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15:平行経緯と背に立つ結果

ノウアブルセンス(特殊能力)紹介


《ニーニャ・ラ・フィロ》

[アトモスフィリック・スウェイ]

周囲2メートル程の範囲の気圧を、局所的にだがコントロールできる能力。

応用はかなり幅広く、

例えば、大気中の水蒸気を一か所に引き寄せ、

飽和状態となった霧状空間を素に[湿気のレンズ]を形成する事で、

遠方や小さな物を拡大して見る事ができたり、

一定以上の強さを持つ光源があれば、

レンズと気圧を組みあわせて火を起こす事もできる。

水の沸点を下げて簡単に沸かす事も可能だが、

結局は[ただ沸いている]だけであって温度は100℃ではないので、

料理等の日常的な場面ではなく、特殊な件にしか使用しない。

戦闘では、構えた弓矢の前に低気圧の筒を作り出す事で矢の初速を早め、

尚且つ軌道を安定させる効果を得られる。

これにより、着弾地点のブレ幅を狭め、遠距離でも的確な射撃が可能になる。

ただし、この気圧操作は、

指の先端から発した能力が空気伝導で目標箇所まで直進する仕組みであるため、

蓋をした瓶の中などの密閉された空間を始め、

遮蔽物の向こう側や、水中の座標に対しては発揮できない。

(水を沸かす場合には、事前に気圧を下げた箇所に後から水を入れる)

それ故、人間を対象とする場合、口の中や鼻の孔程度なら干渉できるが、

体内の気圧を外から変えたりするのは不可能。

しかし、口の中や鼻の孔のみでも、

過度の低気圧に触れるのは大変危険であるため、

気圧が及ぼす影響の理非曲直を熟知した彼女は、

同時に自分の能力の便利さも恐ろしさも良く分かっている。

だが、人や動物の危険水準まで気圧を下げるためには、

とてつもない集中力を長時間持続させる必要があるので、

この能力が脅威となるまでのストロークは長い。

そこは、生産的で優しい彼女にとって幸いな点である。


夏季終盤の静かな夜、勝色かちいろと瑠璃色が織り成す水平線の向こうに、

明瞭な星々や月桂包含の浮雲を望み、

慣れない土地の空気と相俟って、

程好く気味良く緊張と高揚を心身に宿すリエール。


生温い海風が吹き付ける中、

まだちらほらと歩行者のある街道を進む彼は、

密集した建物の合間に通った一本の細い路地にふと気付き、

足を止めてその奥へと視線を送る。


月影に染まった裏通りは、侘しさ漂う人気ひとけの無い空間ではあったが、

数十歩先の岐路にて粛々と石畳を照らす一本の街灯により、

都会の一角が密々と見せる夜の表情に味わい深いまろやかさが齎されていた。


目標無く歩いていたリエールはその光景に心惹かれ、

意図せず巷路こうじへと踏み出す。


そして街灯へと迫る途次、

彼は急な明度の上昇を視界の隅に捉え、

反射的に細めた目をそちらへ向ける。


するとそこには、

ポーチ付き玄関の両脇に灯光を備える小洒落た不動産があった。


窓から漏れる明かりに照らされたアプローチには小さな木製の看板があり、

現在の立ち位置からでは何が表記されているかまでは分からなかったが、

この時間帯での明るさと雰囲気から[酒場]と判断したリエールは、

にんまりとしながらその物件へと歩み寄る。


距離が詰まった所で看板から仮説の至当を確認し、

玄関扉に付いた小さな窓から内部を軽く覗いた後、

ゆっくりと入口を押し開ける生熟れ旅行者。


カランカラン。


「いらっしゃい」


リエールは取っ手を放さず、敷居の上で立ち止まったまま内装を見渡す。


すぐ左手側、空のカウンター席の向こうに、

濃くて短いヒゲを生やしたダンディな中年バーテン、

その後ろの棚にズラリと並ぶ様々な銘柄の酒瓶、

正面奥、煉瓦の壁際に積み上げられた樽、

右手側に広がるテーブル席のスペース。


いわゆる普通の酒場だが、肝心な景気はと言うと、

黒髪を無造作なムービングショートにした若い男が一人だけという、

見事な不況ぶりだった。


静かに扉を閉めつつ、少し及び腰な挙動で入店してきたニューフェイスに対し、

マスター兼バーテンの中年男性が、お決まりの台詞を口にする。


「なにか飲むかい?」


その問いに左手で保留の合図を返したリエールは、

カウンター最寄りのテーブルに歩み寄って椅子をゆっくりと引き、

咬み合わせた前歯の隙間から息を吸い込みつつ腰を下ろす。


新参者には目もくれない先客の男は、

店の中程、奥壁にくっつけて配置されたテーブル上に左腕を置き、

椅子の背凭れではなく壁に上体を寄り掛けて足を組みつつ、

浅い角度で俯いていた。


リエールはそんな男を意識しながら、

「じゃあ、バーボン」と、発注する。


「はいよ」


バーテンはバーボン入りの瓶と空のグラスを注文者のテーブルへ運び、

「あんたもカウンターは落ち着かないってクチかい?」と、

グラスにバーボンを少量注ぎながらリエールに尋ねる。


「うん、いてる時は特にね」


「おまえと同じだな、ファード」


壁際の男にそう言い放つバーテン。


「珍しくも無いだろう」


相変わらず俯いたまま、一言だけ返すファード。


「いつもあんな調子だ」


バーテンはリエールに向かって微笑みながら、顎でファードを差す。


そしてカウンターに戻った彼は、再び[一見さん]に話を振る。


「客は常連ばかりなこの店じゃ、あんたみたいな若い新顔は珍しい」

「カルネラ辺りからか?」


「いや、その一個向こうのナティッドから」


バーテンは数回うなずく。


「あ~、ナティッドか」

「で、ここへは出稼ぎにでも来たのか?」


「いや、今日から仲間と旅を始めたんだ」

「で、国を出る前に仲間の用事を済ませちゃおうと思って」

「(あ、日付的には昨日からかも…)」


リエールはカウンター内の時計をチラリと見遣った結果、

自分の発言に偽り無しと知る。


「旅か…、そいつはうらやましい」

「いっちょ、うちで景気付けしていってくれ」


ガラガラの店内を一瞬振り返り、

「…、はは…」と、苦笑を返すリエール。


経営者も自分の言葉に含まれた突っ込み所に気付き、

若干の気不味さから静まり返る店内。


しかし、静寂拭いには慣れているバーテンは、

下を向いて軽く一笑する事で仕切り直した後、

先程得た情報と繋がる店舗事情を口走る。


「うちのウイスキーは、ナティッドの業者から取り寄せているんだ」


リエールは少し間を置いてから反応する。


「バーボンを頼んで正解だったか」


「はは、流石にここまで来て飲みたくはないか」


無言で緩めた表情を返したリエールは、口を窄めてバーボンを少量啜った後、

若干遅れたタイミングで話を広げる。


「まあ、うまいんだけどね」

「前、ウイスキー工場でちょくちょく仕事もらってた時期があってさ」

「そん時、試飲にかこつけて飽きる程飲んだよ」


「はは、勤務中にか」


「うん、あれは天職だったね」

「次はトーテスのエール工場に勤めようかと思ったくらい」


「あの辺りにある工場に、それ程甘い待遇の所はない」


壁際から飛来したその言辞を耳に受け、

少し驚き気味に発声者へと振り向くリエール。


「へぇ~、良く知ってるね」

「勤めてたの?」


問われると同時にグラスを持ち上げたファードは、

「ああ」と、ウイスキーを口に含む。


会話の相手と目も合わせず、

簡易な発音を返しただけの男を親指で示したバーテンが、

「あいつはトーテス出身なんだ」と、ささやかな解説を挟む。


リエールはカウンターの方へ顔を戻し、

「そうなんだ」と、呟いた直後、

彼と同じ出身地の者が自分の身近にもいる事を思い出す。


「あ、俺が一緒に旅をしてる仲間にも、トーテス出身が一人いる」


そう口述して立ち上がり、空のグラスを持ってカウンターに向かう彼を、

静かに目線で追うファード。


カウンターに置かれたグラスに向かって、

粛々とボトルの口を傾けるバーテン。


再びバーボンで満たされたグラスを手に、

ニヤけながら元の席へ戻ろうとするリエールの後ろ姿に向かって、

バーテンがボトルのネック部分を摘んで小さく掲げつつ、

「コレごと持っていくか?」と、それを左右に揺らしながら尋ねる。


素早く振り返って[コレ]が何かを確認した後、

足を止めて少し考えるリエール。


「ああ、それじゃあ、バーボンはこれでお預けって事にして…、

軽めにリキュールをもらうよ」


「よしきた」


そう言ったバーテンは身を反転させて酒瓶の立ち並ぶ棚を探る。


注文者はその仕事を見遣りながらじわじわとカウンターへと歩み寄るが、

予想よりリキュールの登場が遅く、カウンター手前で棒立ち状態となった。


やがて手持ち無沙汰感を覚えた待機客が何気なく先客に視線を送ると、

彼の方も俯き加減ながら目線を返してきた。


それに釣られたリエールはファードの方へと体ごと向け、

特に反応を求めない心積もりで先程の話を間の繋ぎに使う。


「他にはノースクトル出身が一人、サウスクトル出身が一人、

ナティッド出身がもう一人」


「悪い、待たせちまったな」


ゴト。


カウンターに置かれたリキュールの瓶に向き直り、

それを回収してテーブル席へと戻るリエールを、ファードが疑問で狙い撃つ。


「どういった経緯があればそんな組み合わせになるんだ」


話に興味無しと思われたファードからの返答を受け、

テンションを上げたリエールが調子に乗る。


「まあ…、[時の気まぐれで結ばれた仲間]…、とでも言うべきか」


酒場の雰囲気にそぐわない詩的表現を含んだその台詞に、

自分で軽く噴出すリエール。


バーテンはそれに反応して鼻で笑う。


「面白い事言うな、あんた」


「理解には苦しむがな」


ファードは一言多く添えながら、

テーブルに置かれたボトルからウイスキーをグラスに注ぐ。


リエールは微笑みながらファードの方を振り向き、

沈静する気色を少し恥じらいながら過ごす。


「で、これから何処へ向かうんだ?」


視界外からそう問い掛けられたリエールは、

バーテンに素早く顔を向ける。


「明日、昼の船でリュトンへ向かう予定だったけど、

急ぎではないし、まだ用事も果たせてないから、もう少しこの街にいるかも」


「ひゅぅ…、優雅に船旅、滞在延期も想定内とは、ブルジョワだね」


グラスにまだ余っている少量のバーボンを飲み干してから応答するリエール。


「予算が結構あるからね、多少は無理が効くさ」

「(詳細な金額は知らないけど)」


「生活費さえ一杯一杯の誰かさんとは違うな」


ファードの方を向いて声高く皮肉るバーテン。


「その[誰かさん]達が集まるから、あんたの懐が暖まるんだろう」


攻勢だったつもりのバーテンは反射してきた皮肉を無防備に受け、

「だはは、言えてるな」と、カウンター内側の作業台に両腕を突いて笑う。


引例と然程変わらない日常を最近まで送っていたリエールが、

慌て気味にファードをフォローする。


「いや、こっちの予算だって、自分達で用意したものじゃないから」

「厳密には予算と言うより経費だしさ」


バーテンが聞き捨てならないフレーズを拾う。


「経費?」

「旅をするのが仕事か?」


「まあ、大雑把に言えばそんなとこ」


「おまえの話は不審な点が多い」


横から介入してきたファードに対し、

リエールは空になったグラスにリキュールを酌みながら続ける。


「実は、義務的に旅を強要させられてる様な部分もある」

「だが、俺らが自由にルートを決めていいって条件があるから、

全く不満は無いけどな」


「出来過ぎた条件だ」


ファードの呟きに共感したバーテンがストレートな質問をぶつける。


「そんなおいしい仕事をくれる勤め先って、どんな所なんだ?」


「あ~…、えっと」

「社会問題解決に奮闘する組織」


遠く大まかに答えた後、

ウイスキーグラスの内側で波打つ潤朱うるみしゅの果物酒を飲み干すリエール。


「また不審な点が浮き上がって来たな」


バーテンは眉間にしわを寄せて少し考えた後、

自分なりの推理を発表する。


「一種の取材というか調査というか、

[世間を見て来い]的な仕事か?」


遠からずな答えを聞いたリエールが、

「あー、そうそう」と、とりあえず肯定してしまったため、

勢い付いたバーテンが更にコメントを追加する。


「で、結果を上司に報告する感じだろ?」


「うん、まあ…そう」


これ以上深入りされても対処に困る幻導士は、

ファードに発問する事で話を逸らす。


「あんたはこっちへ来て、仕事の他に何かしてるのか?」


数秒の間を空け、ファードがゆっくり口を開く。


「他人の身の上など知ってどうなる」


「(うわ、気不味いし)」


その心の声が聞こえたかの様に、

タイミング良く話に入ってくるバーテン。


「うまく逃げたな」

「要するに、何もしてないって事さ」


「なるほど」


再び若干の間を置いた後、ファードは少しずらした言葉を返す。


「俺が時間と金を持て余していても、旅にそれを使う事はない」


「第一に酒か?」


微かに笑みを浮かべるファード。


「いや、実家を改装して、店でも開くつもりだ」


「へぇ~」

「キャラに似合わず、花屋とかだったりして」


「業種は土地の需要と相談して決めるが、

花屋だけはない、近所に商売敵がいるからな」

「一通り都合を考えると、まず飲食店が候補として強い」


バーテンは喫驚の様相で口を挟む。


「お前にそんな考えがあったとはな」

「それなら、こんな所で無駄遣いしてないで、

纏まった金と時間を作ってみたらどうだ?」


ファードはその提案に軽く息を吐く。


「(経営者が客に向かって言う事か)」

「まあ、金と時間の工面も問題だが…」

「小市民が単調な日々を変えるには、他にも雑多な要素が絡んでくる」

「勢いに任せれば良いという物でもない」

「だが、勢いが無ければ、それこそ半端な結果に留まりかねない」

「そして、単調な日々に嵌っている状態では、勢い程縁遠い物はない」


リエールは難しい顔で何度もうなずき、話を広げる。


「時事的なタイミングも重要だしな、情報とかコネとかもないと不利だし、

逆にそのせいでなかなか踏み込めないパターンもあるしな、

きっかけがあれば勢いは付くにせよ、いざって時には覚悟も決めないとだし」

「あ、それと、何気に[運]もいるよな」


滑りの良い舌によるハイテンポな連続発音に目を見張りながら、

口角を上げてうなずきを返すファード。


「ああ、そうだな」

「俺の様に、[何か]を待っているだけでは、成功など掴み取れんだろうが」


「自覚があるなら、変える事もできるんじゃないか?」


「気持ちと現実はそうそう噛み合わない」

「言い訳染みているが、一応は事実だ」


「まあ、確かに…」

「だが、俺は極最近まで、定職も持たずにダラダラしてたけど、

一気に変える事ができたぜ?」


「おまえには[運]があったんだろう」


「…、ああ…」


リエールは微笑みながら俯き、

此の程における生活環境の激動ぶりをしみじみ振り返る。


「そう…、俺は[運]が良かった」

「ある[出会い]をきっかけに、ほんと日常が大きく変わったからな…」


「[出会い]か…」


空のグラスに再びリキュールを注いだリエールだったが、

それを飲む気配を見せずにファードの方へ向き直り、言葉を繋げる。


「あんたの言う[何か]が、[出会い]だとしたら…」

「人生を変える出会いなんて、いつも突然やって来るものさ」

「今、俺があんたと出会った様に」


ファードは鼻で笑う。


「利いた風な…」

「お前は、旅ついでにこの街へ来て、気まぐれにここへ寄っただけだろう」

「こっちは、お前の名さえ知らないんだぞ」


もはや、黙って二人の会話に聞き入るバーテン。


「何が人を導いて、何に引き合わせて、

どんな結果になるかなんて分からないだろ?」


「単なる客同士の立場でどうなると言うんだ」


「いやいや、こんなちょっとした出会いでも、バカにはならないぜ?」

「例えば、俺とあんたはさっきからこうしてしゃべってるけど、

少なくともあんたは、俺に対して悪い印象を持っていないから、

普通に接してくれているんだろ?」


「…まあな」


「じゃあ、あんたはおれを嫌いじゃないって事でいい?」


「なにを期待してんだ?」


軽く噴出すリエール。


「まあまあ…、これはあくまで例えの前置きだよ」

「そんなシンプルな[好き嫌い]程度の基準でも、実は結構でかいんだよね」

「だってさ…」

「老人だろうと赤ん坊だろうと、人生の中で体に染み付いた物とか、

生まれつき先祖から受け継いだ物とか、

そうゆうのが[好き嫌い]という基準を生む訳で、

それを無数の人間が何世代も何世代も繰り返して、

今の俺達の[好き嫌い]が…、というより[精神]?、

…いや、さらに言えば[命そのもの]が構築されたんだから、

言うなれば[人自体]が偶然の産物みたいなもんだ」

「だから、目の前で起こった現象が、

単なる個人の[好き嫌い]から枝分かれしただけの些細な物に見えても、

それは世界が出来てから今までの間に、

人だけじゃなく色んな物が織り交ざって起こした奇跡なんだよな」

「だから、あんたが俺に好感を持ったという何気ない出来事だって、

立派な奇跡だし、大きな進展へと繋がる糸口に成り得るんだよ」


「(好感を持ったとは言ってないが…)」と、内心ファード。


「さっき言った組織のお偉いさん達は、

そんな[神経質か!]と思う程に細かな[奇跡]の事を、

[時の導き]…、なんて恥ずかしい呼び方してたが、

俺もそれを感じたからこそ、この仕事に志願たんだ」

「そして大きく変わり始めた」

「だからあんたも…」


「聞けば聞く程に怪しさが増すな、お前の組織は」

「では、おまえが気の勢みでこの店に入ったのも、

その[時の導き]というやつか?」


少しグラスの中を覗き込みながら考えたリエールは、

再び視線をファードに向けて、力強く答える。


「ああ、そうだよ」

「あんたの人生も、これを機に大きな躍動を見せるかもしれないぜ?」


互いに微笑む二人。


「全く以て大袈裟で、軽々しくて、不審な点の多い男だ…」


夜の静けさ、隠れた素性による適度な距離感、酒の影響…、

あらゆる要素が二人の気持ちを煽り、

普段は内面に収めておく一面を浮かばせる。


バーテンは第三者ながら、微かに羞恥心さえ抱いていたが、

若者二人のすっきりした心意気に刺激を受け、

自らもあえて雰囲気に呑まれようと、

ウィスキーをグラスに注ぎ、それを掲げる。


「若い二人の、[時の導き]による出会いに…」


リエールとファードは再び互いに微笑み、グラスを掲げ合う。


「ファードに…」


「名も知らぬ男に…」







翌朝、ホテル・ブルースラインの201号室にて、

和気藹々と朝食を摂る宿泊団体の中、

リエールだけはぐったりとベットに横たわっていた。


フィリップがそんな彼に振り向き、発問する。


「お前の飯、皆で分けていいか?」


場が静寂し、全員が耳を済ますも、

リエールからの返事は無かった。


「寝てるか…、なら、勝手に分けるぞ」


沈黙を認可と解釈し、

早々に次のステップへと移るフィリップを見て、

「いいの?」と、エルニー。


「いつまでも寝てるのが悪い」


シビアなイデオロギーのフィリップは、右隣の空席に並ぶメニューから、

数枚のハムが盛り付けられた皿を手に取り、

自分の前にある同規格の空き皿に重ねた。


そして続け様に隣席のバタートーストを摘んで口に銜えた彼を見たミュアが、

「じゃあ、そのバナナ貰っていい?」と、

フィリップに視線を向けながら空席のデザートを指す。


「どうぞどうぞ」


頬を膨らませたままそう答え、

三度隣席から一品掠め取ってミュアに差し出すフィリップ。


「やった!」


朝早くから元気なミュアを見て、横で微笑むニーニャ。


エルニーは特に食べ足りない訳でもなかったが、

フィリップやミュアの砕けた調子に深い打ち解けを感じ、

彼等の基準に習ってボーダーラインを引き直す。


「リエール君ごめん、卵もらうね」


立ち上がって空席の前へ手を伸ばし、

エッグスタンドごと自分の席に運ぶ美青年を横目に、

フィリップが唯一何も求めないニーニャに問う。


「ニーニャは何もいらないの?」


彼女は余ったメニューに視線を向けながら答える。


「紅茶しか残ってないよー」


フィリップはその事実を確認後、二品取ってしまった自分に引け目を感じ、

「あら、ほんとだ…、ごめん」と、硬直する。


「ううん、気にしないで」


毎度ながら可愛らしい笑みでそう返したニーニャの左横で、

空席に置かれた紅茶のカップを見詰めるエルニーが、

卵の殻を剥きながらフォローを入れる。


「そもそも、ニーニャは何も取らなかったと思うけどね」


それを聞いたミュアは無意識に自分とニーニャを比較してしまい、

欲を出した恥ずかしさで表情が強張った。







朝食の後片付けも済まされ、

それぞれ自由な時間を過ごす201号室内の旅仲間達。


窓から外を眺めるフィリップ、

倉庫の中へ朝風呂に向かったエルニー、

ベッドの上でおしゃべりに興じるニーニャとミュア、

相変わらず芯を抜かれた様に睡眠中のリエール。


窓枠に肘を突いて部屋の方に向き直り、

しばらく室内を観察していたフィリップが、

やがて出鱈目な生活サイクルのリエールにしみじみと呆れる。


「いい加減起きろよな~」


その言葉に反応してフィリップの方を向いたミュアとニーニャは、

続いて彼の視線の先にいるリエールに注目する。


「よし!起こしてやーろおっと」


そう言って自分のベッドに靴を脱いで飛び乗るフィリップ。


不思議そうな顔のミュアとニーニャが観覧する中、

彼は大袈裟に弾みを付けてから隣のベッドで就寝中の男へ向かってダイブし、

故郷では習慣だったボディプレスをお見舞いする。


驚きからジタバタと暴れるリエールを見て、

ミュアとニーニャは向かい合いながら微笑む。


舞い上がる埃を払いながらベッドを降りるフィリップに、

「ここまで来て、まだそれやるか…」と、寝ぼけ眼で発す同郷のよしみ


「その不規則な生活を正しなさい」


仕方なく布団を捲り上げたリエールは、

目覚めの悪そうな表情で上体を起こして頭を掻く。


「朝飯は…?」


「とっくに片付けちゃったよ」と、フィリップ。


リエールはいくらか表情を緩め、しばらく無言で部屋を見渡していたが、

「まあいいや…」と、更に布団を捲り、

ベッドに腰かけた姿勢へと移行して靴を履き始める。


「白身魚の燻製がまだ残ってたよな?」


「ああ」


「あとでそれ食おうかな…」


立ち上がって欠伸をしながら背伸びをした後、

「エルちゃんは?」と、フィリップに問い掛けるリエール。


「朝風呂」


「…さわやか青年め」


そう呟いたリエールは、ズボンの裾を直しながら窓辺に向かい、

海を眺めつつ朝の涼風にあたる。


そして先程のフィリップと同様、窓枠に肘を突いて部屋の方を振り返り、

「昨日、汽車の中で寝てたせいで、夜中寝れなくてさ」と、

遅起きの理由を説明する。


「なるほど」


その時、ベッドの上に置かれた箱から突然出てきたエルニーに驚く一同。


「ふぅ、さっぱりした」


タオルで濡れた髪を拭きながら小箱の蓋を閉めた際、

窓辺に立つリエールに気付くエルニー。


「あ、おはよう」


「おはよう」

「今起きたとこ」


「じゃあ、顔洗ってきたら?」


エルニーは再び小箱の蓋を開け、リエールに向ける。


それを見たリエールは一瞬考えてから、

「ああ、そうする」と、小箱の前に踏み込み、入口に触れる。


小箱をベッドに置き、タオルを動かしながら本日の予定を確かめるエルニー。


「えーと、まずミュアちゃんのお兄さんに会いに行くんだよね?」


「うん、そうしよー」


ミュアのご機嫌な返答を聞いたエルニーは、

念のために追加質問を飛ばす。


「この時間に迷惑じゃない?」


「昨日、遅いシフトだったとしても、一時には帰ってるはずだから」

「丁度今くらいに起きてるかも」


「そっか」

「じゃあ、リエール君が戻ってきたら、早速出かけよう」


「はーい」


数分の後、バッチリ決めた装いで小箱から出てくるリエール。


とはいえ、昨晩の使い回しだが…。


それを見たニーニャが、

「あ、私も着替えてこよーっと」と、箱の置かれたエルニーのベッドに向かう。


「じゃあ、私も~」と、彼女に随伴するミュア。


女性陣を見送ったエルニーは、自らの寛ぎフォームを見下ろしながら固まる。


「僕も着替えようかな…」


それを聞いたフィリップも、

現在の着衣がリエールと比較して地味過ぎる印象だったため、

「俺も二人の後に着替えてくるか…」と、方針を改めた。







仲良く手を繋いだミュアとニーニャが前線を進むその後ろから、

男三人が横並びで続く。


「今度はいるといいなー」


「そうだねー」と、ニーニャ。


「夜勤だと、今はお疲れかもしれないね」と、後ろからエルニー。


「なら、大勢で押しかけるのは迷惑だな」


エルニーの方を向いて、尤もな意見を述べるフィリップ。


暗がりで見た時とはイメージの違うアパートメントの前に到着するや否や、

兄の部屋のドアに駆け寄り、少し強めにノックするミュア。


だが昨晩と同様、ノックに対する応答は無かった。


「あれ…」


流石に焦りを覚えたミュアは、何度もノックをくり返す。


部屋の前に集まっている一同から、一人離れて通りを眺めていたリエールが、

仲間達に振り向いて提案する。


「また時間をずらして来るか?」


俯いて返事をしないミュア。


リエールは軽く息を吐いて通りの方へ顔を戻す。


その時、そんな彼の右手方向にある曲がり角から、

色々詰まった紙袋を抱えた若い長身の男が現れた。


ズボンのポケットに手を突っ込んで道端に立つリエールは、

ふと脇目についた動きに反応し、

自分の方へ歩いてくる若い男に何気なく視線を向ける。


意図せず目が合った長身の男とリエールは、

しばらく無表情で見詰め合っていたが、

距離が縮まるにつれて互いの脳裏に強く浮かぶ物があり、

やがて確信を持った二人は微笑み合う。


そして[見覚え]のある長身の男が数歩先に迫った所で、

声を掛けるリエール。


「よう、ファード」


旅の仲間全員が発声者に注目する。


「どこまでも不審な奴だな、お前は」

「なんでここにいるんだ?」


「ああ、いま仲間の一人がさ…」


リエールが親指で示す方向へ顔を向けたファードは、

次の瞬間、意外な言葉を口にする。


「ミュア…」


「兄さん!」


若干硬直した後、満面の笑みで兄へと駆け寄り、

そのまま勢いを弱めず抱き付くミュア。


ファードは軽くバランスを崩しながら紙袋を持ち替え、

右手で妹の髪を優しく撫でる。


その傍らで喫驚するリエールが、

アネスト兄妹に焦点を往復させつつ呟く。


「に…、兄さんって…」


それとほぼ同時に、第一の疑問をミュアにぶつけるファード。


「なぜお前がここに?」


ミュアは密着状態にある兄の顔を一瞬見上げてから仲間へと振り向き、

随分飛躍した解説を述べる。


「いま、この人達と旅をしてるの」

「それで、この街に寄るっていう話になったから、会いに来たの」


事情がいまいち飲み込めないファードは、

自分の住むアパートの前に佇む三名を見ながら苦笑する。


「そうか…」

「詳しく聞く必要がありそうだな」


その返答の後、今度はミュアが疑念を表す。


「でも、リエールと知り合いなの?」


相変わらず至近距離に位置取る妹からの問を受け、

「この男か?」と、目線でリエールを示す兄。


「うんそう」


ファードはリエールと顔を見合わせて微笑み合った後、

若干の当て擦りを混じえて答える。


「ああ、[時に導かれて出会った仲]ってとこだ」


それを聞いたリエールは軽く噴出した後、すぐに補足を入れる。


「ま、昨日始めて会ったんだけどな」


「え?ずっと一緒にいたじゃない」


「そこは後で話すよ」

「しかし、あんたがミュアの兄貴だったなんてなぁ…」


「おまえの言ってた[仲間]というのがミュアだったとはな…」


「あ、みんなに紹介するね」


兄の腕を引き、アパート前の三人に迫るミュア。


彼等をにこやかに迎えるエルニーとニーニャの間で、

フィリップは親友の知られざるコネクションに戸惑い、

目を丸めていた。


「この人が私の兄、ファード・アネストです」


「僕はエルニーといいます」と、笑顔で握手を求めるエルニー。


「(僕…?男なのか?)」


一人称と服装からエルニーを男性と分別しつつ、

「ファードだ、よろしく」と、快く求めに応じるファード。


「はじめまして、ニーニャといいます」と、丁寧にお辞儀するニーニャ。


「よろしく」と、ファードも同様に頭を下げる。


フィリップもそこで気持ちを切り替え、

「フィリップです、よろしく」と、表情を緩めて手を差し出す。


「ああ、よろしくな」


そんな二つ目の握手が済んだ直後、

再び兄にぴったりとくっつくミュア。


「昨日夜勤だったの?」


「いや、ただの残業だ」


「そっか、夕方に一回来たんだけどいなかったみたいだから」


「それはすまなかったな」


ファードはミュアの髪を撫でながら一息付くと、

広げた手でドアを示しつつ提言する。


「とにかく、中で話そう、狭いけどな」


妹を脇に付けながらドアの前に立ち、

ズボンのポケットから鍵を取り出すファード。


そして自分の住む部屋のドアを開けた彼は、

敷居を一歩跨いでから振り返り、

「遠慮はいらないぞ」と、玄関脇の調理台に荷物を置いて奥へと進む。


そんな彼のすぐ後から、ミュアも軽い足取りで続く。


入口前で棒立ちしている仲間を余所に、

謙抑けんよくなど微塵も無くズケズケと部屋に立ち入るリエール。


「いやぁ、ほんと狭いわぁ」


ベッドに腰掛けたファードは、表情をピクリと動かすも、スルーを決め込む。


ミュアはリエールの振る舞いに小さく噴出した後、

「普段、誰も呼ばないの?」と、住人に尋ねる。


「ああ、これと言った付き合いもないからな」


「そなんだ」と、兄の横に座るミュア。


先陣二名の言動によって、

距離の基準を掴んだフィリップ、エルニー、ニーニャも、

多少慎みを含みながら静かに入室する。


ファードの居住部屋は奥行きが浅いにも拘わらず、

入ってすぐ左手側にキッチンがあるので、

リエールの感想通り、結構な狭隘きょうあい感だったが、

雑貨類等はすっきりと整理整頓されている上、

調度品も必要最低限のみに抑えられていて、

少ない間取りにできるだけ広いスペースを確保する努力が見て取れた。


しかし、その調度品は決して無頓着に選ばれた物ではなく、

気取りの無いデザインで調和性と機能性に長けており、

床に敷かれた芸術味溢れるアンティーク絨毯や、

シンプルな白の壁紙による外光の活用効果と相俟って、

なかなかレストフルなインテリアに仕上がっていた。


日頃、客を迎えないのが惜しい程の部屋を見渡す客人達に、

「適当に腰かけてくれ」と、寛ぎを促すファード。


リエールは相変わらず大きな態度で、

テーブルを挟む二つの椅子の片方に座るが、

フィリップ、エルニー、ニーニャは立ち尽くしていた。


その状況から、早くも定員オーバーな事に気付く一同。


しばらくの沈黙の後、ファードが立ち上がながら提案する。


「外に出ようか…」


「兄さん、眠くないの?」


ミュアがベッドに座ったまま兄の腕を掴み、その都合を気遣うと、

ファードは妹にすっきりしたスマイルを返して答える。


「すっかり覚めたさ」







穏やかな海の上に突き出たカフェテラスのある喫茶店で、

当然そのテラス席を選んだリエール達一行の会話が弾む。


「で、適当に入った酒場に、客が一人だけいてさ…」

「妙に絡んでくるのよ、その客」


「それが兄さんだったのね」


「そうそう」


「その適当に入ってきた男が、妙に不審な奴だったものでな」


皆が微笑み、しばし会話が途切れる。


「昼の船でリュトンへ向かう予定だそうだな」


リエールの旅仲間達にとって初耳の情報を口走るファード。


「そうなの?」と、リエールに尋ねるミュア。


全員の注目を浴びたリエールが、若干焦り気味に答える。


「あくまで、そのつもりだったって話だよ」

「別に急いでないから、まだ滞在しても全然OK」

「アネスト兄妹も積もる話があるだろうし」

「宿じゃなくて倉庫に泊まるのもおもしろそうだし」


「泊めてくれる倉庫なんてないぞ、ここには」


受け取りの前提が違うファードがそう指摘する。


「ああ、そうだけど」

「どうする?もうちょいここにいる?」


それぞれがそれぞれの顔を見回す。


「僕は、せめてあと一泊くらいはここで過ごしたいと思うけど」


明らかにミュアを意識したエルニーの言葉をきっかけに、

「うん、まだ街を見て回ってないし」と、ニーニャも賛同する。


フィリップも流れに従い、

「そうだな、別に急ぐ理由はないもんな」と、二人の後を押す。


ミュアはそれらの言葉が、

自分に気を回して発せられた物と分かって嬉しく思ったが、

その反面、自分の都合で仲間を振り回してしまう事に抵抗を感じ、

「みんなありがとう、でも気を遣わないで」と、ぎこちなく微笑む。


そんな彼女の方へ突き出した掌を小刻みに振るリエール。


「いやいや、俺は軽はずみに予定を言っただけだから」


少し間を空けてから、

「いいの?」と、肩を縮めつつリエールに確認するミュア。


「ああ、丁度ここらの店で食べ歩きしたいなと思ってたしな」

「ミュアはファードの家に泊まるなりして、

兄妹水入らず、楽しく過ごしておくんなまし」


微笑む一同。


だがその直後、ファードから出鼻を挫く発言が飛ぶ。


「ありがたい申し出だが、俺は今日、夕方の汽車に乗る予定があるんだ」


「ありゃ」


「え?出張?」と、ミュアが残念そうな顔で問う。


「ああ、週末に船積みする荷物の確認と仕分けのために、

カルネラの倉庫へ行く」

「むこうの寮に泊まって、戻るのは明後日くらいだな」


「そっか…」


少しの間沈黙が続き、やがてリエールが隣席のエルニーに耳打ちする。


「この街に長く残るのも、ファードに気を遣わせちゃうな」

「夕方前に出るなら、もう帰って寝ないとつらいし」


無言でうなずくエルニー。


「ところで、みんな出身地がバラバラらしいな」


リエールのコソコソした仕種に気付かぬ振りをして、

ファードが静寂を破る。


「うん」と、少しテンションの下がっているミュア。


「そうそう、俺とフィリップは同じナティッドだけど」と、割り込むリエール。


「どうして知り合ったんだ?」


「ああ、ミュアがナティッドの旅館に来てさ」


ミュアへの質問を横からジャックしたリエールが、軽々しく口述を始める。


それを見たエルニーが、突然リエールの上着の袖をグイグイと引っ張った。


咄嗟に話を中断して向き直ったリエールに、今度はエルニーが耳打ちする。


「こっちの人には、むやみにあっちの事をバラしちゃだめだよ、

たとえ仲間の親類でも」


「そうかそうか」


「なぜナティッドへ?」と、直接ミュアに尋ねるファード。


「え~と…」


ミュアが話を整理している間に、

リエールが慌てて情報漏れをシャットアウトする。


「その辺はシークレット事項と言うことで」


「なんだそれは、お前から話しておいて…」


ファードは先が気になったが、

現在の状況でこれ以上詮索しても気不味いので、渋々慎む。


「そういや、朝飯食ってないんだった」


話を逸らすのに空腹を利用したリエールは、

「なにか注文していいだろ?」と、ニーニャに許可を求める。


「あ、どうぞ」と、ニーニャ。


「やったー」


嬉々としてメニューを手に取るリエールを見て、

兄への素朴な疑問が浮かぶミュア。


「兄さんは朝ごはん食べたの?」


「俺もまだだが、家に戻ってからにしておく」


それを聞いたリエールが鼻で笑う。


「俺達がおごるって言い出しそうだから?」


「まあ、そんな所だ」


一同が微笑む中、通りかかったウエイターを呼び止めるリエール。


「ちょっと」


「はい」


立ち止まってシルバートレイを腋の下に挟み、

メモをスタンバイするウエイター。


リエールはメニューを指差しながら、

「マッシュルームスープと、ハンバーガープリーズ」と、ウエイターを見上げる。


「その二品をひとつずつでよろしいですか?」


「うん」


ウエイターはペンを走らせながら注文の確認を繰り返す。


「はい、えっと…、マッシュルームスープをおひとつ…、

ハンバーガーをおひとつ…、

ご注文は以上でよろしいですか?」


「うん」


「かしこまりました、少々待ちください」


小走りで厨房へと向かうウエイターを同席者達が見送る中、

リエールが彼の背中を親指で示しつつ言う。


「あいつ、絶対ニーニャとミュアとエルちゃんを意識してたぜ?」


「ああ、してたな」と、うなずくフィリップ。


「またそれかよ」と、エルニー。


皆に一笑が出た後、会話が詰まり、しばし全員が黙り込む。


「あ、兄さん、こっちでどうしてた?」と、心地悪い無声状態を打開するミュア。


「そうだな…、普通に仕事してたくらいだが」


「おまえは?」


「私もちょっとお仕事やってたくらい」


結局会話が盛り上がらず、より気不味くなる一同。


そんな状況を見兼ねたエルニーが、初めてファードに質問する。


「どうしてミュアちゃんと離れて、こっちに来たんですか?」


エルニーと視線を合わせるファード。


「出稼ぎだな、要するに」

「地元の勤務先はどこも給料が安かったという単純な理由だ」

「首都だけあって、仕事は掃いて捨てる程あったがな」


「なるほど」


「ミュアを置き去りにしたのはなんで?」と、横からリエール。


ファードが素早くリエールに振り向く。


「人聞き悪い言い方だな」

「実家を無人のまま放って置けないし…、

二人が窮屈なく住める程の部屋を借りるのも金がかかる」


「ああ、そうだな」


「一人暮し向けの部屋なら、安い物件がゴロゴロあるからな」

「いまの部屋なんかは、月12000だ」


「そりゃ安い」


そう相槌を打ったリエールは、

新たに得た情報を基に、独断ではじき出した推論を発表する。


「だけど、そんなに安い家賃なのに、あんたの月給がほとんど残らないのは、

飲み代として浪費してるからではないと見た」


「え?ほとんどお金残らないの?」と、ミュア。


「らしいぜ」


「他人の家計事情を堂々と暴露するな」


ファードからの突っ込みは無視して、リエールが続ける。


「その秘密は、ミュアに仕送りしてるからだろ?」

「それも、結構な額とお見受けするが、いかがなもんでしょ?」


「うん、そうだよー」


兄からは答え難いであろう質問にミュアが代弁する。


「160000スティも送ってくれるの、いつも」


「うわー、いいお兄様だ…」


照れる素振りもないファードは、その所以を語る。


「給料はそこそこ貰ってるからな、こっちはそれだけ送っても十分余裕はある」


それを聞いたミュアは、掌を胸の前で合わせて報告を返す。


「こっちも流石にそんな大金は使う用途がないから、

仕送りは半分だけ残して、後は貯金するの」


「じゃあ随分溜まってるんじゃない?」と、会話に参加するニーニャ。


「うん」と、彼女に微笑むミュア。


「しっかりした妹だ…」


その時、そう呟いたリエールの背後から、

ウエイターが先程注文した品を運んできた。


「はい、こちらマッシュルームスープとハンバーガーになります」


「あ~、おいしそ~、いいな~」


テーブルに置かれた料理を、ミュアが羨望の眼差しで眺める。


「いいだろー」


軽い優越感に浸るリエールの横で、

エルニーがニーニャにヒソヒソと話し掛ける。


そしてテーブルの下でニーニャから何やら手渡されたエルニーは、

体勢を整えてリエールに囁く。


「この後、ミュアちゃんとファードさんを、

少しだけでも二人きりにしてあげようか」


ハンバーガーを頬張りながらにやけてうなずくリエールに、

先程ニーニャから渡された物を差し出すエルニー。


「代金はこれで支払って」

「残りはあげるから、フィリップ君と街を見てくるといいよ」

「僕達は食料とか買ってくるから」


「おっけ」


「あと、やっぱりお昼の船に乗る?」


リエールは一瞬考えてから言葉を返す。


「その方が、あの兄妹も半端な未練を残さなくて済みそうなもんだろ?」


「あ~…、そうだね、焦る事はないけどそうしよっか」


「あいよ、じゃあニーニャに話通しておいて、俺はこの連中に伝えるから」


「了解、じゃあ11時半にホテル前で待ち合わせって事で」


「わかった」


エルニーは一息吐くと、トーンを上げて言い放つ。


「さて、僕達は食べ物とか買いに行きますね」

「ファードさんも仕事明けで悪いし」


「いや、こっちこそ悪かった、連れ出したりして」


「え~?何も悪くないよー」と、ミュア。


「そうですよ」と、エルニー。


「うんうん」と、ニーニャも微笑む。


「じゃあ、ごゆっくり」


エルニーはリエールの肩にタッチした後、

「さ、ニーニャ行こう」と、立ち上がる。


「うん」


二人を見上げる一同。


「じゃあ、ファードさん、失礼しますね」と、お辞儀して振り返るエルニー。


軽いお辞儀の後、ミュアに小さく手を振ってからエルニーに続くニーニャ。


彼等の背中に手を振るリエール。


話の通ってないフィリップは急な展開に戸惑っていた。







食事と勘定を済ませて店から出たリエールに、他の三人がゾロゾロと続く。


少し進んだ所でリエールは振り返り、

後ろから来たミュアの横に付いて耳打ちする。


「俺ら、靴でも見てくるから、しばらくお兄様と二人で過ごしていいよ」


ミュアはにっこりと微笑み、

「うん、わかった」と、うなずく。


「ただし、もう一つの歴史については伏せておかないとまずいらしいから、

うちらの出会った経緯とか聞かれても、なるべくごまかすようにして」


「はい」


「じゃあ、11時半にホテル前で合流ってことで」


「はーい」


すぐ脇にいたフィリップの方に向き直り、その肩に手を回すリエール。


「さあ、靴でも見てこようぜ」

「じゃあ、またなファード」


「ああ」


「ではまた」と、微笑んで軽くお辞儀するフィリップを強引に方向転換させ、

その背中を押しつつ上体だけ振り向いてミュア達に手を振るリエールと、

彼に推進力の半分を任せてダラダラと歩くフィリップ。


そんな彼等に手を振り返すミュアと、

妹の肩に手を乗せたまま動作無く見送るファード。


「じゃあ、兄さんの部屋行こ」


ミュアはそう言って一歩前に踏み出し、肩から降りた兄の腕を引っ張った。







ファードの居住部屋に到着し、先程と同様、ベッドに腰を下ろす兄妹。


「あ…、何か作ろうか?」


「ああ、頼む」


ベッドから僅か三歩先のキッチンにてストック中の食材を吟味した後、

手際よく料理の支度を始めるミュア。


「シチュー作るね」


そう宣言した彼女は、焜炉にマッチで火を入れ、

ミルク缶に貯えられた水を鍋に注ぎ、それを加熱し始める。


「安いのに良い部屋だよね、ちゃんとキッチンもついてるし」


まな板の上でじゃがいもを切りながら、兄に軽い雑談を振る妹。


「ああ…、だが裏事情がある」


「そうなの?」


「この部屋は、いわゆる[訳あり物件]と聞いた」

「前の住人が、この部屋を借りた翌日に行方をくらましたそうだ」

「近隣の話じゃ、住人がいた時間は、

部屋から何か工務の様な作業音が聞こえていたらしいが、

どうゆう関係があるか、長く住んでみても未だにわからない」


「何それ、こわい…」


「半年くらい待っても帰ってこなかったから、また貸し出したそうだが…」

「[住んでた者が行方不明になった]、という曰く付きの部屋は、

従来の値段ではなかなか借り手が現れず、この値段にしたらしい」


ミュアはそれを聞いて小さく噴出す。


「兄さんって、そうゆうのにこだわらないもんね」

「でも、そんなの内緒にしておけばいいのにね」


「近所の連中が噂好きだから、

大家も隠し通せないとわかっているんだろう」

「借り手が出てからバラすのも気の毒だからな」


「そうよねぇ」


会話が止まり、段々と調理に集中して行くミュア。


そして無言を維持したまま料理が完成を迎え、

食卓にシチューとサラダの二品が並び、兄妹が向かい合ってそれを囲む。


しかし、落ち着いたのも束の間、

ミュアは目の前のサラダを見て、とある[抜かり]に気付く。


「あ、サラダにお塩かけるの忘れちゃった」


彼女がそう言って慌しく席を立った際、

テーブルの隅に置かれたティーポットに手が引っ掛かり、

汚れの馴染んだ古めかしい絨毯の上に落ちた。


「あー!」


陶器のポットは割れなかったが、蓋が開いて中の紅茶が絨毯に広がるのを見て、

「ごめんなさい!」と、兄に謝ったミュアは、

少しあたふたしてから、雑巾を求めてキッチンへと向かう。


「雑巾どこ?」


妹とは裏腹に、冷静な兄が雑巾を指差して言う。


「フライパンの横に掛けてある」


ミュアは即座に雑巾を手にして戻ると、その勢いのまま床に膝を突き、

高い摩擦係数を誇る汚染範囲を雑巾でゴシゴシと擦り始める。


「ごめんね」


「いや、いいさ」


「だってこれ、高そうだよ?」と、兄を見上げるミュア。


「どうせ前の住人の物だ…、この部屋を借りた当初から敷いてあった」


「そうなの?」


「前の住人の物は処分しておくのが普通だが、

この絨毯はオプションとして宣伝に使いたかったんだろう」


ミュアが軽く作業を止め、絨毯の角を摘んで目を近付ける。


「立派な絨毯だもんね」


「これが決め手となって借りる奴もいないだろうがな」

「むしろ、余計に敬遠したくなる気がしなくもない」

「元々気味が良い物でもないし、これを機に捨てるのもありかもな」


ミュアの罪悪感を回りくどく取り払おうとしたファードだが、

兄の心遣いをあっさり悟った妹は、その露骨さに微笑みながら、

雑巾の汚れた部分を折り畳み、別の面で絨毯を擦り続ける。


だが、あまり良い効率を得られなかったため、

彼女は一旦作業を中断して流し台の下にあるバケツを取り、

その中にミルク缶の貯水を注いで再度絨毯の上に戻る。


水を含ませた雑巾で、せっせと絨毯の汚れを除去するミュアは、

しばし作業を続けた後、黙々と見下ろしているファードに顔を向け、

「あ、冷めないうちにそれ食べて」と、テーブルの上の皿に視線を移す。


それに釣られて、湯気を立てるシチューに焦点を合わせたファードは、

「ああ、そうする」と、スプーンを手に取り、ゆっくりと食事を始める。


「床の方はあんまり濡れてないね」


テーブルの下から聞こえたその声には特に反応を見せず、

無言で食事を続けるファード。


やがて臨時の仕事を済ませ、

雑巾を放り込んだバケツの取っ手を両手で掴みながら立ち上がるミュア。


「ふぅ…」


一息吐いた彼女は、カチャカチャとスプーンを動かす兄に目を向け、

調理した人間として最も気になる項について、ふと尋ねてみる。


「おいしい?」


とりあえず今スプーンに乗っている物を口へ運んでから、

「もちろんだ」と、答えるファード。


ミュアは嬉しさでにっこりと笑みを零すと、

キッチンの方を振り向いて流し台へと歩く。


「昔から、おまえのシチューは楽しみなメニューのひとつだった」


その言葉にパッと振り向き、

「ほんとー?」と、にやけるミュア。


「仕事から疲れて戻った時、家の中にシチューの匂いが漂っていると、

いつもダルさを忘れて上機嫌になったものだ」


「そうなんだー」


妹は歓喜する気持ちを抑え、

雑巾を漱ぎながら平常通りの口調で答える。


そして流し台で汚水を処分した彼女は、

雑巾と空のバケツを元の場所に戻し、

「知らない内に、兄さんを癒していたんだね」と、

兄の方に笑顔を向けながら玄関に足を運び、

ドアを全開にしたまま、アプローチにある井戸へと向かう。


しばらくの後、手首を激しく振りながら帰還したミュアは、

キッチンに垂れ下がったタオルで濡れた手を拭いつつ言う。


「井戸の水冷たいね」

「あ、兄さんが食べてる間に、お洗濯しよっか?」


ファードは数秒の間を空けて答える。


「普段なら頼みたいが、今から干しても乾く前に家を出る事になりそうだ」


「あ、そっか」


玄関を閉め、再び兄の向かいに座る妹。


テーブルの上のポットやカップ、陽の差し込む窓、少し乱れたベッド、

染みを作ってしまった絨毯等の間に眼を泳がせていたミュアは、

やがてテーブル上に組んだ自分の腕に顎を乗せ、

まぶたの力を抜いて兄を見遣る。


その目線を感じた兄が、応える様に目線を合致させると、

ミュアは可愛らしく微笑んだ。







食事の後片付けを済ませて落ち着いた頃には、もう集合時刻間近だった。


「じゃあ…、そろそろ出るね…」


名残惜しそうな表情で、ベッドから渋々立ち上がるミュア。


「では、見送りに行くとするか…」と、横で立ち上がるファード。


「時間平気?」


「ああ、汽車の中でも眠れるしな」


「そか、なら一緒に行こ」


ミュアは寂げな笑顔で兄の腕にしがみ付く。


アパートを出た兄妹は、

港近くの街道経由でホテル・ブルースラインを目指す事にした。







「あれに乗るんだろ?」


ファードは街道から見える港にて停泊中の大型客船を指す。


「ああ、あれなんだぁ…」


良く分かっていないミュアは、続けて心配事を声にする。


「あれ、やっぱり揺れるかな?」


「当然、船である以上は多少揺れるさ」


「ちょっとやだなぁ…」


「小型の船よりは、ずっと揺れを感じないから、そう心配するな」


「そうなんだ」


そんな会話を交わしながらホテルの前に到着した彼等を、

既にチェックアウト済みの面々が迎える。


「お、来た来た」


そう言ったリエールに手を振るミュア。


「じゃあ、早めに行って混まない内に乗船切符を買っとこう」


相変わらずしっかりと順序を踏まえているエルニー。


「切符買うのに旅券いらないよね?」と、エルニーに小声で尋ねるフィリップ。


「うん、リュトンはここと同じミラディア領土だし」


「そいじゃ、港へ」


先備えで歩き出したリエールに続き、一同は港へと歩み始める。


初めはバラバラだった各々のペースも纏まり、

ある程度勢いが付いてきた所で、

軽快な脚運びのまま背後へと振り返ったリエールが、

「なあファード、港はよく行くんだろ?」と、

最後尾のファードに尋ねる。


べったり密着している妹を見下ろしていたファードは、

素早く顔を上げて答える。


「ああ」

「(勤務先だ)」


「店多い?」


「ああ」


「何が売ってるの?」


「仕事は倉庫エリアだからそっち方面には詳しくないが、

食い物はかなりの種類売っているな」


「普段は港で買い物しないの?」


「ああ、近くの店で事足りてる」

「早く上がれる時に軽く寄っていく事があるくらいか」


そんな雑談をしながら数分歩き、

やがて港前広場にて目的の客船が間近に見える頃には、

辺り一面大勢の人で賑わっていた。


野菜、果物、魚、装飾品、異文化の土産物等、様々な品物を扱う露店の数々。


景気の良い商人達の叫びが飛び交う中、

ごった返す人々が同調で放つ高いボリュームにより、

身近にいる仲間の気配さえもかき消されそうだった。


それを危惧してか、本格的な混雑地帯に差し掛かる前に、

先頭のリエールがふと立ち止まって振り返り、

目線の合図で一旦仲間の密集度を上げる。


「ファードにい、切符売り場ってどこ?」


「船尾の下辺りだ」

「(ファード兄?)」


心の中で疑問を浮かべながら、

妹同伴で団体のガイドを買って出るファード。


高密度の人ごみを掻き分け、はぐれないよう注意しながら、

陳列された商品の数々で目を楽しませつつ、

時折湧き出る購買意欲に気を向けない様に進む六名。


「あ、クレープ売ってんじゃん!」


そう言ったリエールが指差す先を見て、

「マジだ」と、顔を綻ばせるフィリップ。


「買うべ買うべ」


それを聞いたフィリップは素早く仲間内を見渡すが、

先導中のアネスト兄妹が購入プランに気付かず進んでいる事に加え、

他の露店を見遣っているエルニーと、

目を見開きつつ可愛らしく口を引き締めながら立ち止まったニーニャを見て、

チーム自体の円滑な進行を止める程でもないと判断し、

「俺が全員分買っといてやるから、お前は先に行ってていいぞ」と、

リエールの耳元で軽く叫ぶ。


「サンキュー」


「カスタードホイップで良いよな?」


「えー!ヤダヤダ!キャラメルクリームが良い!」


「うるせえ、カスタードな、時間ないんだから」


「…はぁ~い」


そんなやり取りを見ていたニーニャが、

「なに?クレープ買うの?」と、横から笑顔で介入する。


「うん、俺がみんなにおごるよ」


「え!?ありがとー!」


「ちなみに君は何か食べたい物ある?」


「えっと…、キャラメルクリームが良いかな」


「採用」


「…」


わざとらしい膨れっ面を無言で向けてきたリエールを、

「やかましい」と、引っぱたき、

「船尾のあたりで合流しよう」と、ニーニャに微笑むフィリップ。


「うん、じゃあ後でね」と、小さく手を振ってから前方に向き直り、

ファード達を早歩きで追いかけるニーニャ。


そんな彼女を見送るフィリップの視線に横から入り、

更に大袈裟な膨れっ面を見せるリエールだったが、

やがて堪え切れずに噴出す。


それを見てフィリップも軽く噴出すと、

「ほら行けよ」と、彼を無理矢理方向転換させる。


笑いながらフィリップに軽く右手を挙げ、ニーニャに続くリエール。


同様の笑顔とアクションを返した幼馴染は、

ポケットから財布を出しつつ、クレープの露店へと向かう。


そんな茶番が背後で繰り広げられた事を露知らない先陣は、

次第に薄れ行く暑苦しさとノイズにホッとしつつ、

乗船切符を販売する小屋の付近まで辿り着いていた。


「ここだ」


そう言って振り返ったファードだが、

声掛け対象者のリエールが思いの外遠くにいたので、若干戸惑う。


だが、すぐに小走りで追い付いてきた彼は、

「わるいわるい」と、そのまま仲間の横を通過し、

窓口の前に並ぶ三人程の列に加わる。


「とりあえず、みんなは横で待ってて」


黙ってそれに従う美男美女達が見守る中、

彼は自分の順番が回って来ると、

窓口のカウンターをバンッ!と叩いて受付の中年男性に発注する。


「あー、リュトンまで五枚、相部屋でお願い」


「はい、え~、一人3000で、計15000スティになります」


「結構高いな」

「ちょっと待ってくれ、うちの財務大臣に相談するから」


そう言ってニーニャを手招きするリエール。


「んー?」


反応して近寄ってきた彼女に、

「一人3000スティだってさ」と、叫ぶ代表者。


ニーニャは良く聞き取れなかったらしく、無言で片方の耳を手で塞ぎ、

それと同じ方の瞼を閉じつつ、開いている耳をリエールに近付ける。


「五人で15000だってさ」と、少し声を強めるリエール。


「わかったわ」と、相手に聞こえない程のボリュームで言い、

数回うなずくニーニャ。


そして、財布を探りながら窓口に詰め寄ると、

財布から10000スティ紙幣一枚と1000スティ紙幣を五枚引き抜き、

リエールの横から窓口に差し出す。


「はい、丁度ですねー」

「(うわ、超可愛い)」


手馴れた様子で素早く切符を発行してくれる窓口の男性。


それをリエールが受け取り、早歩きでその場を離れ、各々に切符を配る。


最後に切符を受け取ったエルニーが、船へ伸びる階段を指し示す。


「じゃあ、乗っちゃおうか」


黙ってうなずくリエールと、それを見ていた同一派の面々。


船へと伸びるタラップは混雑していたが、露店の周辺よりはずっと静かだった。


そんなタラップより少し手前で、

両手に計6つのクレープを携えたフィリップが仲間達を待ち受ける。


先頭のリエールは、そんな彼と合流しつつ、人の流れのない位置に立ち止まり、

仲間をそのスペースに集めて小さな送別会を主催する。


「じゃあ、色々悪かったな、ファード」


そう言ってフィリップの左手からクレープを一つ抜き取り、

「ほら、クレープあげるよ」と、ファードに差し出すリエール。


それを見たファードは、正直、

クレープは自分のキャラクターと符合しないと感じたが、

「…ああ、すまない」と、苦笑いを浮かべつつ受け取る姿勢を見せる。


だがファードの手がクレープに触れそうになった瞬間、

リエールは素早くそれを自分の口へ運んでかぶり付く。


呆れ顔のファードを他所に、ミュアとエルニーとニーニャが噴出す中、

「くだらねえ事すんな」と、リエールに軽くローキックを入れたフィリップは、

続けてアネスト兄妹の方へ踏み込み、

「はい、これどうぞ」と、2つクレープを持った左手を差し出す。


ミュアは遠慮がちな兄を気遣い、

「やった!ありがとう!」と、2つとも回収し、片方を兄に手渡す。


それを受け取りながら、

「ありがとう」と、フィリップに微笑むファード。


フィリップも無言で笑みを返し、

振り返ってエルニーとニーニャにもクレープを差し出す。


「突然押しかけて、申し訳なかったです」と、

ファードに社交辞令を述べてからクレープを受け取るエルニー。


「気にするな」


ファードは自身の左脇の下に密着しているミュアの頭を、

クレープを持った左手の小指球でゆっくり撫でつつ、

スマイルを見せながらそう応える。


軽く俯いて残念そうな感情を露にするミュア。


そんな彼女を見兼ねたフィリップが、

ニーニャにクレープを渡しながら言う。


「今度ここに寄った時は、もっとゆっくりしてこうか」


「そうねー」と、ニーニャも明るく気を遣う。


そしていよいよ乗船という時、

いつまでも俯いているミュアに対し、ファードが口上する。


「どうした?みんなを待たせるのか?」

「これで会えなくなる訳じゃないだろう、さあもう離れて」


「…うん」


未練を残しながらも兄から離れるミュア。


「お世話になりました」


エルニーは姿勢良くお辞儀する。


「お邪魔しちゃって、すみませんでした」と、微笑むフィリップ。


「いろいろありがとうございます」と、小さくお辞儀するニーニャ。


「来るタイミング悪くてごめんな」と、ミュアの肩を叩くリエール。


「ううん、いいの」


弱々しくそう答えたミュアは、多少無理して作った笑顔を兄に向け、

「じゃあ、兄さん、またね」と、手を振る。


「ああ、またな、ちゃんと手紙よこせよ」と、同様の仕種で返すファード。


「うん、心配しないでね」


「みんなも体に気を付けてな」


「ああ、あんたも」


リエールとファードは固い握手を交わし、互いの上腕にタッチする。


手を振りながら、人の流れのむらに入って階段を登り始めるエルニー達と、

急いでそれを追うリエール。


ファードは風貌とミスマッチなクレープを片手に、

妹を含む旅の団体の背中を、静かで優しい表情のまま見送る。


やがて船は出港時間を迎え、タラップが外されると、

乗客はこぞって甲板の上に集まり、

波止場に立つ親類や友人に向かって、手やハンカチや帽子等を振り始めた。


「兄さーん!まーたねー!」


船の手すりから身を乗り出し、波止場に立つ兄へと別れを告げるミュア。


ファードも、妹とその横に並ぶ新たな友人達に微笑みを返す。


旅立つ側、送る側、両者が感慨を力強い動作として交し合う中、

船はゆっくりと角度を変え、やがて互いの姿を包み隠す。


短時間に展開した出会いと別れを噛み締め、

その一連の情景が脳裏に浮かぶ中、

心に残る寂しさと、新しい土地への期待感。


船の甲板にて、そんな感傷に浸るリエール達一行は、

しばらく誰も言葉を発する事なく海を眺めていた。


様々な理由で旅人となった者達が、それぞれ胸に持つ想い。


そんな物には微塵の興味も抱かないアジサシ達が青く澄んだ空に舞い、

その無垢な叫喚が、内向した彼等の意識を現実世界へと引き戻す。


しばらくの後、ミュアをチラッと見遣ったリエールが、

「さて…、部屋へ向かおうか」と、身を反転させる。


だがその直後、リエールは食べかけのクレープを落としそうになる程、

強烈に驚いた。


すぐ目の前に、見知った人物が立っていたからだ。


「よう」


その何気ない挨拶に振り返った全員が、リエール同様に驚愕する。


「ファード!?」「兄さん!?」


「えー!?」「どうして!?」「なんで!?」


オーバーなリアクションの数々に微笑みを返すファードは、

先程とはまるで別の服装をしており、明らかに旅支度のような荷物を携えていた。


そんなファードから一歩引いた位置に、

フードを被った見知らぬ若者が随伴している事に気付いたリエールは、

少し戸惑いながらファードとその男とを交互に見る。


混迷があからさまなリエールを前に、ファードは背後の男に親指を向けながら、

未だ惑乱中の意識群に追い打ちを掛ける。


「俺と、この男なんだが…」

「[リグレット]を鍵へと変える旅に同行させてくれないか?」


「!?」


驚き顔でそれぞれを見渡す一行。


エルニーがミュアに小声で尋ねる。


「しゃべったの?」


黙って首を横に振るミュア。


「じゃあ、なぜそれを!?」


ファードは微笑みながら質問を保留する。


「部屋でゆっくり話そうか」

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