その8
「そこまでだ」
狂気に飲み込まれていたお姫様をどん底まで突き落としたのは、紛れもなく、彼女にとっての「王子様」だった。
+ + +
「カーチェ・ラグントン、資格剥奪の上、シーズ監獄で一生幽閉だ。禁術をどれほど罪深いか自らの身をもって知るといい」
「ははっ。絶対脱獄不可能と名高いシーズ監獄ですか。ふふふふ。それもいいでしょう。ただし、あなたがたにそれができるのならねっ」
カーチェと呼ばれた魔術師は、そう叫び終わる前に何やら懐から紙を取り出し、王太子へと投げつけた。投げつけられた紙は、物理法則をまるっと無視して王太子にぶつかるかと思いきや、その寸前にスパンと切られた。
「お前の相手は俺だよ」
「おや、カーター。いたんですか。ラングトンの面汚しのくせに?」
あからさまな侮蔑に、カーターと呼ばれた騎士服の男は、淡々とそうだな、と返していた。どうやら因縁の相手らしい。血縁なのだろう。
カーチェは懐から別の紙を取り出し、なにやらもごもごと口を動かしている。呪文を唱えているのだろう。魔術についてはまだ勉強したことがないので詳しくは知らないが、発動させるためにはいくつかの条件があるらしい。そのうちの一つが陣であり、呪文である。紙に書かれていたのは陣で、口を動かしている理由は呪文だろう。
一方のカーターという騎士服の男は、どう見ても騎士。懐から紙を取り出したり、呪文めいたことを口にしていないところをみると、魔術などは使えないのかもしれない。
魔術師対騎士であれば、それは断然魔術師が上だ。いくら剣技が優れていようとも、攻撃呪文に勝るものはない。それをわかっているからこそ、カーチェも笑っているのだろう。口の端が上がっているのが見える。
そんなことわたしにだってわかるのに、王太子はどこか余裕の表情。部屋を見渡すといつの間にかそろっていた精霊さんたちも興味深そうに二人の戦いを見ていた。止めたり、介入するつもりはなさそうだ。
わたしの怪訝な表情に気が付いたらしい風華が、ふふふふ、と楽しそうな、それでいてどこか背筋がひやりとする笑い声をあげた。これはかなり怒っているらしい。その割に手を出さないのは何か理由があるのだろうか。
「そうねぇ、わたしたちが手を下すまでもないっていうか。そこまでの価値もないじゃない?むしろほかの場面でいろいろやった方が楽しそうだし?」
心の中を読むなよ、とつっこみたかったけど、場の雰囲気を崩しそうだし、いまさらな感じもしたので黙っていると、風華の言葉に緑藍たちもうんうんと頷いていた。精霊さんたちは何を企んでいるのだろうか、気になるけれど、世の中には知らなくていいこともあるのだと、自分を納得させる。それに、目の前では息もつかせぬ攻防が続いている、と思いきや、いつの間にか勝敗が決していた。
カーチェの首元に押し当てられているのは紛れもなく、カーターという騎士がさきほどまでふるっていた剣だった。
「なぜだっ、なぜ魔法が効かない?お前は一切魔法が使えないはずだろう?」
「魔法耐性があるからな。逆にいえば、どんな魔法も俺の前では無効化されるってことだよ」
むむっ。
なにやら、カーチェとカーターは因縁の相手らしい。
シリアスな空気がぷんぷんする。ここに腐った人間がいたら別の意味で大興奮してそうだ。
部屋の反対側に目を移すと姫と王太子。
こちらも何やらシリアスな雰囲気だ。ある意味、二人の世界といえなくもない。
あれ?
わたし、ここにいる意味なくね?どうせ姫とかカーチェとかいう人の処分は王太子らが決めるんだろうし、わたしは被害者っていくか巻き込まれただけの傍観者Aだし、このまま帰ってもいいんじゃないかなぁ。結末は知りたいっちゃ知りたいけど、どうせ風華あたりに後日聞けば教えてもらえるだろうし。
近くにいるはずの精霊さんを探して目線を動かすと、いつの間にか、精霊さんたち全員がそろっていた。たまたま近くにいて目があった緑藍に帰りたいなー、と心話を送ると、結末を見なくていいの?と聞いてきたので、あとで教えてくれるでしょ?と伝える。緑藍は苦笑してたけど、頷いてみせたので、きっと後で教えてくれるのだろう。
じゃ、帰るかと思ったけれど、やっぱり人としてここは一言王太子とかに挨拶はすべきなんだろう。わたしは巻き込まれただけとはいえ、王太子とかもいろいろ仕事してくれたんだろうし。
帰ります、と言おうとして、雰囲気をぶち壊しでもしたらとってもいたたまれないから、一応空気を読む。元日本人だし。空気を読むのって必須スキルですよね!
カーチェとカーターの因縁対決はカーターの圧勝で終わったままで、なにやらごつい手錠がカーチェにはめられていた。そのあとも淡々と作業しているカーター。服のなかに手をつっこんでごそごそやってるのは魔方陣を書いた紙がほかにないか探すためなんだろうけど、端から見るととっても怪しい。腐った人間がここにいたら鼻血を吹いてるやもしれない。しかもカーチェの方もそれに抗うわけでもなく、カーターのなすがままにされているというのがいけないんじゃなかろうか。二人とも無言だけど。
こりゃー、カーターに帰りますとは到底言えないな、ってことで王太子の方を見る。
王太子と姫もお互い一言も話してないけれど、なんていうか蛇に睨まれた蛙状態。姫は何か言いたそうにしてるけれど、王太子の背負ってるブリザードで凍ってる感じ。ただ姫の方は王太子が自分を見てくれるのが嬉しいのか若干うっとりしているようにも見えるけど。姫も変態なのかも。
帰ります、って言いにくいなぁと思っていたら、急に王太子が動き、姫の体がくたりと床に沈んだ。
「リリーナ嬢、お怪我などはありませんか?」
姫に手刀をいれ、気絶させた王太子がにっこり笑ってこちらを見た。
さっさと帰っておけばよかった。