最愛を失う
帰り道。
辺りはもう夜の黒で染まり、街灯無しでは一歩手前も見えない程。
私の屋敷は山に囲まれているので、木々が鬱蒼とした道を歩かなければならず、一人で帰るには非常に心細くなる道だった。
「こんな道をいつも通ってるんだよな・・・」
一人、帰り道をトボトボ歩くすずめの姿が目に浮かんだ。
当り前の事だけれど、それでも今のすずめを思うと同情を禁じ得ない。
かわいそうに。
と、思ってはいけないと解っているのに思う始末。
自分もちゃんと人間なのだと感じた瞬間だった。
「・・・ん?」
そんなとりとめも無い事を考えていたら、何かが目に映った。
「なんだ?」
目を凝らす。
街灯の下に何かが置いてあった。
置いて・・・?いや、広がっている・・・かな。
弱弱しく灯る一本の街灯の下に黒い何か。
それは目の前の道に広がった染みのようなモノだったが、どうにも暗くてよく見えない。
「・・・・・・」
何となく気を付けながら近づく。
そして、
「・・・ッ!」
直ぐに気付いた。
その真っ黒なモノの正体。
死体だ。
いや、死骸か。
それは死んだカラスの亡骸だった。
木々に囲まれた細い道いっぱいに羽を広げたカラスの死骸。
それが目の前にあった。
「・・・・・・・・・」
立派なカラスだった。
何年生きたらここまで大きくなるのかは知らないが、それでも私の知っているカラスの中でも一番大きなカラスだった。
それが目の前で死んでいる。
車にでも轢かれたのだろうか、広げた羽の所々が不自然に折れ曲がり、夜の暗がりの中に在っても艶を放つ漆黒の羽も無残に毟られていた。
そんな惨い姿に変わり果てていても、そのカラスは存在感を放っていた。
私はそのカラスをじっと見ていた。
・・・見てしまった。
そして。
「・・・・・・・・・」
無性に不安になった。
気が付いたら私はもう走り出していた。
やばいやばいやばい。
一瞬で頭の中がかき乱された。
吐き気がする。
走りながら私は屋敷の住人達の事を考えてしまう。
かき消す。
嫌な想像と、温かい思い出も。
そのどちらも、今だけは考えちゃいけない事だ。
とにかく何も無い事を祈る。
それだけ。
それ意外な何もいらない。
・・・・・・・・・
偶然あそこでカラスが死んでいただけ。
そう、偶然だ。
解ってる。
別になんて事も無い。
生きている物は死ぬし、死んだら死体が出来あがる。
自然だ。
何の不思議も意図も感じない。
・・・・・・・・・
でも。
何でこんなに気持ち悪い?
五分ほどの全力疾走の後、私の体は屋敷に到着した。
「はぁ・・・ッはぁ・・・」
久々の全力疾走の為、完全に息が上がっていた。
脇腹どころか体中に痛みを感じる。
が、事態はその痛みすらも私から消し去っていった。
「おい・・・嘘だろ」
屋敷の玄関の前に立ち尽くす。
灯りの無い、真っ暗な屋敷の前に。
カラスの死骸と久々の全力疾走のせいで、私の頭ん中が良い感じに混濁しているのは認めるが、それでもこれが異常事態だという事は分かる。
だって。
「・・・はぁ、はぁ」
せろりが灯りを消して私の帰りを待つなんて、今まで一度も無かった事だ。
ここに住むようになってから五年・・・もうすぐ六年が経とうとしているけど、そんな事一度だってありはしなかった。
それは私が一番良く知っている。
いつだって、どれだけ帰りが遅くなっても・・・
「・・・は、はっ」
震える手で玄関を開ける。
どれだけ私が勝手な事をしても・・・
玄関が静かに開く。
中から外の空気と同じくらい冷えた空気が流れだし、私の顔を静かに撫でた。
「・・・・・・・・・」
そう。
いつだってこんな風に笑顔で迎えてくれたんだ。
温かい。
せろりの笑顔で。
「ぅ・・・」
邂逅。
「・・・うぁああああああッッ」
絶叫。
嘔吐。
失禁。
悲しい。
痛い。
辛い。
寂しい。
淋しい。
涙。
号泣。
悲しい。
せろりが、そこで。
「・・・ぅぁぁぁ」
死んでいた。
しばらく。
・・・・・・・・・
泣いた。
ひとしきり泣いた後、私はせろりの遺体を寝室に運んだ。
彼女の体はやっぱり冷たかった。
彼女を抱き抱えている間、何で?とか、誰が?とか、どうしてこうなった?とかは存外考えなかった。
それ以上に、ああやっぱりこいつは軽いんだなぁとかそんな事を考えていた。
「・・・よいしょ」
彼女の体を私のベッドに横たえる。
そして・・・
「この辺で良いか」
せろりの頭部を彼女の首の傍に置いた。
・・・・・・・・・
玄関を開けて直ぐに、わたしは全てを突き付けられた。
笑顔のせろり。
・・・の頭を抱えて正座するせろりがそこに居た。
それはつまり、自分の頭を抱えたせろりだった。
私が直ぐに事態を飲みこめたのも、彼女が使用人服を着ていたのが大きい。
直ぐにせろりだって解った。
そして彼女が死んでいる事も明白だった。
頭部の無い身体。
首から下に真っ赤に染まったエプロン。
蒼白。
それが私を迎えてくれた、せろりの最期の姿だった。
・・・・・・・・・
まぁ、人の生き死には私の日常でもあったんだけど、まさか身内が死ぬとは毛頭考えもしなかった。
それがこんなにも苦しい事だという事も。
「・・・・・・・・・」
離れてしまった頭に毛布を被せた。
その瞬間、押し殺していたモノがまた溢れてくる。
「・・・ぅ」
泣くまいとするが流れていく。
勝手に。
勝手さ。
「せろりぃ・・・」
嫌でも彼女の顔を思い浮かべてしまう。
五年前、初めて会った時の事。
可愛らしいお河童頭も今ではこんなパツ金だよ。
いつの間にか成長していて、いつまでも子供じゃないんだろうな・・・なんて勝手に思ったりもしたよ。
それでも・・・
「ぅう・・・」
それでもまだ子供だったろうに。
「・・・くそっ」
無意味にベッドを殴ってしまう。
そんな事をしたって何も変わらないのに、どうしようもない怒りは何処からともなく込み上げてくる。
誰にぶつける事も出来ない怒り。
自分への怒り。
こんな残酷な事をした人間への怒りでは無い。
何も出来なかった自分への腹立たしさだ。
「それでも・・・」
ベッドに蹲りながら一人つぶやく。
「それでもまだ・・・私に何か出来ると言うのかい?」
顔を上げる。
そこに一つの影が在った。
灯りをつけていないので部屋中真っ暗だったけど、そいつの存在は部屋に入った時から気付いていた。
いや、部屋に入る前じゃ無いな。
もっと前。
そう。
せろりが死んでいると解ったあの時から、彼女はずっと私の傍に居た。
彼女を運んでいる最中もそう。
せろりの頭を運んだのだって実は私じゃ無くて彼女だった。
それでも、いつまでもめそめそしている私に気を遣い、彼女はずっと黙って見ていてくれた。
有り難かった。
本当に有り難かった。
「・・・なぁ」
そんな彼女に、私はみっともなくすがっていた。
「・・・・・・」
それまで黙っていた彼女が、一歩、前に踏み出す。
暗がりの部屋、窓から射す月明かりに彼女の横顔が照らされた。
「結論から言えば、雀様を救出する事が私の・・・そして貴方にとって最後の存在意義だと推察します」
そう、ひどく事務的に彼女は言った。
「そう・・・だよな」
私も、それしか今はやるべき事が無いのだと理解している。
「それじゃあ案内してくれるかな・・・?」
力は入らないが、それでも何とか立ち上がる事は出来た。
そんな弱弱しい私を見て、彼女が薄く笑ったような気がした。
「最愛の人を亡くす、という事がどのような心情かを察する事は機械の私には出来ませんが、それでもこの身体の何処かにそれは在るのだと思います」
言って、彼女・・・鴎は機械の身体に手を当てた。
それは何と言うか、とても神秘的な光景だった。
せろりが死んだ直後、というより彼女の遺体の前でこんな気持ちになるのは甚だ不謹慎だとは分かっているが、それでも一瞬、私は鴎のその仕草に見蕩れてしまった。
彼女はちょうど人間でいう心臓の辺りに手を当て、
「雀様をお守りしたい、しなければならない。それがあくまで私達道具に与えられた使命であっても、それと同じくらい強いモノが・・・雀様を失いたくないという何かが機械の私達にもあります」
それが・・・
言いかけて、彼女は首を振った。
それも、薄く笑った顔だった。
そんな彼女に私は何を言えば良いのだろう?
「・・・それは私達人間も一緒だよ」
そう言うしかなかった。
「それを証明する事は、誰にも出来ない」
そんな曖昧な表現に逃げた私を、彼女は柔らかく見つめていた。
「・・・そうかもしれませんね」
多分、感情表現の一つとしてインプットされているのであろう、あくまで機械的な笑顔で、それでも魅力的だと思える女性の笑みで彼女は頷いた。