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12:造化の妙

舞台紹介


《ナティッド》

リエールとフィリップの生まれ育った小さな田舎町。

小国ミラディアに属する。

マンガンを採取していた廃鉱と、広い牧場の他に特筆する様な物もないが、

平和で長閑な心休まる土地。


《トーテス》

ミュアの故郷でナティッドの隣に位置する街。

ナティッドから歩いて一時間程度の距離だが、ナティッドよりはずっと都会である。


《クトル》

ミラディアから海峡を挟んで北西に位置する国。

北と南に分かれている。

北側ノースクトルはエルニーの出身地。

南側サウスクトルはニーニャの出身地。

二号室に集合した仲間達は、

未だに食べかけの料理が乗ったテーブルを横目に見ながら、

今回の件で自然とリーダーシップを発揮しているエルニーを中心に位置取る。


「ところで、ジャスティスさんは?」


エルニーがニーニャに顔を向けてそう尋ねる。


「一旦帰ってきたけど、さっきの男の子がまだいたから、

送って行くついでに、もう一度町を調べてくるって」


「そっか」


「チラッとしか見てないが、あのガキ、乾物屋のご子息だったな」


左横に立つフィリップの肩に顔を寄せてそう囁くリエール。


「俺は直接は見てないけど、あの時間帯なら他にいないしな、

配達の帰りだったんだろな」


フィリップがそう返答する最中、

エルニーが場を取り仕切るための柏手(かしわで)を打ち、注目を集める。


「じゃあ、これからの事だけど」

「僕とフィリップ君とシーザ先輩で町を見回って、

他に感染者がいないか調べよう」


自分の名前が入っていない事にキョトンとするリエールを余所に、

間髪入れずニーニャへと指示を出すエルニー。


「ニーニャは過去の僕に手紙を書いて」


「はい」


男衆の中で唯一パトロール斑から除外されたリエールが、

自分を指差しながら問う。


「俺は?」


「リエール君は、そろそろ過去のニーニャが何処かに現れるはずだから、

そのニーニャをミストまで送ってあげて」

「君しかミストへのドアを開けられないんでしょ?」


それを聞いたニーニャが、部屋の時計を見ながら記憶を辿る。


「うーん、一回目も二回目も、今日の夜に出現したから…」

「あと一時間くらいしたら橋の向こうの池に出て来るかな…」

「二回目のトライも、また同じ池に出て来ちゃって…」

「でも、二回目の方が少し後だったわ」


「じゃあ、再突入一回目のニーニャがここに現れたら、

リエール君がそのニーニャに手紙を渡す感じかな」

「バターカップを通して過去の僕に届けるよう口添えしてね」


「微妙にややこしッ」と、リエール。


フィリップが床に置かれた箱に目線を送りつつ言う。


「その箱のミストではだめなの?」


一見、手順の粗と思える箇所の指摘に、エルニーが即答する。


「移動だけならこれでいいけど…」

「箱を使ったら、過去のニーニャに結果が知られてしまうからね」

「無駄を省くためでも、既に経過した史実と因果関係にある行動を、

中止させるきっかけは与えちゃだめなの」

「時の矛盾を招きかねないからね」

「例えば…」

「ニーニャがミュアちゃんの家に向かう途中、

[狭い歩道]で誰かと[すれ違う]とする」

「そりゃ、[すれ違い]なんて極日常的だし、

普通は特に何も意識しないだろうけど、少し考えてみて」

「[すれ違う]と言う現象は、相手と軌道が重ならないから成り立つでしょ?」

「重なったら[衝突]だしさ」


露骨に戸惑った表情のフィリップを見て、一度喉を鳴らすエルニー。


「で、本題だけど」

「本来、ニーニャはミュアちゃんの家に向かう途中、

ある人物と狭い歩道ですれ違うはずだった」

「ところが、事前に結果を知ってしまったニーニャは、

無駄を省こうと思って過去に行くのをやめてしまい、

その人物とすれ違う事はなかった…」

「これって一見、なんでもないような差だけど、

そこから計り知れないくらい数々の誤差が生じるんだ」


「そんな小さな事で?」と、フィリップ。


「うん、森羅万象一つ一つの存在や諸事は全て連動する歯車になっていて、

単体では意味を成さないの」

「常時他からの影響で動いているから、その誤差が大問題となるんだ」

「まず、ニーニャとすれ違うはずだった人物は、

史実とは違う軌道を通る事になる」


「そうなの?」


「うん、だって、[狭い歩道]で人とすれ違うなら、

普通はお互いに相手を意識して隅っこを歩くしさ」

「そりゃ、一人でもわざわざ隅を歩く人は多いけど、

[正面から接近してくる物体]が人の心理に及ぼす影響は殊の外大きくて、

無意識に避けようとしたり、速度を緩めたりする作用が働くから、

[一人で隅を歩く]のと、[すれ違うために隅を歩く]のとでは、全然違うんだ」

「その結果、単純に見ても、その人が目的地に辿り着いた時間とか、

移動した距離とか、歩んだ足跡とか、

色々な物が[微妙]にだけど狂うでしょ?」

「だけど、それらが狂った場合、例え気付かないくらい微々たる変化であっても、

そこから派生する運命の数々には、かなり絶大な影響を及ぼす事になるんだ」

「すれ違っていたら、右足で躓くはずだった歩道の段差も、

左足で踏み越える事になるかもしれない」

「そうなると、躓いて多少なりとも立ち止まったはずが、

立ち止まらない事になる」

「そうなると、その先の角で偶然出会うはずだった知人とも、

微妙にタイミングがズレたために出会わなくなるかもしれない」

「そうなると、立ち話をしていた時間がそっくり消える事になるかもしれない」

「しかもそんな単純な問題だけでなく、例えばその後、立ち話もなんだからと、

一緒に近くの喫茶店に入る…、という展開が史実だったとするでしょ?」

「そうなると、その人が喫茶店にいたからこそ生まれた運命連鎖の数々が、

全てキャンセルになってしまう」

「ケースを挙げるなら、その人が座るはずだった席に他の人が座った…、とか、

その人が頼むはずだった軽食の材料が、その分余った…、とか」

「そんな小さな要素だけでも、

その後の経過を辿って行くと、まるで別の未来になる」

「一見、大して変わらないと思えるけど、[どの時点を結果とするか]で、

変化の大きさもピンキリだし、それらから派生してく変化も計り知れない」

「更に…、その人がその時間帯、

史実とは別の場所にいるというパラドックスがあっただけで、

いま話したパターンが、全部別の物に書き換えられてしまう」

「そして更に…」

「ニーニャがすれ違うのは、一人とは限らない…」


沈黙が流れる。


「あくまでも、これは目に見える範囲の[シンプル]な例えであって、

人間がただ呼吸しているだけでも、まばたきしただけでも…、

いや、人間だけじゃなく、小さなチリが落ちているだけでも、

そのチリにミクロの凹凸がどんな具合に付いているかだけでも、

それこそ突き詰めれば素粒子の一粒に至るまで、

何かが一つズレただけで、まるで別の未来になるんだ」


「微妙にむずかしッ」


リエールの言葉にフィリップも同感を示す。


「だな」


微笑みながら続けるエルニー。


「つい長々と話しちゃったけど、要は…、

過去のニーニャにミュアちゃんが助かった事実を悟られちゃダメって事」

「仮に知られても、ニーニャは箱のミストを使うなんて横着はしないけど、

知らないが故の重要な行動を中止させる危険性があるんだ」

「その場合、行動だけ史実通りにこなしても、

さっき言った[ずれ]の問題で再現にはならないからね」

「つまり、基準時間上、史実とみなされた事象を[きっかけ]とする場合、

あくまで[後手]として対応をしないと矛盾を招きかねないの」


「なるほど…」


フィリップが小さく数回うなずく横で、リエールが腕組みをしながら発問する。


「それなら、ユリア達の感染を一種の[きっかけ]とすれば、

阻止できたんじゃ?」


エルニーはジェスチャー混じりで説明する。


「今回の場合、ミュアちゃんの感染と、

リエール君達の歴史間移動の理由が密接な関係にあって、

それらを矛盾なく連結するには、

[ミュアちゃんとユリアさんの接触]という繋ぎ目が必要だった」

「その繋ぎ目に依存して成り立つなら、過去ででも未来ででも、

起こした行動は正当化されて、[史実]として認定されるけど…」

「ユリアさんの感染発覚は、基準時間上、

その繋ぎ目より後に発生したきっかけだから、

それ以前のきっかけをかき消して予防するなんて行動は、

モロに矛盾しちゃう」

「まあ、今回に限らず、

当事者が意図して[きっかけを阻止する]のは凄く危険だから、

タイムスリップによる問題解決には細心の注意を払ってね」


「ふうむ、そっかあ」

「(正直、良く分からんかったが)」


リエールは上辺だけ納得を表明した後、何故か小さく噴出し、

エルニーの講義に対して感心を露にする。


「いや~、しかしエルちゃんは優秀だね」


「え?…そ、そうかな?」と、前回のパターンの使い回しで照れるエルニー。


「うんうん」と、フィリップ。

「うんうん」と、ニーニャ。


その流れを見たシーザも、

「うんうん」と、少しキャラを変えてノリ良く続く。


そんな場の空気を受け、

いい加減に前を向くタイミングを掴もうとするミュアも、

「うんうん…」と、不器用に微笑みを見せる。


微量な違和感から、ミュアに軽く目線を向けたエルニーだったが、

すぐにそれを戻して[照れ臭い話]を早々に切り上げる。


「じゃあ、僕等は調査に出なきゃ」


それを聞いたニーニャは小走りで自分の席へ向かい、

椅子に置かれたハンドバッグから財布を取り出して言う。


「私は雑貨屋さんで文房具一式を揃えて来るね」


「なら送るよ」と、彼女に歩み寄るリエール。


「夜道の一人歩きは危険だからな」


即興ボディーガードに振り向いてニッコリ笑うニーニャ。


そんな彼女よりも出口側に立つエルニーは、

自分達が先に出た方が円滑に事が運ぶと察し、

シーザの右肩とフィリップの左肩をタップする。


「さ、出ましょう」


その言葉を合図に、彼等が先発しようとした矢先、

ミュアが弱々しく声を発す。


「あ、エルニー…」


不意に立ち止まったパトロール斑三名は、

少し驚いた顔で振り返る。


「私はどうしたらいい?」


エルニーは一瞬間を置いてから、早口で返す。


「ジャスティスさんが戻ってくるかもしれないから、ここにいて」


「はい」


ミュアに微笑みを返し、

「じゃあ行こう」と、仕切り直すエルニー。


「おっけ」「よし」


駆け足で退室した彼等を見送った後、

リエールが出口へと踏み出しながら左後方に声を飛ばす。


「俺達も出ようぜ」


ニーニャはリエールの横っ面に、

「うん、行こ」と、答える。


「じゃあ行ってくるね」


笑顔で手を振るニーニャに対し、ミュアもはっきりと微笑んで応じる。


「いってらっしゃい」







リエール達が雑貨屋に到着すると、既に店は閉まっていた。


売り場を覗ける窓にカーテンが掛かっていたが、

そこから微かな明かりが漏れているのを見たリエールは、

「開けてもらおう」と、自分勝手な意見を述べつつ、

隣の建物との隙間を通り、そそくさと裏口に回る。


ニーニャは一瞬戸惑ったが、黙ってそれに続く。


ランプを持たずに出てきたため、

月光の角度的に真っ暗な影の中にある裏口のドアを手探りで確認し、

遠慮の欠片も見せずに力強く叩くリエール。


「開けてもらえるの?」と、小声で気不味そうに尋ねるニーニャ。


「うん、店が閉まってから来る人多いよ」

「下手したら昼間に匹敵するくらいかも」


「それなら、店を閉めなければ良いのに…」


「だよね」


その時、内側からドアノブが回転する音がしたため、

リエールは咄嗟に一歩下がる。


そして押し開けられたドアから、

眼鏡を掛けた白髪交じりの熟年店主が顔を出し、

灯明に目を細めたリエールを見て、

「なんだ、レイラんとこのせがれか…」と、しゃがれ声を出す。


「ども」


店主はリエールの挨拶に反応せず、

今度は先程自分の店で衣服を買って行ったニーニャを見て呟く。


「ああ、さっきのお嬢さんか…」


「こんばんは」


丁寧な会釈をする彼女に、

「はい、こんばんは」と、緩い表情で応対する老年男性。


「おれは無視かよ」


その突っ込みもスルーした店主は、

「買い物か?」と、面倒臭そうにリエールを見遣る。


「そうそう」


座商は家の中を一瞬振り返った後、

「表にまわりな」と、裏口をゆっくり閉める。


再び闇に包まれる裏口付近。


「行こうぜ」


[閉店後来店]というルール違反に対し、

一片のおそれも感じていない素振りで引き返すリエールに、

後続のニーニャが疑問を投げ掛ける。


「最初から正面玄関をノックした方が良かったんじゃない?」


「あっちだと店のスペースを挟むから、聞こえ難いみたい」

「ほら、もう結構な歳だしさ」


「そか」


客二名が正規の入口前でしばらく待つと、

やがて小窓のカーテンにうっすらと動く人影が映り、

少し長めに開錠動作の金属音が続いた後、

所々ペンキの剥げた木製の扉が小さく開かれる。


「どうぞ…」


ズリズリとサンダルを床に擦り付けながら、

だるそうに奥の部屋へと戻って行く店主に続き、

堂々たる態度のリエールと、恐縮した物腰のニーニャが、

雑多な品々で溢れ返った薄暗い売り場に立ち入る。


衣料洗剤や石鹸といった日用消耗品、包帯や軟膏といった医療品、

箱や缶や包装紙に入った様々な菓子や瓶入りの飲料、鍋やお玉といった金物、

デザイン性のない最低限の衣服と下着、ペンやインクや紙といった筆記具等、

決して広くはない間取りを豊富なカテゴリの販売物が賑やかに彩る商用空間は、

人がすれ違う事さえままならない程に窮屈で、

独特の配合性を持ったコクのある香りが充満していた。


明度の低さが物語る通り、

売り場の天井に下がったランプは未だ点火されておらず、

奥の部屋から多少の灯明は届いてこそいるが、

品揃えを詳しく認識するには不十分な光量だった。


そんな条件下のため、商品に顔を近付けながら店内を徘徊するリエール。


「文房具どこだっけなー、普段食い物と飲み物しか買わないからなあ、ここ」


やがてマッチと新聞を手に持った店主が奥の居住区画から再登場し、

金物が並ぶ棚の前に置いてある踏み台を掴んでランプの側まで引き摺った後、

その上に乗ってマッチを箱の横薬に擦り付け始める。


そして着火したマッチでランプに灯を宿した彼は、

踏み台を放置したまま気だるそうな雰囲気で清算カウンターの後ろに回り、

そこに置かれた椅子にどっかりと腰を下ろすと、

欠伸をしつつ足を組んで新聞を広げた。


明るくなったとはいえ、

品数の豊富さと陳列の乱雑さ故に探し物がはかどる事はなく、

一通り回った程度では目的の商品が見当らなかったニーニャが店主に尋ねる。


「あの…」


経営者は新聞から視線を離し、

眼鏡の右の縁を摘んで持ち上げながらニーニャに顔を向け、

無言で次の言葉を待つ。


「便箋と封筒ってありますか?」


その言葉を聞き、相変わらず黙ったまま席を立つ店主。


そしてランプの下まで歩いた所で立ち止まった彼は、

軽く店内を見渡した後、

丁度カウンター向かいの壁際にある商品棚の上方を指差す。


「あ~、あれだね」


ニーニャは背伸びをして若干の埃が付着した便箋と封筒を取ると、

元の席に戻る店主に付いて行く流れでカウンターに運ぶ。


丁度そのタイミングで、

紙に包装されたガム二種類と、

瓶入りのレモネードを一本持ったリエールが合流し、

無銭の身でありながらそれらをカウンター上に置く。


「これも」


続けて、その[図々しさ]を勝手な見解によって正当化しようと試みる。


「ニーニャが持ってるお金って、[経費]として渡された物なんでしょ?」


「うん」と、微笑むニーニャ。


「ならいいよね」


「いいよ~」


あっさりと承認を受けたリエールが、少し間を置いてから軽く噴出すと、

それに反応してニーニャも頬を緩める。


そんな二人のやり取り中、黙々と商品を紙袋に詰めていた店主だったが、

笑顔で目を泳がせていたリエールとたまたま視線が合ったのを機に、

「どこの娘さんだ?」と、顎でニーニャを示して尋ねる。


ニーニャと顔見合わせをして、答えに詰まるリエール。


「あ~…、サウスクトルから来た友達で、ここへは今日着いたばかり」


目の前のうら若き麗人に対して抱いた疑問が、

想定外の回答にて解消された事を受け、軽く鼻で笑う店主。


「随分遠くから来たんだな」


ニーニャは愛想良く店主にうなずきを返してからリエールの方へ向き直り、

「なんで知ってるの?」と、小声で尋ねる。


「エルちゃんから聞いた」


「あ、そうなんだ」


「はい、全部で120スティね」


座商は暗算ではじき出した金額を発表しながら、紙袋をカウンター上に差し出す。


「あ、はい」と、慌てて財布を取り出したニーニャは、

おつりが出ないように、100スティ紙幣一枚と20スティ貨幣一枚で支払う。


その間、カウンターに置かれた商品入りの紙袋を摘んで引き寄せたリエールは、

それを抱えて後ろを振り返りながら出口へとゆっくり歩く。


「まいど、領収書いらないよね?」


「はい」


「では、またおいで」


営業時間外の客二名は店主にそれぞれの仕草で挨拶をし、雑貨屋を後にした。







バターカップの二号室に戻り、

テーブル上の冷めた料理を脇にどけて執筆を進めるニーニャの隣で、

優雅にレモネードを喫するリエール。


ミュアはニーニャの正面に座って、テーブルを揺らさないように気を付けつつ、

そんな二人を眺める。


「あ、エルニーだけに読まれる様にしなきゃね」


そう言って、既に何行が進んでしまった手紙の初頭に、文を追加するニーニャ。


「演出として、ちょっと憂いを含んだ文調にしたら?」


リエールはラッパ飲み途中の瓶をテーブルに置き、

ニーニャの方に顔だけ向けてふざけた事を抜かす。


「既にしてるよ~」と、ニーニャは姿勢をそのままに答える。


「してんのかい!」


驚き顔をニーニャの方に突き出したリエールだったが、

直後、脚を組みつつ椅子の背凭れに寄り掛かりながら言う。


「ま、業務的に書いても盛り上がらないもんな」

「あ、ごめん、不謹慎な事言った」


それを聞いたニーニャがクスッと微笑んだ後、

しばらく沈黙を維持する三人。


やがて静けさに体が反応したのか、リエールが大きな欠伸をする。


「いい加減、眠くなってきた…」


「私も…」


ニーニャが筆を進ませながら同感を声に出す。


先程まで寝ていたミュアには睡魔の気配さえなかったため、

「ミュアはむしろ冴えてるくらいだろうけど」と、茶化すリエール。


「うん、全然眠くない」と、あっさり事実を認めるミュア。


リエールはそんな彼女に微笑を返した後、

部屋の出入口を振り向いて呟く。


「エルちゃん達が帰ってくるまで、寝ちゃ悪そうだしなぁ…」

「ジャスティスさんも戻ってくるのかどうか分からないし…」


その言葉によって、ミュアが未報告事項を思い出す。


「あ、そうだ」

「ジャスティスさんは、さっき戻って来たよ」


「そうなの?」と、ニーニャが顔を上げる。


「うん、えっと、[処理班]?…っていうのが来たかどうかだけ聞いて、

すぐに出て行っちゃったけど」


自分で振った話題にも拘わらず、

リエールはその情報に無関心な物腰で、

ガムの包装を開封する作業に集中していた。


そして、雑に破かれたパッケージから露出する八枚のガムの内、

最上段の一枚を抜き取って口に咥えた彼は、

残ったガムを女性陣に差し向け、左右に往復させつつ問う。


「いる?」


「あ、ほしい」と、ニーニャ。


「誰があげると言った?」


わざとらしく威圧的な態度を取りながらガムを引っ込めるリエール。


「なら言うなー」


テーブル上に置かれたリエールの右手を、

慣れない手付きで素早く優しく叩くミュア。


リエールのしょうもないボケと、

ミュアのぎこちない突っ込みを見たニーニャが再度微笑んだのをきっかけに、

即興漫才を演じた男女も顔を見合わせて噴出す。


そして、和やかなムードの中、今度は冗談を抜きにして、

「どうぞ」と、ニーニャにガムの開封部分を近付ける。


ニーニャはペンを持ったままの右手を伸ばし、

最上段の一枚スライドさせてから中指と薬指で摘む。


「寝る前に食べると虫歯になるかもよ」と、勧めた張本人。


「だったら勧めるなー」と、リエールの手をミュアが再び叩く。


例によって微笑むニーニャ。


「あのー、すみませーん」


廊下側から突如聞こえた聞き覚えのあるその美声に、

意図せず顔見合わせをするリエールとミュア。


続いてその二人がニーニャに顔を向けると、

彼女はガムを口に挟んだまま固まっていた。


「私だ…」

「ミュアちゃんは絶対出ていかないで」


ニーニャは小声でミュアに念を押し、彼女が黙ってうなずいたのを確認した後、

続けてリエールに仕事を依頼する。


「リエールごめん、もうちょっと待つように言って」


それを聞いたリエールは、

「よし」と、テーブルを叩いて立ち上がる。


「あ、まって」


囁く様にリエールを呼び止めたニーニャが、更に注意を促す。


「態度ひとつでも、ミュアちゃんが助かった事バレちゃうから、気をつけて」

「まあ、わからなかったけど」


「OK」


リエールは一旦ガムを奥歯の後ろに収納し、

部屋の中から廊下をこっそり探るかの様に小さくドアを開く。


だが、入口にいるニーニャはこっちを向いていたので即気付かれた。


「あ!リエールいる…」と、玄関前のニーニャ。


隠れる理由もなく、ドアをゆっくりと全開にして廊下に出るリエール。


「あなたがここにいるって事は、いま過去じゃないのね?」


過去のニーニャは、

どこかぎこちない歩き方で近付いてくる無表情の青年にそう尋ねる。


「うん…」


若干固めにうなずいた彼に対し、

ニーニャは縮こまりつつ手を合わせる。


「ごめん、悪いけど、また白いドア開けて」


自らの後ろ髪を撫でながら、リエールは二号室の方を指して言う。


「あ、ちょっと待っててくれる?渡すものがあるから」


「ん?なに?」


ニーニャも体勢を傾けて示された方を見る。


「いや…、あの…」


リエールは曖昧な返事だけを残して身を反転し、二号室へと早歩きで戻る。


そしてドアノブを捻りながら玄関先のニーニャに振り向き、

「そこで待ってて」と、一言添えてから静かに入室する。


「はい」と、過去のニーニャ。


ドアを閉めた後もノブに手を掛けたままのリエールは、

現在のニーニャにヒソヒソ声で問い掛ける。


「いま、どれくらい書けてる?」


「もうちょっと待ってね」


「じゃあ待ってる間に、ランプを調達してくるかな…」

「なにしろ、フィリップから持ってきたランプは、

さっきエルちゃん達持ってっちゃったからな…」


「ほんと、あとちょっとだから」


そう言ったニーニャが少しペンを速めたのを見て、

「そうか、じゃあ待つよ」と、ミュアの隣席に腰掛けるリエール。


「フィリップ…」


ミュアのその呟きによって間違いに気付いたリエールが訂正する。


「あ、マルルーニ家か…」


「フィリップって、苗字はマルルーニなの?」


執筆を続けながらニーニャがそう尋ねる。


「そうそう、フィリップ・マルルーニ」

「ちなみにおれは、リエール・シークレン」


「誰も聞いてない」と、ミュア。


突っ込みを受けてミュアに目線を向けたリエールは、

流れ的に彼女の苗字も気になったため、

「そうゆうあなたは?」と、自己紹介をリクエストする。


「私?」

「私は、アネスト…」


「ミュア・アネストか…」


続いてミュアは、彼から受けた質問をニーニャに繋げる。


「ニーニャちゃんは?」


初めてミュアから名を呼ばれた事に親近感を覚えたニーニャは、

嬉しそうな表情を質問者に向けて答える。


「私は、ニーニャ・ラ・フィロってゆうの」


「へぇ~、そうなんだあ」


「酒の名前みたいだね」と、横からリエール。


「ふふっ、そうかもね」


ニーニャは若干照れ臭そうに微笑む。


「って言うか…」

「酒の名前みたいだね」


「…かな?」


「この際だからはっきり言うけど…」

「酒の名前みたいだね」


「わかったわよ、もう」


若干呆れた様に口元を緩めながらそう介入してきたミュアは、

「三回も言わないで」と、続け様にリエールを両手で軽く押す。


ペンを走らせながら微笑むニーニャ。


「今、玄関にいるニーニャは、

まさか俺らが裏でこんなにほのぼのしてるとは夢にも思うまい」


それを聞いたニーニャは、ペンを指に挟んだままの手で口を押さえつつ、

更に可愛らしく笑みを零す。


リエールもそれに顔を綻ばせながら、

テーブル上の瓶に手を伸ばす。


そして彼がその中身を口の中へ流し込み始めたタイミングで、

「よし、でーきた」と、ニーニャから手紙完成の報告が飛ぶ。


反射的に動作を中断したリエールが、

苦しそうに口内の液体を飲み干しつつ、彼女に向き直る。


ニーニャは手紙を広げて軽く読み返した後、

丁寧に二回折り畳んでから封筒に押し込み、

「はい」と、リエールに提出する。


右手の甲で口を拭ってから手紙を受け取り、

表情を真顔に変えつつ急いで廊下に出たリエールは、

玄関前に立つ過去のニーニャに向かって手紙を差し出しながら、

早歩きで彼女との距離を詰める。


「過去についたら、これをエルニーに渡すようにと、ここの受付に預けて」


ニーニャは特に質問もなく、不思議そうに封筒を受け取るが、

すぐにそれが何であるかを理解する。


「あ、導きの手紙だね、わかったわ」

「エルニーっていう人が来たら渡して~って、この宿の人に預けるのね」


「うん、…じゃあ、ランプ借りてくるから、ちょっと待っててくれる?」


「はい」と、うなずくニーニャ。


リエールはカウンターに右手を突いて飛び越えようとしたが、

ご機嫌なアクションを見せてしまうと感付かれる恐れがあったのでやめておき、

普通に横から回って、内側の関係者用ドアを堂々と開けて奥へと進む。


運営陣のプライベートな空間でもあるその部屋では、

まだ非現実的な光景を目にしたショックから立ち直れない主人と娘と息子が、

揃ってテーブルに顔を伏せていた。


「あの…」


リエールの呼び掛けに、ゆっくりと無気力な顔を上げる三人。


露骨に具合の悪そうな表情で注目されたリエールは、

一瞬躊躇してから尋ねる。


「えっと…、ランプひとつ借りていい?」


「ああ…、そこのを持ってっていいぞ…」


入ってすぐ横の壁に掛けられているランプ群を弱々しく指差す主人。


「どうも」と、去り際にランプを一つ外して携行するリエール。


そして玄関に戻った彼は、ランプをカウンターに置いてホヤを開き、

同じ天板の隅に見掛けた箱入りマッチを使って、

手際良くランプに灯を入れながら呟く。


「相当ショックだったんだろうなぁ…」


「ん?なに?」と、リエールの言葉に反応するニーニャ。


「いや、ここの人達」


リエールは灯明の宿ったランプを手に、

玄関の扉を 大きく開いて押さえたまま振り返り、

「行こう」と、出発を勧告する。


過去からの訪問者は、

[ショック]という言葉でミュアの容態に関する不安を連想したが、

同時に、[ここの人達限定]という妙な条件に戸惑い、

つい無意識に未来の情報を詮索する。


「なにかあったの?」


自分の横を通って扉を潜るニーニャのその質問を受け、

「(しまった!)」という素振りの後、黙り込むリエール。


その気配を受け、ニーニャも重要な前提を思い出す。


「あ、いけない…、ここは未来だったね」







廃鉱内の落とし穴がある部屋に辿り着いた二人だが、

ゴールはあくまで白い扉であると強調しているかの勢いで、

ランプを片手に持ったまま先に縄梯子を降りるリエール。


「暗いよ~」


光源が無くなった上層にて発せられたニーニャの声が、

反響しながら穴の底まで届く。


「照らしてるから降りてきて」


「はい」


影になっている縁にしゃがみ込み、

明かりの漏れる穴の中へと伸びる縄梯子にゆっくりと足を掛けるニーニャ。


真下からの光では自分の影で手元が見辛いであろうと考えたリエールは、

気を利かせて側面からランプを掲げる。


それでも視界良好とまでは行かないニーニャは、

手探りならぬ足探りの要領で一段一段慎重に降りて行く。


「つ~いたっと」


彼女が穴の底へと降り立ったタイミングで、

過剰にポーカーフェイスを意識するリエールが扉の取っ手を引く。


「じゃあ、いってきます」


「気を付けて」


ニーニャはリエールの無難な返答に振り向いてうなずき、

笑顔で小さく手を振りながらミストに触れる。


それを確認した後、宿に戻ろうと縄梯子に手を掛けた次の瞬間、

リエールは激しく驚いた。


「わ!揺らさないでぇ!」


反射的に穴の入り口方面へと目線を向けたリエールは、

見覚えのある人物が揺れる縄梯子をゆっくり降りてくる光景に再度驚く。


と、言うより、見覚えがない方がどうかしているだろう。


なにしろ、つい先程まで一緒にいた人物と同一なのだから。


「ニーニャ!?」


「横から照らしてもらっていい?」


喫驚しつつも、とりあえずは注文通りにするリエール。


「え?なんでここに?」


リエールの疑問はとりあえずそのままにしておき、

梯子を降りる事に集中するニーニャ。


「よっと」


やがて困惑するリエールの横に着地したニーニャは、

手に持った発光する短いスティックを軽く振りながら、

少し楽しそうに事情を説明する。


「尾行してきたの」

「丁度、前に来た時の私と、あなたが池の前に通りかかったから」

「ビックリしたでしょ?」







リエール達がバターカップから出て数十分程の後、

エルニー率いる調査隊が二号室に帰還した。


「ふ~、異常なし!」


部屋のドアを開けると同時に、そう声を上げるエルニー。


いきなりながら、その報告を聞いたニーニャはホッとして

「よかった~」と、顎先で手を合わせる。


「リエールは?」と、部屋を軽く見渡すフィリップ。


「さっき[私]を送って行ったよ」と、嬉しげに述べるニーニャ。


調査がてら回収してきた自分の荷物を床に下ろしたシーザが、

そんな彼女に質問する。


「過去のニーニャは、あと一回来るんだろう?」


ニーニャは先輩幻導士に素早く焦点を合わせてうなずく。


「もう来てますね」

「さっきの私とリエールの後を、隠れて付いてったから」

「もう歴史間移動しちゃってるかな、いまなら」

「リエール混乱してたなぁ、あの時」


表情を綻ばせながら過去を振り返るニーニャを見たエルニーは、

表向きこそ精彩な振る舞いをしている彼女が、

実際には相当な苦労を経由してきた事を知っていたので、

「大変だったね、疲れたでしょ?」と、労う。


その言葉で疲労に気が向いたのか、ニーニャは机に顔を伏せる。


「うん、さすがにね」


「スタミナあるなぁ…」と、感心するフィリップ。


ファッションに深慮なミュアが、

「しかも、履いてる靴が、かなり疲れ易そう」と、隠れた難儀要素を引き出す。


「うん、途中で履き替えればよかった」


ニーニャは机に伏せたまま、声を籠らせてそう答える。


フィリップがニーニャの様子からその疲労度を目測し、休息を推奨する。


「少し横になったら?」


ミュアがすぐさまそれに反応する。


「あ、それなら、このベッド使っていいよ」


ニーニャは顔を上げ、

「ありがとう」と、弱々しく微笑む。


そして少し間を空けた後、

「じゃあ…、そうさせてもらおうかな」と、起立した彼女を見たエルニーが、

軽く慌てた様に[待った]を掛ける。


「あ、僕等がここに泊まるから、今、君等用の二人部屋を借りてくるよ」


小走りで部屋を出て行ったエルニーを見送り、

再び椅子に腰を下ろすニーニャ。


不意の沈黙が漂う中、

特に話の種も無いフィリップ、ミュア、ニーニャの三人は、

ドア付近でゴソゴソと荷物をかき回しているシーザを何気なく見詰める。


そんな視線に気付いていないシーザは、

リュックから取り出したタオルと下着とTシャツを丸めて片手に収め、

振り返ってニーニャに尋ねる。


「風呂に入るついでに、今着てるこの服をパッキングしたいんだが、

丁度良い袋か何か持ってないか?」


ニーニャは半端に立ち上がり、浴場方向を指しながら言う。


「あ、さっきミュアちゃんやお医者さんが着てた服が浴場に纏めてあるので、

そこに入れちゃうのがいいかも」


「おお、そうか」

「では、風呂に入ってくる」


「はーい」「はい」「はい」


シーザを見送り、再び沈静化した室内だったが、

すぐにフィリップが疑念を声にする。


「なんで[パッキング]するの?」


速やかに反応するニーニャ。


「ガーナが付着した可能性のある服をすぐに処分できない時、

抗体のない人がうっかり触らないように、そうしなきゃいけない決まりなの」


「なるほど、一種の用語的物言いか」


「うん」


「そしたら俺の服も危ないかもだな」


「そうね」

「でも、さっきジャスティスさんから[小箱]を…」

「あ!」


ニーニャは急に言葉を止めてハッとした後、

視線を泳がせて軽くうろたえる。


「そうだわ…、小箱があったのに…」


そんな謎深き挙動をフィリップとミュアが不思議そうに見詰める中、

早歩きの足音が廊下から響き、鍵を右手で摘んだエルニーが帰還する。


「はいこれ、六号室だってさ」


鍵を卓上に置いてニーニャの方に軽く滑らせたエルニーは、

「廊下の突き当たりを左に曲がった所みたい」と、

廊下を指差しながら場所を解説する。


「あ、ありがとう…」


エルニーは、ニーニャが申し訳無さそうに六号室の鍵を受け取ったのを見て、

彼女が比較的優遇扱いされた事に恐縮している物と解釈し、

「気にしなくて良いからね」と、爽やかなスマイルを見せる。


ところが、それを聞いたニーニャはより一層縮こまり、

「あの…、えっと…」と、可愛らしくもじもじする。


しかし次の瞬間、突然彼女が掌を合わせてエルニーに頭を下げる。


「ごめんなさい」


それを見た面々が困惑の表情でお互いを見回す中、

一連の仕草の起因について打ち明けるニーニャ。


「さっき、ジャスティスさんから[小箱]を二つ預かったの…」

「片方は[倉庫用]だから、つまり…」


分からないワード含みの理由を聞いたフィリップとミュアは、

相変わらず戸惑いながら顔見合わせをするが、

意味を呑み込んだエルニーは再び爽やかに微笑む。


「あー、良いよ良いよ」

「だって倉庫の中ずっと昼間だしさ、感覚狂うでしょ」

「仮に小箱が届いた事を知ってたとしても、部屋は借りたよ」


そこで何故か小さく噴出すエルニー。


「というか、今なら余裕でキャンセルできるしさ、何も問題無いじゃん」


「あ、そっか、そうだよね、ふふっ」


照れ笑しながら俯いたニーニャだったが、すぐに顔を上げて呟く。


「でもシーザさんがお風呂に行く前には思い出したかったなぁ」


「ははっ、そうだね」

「まあ、君は色々あって疲れてたし、気にしない気にしない」


「うん、ありがと」


問題が円滑に処理できた事は全員悟ったにせよ、

ニーニャとエルニーが少し周りを置き去りにし過ぎたためか、

会話の流れが滞り、各々に異なる種類の気不味さが湧き上がる。


それをいち早く察知したフィリップは、

場が静寂に支配されるのを阻止すべく、

この宿に関するどうでもいい豆情報を挟む。


「ここね、[二人部屋]ってのは六号室しかないんだよ」


「あ、そうなの?」


エルニーが若干ぎこちなく食い付く。


「二人部屋を指定されたら先着一組で六号室を貸すけど、

同時に二人以上の客が二組入った場合、

片方は四人部屋で誤魔化しちゃうんだって」

「とは言え、四人部屋も七号室だけだったりするから、

三人以上の客が二組入ったら、少しややこしい事になる」


「ほー、だから毛布が無料で借りれるんだね」


「うん」

「ちなみに、そうなるほど客が入った例はない」


「あはは、そうなんだ」


軽く数回うなずいたエルニーは、一瞬天井を見遣った後、

「ところで、フィリップ君はこれからどうする?」と、

会話の勢いに乗って質問する。


フィリップはエルニーと視線を合わせたまま、

若干間を置いてから答える。


「そうだな、とりあえずこの服を[パッキング]して…」


覚えたての用語を早速使うフィリップを見たニーニャが微笑む中、

自分もその義務がある事を思い出すエルニー。


「(あー、そうだった、僕もこの服危ないんだよなあ)」

「(でも、着替えが無いしなあ…)」


美青年が心内で呟く独り言と重なるタイミングで、

フィリップも予定を声に出す。


「そしたら風呂入って寝るよ」


その言葉を耳にしたエルニーは、

着替え未所持問題の解決策を閃く。


「(あ、小箱の中の浴場で洗浄という手もありか)」

「(ふふ、乾くまでガウンで過ごすのも悪くないな)」

「(よし、そうしよ)」


会話よりも考えに集中していたエルニーに向かって、

更に追加口述を飛ばすフィリップ。


「この様子じゃ出発はまだだろうから、旅の支度をするには早いし」


「そうだね」


「あ…」


突然声を漏らしたミュアが周囲の目線を引き付ける。


「私も一旦、おうちに戻って準備してきたいな…」


エルニーが少し考えてから返答する。


「でも、今はミュアちゃんの家に、もう一人のミュアちゃんがいるから、

いきなり身近な物が無くなってたら不思議に思うだろね」

「まあどっちにしても、箱をミュアちゃんの家に持ち込まなきゃいけないから、

行かざるを得ないけれども…」


その言葉がきっかけで、不意にミュアの記憶が呼び覚まされる。


「あ!そうだわ!」

「去年買ったお洋服が何着か見当たらなくて…」

「それを探すために物置へ行って…、あの箱を…」


彼女が発した報告に合点の行かない部分を見出すエルニー。


「それは不思議だなぁ…」

「ミュアちゃんが[あっち]に行った事情が、

他ならぬミュアちゃんによって作られていたなんて」

「いや、それだけじゃない…」

「ミュアちゃんが[あっち]に現れるまでの過程には、

実に複雑な両立関係にある箇所が多い…」

「先に起きた出来事が、それ以前のミュアちゃんを導いている…」

「本当に[時の導き]って感じだね」

「まるで、ミュアちゃんを[あっち]に送り込むために、

旅の準備をする様な物だから…」

「第一、旅の準備なら、ミュアちゃんが[あっち]に行った後ですればいいのに、

行く前にしておかないと、

もう一人のミュアちゃんが[あっち]に行かなくなるという、

[時の矛盾]が発生してしまうなんて…」

「そして、ミュアちゃんが[あっち]に行かなければ[感染]もしなかった」

「[感染]しなければ、リエール君達も来なかった…」

「まさに超自然の誤謬ごびゅうというか…、

森羅万象の反定律というか…、造化の妙というか…、

なかなか説明の付かない続き柄だね」

「リエール君をリグレットへといざなうために、運命の女神が仕組んだのかな」


「なにそれ、カッコ良い」


そう感心するフィリップの横からニーニャが本題に戻す。


「なら…、まだ過去のミュアちゃんがいる内に、

旅の準備を進めないといけないね」


ミュアが家庭内事情を転用して練った策を発表する。


「私がお仕事に出てる時を見計らって、箱を物置に運ぶといいわ」

「お仕事はお昼前から夕方までだから、その間は留守なの」


ニーニャは現地調査で得たデータによってその情報を裏付ける。


「そうそう、留守だった」


エルニーが会話から仮定した箇所について確認を取る。


「ミュアちゃんは、一人暮らしなの?」


「うん」と、うなずくミュア。


「それにしては広いお家だね」と、横からニーニャ。


「うん、実家なの」

「兄さんがティートに住んでるけど、もうず~っと会ってないなぁ…、」

「月に一度、お手紙のやり取りだけ」


「そうなんだ…、それは寂しいね」


「うん」


女性二人によるその会話を皮切りに、再び物静かなムードに戻る室内。


そんな中、フィリップがテーブルの中央部に寄せられた料理群を指差しつつ、

遠慮がちに小さく発声する。


「その料理勿体ないな…」

「食っちゃおうかな…」


フィリップは夕飯も半ばで駆り出されたので食欲が満たされている筈もなく、

幾許かのゆとりが出来て気が緩んだ事により、

極尋常な人間の生理現象である[空腹]が表面化してきたのだ。


しかし、突然食事を再開するのは体裁が気になるので、

前振りとして[食べる意思表示]をした訳だが、

明確性に欠ける半端な言い方をしてしまった故に、

いざ行動へと踏み込めずにいた。


そんな彼を見兼ねてか、

「じゃあ僕も」と、気軽なノリで便乗するエルニー。


渋っていたフィリップは、

リーダーシップに尊敬すら覚えるエルニーのその言葉により、

傍目に[がっついている印象]を与えてしまう心配を払拭できたため、

急に強気な物腰に移行して堂々と料理へと歩み寄る。


だが次の瞬間、ある要素が彼の食欲を失せさせた。


「どれが俺の食いかけなのか分からない…」


「グリーンピースを避けてあるのが私のだよ」


横から飛んできたミュアの言葉をヒントに、

「消去法で割り出そうか」と、エルニーが発案する。


フィリップはミュアの皿を端に寄せた後、続け様にもう一つ皿を端に寄せ、

その動機を説明する。


「この雑な食べ方はリエールだ」


「じゃあ、この綺麗なのはニーニャのかな」

「テーブルマナーがきちんとしてるからね、ニーニャは」


「じゃあ、おれのはこっちかな」と、残った二つの皿の内、

食事の進んでいる方を取るフィリップ。


「エルニーは後から来たから、ほとんど食べてなかったし」


「そうだね」


二人は料理を席に運び、

一瞬だけ互いの顔を伺ってから食事を再開する。


そんな矢先、廊下をドタドタと走る足音が響く。


その騒音をノック代わりに、ドアを押し開けるリエール。


「ただいま~」


「あ、おかえり」「おかえり」「おかえり~」「おかえり…」


それぞれのテンションと言い方で、彼の帰還を迎える四人。


「みんなもおかえり」

「何?飯食ってんの?」


「うん」と、口に物を入れながらフィリップ。


「シーザさんは?」


「風呂」と、フィリップによる再返答。


リエールは頭に被っているバンダナを外し、

「特に異常はなし?」と、空席に座りながらエルニーに尋ねる。


「特に異常はなし」と、そのまま返すエルニー。


「そりゃ良かった」


そこで一息吐きながら何気無く部屋を見回すリエールだったが、

先程の[おかえり]が一つだけ弱々しく飛んできた事を思い出し、

ニーニャの疲労感に気付く。


「ニーニャ、かなりくたびれてるね」


「うん…、30時間は寝てないもん…」


「そりゃ辛い…」


エルニーがその苦労の度合いを解説する。


「朝とか昼とかの時間感覚が狂うから、何日も徹夜してる気がしてくるよ」

「それでいて、ここからトーテスまで行ったり来たり…」


それを聞いたリエールがしみじみと言う。


「スタミナあるなぁ…」


「俺と同じ事言ってる…」


フィリップがそう呟く最中、

リエールは行動的なテンションが[くつろぎ]に変わらない内に、

テーブルをバンと軽く叩いて立ち上がる。


「さてと…、俺らも帰るか」


「そうだな…」


丁度食事を終えたフィリップも席を立つ。


そんな彼を横目に捉えながら、

「明日の予定は?」と、エルニーに尋ねるリエール。


「ミュアちゃんの家に箱を持ってかなきゃ」


「じゃあ、ここに八時頃集合でいいか?」


「いや…、僕とミュアちゃんだけで行くよ」

「大勢で行っても、目立つだけだから」


「わかった」


「リエール君達は旅の支度をしておいて」

「旅は君の意思で進む事が前提だから、行き先は任せるよ」

「でも、決して真面目に考え過ぎなくていいからね」

「例えば、[おもしろそうな施設がある]とか、

[景色が良い]って理由でも全然OKだから」


「そうか」

「じゃあ、細かいルートは後で決めるとして、リュトンにでも行こうか」


そのあっさりした計画を発表したリエールに、一同の視線が集まる中、

勘の良いエルニーが[早さ]の原因を突き止めた。


「そういえば、以前から計画を練っていたんだったね、君達」


「ああ」


特にリアクションもなく沈黙する一同。


「エルニー達の都合から考えて、出発は明後日だな」


「うん、それが良いね」


話が盛り上がりそうなので帰るのが惜しくなったリエールが、

わざわざ新しい議題を持ち込んだ所で、

「じゃあ、そろそろ帰ろうぜ」と、ドアの前のフィリップが介入する。


「あ…、あいよ」


リエールはフィリップの意見を受けて未練を断ち切る。


そして急にソワソワし始める室内。


「じゃあ、みんなまた明日な」


「うん」「またー」「はい」


「おつかれさま」


フィリップがそう言って先に出て行った直後、ハッとして振り返るリエール。


「あ、これ忘れてた…」


そう言ってテーブルへと大きく一歩踏み込んだ彼は、

腕を伸ばして飲み掛けのレモネードを回収し、

体重移動によって姿勢を整えながら、

「じゃあ、また明日ね」と、二度目の挨拶をした。

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