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14:羇旅誘因

小道具紹介


《簡易空間の小箱》

見た目はポケットに入る程の小さな長方形の箱。

だが、その中には小さな世界が広がっている。

用途は様々で、リエール達が持っているのは、

通称[倉庫]と呼ばれる空間の箱と、

[戦闘訓練用]に作られた空間の箱である。

[倉庫]は、単に物を収容できるだけでなく、

寝泊りやトイレだけでなく、入浴できる設備まであり、

立ち並ぶ武器棚という物騒な代物を除けば、正にホテルのスイートルームである。

ただし、日が暮れる事はなく、延々と光が降り注いでいるため、

カーテンを閉めるなりして光量を調整しないと時間の感覚は狂う。

翌朝、パンパンに膨らんだショルダーバッグにバランスを奪われながら、

寝惚け眼でリビングへと下りてくるリエール。


「あら、おはよう」と、そんな息子を見上げるレイラ。


「おはよう…」


リエールは小声でそう答えると、愛用の椅子にどっかりと腰を下ろす。


「何時に出るの?」


「汽車が九時くらいだから、八時前にはみんなと合流するよ」


その言葉の最中、外から玄関の扉をノックする音が場に響く。


「はーい」


気忙しく玄関へと駆け寄ったレイラが扉を開くと、

荷物をアプローチの階段に置いて軽く会釈するフィリップの姿があった。


「あ、おはようさんです」


「いらっしゃい」


家中かちゅうから玄関の方を振り返ったリエールが彼と目を合わせると、

フィリップは微笑みながら無言で軽く手を挙げる。


「なんだよ、もう迎えに来たのか…」


渋々席を立ち、急ぐ様子も無く鈍重に歩くリエール。


そんな彼の暖気さに呆れたフィリップは、小さくため息を吐く。


「やれやれ、ちっとも出て来ないと思ったらこれだもん…、

やっぱいつも通り起こしてやりゃ良かったかな」

「そろそろ、みんな橋で待ってる時間だぞ」


「げ、マジか」


親友の言葉で焦りが生じたリエールは、

旅のスタートラインである玄関を何の気概もなく慌てて潜るが、

その際、アプローチの階段に置かれた小さなリュックが視界に入り、

「あれ?お前、荷物そんだけか?」と、予想外のサイズに目を見張る。


「かさばるからな」


「え?[あの箱]があるじゃん」


リエールは相手の意の外側を突いたつもりでそう言ったが、

「うん、でもみんなで使うスペースだし、個人の物で場所取るのは悪いよ」と、

モラル溢れるカウンターが飛んでくる。


何の事かさっぱり分からないレイラの横で、

「そっか、そうだよな」と、納得するリエール。


しかし、かく言う彼が肩に掛けるショルダーバッグも、

膨張しているだけで容量そのものは然程大きくない点に気付くフィリップ。


「って、お前も荷物それだけじゃねぇかよ」


「ああ」


ショルダーバックを軽く二回叩いたリエールは、

もっと少ない荷物で旅に望む人物が身近にいる事を思い出す。


「だがエルちゃんに至っては、

[手ぶら]という軽挙さである事実をどう見る?」


「だよなぁ、ニーニャもハンドバッグだけだし」


「うむ」

「まあ、手荷物としていっぱい持ってきても水浸しだけどな」


「ああ、そういやそうだな」

「箱を最初から使わせてもらえりゃ、問題無かったろうけど」


フィリップはそう口述しながら、階段に置いた荷物を持ち上げる。


「さて…、行こうぜ」


「そうだな」


玄関から一歩出てきた母へと振り返るリエール。


それに釣られてレイラの方に顔を向けたフィリップが、

筒抜けの打合せ結果を報ず。


「そろそろ出ます」


「はい」

「リエールをよろしくね、フィリップ君」


「はい、責任を持って面倒見ます」


「俺の保護者ですか、あなたは」


レイラはふざける息子の後頭部を軽く押し、

昨晩から幾度と無く繰り返した言い付けを再通告する。


「あんた、ちゃんと手紙よこしなさいよ」


リエールが体ごと母の方へ向け、

「わかってるって」と、答えたタイミングで階段を下るフィリップ。


彼の動きを横目に捉えたリエールも、

そのリズムに合わせて移動を開始する。


「じゃあ、行ってくる」


「はい、行っといで」


「それじゃあレイラさん、体に気をつけて」と、

レイラに半身を向けて手を振るフィリップ。


「は~い」


薄笑いのまま、軽く手を振りながら二人を見送るレイラ。


そんな彼女の視線を意識しつつ、

無言でじゃれ合いながら歩く幼馴染の青年二人は、

歩き慣れた筈の道が妙に懐かしく思えた。







「おまえ、金いくら持ってきた?」


待ち合わせ場所へと歩いている内に、いつものムードへと移行した二人は、

まるで遠足気分なノリで雑談を始めていた。


「20万ちょっと」


記憶にあるフィリップの財力とは見合わぬ金額を聞き、

「マジで!?なんでそんなに持ってんの?」と、驚愕するリエール。


「家の財産が盗まれちゃかなわんからな」

「金庫の中身、全部持ってきちまったよ」


「あ~あ~、なるほど」

「じゃあ、酒屋でシャトー・ルティオンの30年買ってこうぜ」


「いいねぇ、前から飲みたいと思ってたんだよ」

「せっかくだからこの機会に…って、だめに決まってるだろ!」

「その前に、そんな高級なのはここの酒屋に売ってないって」


「だなぁ」


特別な気張りも無く、馴染んだ景観を望む道すがら、

ふと、鮮やかな色差を遠方に捉える二人。


反応で焦点を向けた先には、

地味な石橋上で待機する美男美女三名の姿があった。


開放的な地理により、お互いの存在認識は既に成されているが、

なにしろ距離があるので身振りによるコンタクトを取るタイミングが掴み辛く、

しばらくは看過気味に振舞う双方。


そんな心地悪さを振り払いたいリエールが、

過剰な意識を捨てて遠方の仲間達に手を振ると、

橋の上の全員が同様のモーションで応答してきた。


それを受けたリエールとフィリップは、

一瞬顔を見合わせた後、弱めの駆け足になる。


やがて、自然な声量で会話できる程に両者の間隔が詰まった所で、

橋に立つ三名側から先制の挨拶が飛ぶ。


「おはよー」「おはよう」「おはよう~」


「おはよう」「おはよう」


遅刻組は同時に挨拶を返しながら、運動方式を歩行に切り替える。


「ニーニャ、荷物を倉庫に入れてもいいんだろ?」


リエールは合流前から先着メンバー全員が手ぶらである事に気付いていたので、

自分も早速身軽になろうと考える。


「うん、いいよ」


「じゃあ、これ入れてくるよ」


「あ、はい」


そう答えたニーニャが背後にいるエルニーへと振り向くと、

彼はズボンのポケットからサッと小箱を取り出し、彼女に手渡す。


ニーニャは受け取った小箱の蓋を開き、

リエールに両手で差し出しながら微笑む。


「さあ、どうぞ」


その行動にミュアが首を傾げる中、

リエールは自分の横で出方を伺っているフィリップに言う。


「お前のも置いてきてやるよ」


フィリップは箱に目線を向けつつ若干の間を空けてから、

「じゃあ…、頼むよ」と、リュックを降ろしてリエールの手に預ける。


受け取ったリュックを自らのショルダーバッグと同じ右肩に掛け、

周囲の注目を意識しながら箱の中の球体に触れるリエール。


「あっ!」


突然消えたリエールに驚くミュアが次の注目対象となった事がきっかけで、

その仕草のおかしな点に気付くフィリップ。


「あれ?ミュアもこん中に荷物入れてきたんだろ?」


エルニーがその点について推理含みの説明をする。


「あ、ミュアちゃんの荷物は僕が預かって入れてきたの」

「丁度出掛けのタイミングで、ミュアちゃん達は廊下にいたから、

僕が部屋の中で箱に入る瞬間は見てなかったっぽい」


「なるほど」


「あ、そうだ」と、ミュアに箱を向けるニーニャ。


「ミュアちゃんも一度中を見てくるといいよ」


「え?」


ミュアが不安げな顔で箱を見詰めながら小さく仰け反った次の瞬間、

突如、彼女の前にリエールが出現した。


「きゃあぁ!」


その悲鳴にリエールも喫驚する。


「うお!?」


「ビックリしたぁ…」「ビックリしたー」


同じ台詞を重ねる二人に微笑む一同。


「いま、ミュアちゃんにも『中を見てきたら?』って勧めてたとこ」


ニーニャから悲鳴と鉢合わせの原因を聞いたリエールは、

「え?ミュアはまだ中に入った事ないの?」と、直接本人に尋ねる。


「うん」


「そっかー、この中面白いから見てきてみ」


リエールはそう言ってミュアの左手側に一歩立ち退き、

箱の中の球体を指差しながら侵入方法をレクチャーする。


「この玉っころに触るだけで入れるよ」


ミュアは黙ったまま半歩踏み出し、

箱を持ったニーニャにチラチラと目を向けながら、

恐る恐る球体へと手を伸ばす。


そして彼女は例の如く姿を消す訳だが、

もはや、触れた途端に起こる現象には特に反応の無いリエールとフィリップ。


だが、その箱の便利さをしみじみ感じている内に、

ある利用法に気付いたリエールが、何気なくニーニャに問い掛けた。


「それって、一人が持ち歩いてれば、

あとの皆は中でくつろいでてもいいだろ?」


「うん、いいんだよ」


「でも、中にいても退屈だよ」と、彼女の後方からエルニー。


「だろうなぁ」


今度はフィリップが、いつもながら不意に浮かんだ疑問について尋ねる。


「中に誰かいる時に蓋閉めちゃったら、出てこれないの?」


エルニーが身振り付きで解説する。


「蓋が被さってるだけなら簡単に出られるよ」

「まあ留め金が掛かっていても強引に出れるけど、ちょっと大変だと思う」

「でも、仮になんらかの理由で中に閉じ込められた場合でも…、

[あっちの世界]へ通じるミストが中にあるから、大した問題じゃないよ」


「なるほど、そうだったな」


会話に区切りが付き、

そろそろ全員が感じ始めている要素をニーニャが陳述する。


「ところで…」

「出てこないね…、ミュアちゃん…」


若干の沈黙が流れる。


「出る方法がわかんないんだろうね…」と、エルニー。


「迎えに行ってくるね」


そう言ってエルニーに箱を差し出すニーニャは、

彼が箱の底に右手を当てた瞬間、即刻姿を消す。


その場が男だけになり、華やかさの減少を実感していると、

僅か数秒後、早くもニーニャが気流の乱れを伴わせつつ舞い戻り、

すぐに一歩前進して場所を空ける。


それから多少の間を置いて無事に帰還するミュア。


「ごめんね待たせちゃって」


「いいよいいよ」と、微笑むニーニャ。


エルニーが箱を閉じてポケットに収納する横で、

「凄かったろ?」と、リエール。


「うんうん、凄く綺麗だった」


ミュアは興奮気味に答える。


「隣の部屋は物騒だけどな」


「へぇー、そうなの?」


たわいもない会話にはお構いなく、

「ところでさ…」と、エルニーが切り出す。


彼の声にリエールとミュアも口をつぐみ、次の言葉を待つ。


「この橋を待ち合わせ場所にしたって事は、

駅の前に寄る所でもあるの?」


「え?なんで?」と、フィリップ。


「だって、駅はあっちから行く訳だしさ」と、

リエール達が来た方向を指すエルニー。


全員が彼の示した方向に振り返る中、

リエールがいち早くエルニーへと顔を戻しながら答える。


「いや、あっちからも行けるけど、もっと近い道があるよ」


「え?」

「それならどうしてバターカップのおじさんは、

そっちを教えてくれなかったんだろう」

「あの時、凄く急いでたの知ってたはずなのに」


「あー、近い方はちょっと複雑だから、

迷うよりは単純な道を教えた方が早いと言う判断かも」


「なるほどー」


一瞬場が固まったが、

「じゃあ、俺が案内するよ」と、リエールが仕切りなおす。


「あ、お願い」


「よし、行こうぜ」


「おう」「うん」「はーい」「はい」


リエールの引率に従い、カムカスター橋をバターカップ方向へと抜けた一同は、

吹き付ける涼風に髪を靡かせながら、旅が始まったという実感に胸踊らせる。


表通りを進む彼等の高揚した気持ちは、

時折出会う町人の何気ない目線さえ心地良く、

まるで自分達が羨望されているかの様な錯覚まで起こさせた。


そんなナチュラルハイ染みた状態に浸りたいからか、

しばらくは誰も声を出さなかったが、

やがて、入り組んだ裏路地を経由して牧場近辺に出ると、

そこからは案内不要と判断した先頭のリエールが、

仲間へと振り返って沈黙を破る。


「一人を除いてみんな箱に入ってさ、

外の人だけ全力ダッシュして、くたびれたら交代ってのはどう?」


まだ箱の活用法に執着している彼のアイデアに、

「おもしろいね」と、微笑むエルニー。


「な?早く目的地に着くだろ?」


「えー、でもそんなの味気ないよー」と、ミュア。


「ね~」と、ニーニャ。


「だよなぁ」と、女性陣に味方するフィリップ。


自信を持って発表した案が予想より不評だったリエールは、

惨め感が湧かない内に言い訳をする。


「まあ、急いでる時以外はする必要ないからな」

「汽車の到着も、まだ結構時間あるし…」


自分が発した[時間]という言葉で、リエールはある事に気付く。


「そうだ、昼ご飯はどうする?」

「隣の駅近辺でパンか何か買う?」


「ああ、それなら…」

「バターカップのお姉さんが折り詰めを持たせてくれたから」


「おお~、やった」と、小さなガッツポーズを取るリエール。


「中身なんなの?」


フィリップがストレートにぶつけて来た疑義に、

人一倍食事を楽しみにしているミュアが嬉しそうに答える。


「炒めた挽き肉をフレンチトーストに挟んだやつと…」

「骨付きチキンを揚げたのと…」

「えーと、あとは…」


「燻製かな」と、横からエルニー。


彼の答えに補足を挟んで、

「そうだ、白身魚の燻製だって」と、締め括るミュア。


「うわー、白ワインの肴によさそー」


リエールがそう呟いたのを耳にしたエルニーは、

ポンと手を叩いてからリエールを指差しつつ、

「そうそう、その白ワインも付けてくれたよ」と、上機嫌な声で報じる。


そのニュースに歓喜を表すリエールとフィリップ。


「やったー、さすがにサービス精神だけは一流のホテルだぜ」


「グラスは倉庫にあるから、いつでも飲めるよ」


「おおう、ナイス備蓄」

「そしたら、汽車は揺れるから倉庫の中で食事だな」


「でも、お昼にお酒飲むの?」


ニーニャからの指摘を受けたリエールは、

「そういやそうか…、燻製は晩飯だな」 と、クールダウンする。


以降も雑談を交わしつつ楽しそうに歩く面々は、

やがて遠目に駅が確認できる位置まで辿り着いた。


同時に、ナティッド駅で唯一の実務者(つまり駅長)が、

前屈みになって玄関を掃いている様子が見えたので、

全員がそれを眺めつつ進んでいると、

小休止を取った彼が姿勢を伸ばして腰を摩る仕草を取った時、

顔をこちらに向けて硬直した。


「あ、うちらに気付いた」と、フィリップ。


しばらくの後、駅長は掃除を再開したが、

接近中の団体をなんとなく意識しつつも顔を上げない態度から、

彼が若者達と接するのが得意でないと汲み取る一同。


そして随分と駅に迫った頃、

未だ客と目を合わさず玄関を掃いている駅長に声を掛けるリエール。


「やあ」


馴れ馴れしい挨拶に反応して素早くリエールの方を向いた初老の駅長は、

若い団体客の中に知った顔が混ざっていると判明した事で緊張が緩み、

微笑みながら体勢を直立に戻す。


「ああ、リエールにフィリップか、しばらくだな」


それを聞いてフィリップも会釈する。


「おひさです」


「こんにちはぁ」「こんにちは~」と、女性陣。


「はい、こんにちは」


華やかで可愛らしい女性二人を目線で追いかけていた駅長に、

「こんにちは、こないだはどうも」と、エルニーが軽くこうべを垂れる。


不意に横から飛来した言葉に含まれた意外性から、

発声者の方へ素早く注視を傾けた駅長は、

幾分間を空けてから小さく音吐を出す。


「ああ、あんたか…」

「あの後、イフスには無事に辿り着けたのか?」


「え?」


あまりに唐突且つ意味不明な問いを受け、

困り顔で仲間の方に目を向けるエルニー。


「こないだの嵐ん時に来た子だろ?」


「いえ、その時はこの町に居ませんでしたが…」

「僕は一昨日始めてこの駅に来ましたし」


「あの嵐の中を隣駅イフスまで歩いて行った子じゃないのか?」


「いえ、全然違います」


笑顔で真っ向否定するエルニーに微笑む一同。


駅長は本気でエルニーを[嵐の中の来訪者]と認識していたのか、

彼の否定には触れる事無くボソボソと呟きながら首を傾げた後、

駅舎の中に入ってリエールに発問する。


「なんだお前達、カルネラにでも遊びに行くのか?」


「いや、ティートから船に乗るつもり」


「…、それにしちゃ軽装だな」


客が明かしたプランを半分冗談として受け取ってそうな駅長は、

箒を持ち変えつつホームへと抜け、

ホーム側にあるドアから駅舎内の仕事場に入る。


「いま、五人分の切符を用意してやるからな」


「うん」と、窓口に立つリエール。


「顔が広いのね、二人って」と、感心しながらリエールの横に待機するニーニャ。


「狭い町だからなあ、顔見知りが自然に増えてくんだよね」


リエールが窓口カウンターに左肘を乗せつつニーニャにそう答える。


「たまにここで簡単な仕事とかしてたし、何年か前は忙しい時期あったから」


そんな追加情報を提供している最中、

窓口から切符が差し出された様子を横目で見たリエールは、

反射的に顔を戻す。


「いくら?」


「あ~、ティートまで五枚だから…」

「1800スティだ」


額を聞いたリエールがポケットを探り出すと、

「あ、払うよ」と、ニーニャが一歩踏み込む。


彼女に向けた目を見開きながら若干固まったリエールだが、

やがて優しい微笑みを浮かべてうなずき、

「そか、ありがと」と、慎み深く頭を下げてから切符だけ回収する。


それを見たニーニャも、

「いえいえ」と、笑顔で返す。


リエールは窓口を離れ、時刻表とその隣の時計をチェックする。


「あと、10分ちょいだな」


そう呟いた彼は窓口方向に戻り、

おつりの紙幣二枚を財布に収めながら振り向くニーニャに、

「はいこれ」と、切符を一枚差し出す。


「あ、はい」と、それを受け取るニーニャ。


続けて仲間全員に切符を配ったリエールは、

駅舎の壁とほぼ一体化しているベンチに向かって歩き、

腰を下してダラッと力を抜く。


そんな彼に習い、皆もベンチに腰掛ける。


「カルネラで一時間近く停車するから、その間近くの服屋でも見てこようぜ」


「え!服屋!?」


嬉しそうに食い付いたミュアに合わせ、

同様の素振りで微笑むニーニャ。


「楽しみ~」


「洋服の代金は、こちらにおられる素封家、フィリップ様にたかるように」


「こらこら」


ミュアがその情報に踊らされて驚く。


「え~?フィリップってそんなにお金持ちなの?」


本人が答え難い質問なため、リエールが代弁する。


「金庫の中身を全部持ち出してきたらしいんだ」


そこまで明かされてしまった以上、詳細は自分の口で語るフィリップ。


「なにしろ家がガラガラだから、空き巣に入られたら困るだろ?」


「ああ、なるほど」と、エルニー。


その時、駅舎正面右手の方角から汽笛が鳴り響き、

全員が一斉に音の方へと振り向く。


「もう来たの?」と、ミュア。


時刻表を指しながら答えるリエール。


「あれに載ってるの出発時刻だから、

駅に着く時間はそれより少し早めな事もあるよ」


今度はフィリップが繋げる。


「と言っても、まちまちだけどな」

「遅いときは、出発時間五分過ぎとかの場合もあるし」

「結構大雑把だから、この辺の列車って」


解説を済ませて立ち上がったフィリップは、

ズボンのポケットに手を突っ込んだままホームに向かう。


そんな彼の後ろから、

リエール、ニーニャ、ミュア、エルニーの順番で続く一同。


そして全員が乗車スタンバイした頃、

「(ちょっと出るのが早すぎたな)」と、フィリップが後悔する中、

蒸気と黒煙を伴う五両編成のSL列車が、

木造の駅舎を揺らしながらゆっくりとホームに入ってきた。


静けさに慣れた鼓膜を刺激するスチーム音に表情が歪む五人の前で、

じれったく停車した列車は大量の蒸気を長々と吐き出し、やがて落ち着く。


四つある客車からは誰一人降りて来なかったが、

停車までの間に窓から内部を覗き見た限り、

前方の二車両には数名の乗客がいるようだった。


「乗ろうぜ」と、右手親指で列車を示すフィリップ。


先程の隊列に従い、三号車の後部乗車口から列車に乗り込む一団。


中央に伸びる狭い通路を挟んで左右両側に連なるボックスシート、

壁に一定間隔で備え付けられたランプ、大きめの上げ下げ窓、

アーチ型の低い天井。


殆どが木材で構成された内部を見渡したフィリップが

「誰もいないな、この車両」と、呟く。


リエールはそれを聞き、

「やっほー、貸切気分」と、控えめにはしゃぐ。


後が支えない程度のスローペースで座席を勘検した結果、

右手側の座席列、後方から二組目の奥側窓際という、

結構早い段階でのチョイスに踏み切ったフィリップと、

その向かいに陣取って窓を全開にするリエール。


かような彼等とは通路を挟んで横並びの位置、

左手側の後方から二組目の奥にニーニャが座ったため、

誘引されて彼女の向かいに入ったミュアは、

逆サイドで展開された動きにも強く影響を受け、同じく窓を全開にする。


最後尾のエルニーは、それら二つの座席間に立ち止まって少々迷った挙句、

サッとフィリップの隣に座った。


リエールがボックスシート中央に取り付けてあるテーブルに肘を突いて、

牧草が生い茂る黄緑の丘を窓から眺めつつ、

生まれ育った故郷との離別をセンチメンタルに噛み締めていると、

「いい所だね~、ここ」と、左隣からミュアの声が飛来する。


一瞬彼女の方を見遣ってからニヤついたリエールは、

「俺も、今そう思ってた」と、小声で向かいの二人に言う。


普段なら、[お前の故郷だろが!]と突っ込むフィリップも、

今回ばかりは微笑みを返して、

「俺もだ」と、同感を表立たせる。


しばらくして、景観と相俟った風の音や、

時折聞こえる牛の鳴き声が醸し出す[長閑さ]から、

大きな欠伸を漏らすリエール。


「ちょっと椅子ひとつ占領して、横になろっと」


そう言いながら、背中合わせになっている後ろの座席に回った彼は、

窓際に腰を下ろし、通路側の肘掛に足を乗せて横たわる。


その直後、そんなリエールの睡魔を払うかのタイミングで、

列車は発車の汽笛を鳴らした。







広大なブドウ畑や、美しい湖を車窓に望む列車内で、

女性陣の楽しそうなおしゃべりを耳に入れながら、

沈黙のまま景観を眺めているフィリップと、その向かいに座るエルニー。


そんな中、不意にエルニーへと視線を向けたフィリップが、

それに反応して目を合わせてきた彼に疑問系をぶつける。


「ちょっと聞いていい?」


「ん?なになに?」


何故かミュアにチラリと目を遣ってから、

声のボリュームを下げて話を続けるフィリップ。


「ミュアがヒストリーホールの点検を受けた時、

ガーナは体の中に隠れてた、みたいな事を言ったでしょ?」


質問者に合わせ、エルニーも少ない声量で答える。


「うん、潜伏期間?」


「そうそれ」

「ミュアが俺んちに来たのはその潜伏期間中のはずなのに、

どうしてうちの家族が感染したか、詳しく聞かせて欲しいんだ」


エルニーは辛い過去をさらりと掘り起こしたフィリップに驚いたが、

彼には既に迷いも陰鬱も感じられないし、

いかなる現実も家族の救済を成すための糧として受け入れる心積もりだと悟り、

「…、わかった」と、あえて口角を上げながらうなずく。


「丁度、僕も君に伝えておきたい事があったし」


フィリップは予想外の返答に目を丸くする。


「それと、君の質問に答える前に、これだけは頭に入れてほしい」

「ミュアちゃん自身が君の家族と接した際の状況について話したのは、

僕等とシーザ先輩とで君の家を調べに出たあの時、

バターカップで彼女の傍に付いてたニーニャに対してだけなの」

「僕がミュアちゃんと一緒にトーテスへ行った時は、

流石に深くは訊けなかったから…」

「なので、これは僕がニーニャから又聞きして弾き出した推測でしかないけど…、

それでいい?」


「ああ、かまわない」


エルニーは軽く喉を鳴らしてから話し始める。


「ミュアちゃんと君の家族が直接接触したのは、

ユリアさんが彼女を家に引き入れた時だけらしいんだ」


「え?ユリアだけ?」


「うん、聞いた話ではそうなる」

「潜伏期間中に、ただ触れただけで感染するとは考え難いけど、

もし、感染ポイントである右手の指に、

何らかのストレスから微量の発汗があったとしたら、

そこにガーナが混じっている可能性もゼロじゃない」

「一応、ホールに触る恐怖感とか、出現後の状況とか、闇夜の嵐とか、

ストレスに鳴り得る要因なら幾つも考えられるし…」

「でも…」


ミュアに一瞬だけ焦点を合わせるエルニー。


「そこに[奇妙な点]があるんだ…」


「奇妙な点?」


「うん、だけどそれは一旦置いておくね、別の可能性も残ってるし」


「おっけ」


「聞いた話では、ミュアちゃんは君の家族からコーヒーを振舞われて、

その後タオルも渡されたらしいの」


「ああ、それはうちの連中も言ってたな」


「当然、コーヒーには彼女の唾液や唇の汗が入り込むし、

カップの取っ手とタオルにも彼女の皮脂や汗が混ざった水が付着する」


「え?コーヒーもやばいの?」


「うん、ただし今回の条件だと、

あくまで[候補の一つ]というだけで、その線は薄いけどね」

「彼女がコーヒーを残したと仮定して、

例えばカップを洗う際、中にコーヒーが多めに余っていれば漱ぐ前に捨てるし、

その時、流し台に跳ね返った飛沫が偶然肌に付いちゃったりとか、

漱ぎだって手作業だから、カップに入れた水を介して触れてしまう事もある」

「それに、ミュアちゃんはあの時左手に包帯をしてたから、

カップの取っ手は右手で触ったと思うし」


「なるほど、細かいモンなんだな」


「うん」

「まあ、その二つも感染源候補の範疇とはいえ、

正直、他に思い当たる節がないから、繰り上げで候補になっちゃってるだけ」

「だって今回の場合、彼女が現場に残した汗も唾液も、

[ガーナに侵食された器官]からの分泌物ではないからね」

「つまり、あの時点での彼女の汗や唾液[そのもの]に、

感染力はなかったはずなの」

「なので、さっきも言ったけど、感染ポイントの右手から出た汗に、

潜伏中のガーナがたまたま混ざってしまった…、と考えるのが妥当だと思う」

「でも、彼女が右手の指を舐めたりすれば、

口の中にガーナが移る可能性はあるから、一概に断定はできないけどね」

「だけど、そこにもやはり共通した[奇妙な点]があるの」


息を飲むフィリップ。


「それは、[彼女の右手が濡れていた]という点」

「歴史間移動直後も水の中だし、外で嵐が起きていれば、

エアコートを着ていても濡れるのは避けられないでしょ?」

「特に、両手はエアコートにカバーされてないからね」

「意図して袖の中に隠すとかの対策を取っても、暴風雨には効果ないと思うし、

その状況で手が濡れる事なんて気にしないだろうから、対策を取る意味もない」

「だから、彼女の右手が濡れていたという前提は、

かなり高い確率で成り立つんだ」

「ここで二つの疑問が生じる」

「まず、彼女がユリアさんと接触した時、彼女の右手は濡れていたはずだから、

たとえ表面に汗が付着していたとしても、

雨に洗い流されるなり薄くなるなり、何にせよ純度が高い汗ではないし、

その上、右手の表面温度もどちらかと言えば低かったと考えられる」

「その状態で新たに発汗があったとすれば、やはり精神性だし、

かなりの緊張状態且つ多汗症でもない限り、

危険視レベルの量が出る程、時間が空いた訳でもない」

「要するに、そんな条件で感染するなんて奇跡に近い」

「そもそも、発症後の汗でさえ、初期なら大した感染力はないしさ」

「にも拘わらず、潜伏期間にほんの少し触れただけで感染したとなると、

二つ目の疑問に更なる拍車が掛かるんだ」


「それは一体…」


エルニーは何故か一旦言葉を止め、

後ろの座席で横になっているリエールに振り返る。


そして彼が寝ている事を確認すると、

フィリップに美顔を近付け、より小声で質問を飛ばす。


「今朝、リエール君のお母さんに会った?」


「ん?ああ、会ったけど?」


「元気そうだった?」


「うん、全然元気だったけど?」


「そっか、やっぱり…」


「それがどうしたの?」


「ミュアちゃんの出現地点は、リエール君の家のお風呂だって知ってた?」


「え?マジで?」


「うん、君んの隣の家のお風呂に出たって言ってたからね」

「あそこがリエール君の家だという事は、彼女自身も宿で聞いたはずなのに、

状況が状況だったからか良く分かってないみたいだったけど、

あの立地条件での[隣]ってリエール君の家しかないしさ」

「これは僕も直接聞いたから、確かだと思う」


「うわあ、そんな所に出る事もあるのか」


「うん、そうなの」

「で、ここからが本題且つ、

最初に言った[君に伝えたい事]の内の一個と繋がるんだけど」

「もし、ミュアちゃんがヒストリーホールに触る緊張から発汗したとすれば、

そのお風呂にはミュアちゃんの全身の汗が溶け込んだはずでしょ?」


「ああ、そうなるな」


「そして、ミュアちゃんはこうも言ってた」

「まだ自分がお風呂場に隠れている時に、

その家のおばさんが入ってきて湯加減を調べてたから、

これから入浴するのかと思ってびっくりした、って」


「え?それじゃ…」


「そう」

「リエール君のお母さんは、

ミュアちゃんの汗が溶け込んだお湯に手を突っ込んだ…、って事になる」


フィリップは深刻な面持ちで沈黙を返す。


「でも安心して」

「未だに発祥の兆しさえないのなら、つまり感染していないって事だから」


「だよな」


「でも、おかしいと思わない?」

「それって要するに、あの時点でのミュアちゃんが、

感染源としての危険性をほとんど持っていなかった事の証明なのに、

その直後接触したユリアさんが感染しているという矛盾」


「たしかに…、そこはおかしいな」


「うん、それが二つ目の疑問」

「リエール君のお母さんが抗体を持っているなら話は別だけど」


鼻で笑ってから返答するフィリップ。


「まあ、レイラさんは年齢のわりに若いけどさ、

抗体がある事前提なら老け気味かも」


「浴びたタイミングが遅かっただけかも知れないよ」

「勿論、あの見た目年齢から考えれば、彼女自身が箱を開けるのは無理だけど、

第三者が開けて浴びせたかもだし」


エルニーが思ったより真面目に[レイラ抗体宿主説]を唱えていたと知り、

フィリップは軽めに受け取った態度を改める。


「そう言われれば、無きにしも非ずだな」


「うん、可能性は低いけどね」

「なんにせよ、君の家族の感染には非常に謎が多い」

「でも考えられる原因はミュアちゃんの他にないし…」


「思ったより複雑だったんだな…」


そこで一瞬会話が途切れるが、すぐに仕切り直すエルニー。


「あ、それからもう一つ」

「気付いたかも知れないけど、昨日の午前中、

えっと…、丁度君が箱の中で訓練してたくらいの頃だと思うけど、

君の家に処理班が行ったから」


「え?処理班って、掃除屋みたいな人達でしょ?」


「そうそう」


「へぇ、うちにも来てたんだ…」


「うん、念には念を入れて、徹底的なクリーニングと調査をしておかないとね」

「ねずみ一匹逃がしただけでも脅威になるから」


「そうだったのか、全然気付かなかった」

「バターカップの部屋が綺麗になってたのは速攻気付いたんだけどな」


気付かなかった事がなんとなく悔しいフィリップは、少し言い訳を添える。


「まあ、うちは古いから、掃除しても大して変化ないしな」

「…あ、言われてみれば、玄関とかリビングが少し綺麗になってた気もするな」

「あと俺の部屋も」

「他は見てないから知らんけど」


「ふふっ、そっか」

「ちなみに、今頃、君の家は封鎖されて、

近隣住民には適当な風説が流布るふされてるはず」


「そりゃ好都合だ」







ナティッド駅出発から約二時間後、

ようやく隣の駅であるカルネラへ到着する列車。


だらしなく転寝うたたねをしていたリエールは、

停車前の汽笛と、ブレーキングに伴うスチーム音で目を覚ます。


そんな彼の席へと上体を覗かせたエルニーが、

「ほらリエール君、着いたよ」と、肘掛に乗った足を揺する。


「ああ…」


夢見心地への執着からか、なかなか気持ちを切り替えないリエール。


フィリップが立ち上がりつつ、

「一旦下りて、服を見てくるんだろ?」と、仲間を見渡す。


「うん!」と、元気なミュア。


それを聞いたフィリップは、振り返って全開の窓に手を掛けるが、

「あ、やっぱ閉めなくていいか…」と、動作を中断し、通路に出る。


ミュアも彼の方針を受け入れ、窓を開放したまま席を立つ。


場がそわそわしてきた事を察したリエールは、

座席の基本利用姿勢へとゆっくり移行し、引き攣った寝起き顔で頭を掻く。


そのキレの無い動きにじれったさを感じ、

「先行ってるかんな」と、幼馴染の肩にタッチして出口へと向かうフィリップ。


「いこー」


快活を前面に出して彼に続くミュアの後ろから、

「うん」と、同じくご機嫌な様相のニーニャ。


そんな三名を見送ったエルニーも、

「じゃあ、僕も先行ってるよ?」と、前屈みでリエールを覗き込む。


リエールは未だに眠そうな表情を下に向けたまま、

今度は懐を掻きながら黙ってうなずく。


既に列車を下りた先発三人を追うエルニーがホームに出た頃、

まだ客車内にいるリエールは焦りも無く立ち上がって背伸びをし、

のろのろと出口へ向かう。


「さっきの湖よかったなぁ」と、気分上々なミュア。


それを聞いたフィリップが振り返り、彼女が喜びそうな情報を提供する。


「カルネラからティートの間に、すごい滝があるんだ」


「へぇ~」


「列車の中から見れるよ」


無表情な駅員が待機する改札に差しかかった時、

ふと考慮の抜けていた要素に気付いたフィリップが、

「あっ!」と、足を止める。


「なに?」「どうしたの?」「ん?」


「改札を通る時、切符渡すんだった…」


至極常識的な内容の呟きを聞いたミュアが、

「それがどうしたの?」と、当然の疑問を返す。


「この切符ティートまでだから、一駅分の料金を損する事になるな」


「あ~」「あ~」


ニーニャとミュアが顔を見合わせる。


「リエールの奴がもっと早く言えば良かったのに…」


そう言って後続のリエールを振り返るフィリップと、

それに釣られて同対象に向き直る他の面々。


「切符買ってから言うんだもんなぁ」


「ん?どうした?」と、事態を分かっていないリエール。


「この切符ティートまでだから、ちょっと損するなって話だ」


「ああ、そういやそうだな」


無責任に軽く返すリエールだったが、

特に呆れる気配もなくフィリップが続けた。


「どうする?このまま列車の中にいるか?」


答えを聞く前から全員反対だと分かりそうな意見に対し、

「え~、いいじゃない別に」と、やはり否定的な態度のミュア。


「うん、私はいいよ」と、彼女を支持するニーニャ。


「大した差額でもないじゃん」と、更に押してくるエルニー。


「あ、そうだ…」

「ふふ、寝起きながら冴えてるなぁ、俺…」


目を泳がせながら突然そう呟いたリエールが注視を集める。


そして仲間達に焦点を戻した彼は、

「みんな、ちょっとしたアイデアが浮かんだぜ」と、口角を上げて報ず。


「どうした?」


「例の小箱があるじゃないか」


それを聞いても反応の薄い面々の中、唯一エルニーだけが、

「あ~、なるほど」と、相槌を打つ。


そんな彼の隣にいたニーニャが、

「え~なに~?」と、不思議そうに尋ねる。


「誰か一人の他は、倉庫に潜んでいればいい…、って考えでしょ?」


「その通り、料金節約さ」


合点の行ったニーニャが、

「あ~、なるほどー」と、浅く数回うなずく。


得意げにアイデアを述べたリエールだったが、

同時に、その方法は円滑な流れを乱す事に加えて違法性も高いと感じ、

「でもまあ、めんどくさい上にセコい方法だから、普通に通ろう」と、

立ち止まっている一同を抜かして改札を潜る。


「でも、いいなそれ」と、フィリップも薄笑いでそれに続く。


「ちょっと申し訳ないけど、おもしろそう」


ミュアも軽い足取りでフィリップのてつを踏む。


「リエールって、良くそうゆう裏技みたいなの思い付くね」


ニーニャも感心しながらミュアを追う。


「だねえ」と、エルニーも最後尾から共感する。


体ごと後方に振り返ったリエールは、

ゆっくり後ろ歩きしながら仲間全員が改札を潜った事を確認すると、

「何より、モラルに反するからな」と、微笑む。


「うんうん、それは大事だよね」


エルニーから受けた二度目の相槌に鼓舞され、

突如、表情と声色を変えて語り始めるリエール。


「そんな反則技ができるのは、

ああゆう便利な道具を持つ人間の特権とも言えるけど、

逆にそれを持つ人間だからこそ、その使い方に責任と仁義を持たないとね」


「そうそう!よく言った!」と、拍手するエルニー。


称賛されたリエールは、照れを隠すため、わざとらしく過剰に調子付く。


「ふっ…、我ながら良い事言ったぜ」


「自惚れんな」


絶妙のタイミングでリエールの額を叩いたフィリップは、

一同が微笑む中、続け様にリエールの肩を掴むと、

「ほら、さっさと行くぞ」と、彼の体を強制的に方向転換させ、

背中にドンと一発張り手を見舞う。


リエールはその衝撃により数歩前進したが、

すぐに踏ん張って立ち止まり、斜め後ろにいたニーニャに振り返って言う。


「これから行く店、狭いくせに品数豊富だぜ」


「へぇ~、そうなの?」


「ああ、かなり無理してるけどな」


「店まで遠いの?」と、エルニーが横から介入する。


「いや、出て目の前だよ」と、駅の出口方向を指すリエール。







軽く買い物に興じた一同が列車に帰還すると、

先程降りた時には誰もいなかった三号車に数名の乗客が確認できた。


「倉庫の中じゃなくて、こっちで昼食にしようよ」


列車に乗り込みながら、そう提案するニーニャ。


「さんせ~」と、ノリ良く答えるミュア。


「いいねえ、景色を眺めながら飯ってのも」


フィリップが発したその意見に、

他の要素を織り交ぜて賛同するエルニー。


「それがいいね、迂闊に出入りして、他の客に見られたら困るし」


ミュアがそこへ更に別の意味合いを込める。


「フィリップの言ってた滝も、見逃しちゃったらやだもんね」


リエールが彼女の後方から補足情報を発す。


「大丈夫、滝はまだ先だから、どっちにしても見られるよ」


幸いにも、先程使っていたボックスシートがまだ空いていたので、

若干愛着のあるその椅子に迷わず着席した面々だったが、

唯一、毎度ながら最後尾のエルニーだけは、

何故か通路に佇んで仲間達を見回していた。


そんな謎の挙動によって注目を集めた彼は、

携帯している洋服入り紙袋のストラップに左腕を通し、

肘窩横紋ちゅうかおうもんの辺りに引っ掛けながらその意図を陳ずる。


「発車前に荷物を倉庫の中へ置いてくるけど、みんなのも持ってこうか?」


気遣いを受けた傍輩達は、

「あ、おねがい」「ありがとー」「じゃあ、たのむよ」「よろしく」と、

全員一度に立案者へと荷物を差し出す。


エルニーは雪崩れ込んだ仕事量にも全く戸惑いを見せず、

女性陣の荷物優先で冷静に一つずつ回収した後、

先程リエールが寝ていたボックスシートに移動し、

右手に持った荷物を一旦座席に置いてポケットから箱を取り出す。


「ついでに折り詰めも取ってくるから」


「はーい」


ミュアからご機嫌な反応を受ける中、開いた小箱をテーブルの下に置き、

座席の背凭れに身を隠しながら異空間へと入り込むエルニー。


その数秒後、発進の汽笛が高らかに響き、

少し間を置いてからゆっくりと客車の牽引が始まる。


徐々に加速する列車が、やがて駅のホーム部分を抜けると、

午後の麗らかな景色が一面に広がり、

開いている窓から心地好い風が吹き込んできた。


「滝はどっちの窓から見えるの?」と、ミュア。


「こっち」「こっち」


そんな男性デュオが成立したタイミングで、

彼等から一つ後方のボックスシート内、

[テーブルと座席の間]という狭いスペースの中、

両手の塞がったエルニーが、器用に体勢を調整しながら出現した。


そして彼は肘を使って座席に這い上がり、

一旦腰掛ける姿勢になってから、左右を警戒しつつ通路に出ると、

両手に一つずつ持った白い折り箱の内、

若干小さい方を女性陣のテーブルに置く。


「わぁ」


ミュアが満面の笑みで両掌を合わせる。


「フレンチトーストのサンドと、チキンが入ってる箱だけ持ってきた」


そう言葉を添えながら、

リエールとフィリップに挟まれたテーブルにも折り箱を置いたエルニーは、

何故か着席する事なく振り返って、開けっ放し状態の小箱に再び向かう。


解せぬ顔付きでそれを見ている仲間四名に、

背を向けたまま行動の由を説くエルニー。


「ナイフとフォーク取ってくる」


納得したミュアは、その間に準備をしておこうと考え、

包装された料理を折り箱から出し、嬉々としてテーブルに並べ始める。


彼女の動向を横から眺めていたリエールは、

やがて純白ロール紙から覗くトーストやチキンに焦点を移して胸を弾ませ、

「うお、うまそー」と、早速自分の前にある折り箱を漁り出す。


その矢先、彼の背後で倉庫から帰還したエルニーが、

スローに歩きながら混同したカトラリー群を種類別に分け、

二本セットにして各々に手渡す。


しかし、リエールがそれを受け取る際、

彼は少し縮こまった様子でエルニーを見上げつつ、方針のずれを明かす。


「せっかく持ってきてくれたのにごめんだけど、

手掴みで食っていい?」


「うん、好きなように食べて」


爽やかに微笑みながらそう返し、フィリップの隣に着くエルニー。


「さあ、食べようか」

「いただきます」


「いただきまーす」「いただきまぁす!」「いただきます」「いただきます」


エルニーが何気なく発した声が結果的に音頭となって[おあずけ]が解除され、

全員の顔が意図せず綻ぶ。


しかし、流石のニーニャとミュアは無闇に食指を動かす様な振る舞いはせず、

雅馴がじゅんな手付きでナイフとフォークを駆使し、

フレンチトーストの挽き肉サンドを上品に頬張る。


裏腹に、テーブルマナー等お構い無しなリエールとフィリップは、

ロール紙を荒々しく広げてトーストサンドを露出させ、豪快にかぶり付く。


エルニーはせっかくナイフとフォークを持ってきたのでそれを使おうとしたが、

リエール達の気兼ねない食べっぷりに影響を受け、

多少上品にだが、自分も手掴みで直接口へ運ぶ事にした。







ティートの港が列車の中から観覧できる頃、

既にうっすらと日が暮れ掛けていた。


まだ明るい夕暮れに輝く町の光が、

和やかな汽車の旅で緩んだ心延こころばえを引き締めてくれる様な、

清爽含みの緊張感を呼び起こす。


それに加えて例のスチーム音にも程好く刺激され、

ナティッドからの乗客五名は活動的な気風に移行する。


「着いたかぁ」


ゆったりと背伸びするリエールを余所に、

「さあ、混まない内に改札を通っちゃおう」と、素早く先陣を切るエルニー。


周囲の出方を伺い気味だった仲間達は、

彼のペースメイクに従って詰まる事なく通路を進み、

そのままスピーディに下車する。


港町であるティートの駅は、流石にカルネラよりもずっと活気が良く、

切符売場前の行列や、気忙しく職務をこなす駅員達が際立つ中、

ベンチに腰を下ろした人々は、荷物を掻き回していたり、

本を読んでいたり、キョロキョロしていたり、しかめっ面で目を閉じていたり、

隣の者と話し込んでいたりと、人目を気にせず思い思いに過ごしていた。


急いだ事によるアドバンテージを活かして改札をすんなり通り抜け、

そのまま駅の外まで仲間を率いた先導者は、

突然身を反転させて駅舎の時計を見上げる。


「五時ちょっと過ぎか…」


その呟きで、他のメンバーも三角屋根の軒下にかかった時計の方を振り向く。


「マジだ」「マジだ」


リードを継続させるエルニーが、両掌を交差合わせしながら提案を出す。


「さてと、まずは宿を探すのがいいかな」

「倉庫に泊まるのはつまんないでしょ?」


「そうだな」「うん」「だね」「う…、うん」


「(おもしろそうと思ったのは俺だけか…)」と、内心リエール。


「ミュアちゃん、申し訳ないけど、お兄さんとの再会はその後でいい?」


仲間の視線が集中したミュアは、隣に立つニーニャを一瞬見てから答える。


「うん、みんなの都合まで融通してもらうのは悪いもん」


「いやいや、そこはいいよ」と、エルニーは微笑む。


「宿なら、港の近くに何軒かあったよな?」


フィリップがリエールにそう尋ねると、彼は黙って数回うなずく。


「そうなんだ、じゃあそっちの方へ行ってみよう」


「あのぅ…」


再び注目を集めるミュア。


「トイレ行ってきていい?」


「あ、じゃあ俺も…」


ミュアの恥じらいをリエールが即座に軽減させる。


実は自分もトイレに行きたかったエルニーは、

その二人の意思表明により、全員に少なからず尿意があると悟り、

新たな提案を挟む。


「じゃあ、トイレ休憩してからここに集合しよう」


「ほい」「おっけ」と、早速駅舎に駆け出すリエールとフィリップ。


「やった」「はーい」と、余裕有り気にゆっくり歩く女性陣。







宿を求めて港方面へと向かう一党の先頭に立つリエールが、

ふと仲間の方を振り向いて弁舌する。


「泊まる宿は、景色と食事さえ良ければ、安いとこでもいいぞ」


しばらくの沈黙の後、その発言のネタ的要素に気付いたフィリップが、

「三拍子揃ってるじゃねーか」と、リエールの後頭部にツッコミを入れる。


「あはは、そうだね」と、微笑むニーニャ。


「その代わり、部屋がやたら狭くて薄汚れてたりして」


最後尾のエルニーから飛んできた言葉に、

「ありそうだな」と、口角を上げるリエール。


徐々に濃厚な青紫へと染まり行く空に急かされ、

早めの速度で数分歩いた彼等は、

潮の香りが漂う物静かな海沿いの道路に出た際、

右手側に伸びる湾曲した街道の先に、中規模の宿らしき建物を発見する。


「お、あれってホテルだよな?」


リエールは建物の雰囲気だけでそう仮説を立ててみたが、

なにぶんまだ結構な距離があるため確信には至らず、

とりあえず仲間の意見を求める。


「うーん…」「多分そうだろ」「ホテルっぽいよね」


次々と曖昧な答えが返ってくる中、唯一、ニーニャだけは、

「えっと…、あ、うん、ホテルね」と、明確な答えを返す。


その言い回しを聞き、全員がニーニャに振り向く。


「え?何で分かるの?」と、彼女の右横にいたフィリップ。


「玄関の上に[ホテル・ブルースライン]って書いてあるから」


「え?」「マジで?」


遠距離且つ薄暗いという条件で、

目視によってそれだけの情報を得た彼女に驚き、

リエール、フィリップ、ミュアは顔を突き出してホテルの玄関を凝視する。


そんな三名の後ろで、

「さすがだね」と、ニーニャに微笑みかけるエルニー。


「ふふっ」と、可愛らしく照れ笑いするニーニャ。


「えーと…、確かに文字っぽいのがほんのり見えるけど…、

良くあんなの読めるな」

「視力良すぎ」


感心を表したリエールの言葉に、

エルニーがちょっとした思考前提の相違を述べる。


「視力というより、センスの賜物だよね」


「うんうん」と、ニーニャも笑顔で相槌を打つ。


「センスでどうこうできるもんじゃないと思うが」


フィリップから尤もな反論を受け、

エルニーとニーニャは顔見合わせをして噴出す。


「?」「?」「?」


三名の疑問符をスルーしたエルニーは、柏手を打ちながら仕切り直す。


「さあ、とにかく進もうか」


リエールとフィリップとミュアはお互いを見渡して首を傾げ、

納得行かない顔付きのまま方向転換してホテルへと歩き出す。


今や、斜陽の反射部分よりも影の面積が上回るホテル・ブルースラインは、

横に長めの直方体に三角屋根というオーソドックスな形状で、

中規模といっても片田舎の宿であるバターカップと比較すれば倍近くあり、

軒を連ねる建物の中でも一際年季の入った組積造の外観は、

幾分モダンさは欠けるにせよ、

逆にそれが箔となって風格ある佇まいを粧飾しょうしょくしていた。


そんなホテルの正面は、路地を挟んでマリーナになっており、

色、形、大きさの異なる数十隻のヨットが閑寂かんじゃくに身を揺らす様は、

普段海から離れて過ごしている彼等の心をときめかせる。


その景観が気に入ったためか、

ホテルの入口まで数メートルという所でリエールが振り返り、

親指で宿泊候補施設を示しながら、仲間達に確認を取る。


「一応聞いておくけど、ここで良いよね?」


「うん」「おっけー」「ああ」「いいよ」


仲間全員の了承を得たリエールは、

[ホテル・ブルースライン]の表示を見上げつつ入口に歩み寄り、

「うわ、ほんとに書いてあるし」と、呟きながら扉を開く。


「いらっしゃいませ」


来客を迎えるラウンジは外側と打って変わって木造箇所が多く、

古めかしくもさんたる艶に彩られた空間は二階層の吹き抜けになっており、

天井から地味目の黒いシャンデリアが垂れ下がっていた。


正面に見える上への階段は、

踊り場から直角に枝分かれする[丁の字型]で、

見た限り左右どちらに曲がっても到達先は三方向分岐になっているらしく、

それぞれ、玄関側にベランダ状のギャラリー、その逆側に廊下、

そして直進方向にも廊下という構造の様だった。


受付は玄関を潜ってすぐ左手側に位置しており、

カウンターの中でこちらに注目するフロントクラーク三名の後ろに、

貴重品預託用のロッカーや事務室へと続くドアも見受けられた。


リエールは入口で少し立ち止まり、一瞬仲間の方を見遣った後、

従業員から視線を逸らしつつ、早歩きでフロントへ向かう。


そしてカウンターに両手を軽く乗せ、

そこで初めてレセプショニストの中年女性と目を合わせる。


「あ~、五人で一泊の予定なんだけど、部屋空いてますか?」


「はい、みなさん相部屋でよろしいですか?」


交渉役のリエールは、後続のメンバーの方を向いて、

「相部屋で良いよな?」と、許諾を求める。


「良いんじゃない?」


大雑把な返事のエルニーに対し、リエールが指摘を入れる。


「男女混合になっちゃうけど、問題ない?」


「うん、着替えとかは倉庫ですればいいし」


「なるほど」


他の面々には意見を出す余地さえ与えず、

エルニーの言葉だけで出した結論を受付に伝えるリエール。


「じゃあ、相部屋で」


「五名様ですと、一泊二食付きで7500スティとなりますが、

よろしいですか?」


「はい」


「では、身分証のご確認をさせて頂きます」


「え?全員のですか?」


「いえ、代表の方だけで結構ですので」


それを聞いたリエールは上着のポケットに手を入れるが、

直後、[しまった!]と言わんばかりに顔を歪め、

素早くエルニーへと向き直って囁く。


「やべえ、俺の旅券、倉庫の中だよ」


エルニーは微笑みつつズボンのポケットから旅券を取り出し、

「僕がサインしちゃうね」と、それを受付に差し出す。


彼の旅券を預かった女性スタッフは、

契約用紙と万年筆をエルニーの前に置く。


「では、こちらに必要事項のご記入をお願いします」


ペンをつまんでクルリと持ち替え、サラサラと注文に応じるエルニー。


筆記済みの用紙を女性スタッフに向かって滑らせるエルニーの横から、

「お金は今払っちゃうんですか?」と、リエールが発問する。


旅券を見ながら何かを書き留めていた女性スタッフは、

パッと顔を上げて早口で答える。


「いえ、チェックアウトの時に支払って頂きます」


そして作業を済ませた彼女は契約用紙を手前に引き寄せ、

預かっていた旅券を持ち主へと両手で差し出す。


「お待たせいたしました、こちらお返しします」


エルニーは軽くお辞儀しながらそれを受け取る。


「貴重品等はお預かりいたしますので、もしご希望の場合はどうぞ」


「あ、そうゆうのは特にない…かな」

「(強いて言えば小箱が二つあるけど、

預けたくはないな、中身が中身だけに)」


リエールがそう答えたタイミングで、

ロッカー前に待機していたベルボーイの青年が動き出し、

女性スタッフから鍵を受け取った後、小走りでカウンターを迂回する。


「ではこちらへ」


上下とも黒のユニフォームに加え、

ケピ帽まで黒で決め込むベルボーイの前へ集合するリエール達一行。


「お荷物の方、お運びしますよ」


各々の顔を見渡してから軽く噴出した旅の仲間達を代表し、

「ほとんど手ぶらなので」と、エルニーが気遣い無用宣言をする。


「あ、わかりました」


シャキっと背筋を伸ばして軽快に階段を上るベルボーイは、

背後に御客を続かせながら踊り場分岐を左手方向へ曲がり、

二階に上がってすぐの三分岐は正面へと進む。


そして一階事務室の真上、201号室の前で立ち止まった彼は、

先程フロントで受け取ったキーをポケットから取り出す。


「こいつってチップ渡さなくてもいいよな?

ここらでそんな風潮聞いたことないし、荷物も運んでもらってないし」


リエールがエルニーの耳元で小声を発す。


「多分渡さなくて良いと思うけど、催促の合図がないか見てよう」


「そうだな」


「お部屋はこちらになります」


ドアを大きく開いたベルボーイが部屋の中を示す後ろから、

リエールが上半身を傾けて部屋を覗き込む。


まだ明かりが灯っていないために室内は薄暗かったが、

彼が抱いた第一印象は[素朴]だった。


木質パネルの床には赤がベースの洒落た絨毯が敷かれていたが、

アクセントとなるのはそれだけという地味ぶりに加え、

まだテーブルや椅子が持ち込まれていない室内に見受けられる家具と言えば、

左手側と右手側の壁際に、

二対三という比率で配置されている綺麗なベッドのみだった。


透けた白いカーテンの付いた上げ下げ式の窓が奥側の壁に二つ設けられていて、

既に開かれているその窓からは、潮風や波の音、アジサシの鳴き声、

マリーナに停泊中の船やヨットの接触音等が入り込み、

飾り気の薄いこの部屋に、落ち着ける雰囲気を演出していた。


ベルボーイは率先して部屋に立入り、

中央に垂れ下がったランプに手際よく火を灯した後、

後続の宿泊客達に当旅館のシステムを解説し始める。


「七時半頃にお食事の方をお運びします」

「食前酒等のご注文は食事前に承りますので、その時に」


「はい」と、エルニー。


「夜間に外出される場合も、受付の許可は要りませんので、ご自由にどうぞ」


「はい」


「では、何かありましたら、

あちらの[紐]を引いて貰えれば、すぐお伺いします」


部屋の左隅の天井から垂れ下がった紐を広げた手で示す青年と、

そちらに注目する一同。


「ルームキーはこちらになります」


エルニーに201号室の鍵を手渡したベルボーイは、

「それでは失礼します、ごゆっくりどうぞ」と、深く頭を下げ、

チップ催促なしで立ち去る。


そんな彼の足音が階段の下まで到達した事を確認したリエールが、

出口に親指を向けながら言う。


「絶対ミュアとニーニャを意識してたぜ、あいつ」


「ああ、してたな」と、うなずくフィリップ。


「二人ともかわいいもんなぁ…」


エルニーからの称賛に、

「え…、そうかな?」と、照れるミュア。


一方のニーニャも、

「えへへ…、ありがと」と、可愛らしく縮こまる。


普段なら女性絡みのネタは広げてくるはずのリエールが、

今回は少し違う切り口で話を展開させる。


「あと、エルちゃんの事も意識してたな、やつぁー」


「えぇ!?」


驚くエルニーの後ろで、

「間違いねーな」と、腕組みをしながら強くうなずくフィリップ。


「え、その、えっと、あの、えぇ!?」


露骨に動揺するエルニーを、ミュアが更にいじる。


「エルニー、凄くキレイだもんねぇ、女の子と思われたかも」


「んだな、声もどっちかと言えば女寄りだしさ」


リエールからそんな指摘を受けたエルニーは、

目一杯声を低くして凄んで見せる事で照れを隠す。


「なにを言う、この雄雄しき姿をとくと見よ」


そう言って両手を後頭部に当て、

筋肉アピールのポーズを取った彼の姿は、

色気さえ纏う程、女性モデルさながらの美しきフォルムをしており、

当人の意に反して男性的な印象をより遠ざけただけだったため、

多段に意表を突かれた周囲の面々から爆笑が起こる。


特にリエール、フィリップ、ミュアの三名からすれば、

普段あまりふざける場面を見せないエルニーならではの面白さがあり、

声も出せない様子で腹を抱えながら笑っていた。


ポーズを解除し、顔を赤らめながら恥ずかしそうに彼等を見詰めるエルニー。


やがて笑いも落ち着いた頃、リエールが目を擦りながら言う。


「ふぅ~、ふふ…」

「エルちゃんかわいい!」

「君ってそうゆうノリも行ける人だったんだ…、くふふ…」


続けてフィリップも同感を表明する。


「うん、なんかイメージと違ってた…、ふふふ…」

「俺も、てっきりフランクとはかけ離れた真面目タイプかと…」


「え~?この人、結構フランクだよ~」


微笑みながら普段の彼について報告したニーニャだったが、

直後、一瞬だけ視線を天井に向けて固まる。


「あ、でも…」

「めりはりを付ける人だから、仕事とかの時はホントに凄く真面目かな」


「なるほど、納得」


フィリップの相槌に数回うなずいたリエールは、

「これでまたひとつキャラクターが掴めたな」と、窓に近付く。


そして縁に両手を突きながら少々身を乗り出し、

慣れない景色と深く空気を味わう。


「真面目過ぎる人って敬遠されがちだから、気を付けてる」


そう言いながら、最も窓際のベッドに腰掛けるエルニー。


彼の対面、二つ並んだベッドの窓側に向かいつつ、

「だよね~」と、ミュア。


ニーニャもその動きに反応して、彼女の隣のベッドを確保しつつ、

「ミュアちゃんのお兄さんはどんな感じ?」と、発問する。


「うーん…、兄さんは…」

「いつも一定っていうか…、裏表があんまり無くて、落ち着いてる」

「でも、真面目過ぎる訳じゃないかなー」


「そうなんだ」


そんな会話の最中、エルニーの隣のベッドに横たわるフィリップ。


そのタイミングで何気なく振り返ったリエールは、

知らぬ間に更新されていたベッドの占有状況に驚く。


「あら?誰がどのベッドを使うか決まっちゃったのね、既に」


「あ、ごめん」


洒落で言ったつもりが、受取り方がずれてしまったエルニーに焦るリエール。


「あ、いいよいいよ」

「それはそうと…、遅くならない内にミュアの兄上んとこ行くんだろ?」


その言葉に機嫌を良くしたミュアは、

兄に会える嬉しさを悟られないように押し込めつつ、

遠回りに予定実行を促す。


「ご飯まで時間あるみたいだから、もしみんながよければ」

「ここからなら遠くないし」


リエールは正直、やっと落ち着けた所だったので乗り気では無かったが、

休憩ムード漂う仲間内で唯一立っている状態のためか、

ミュアの発す期待の視線を別段受けていた事もあり、

うきうき気分な彼女の前で、だるそうな態度を取るのも悪いと考え、

「OK、じゃあ出ようか」と、笑顔で柏手を打ち、窓を離れて出口へ向かう。


上体を起こすフィリップと、下向き加減だった顔をパッと上げるエルニー。


場を活気付けるリエールと同様の気遣いから、

「はーい」と、ニーニャも元気にベッドから離れる。


そんな彼女の仕種が引き金となって、

ミュアは抑えていた笑みを満面に出しながら、

「うん!」と、勢い良く立つ。


未だベッド上にいる二名の反応は薄かったが、

程無くしてエルニーが沈黙のままゆっくり起立すると、

それを横目で捕らえたフィリップも本格的に動き出す。


一足先に廊下へと出て行ったリエールは、

後ろを気にせずどんどん進む。


かような先行者にスローペースで続きながら、

部屋の方をちらちらと振り返るニーニャと、

遅れ気味の男性二人をドアの前で待つミュア。


そして全員が退室後、

最後尾のエルニーが201号室のドアに施錠したのを目視したミュアが、

階段手前で待機中のニーニャに早足で迫ると、

フィリップとエルニーも少し慌てて彼女を追う。


やがてロビーにて合流した仲間達は、

新規客の対応をしているフロントの前を通ってホテルを後にする。


相変わらず先頭に位置していたリエールだったが、

ホテルの狭いアプローチを抜けた所で立ち止まり、

広げた手を進行方向に伸ばしつつ、

「さあミュア、案内して」と、彼女にリードを要求する。


「あ、こっち」と、リエールの示した方向とは逆に向かうミュア。


「って、そっちかよ」







「ここだよ」


お世辞にも立派とは言えないアパートメントの前で足を止める一行。


「でも、兄さんいるのかなぁ…、明かりついてないけど…」


ミュアはドアに近付き、とりあえず遠慮気味に数回ノックするが、

案の定返事は無かった。


「あれぇ…?夜勤かなぁ」

「夜勤が結構多いって手紙に書いてあったし」


期待に反してすんなり会えなかった事で、

ふと兄の安否が気に掛かったミュアが、

そう自分に言い聞かせているのだと分かったニーニャは、

「そうだね、きっとそうだよ」と、その不安を和らげる。


「でも、いないなら仕方ないね」と、エルニー。


しばし俯いて爪先を地面に擦り付けた後、

「うん…」と、残念そうにうなずくミュア。


リエールがそんなミュアの落ち込み様を見兼ねて、

「とりあえず、明日のお昼にでもまた来よう」と、発案するが、

自分の方へ振り向いたミュアの顔にまだ憂いが残っていたため、

重ねて策を提示する。


「それでも会えなかったら、もうちょいこの街に留まろうか」


「そうね、それがいいかな」と、手を合わせるニーニャ。


「じゃあ、そうゆう事にしようぜ」と、フィリップ。


ミュアは嬉しかったが、

自分のために旅の経過を止めるかも知れない申し訳無さもあり。

「ありがとう、でも、そんなに気を遣わないで」と、笑顔でうなずく。


リエールはケロッとして言葉を返す。


「いやあ、急ぎでもないし、

ここを観光するのも楽しそうだし、全く問題ないよ」

「というか個人的にも、君とお兄様が再開する場面を見たいもん」


「うんうん、見たい」


エルニーが共感を表したのをきっかけに、毎度ながらリエールが調子に乗る。


「多分、会った瞬間ミュアの目付きが変わり、

[ついに見つけたぞ兄よ!我が積年の恨み、今ここで晴らす!]とか言って、

ナイフを片手に襲い掛かる展開だろうがな」


「どんな兄弟だ」


フィリップが空かさずリエールの後頭部を引っぱたく。


「な、なぜ分かったの!?」


ぎこちなく乗ってきたミュアに、

「えぇっ!?」「そうなのー!?」と、リエール達がクイックな反応を見せる。


「ふふっ、うそ」


照れ笑いしながら縮こまるミュアに、

「わかっとるわ!」と、タッチ程度の強さで突っ込むフィリップ。


皆が笑みを零した後、若干場が固まる。


「あ、じゃあ戻ろうか」


そう言って何歩か進んだリエールに、

「OK」と、エルニーがリンクしたのをきっかけに、全員が動き出す。


「帰りにお菓子買ってこうぜ」


フィリップは幼い頃から聞き慣れた提言に微笑む。


「お前、相変わらずお菓子好きだねえ」







夕食時、テーブルと椅子が部屋に持ち込まれ、

ホワイトトレヴァリー(スズキ)のバターソテーや、

ロブスターのマッシュポテト添え等の料理が並んだ食卓に着く面々。


美味しそうな料理を前に、食前酒の到着まで待機している一同は、

料理の香りを楽しむなり、食器のデザインを観覧するなりして過ごしていた。


その時、201号室にノック音が響き、

反応した皆の視線が入口のドアに集中する中、

例のベルボーイが食前酒ワインの瓶や白いポットが乗ったワゴンと共に入ってきた。


「こちらシャトー・ジャスフ12年となります」

「ワインのお客様は?」


黙々と手を挙げるリエールとフィリップ。


手馴れた様子でコルクを開けたベルボーイは、

まずフィリップの前に置かれたグラスに瓶の口を当て、丁寧に中身を注ぐ。


続いてリエールのグラスに白ワインが注がれようとした矢先、

その横でスッと手を挙げるエルニー。


「僕も貰おうかな」


「あ、はい」


まずやりかけた作業を全うした後、素早くエルニーの方へ回り込み、

急な注文を果たすベルボーイ。


「なに?エルちゃんお酒飲むの?」


リエールからの問い掛けに、

「うん、たまにだけど」と、エルニーがうなずく。


「エルちゃん、こう見えても22歳だから」


「えー!?マジで!?」「うそー!?」


フィリップが発した情報を受け、リエールとミュアが同時に驚く横で、

ベルボーイの青年も若干驚いた様な素振りを見せる。


「17で抗体を浴びたからだってさ」

「ほら、老化を遅らせるとか言ってただろ?あれ」


「ああ、言ってたな」


赤の他人であるベルボーイは、奇妙過ぎる会話に内心戸惑いながら、

テーブルの上にワインの瓶を置いてワゴンへと戻り、

女性陣の注文である紅茶の入ったポットを持ってミュアの横に立つ。


そして、海鳥の描かれたソーサー上のカップに中身が注がれる最中、

「じゃあ、ニーニャちゃんも?」と、発問するミュア。


「うん、22だよ~」


再び驚くリエール。


「俺より年上かよ!?」


「リエールいくつ?」


「21」


「ひとつ下なんだ」


「だね、ちなみに、こちらのマルルーニ様も21」


フィリップの腕にタッチするリエールを見ながら、

「わたし、もうちょっとで19」と、ミュアも年齢を明かす。


「ほ~」

「まあ、ミュアは違和感無く当てはまるよな、その数字が」


「うんうん」と、ニーニャ。


会話が途切れたタイミングで、

ベルボーイが入り口付近に垂れ下がった紐を示しながら、

マニュアルに従った台詞を挟む。


「では、食事がお済みになりましたら、

あちらの紐を引いて頂ければ食器を下げに参りますので」


「あ、はい」と、契約名義を持つエルニー。


「では、失礼します、ごゆっくりどうぞ」


深々と頭を下げた後、ワゴンを廊下に出し、

そこで再び室内へとお辞儀をしてから慎厚な動作でドアを閉め、

階段とは逆の方向にワゴンを転がして行くベルボーイ。


そして彼の気配が消えた所で、

リエールがドアの方に親指を向けながら言った。


「あいつ、絶対ミュアとニーニャとエルちゃんを意識してたな」


「ああ、してたな」と、フィリップ。


「ネタの再利用ですか」と、エルニー。


微笑む女性陣。


「んじゃ、食うべ」と、手を擦り合わせるリエール。


「じゃあ、いただきます」


昼食と同じく、エルニーが音頭を取る。


「いただきます」「いただきまーす」「いただきます」「いただきます」







食事の後、各々ベッドの上で寛ぐ一同。


ほろ酔い加減のエルニーは、自分のベッドでグッタリとうつ伏せになり、

窓から流れ込む波の音と清涼な風で少し眠そうだった。


「ねえねえ…」


そうニーニャに呼び掛けながら、彼女の横に座るミュア。


「ん~?」


「お風呂行かない?」


「あ、いいねー」


「いこー」


「うん」


先に立ち上がったミュアは、反対側にいる男性三人に、

「お風呂入ってくるね」と、報告する。


「いってらっしゃい」「いってらっしゃい」


声を重ねるリエールとフィリップ。


女性陣は楽しそうにドアへ向かうが、

突如、ニーニャがハッとして立ち止まる。


「あ、タオルと着替え取って来なきゃ」


「あ、そうだそうだ」と、ミュアも目を見開く。


エルニーにコツコツと歩み寄ったニーニャは、

だらりとして動かない美青年のポケットから小箱を取り出し、

蓋を開いたそれを彼のベッドに置いてミュアへと振り返る。


「ミュアちゃんのも取ってきてあげるよ」


そう言って倉庫の中に入った彼女が、

しばらくしてタオルと二人分の荷物を持って出てくると、

「俺も風呂入ろうかな…」と、リエールが呟く。


「あ、タオルまだ中にあるよ」


荷物をフィリップのベッドに置きながら答えるニーニャ。


「どの辺に?」


「浴場に何枚もあるよ」


そう言って、カルネラの服屋の紙袋に入った着替えの中から、

パジャマ代わりの薄いシャツと短パンを探り出すニーニャと、

自分のリュックのジッパーを開けて、中をごそごそ掻き回すミュア。


「浴場?」


ニーニャは手を止めてリエールの方を向く。


「えーと、武器が置いてあるとこに、あと二つドアがあったでしょ?」


「ああ」


「あれの左側」


「OK」


ベッドの上にいたリエールは、靴を履かずに隣のベッドへ飛び移り、

寝そべっているフィリップを跨いでニーニャの隣に降り立つ。


そんなリエールに対し、着替えを抱えたニーニャが、

「これ、ついでに戻してもらっていい?」と、紙袋を低く挙げる。


「いいよ」


ニーニャから荷物を受取り、それを持ち替えると、

何も言わずにミュアの方にも手を差し出すリエール。


「あ、ありがと」と、彼にリュックを預けるミュア。


「それと、箱はエルニーのポケットにしまっておいてください」


追加注文を出したニーニャに振り返り、

「わかった」と、微笑むリエール。


そして小箱の中の球体へと手を伸ばすが、

不意にそれをピタリと止めて再度ニーニャの方へ向き直り、

その背中へと声を飛ばす。


「あ、この中に風呂あるなら、そっちでいいや、俺」


ニーニャは反応して振り返る。


「結構、広くていいお風呂だったよ~」

「お風呂って言っても、

[ポストロジー]の[流れるお風呂]と一緒のタイプだけど」


「へぇ~」

「って、[ポストロジー]ってなんだっけ?」


「あの[ヒストリーホール]とかがあった場所の事だよ」


「ああ、そっか」

「でも、あの[流れるお風呂]なら、歓迎だね」

「フィリップも一緒にどうだ?」


くたびれた様に低いテンションのフィリップが、彼を一瞬だけ見上げて答える。


「ああ…、だけど,お前の後に入るよ…」







夜も更け、窓を覆う白いカーテンが月明かりを含む中、

リエールは一人寝付けないでいた。


「(昼間、汽車の中で寝たからなぁ)」


上体を起こし、ぐっすりと眠る他の面々を見渡すと、

軽い孤独感が沸くリエール。


唯一の採光源である窓をしばらく眺めた後、

姿勢を幾度となく変えて何とか寝付こうとするも、

睡眠の糸口さえ掴めない彼は、やがてじわじわと発想の転換に至り、

遂には[夜の街に出てみよう]という考えを頭に過ぎらせる。


だがその企画にはちょっとした抵抗があった。


その主な原因は、玄関から出る際、

受付の前を通らなければならないという点にあった。


[こんな夜更けに一人で出掛けるのを見て、どう思うだろう…]、

[それに、どんな顔でフロントを通過しようかなあ…]、

[なんとか誰にも見付からずに、それも普通の方法で出られないかな…]、

[それとも外出はやめて、ここで夜明けを待つべきか…]。


リエールはあれこれ考えた結果、

とりあえず受付周辺の様子を探ろうと、ベッドから起き上がって靴を履く。


そして、白い半袖Tシャツと紺のスウェットパンツ姿で、

息を潜めながら慎重に出口まで移動し、

ドアの取っ手を掴んでゆっくりと引く。


ギ~ッ。


予想以上に高いデシベルを伴わせながら軋むドアに慌てるリエール。


一旦仲間達の方へ振り返って就寝具合をチェックした後、

まだ半開きのドアから顔だけ廊下へ出して誰もいない事を確認した彼は、

体を横にして素早く且つ静かに退室し、

閉音防止のため、あらかじめ取っ手を捻りながらドアを閉める。


そして壁を背にしながら廊下を少し進み、慎重にロビーの調査を試みるが、

フロントの情報はベランダ型のギャラリーに遮られて掴めなかった。


と、次の瞬間、リエールは背筋に冷ややかさを覚える。


よりによってこのタイミングで、

あのベルボーイがギャラリーの陰から姿を現し、

階段を静かに上ってきたのだ。


しかし、その時点では201号室に隠れる事も充分可能であった。


ところがリエールは、

[階段が分岐している]という要素から成る[確率的救済措置]に甘え、

後手に回る姿勢を取ってしまう。


ベルボーイが階段の踊り場を逆方向に曲がる可能性に賭け、

少し様子を見るというリスク含みな選択をした訳だ。


そして、俯き加減で左折してきたベルボーイによって、

あっさりと窮地に立たされる隠伏者。


「(やべー)」


戻るにしても、部屋までは少し距離があり、走らなければ間に合わない。


だが、真夜中に騒音を立てれば他の客に迷惑になるし、

気を付けて走っても速度が犠牲になる。


その前に、隠れる必要等一切無いが…。


若干あたふたした結果、開き直ってわざと見付かる事にしたリエールは、

覚悟を決めて無表情を作り、ステルス状態を解除する。


ベルボーイは突然ギャラリーに踏み出してきた宿泊客に無言で驚くが、

流石の接客業務だけあり、即座に体勢と表情を整えて会釈をする。


それを見たリエールも会釈を返しながら彼とすれ違った後、

勢いに乗ってフロントも通過し、

玄関を突破してから堪えていた笑いを浮かべる。


「さて、ちょっと飲み足りなかったし、バーにでも行こうかな…、」


そう呟いてから、とりあえず駅の方向へと踏み出してすぐ、

非常に重要な不足物に気付くリエール。


「あ、やっべ、金忘れた」


ホテル・ブルースラインのフロントクラーク達は、

あまりに早々たる帰還を果たした外出客に目を丸め、

彼がそそくさと部屋へ戻っていく様を見てクスリと微笑む。


数分の後、再びロビーへと降りてきた同一人は、

先程までとはガラリと様相を変え、シックな出で立ちをしていた。

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