のべらいず 八関斎経 ~ ビギナー向きの修行はコレだっ!
「斎戒沐浴」ちゅう言葉がありますね。時代劇小説なんかやってるとたまに出てきます。
このうち「沐浴」は、水浴びや入浴などで体の外側をきれいにすることですね。広い意味では清潔な衣服を着ることも含まれていると思いますが……まぁ、このくらいは誰にでもわかる。
一方で「斎戒」とは、体の内側をきれいにすること。この「内側」とは内臓と精神との両方こと、とまでは想像できるものの……具体的にどういうことをやるのかがわかりませんでした。酒を飲まないとかエッチをしないとか、そういった類のことなんでしょうけども……正確には?
これは筆者にとって長年の謎だったんです。
ある時代劇漫画では、「断食した上でわざと下痢して体内(腸内)をきれいにする」というシーンが「斎戒」として描かれていました。が、はたしてこれで正しいのか、あるいは漫画のフィクションなのか?
3~4年ほど前、とあるえらいお坊さんと話をする機会がありまして。「チャァンス!」と思ったのでいろいろ質問して取材してみました。もちろん斎戒のやり方についても。
しかしそのときは、「斎戒というものは、形式ではなく心が大切なんです」という意味の教えを受けただけで、けっきょく具体的なやり方は教えていただけなかったのでした。
が……お経に書かれていた!
あるとき、「ノクターンで宗教ホラーでも書いてみようか、エロいけど恐くてヌけないようなやつ♪」などとたくらんで、資料にしようとネット上にあった大正新修大蔵経(注:現在は諸事情により公開停止されています)のデータをランダムに拾い読みしてたら、「斎戒」のやり方が具体的に書かれている仏典を3つ発見しまして。
「仏説斎經」「佛説八關齋經」「優陂夷墮舍迦經」です。
読み比べてみますと、この3つは同じテーマで内容も似ていますが、相互に補完する要素などもあり、3つを交互に読んでみてようやく具体的なイメージがつかめたのでした。
これらには「声に出して読むと功徳のある経典」とは書かれてませんから、読誦用ではなく、おそらくは勉強用の経典だったのでしょう。
しかもあまり難解なことは言っておらず、わりかし初心者向き!
たぶん、「斎戒」のやり方はいろいろ流儀があるんでしょうけれど、具体的に再現できそうな情報を得られたのはこれが初めてでした。
さて……もしかすると、筆者のほかにも「斎戒のやり方」に関心があって、でもなかなかわからないという人がいるかもしれません。
ということで、まだ完全には理解できてないながらも、もっとも端的な「佛説八關齋經」をベースにしつつ、あとの二つにある記述も一部に混ぜて、勝手な補足や脚色も加えつつ小説化し、紹介してみたいと思ったのでした。
しかしこれは「楽しみのために書いた趣味の小説」にすぎず、「正確な翻訳」や「修行の解説書」などではありません。
もしも実際に「八関斎ってやつをやってみよう」という方がおられたとしたら、筆者は責任とれませんから、原典を研究するなり正規の先生に教えてもらうなりしてちゃんと勉強してからにしてください。
工作とか格闘技とか料理とかでもそうですけれど、筆者のようなウンチク垂れがネット上に書いた情報だけを参考に素人がマネしようとすると、けっこう危険な場合もありますんで、どうぞお気をつけて。(汗)
そのとき、ブッダは舎衛城(コーサラ国の首都)の、給孤独園にいました。
給孤独長者という「善人でチャリティしまくり大商人」が僧伽(仏教修行者の集団)に寄付した修行場ですね。祇園精舎とも呼ばれます。
といっても寺院が建ってたわけではなさそうで、どうやら「ただの広い林と草っぱら」だったらしく。初期のお坊さんたちは建物には住まず、木の下などで寝起きしていたようです。
彼がこの地をジューダ太子から買い取って僧伽に寄付するまでのいきさつには、ちょっとほのぼのするエピソードもあるんですが……知ってる人は知ってるだろうし、知らなくても今回の話とはあんまし関係ないから省略します。
さてブッダは、この地に集まっていたお弟子さんたちに告げていわく。
「今日は聖なる八関斎について説明しよう。気をつけて聞いといて、後でよ~く考えるといいヨ」
すると弟子たちが
「尊い先生、どうぞお願いいたします」
と答えたので、ブッダは解説を始めました。
「比丘(男性の出家修行者)のみなさん。もし、子供や女性、出家してない在家信者の人が斎戒について知りたがったら、こんな風に説明なさい。悟りを開いて聖者になるための第一歩だからネ。
「斎戒は毎月6回……陰暦の、8日、14日、15日、23日、29日、30日にするんだ。1ヶ月に15回したけりゃそれでもいいし、20回ならさらにいい。でも初心者はこの6回がいいョ。
「まずは朝に、『俺/私ってば斎戒しちゃうぜぇ! 今日一日は、飲酒&言い争い&説教&散財はナシの方向で、ひとつヨロシク!』なんてふうに、家族や周囲に宣言しておきなさいネ。言っておけば大丈夫だろうけど、誰にも知らせず勝手にやってるとトラブルが発生する場合もあるョ。
「そして次の朝までは、自分が戒律を守るだけではなく、斎戒してない他の人にも、積極的に戒に反する行為をさせたり奨めたりしちゃダメだから気をつけてネ。
「具体的には『八関斎』、つまり一昼夜の間、八戒を守って欲望を制限するンだ。出家修行者には200以上の戒律が毎日課せられるけれど、そのうち8つだけを、阿羅漢と同じように厳密にだけど、次の朝までしっかりと守る(その後は任意)という、初心者向けの修行だョ」
阿羅漢とは、ブッダと同レベルの悟りを開き修行を完成したとされる、最高位の修行者のことですね。つまりその日1日、在家信者であってもチャンピオンクラスの聖人のような気持ちになって節制のある生活をしなさい、ということらしい。
「では八戒について具体的に説明しようか。
「第一は『い、生きものさんを殺っちゃらめぇっ!(涙)』、不殺生だ。人や動物はもちろん、ムシとか小さい生き物も殺しちゃダメだョ。植物も、食べるために必要な分など以外はダメ。もしムカッときたり恨みを抱いたりしたら、即、反省しなさい。基本、慈しみの心ですべての人・すべての生き物に接するんだ。他の人にも、できるだけ生き物を殺させないように気をつけてネ。もちろんふだんから殺さないようにしていたほうがいいわけだが、この日は特に徹底して、阿羅漢のように、気をつけて過ごしなさいナ。
(1.不殺生戎)
「第二は『ぬ、盗んじゃらめ、あげてぇっ!(涙)』、不盜好施だ。もちろん、他人が盗むのを座視してもダメ。原則として誰かに与えられたもの以外は取っちゃダメってことだョ。そして、他人が困っているときや他人から求められたときには、自分が持ってるものを積極的に施して、物に執着しないようにしなさい。阿羅漢のように、無欲になって貪らずに過ごしなさいナ。
(2.不偸盗戎)
「第三は『エ、エッチなのはらめぇっ!(涙)』、不習不淨行だ。この日は清浄な修行をしようっていうんだから、欲望で自分の心を汚しちゃったら意味が無い。見ても考えてもダメだし、他人に奨めてもダメだョ。寝るときは異性のいないところで寝なさい。男性だろうと女性だろうと、欲望の対象の間近にいると辛いから、できるだけ離れて。そうやって阿羅漢のように、清く正しく過ごしなさいナ。
(3.不邪淫戎)
「第四は『ふ、不必要なこと言っちゃらめぇっ!(涙)』、不妄語だ。嘘、悪口、愚痴……そういったことを言っちゃダメ。他の人に言わせてもダメ。そういう言葉は結果として人の心を傷つけるからね。阿羅漢のように、喋るのは必要最小限の言葉にしなさいナ。
(4.不妄語戎)
「第五は『い、一杯やっちゃらめぇっ!(涙)』、不飲酒だ。斎戒した日はそういう、気持ちよくなるためだけの嗜好品を摂って欲望を楽しんじゃダメなんだ。人にオゴッたり、お酌したりもダメ。酔っ払ったり欲望に浸ったりすると、人間、自分の気持ちよさのために他人には迷惑なことをしてしまうものだからネ。阿羅漢のように、欲求を少なくして過ごしなさいナ。」
(5.不飲酒戎)
不殺生/不偸盗/不邪淫/不妄語/不飲酒……ここまでは五戒、つまり「仏教信者の基本的な努力目標」と同じですね。それをさらに徹底しろという点が違うくらい。
で、八戒になるとあと3つ加わります。
「第六は『た、食べすぎちゃらめぇっ!(涙)』、不犯斎だ。食べるなら日の出から正午までの間に食べ、正午を過ぎたらもう食べないように。それから、食べる量を必要最小限にすること。食事しようとすればどうしても生き物さんを殺すことになるから、それを最小限で済むようにと考えるんだ。肉類や魚介類は避けること。動物性たんぱく質は、殺さずに済むミルク類ならOKだけど、あとは植物食にしなさい。味付けも、刺激の強さは他の欲望に影響するから、薄~くして必要最小限の味になさい、味や匂いの強い食べ物は控えるんだ。他人にも美味いもの奨めたりしちゃアカン。阿羅漢のように、質素な食事で過ごしなさいナ。
「第七は『や、やわらかいお布団、使っちゃらめぇっ!(涙)』、不於高好床坐だ。楽な椅子や座布団に座ったり、やわらかい布団に寝たりしてはダメ。他人に布団を奨めてもダメだョ。贅沢に慣れてしまうとなかなか我慢できないけれど、そんなつらさも慣れりゃあどうってこたなくなる。だから阿羅漢のように、この程度のつらさは受け入れて過ごしなさいナ。
「第八は『う、歌っちゃらめ、踊っちゃらめ、飾ったりしちゃらめぇぇぇ~っ!(涙、涙、涙)』、不習歌舞戲楽だ。これらは自分にも他人にも欲望を刺激してしまうから、この日には関わらないように。音楽を聴いてもダメ、化粧やおしゃれもダメ。他人に奨めてもダメ。阿羅漢のように、失礼にならない程度の身なりでおさえてそれ以上は飾らず、娯楽は一切楽しむことなく心を静かに過ごしなさいナ。」
「以上の戒律を守るのが『聖なる八関斎の修行』だ。でも斎戒にも3種類があるョ。牧牛斎、尼■斎(音写と思うけど判読できず)、そして仏法斎の3つだ。
「ご利益を期待して不定期的に斎戒するのを、牧牛斎と呼ぼう。牛飼いが牛のために草を集めるようなものだから。これをやると翌日に仕事の調子がよくなってそれだけ生活が豊かに、なんて感じの効果はあるけれど、牛が食べちゃえば集めた草も無くなるように、福徳はそれだけで終わってしまうんだ。
「自分を高めるために毎月15日に斎戒するのを、尼■斎と呼ぼう。これをやると10由旬(約70km)の範囲内にいる神々が君に敬意を払ってくれて、祟られるようなことがなく、身分や地位が上の人からも平等に扱ってもらえるようになる。けれども真実の智慧には、これでも至れなかったりするんだ。
「で、自分を高めつつ同時に他の人も救いたいという目的で月に6回斎戒するのを、仏法斎と呼ぼう。これが本当の八関斎だ。
「八関斎の修行をする功徳は、はかり知れないものがあるョ。八関斎の話をするとか、八関斎について考えるってだけでも多少の福徳はあるんだけれど、八関斎を実行したらもっとすごいョ。どれだけの福徳があるか、ちょっと想像も難しいくらいだ。
「譬えると、世界のベスト5の大河の水が一箇所に集まったときの水量くらい。瓶で千杯汲んだって十万杯汲んだって、後から後から流れてくる5つの大河の水の量ははかり知れないないだろう? 聖なる八関斎には、そのくらいのはかり知れない福徳があるんだョ。
「斎戒をするとどんなことになるかというと、たとえば……フケだらけ垢だらけのおっさんがいたとしよう。ある日、彼が沐浴して頭と体を洗うと、フケも垢も落ちて、次の日にはすごく気分がよくなるよね? これと同じように、一昼夜の間、八つの戒を守った人は、ストレスや憂さが落ちて、次の日には嬉しい気分になるんだヨ。ストレスがなく嬉しければ悪意もなくなって、気分のよさを他の人にも分けてあげたくなるものだ。
「たとえば……汚れた衣服を洗濯すると、次の日には衣服がきれいで軽く感じて気分がいいだろう? これと同じように、一昼夜の間、八戒を守った人は、次の日には心がきれいで軽く感じるようになるんだョ。
「たとえば……鏡の汚れを落として磨くと、次の日には姿が鮮やかに映るだろう? これと同じように、一昼夜の間、八戒を守った人は、次の日には世の中のことが歪まず正確に見えて、怒り・貪り・妬みなんていう自分の心の動きも、鏡で見るようによーくわかるようになるんだョ。
「死後にも地獄・餓鬼・畜生といった三悪道には堕ちないで済むようになるなど、他にも福徳が多いョ。いずれ悟りを開いて阿羅漢になろうという人はもちろん、死後に天界に生まれ変わって神様になりたいっていう人にも、八関斎の修行をおススメするョ♪」
弟子たちはこの話を聞いてごっつ喜びまして、後世に伝えたのでした。
- おわり -
注:
これは小説であり、内容には脚色もあります。(一部、完全に意味を変えてしまった部分もあります(汗))
念のため~。(^^;A
追記:発表後にわかったこと
八関斎は、ウポーサタ/布薩/六斎日とも呼ばれます。
かつて(つか海外では今でも)仏教徒は、月に六回の斎戒をする習慣がありました。
斎戒日は満月の前後/新月の前後/満月と新月のちょうど間の日で、月齢を基準に作られた太陰暦(旧暦)では毎月8/14/15/23/29/30日にあたります。
(注:太陽暦では月齢と日にちがズレてるので不正確となります)
斎戒の福徳(果報)は自分だけでなく他の人に供養することもできるという考え方があり(回向)、後には亡くなった人の魂に回向するため故人の命日に遺族が斎戒するという習慣もできました。
(*なんで「自分が修行すると故人の福徳になる」と考えられるようになったのかは、『のべらいず 馬頭羅刹宝達問答報応沙門経 ~ 地獄へようこそ!』をご参照ください)
しかし物理的に言うと斎戒は、要するに小欲知足の練習を定期的にやって慣れろという意図と思われ……たしかに生理的な要素を考えてもときどきやったら心身の健康によさげで、長生きできるんじゃなかろうかという気がなんとなくはしますが。
はたして、本文中にあるような莫大な効果も本当にあるのでしょうか? もし試してみたという方がおられましたら、てるみー・ぷりーず!!