようかと、こうして早々に戻ってきた所だ」
「そうでしたか…」
壁に掛かる時計をチラリと見遣るルダは、
まだ一時半である事を知り、恐縮する。
「少し早く来過ぎてしまったようで、とんだ御迷惑を…」
「いや、大丈夫だ」
「早ければ早いなりに、向こうで細かい用事を片付けられるしな」
「(まったく、気を遣うなと言ってあるのに…、律儀だな、ハマウも)」
「では、支度を済ませるまで待ってくれるか?」
「はい」
続いてクウェナはファードに向き直る。
「さて、ファードとやら…」
「休む所だったのだろうにすまなかった、我が家の様にゆっくりと寛いでくれ」
「では、失礼する」
キッチン右横の部屋へと入って行くクウェナとアヴァンを見送る部外者二名。
ファードは場が沈静する前に離れたかったので、
「じゃあ、こっちも失礼する」と、ルダに言い放つと、階段を即座に上り始める。
「おつかれです」
背に受けたその軽い言葉に二度目の違和感を覚えたファードだが、
振り向く事なく階段を上り切り、
二階の廊下の一番奥の部屋へと入っていった。
辺りもすっかり闇夜に包まれ、街の明かりも落ちた頃、
ファードは睡眠時間の必要範囲を越え、自然覚醒した。
腹部を締めつける様な空腹を感じつつ、
寝そべった状態のまま背伸びをした後、ベッドから起き上がる。
窓に近寄ってカーテンを捲ると、
雲一つ無い乾いた夜空を無数の星々と下弦の月が神秘的に飾っており、
しばらくそれに見入ってから視線を下げると、
少ない発色で闇に浮かぶ家々の屋根や路地や街壁が、
所々を影に彩られながら静かに佇む景色が広がっていた。
何気なく窓を開け、縁に手を突いてそれらを見渡していると、
ふと、左手側に見える細長い二階建ての構築物に目を引かれた。
というのも、その建物の窓全てから強い明かりが漏れていて、
内部で忙しなく動く無数の影がその光を横切り、
激しく点滅させていたのだ。
ファードはしばらくその光景を観ていたが、
やがて泌尿器からくる生理現象に意識が向いたため、
その[しじま]に合わせて息を潜める様に、粛々とドアへ向かう。
だが次の瞬間、窓の外、夜の静かな情景が広がっている筈の範囲から、
人が強く激しく地を蹴って駆ける摩擦音が聞こえた。
そしてそれは、ファードが今居るこの建物の玄関前に差しかかると、
路地から軌道を変えて、内部に入ったのが分かった。
「大変だ!」
静けさを打ち破るその言葉に、下の階にいた何者かが答える。
「どうした?」
「ニューイータからの伝令だ!」
下の階が一変して騒がしい気配を漂わせ、
何事かと気になったファードも早々に部屋を出る。
「街に奴等が攻め込んできた!至急応援を頼む!」
「なんだって!?」
ファードが階段をある程度控えめに下りている最中、
背後からガチャリとドアが開く音が聞こたため、そちらを振り向くと、
羽織った白いワイシャツのボタンを全開にしたレッシュが、
廊下の壁に掛かるランプの明かりを浴びつつ、
背伸びと欠伸をしながらヨタヨタと廊下を歩いてくる光景があった。
ブカブカに弛んだワイシャツの隙間から確認できる召し物は白いショーツのみで、
露出した胸郭、ヘソ、そして悩ましい程の脚線美が、
深更の空間でオレンジの光に浮かぶ。
その姿は神々しいまでに色っぽく、
場の空気など関係なく無意識に見惚れるファード。
「…何かあったの?」
口を開けたまま視線を釘付けにされていたファードは、
寝ぼけ眼の彼女が発したその小声によって現実に戻され、
少し遅れ気味に首を傾げるアクションで応じる。
レッシュが不思議そうな表情でファードの近くに寄り、
二人揃って階段途中から玄関を見下ろしていると、
居間にいたアスティンに早口で事態を説明していた伝令の男がそれに気付き、
二人を見上げながら改めて報告する。
「ガーナ軍がニューイータに攻め込んで来たんだ!」
「えっ!?」
ファードを抜かして階段を駆け下りるレッシュ。
「どうゆう事?ニューイータに攻め込めるだけの勢力なんて、
この周辺には確認できてないわ」
レッシュの色気に吸い込まれそうな本能を、
場の空気とテンションでなんとか押し隠す伝令の男は、
相変わらず大声で続ける。
「ああ、こっちだってそんな報告は受けてないさ!」
「だからこそ不意の攻撃を許してしまったんだ!」
近距離にいる人物にさえ、
遠慮なく怒鳴る様な物言いの伝令を見兼ねたレッシュは、
何を思ったか、突然リビングのテーブルに歩み寄ると、
その上に置かれたガラス製のピッチャーを取り、
近くにあったグラスに中の水を注ぐ。
そして水の入ったグラスを手に伝令の元へ戻り、
それを差し出す。
「とにかく、ちょっと落ち着きましょう」
それを観た伝令は、浅く何度もうなずきながら大きく息を吐き、
「ああ、すまない」と、水を受け取る。
そんな彼が水を飲み干したのを確認し、
質問を再開するレッシュ。
「いい?」
「じゃあまず、クウェナ様は?」
もう一度大きく息を吐いた後、
グラスをレッシュに返却しながら応える伝令の男。
「クウェナ様は俺が兵舎を出た直後に鉢会ったが、
大勢の民衆を束ねて教会やら劇場やらに逃がすと言っていた」
「本人は心配ないと思うが、民が無事とは言い切れないな」
「なぜ?」
「敵は[ヒュージスピディア]を数十体引き連れて来ているんだ」
「ご丁寧に、破城槌まで体に括りつけてやがるし、
門どころか防護壁でさえいつ破られるか分からない」
「その上、[トレビュアー]や[攻城櫓]も数揃えてるから、
壁があっても危険な状況なんだ」
「今の戦力では、クウェナ様の助けがあっても防ぎ切れない」
「今の戦力?」
「師団長達、一個旅団が遥か南のトクアギナに派遣されているんだ」
「まさかあれほどのガーナ勢力が付近に集結していたなんて思わなかったからな」
「敵軍にはヴァルヒューグベースの[新種]らしき奴も混じってて…、
もう間に合わないかもしれない…」
「そんな…」
「いくらクウェナ様でもそんな状況じゃ…」
「しかし、なぜニューイータに?」
アスティンが落ち着いた口調で横から問う。
「[報復]と、奴等は叫んでいたが、何の事かは分からない」
「[報復]…」
レッシュはある事に気付き、
「まさか…」と、ファード方を振り返る。
「(でも…、そうだとしたら、何故ニューイータなのかしら…)」
「(ここの方がカルターンからはずっと近くて目立つのに…)」
「(それに攻め込むまでが早過ぎるし、
報復の規模が大き過ぎるわ)」
伝令の男は、何かを考え込む彼女を見て急かす。
「頼む、できるだけ急いでくれ」
それを受け、まず時計をチェックするレッシュ。
「(11時40分か…)」
続いて彼女は、アスティンの方を向いて早口で尋ねる。
「アスティンさん、いま居るのは?」
「俺達だけだ、みんな出払ってる」
それを聞いたレッシュはファードを見上げて、
「じゃあ、ファードさん、付いてきてくれますか?」と、支援を要請する。
「ああ、それは構わないが、俺の様な素人が戦力になるのか?」
「ええ、抗体があるだけで常人より強いですし」
「今は抗体も大分馴染んできたはずだから、
昼間よりずっと強くなっていると思います」
一瞬、握り締めた右手を見下ろしたファードは、
「なら、喜んで協力させてもらう」と、ポーカーフェイスで強く発す。
「ありがとう」
「じゃあ俺は、プラネットで報告してくる」と、
階段下にあるドアの奥へ入って行くアスティン。
レッシュはそれには反応を示さず、
ファードに向かって続ける。
「では、支度をしたら[装備保管庫]に案内します」
「とにかく急いで準備してください」
そう強調しながらグラスをテーブルに置き、
再び階段に向かってくる彼女の頭から爪先までを視線でなぞるファード。
「(のんびり支度しても、あんたよりは早く済みそうだ)」
「(というか私物がないし、これ以上準備の仕様もないな)」
「(せいぜい、トイレに行くくらいか)」
そんな思惑のファードが立つ階段を駆け上がるレッシュだったが、
何故か彼の手前でピタリと止まり、
「あ、このまま直行でいいか」と、回れ右をする。
「こっちです、付いてきてください」
慌しく動く彼女の行動リズムを観て、
トイレを妥協したファードがリビングに降り立った際、
「あ!それから…」と、不意に切り出す伝令の男。
その言葉で足を止めたファードとレッシュは、
彼に視線を向けて次の言葉を待つ。
「クウェナ様からの伝言だが、
確か[救援用の小箱]?を持ってきてくれ、との事だ」
「(なんの事かはわからんが)」
「わかったわ」
「じゃあ、行きましょう」
進もうとするレッシュに対し、
ファードが先程言うタイミングを逃した事柄について、
少し気不味そうに触れる。
「その前に…」
「こんな時にすまないが、トイレ行ってもいいか?」
「あ、はい」
「(私も着替えたら、小箱内のトイレ行ってこよ)」
その七時間程前、クウェナ達はルダと共に、
ニューイータの教会から遣わされた送迎馬車に揺られていた。
「お前が教会に来て二年目か」
「ええ」
「どうだ?教会は」
ルダは苦笑しつつ返答する。
「正直、退屈な日々です」
「元々、性に合ってない職務ですから」
「ははっ」
「お前はまだ小さい頃、あの街に[流れ着いて]、
有無を言わさず修道院学校に入れられたからな」
「はい」
「子供の頃、川で流されていたのを助けてくださったのが、
当時司祭だった大司教様だったのが皮肉な運命でした」
「ははは、言えてるな」と、微笑むクウェナ。
「前から気になっていたんだが、
なんでその時ハマウが川にいたんだ?」
「たまたま橋の上で助祭様と話していたら、
穏やかだった川に突然水飛沫が上がって、
何事かと見下ろしたら、私が水面でもがいていたそうです」
「ふむ、流されたのではなく、[出現]だったか」
「え?」
クウェナはルダの疑問符には触れずに続ける。
「しかし、その時お前を助けたのが誰であれ、
お前の様な条件を持つ子は修道院学校に入れられるのがあの街の定石だ」
「命あっただけ儲け物だな」
「(抗体があるから、命は保証済みだけどな)」
「そうですね」と、再び苦笑するルダ。
「やはり思い出せないか?それ以前の記憶を」
「(あちらの世界の記憶を)」
「ええ、本当に小さい頃でしたから…」
「唯一、深い穴の中で泣いていた記憶が、ぼんやりと残っているだけです」
「他には、[これ]しか…」
首に下げた[碇のストーンカメオ]を手に取り、見詰めるルダ。
「溺れている間も、それを大事に握っていたんだったな」
「そうらしいですね、これが何なのかさえ覚えていませんが」
横からそれを眺めていたクウェナが、
不意にツッコミ所に気付いて微笑む。
「ふふ、碇を握っても沈まぬか」
軽く噴出したルダは、それによって緩んだ表情のまま続ける。
「目に付いた人からなんらかの手掛かりを得られると思い、
外に出る時はいつもこれを身に付けるのですが」
ルダの顔がそこで曇る。
「未だに一片の情報もありません」
再び若干の沈黙。
「そうか…」
「(世界が違うから無理もない)」
しばし間を空けた後、
クウェナは左隣で無口を決め込んでいたアヴァンに言う。
「当時はプラネットもなく、今程の管理体制が整っていなかったからな」
「[出現直後に保護された子供]という例には対応しきれてない部分が大きかった」
「そうですね」
「しかし、今でも管理し切れてる訳ではありません」
「ああ、例の[四人組]の事だな」
「ええ」
自分は話の対象外と判断し、窓に目線を運ぶルダ。
しかし、何気なく眺めた景色に違和感を覚える。
「(ん?なんだ?)」
そこから1キロ程先の地面に、
黒く大きな[影]を見たのだ。
ルダは窓に顔を近付け、目を一瞬見開いてから細める。
「(…[穴]か?)」
かつて幾度も通った筈の荒野に、見覚えのない巨大な穴…、
そんな奇妙な見識をクウェナに報告しようと、
顔を彼女に向けた瞬間、
「しかし…」と、彼女が話を再開したため、
出鼻をくじかれて少し気持ち悪いが、慎むルダ。
「プラネットに反応もせず、[感染もしない存在]…」
「抗体ではない[何か]で感染を抑制しているとして、
我等の他に、それだけの技術を持った反乱分子がいるのだろうか」
「そこまでの研究成果を上げる組織が、
我々の調査網を掻い潜るとは考え難いですね」
「大規模な設備がないと不可能ですし」
「少なくとも、人間の生活領域に流通する情報なら、
ほぼ全てをうちが掌握してますからね」
「逆に、殆どの情報はうちを介して世に出る訳ですし、
隠し通せるとは思えませんね」
「ああ」
「しかし、知れば知る程に奇妙な連中です」
「たった四人とは思えない程の殲滅力で、
各地のガーナ軍拠点を次々と潰しているとか」
「らしいな」
「気になるのは…、制圧ではなく、ただ潰しているだけという点です」
「何かを奪って行った形跡も見当らないそうで、強盗とも思えませんし」
「まあ、ガーナ軍の物品など元々買い手が付きませんがね」
「目的がよく分からんな」
「ただ一つ奇妙な点と言えば、残されたガーナの骸に、
武器による傷ではない、何かこう…、
抉られた様な跡が無数に残っているとか」
「ほう」
「それも全てのガーナにではなく、
動物型の怪物に比率が偏っている様で」
「たまにヒューグ系にも見られるそうですが、
その場合は決まって動物型が少ない箇所なんだそうです」
「[選んでいる]…、と言う事か…」
「ええ、それに…」
「直接の戦闘を目撃した諜報員の報告によれば、
彼等は作戦も何もなく、ただ正面から突っ込んで暴れ回って去って行ったと」
「うわ、めちゃくちゃな連中だな」
「そして倒したガーナに群がって何かをしていたそうですが、
何分、四人が密集していたので詳細は掴めなかったと」
「抉られた跡と関係がありそうだな」
「ところで、顔は確認できたのか?」
「四人とも黒いチュニックを着用し、
フードを深々と被っている上に、鼻から下はマスクで覆っているらしく、
三件の目撃報告全てで顔は確認できなかったそうですが、
体格や一挙一動から観て、
女性が一人混じっているという共通認識がある様です」
「興味深いな」
「無闇矢鱈に見えるが、
長所短所を補い合う編成だとしたら、
チームとしての役割くらいはあるのかも知れん」
「それに、策が無いのに結果が出ている点は、
逆に言うと、策が不要…、
すなわち[力押し]がベストな策だと判断する程の自信なのかもな」
「いや、自信ではなく、効率的選択の域なのだろう」
「ええ、単なる戦闘マニア集団でないのは確かです」
「しかし、彼等が攻撃を仕掛ける拠点は、
今の所は比較的小規模の場所に限られているそうです」
「その辺は多少の計算を感じますね」
「あくまで無理はしない、という様な」
「うむ、自分達をよく理解し、素直に受け入れているな」
「何にせよ、その刃が人中に向けられたという話が出ていないのは救いだ」
「ええ、敵になったら我々でも対処が難しいでしょうな」
「四人だけとも限りませんし」
クウェナ達の乗った馬車は日暮れ前にニューイータの教会へと到着した。
教会前に停められた馬車から、ルダに続いて下車したクウェナは、
入口の階段前で整列した助祭、司祭、司教、大司教等の歓迎を受ける。
司教以下三名が深々とお辞儀をする中、大司教が一歩前に踏み出し、
「ようこそ、クウェナ様」と、低階位の者以上に深いお辞儀で出迎える。
「相変わらず堅苦しいな、ハマウよ」
頭を上げた彼に笑顔で握手を求めるクウェナ。
ルダと違って、きちんと握手に応えるハマウ大司教。
続いてそのルダに顔を向けて言う。
「ルダ、ご苦労だった」
大司教に無言で軽く頭を下げるルダ。
「どうぞ中へ」
先達する大司教に付いて行こうとするクウェナに、ルダが歩み寄る。
「お荷物を宿泊部屋までお運びしましょうか?」
「ああ、ありがとう」
「頼むよ」
クウェナはルダに荷物を委ね、
もうすっかり熟年の大司教のペースに合わせてゆっくりと階段を上る。
その背後から続くアヴァンは、
麗しい乙女の姿が老人を気遣うその光景を観て、
何故か口を引き締めて笑いを堪える。
「(クウェナ様の方が倍近い御歳なのに)」
礼拝堂から左手側の廊下へ出て、
突き当たりに位置する[応接室]に通されたクウェナとアヴァンは、
その薄い飾り気の中、大司教ハマウを始め、司教等と囲むテーブル上に、
客人にも護憲を強要する規律でもあるかの様に、白湯を差し出されていた。
「どうぞ、白湯でございます」
「ふむ、依然として[持て成し]を心得ているようだ」
その皮肉にハマウが微笑む。
「聖職に就く者以外の口に入る物とて、
それを差し出すのが我々である以上、
慈悲深き神のご意志に背く品を差し出す訳には行かないのです」
「(だったらお茶でも良いと思うが…)」
ハマウは堅苦しく続ける。
「それに、白湯は単純な製法ながら大変体に優しく、
胃腸の調子を整え、体内の毒を…」
「ふむ、依然としてお前の説教は疲れるな」
それには司教と司祭が微笑む。
「ところで大司教殿、わざわざ迎えを寄越したと言う事は、
手紙を受け取りましたな?」
クウェナの冗談を勝手に切り上げ、いきなり本題を切り出すアヴァン。
「ええ、[アレ]についてお話したいと記述されてましたが…」
今度はクウェナが会話を整える。
「そう…、ここへ来たのは他ならぬ[ルダ]について話し合うためだ」
大司教はうなずいてから言った。
「内容は察しが付きます」
「だろうな」
「まず聞きたいのだが…、あいつに明かしてはいないな?」
「これはまた…、我らの信用に対して、機微を突く様な質疑をお持ちで…」
「あなたがくれぐれも明かさぬようにと、
教会の中で事情を知る者全員に、
克明な達意を巡らせたのではありませんか」
「そうだが…」
「我等も、あやつには敬重を問われている様相でして、
近頃は目上の者に反発する事も[のべつ]と言える程になりました」
「(普通に喋れ)」と、内心クウェナ。
「あやつは、元より性分が聖職者には不向きだったのでしょう」
「それは本人も自覚がある様だ」
「信心が浅い物を、要領合わせで誤魔化しているのは、仕種から悟れぬ道理もなく、
予てより教会を抜け出たいと請い願っているのも、
義理を重んじるが故に包み隠しているつもりだったのでしょうが、
然るべき佇まいを漂わせておりました」
「あやつのためにも、そちらの議にお任せする方がよろしいかと存じます」
「手紙の段階で、既に結論付けていたか…」
大司教は微笑む。
「あやつは、将来が教会にある等とは考えたくもないでしょう」
「ですが、ここを出ようとも、やはり恩情の遮りを受けて、
それを胸にしまい込みながら増幅させて行く事は明晰な流れと言えます」
「我々もそれを感じながら、しかし、その話をこちらから切り出すか…、
あやつから窮余として具現するのを待つか…」
「その駆け引きの展開は、今より後願の憂いで仕方ありません」
「(だから、普通に喋れ…)」
「そちら様がそれを取り持って頂けるなら、こちらとしても溜飲が下がります」
「なるほど…、相変わらず解釈に詰まる言葉の連続だが…」
クウェナは白湯を口へ運び、カップをテーブルに置いて一息吐くと、
「教会側は特に引き止めはしない…、か」と、腕を組みながら背もたれに寄り掛かる。
「だが、あいつには[奇妙な現実]の話を聞かせる事になる」
「信じていた世界が崩壊して行くのは、並の精神力では受け止められないだろう」
「ええ」
「しかし…、あいつは既に、[あの能力]を初めて発現させた時、
摂理に反した[混乱]や、
自己に半可通であったと思い知った[不安]を体験済みだ」
「一度でも大きな精神的衝撃から立ち直った者なら、
いくらかの免疫はある」
「糅てて加えて、あいつは自信の持つ[特別な力]が、
いかなる理路を通って備わったか、気にしない日はなかろう」
「ならば、それが何であれ、受け入れる覚悟はできている筈だ」
「故に過剰な心配は無用かもな」
「どちらにせよ、このまま煩悶を重ね続けても、
推移なき起居に鼻白むのみでしょう」
「教会の枠内にそれしか見出せぬのは、
傍に立っても苦痛にございます」
「親代わりのそなたは特にそうだろうな…」
「(っていうか、わざわざ難しい言葉使うなよ…)」
「あやつはまだ若い、いくらでも道がありましょう」
再び卓上のカップを取り、白湯を少量喉に流し込むクウェナ。
「たしかに、あいつは[若い]」
「年齢の割にあどけなさが残る容姿も、
ゆくゆくは私の様に好都合になってはくるが、現時点では不審の物種だろう」
「そろそろ、あいつの持つ心地悪い狐疑を取り除くためにも、
その実相を明かそうではないか」
「そう…、[抗体]の特性と、それによる[ノウアブルセンス]について…」
その頃ルダは、中庭ですっかり影に隠れた洗濯物を取り込んでいた。
キャソックを脱ぎ、聖職者の下着である白いアルバ姿で作業している中、
[教会]のイメージとは大きく異なった[可愛らしい高声]が中庭に轟く。
「あ~、いた!」
ルダがそちらに目を向けると、
シスターの一人がニヤニヤしながら小走りで向かってきていた。
どんどん自分との距離を詰めて来るキュートな修道女子を、
棒読みな発音で迎えるルダ。
「おー、シスターアイラ」
「どうした?」
「(見当つくけど)」
アイラはちょっと遠慮気味に微笑むと、
「エヘヘ…、また怪我しちゃった」と、右手を差し出す。
彼女の人差し指の第二間接の辺りにある軽い切り傷を見たルダは、
「やれやれ、またかい」と、鼻でため息を吐いた後、
黙ってアイラの右手を左手で掴んで固定し、
傷に自分の右手の人差し指を優しく当てる。
すると不思議な事に、その指先が微かに発光し始め、
やがてアイラの傷がみるみる消えて行く。
「キャ~、きたきた、これが気持ち良いのよね」
シスターらしからず子供の様にはしゃぐアイラを観て、
微笑みながら二度目のため息を吐くルダ。
「もう痛くないわぁ~、相変わらず凄いね!」
「まあな」
「でもだからって、怪我して喜ぶなよ」
アイラと同じく、普段はブラザーらしからぬ口調のルダ。
「は~い」
「っていうか怪我すんなよ、お前だけやたら怪我のスパン短いぞ」
「ごめんなさ~い」
まるで反省の色がないアイラを軽く押したルダは、
小さく笑みを浮かべたままで洗濯物の回収を再開する。
アイラは嬉しそうに傷のあった部分眺め、そこを摩りながらルダに尋ねた。
「ねぇ…、これ、いつからできるようになったの?」
「できるようになったのは…」
「あれ、いつだ…?」、
「厳密に言って[できる事に気付いた]のが、え~と…」
「一昨年だな」
「ふむふむ」
「理屈っぽさを含んだ返事だけど、そうなんだ~」
意表を突かれたアイラの反応に、口を引き締めて片眉を釣り上げるルダ。
それを見たアイラは口に手を当てて吹き出す。
「ふふふ、ごめんごめん」
「だって、大司教様の流れに似てるんだもん、その答え方」
ルダも半笑いで軽く何度もうなずいた後、
ジェスチャー付きで能力発覚の経緯を語る。
「ここに来る前、まだ修道学校の寮に住んでた時…」
「朝起きようとして、ベッドの横の机にガンッ!」
「手をぶつけてよ」
「ぷっ」
「パックリ割れちまって、その傷を摩っていていて偶然気付いたんだ」
「へぇー」
「それ以前から怪我の治りが早いとは思ってたがな」
「いいなぁ」
「いや、良い事ばかりでもないな、しょっちゅう頼られて疲れるし」
「しかも無償でだぞ」
「ここが教会じゃなきゃ、
ふんだくった治療費で、家の一軒や二軒は買えてそうなもんだ」
「ぷぷっ、そうよねぇ」
少しオーバー気味に前屈みで笑うアイラ。
「医者に拾われたかったよ」
「ぷふっ」
「あーあ、そしたら今頃は豪邸生活だったのになぁ」
「ホットチョコレートも飲み放題だ」
「あはははは!」
「子供か!あははは!」
「(お前に言われたかねーぞ)」
よりオーバーに一頻り笑ったアイラは、
やがて目を擦りながら顔を上げ、
「ふぅ~、ふふふふ…」と、呼吸を整える。
そして、未だ楽の感情を含んだままの声で、
自分との対比結果を発表する。
「それでも、これといって取り得のない私よりは全然いいよ」
「うらやましい」
「そうか?」
「(お前にはそのキャラクターがあるだろうに)」
「うん」と、落ち着いて笑顔も薄れるアイラ。
ルダは続く言葉が見付からずに押し黙る。
話の連鎖が解けて気不味いアイラは、
固い動作で手を前に組みつつ、籠の中の洗濯物を見遣る。
「えっと…」
アイラは何かでその空気を打ち破ろうとはするが、
結局話のタネを見出せず、
「じゃあ…、ありがとね」と、撤収モードに入る。
ルダも口角を上げ、
「ああ、気を付けろよ」と、洗濯物の取り込みを再開する。
「あ、そうだ」
一度背を向けてから何かを思い出し、振り返るアイラ。
「あなた教会抜けちゃうの?」
「え?」
「どこからそんな話が?」
「さっき、大司教様とクウェナ様が話してるのを、
さり気なく立ち聞きしちゃってたり…」
微笑みを返すルダ。
「また聖職者らしからぬ行動を」
「(あんたに言われたくないわよ)」と、内心アイラ。
「しかし、それってマジ?」
「[ルダをそちらに預ける]、みたいな事言ってたよ?」
「難しい言葉だらけだったから、よく分からなかったけど」
「うわ、マジか」
「詳しく教えてくれ」
物干し竿から外した洗濯物を持ったまま、
体ごとアイラの方を向いてその話題に食い付くルダ。
「う…、うん、でもちょっとしか聞かなかったから…」
「クウェナ様のお仕事を、ルダに手伝ってもらいたいんじゃないかな」
「ほら、その魔法みたいな事ができるから、
あなたを引き抜きたいのよ、きっと」
真剣な面持ちで俯き、持っていた濃紺の僧衣を握りしめるルダは、
「直接聞いてくる!」と、それを荒々しく放り投げ、
開けっ放し状態の扉に向かって走る。
顔でそれを追いながら見送るアイラは、
「あ!私から聞いたって言わないでね~」と、念を押す。
返事をせずに走り去ったルダの残した洗濯籠を抱え上げ、アイラは呟く。
「大司教様ったら、相変わらず人の将来を勝手に決めちゃうんだから…」
一方、主要議題の纏まったクウェナ達は、
教会から提供された宿泊部屋への案内を受けていた。
動き難そうなナリをした連中をゾロゾロと後ろに引き連れながら、
大司教とクウェナが言葉を交わす。
「…ですが、子供の頃からあやつの面倒を見ている手前、
やはり親心という物も無いとは言えません」
「くれぐれも[アレ]については内密にお願いします」
「あやつは、ああいった物への関心が少なからずございます」
「[アレ]の話は、あやつにとって[憧れ]となるでしょう」
「私情ではありますが、
あやつには[あんな物]を手にして欲しくないのです」
アヴァンが横から答える。
「心配せんでも、ここから離れるという事は、[アレ]からも離れるという事」
「仮に知ったとて、所詮憧れ止まりだろう」
「うむ」
「聖職者が持つ事を許された唯一の[剣]…」
「[ロザヴェグ・クリス]か…」
その呟きの直後、通路の角からルダが勢いよく飛び出してきた。
「おっと」
ざわめきつつ急停止する一同。
「こら!ルダよ!」
「クウェナ様になんと無礼な!」
「あ、すみません…」と、少し呼吸の乱れたルダ。
「ははは、構わんよ」
「ところで、何を急いでいたのだ?」
ルダは息を軽く落ち着けながら、クウェナと視線を合わせる。
「はい、ちょっと大司教様に聞きたい事がございまして…」
「聞きたい事?」
「見ての通り、今は客人を迎えておるのだ、後では駄目なのか?」
答えに詰まるルダ。
「いえ、その…」
「(たまたまタイミング悪かっただけだっつーの)」
クウェナがハマウの肩に手を乗せて割り込む。
「まあ待て」
「その様子だとかなり重要な用向きだろう」
「斟酌として我らは司教等に案内してもらうから、聞いてやるがいい」
「申し訳ございません」
大司教は深々と頭を垂れた後、司教達の方を振り返り、
「では、頼むぞ」と、廊下の隅に身を寄せる。
それに便乗して頭を下げつつ道を空けるルダの肩にタッチしながら、
先導する司教等に付いて行くクウェナ。
その一団を見送った大司教が、ルダを睨みながら口を開く。
「さて…」
「客前で粗相をするなと、いつも言うておろう」
「はい…、申し訳ありません…」
「それで、何の用なのだ?」
「はい…、実は…」
気になって仕方のない事だが、
逆に言い出すのも気が引ける問題を渋々述べるルダ。
「クウェナ様が今回参られたのは…、私を引き取るためだと耳にしまして…」
ハマウは一瞬驚き顔に変わったが、すぐ表情を戻して呟く。
「アイラめ…」
「(アイラごめん、サクッとバレたわ)」
そして、一呼吸置いた後ゆっくりとした口調で話はじめる大司教。
「その通りだ…」
「前々から思っていた事だが、お前は[僧侶]には不向きな性格をしておる」
「(こっちはとっく前から思ってるよ)」と、内心ルダ。
「まあ、今の時世では、
向いてる者を探す方が幾層倍も難渋と言えるが、
それでもほとんどの僧侶の場合、自分から聖職に就く事を望んで教会に来訪する」
「しかし、お前は有無を言う余地さえ与えられず、一方的にこの道へと引き込まれた…」
「それでは納得できよう筈がない」
「そんなお前の将来を、その教会という枠内で伸展させるなど、
良心の呵責として悔悟となるのは果然だろう」
「(普通に喋れ)」
「…おまえが持つその特別な力について、私からは訓示できないが、
それがクウェナ様達にとって助力となるなら、
お主が前々から願っていた[脱会]には、符合の言い開きとなる」
ルダは、次々と心境を言い当てられるが、
それを誤魔化すために憂いな表情をする。
「そんな…」
「ふふ、日常では隠匿としない割に、いざ表面化してくると逡巡が湧くか…」
「お前は所作では[僧侶]を気取ってはいるが、信仰を有しておらぬ様に思える」
「本心はどうなのだ?」
「この際、はっきりと縷述するがいい」
ルダは積もりに積もった物があれど、
あえてしばし考え込んでから口火を切る。
「正直、私は神に対して疑問があります…」
「世間の沙汰は、神のなさる行いとは思えない物が夥しく、
とてもその意思が善導の目途とは思慮が付きません」
「神は人を救うどころか、[争い]の原因となっているではありませんか」
「信仰の違いで、相手を認め合わない衆愚を嗾け、
罪なき民の血を流させる存在が[神]と呼べるのですか?」
ハマウは鼻でため息を吐いてから、ゆっくりと口を開く。
「神は程近い前途だけの発展を目算している訳ではない」
「長い目で見れば、戦も向後の教誨として活きる」
「神が理想の結果だけを与えると思っていたのか?」
「では、犠牲になった者達はどうなります?」
「神を信じる者が血を流し、神に無関心な者の欲得を促す…」
「奉仕してきた者への恩恵がその仕打ちだなんて、
まるで傀儡の糸を断ち切る様なそれに、
[慈悲深き]なんて言葉が当て嵌るとは到底思えません」
大司教はしばらく俯き、やがて顔を上げる。
「その考えも、神の在り方を喝破するものにはなるな…」
「人々が見返りを求めて信仰するのは確かだが、
望蜀が諫止のないまま驀進しても、
均衡を崩し、神そのものの名を誰も語らなくなるだろう」
「裏を返せば、人だって神に対して残酷と言える」
少し間を空けるハマウ。
「世が乱れ、恐怖に支配された時、人は神を語るが、
いざ全てが静謐に推移してくると、
感謝の意は有りしも、礼拝は無慮で粗末な物となる」
「安泰に神の職掌は無いのだ…」
ルダは驚いた面持ちで聞き返す。
「そうお考えでありながら、何故聖職に?」
「聖職だからこそ、明解の仕儀に立ち至った…、と言うべきかもな…」
「しかしお前は、私とは方途が別離しているな…」
ルダも同感しているのか、しばらく沈黙を保った後言い放つ。
「私は神より人を信じます」
大司教は微笑む。
「その心積もりなら、お前は神の膝元を離れ、
クウェナ様の元で己の資性を快活できよう」
「だが、それは教会での励行を礎とした物でするのだぞ」
「よいな?」
ルダは眉を釣り上げ、
ハマウの親心を弾く言葉に若き一存を込めて、力強く放言する。
「これ以上、神が人を脅かす存在となるのなら」
「私は髪を剃り落とし…、剣を取ります」




