大切な人が、一番好きです。
家に帰って、真っ先に驚いた事が一件。
玄関を開けてすぐの事だった。
「あ、おかえりなさいませご主人様」
せろりが居た。
「・・・・・・・・・」
時が止まる。
「・・・?」
せろりがこっちを見ている。
いつもの格好。
私の趣味のメイド服で。
いつも通り可愛らしく、とぼけた顔で。
死・ん・だ・は・ず・の・・・
「いぇやぁあああああああああッ!!」
純粋に死ぬほど声が出た。
腰を抜かしガタガタ震えた。
「・・・?」
そんな私をせろりがキョトンとした目で見ている。
「いやッ!ぅあ、ああ・・・、う、ぅぅううあぁあああ・・・」
そして泣いた。
訳も分からずせろりに抱きつく。
「きゃっ」
決してやましい気持ちなどでは無く、純粋に、せろりが可愛かったから抱きついたのでは無く、嬉しくて抱きついたのだ。
・・・おそらく多分。
「え?ええ、なにこれ、まじ?え!ど、どーいうこと!」
きょどる。
盛大にきょどッてしまう。
だって、死んでたもん。
せろりちゃん。
あの可愛らしくて、ロリで、金髪で、妄想の中で何度もアレした私のせろりが・・・
あの時は確かに死んでた。
・・・思い出すのも死ぬほどいやなのだが。
自分の頭を抱えたまま玄関に座っていた。
そして、私がその亡骸をベッドまで運んだのだ。
あの嫌な軽さが今でも感触として残っている。
なのに・・・何で、え?なんで?
何でここにいるのさ。
あれ?もしかして私死んだ?
今日の出来事のどっかで、私気付かずに命を落としてた?
そう言えば、結構危ない場面とかあったし、死んでてもおかしくないけど。
だとすれば、わたすは死んだ事にも気付かずに、ちょろちょろ鴎さんの後ろをついて行ってたのかな。あらやだ恥ずかしい。
何してんだろう、全く。
てことは、本当に、あ、死んだの?
あれ?マジで?てことは、ここアレかな?
天国的な、ねぇ。
え?死んだ?
マジで?
でも、せろりいるし。
いるし、せろり。
あれ、もう良いんじゃない?これで。
私死んでも良いんじゃない?
あれ、分からん。よう分からんなってきた。
・・・・・・・・・
わかんないよ、もう!
もう、このまま良いかなッ!
アッチに行っても。
もう良く分んないからさぁ!
嬉しいとか、安心したとか、驚いたとか、もうそういうの飛び越えて、やっぱりせろりは可愛かったとしか言えないんだもん。
こうして生きて目の前に現れただけで、もう、私は何か、よく分らんよ。
失禁とか、そんなレベルじゃ無い。失便だ。
あまりの驚きと嬉しさと可愛さで、あらゆる老廃物全部出たよ。全部。
いっちゃうよ?
無限の彼方に。
魅惑のアンダーザワールド。
・・・・・・・・・
「いっちゃダメです」
ぴしゃり、とその声で我に還る。
「・・・ッ!」
「もう、どこにもいっちゃダメです」
ぎゅ、とせろりの小さな腕に力が入る。
「・・・」
ぽろり。
涙。
「もうどこにも行かないで下さい・・・旦那様」
ひっく。
せろりが小さく嗚咽を漏らした。
頭を強く私に押し付け、小さく震えている。
「・・・せろり」
私も少し泣いた。
・・・・・・・・・
これは私の妄想では無い。
死んだと思っていた最愛が腕の中で泣いていて、失った筈の温もりがまだこの手の中に確かにあった。
この世で一番大切な人。
改めて実感できた。
何で?とかどうして生きてるんだ?とか、
そんな瑣末は一切、頭に浮かばなかった。
ただただ。
「・・・・・・よかった」
本当に良かった。
その小さな頭を撫で、これが現実である事を確かめる。
そんな私達を、玄関先で待っていた鴎が可笑しそうに眺めていた。
それからしばらくして、私は事の顛末をせろりから聞く事にした。
ちなみに鴎さんは、すずめちゃんを彼女の部屋まで運ぶと直ぐに、
「後始末をしてきます」
ただそれだけ言って、私の家から姿を消した。
文字通り、駆け抜けるコト疾風のゴトし。
一瞬でその姿は私の視界から消えていった。
・・・
何となく嫌な予感は残ったが、それでも私は彼女の背中を見送る事にした。
彼女自身の事だ。
私がとやかく言う事でもないし、多分それなりに危険な後処理だろうし。
色々心配だけど、多分私に出来る事は何も無いのだろう。
そう判断した。
決して、これ以上の面倒事は勘弁願いたいとか、せろりとの時間が大事過ぎるとか、そう言う訳ではないが・・・
もう何かどうでも良いからせろりとイチャイチャイしたいとかは多少あった。
「顔色の悪い人に、死にたくなかったら言う事を聞けって言われたんです」
ティーポットを傾けながら彼女は言う。
洋式の陶器から注がれるそれは、何故か緑茶だった。
「・・・?」
まぁいいか。何でも。多分せろりも疲れているんだろう。
それよりも彼女の淹れたお茶がまた飲めるとは・・・
じんわりとまた泣きそうになる。
「それでずっとクローゼットの中に閉じ込められてたんです」
その時の事を思い出してか、少し翳りのある表情でせろりが言う。
「え、クローゼットに?」
私は思わず自室の洋服入れを見てしまう。
「でも、閉じ込められてたって・・・その後どうやって出てきたのさ」
想像。
押し入れに少女を閉じ込めるとなれば、猿轡に荒縄で身体を縛る光景が目に浮かぶ・・・私は、もしかして変態か?
いやらしいか?
ジョークボールに、身体を縛られた金髪メイド。
・・・
企画モノのタイトルみたいだ。
・・・
違う違う。
だから、何らかの拘束があったから彼女は閉じ込められていたんだろ?
だったら何で、私がこの家に辿り着いた時彼女は平然と外に居たんだ?
「いえ・・・別に、縛られてたとかそういうのではないのですが・・・」
「・・・?」
「爆弾が爆発する・・・と、脅されました」
何故か申し訳なさそうにせろりが言う。
「え、爆弾?」
一瞬身体がビクッとする。
剣呑なワードに、私はキョロキョロと部屋中を見回した。
「はい、もし私が言う事を聞かなかったら・・・私と同じ顔をした人形がこの家を爆破する・・・と、その人が言ったんです」
その人・・・多分、あの研究所の彼だろう。
今となっては、最早どういった登場人物であるのかさえ分からない。
誰のナニで、どうしてああなったのかさえ、イマイチ私は把握して無いのだ。
でも何となく、多分彼だろうと思った。
「それで、本当にその人が私と同じ顔・・・の人形を連れてきたんです」
「・・・・・・それが」
あの玄関で自分の頭を抱えたせろりだったという訳か。
「それにしても」
それにしても、と今更ながらに思う。
アレは本物だった、と。
気が動転していたのは間違いない。
正常で無かった事を今でもはっきりと覚えている。
が、あの匂いは間違いなく人間のモノだった。
嗅ぎ慣れた匂い。
死の匂い。
血の匂い。
そして、せろりの微かな匂い。
全てが本物だった。
見慣れた使用人姿も、その腕に抱えられた小さな頭も。
全部。
せろりだった。
だから私は絶望したんだ。
この上ない悲しみを抱いたのだ。
「その人形・・・せろりから見ても人形だったか?」
言いつつ、私は目の前に座るせろりの顔や腕、耳を触ったり、口の中に指を突っ込んでアーンとかさせてみた。
「ひょうれすね・・・いんょうとぃうょりほんろうのにんえんいたいれした」
あぅあぅとせろりが頑張っている。
めっちゃ可愛い。
「・・・ふぅむ」
確かに・・・
見た目や、感触、色んなパーツを見れば紛う事無き人間、せろりだ。
「・・・・・・」
しかしだな・・・
私はここにきて、冷静にモノを考えだしていた。
最悪の可能性を。
人生の至上まで昇り詰めていた幸福感を、一気にどん底まで突き落とす可能性。
もう一度味わうかもしれない、絶望。
「・・・せろり」
「なんれひょう」
あ、ちょっとよだれが垂れそう。
もう止めとこう。
拭き拭き。
ハンカチでせろりの口元を拭いてあげる。
「いや・・・うん」
「・・・?」
聞こうか聞くまいか、真剣に悩んでしまう。
いや、聞く聞かないの問題じゃないのだが。
確かめなければ、いけないのだけど。
でも、怖い。
そんな話を聞いてしまうと。
今までの色々を振り返ると。
普通にありそうで。
「・・・めっちゃ怖い」
「どうしてですか?」
本当に、キョトンとした顔で。
せろりはやっぱ可愛いな。
つくづく思うし、本当に幸せです。
だから・・・
「いや、お前が本物なのかなって・・・」
言って、何となくせろりから目を逸らしてしまう。
「・・・・・・」
だってさ。
せろりそっくりの死体や人形を用意できるのであれば、可能性が出てきてしまうのだ。
やっぱり、あの時死んでいたせろりが本物で、いまこうして私とじゃれ合っているせろりが人形なのではないか、と。
疑ってしまう。
怖がってしまう。
どうしようもない・・・気持ちが残る。
「・・・あーそうですね」
せろりが何となく察したようにそう言う。
「言いたい事は、何となく」
せろりが似合わない神妙な顔で、
「確かにあの人形・・・?あの人?は私にそっくりでしたけど・・・」
「・・・うん」
「私は私です」
真っすぐな瞳でそう言い切った。
「うん」
可愛い。
やっぱりせろりだ。
「あの時は何が何だか分からない内に服を脱がされて、クローゼットに押し込まれたんですが・・・」
「・・・ッ!何だって!」
ふ・・・くをぬがされ、て。
え?
「はい・・・そのまま怖くて動けませんでした」
「・・・・・・・・・」
行くか?
いま?
いや、止めとこう。
冷静になれ。
「しばらくしたら旦那様が来たのが分かったんですが・・・爆発して死んじゃうのが怖くて・・・だからそのままジッとしてたんです」
「せろり・・・」
その時のせろりの姿を想像してしまう。
怖かったろう。
心細かっただろう。
そして、服が。
「そしたら私、そのまま寝ちゃってました」
えへへ。
恥ずかしそうに笑う。
「起きたら朝になってて、寝ぼけてドアを開けたんです」
「何でだよッ!」
爆発しちゃうよ!
言いつけ破ったら。
「すみません・・・つい忘れちゃってて。あ、でも結局爆発はしませんでした」
「うん。知ってる」
「それで、アッて思って、慌ててクローゼットに戻ろうとしたら・・・」
そこでせろりがまた苦い顔をする。
「ベッドの上で寝てた私とそっくりな顔を持った人形が突然動き出して、私の顔を持ったまま、私の所まで近づいてきたんです。それで・・・その持ってた顔が私に言ったんです」
「???」
あ、やべ、せろりの日本語がおかしい。
ちょっと理解出来ない。
「???」
少し早口で喋ったせいか、せろりも自分でも良く分らないといった感じになっている。
いや、多分説明は間違いないのだが、状況が異常だったのだろう。
「『嘘ぴょん(笑)』って笑いながら私の顔を窓から投げたんです、山に!」
「・・・・・・・・・」
「それで、そのままどこかに走り去っていきました」
はぁはぁ。
何故かせろりは肩で息をしている。
一気に喋り過ぎたのか。
こんなせろりを見るのも珍しいな。
せろりはそれから、私が帰って来るまでの事を延々と話していたが、・・・まぁそんなに大事な事は無かった。
ただ一生懸命に説明する彼女が可愛くて、ついつい最後まで聴いてしまう。
血の付いた玄関や廊下、部屋のベッドを綺麗にしたりとか、お風呂に入ったりとか。
使用人服を一着そのまま持ってかれたので、新しいのを出しましたとか。
とにかく心配だったのは私の事で、もし死んでいたら泣いてしまうとか。
微笑ましい限り。
そして、
「・・・とても心配でした。また怪我したらとか、もし死んじゃったらとか・・・けどやっぱり帰って来るって信じてましたから」
朝ごはんの用意だってちゃんとしましたよ。
そう言う彼女が、私には何だかとても眩しかった。
「ありがとうな」
素直にそう言うほかない。
「これもつとめです」
半分冗談っぽく、仰々しく頭を下げている。
そして顔を上げ、にこっとはにかんで笑った。
早朝の気持ちの良い光に、彼女の笑顔は抜群に可愛く輝いている。
「飯にしようか」
安心したらお腹が空いている事を思い出した。
「それよりも先にお風呂にどうぞ。ちゃんと沸かしてますから」
「でも腹ペコ・・・」
「お背中流しますから」
「よし風呂だ」
即決。
「・・・フフ」
「あはは」
「冗談です」
「知ってる」
顔を見合せて笑う。
「ちゃんと覗いてますから、安心して入って下さい」
「・・・うん、そっか」
ん?
覗く?
・・・・・・・・・
まぁ、良いか。
今日くらい。
何か疲れたし、覗かれるくらいどうって事ない。
ふにゃちん丸も極限まで疲れているから、興奮する事もあるまいよ。
思いつつ、私は風呂へと向かった。
「・・・はぁああああ」
湯船につかると声が出た。
なるほどやはりあの使用人は手際が良い。
「パーフェクトだ、せろり」
適温。
まるで体中の疲れが解けていくような感覚。
とても気持ちがよい。
バシャバシャと顔を洗い、一息吐いて、私は湯船のすぐ近くにある外窓に視線を向けた。
「・・・・・・・・・」
朝日の射しこむ窓際は、朝風呂ならではの贅沢な気分を演出してくれる。
しかしうちの風呂の窓は山肌に面している為、あまり光が差し込まない。
うっすらと明かりが風呂場を照らす程度だ。
そんな窓を見てしみじみ思う。
ここから始まったのか。
この一連の面倒事が。
「・・・そういや不知火はどうしたかな」
例のすずめちゃんの学校で別れてから一度も顔を見ていない彼の事を、少し心配してみる。
「どうでもいいか」
けど一瞬で、それも無くなる。
恋人が誘拐されたのにあいつは薄情な奴だな、とかそれくらいしか浮かんでこなかった。
・・・・・・・・・
結局、私達はあの血色の悪い青年に踊らされていたという訳だ。
例の研究所の現所長の・・・ナントかて言う青年。
残念ながら名前を思い出せないが。
奴がすずめちゃんを誘拐し、せろりを殺したように見せかけ、私と鴎さんを自らの場所まで誘導したのだ。
何の為かは分からない。
本当に彼の言うようにただ知りたかっただけかもしれない。
人間の心というモノを。
人間だけじゃない、全てのモノが持つその良く分らないモノを。
それが本当かなんてどうでも良いが、やらかした幾つもの危険な行為を鑑みれば、多分それも本気だったのだろう。
「・・・・・・・・・」
どうでも良い。
やっぱり疲れた。
「・・・ふぁ」
寝れる。
風呂に入ったままいつでも寝れる。
それくらい疲れた。
「・・・zz」
と、ほとんど寝かけていたその時、
ガララ。
「・・・ッ!」
ビクン。
突然の音に目が覚めた。
何だ?
「・・・あぁ失礼しました」
と、寝ぼけまなこの視界の端で、声が聞こえた。
「すいません。また入浴中に」
「・・・・・・」
声がしたのは窓の外からだった。
「・・・不知火か?」
もう驚かない。
多少寝ぼけてはいるが、あの時のように取り乱したりはしない。
「はい、その不知火です」
言って、彼が窓から顔を見せた。
相変わらずチャラそうな男だった。
「・・・いやお前、この前もそうだけど何でわざわざそこから声掛けるんだ?」
「ああ、いや・・・この間はほとんどわざとでしたけど、今日はたまたまこちらの方から来たので」
わざとか。
あの時私がどれほど怖い思いをし、どれほどの恥辱を味わった事か。
人前での自慰行為など、生まれて初めてだったのに!
・・・・・・・・・
いや、記憶が混濁しているな。
自慰では無い。
あくまで言い訳だ。
自分という尊厳を守る為の。
本当は、純粋に鵺に食われると思っていたのだ。
自分で思う。
馬鹿らしい。
・・・・・・・・・
「だからって何でまた見計らったように・・・」
「いやほんと、たまたままた入浴中でしたのでこちらから御挨拶をと」
「待てばいいじゃない。玄関とかでさ」
「急用でしたので」
「それでも常識がさ・・・」
あーもうなんか、めんどくさくなってきた。
「・・・でナニ?」
少し不機嫌そうに言ってやった。
「何の用さ」
これから私はせろりとイチャイチャ朝ご飯を食べるのだ。
邪魔をするなら、このふにゃちん丸を抜かざるを得ないのだが・・・
あ、ちょっと下ネタっぽい。
「事件です。それもかなりの案件」
彼はいつもの調子でそう言った。
「それならせろりに言えよ・・・いつもみたいにさ」
えい、特に理由は無いが両手を握って水鉄砲を不知火に向け発射する。
「・・・・・・・・・」
本当に冷めた目で見られてしまった。
こんな目で見られたのは生まれて初めてだ。
出来心の悪戯を、心の底から反省した。
いやごめん。悪気は無いんだ。
ただ脊髄が反射して、勝手にそういう事しちゃうんだ。
ほんとごめんね。
「いえ、彼女には言えません」
「・・・は、なんで?」
「それは・・・」
・・・・・・・・・
それから彼の口から出た言葉は、少なからず私を驚かせた。
「せろりは敵だったのです」
不知火はそう言った。
最初は何言ってんだこいつ、とか思ってしまったが、こいつは本気だった。
「彼女は危険です。というのも、僕彼女に襲われて、先程までそこに寝ていました」
「・・・せろりに?」
「そして気付いたら朝になっていて、風呂場から声がしました」
「・・・へぇ」
あぁ、こいつも疲れているんだな。
何か一生懸命説明しようとする姿が滑稽に見える。
何となくそのオチは見えるのだが、最後まで聞いてやることにした。
「すずめが誘拐されたという報せを聞いて・・・それで、いてもたっても居られずに屋敷まで来たんですが、そこでせろりに・・・」
「・・・・・・」
「ボッコボコにされました」
「・・・あぁ」
よく見たら顔の所々が青黒い。
「そいつは災難だったね」
「大変でしたよ!死ぬかと思いました!」
・・・・・・・・・
割愛。
多分、その襲ってきたせろりは例の人形だろう。
機械。
私達が来るまでの幾らかのタイムラグの間に起こった小さな出来事だ。
だからある程度聞いた上で、彼には真相を伝えたよ。
最初は、
「へ?」
アホみたいな顔をしていたけど、そこはこいつ少しは頭の切れる奴で、すぐに納得していた様子だった。
すずめの無事も合わせて知らせてやると、
「・・・ホントですかッ」
良かった。
良かった・・・と何度も繰り返し呟いていた。
その様子を見て、少し救われた気がした。
何か、誰の為にもならなかったハプニングだったけど、こうして元の形に戻ろうとしている事自体が、とても幸せな事だと、そう思えたからだ。
「・・・良かったな」
「はいっ・・・はい!」
いい加減、湯冷めしそうだな。
そう思い。
何度も何度も頷く不知火を、私は朝食に誘う事にした。
すずめはまだ自室で寝てる。
けど、その息は確かに生きている証拠だった。
せろりはもうテーブルの上に朝食を並べ終えていた。
濡れた髪をバスタオルで拭っていると、玄関の方から不知火が顔を出した。
「・・・あら?おはようございます」
せろりが普通に挨拶したのに、
「ひぃ」
彼は呻きを上げて、顔を顰めやがった。
「ははは」
笑ってしまう。
「座れよ不知火」
「・・・え、えぇ」
恐々と椅子に腰を着ける。
「大丈夫、多分ちゃんと人間だから」
笑い。
「多分って何ですか」
せろりがちょっと頬を膨らませた。
「はは。今度確かめとくよ」
「・・・もぅ」
「・・・はは」
不知火の乾いた笑い。
みんなの笑い声。
テーブルの上には温かそうな湯気が立ち上っている。
今日の献立は、何か良く分らないものだった。
美味しそうに湯気を立てる、その円錐のようなフォルム。
見た目はキャベツで覆われた山のようだった。
その上に肉が乗っている。
「あ、あーこれ何だっけ」
やべド忘れだ。
何か知ってるような気がする。
見た事ある。
「ふふ・・・アレですよ」
「コレ朝からキツイいんじゃ・・・」
不知火は知っているようだった。
恐る恐る箸を伸ばしている。
「ねぇ、せろりちゃん。何だっけこれ?」
言いながら、一口頬張った。
あ、うめぇ。
めっちゃ美味い。
豚や牛じゃ無いその肉。
何だっけコレ・・・ひつじかな?
けど不知火の言う通り、朝から食うモンじゃないような気もする。
腹に重そうな味付けだ。
「旦那様が食べたいって仰ったじゃないですか、ジンギスカン」
「あーッそれ!それそれジンギスカンだ、これ」
いつかのパーティで食べた料理だ。
そう言えば懐かしいな。
ホント遠い昔のような感覚。
「美味しいですか?」
「うん、すごく美味しいよ」
ふふ。
せろりの嬉しそうな顔。
隣の不知火はもうご飯をお代わりしている。
「・・・はは」
何だか、自然と笑えてきた。
昨日の事は少し忘れよう。
今はこの幸せを噛み締めたい。
口の中に広がるひつじの味を、私はしばらく覚えているに違いない。
「なぁせろり」
「はい。何でしょう?」
「今日の仕事は?」
この後すぐにでも寝るつもりだったけど。
冗談ぽく聞いてみた。
終り。
最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。