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それは突然訪れた、いわゆるハプニングという生命の神秘 

 ・・・とは言ったものの。

「さて・・・どうしようか」

腕を組み、校門の壁に寄り掛かる。

すずめの身に危険が及びそうな事態は把握しているが、じゃあ具体的に何をすれば良いのか、と言われても別に妙案がある訳でも無い。

学校に連絡して彼女を帰宅させる事も出来るが、あまり事を表立てるのは好ましく無いのだ。

彼女の学校での環境に対してもそうだし、例の研究所や警察機構の方々もそういった不審な動きには敏感に対応してくる事だろう。

だから、取り敢えず授業が終わる時間まで待つ事にした。

これから何をするべきか、それはすずめに会ってから考えよう。

「・・・」

腕の時計を見ると午後三時四十分くらい。

高校生がどのくらいの時間で帰宅するのか把握していないが、すずめちゃんはいつも五時前には屋敷に着いている。

だから時間的にはもう少し、あと三十分くらいで出てくる筈だ。

そう思い、私は少しの間ただボーッと白い校舎を見上げていた。



 『 それは突然訪れた、いわゆるハプニングという生命の神秘 』



私は待っている間、ただボーっと校舎を眺めているのも暇だったので校内を散策する事にした。

軽い気持ちでね。

・・・まぁその時点で既に私の思考は一時停止していて、別駆動に切り替わっていたのだけれどね。

ただそうは言っても、部外者の中年の男。

学生でも無ければ教師でも無い私は、言わばただの不審者だ。

散策する事にした・・・と偉そうに決めたのは私だが、別に学校から許可を得ている訳でも無い。

だからもし誰かに見つかったりしちゃったら、直ぐ通報されるだろうね。

けど、その時の私はそんなこと少しも考えちゃいない。

ただ漫然と、ぶらぁーとするかぁ・・・と呑気に思うだけ。


「ん・・・ここは女子高かな?」

校門を離れ校舎に近付くにつれ、一階の教室なんかが見えちゃったりしていたんだけど、どうもそんな感じがする。

遠目からは判別しにくいが、髪の長い生徒が多い。

極限まで近づけばはっきりするだろうが、まぁ・・・今はそんな危険を冒す必要は無いな。

私はその教室を横目に(距離にしておよそ五十メートルくらい手前で)くるっと方向転換した。

特に目的地がある訳でもないのに、私の歩調は軽快だった。

昇降口や職員室、校庭の隅の誰かの銅像なんかを眺めながら、ただただ歩いた。

まぁあくまで時間つぶしさ。

すずめちゃんが学校から出てくるまでのね。

そう思いながら、ただ歩く。

ひたすらに。

目的地を定めずに歩くのは、存外嫌いじゃない。

冬枯れした木々に囲まれた校舎の中、ゆっくりとした時間が流れていく。

・・・・・・・・・


保健室を覗き、体育館を眺め、部活動に勤しむ生徒達(この時点で私はこの学校が女子高だと確信していた)を観察し、理科室の独特の雰囲気を堪能したあたりで、

「・・・ふぅ、落ち着こうか」

自分がかなり危ない橋を渡っている事に気が付いた。

気付けば、いつの間にか私は医者が着ている様な白衣を身に纏っていた。

何故だ?

理科の教員にでもなったつもりだろうか。

「馬鹿な・・・」

いつどこで手に入れたのかも分からない白衣を脱ぎ棄てる。

そして周りを見渡す。

「・・・」

無音。

理科室は無人だった。

誰も居ない理科室で、私は一体何をしていたんだろう?

あまりに無意識に歩き過ぎてここまで来たが、その意図が私には解らない。

自分の事ながら、全くの無意識だった。

最初は軽い散歩のつもりだったのだけれども、途中からの記憶が曖昧なんだ。

これはそう、アレだ。

夢遊病だ。

白昼堂々、私は夢の中で散歩をしていたのだ。

危なすぎる。

奇跡的にここまで誰にも見つかってはいない(・・・というのはあくまで私自身の認識で本当は既に誰かに見られていたかもしれない・・・)が、このまま行くとまず捕まる。

警察に逮捕される。

不法侵入、迷惑行為防止条例違反、覗き、盗撮、窃盗に盗撮。

何やらかんやらの罪に問われ、社会的に抹殺されるんだろう。

「まずいな・・・」

冷や汗がこめかみを伝う。

逃げなければ。

唐突に湧き上がるその感情が私の脳を支配した。

しかし同時に、私は大きな問題も抱えていた。

「・・・・・・」

ここは何処だ?

理科室だという事は何となく分かるが、ここが校舎のどの位置に在るのかが見当もつかない。

急いで理科室の窓から外を確認したのだが、どうも一階では無さそうだった。

少なくとも三階。

下手をすれば四階くらいの高度が窓から地面まであった。

私はその事実を確認すると同時に、自分が結構な時間校舎の中を歩いている事に気が付いてしまった。

教室の壁時計は既に四時をまわっている。

時間にしておよそ三十分。

ただの時間潰しの散歩のつもり(結果的に時間は潰せた)が、壮大な不法徘徊ロードになってしまった。

不審者気分も甚だしいとはまさにこの事。

言い訳のしようも無く、即逮捕だ。

「・・・考えろ、最善の一手を」

押し殺した声でそう呟く。

ここはどう見ても校舎の中。

ここから誰にも発見されずに脱出する事が、今の私に課せられた任務だ。

見つかれば死。

それが背中に張り付いたまま、私はここまでの道程を必死になって思い出そうとしていた。

頭の片隅では、もう既にすずめちゃんは帰ったんだろうなと思っていた。

本末転倒。

不知火少年に顔向けできない。

・・・・・・・・・

いはやは夢遊病とはげに恐ろしきかな。

意識を断絶させたまま、身体を動かす。

その時の意思はじゃあ一体誰の物なのか?そんな論争まで勃発する始末。

混乱。

その極み。

「考えろ」

一ミリも打開策が思いつかないまま、私は理科室をウロウロしていた。

その時、

「・・・ん?」

私の目に、何かが飛び込んできた。

「こいつは・・・」

それが・・・この窮地を更に壊滅的なレジェンドへと導く勇者の登場だった。




 ・・・最終兵器・アポロ君・・・

その人体模型にはそう名が記されてあった。

多分、誰かのイタズラだろう。

しかしイタズラにしては結構手が込んでいて、それはしっかりとした金属製のネームプレートだった。

それが彼を保護しているガラスケースに添付されていた。

「ア・・・ポロ・・・君?」

恐る恐るそれに近付く。

一見してただの人体模型のようだったが、どうも違う。

「こいつ・・・」

その人体模型・・・アポロ君には明らかに不可思議な点が幾つかあった。

まず目。

普通、人体模型と言うと、どうにも作り物っぽさが残る虚ろな目をしている筈なのだが、こいつは違う。

一味違う。

アポロ君の目は三白眼だった。

非常に好戦的な目をしており、今にも掴みかかって来そうな危険な雰囲気を漂わせている。

おまけにちゃんと眉間にしわが寄っているのだ。

ガン見。

それだけでも異様っちゃ異様なのだが、まだ足りない。

アポロ君はまだ先を行く。

視線を顔から胴体に下ろしていくと、また違和感。

と言うか違和感。

人体模型なのだから身体の半分は内臓や筋肉を露出させた少々グロテスクな仕様になっているのは分かるんだけど、彼の内臓、なんか違くね?

「・・・・・・・・・」

ジーッと極彩色で彩られたそのパーツを凝視する。


ホルモン。


真っ先にその文字が目に飛び込んできた。

「ホルモン?」

うん。

まぁ確かに。

その辺あまり詳しくは無いけど、内臓関係って大体ホルモンって言うしね。

うん。

・・・そうなのかな?

とにかくアポロ君の大腸辺りにホルモンと書かれている。

そして。


加速装置。


彼の心臓には、そう記されていた。

「・・・・・・・・・」

三白眼のアポロ君の心臓は、どうやら加速装置らしい。

見た目はあまり変わらないけど、恐らく彼の心臓は別仕様なのだろう。

改造に改良を重ね、世界最速の心臓を作りだしたに違いない。

その速度は毎分八百万回という驚異のスピードでビートを刻み、我々人類の想像を遥かに超えるスピードで全身に血液を送るのだろう。

「・・・すごいな」

素直に感心する。

彼を作りだした製作者に敬意を表したいくらいだ。

しかし、そんなに速く鼓動を刻む心臓にもリスクがある事くらい、私も予想している。

恐らく、アポロ君がその加速装置を起動させれば、その一瞬だけは世界最速の身体機能を手に入れられるのだろうが、その代償として、彼は一瞬の内に老衰し死に至るのであろう。

それは想像に難くない。

大きな力には、それに伴う代償が付き物なのだ。

だから多分、隕石とか宇宙規模の侵略とか先進国同士の戦争とか、この世界が危機に陥った時なんかに彼はその力を発揮するんだろう。

そして死ぬ。

身を挺して世界を守ったアポロ君の名が未来永劫語り継がれていく世界を、私は何となく想像してしまった。

「・・・アポロ君」

じんわりと胸に温かい気持ちを抱きながら、私は彼の名を呼んだ。


「・・・・・・・・・」


三白眼の彼は、それでも私の事を睨んでいた。

そんな偉大なる身体を持つアポロ君のその他の臓器は、あとは大体野菜だった。

「人参とジャガイモ・・・それにバナナか」

バナナは野菜だっけ?

とかそんな軽い疑問も浮かんだけど、別に気にもならない。

アポロ君の腹ん中には人参ジャガイモを筆頭に、ナスや玉ねぎ等ポピュラーな野菜がふんだんに詰め込まれていた。

そして、とても不自然な位置にバナナが添えてあった。

何が不自然かと言うと、そのバナナ、内臓周辺では無く身体の外部に添えられているのだ。

そうだね、ちょうど下腹部くらいかな。

しかもそのバナナ、ちょっと時間を置き過ぎたのか少々熟れ過ぎている。

バナナと言ったら黄色が一般的だけど、そのバナナは既に茶色だった。

おまけに皮にも張りが無く、しわしわとだらしなく萎れていた。

その様相は、まさに・・・


「ここの生徒も大概だな、人体模型をこんな卑猥な使い方して・・・ん?」

何かを言いかけて、私の目がある物に止まった。


 『※注意!このボタンは必要以上に押さないで!※』


小さなメモ用紙がアポロ君の入ったガラスケースの下の方に貼られている。

「何だこれ?」

不審に思いそのメモ用紙を剥がすと、そこには小さな赤いボタンが付いていた。

「・・・?」

首を傾げる。

人体模型に、何かのスイッチ。

ボタンの後ろからは何本かの配線がアポロ君の体に接続されている。

いかにも過ぎて笑ってしまうが、このボタンを押したらアポロ君が動き出すのだろうか・・・

「・・・まさかな」

真っ先に想像した笑える光景を、頭の中でもみ消す。

だいいち、こんな体中に野菜を詰め込んだ奴が突然動きだしたら、その辺野菜だらけになって後片付けが面倒だろう。

それに私は、片付けや掃除なんかが大の苦手なんだ。

もしスイッチを押してアポロ君が動き出し、嬉々として理科室中を走り回ったりなんかしたら・・・そうなったら目も当てられない。

うん。

多分、ボタンを押したら臓器や各部位の説明などが音声で流れるんだろう。

うん、うん。

そうに違いない。

何のスイッチかは見当も付かないが、恐らく私の想像するような笑える事にはならないだろう。

地味な音声ガイダンスだ、きっと。

そうと分かれば恐れる事は無い。

「・・・えい」


・・・ポチ。


躊躇い無く、私はそのボタンを押した。

・・・・・・・・・

押してしまった。




 数秒の後。

「・・・・・・・・・」

三白眼の彼の身体が、


ガタガタ・・・・・・・・・ガタガタァッ・・・ッ!


激しく震えだした。

「・・・ひっ」

アポロ君の突然の豹変っぷりに、私は思わず息を飲んでしまう。

「な、なんだ・・・」

恐る恐る、ボタンを押した指を引き寄せる。


ガタガタガガガタガタ・・・


アポロ君の身体がガラスケースの中で揺れている。

ビグンッビクンッ・・・と時折強く跳ねたりもした。

「おい・・・どうした?何だよ・・・おい」

訳も分からず、私はガラスケースから一歩後ずさった。

しかし彼の動きは止まらない。

ガクッガクッと頭を前後に振り、ガラスケースに強く頭を打ち付けていた。。

その様相はまさにモンスター。

三白眼が一際鋭く光って見える。

最早、檻を壊そうとしている獣にしか見えない。

「ひぃぃいッ」

いよいよヤバいなと思って、私はその場から脱兎の如く逃げようとしたが、それをアポロ君は許さなかった。


ガンッ!ブジュ・・・ッシュゥゥー・・・・・・


一際大きな音が理科室に鳴り響いたかと思うと、次の瞬間にはアポロ君の動きが止まっていた。

「・・・え?」

振り返りアポロ君のガラスケースを見つめる。


「・・・・・・・・・」


あれほど激しく脈動していたのが嘘のように静止している。

しかしその止まったアポロ君の姿が、より一層不気味だった。

より一層私の恐怖心をかき立てた。

直ぐにでも再起動しそうなその雰囲気もさる事ながら、ダランと項垂れた頭が何とも怖い。

突然頭を上げたりなんかしたら、確実に失禁する。

「マジで何なんだよ・・・」

そう呟いた次の瞬間、


ガジュッ・・・


何かが潰れる音。

「・・・ッ!」

次いで、


ギジュッギチ・・・チチチ・・・ブシュッ・・・


すり潰したような音が響く。

何の音か分からず、とにかくアポロ君の方を注視していた。

そして、

「・・・はっ!」

私は気付いてしまった。

音の発生源に。


ブチュ・・・ブチュ・・・


異音が響く理科室の中、それは彼の内臓で起こっていた。




 結論から先に言えば、彼・・・最終兵器アポロ君は壮大なスケールで設計された、人体模型型ミキサーだった。

人体模型を模したミキサー。

いや、人体模型に扮したミキサーと言った方が正解か。

いやいや・・・どちらでも構わんが。

どちらにしても良く分らん。

製作者の神経を疑うよ。


「うっわ・・・」

それはあまり気持ちの良い映像では無かった。

アポロ君の内臓に詰め込まれた野菜が徐々に下腹部の方へと姿を消していくのだ。

ブチュ・・・ッと音を立てながら、野菜達が静かにすり潰されていく。

その速度はあくまで緩やか。

普通のジューサーやミキサーに比べればかなりゆっくりとした光景。

そう、例えるなら、丸呑みした野菜が胃や小腸で消化されていくような。

それはつまり、人間が物を食べて消化する工程。

まさにそれ。

アポロ君はそれを体現している。

そしてその消化された野菜が行きつく先は・・・


・・・ガガガガガ・・・・・・ン・・・ブジュッ!


肛門。

そして排泄。

食べ物の一方通行だ。

「・・・・・・・・・」

良く見れば、アポロ君のお尻にはそれらしいノズルが付いていて、その下には出来たジュースを入れるビーカーが置いてあった。

「・・・・・・」

ひどい。

素直にそう思う。

悪趣味過ぎて気持ちが悪い。


ブジュジュジュ・・・ボトッ!


時折、固形物の音も織り交ぜながらアポロ君の肛門から新鮮?な野菜ジュースが生み出されていく。

色合い的にはアポロ君の体内に貯蔵されていたニンジンの赤が強いのかな?

赤黒い液体がそこにあった。

「・・・・・・・・・」

ひとまず凝視。

見れば見る程気持ちの悪くなる色だった。

と言うかジャガイモが粉砕されずに浮いているのが非常に気になった。

まず飲めない。

そう強く思う。

大体市販の野菜ジュースは野菜百パーセントでは無く、味や色合いを整える為に果物や着色料を添加しているのが普通だ。

しかしこれは違う。

これは野菜百パー。

しかもいつ詰め込んだのかも分からない鮮度不明の野菜だ。

危険。

味なんて想像するだけ無駄だろう。

きっと苦い。

そうに違いない。

苦いだけじゃ無い、身体にもきっと悪い筈だ。

身体に良い物があんなに赤黒い色をする筈が無いだろッ・・・

毒だ。

まさに毒なんだよこの色は。

「捨てよう」

思い立ったが吉日。

私はアポロ君の背後にまわりビーカーを手に取った。




ビーカーの中身を理科室の流し台で捨てている最中も、背後の方からビチャビチャと汚い音が鳴り響いている。

「・・・・・・」

その都度気になって振り返りたい衝動に駆られたが、どうせ例の三白眼で睨まれるだけなのでじっと我慢した。



ゲロ不味そうな液体を捨て終わった私はいよいよ退散しなくてはと思い、振り返り理科室の入口に目を向けたのだが、


カツコツ・・・カツカツ・・・

「・・・ッ!」

やべ。

誰か来た。

生徒だろうか・・・

足音が理科室のすぐ傍で聞こえる。


カツカツ・・・


「・・・・・・・・・」

私は息を殺し、じっとその足音が通り過ぎるのを待った。

人影が教室の窓に映し出される。

擦りガラスなので生徒か先生かまでは分からないが、かなり背の低い人物だった。

多分生徒だろう。

いや、そう思うのは早計かもしれない。

世の中には色んな人間がいる。

いやまぁ、どうでも良い。

例えこの背の低い人物が先生であっても生徒であっても、理科室で見知らぬ男が隠れていたら、よっぽどの事が無い限り冷静に通報するだろう。

もしそんな事になれば、せろりに顔向けできない。

「・・・・・・」

だからここで見つかる訳にはいかないのだ。


・・・と私が必死で見つかるまいとしているにも拘らず。


・・・ン・・・・・・ブシュッ!


アポロ君は未だに腹ん中の異物を排泄しようとしているのだ。

もう残り少ない野菜達をこれでもかという程、床にぶちまけている。

あー・・・もうマジでそれ以上汚したら完全にウンコじゃん。

なんて呑気に思ってたら、案の定。


カツ・・・


足音が不意に止まった。

もう少しで理科室を通り過ぎようかという所で、人影が止まる。

「・・・・・・」

あの野郎のせいでどうやら廊下の人物まで排泄音が届いてしまったらしい。

擦りガラスの向こう側で人影が微かに動いている。

マズイ・・・

本格的に見つかるパターンだ。

私はとにかくその人物に見つからぬよう気配を殺し、身体を理科室の机の中に潜り込ませた。

理科室の机が多人数用の物であった為、何とか私の体一つ分くらいは隠れそうだった。

また窓際の手洗い場の近くなので、幸いにして廊下側からは死角になる。

ひとまず、これで何とかやり過ごさなければならない。


ガララッ。


私が机の中に身を隠したのとほぼ同時に、理科室の扉が開かれた。





 「おや、変ですねぇ」

扉を開けて第一声、かなり若い女の子の声だった。

「んー・・・なんででしょう、アポロ君が勝手に動いちゃってる・・・んー」

訝しげる彼女。

私は机の下に隠れているので表情が読めないが、間違い無くこの理科室の異変に不審感を抱いているようだった。

ドキドキする。

同じ空間にいる緊迫感が私の体を駆け巡った。

バンダナを巻いた彼もこんな気持ちだったのだろうかとふと思ってしまう。

「まーいいです。しかし誰でしょうねーこんなに散らかしちゃって・・・後片付けまでちゃんとやって欲しいものです」

と言って、彼女はつかつかと教室の中を移動し始めた。

「・・・ッ!」

更に高まる緊張感。

私の潜伏している位置とアポロ君と女の子の場所は教室の対角線上にある為そうそう見つかる事は無いと思っていたのだが、彼女に動き回られると私の身が危うい。

・・・と思いながら、

「・・・・・・」

不意に視線を目の前の手洗い場へ向けてしまった。


「・・・なんと」


私はその時、自身の致命傷を発見してしまった。

目の前には流し台、そしてその横に掃除用具箱。

流し台の方には先程私も使った雑巾が何枚も掛けてあった。

そして彼女がさっき言った言葉。


あと・・・片付け・・・


つかつか。

足音が真後ろまで迫っていた。

心臓の鼓動が一気に駆け上がる。

そして。


「ふーん・・・ぞうきんはあったかなー」

呑気な声が頭上から聞こえた。


「・・・・・・」

この時の私の思考を表すならば、まさに無我。

極度の緊張と恐怖と女の子の声で、トランスしていた。

手洗い場の端に、今女の子の脚が見えた。

華奢と言うよりも骨と皮だけのようなか細い脚。

それを覆うスカート。

どうやらここの生徒らしい。

すずめちゃんと同じ学校指定のスカートのように見える。

「それじゃーちゃっちゃとやっちゃうかー」

可愛らしい声と共に目の前でスカートの端がひらひらと揺れる。

机のせいで腰より上が望めないが、それがまた私の想像をかき立てた。

・・・・・・・・・

この時点で、私の戦いは最早別の物にすり替わっていた。

「・・・ぅ・・・ぅぅ」

耐えろ。

「ふーん♪」

耐えるんだ。

「ぅ・・・」


ひらひらと舞うスカート。

細くて白い脚。

私はついつい、生後一か月の仔猫のように目の前の物体につられて首を動かしていた。条件反射みたいなもんさ。

というかこれ、少し視線をこうやってさ・・・


「・・・ぅぅぅ」

床に這いつくばり、限界まで顔を真上に上げる。

狭い机の下のスペースなのでかなり私の体はねじ曲がってしまったが、その時の私はそんな苦痛などものともしなかった。

・・・あとちょい。

「よーしやるかー」

「んぅぅうう・・・」

・・・もう少しなんだ。

もう直ぐそこにJKのシークレットゾーンが・・・


「ん?」

「・・・あ」


やべ。

・・・・・・・・・

やっちまった。




「あらら変態ですね」

目が合った彼女は視線を私に向けそんな有り難いお言葉をくれた。

「・・・えぇまぁ」

床に顔を限界まで張り付かせた状態で私は何となくそう答えた。

多分、いや間違い無く自覚がある。

変態だという自覚がね。

「・・・」

「・・・・・・」

微妙な沈黙が流れる。

・・・・・・・・・

絶望。

そして破滅。

その文字が私の脳裏に浮かんだ。

何とも言えない暗い感情が足元からせり上がってきたが、一方で脳内からは大量の快楽物質が発生していた。

私は社会的地位(実際そんなモノは無いけど)と引き換えに、何物にも代えがたい勝利も手にしていたのだ。

フフ・・・

私はこの時点で既にスカートの中身を把握している。

一瞬過ぎて曖昧だが、確かに私の目はそれを捉えていた。

・・・白と緑のグリーンマイル。

私はその一瞬に永劫を感じた。

勿論、今現在そのグリーンマイルを拝む事は出来ない。

彼女がこちらに気付いた瞬間、そのスカートは固く閉じられてしまった。

まさに鉄のカーテン。

今後その鉄血政策を打ち破る者は現れるのだろうか・・・


「えーと通報した方がいいですよね?」

少し戸惑いながら彼女が訊いてくる。

見れば彼女はせろりと同じかそれより下くらいに見えた。

つまりロリ。

かなり幼い顔立ちだった。

「ん、あぁ・・・うん」

そんな彼女の問いに曖昧に答える。

ぶっちゃけ理科室で突然、机の下に見知らぬ男が居てそいつと目が合ったら通報どころじゃないと思う。

私だったら生きている内に絶対に出さないような声で叫んで、失禁して、泣き喚くと思う。

それに比べたら、この少女は凄く落ち着いた反応だった。

いや、落ち着いた・・・というよりはかなり異常かな。

犯罪者かもしれないこの私に平然と声を掛けるなんて常軌を逸している。

・・・というか、私も大概だよね。

とんだ間男だ。

「あーでもあたしケータイ持ってません」

少女が少し恥ずかしそうに手を広げた。

「変態さん、ケータイ持ってます?」

「え?いや・・・私も持ってないな」

極限姿勢のまま私は答える。

つーか普通に変態さんで受け答えしているこの状況。

何か悲しくなる。

「そーなんですか・・・困りましたね」

少女は本当に困った様な顔をしている。

というか通報する対象の人間に通報させるというのは、一体どういう了見だろうか?

アホなのだろうか?

「ま、いいや」

ぽん、と少女が手を叩く。

「とりあえずアポロ君を起動させたのは変態さんで間違いないですね?」

と、突然話の矛先が私に向けられる。

咄嗟の事だったので、私はつい正直に、

「あ、うん」

是正。

答えてしまう。

「素直でよろしい。じゃあ片付けお願いしますね」

と、少女は手に持った雑巾を私の顔に近付けた。

にっこりと微笑むその顔に、何だか私は邪気を抜かれるような気分だった。




 私はそれから、何故だか解らないが理科室の掃除をやらされた。

アポロ君が排泄したドスグロい液体を拭き取るのはもちろん、アポロ君のお尻や内臓、そしてミキサー部分の回転刃まで清掃させられた。

「・・・♪」

その間、例の少女は理科室の教壇に座り楽しそうに私を眺めていた。

どうやら直ぐさま通報する気は無いようだ。

私の事を変態だと見なしているようだが、掃除をしている間だけは人間として認めてくれているらしい。


「・・・終わりました」

雑巾を手洗い場になおして私は少女の前に立った。

「ご苦労様です」

にこり。

彼女は笑った。

それは私に対する恐怖とか不審感とか、そんなもの微塵も感じさせない笑顔だった。

何でだろう?

「じゃあ変態さん、わたしはこれで失礼しますが、あまり目立つ行動は控えて下さいね。不審活動も程々に、です」

彼女はそう言って、とん、と教壇から降りた。

そして、スタスタと教室の扉の方へと歩いて行く。

「・・・・・・・・・」

その後ろ姿を、私は何も言えないまま見ていた。

・・・・・・・・・

一体この子は何なのだろう?

そんな疑問が私の頭の中で渦巻いて行く。

ただの一般生徒だという事は分かる。

ここの制服を着て、たまたまこの理科室を通りがかっただけのごく普通の生徒。

だけど・・・

何だろう?

非常に違和感。

普通だったら、こんな私みたいな不審者に遭遇したら叫ぶんじゃなかろうか?

あまつさえ喋ったり、同じ空間にいたりしないのではないだろうか。

それなのに、彼女はずっと笑顔だった。

私の存在を認め、その上で掃除が済むまでずっとニコニコしてた。

その間、警察や誰かに連絡を取る素振りなんて一切無かった。

無論、この教室を出た後で通報するんじゃなかろうかなんて思ったりしたが、今ではそんな邪推一片も湧かないでいる。

そんな空気は一切感じない。

私を机の下に見つけた時こそ驚いた顔を見せた彼女だが、そこからの様子に不審な所など少しも無かった。

私が机の下から出てくる時も、アポロ君を拭いている時も、常に笑顔だった。

それが・・・

私の心を妙に乱していく。


「あ、ちょっと」


気付いた時には、声を上げていた。

彼女はもう扉に手を掛け、この空間から出ようとしていた。

その小さな背中がピクリと動く。


「・・・・・・」


振り向く彼女。

「・・・なんでしょう?」

その顔は。


「・・・・・・・・・」


途方も無く笑顔だった。






 先程とは違う沈黙。

見つめ合う私と少女。

理科室に射す夕日のせいで彼女の笑顔がくっきりと浮かんでいる。

「どーかしました?わたしちょっと急いでるんですけど」

困った様な顔で首を傾げる少女。

それは先程と変わらぬ少女の顔。

だけど少しだけ、空気が変わっていた。

「あ、いや別に大したことじゃないんだけど・・・」

言って、私は何を言おうとしたのかを頭の中で整理していた。

反射的に彼女を呼び止めたものの、何を聞きたかったのかと言われれば、実際何を言おうとしたのか微妙だった。

ただ、彼女をこのままここから帰してしまうと、何か、取り返しが付かないような事になってしまうような気がしたのだ。

いや、まぁ・・・単純に勘かな。

ただ偶然にこの理科室で遭遇した人間だし、別になんて事無いごく普通の少女だとは思うんだけど、それでも何かしらの繋がりはあるかも知れない。

可能性は常にゼロじゃ無いと信じたい。


「芹沢雀って子、知らないかな?」


思い切って、少女にそう訊いてみた。

すると彼女は、


「はい。知ってますよ」


笑顔でそう応えた。

即応で即答。

思い出す素振りもせず少女は言った。

「すずめちゃんとは同じクラスです。それがどーかしました?」

「え・・・いや」

まさか同じクラスだったとは。

同じ学校に通っているのだからもしかしたらすずめちゃんの事をどっかで知ってたりしないかなぁ・・・なんて淡い期待だったけど、まさか同じクラスだとは思いもしなかった。

期待以上の少女の答えに、私は少しだけ口ごもってしまう。

「そっか、クラスメートか・・・」

「・・・?」

「あ、気にしないでいいよ」

平生を装い。

「それじゃあ・・・うん、ありがとう。呼びとめて悪かったね」

それだけ告げた。

すずめと面識のある人間なのでもう少し話を聞きたかったが、これ以上ここで話していると、今度は別の人間に見つかるかもしれない。

その時こそ本当に通報されるだろう。

それに私の聞きたい事をこの少女に聞いた所で別に何がどうなる訳でも無い。

それどころか、ただ状況を悪化させるだけのような気もする。

だからここでは深追いしない。

そう決めた。

少女はそんな私の様子に少しキョトンとしていたが、

「いえいえ、どーいたしまして」

そう言って、今度こそ扉の向こうへ出て行った。

本当に急いでいたのか、廊下の方からパタパタと走っていく音が響いてくる。

その音を聞きながら、私は少しだけ浮かんだ考えを静かに消した。

「・・・考え過ぎか、それとも考えが及んでいないのか」

ボソッと呟いて、私も理科室を後にした。

時計はもうすぐ六時になる所。

廊下の光も薄く、暗い校舎。

すずめはちゃんと屋敷に帰っているだろうか。

そんな事を考えながらトボトボと歩いていた。


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