落
その日は朝から雨が降っていた。
カーテンの隙間から入る光も弱弱しく、またシトシトという雨音も良い感じに響いて、私はいつまでも惰眠を貪っていられる気分でいた。
いや確信していた。
秋冬は布団の中が格別に気持ちが良いなぁ。
・・・なんて、甘い幻想を抱いている私に、神が現実を運んでくる。
ガララ・・・
玄関が開かれる音。
「・・・・・・」
その音が嫌に耳に響いた。
はぁ。
一瞬で惰眠もクソも無くなってしまった。
時計を見る。
朝の七時半。くらい。
「・・・起きるか」
ベッドから起き上がり、居間に向かう。
途中、玄関を通る時にすずめちゃんの靴が無い事を確認する。
確認するまでも無いのだが、さっき玄関から出ていったのはすずめちゃんだ。
無論学校に行く為に。
何てったって学生だから。
・・・うん。
それは分かるんだけど、ね。
寂しさは・・・誤魔化せないか。
一人で飯食って、一人で行ってきますか・・・
今日で一週間。
すずめちゃんが学校で虐められているのは登校初日から分かっていた事だ。
だからって何か行動を起こした訳でも無いし、何かをするつもりも無い。
出来る事も無いだろうしね。
かと言ってそのまま放っとくのも何か嫌な感じがして、ちょくちょくケーキとか買ってきてあげたり(せろりが)、車でドライブしたり(不知火が)、まぁ何か色々して今日で一週間という訳さ。
すずめちゃんは家で学校の話をしないから、あの後どういう風になっているのか想像するしかないのだけど、少なくとも、登校初日に嫌な事をされたのが好転しているとは考えにくいんだよなぁ。
はぁ。
「あ、おはようございます旦那様」
居間に入るとせろりが朝食の後片付けをしていた。
「ん、おはよう」
「少々お待ち下さい、今朝食の準備をしますので」
急いで片付けようとするせろりに、
「あぁ、良いよ急がなくて・・・まだ寝てるから」
そう言って、居間のソファに横になる。
そんな私の姿を見てせろりがくすくすと笑っていた。
「では熱いコーヒーを持ってきますね」
そう言って食器類を重ねて台所に持っていく。
その後ろ姿をボーっと見ている私。
・・・何か、頼もしいな。
その華奢な背中に頼もしさを覚えてしまうダメな大人がいた。
今日は珍しく、その長い髪の毛をポニーテールにしている私の使用人。
最近また髪の毛が伸びたらしく、その艶やかな金髪の手入れが面倒だと言っていた。
・・・・・・・・・
「・・・それで、すずめちゃんの様子は?」
朝食のホットケーキを頬張りながら恐る恐る聞いてみた。
「微妙・・・ですね」
それこそ微妙な顔をしてせろりは言う。
「学校に行く前はほとんど口を利いてくれません」
せろりが、しゅん・・・と落ち込んでいた。
俯きがちなその顔に抑えきれぬ衝動が芽生えそうだったが、止めておこう。
せろりは本気で悩んでいるようだし。
私がそんな不真面目では主人としての顔が立たない。
・・・けどまぁ、だからと言って何か言い解決がある訳でも無いのだけれど。
「・・・どうしたら良いんだろうな」
何となく、そうぼやいてしまう私が居た。
その言葉を聞いて、せろりも同じように視線を宙に向けていた。
すると不意に思い出したように、
「あ・・・そう言えば旦那様」
と声を挙げた。
「本日は一件、お仕事があります」
いつもと同じ調子で、私に向けてそう言った。
・・・いつもと同じようにとは言ったが、仕事の依頼は実に三ヶ月ぶりだ。
あのすずめちゃんの妹?の遺体の処理を行ったのが、だいたい今から三ヶ月くらい前の事だ。
それ以降、色々とイベント事はあったが、実際金になるような仕事は一切していない。
つまり言い方を変えれば三ヶ月間遊んでいた。
遊んでいた・・・と言うよりは自堕落に時間を潰していた、と言った方が正確かな。特に何もしていない。
だからだろうか、
「あぁ、分かった」
私の反応は、自分が思ったよりも薄かった。
実に三ヶ月間ものブランクがあるにも拘らず、特に何の感慨も湧かない。
別に仕事があるから面倒・・・とか、久しぶりの仕事に緊張する訳でも無い。
「で、何をすれば良いの?」
軽い調子でそう訊いた。
ホットケーキを一切れ口に入れながら。
何の気なしに。
・・・多分、私にとって仕事とはその程度の物なんだろう。
家事の手伝いを買って出るかのように。
言われた仕事を、何となくこなすだけ。
ただその程度。
だがその程度で、何ヶ月も遊んで暮らせる報酬を頂く。
ただそれだけ。
「はい、本日は・・・」
まるで秘書のように仕事の内容を説明するせろり。
それを、片手間で聞き流す。
朝食の最後の一切れをフォークで刺しながら。
仕事の内容は後で紙にでも書いてもらおうか・・・なんて、そんな不真面目な考えが頭をよぎる。
「・・・以上が、今日依頼されている内容です」
あ、いつの間にかせろりの業務連絡が終わっていた。
くだらない事をグダグダと考えている内に、本当に仕事の内容を聞きそびれてしまった。
「とりあえず、本日は不知火様が旦那様を迎えに来るそうなので、それまでは屋敷でお待ち頂くようになっています」
「ん・・・そうか」
良かった。
とりあえずここで待っていれば不知火が迎えに来てくれるらしい。
仕事の内容はあの少年に訊く事にしよう。
ここで話を聞いていなかった事がせろりにバレるのは・・・なんか恥ずかしい。
・・・何て、そんな事を思っている時点で既に、私は負けていたのだろう。
レールは既に敷かれていて、私の知らない所でそれは私の大事なモノに向けて伸びていた。
レールの向こう側から何がやって来るのか、それすらも分からないまま。
私もそのレールに乗ろうとしていた。
それから小一時間くらい経って、少年が屋敷を訪ねてきた。
それが、今日という現実の始まりだった。