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荘太は神高家を出てから全力で走り、なんとか朝練に間に合わせることができた。ほんの一秒でも遅れると、当番制である片づけを強制的にやらされる羽目になるので、ほっとした。万葉に勉強を教えるといった手前、その時間がなくなってしまうと困る。
サッカー部の人たちにも、神高家のファンは多い。多くはきちんと部活は部活と割り切って荘太とも普通に接してくれるが、たまにいやがらせをしてくる人間がいる。今日も一度わざとある先輩にボールを当てられそうになった。とはいえそれは神高家の人たちと知り合ってから日常茶飯事のことで、荘太はなんとも思わない。むしろ上手くそのボールを蹴って返してやると、その先輩は悔しそうな顔をみせた。これもいつものことだ。
朝練を終えると急いで着替える。その速さは早着替えに慣れているほかの部員たちが驚くほどだ。
そうして荘太は自分のクラスに向かう。
神高兄弟と荘太が通うこの風間学園では学年ごとに使う教室の階が決められている。一年生の荘太と万葉のクラスは四階の東の端だ。西にある部室棟から一番遠い。
流れ出る汗にも構わず階段を一気に駆け上がる。入学してからの三カ月でこのきつい階段の上り下りはずいぶんと楽になっている。ゆっくりと階段を上る他の生徒たちが恨めしそうな顔をした。
階段を登り切れば、すぐそこの部屋が教室だ。荘太は勢いよく教室に入った。
「荘太!やっときた!」
そう声をかけたのは眼鏡をかけた少年だ。背が高く、理知的な顔つきをしている。荘太の幼いころからの友人で、神高兄弟と知り合う前からの仲である。
少年は興奮気味に尋ねてきた。
「今日の朝、彩貴さんと愛貴さんに、新曲が出来たから近いうちにアップしてって言われたんだけど、どうだった?相変わらず綺麗だった?」
「明良」
この幼馴染の少年、明良は彩貴と愛貴の奏でる曲をかなり気に入っていた。逐一二人のサイトをチェックしては感想をそこに書き込んでいる。実は二人がサイト活動をするようになったのも明良が熱心に勧めたからで、二人にはそのサイト管理をまかせられ、なおかつファン第一号として認められている。
「きれいだったよ。どうせビデオ撮るために今日来いって言われているんだろ?」
「そうだよ。あー楽しみだなー!」
「……そうだな」
二人に心酔している彼なら、夜中まで何時間も続けられるリサイタルを心から楽しめる。荘太は途中でいつも眠たくなってしまうのに。
「荘太」
後ろから声がした。万葉だった。手に教科書を持っている。荘太は焦った。
「悪い。ちょっと待って。明良、教えててくれる?」
そう言って自分の席に向かう。取り残された二人は顔を合わせた。明良が万葉に問う。
「え、万葉ちゃ、……神高さん、どっかわかんないとこあるの」
万葉、と下の名前で呼んでしまった瞬間、教室のそこかしこから強烈な視線を感じた。神高兄弟の中でも一番美形だと言われている万葉のファンは教室内にもいた。荘太つながりで昔からの友人である明良に対しても彼らの目は容赦なかった。
「荘太が教えてくれるって言ったのに」
荘太の後姿をさみしそうに見つめながら、ぼそりと聞こえるか聞こえないかの大きさで言ったその言葉は明良にだけ届いた。
「……たか、神高さんも大変だね」
万葉は明良をじろりと見た。明良はごまかすように慌てて言った。
「ええと、どこがわかんないの?」
万葉はしぶしぶといった様子で教科書を開きその個所を示す。明良は目をぱちくりさせた。
「えーと、どうわからない?」
「どう解いたらいいかわからない」
「え、これこの公式を適当に当てはめたら解けるよ?」
いかにもどうして分からないのかがわからないという顔をしている。万葉はいらっとした。出来るやつは出来ないものの気持ちがわからないのだ。
「だから、明良は嫌なんだ。教え方が下手」
あまりにすっぱり切られた明良はむっとした。他に言い方があるだろうに。悔しいので確実にダメージを与えられる言葉を口にする。
「教え方が上手いからとかじゃなくて荘太にかまってほしいだけのくせに」
万葉の眉がぴくりと動いた。口を開きかけた瞬間。
「万葉、どこが?」
荘太が戻ってきた。何かを言おうと開いた口はその言葉を発することなくきゅっと結ばれた。
「あれ、どうしたの」
まるで何もわかってない荘太に、明良は何ともなかった顔をする。
「いや、別にー?」
万葉は明良を横目で睨みつけたが、それ以上言うことはしなかった。代わりに荘太に話しかける。
「ここがわからない」
「あーこれはえーっと、このxを……」
荘太は問題を見るとその解法を思い浮かべながら一つ一つゆっくりと説明をしていく。丁寧な説明に万葉も理解しようと聞き入っている。
そんな二人の様子を見ながら明良は心の中でつぶやく。
(なんで荘太もわかんないのかなーこんなにわかりやすいのに)
万葉の感情がいくらわかりにくいとはいっても、彼女が積極的に関わっていくのは昔から荘太だけなのだ。それゆえ、クラスメート、下手したら学校中万葉の荘太へのいちずな想いに気づいている。だから明良とは違って荘太が万葉を名前で呼んでも何も言わない。今も応援するような、妬ましいような、そんな感情が入り混じっている視線たちが二人の様子を見守っている。
(ま、そのうちなんとかなるでしょ)
そう結論付けて明良は自分の席に向かう。そしてホームルームの始まりを告げる鐘が鳴る。
これがこのクラスのいつもの光景だった。
た、大変お待たせしました汗
しかもあんまり進んでな……
つぎこそは……。