おつとめ
「それでは勃起丸様、そろそろ時間なので参りましょう」
不知火はそう言うと、躊躇う事無くリビングのドアに手をかけた。
「え?時間?」
私は飲みかけていたお茶をテーブルに置いた。
「行くってどこにだよ・・・」
しかもこんな時間に。
その時の私の顔は、あからさまに不機嫌に見えたことだろう。
実際、不機嫌だったしね。
・・・ふんっ。
「もちろん警察署に、です」
当然のように、不知火は答えた。
まぁ、分かってたけどね。
「今日中に面会を済ませておかなければならないそうで、その面会時間が午後十二時までとなっているそうです」
不知火はこちらを向き直し、馬鹿丁寧に事務的に、そう告げた。
その言葉を聞いて、時計をちらりと見る。
十一時二十分か・・・
「もう遅くないか?明日じゃダメなの?」
ソファに座ったまま、今日はもうどこにも行きませんよ、とアピールしてみる。
効果の程は・・・
あまり期待できないけど。
「ダメ・・・では無いでしょうけど、こういった手続きは迅速に済ませる方がよろしいかと」
と、行きたくないアピールも効果なし。
不知火君は、行く気らしい。
・・・・・・・・・
警察署に?
今から?
・・・・・・・・・
ハッ・・・やだね。
絶対行きたくない。
今日はもう、このまま寝たい。色々あって疲れてんだよ。
眠いんだ。
「勃起丸様がお疲れなのは重々承知しております・・・」
不知火の顔が、少しだけ申し訳なさそうにしている。
「だったら・・・」
淡い期待が膨らむ。
「はい、送り迎えはこちらにお任せください」
お手間は掛けさせません、とにっこり笑いやがった。
・・・違う。
そういう事じゃない。
私が期待していたのは、そんな言葉じゃない。
しかも送迎は当たり前だ。お前がせずに、誰が運転するんだ。まったく。
しかし。
この流れは、もう行くの決まってそうだな。
これ以上は無駄な足掻きだろう。
「・・・はぁ」
ため息が出る。
せっかく風呂に入ったのに、また外に出る事になってしまった。
しかも警察に、だ。
私の仕事柄、あんまり関わりを持ちたくない所なんだけどね・・・警察って。
「分かった・・・準備するから、車で待ってて」
ソファから立ち上がる。
重い、体を引き上げる。
「かしこまりました」
不知火は元気良く、笑顔を残してリビングから出て行った。
少年が出て行った後、私は一人、居間に取り残される。
「一応、せろりに言っとくか・・・外出する事」
独り、ぼそっと呟いた。
風呂場の前で、私は立ち尽くしていた。
・・・・・・・・・
どうしよう。
洗面所に入ってから、何故か私は息を潜めてしまった。
今、風呂場の中には、せろりがいる。
せろりが風呂に入っている。
入浴中だ。
・・・・・・
嫌でも想像してしまう。
淫らな妄想が、私の脳内を駆け巡る。
ムフフ。
・・・・・・
でも、
「せろり・・・ちょっといいか?」
やめた。
そんな事をしている場合じゃない。
私の呼びかけに、風呂の中から、
「はい?なんでしょうか?」
と、ちょっとだけ響いた声が返ってくる。
「今からちょっと出掛けてくる・・・多分、遅くなると思うから、先に寝てて構わないよ」
曇りガラスの向こうにそう伝えた。
このガラス越しに中の様子を判断するのは難しいが、せろりは今、浴槽に入っているようだ。
その浴槽の中の影が、少しだけ動いた。
「・・・分かりました。それで、どちらに向かわれるんですか?」
せろりのその問いかけに、少しだけ口ごもってしまう。
「・・・警察署に。・・・けど、心配は要らないよ。私が捕まる訳ではないんだから」
「・・・・・・・・」
少しの沈黙。
けど、直ぐに、
「承知いたしました。それではお気を付けて、行ってらっしゃいませ」
と、いつもの調子で送り出してくれた。
「あぁ、なるべく遅くならないよう帰ってくるよ。・・・留守番、頼んだよ」
そう言い残し、私は洗面所を後にした。
少しだけ、何か勿体無い事をしたんじゃないかと、そう思わなくも無かったけど。
・・・まぁ、そんな小事はどうでもいい。
今は、少しだけ気を引き締めよう。
重い話が、待ってそうだしね。
・・・バタン
車のドアを閉める。
私は後部座席に座りながら、
「あ、そうだ不知火。お前にもう一つ聞きたいことがあった」
運転席で待っていた少年に声を掛けた。
「はい、何でしょう?」
不知火はハンドルに手を掛けたまま、振り返らずに答えた。
「お前・・・すずめちゃんの妹の事は知ってるな?」
「はい、ひばりとは何度か面識があります」
と答える不知火は、何だか寂しそうな雰囲気だ。
表情は見えないが、おそらくその顔は、複雑に違いない。
それでも私は、構わず続けた。
「じゃあ・・・そのひばりちゃんが機械だって事も・・・」
「はい」
即答。
「・・・そうか」
やはり、それを知った上で私に依頼を出したのか。
「聞きたい事って、それだけですか?」
押し黙った私の様子に、不知火がこちらを振り向く。
「いや・・・」
それだけじゃない。
私が気になっているのは・・・
「ひばりちゃん・・・あの首を吊っていた少女の事なんだけど、あの子は・・・」
とそこまで言って、
「ご心配は無用です」
と、不知火が口を挟んだ。
「あの子はちゃんと・・・土に還りました」
それもまた、寂しそうな物言いだった。
「勃起丸様が仕事をなさった後、僕がちゃんと確認してきましたから」
という事は、不知火はあの後、この山に登ったのか。
私は何となく車の外、屋敷を囲む山に目をやった。
真っ暗で、何も見えやしなかったけど。
「そうか・・・機械でもちゃんと自然に還るんだな・・・」
納得。
これでまた一つ、疑問が解消したよ。
気になってたんだ。機械であるひばりちゃんが、ちゃんと自然に還ったのか。
けれど、こいつが確認してきたのであれば、それは間違いないだろう。
視線を不知火少年に戻す。
「はい。姿形・・・どころか、着ていた服まで無くなっていました」
そこまで聞けばもう十分だった。
「わかった。もういいよ」
言って、私は口を閉ざした。
これ以上、聞く事は無い。
不知火も察したのか、車のエンジンを掛け始めた。
「それでは出発いたします」
それを言い終わる前に、私を乗せた車は走り出した。
警察署には、それから十分も経たない内に到着した。
時間も十一時の四十分といった所だ。
これだけ早く到着できたのも、ひとえに不知火の運転のお陰だろう。
こいつの運転の速いこと速いこと・・・
不知火少年の運転は、乱暴の一言だった。
アクセルベタ踏み。
片手運転。
ウィンカー出さない。
楽勝で速度オーバー。
・・・・・・
これから警察署に向かう車とは、到底思えない運転だった。
「お前の運転・・・酷いな」
警察署の駐車場で車のドアを閉めながら、私は少年に呟いた。
少年も同じように、運転席から出て、車のドアを閉めている。
「え?そうでしょうか?・・・普通だと思いますよ」
と、それこそ普通に笑っていた。
「・・・そうか」
普通らしい。
私の運転が、慎重すぎるらしい。
安全運転過ぎて、いつか事故を起こしちゃうんだろうな。
安全運転致死傷罪。
多分。
死刑だよね。
・・・・・・・・・
あぁ、嫌な世の中だ。
「勃起丸様・・・?どうかなさいましたか?」
不知火が何故か心配そうに、私の顔を覗き込んでいる。
「いや・・・何でもない」
「そうですか。・・・それよりも、少し急ぎましょうか・・・」
そう言って、不知火は腕にはめた時計を確認していた。
その時計が、また何とも高そうなやつなんだ。しかも、カッコイイ。
「もうすぐ面会時間が終わってしまいます」
急ぎましょう、と不知火は警察署の入り口へと駆け足で歩いていく。
私はその後ろを、とぼとぼ歩いていた。
視線を上げる。
そこには、見る者を威圧するかのように、巨大な建物が立っていた。
・・・警察署。
その入り口を二人の警察官が固めている。
木刀のような物を片手に、警察署に来る者を待ち受けていた。
不知火少年はそんな二人の警察官にも動じる事無く、一礼して中に入っていく。
ぺこり、にこっ・・・お邪魔します、って感じで。
至極普通に。
まるで百貨店にでも入るかのように、気軽に入っていった。
でも驚いたのは、そんな不知火の姿を、二人の警察官が見もしなかった事だ。
一度も目を合わせず、一瞥もくれない。
微動だにせず、前だけ見据えてそこに仁王立ちしている。
私はそんな二人の警察官に、少しだけびくびくしながら、
「・・・お、お邪魔します」
と、二人の脇を抜けた。
そこからの手続きは予想に反し、とてもあっさりとしたものだった。
警察署に入ってすぐの受付で来訪の用件を言い渡すと、所定の窓口へ案内された。
そこで渡された紙に、名前と住所と、あと職業を記入させられたんだけど。
正直、その身分証明には戸惑ってしまった。
職業・・・死体処理・・・って書く訳にもいかないじゃない。
それで、どう書こうかと迷っていたら、隣に居た不知火が、
「無職で良いんじゃないですか?」
と助け舟を出してくれた。
いや・・・うん・・・でも無職は、ちょっとね。
と思ったが、そこは致し方ない。
私は決心し、無職の大人になった。
・・・・・・・・・
でも、私が気を揉んでいたのはそこではなかった。
職業なんて、正直何でもいい。無職だろうと、どうってこと無い。
そんな事よりも・・・
龍精根 勃起丸
名前だ。
これ、どうしよう。
あえて先に書かなかった、空白の名前欄を見据える。
偽名は・・・
隣の少年を見つめる。
「・・・・・・・・・」
ふるふると、目を瞑り首を横に振っていた。
ダメ・・・なんだよね。
私は仕方なく、その空白にしていた欄に記入を始めた。
「え・・・と、りゅうせいこん、ぼっきまる・・・と」
丁寧に、しかし力強くそこに記入したよ。
記入し終えた用紙を、私は自信に満ちた表情で受付のお姉さんに渡した。
「はい、お預かりいたします」
そのお姉さんが、また綺麗な人なんだ。
丁寧な物言いといい、柔らかそうな体といい、警察署に置いておくには勿体無い美人だったよ。あと、眼鏡もその美しさを引き立たせているね。
めがね・・・良いよね、めがねって。眼鏡っ娘大好き。
そんな大人のお姉さんが、にっこりと微笑んで、私の記入した紙を眺めている。
「・・・・・・・・・」
やめて。
そんなじっくりと見ないで。
お願いだから、さらっと流して他の人に渡してくれ。あなたじゃない他の誰かに。
だけど、もう遅かった。
カチコン・・・
お姉さんの表情が固まる。笑顔のままで。
眼鏡の奥のそのつぶらな瞳が、私の名前の欄に釘付けだった。
でもさ、固まった笑顔なんて、それはもう引き攣ってるとしか言えないよね。
「りゅう・・・せいこん・・・さん、ですか。下の名前は・・・」
と、何とも微妙な視線を私に向ける。
あぁ、そこはもう良いです。
気にしないで下さい。
ほんとに。
私自身、その名前の不謹慎さは承知していますから。
「・・・何とお読みすればいいのでしょうか?」
しかし、そこはさすが事務方の人間。
こういった手続きはきっちりしないと気が済まないらしい。
「・・・ぼっきまる、です」
少しだけ控えめに、そう答えた。
「・・・・・・」
沈黙。
ああ嫌だ。
嫌な雰囲気だ。
何か色んな所から、嫌な汗が出てきたよ。
「わ・・・かりました」
何が分かったんだろう。私の名前が不謹慎だという事が、だろうか。
お姉さんは少しだけ、嫌な顔をしていた。
え・・・何言ってるの?この人・・・気持ち悪い・・・みたいな顔。
うん、分かる。すっごい分かるよ。
気持ち悪いよね。
私の名前って。
「それでは、そちらでしばらくの間お待ち下さい。面会の準備が整いましたら、お呼びいたしますので」
と、受付のお姉さんは、私達をソファやテーブルのある待合室へと促してくれた。
その言葉通り、私達は待合室へと足を運ぶ。
その途中、
「・・・なあ、不知火」
「はい、何でしょう?」
「私の名前ってさ・・・その・・・」
間髪入れず、
「えぇ、不謹慎ですよ」
笑顔で言った。
にっこりと、微笑みながら、
・・・あなたの名前は、不謹慎ですよ・・・と言った。
言い放った。グサッときたよ。
「・・・・・・そう・・・だよな」
納得。
・・・して良いのか?
分からない。
しちゃいけないとは思うけど、どうしようも無いからね。
そんな私をよそに、
「あ、コーヒーでも買ってきましょうか」
と、何とも気軽にそう訊いてくる。
何と言うか、こいつの神経はどうなっているんだろう。
不知火は笑顔で私の返答を待っている。
「あぁ・・・頼む」
弱弱しく答える。
もう、どうでもいいか。
そんな気持ちを抱えながら、私は待合室のソファに座った。
それからすぐに、
「龍精根・・・様・・・」
名前を呼ばれた。
・・・・・・・・・
その呼び掛けが、何とも歯切れが悪かった事など、言うまでも無い。
だが、気にせず。
その声の方を向く。
そこには、先ほどの眼鏡美女・・・ではなく、年配の女性が立っていた。
「お待たせいたしました。それではこちらに」
そう言って、彼女は受付の右側、二階へ続く階段の方に歩き出した。
それに遅れないよう付いて行く。
その後ろを、不知火少年が歩いていた。
階段に差し掛かる。
何となく、上の階からは重い空気が流れていた。
階段を上がる最中、
「・・・龍精根さん・・・でしたっけ?」
年配の彼女が口を開いた。
「・・・あなたは、あの子のお知り合いか何か・・・ですか?」
階段を先に上っていた彼女が、少し訝しげに訊いてきた。
「あ、いえ・・・」
言いかけた所で、
「・・・勃起丸様」
小さな声で、不知火に制された。
目を見ると、うまく誤魔化して下さい、と訴えている。
・・・はぁ、めんどくさい。
「あの子とは・・・その、幼少の頃からの付き合いで・・・まぁ、歳の離れた妹・・・と言った所でしょうか」
とりあえず、そんな感じのことを口走った。
その言葉に、
「そう・・・ですか」
と、彼女は一応納得してくれたみたいだった。
そして、そこからは一言も話さず、彼女は階段を上がっていた。
ふぅ・・・
何とか誤魔化せたか。
不知火と顔を合わせる。
少年も安堵の表情だった。
何でこんなにコソコソしなきゃならないのか・・・と思わないでも無かったが、そこは多分、ここが警察署だからなんだろう。
何となく、私や不知火からすればここは近寄り難い場所だしね。
まぁ、それは一般人も含めてみんな一緒か。
そんな事を考えている内に、
二階・・・三階・・・四階・・・
と、彼女はどんどん上の階へと上っていく。
どこまで行くんだろう、と思っていたら、五階で彼女の足が止まった。
「ここが、容疑者の身柄が拘留されている、拘置所です」
と、私達の方を振り向いた。
その言葉に、私も不知火も少しだけ息を呑んだ。
しかし、容疑者・・・ね。
そういう言い方をすると、本当に悪い事をしたんだな、としみじみ思ってしまう。
まあ、悪い事をしたんだろうけど。
人殺し。
それに親殺し。
確かに、改めてみると、結構重い罪状になりそうだな。
「それでは、私が案内出来るのはここまでです。面会室はこの通路の突き当たりになりますので、後の事は担当の者にお尋ね下さい」
彼女は、私から見て左側、階段を上がってすぐの通路の左の方向を示しながら、丁寧に説明してくれた。
そしてちゃんとお辞儀をして、上ってきた階段をまた同じように下りていった。
階段の折り返しの地点で、もう一度私に会釈をする。
その時だけ、私も彼女にお辞儀をした。
「・・・さて」
と頭を上げて、通路の方に視線を移した。
年配の彼女が教えてくれた、左側の通路、その突き当りを見据える。
「それじゃ、行こうか」
不知火を促す。
「・・・はい」
どこと無く、少年は緊張している面持ちだった。
気持ちは分からなくもない。
・・・だってそうだよね。
恋人が殺人犯、だなんて。
彼氏にしてみたら、かなりヘビィな話だもん。きっと。