表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/21

9:皮肉な邪

今回はまず、キャラクターをイラストで紹介します

上手い絵ではないのでイメージを崩してしまったらすみません。


ニーニャ・ラ・フィロ


http://p.tl/jTY1


今回、手書きの雰囲気を残すために、

ラインはあえて太めにしてみましたが、

次からは細くするつもりです。


投稿は容量の都合でフェイスブックを使いました。


続いて用語解説です。


《AGW》(After Ground Work)

アフターグラウンドワーク。

歴史間移動によって過去に戻った時、

[未来を知らない人物]が起こした[未来に繋がる行動]を、

例えその結果が悲劇であると知っていても、

取り消すように働きかけてはならないため、

あえてその行動が済むまで関与しないというルール。


これを守らないと時の矛盾が生まれ、

起きた時点での歴史が、本来起こるはずの未来に上書きされてしまうが、

それに関与した項目の中で成立に矛盾がある物は、その時点からも抹消される。


例えば人の存在や、それが与えた影響の数々等(間接的も含む)。


そして、それを辿ると殆ど全ての森羅万象が関わっているため、

下手をすれば宇宙にも多大な影響を与えてしまう。


しかし、人間同士の一般的な問題程度では、

宇宙の法則に成立不能な点を見出す程の影響力はないため、

せいぜい、繰り合わせで存在が消去されるに留まる事が殆どである。


尤も、それが起きたとて誰も気付きはしないが…。

エルニーもミュアに近い出現パターンだった。


ただ、彼の場合、直接バターカップの浴場に出現してしまったが…。


歴史間移動には慣れているエルニーは、

[室温の水]の中で速やかに体勢を整え、

周囲を見渡して瞬時に状況を把握すると、

前日の残り湯であろう液体を床に滴らせつつ、

広々とした石造りの浴槽から素早く脱す。


「(またお風呂か…、これで三連続だ)」

「(しかし、今回も誰かに目撃されなくて良かったぁ)」


とりあえず近くの窓に寄って外を眺めると、

5メートル程先にある土手の下に、左手側を上流とする[荒れた川]が見え、

その手前には、土手に沿って敷かれた石畳があった。


川の軌道上、下流側のすぐそこに[アーチ型の石橋]が掛かっており、

その中央は結構な急勾配で盛り上がっているため、

そこから先の地理の把握こそ妨げられている状態ではあるが、

向こう岸に見渡せる範囲は決して狭いものではなく、

薄い天然芝で覆われた平坦な大地の奥は緩やかな峠になっていて、

確認できる人工物と言えば、

連なった三軒の民家と、家畜用に設けられた柵だけであり、

それらの[影]を見る限り、陽光の角度も少し緩い様だった。


「(時間は…、多分夕方前くらいか…)」

「(こないだみたいに雨は降ってないや…)」


エアコートを素早く脱ぎ、軽く水滴を振り払ってから腕に絡めた後、

誰もいない脱衣場に土足で勢い良く上がったエルニーは、

出入り口のドアに近付き、慎重モードに入る。


ブラウンの木製ドアにピタリと耳を着けると、

向こう側から数人の話し声が聞こえたが、

どうやら伝達の間に複数の反射があるらしく、

かなり微細な音量まで減退しているが故に内容までは把握できなかった。


ともあれ、会話の出所まで安全な距離があると判断できたため、

ドアの取っ手を少し引いて、息を潜めながら先の様子を探る。


そこは一般家庭よりいささか幅が広めの廊下になっており、

向かいの壁にも同様のドアが一定間隔で五つ程立ち並んでいて、

左手側の突き当たりにある大きな両開き扉の右脇に、

カウンターと思わしき台があるのもギリギリで分かった。


その両開き扉が玄関である事は明白だが、

カウンターから二つ目のドアが開いている事に加え、

話し声の出処が明らかにその部屋だったので、

廊下経由での脱出は断念するエルニー。


「(お風呂場の広さと構造から考えて、ここがバターカップに違いないな…)」

「(とりあえず窓から外に出て、きちんと正面から入り直すか)」


エルニーは音が立たないようにドアを閉めて浴場へ引き返し、

先程、地理的情報収集に利用した[押し上げ窓]に再び接近する。


そして手際よくロックを解除し、慎重且つ大胆に開いた隙間から、

性別にそぐわない美顔を少しだけ外に出すと、

周りに人がいないかどうかを念入りにチェックする。


一通りそれが見当たらない事を確認した後、

急いで窓穴から左脚を突き出し、

身を傾けながら同枠内に上半身を潜らせたたその時、

アーチ型の橋の向こうから不意に現れた人影が横目に付いた。


窓の縁を跨いでしまっているエルニーは、

そこから引っ込もうにも外に出ようにも、

その者に見付かってしまう事は避けられそうになかったため、

若干赤面しつつ、とりあえず脱出行動を続ける。


そんな彼が表情を硬くしながら両足を地に着けた時、

視線を合わせぬよう心掛けていたその通行人が、

予想だにしない言葉を発す。


「エルニー!」


驚いてそちらを振り向くエルニー。


そこには見知った顔があった。


「フィリップ君!」


フィリップはエルニーに駆け寄り、

エルニーはフィリップにゆっくりと歩み寄る。


同じ様にエアコートを腕に巻き付け、衣服の湿った両者は、

お互いに相手の数歩手前で立ち止まって軽く息を吐く。


そんな共通点に気付いたエルニーが、

「君もこっちに来たばかりなの?」と、着ている服を絞りつつ尋ねる。


「うん、二十分くらい前にね」

「牧場の方に出ちゃってさ」と、右手で後方を指すフィリップ。


「そうなんだ」


今度はエルニーが広げた左手で後方を指し、

「ここがバターカップでしょ?」と、その左手で円を描く。


「そうだけど、なんで窓から出てきたの?」


エルニーは窓の方を振り向きながら答える。


「ここのお風呂に出ちゃったんだよね」


「直行かよ」


「流石に怪しまれるから、ちゃんと玄関から入り直そうかなぁと思って」


「なるほど」


そこでフィリップは大通りの方に向き直り、

「じゃあ、正面に回ろうか」と、小走りで進み始める。


路地に水の足跡を残しながら、それを追い掛けるエルニー。


「みんな来てるかな…」と、先頭のフィリップ。


「全員の出現時間があんまりズレてなければ良いね」


丁字路の右の角に位置するバターカップの玄関前に立ち、

両開き扉を中央から豪快に押し開けたフィリップは、

幅を利かせた様にゴツゴツと中へ入って行く。


「はーい」

「あら?」


扉が開かれた音を聞き付け、せかせかと休憩室から出てきた受付嬢が、

独断でカウンターを顔パスする図々しい客を見てそう発したため、

客側も彼女に顔を向けつつ立ち止まる。


直後、反動で閉まる玄関の扉を突き出した右手で押さえたエルニーが、

そのまま最低限の幅を空けて侵入する様を横目に入れながら、

「遅かったわね」と、言葉を繋げる受付嬢。


「え?」


「着替えてきたの?なんか濡れてるみたいだけど」


受付嬢はその言葉を言い切らない内に、

フィリップの後ろに位置取ったエルニーに焦点を当てて目を見張り、

広げた右手で彼を示しつつ、フィリップに問う。


「ガールフレンド?」


フィリップとエルニーは、

軽く驚いた表情で顔見合わせをして硬直する。


直後、吹き出すフィリップ。


そして、馴れ馴れしくエルニーの肩に腕を回し、

「やっぱそう見える?」と、戯れる。


口と眉間に力を入れ、諧謔かいぎゃくの要領でフィリップを睨むエルニー。


フィリップはそんなエルニーの肩をポンポンと叩き、

「ほら、自己紹介して」と、ネタばらしを振りつつ一歩下がる。


エルニーは手を前に組み、軽くお辞儀をしながら、

「エルニー・アトロラーチェ、22歳…」

「[男]です」と、

皮肉を込めた自己紹介を放つ。


「うそー!」と、両手で口を隠す受付嬢。


「うそ!」と、顔を突き出すフィリップ。


それぞれ違う部分に驚く二人が一瞬目を合わせる。


「かわいー!」


「何?22なの?」


エルニーは背後にいるフィリップを振り返って、

「うん」と、うなずく。


「そしたら、俺より年上じゃんよ」


「あ、そうなの?」


「フィリップ君いくつ?」


「21…」


「へぇ~、リエール君も?」


「そうそう」


傍観する受付嬢は、発言者を視線で追いつつ会話に聞き入る。


「童顔だなー、エルニー」


「17の時に抗体を浴びたから…」


ジャスティスから聞いた[抗体の特典]についての説明を、

不意に思い出すフィリップ。


「あ、そうかぁ…、ジャスティスさん達も若いもんなぁ」


「140過ぎだけど、見た目は30代くらいだよね」


若い年齢で抗体を浴びた場合の見本を目の前にしたフィリップは、

条件が少し異なる彼の身内について、ふとした疑問を持つ。


「あれ?君の妹も抗体があるんだよね?」


「うん、箱を開けた時、僕にくっ付いてたからね」


「あの子は大人になっても小さいままなの?」


「いや、抗体は最低限の発育は妨げないから、

若さのキープが始まる目安は、大体17歳以上からと聞いたよ」


二人がふざけている物と思い、クスクス笑う受付嬢だが、

やがてフィリップの相方が見当たらない事に気付く。


「あ、リエールは?」

「今朝、二人一緒に薬を取りに行ったよね?」


フィリップは特にピンと来ていない様子で、

腕組みをしながら黙々と受付嬢を見詰める。


しかし次の瞬間、その言葉の意味に気付いた彼は、

「あ!」と、勢いよく腕組みを外し、

廊下で唯一開いているドアに向かって素早く視線を移す。


「そうか!だからミュアがここに…」


ミュアの所在について合点が行った事を機に、

彼女が宿泊中の部屋へと突然走り出すフィリップ。


それ見て、エルニーも少々困惑気味にその後を追う。


目標地点に騒々しく駆け込んだフィリップは、

驚いて自分の方を向いた女医とバターカップの主人を掻き分け、

ベットを覗き込む。


そこには、すっかり青褪あおざめた汗だくのミュアが、

荒々しく呼吸を繰り返す姿があった。


続くエルニーも、フィリップの横からベッドの上のミュアを確認する。


だがその数秒後、事態は思わぬ展開へと移行した。


エルニーの表情が激しく一変し、驚愕しつつ数歩後退あとずさりしたのだ。


「そ…、そんな…」


単にミュアの苦しそうな容体に当て嵌めただけにしては、

余りに大袈裟なそのリアクションに、

ただならぬ気配を感じたフィリップが尋ねる。


「どうした?」


エルニーはフィリップのその言葉には反応を示さず、息を飲み込む。


そして、ベッド脇にしゃがんでいる女医に対し、静かに質問する。


「誰か…、このに触りましたか?」


「え?」と、エルニーを見上げる女医。


「肌に直接触れたりしましたか?」


女医はミュアとエルニーを交互に見ながら答える。


「ええ、それは…、勿論…、私が治療のために…」


その答えを聞いた彼は、明らかに動揺した素振りで焦点を乱し、

再び安定させた視線でミュアを見詰めたまま、右手で口を押さえる。


エルニーの切羽詰まった様子に不安を覚えたフィリップは、

彼の肩を掴んで自分の方を向かせ、問い質す。


「どうしたんだ?」


エルニーは瞼を強く閉じ、弱々しく口述する。


「ガーナなんだ…」


「え?」


「ミュアちゃんは…、ガーナに感染してる…」


フィリップはその言葉を聞き、凍り付くような感覚に駆られて硬直する。


「そ…」

「そ…」

「…」


ショックで言葉が続かない彼は、

エルニーの肩を掴んでいた手をダラリと落とすと、

脱力したままミュアに振り返り、

その苦悶に満ちた顔に虚ろな眼差しを注ぐ。


だが、突然鋭く顔を上げ、エルニーに激しく詰め寄る。


「助けられるだろ!?」

「どうにかすれば!」


俯いて再び目を閉じるエルニー。


「抗体さえあれば…」


床に両膝を突き、ベッドに凭れて頭を抱え込むフィリップ。


「どうして…、どうしてなんだ…」


エルニーが弱々しい口調でフィリップに尋ねた。


「君が入浴を済ませる前…、ミュアちゃんに触られたりした?」


「え?」


フィリップは頭の後ろに組んだ手を解除し、エルニーを見上げる。


「例えば…、服とか手とか…さ」


少し考え込んだフィリップは、

ライブラリーで再会してから、入浴するまでを何度も思い起こす内、

やがて一つの心当たりを突き止めた。


「あ!」

「ライブラリーで…」

「リエールの持っていたリグレットについて聞かれた時…、

服を引っ張られた…」


「それだね…、おそらく…」


「でも、あの黒い球の部屋に行く前に、ちゃんと手も洗ったし、

クリーニングもしっかり受けたし、検査も普通にパスしてたじゃないか!」

「なのになぜ…」


エルニーはしばらく思慮を巡らせる。


「推測だけど、たしかにあの時、

服とか体の表面の汚染は除去されたんだと思う」

「でも、君の服に触れてからクリーンルームに行くまでの間に、

極微量のガーナによる体内への侵食を許してしまっていた…」

「普通なら、検査装置が感染者を見逃す訳ないけど、

彼女の場合、ポストロジー内で感染するという特殊なケースだったから、

感染者としての兆候が現れる猶予がなかったんだ」

「つまり、[潜伏期間中]という、

寄りによったタイミングで検査を潜ってしまった…」


理解は完全ではなかったが、

悔しさ、責任、不安、といったあらゆる念に飲まれ、

処理しきれないそれらを、ベッドの側に置かれた棚にぶつけるフィリップ。


「なぜ抗体が…、なぜ抗体がなかったんだ…」


そこでフィリップはハッとした。


帰還直前、ヒストリーホールで聞いたマルケスの言葉が頭をよぎったのだ。


「もう一人の自分…」

「そうだ!今この時にはミュアが二人いるはずなんだ!」


そこから自分なりに手段を模索するフィリップ。


「ミュアは俺達より何日か後に箱を空けたのなら、まだ時間はあるだろ!?」

「今の内にもう一人のミュアに抗体を宿してしまえば…」


「それは、だめなんだ…」


フィリップの自信と期待を込めたその案は、あっさりと却下された。


「[時の矛盾]と言って…」

「ミュアちゃんが[あっち]へ初めて行った時、

[抗体がない]という要素が絡んでいたからこそ、

あの事実が作られたでしょ?」

「それが、[抗体がある]に変わる事によって、

それらを始め、そこから派生したすべての青史は[抹消]されてしまうんだ…」


理解に苦しむフィリップ。


「つまり、身近な事に例えると…」

「僕らはここに来なかった事になり…、歴史から消されてしまうの」

「僕らだけじゃない…」

「それまでに接触したすべての人や、影響を与えた事柄…」

「そこからどんどん枝分かれして行く運命や導きの数々に至るまで…」

「全てが…」


フィリップは自分の考案した策が、

想像もつかない程に破壊的な事態に発展すると知り、

言葉を詰まらせる。


だが、その後の沈黙の中、不意に閃くフィリップ。


「そうだ!リエールが開けた箱は!?」

「あの本が入っていた箱だ!あれを使って…」


「いや」


冷静なエルニーの言葉が、再びフィリップに歯止めを掛ける。


「一度開いた箱は…、もう…」


その時、自分のその言葉でパラドックスに気付くエルニー。


「ん?そうか…」


「え?」


エルニーは一時泳がせた目線をフィリップと合わせる。


「ミュアちゃんは、自分の家の物置で箱を開けたって言ってたよね?」


ベッド上で苦しむミュアに顔を向けながら答えるフィリップ。


「うん、たしか自分ちの物置を整理してたら、箱があったとか…」


「[妙]だな…」と、顎に手を当てて首を傾げるエルニー。


フィリップはエルニーに向き直る。


「[妙]?」


「うん」

「あの箱は、言うなれば[ミスト製造機]なんだ」

「中にあるクロックストーンの引力を原理にした機関が、

空気中の湿気を集めて蓄えておいて、

蓋が開かれた際、それを霧状に放出する事で、

箱内部にある小型ホールへと対象を誘うための伝導体にしてる仕組みだから、

ミストは箱の中で何度でも生成されるんだけど…」


話の要点を捉え兼ねるフィリップ。


「でも…、箱を開けたときのコロナ…、あのフラッシュは、

箱に抗体を封じ込めてから最初に開けた時のみなんだ」

「ジャスティスさんは、ミュアちゃんが開けた箱について、

[ロック部分に不具合があるかも知れない]みたいに言ってたけど、

例えそうだったとしても抗体が漏れる設計にはなってないし、

第一、初回ならロックなんて掛かってもいない」

「なのにああ言ったのは、

やっぱり、ミュアちゃんを無駄に不安がらせないための建前であって、

内心、気付いていたはず…」


「え?それって…」


「つまり…」

「ミュアちゃんが開けた箱は、

[それ以前に何者かによって開封済みだった]…、と…」


フィリップは息を飲む。


「その不条理を整然させるには、この状況に主眼を置いて見ると…」

「現時点の、[ここにいるミュアちゃんを救うために箱が開かれた]…、

と考えられない?」


「そうか!じゃあ…」と、表情を明るくするフィリップ。


「ミュアは助かるんだな!」


フィリップの心に湧いた輝かしい希望は、

直後のエルニーの言葉で強く霞む。


「いや…、そうとも限らないんだ」

「成功したかどうかは、また別の問題になってくる」

「考えてみて?ミュアちゃんの開けた箱は、

今現在どこにあるのか[正確には]わからないんだよ?」


「え?ミュアの家の物置にあるんじゃないの?」


「勿論その[可能性]もあるけど、

箱の追加配置は五年間隔で行われていて、

まだ次の配置まで三年半はあるから、

ミュアちゃんの家にあった箱が、もし今期の追加で配置された物だとしたら、

少なく見ても一年以上前からあったはずなの」

「その間、何度も入ったと思われる物置なのに、

今になって急に気が付くって不自然じゃない?」


「言われてみれば…」


「それに、今から未開封の箱を捜して持ってくるには、

[トランスファーベース]が迫り過ぎているから、

成功の見込みも高いとは言えない」


「トランスファーベース?」


「その地点より過去や未来に行くのは難しいとされるボーダーラインの事」

「歴史間移動でブレる時間の範囲は、

基本時間軸から大体±84時間程度、

つまり、三日と半日くらいの帯域に集中していて、

そこから外れるのは滅多にない事からそう呼ばれてるの」

「さっきの受付の人との会話からして、

君達がミストに触れたのは今日なんでしょ?」


「ああ、そのはず」


「今このタイミングで僕等三人が揃っている事を考えると、

君達が今日あっちに移動した段階では、

未来のミュアちゃんのミスト移動は、

まだトランスファーベースに入っていなかったか、

もしくはギリギリで入っていた程度だと思う」

「でも、[あっちの世界]で過ごしている間もそれは進んでいたから、

軸そのものは、おそらく現時点よりは先にあるはず」

「仮に君達がミスト移動した時点に軸があったとすれば、

あっちで過ごした時間から計算して、

少なくとも、今より20時間以上は先に進んでいる事になる」

「ただでさえ、あっちからこっちへ来るのはブレが少ないのに、

そんなに離れていては、昨日へ行く事さえ難しい」


「さっき、あのでかい部屋で、

六日も前に戻った例があるって言ってただろ?」

「それは無理なの?」


「うん、無理ではないけど、それは0.1%にも満たない確率だし、

ベースが通り過ぎた後の最終手段としてなら良いけど、

今それに賭けるのは、むしろ時間の無駄になる」

「あるいくつかの条件を揃えれば、

意図的にベースより過去へ行く事もできるんだけど…、

それは出口が不安定で、行方不明報告さえあるし、

ちゃんと出られても年単位で遡ってしまう危険性も含むし、

何より絶対条件として、対象者が子供程の大きさじゃないといけない」


エルニーは一瞬ミュアに振り向く。


「なので、今から未開封の箱を探して持ってくるより他にない」


二人のやり取りを真剣な面持ちで見詰める女医と宿の主人。


「ミュアちゃんの家にあってくれれば、話は早いんだけど」


フィリップはそこで管理上の基本に気付く。


「普通、箱の配置場所の記録とかあるだろ、それを見れば…」


「箱は配置要員に大まかな地域だけランダム指定して、

あとは各要員の独断に任せてるから、

場所を知ってるのはそれを置いた各要員だけ」

「記録はあるかもしれないけど、

とにかく配置場所は幻導士にも極秘にされてる」


「なんで?」


「抗体の特性が魅力的だから、

私的に第三者からの利益を目的としたりでバラ撒かれると困るかららしい」


「ちくしょう!こうゆう状況になった時、対処できない方がもっと困るのに!」


「そうだね…、でもそこにも引っ掛かる点があるんだ」

「[こうゆう状況になった時]では遅いから、

[こうゆう状況にならないよう]に、箱は一度開けるとオートロックが掛かって、

それは抗体を宿した人間にしか解除できない仕組みになってるの」

「それを踏まえると、やはりミュアちゃんの歴史間移動は、

事情を知る人物によって仕組まれた…、

いや、仕組まなければならなかった物としか…」


その時、先程カウンターにいた受付嬢が静かに部屋に入ってきた。


「あの…」


そちらに注目する一同。


「さっきはビックリして忘れちゃったんだけど…」

「あなた、エルニーさん…、でよろしいんですよね?」


「え?そうですが…」


それを聞いてエルニーに歩み寄った受付嬢は、一通の封筒を差し出して言った。


「これ、預かってました」

「エルニーさんという方に渡すようにと…」


「え?」


エルニーはとりあえずその封筒を受け取り、それを開きながら尋ねた。


「どなたからですか?」


「えーと…、それが…、

その手紙を置いてすぐに出て行っちゃったので…、名前までは…」

「でも、とってもかわいらしい女の子でしたよ」

「あなたやフィリップと同じ様に、びしょ濡れで入って来て…」


その言葉と同時に封筒の中身が開かれた。


「ニーニャからだ…」


手紙を覗き込むフィリップ。


「エルニー、これはあなただけが読んでください…」


文頭を朗読したエルニーは、直ぐ様手紙を胸に伏せる。


そして一人廊下に出て黙読する。


『あなたは、これから先を知る事になるけれど、

何も知らないフリをして、私達を導いてください…』

『金曜日の夕方頃に、待ち合わせのバターカップに付いた私は、

過去に戻ってミュアちゃんの家で箱を探してくるようにと、

[あなた]から手紙で依頼され、

同じく金曜の夕方に私より少し先に到着していたリエールの案内で、

彼の使ったミストからあっちに戻り、

まずはマーヤさんとレナードさんに報告してから、

AGWを待ってマルケスさん達に報告し、過去に向かいました』

『三回トライしてようやく過去に出る事ができたんだけど、

ミュアちゃんの家に箱はありませんでした』


「…」


その一節に落胆するエルニー。


『でも…、あなたもよく分かっているでしょうけど、

箱が無いと分かっていても、私をミュアちゃんの家に向かわせてください』

『家の場所はリエールに聞くようにと指示してください』

『それと、リエールに箱の仕組みを教えないでください』

『これはとても重要な事なので、忘れないでください』

『以上の事をしっかり守れば[望む結果]は、必ず得られます』

『だけど…』


続く内容に、エルニーは不安を感じずにはいられなかった。


痛々しい様子のミュアを真剣な表情で眺めているフィリップに、

再び部屋へ立ち入ったエルニーが力強く言い放つ。


「フィリップ君、お願いがある」


少し圧力のある声調を受け、

驚きを含みながらパッとそちらを振り向くフィリップ。


「夕方にリエール君とニーニャがここに来るけど、会わないでおいて」


「え?どうして?」


その質問には答えず、

「ところで、今日は金曜日ですよね?」と、誰にともなく尋ねるエルニー。


「うん、そうだけど?」と、女医。


その返答を聞き、部屋にあった時計を見るエルニー。


「四時か…、そろそろリエール君が着く頃だ…」

「フィリップ君、ミュアちゃんを助けたいなら、

リエール君とニーニャから身を隠して」

「もし会ってしまうと、

君に歴史的責任をなすりつける様な嘘をかせる事になる」


一瞬黙り込んだフィリップだが、エルニーを信用するしかないので、

「わかった」と、素直に聞き入れる。


「じゃあ、俺は今からこの近辺で箱を探してみるよ」


「いや、待って」


廊下に出かかったフィリップを呼び止めたエルニーは、

続けて受付嬢に妙な事を尋ねた。


「ここって、[サウナ]はありますか?」


「え?ええ…、あります…、たまにしか使わないけど…」


「じゃあフィリップ君、そのサウナに入って」

「そこで、汗をバケツに溜めて」


「え?なにそれ」


続けて少し顔色の悪くなっている女医に依頼する。


「フィリップ君の汗を脱脂綿等に含ませて、

彼女の肌に塗ってあげてください」

「大分症状を抑えられますので」


女医は不思議に思ったが、

彼の真剣さにはカリスマを覚える程に引き付けられる信頼があったため、

「わかったわ…」と、何も聞かずに受け入れる。


「くれぐれも、手袋をはめる事を忘れないでください」

「(このお医者さんは、もう触ってしまっているけど…)」


そして次は、受付嬢とその横に立つ宿の主人の方に顔を向けるエルニー。


「それと…、彼女に触れた人を全員集めてください、今すぐに」


驚く一同。


「だが…、誰が触ったのか…」と、主人。


「とりあえずは、この部屋に入った人全員を集めてください」

「それから…」

「リエール君という人が来ても、

このフィリップ君がいることは内緒にしておいてください」


「…わかった」


事態が飲み込めず混乱していたが、

そう返事をして部屋の外に出るバターカップの主人。


「フィリップ君、急に色々言ってごめん、

でも今は変移までの時間を稼ぐ事と、感染をここで食い止める事が重要なんだ」

「ミュアちゃんの方は、僕とリエール君とニーニャに任せて」


「ああ、大丈夫、理解してるさ」


「ありがとう、それじゃ君は急いでサウナへ」


「OK」


「じゃあ、こっちへ」と、フィリップを案内する受付嬢。


「こまめに水分補給してね」


フィリップが部屋を出る直前、

その後ろ姿に向かってエルニーがそう言った矢先、

宿の主人が再び廊下から部屋に顔を覗かせた。


驚いて立ち止まったフィリップと受付嬢を一瞬見遣ってから、

エルニーに向けて重大発表する主人。


「あ~…」

「実は、さっき発った旅行者がいて…、

その旅行者もこの部屋に入ったんだが…」


それを聞いて焦るエルニーと、

そんなエルニーに振り返るフィリップ。


「その人、何処に向かったか分かりますか!?」


「ああ…、今晩の汽車で、フェスタスへ向かうと言ってたな」


エルニーは険しい表情で少し考える。


「わかりました、僕がその人を追いかけます」


「え?そんな時間は…」


フィリップのその指摘に、早口で答えるエルニー。


「うん、でも他の人では、

既に予定に向けて動いてる人を説得するのは難しいと思うんだ、

事情の付けようもないし」

「浪費した時間は、歴史間移動でなんとか埋めてみる」


「しかし、むやみにガーナの事を話したら…」


「勿論ガーナの詳細は伏せるよ」

「だけど、少なくとも感染が広がる危険性だけでも説明できる人間じゃないと」


そう言って廊下に出ると、

主人とすれ違い様に地理について尋ねるエルニー。


「そのフェスタスへの汽車は、何処から出てるんですか?」


エルニーが歩みを止めなかったので、

それに平行しながらジェスチャー混じりで答える宿の主人。


「そこの橋を渡って、そのまま一本道をひたすら進んで行くと、

右に舗装されてない道があるから、

そこに入ってまっすぐ行って牧場を越えた先が駅だ」

「道は単純だが、結構あるぞ」


「思ったより遠そうだな…、間に合うだろうか」


「不便な場所だが、ここ付近には建てる場所がなかったし、

鉄道自体が数年前にやっと牧場の土地を縫って開通したばかりだからな」


「なるほど、あと、その人の特徴を教えてください」


「そうだな…、がっしりした体格で、髪を後ろで縛ってて、白いシャツだった」

「大きなリュックを背負ってたんで、見ればすぐに分かると思う」


「わかりました」


エルニーは受付のカウンターに差し掛かった時、

そこに置かれたメモ用紙に、それとセットで置かれている万年筆を使い、

走り書きの様な早いペースで何やらメッセージを記す。


一枚では間に合わなかったため、

三枚にも及んだそれを宿の主人に渡すエルニー。


「ニーニャという女の子がここに来るので、それを渡して下さい」

「くれぐれも、リエール君にはバレないようにお願いします」


「ああ、わかった」


主人のその返事さえも待たず、急いで扉を開けるエルニー。


エルニーはカムカスター橋を渡りながら、

ニーニャからの手紙の後半部に書かれた[報告]を思い起こしていた。


『だけど…』

『私は、結果を認知した後、あなたの指示を受け、

バターカップのテーブル上で、この手紙を書いてます』

『でも…報告するのが辛い[もう一つの結果]があります…』

『確かに、望む結果は得られました…、

ところが…、[時の導き]は、残酷な事態を変えさせてはくれなかった…』

『後は、[後悔]が[希望]となるのを信じて精一杯助力する事だけが、

この悲劇を改めるために私たちができる[貢献]と、

やらなければならない[義務]でしょう…』







リエールがバターカップの入口を潜った時、既に辺りは薄暗かった。


入った直後、廊下左手側二番目の[開いたドア]に目が行った彼は、

宿の主人に与えられた勤めを思い出すと同時に、

ミュアがここにいた事の辻褄を合わせ、

「そうゆう事だったか…」と、細かく数回うなずいてから、

そのドアに向かって駆け出す。


部屋に立ち入った瞬間、

その場にいるミュアを除いた全員から一斉に注目を浴びるリエール。


女医、宿の主人とその長男、受付嬢、石材店の息子、

パブのオーナー、アンティーク収集家。


どうゆう理由があってそこにいるのか分からない連中も混じっていた。


「まだミュアの他は誰も来てないか…」


リエールは黙々と視線を向けられつつ、ミュアを覗ける位置まで移動する。


すっかり変色したミュアを見て、表情が強張るリエールに、

「なんでそんなに濡れてるんだ?」と、

パブのオーナーであるチェスターが尋ねる。


質問者の方を向いて、軽く戸惑ってから、

「ちょっとした交通事情で」と、誤魔化すリエール。


「しかし、この症状…」


その言葉で、アンティーク収集家のロートレックに焦点を合わせる男性一同。


「ただの風邪にしては重過ぎるようだが…」


チェスターもミュアに顔を戻して共感する。


「そうですね」


それには反応せずに、黙ってバケツの中の液体をミュアに塗り付ける女医。


「こんばんは~」


突如、玄関の方から、

透き通った様な美しさと可愛らしさを併せ持った女性の声が飛来した。


リエールは部屋の出口の方を振り返り、

「来た来た」と、開けっ放しの部屋から廊下に顔を覗かせる。


それに気付き、若干水を滴らせながら小さく手を振るニーニャに、

手招きで応答するリエール。


「ん~?」


ニーニャは背中側へと回した両手にハンドバッグを下げて、

ゆっくり近付いてくる。


その距離が目前まで詰まったタイミングで、リエールが部屋から出迎える。


「誰か来てる?」


そうリエールに尋ねながら中を覗いたニーニャは、

予想と大きく異なる光景に戸惑う。


まったく知らない人間達が、自分に注目しているという心地悪さの中、

「あ…」と、部屋の面々に会釈をするニーニャ。


リエールと同じく、びしょ濡れの状態で登場した見知らぬ美女に、

混迷した面持ちで視線を送る一同。


「いらっしゃい」と、答える主人。


「あ、どうも先日は…」と、会釈を返す受付嬢。


「?」


何の事か分からないまま、ニーニャは反応のタイミングを逃がす。


「ミュア来てるよ」


そう言いながらニーニャを抜かしてベッドの側に立ち、

ミュアを指し示すリエール。


ベッドを取り巻く人々の遮りにより、

現在位置からはその姿が確認できなかったので、

ハンドバッグを持つ両手を前面に移動させつつ、

リエールの横に着くニーニャ。


すると、そこにいたロートレックが退いたので、

その開いたスペースからベッドを覗き込んだ彼女は、

次の瞬間、大きく息を吸いこみながら両手で口を覆う。


「う…うそ…」


その反応が、ミュアの容体を見た事による驚きと勘違いしたリエールが言う。


「酷いよね…」


しかし、返って来たのはそれに共感した言葉ではなかった。


「ガ…、ガーナに感染しているわ…」


「え?」


リエールの問い返しを流したニーニャは、

ベッドに向かって一歩踏み込むと、

ミュアに掛けられた毛布を恐る恐る捲り上げた。


そこに広がっていた光景に騒然となる室内。


ミュアの美しかった脚が、すっかり見る影もなく、

まるで焼け焦げたかの様に、黒く変色していたのだ。


「なぜ…こんな事に…」


そう呟いた女医に、ニーニャが尋ねる。


「彼女に触りましたか?」


「ええ、治療のために…」と、先程エルニーに返した言葉を再使用する女医。


「他の皆さんは?」と、背後を振り向くニーニャ。


黙って首を横に振るその他の面々。


ニーニャは女医に顔を戻す。


「いつ発病したか分かりますか?」


女医は質問者とミュアを交互に見ながら、

「正確にはわからないけど…、私が看病を始めたのは今朝だったわ…」と、

少し疲労感を含んで答える。


そこでバターカップの主人が自らの見聞を明かす。


「昨夜、ここに来て間もなく、

体調がすぐれないって事で横になってたみたいだが」

「今朝になって朝食を運んできた時、ノックしても返事がなかったんで、

朝食だけ置いて戻ろうと思って部屋に入ったら、こんな状態で…」


ニーニャはしばらく黙り込む。


「ニーニャ…?」


リエールが微かに発したその呼称を聞いて、ハッとする宿の主人。


「[変異]まで、あまり時間がないわ…」


宿の主人がそう呟くニーニャの耳元に顔を近付け、

「あんたに預かり物がある、あんただけこっち来てくれ」と、囁き、

あたかも何も言ってないような素振りで部屋を出る。


ニーニャは少し間を空けてから、不思議そうな面持ちでそれに続く。


「あれ?どこ行くの?」


それに気付いたリエールが、ニーニャの後ろ姿に質問する。


「ちょっと、呼ばれたの」


軽く振り向いてそう答えた彼女に、自分も付いて行こうとするリエール。


「あ、私だけ来てくれって…、だから待ってて」


「OK」


主人は部屋を出てすぐの所にいた。


そして、後ろから誰も付いてきてない事を確認すると、

ニーニャにエルニーから預かったメモを差し出す。


「エルニーさんから預かった」

「内容は俺も読んでない」


ニーニャは驚いて聞き返した。


「エルニーが来てるんですか?」


「ああ、さっき来た」


「いま何処に?」


「旅のお客を追いかけて駅の方へ行ったよ」

「何でも、あの部屋に入った人間を全員集めるとか」


ニーニャはそれを聞いた後、

半分に折られた三枚のメモを受け取り、広げて黙読する。


『ニーニャ、リエール君達が使ったミストを使ってすぐにあっちへ戻り、

AGWを待ってからマルケスさん達にこの事を報告してください』

『待つ間は、マーヤさんとレナードさんに報告がてら、

かくまってもらってください』

『そして、すぐにこっちへ戻って、ミュアちゃんの家へ向かい、

彼女が物置で開けたと言っていた[箱]を探してください』

『移動に使うミストがここにある以上、リトライ拠点もここですので、

トーテスまでの距離を考えると、指定する時間は最低でも40時間前』

『この条件では[小箱]のミストを使う余裕はないし、

今からではかなり厳しいけど、

何度もトライして意地でも過去に出てください』

『家の位置はリエール君が知ってるはずです』

『ミストの場所もリエール君に案内してもらってください』

『注意点は、リエール君に[箱の仕組み]を明かしてはいけないと言う事です』

『今回は、僕が導き役になります』

『未来で結果が分かったら、何も知らない過去の僕に手紙を書き、

[僕が君とみんなを導く様に]指南してください』


メモをハンドバッグに収納しながら、

部屋の外からリエールに呼び掛けるニーニャ。


「リエール」


困惑した表情のまま振り向くリエール。


「すぐに、あなた達の使ったミストに案内して」


「あの箱があった場所でいいんだよな?」


「うん、そう」


「わかった」


リエールはそう言ってニーニャの方へ向かうが、突如立ち止まる。


「あ、あそこに行くには…、[ランプ]と[梯子はしご]がいるな…」

「いや[縄梯子]の方が都合がいいかな」


それを聞いたニーニャが、宿の主人に尋ねる。


「[ランプ]と、[縄梯子]があったら貸してもらえますか?」


「わかった、ちょっと待ってな」


宿の主人は、慌ただしくなった展開に極力急ぐ事を心掛けつつ、

外の物置へ向かう。


事情を知らない者がいなくなった廊下で、

リエールが不安を和らげるため、ニーニャに問う。


「ミュアは助かるよな?」


「うん、きっと助かるよ」

「私達で助けよう」


「どうすればいい?」


「私は報告に一旦戻ってから、

今より過去に行ってミュアちゃんの家で箱を探すね」


「ミュアの家を知ってるの?」


「それが、知らないの…」

「あなた知ってるでしょ?」


「いや?知らないけど?」


「え?」

「おかしいな…」


「あ…、場所の特徴なら知ってる、リューシュと話してるのを聞いたからな」

「たしか、トーテスのどこかの花屋さんの隣の隣だってさ」


「それだけじゃちょっと…」


「あと、左隣りが川らしい…」

「川沿いに進みながら、人に聞くなりして花屋を探せばよさそうだな」

「あそこは割と中途半端な町だから、そんなに難しくはないだろう」


「わかったわ」

「だけど、物置の中に入れるかな…」


それを聞いて、更に過去に得た情報を思い出すリエール。


「あ、物置の鍵は玄関前のマットの下にあるはず」


「え?どうして知ってるの?」


「本人が口を滑らせた」


会話に区切りが付いたリエール達は、主人を待っている道理などなく、

外の物置へ直接道具を受け取りに出向いた。







廃鉱のジメジメした空気は相変わらずだったが、

外も日が暮れて暗くなった事による相乗効果から、

内部の不気味さは増していた。


先導役のリエールは、箱のあった部屋の扉前に到着すると、

前回はピクリともしなかったレバーに何気なく手を乗せるが、

それだけでガクンと一気に下がったため、若干びっくりする。


「軽ッ!!」


呆気なく開いた扉は以前の様に自動で閉まる事はなく、

それを通過して白い壁の部屋に立ち入ったリエールは、

落とし穴の位置の前で足を止め、

後から来るニーニャの行く手を遮断する様に左腕を横に突き出す。


「落とし穴があるから」


そう言って恐る恐る数歩前進し、

落とし穴があると思われる箇所を片足で強く踏み付けるリエール。


次の瞬間、いきなり床が開いたが、

重心を逆の足に置いていたので落ちる事はなかった。


リエールは一旦部屋から出ると、

レバーに縄梯子を括り付けながらニーニャに問う。


「確認しておきたい」

「箱を持ち帰る事でミュアを救えるんだよね?」


「うん、抗体をミュアちゃんに植えつける事ができれば助かるよ」

「変異する前ならね」


落とし穴の中に縄梯子が垂らされ、

丁度底の手前で長さの限度を迎える様を黙って見下ろす二人。


「じゃあ、ここからは私だけで行くね」


「わかった」


ニーニャは持っていたランプとハンドバッグを地面に置き、

腕に掛けていたエアコートを羽織る。


「上から照らして」


ハンドバッグのみを拾い上げてそう言うと、

穴に背を向けてしゃがみ込み、

垂れ下がった縄梯子にゆっくりと足を掛けるニーニャ。


「OK」と、ランプを掲げるリエール。


「よいしょ…」


「気を付けて」


ニーニャの履いているサンダルをはじめ、

行動と服装の釣り合いが取れてない事から、

リエールはそう言わずにはいられなかった。


「ちょっと暗いな…」


黙って明かりの角度を変えるリエール。


やがて、スタッと軽快に穴の底へと到着したニーニャは、

床に転がっている箱には特に興味を示さず、落ちている本を見詰める。


「これが時記…」

「レプリカと少し違うなあ」


無造作にそれを拾い上げるニーニャ。


「重い…」


穴の底でニーニャが小さく何か言ってるので、

「どうしたの?」と、リエールが言葉を落とす。


入口を見上げて答えるニーニャ。


「これ、私がついでに持ってっちゃうね」


ランプの逆光でよく分からないリエールは、

[それ]が何なのかをしゃがみ込んで確認しようとするが、

今度は自分の頭の影で分からなくなったため、

「なに?」と、結局声にて答えを求める。


白い扉の取っ手を掴みながら、再度リエールを見上げたニーニャは、

「時記だよー」と、答える。


「OK」


「じゃあ、後でね」


ニーニャは扉を開けようと取っ手を引くが、

その行動の結果は予想とは違っていた。


扉がまるでとてつもなく重い石で作られてるかの様に、

ビクともしなかったのだ。


「開かない…」


再びリエールを見上げて軽く叫ぶニーニャ。


「リエール、ちょっと来てー」

「これ開けて」


リエールはその要求を即聞き入れ、

ランプを持ったまま縄梯子を器用に素早く下りると、

扉の左横に立ち退くニーニャを脇目に、無言で任務を果たす。


「ごめんね、ありがと」


「大丈夫?その本持ったまま泳げる?」


「うん、エアコートで浮かんでミスティシロップを飲むだけだし」


「そっか」


「あ、梯子はこのままにしておいて」

「また来るかもだから」


「わかった」と、微笑むリエール。


ニーニャも微笑んで、軽く手を振りながらミストに触れる。


リエールは取っ手を掴んだまま、

人が一人丸ごと消えてしまう現象に改めて感慨した後、

扉を閉めて振り返った際、

床に転がる派手な箱に意図せず目が向く。


だがその瞬間、ある考えが浮かんだ。


「あ!この箱!」


箱を見下ろしたまま数秒間硬直したリエールは、

やがて箱の近くに屈み込み、

蓋が開かないように気を付けつつ、それを右腕に抱える。


そして、同じく右腕の手先にランプを引っ掛け、

白い扉から反射した明かりを便りに、縄梯子を一段一段慎重に上る。


穴の縁まで上った所で箱の隅を縁に乗せ、

右肩でそれを落ちない位置まで押し込むと、

ランプを箱の横に置いて穴の上に這い上がり、

屈んだ体勢で視線を箱に送りながら呟いた。


「なぜニーニャは、この箱を使おうと言い出さなかったんだろう…」


ニーニャの置いて行ったランプを吹き消し、

再び箱を抱えつつ立ち上がった彼は、

彼女に言われた通り、再使用の見込みがある縄梯子を放置したまま、

両手に二つのランプを携えた状態で復路を急ぎながら考える。


「(あんなに邪魔な所に落ちてたのに、

ニーニャがこれに気付かない訳がない)」

「(なのにノータッチで行くって事は、

やはり抗体を宿せるのは、一つの箱につき一回きりなのか…?)」

「(開けてチェックしてみるか…)」

「(いや、だめだ、どっちにしても今開けるのは賢くない)」

「(もし中に少しでも余っていてくれたら、それを逃がす事になるからな)」


リエールは正直、その箱が再び光を放つ見込みは薄いと感じていたが、

微小ながら折角持てた希望を潰すのが怖かったというのもあり、

あれこれ悩んだ末、結局それをチェックせずに戻る事にした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ