仕事人
その場所に到着したのは、太陽がほぼ真上に位置している正午過ぎだった。
今日は雲が少なく真っ青な空。その真ん中で太陽が輝いている。
今私が立っているこの場所は、この片田舎で太陽を一番近くに感じられる所だ。山のてっぺん、と言ったら少し雑な説明かもしれない。
ここ以外にも、もっと高い場所はあるかもしれないし。
ま、なんにせよ、ここは私の屋敷の近く。周りを囲った山の頂上付近。
割合開けた感じの広々とした空間。
大きな木が一本生えているだけで、後は何も無い。
草とか石ころくらい。
そんな寂しい所でも、ふと遠くに目をやれば、私の町が一望できた。
まあ、私の住んでいる町自体が寂れた町なんだが。これが不思議なことに、高い場所から見下ろすと、どんな景色でも少なからず感動を与えてくれる。
実に不思議。
その町の景色をボーっと眺めてから、一本だけ生えている大きな木の根元に近寄った。
昼とはいえ、山の頂上は少し肌寒い。
さんさんと降り注ぐ光が、その空気を和らげていた。
木漏れ日が、ゆらゆらと足元で光る。
その温かい光を全身で浴びるように、彼女はぶら下がっていた。
大きな木に、吊るされていた。
ゆらゆらと。
首を吊っているらしい。
小さな頭がうな垂れ、表情は読めない。
が、直ぐ判る。
あぁ、死んでる。
こいつは死んでる。
姿形こそ人間を保っているとはいえ、そこに何も感じられないから。
息も、匂いも、気配も、何も。存在すら。
ただ、そこに彼女は居る。
ただ、それだけ。
「で、これをどうすればいいのかな?」
振り返らずに訊く。
目の前から視線をはずさない。
目の前の、大きな木に吊るされたものをただじっと見ている。
もうそれはものと言う他無い。
生前は女学生だったのだろうか、制服を着ている。見知った、近所の学校だ。
「身元が特定されないよう、処分を、とのことです」
淡々と、そいつは言う。
「・・・処分、ね」
もう一度、上から下まで眺める。
首を吊って死んだ、という以外にはどこにも損傷は無い。
きれいな形だ。
少し近づいて、俯いた顔を覗き込んだ。
閉じた瞳、閉じた唇。何もかもが閉じている。
が、存外、それは美しかった。
綺麗な顔立ちだった。
死んだ人間にしちゃ少し迫力が足りないのでは、と思うほど。
「これを、処分ねぇ・・・」
気が引ける。
率直に言えばそれだけだった。
それはもう、丹精に作られた人形のようなもので、それを平気で壊すほど私の人格は破綻していない。
「はい、もう原型が判らなくなるくらい、ぐちゃぐちゃにして欲しい、という依頼でしたので」
そいつは平然と、言ってのけた。
ちなみに、こいつは私の可愛い使用人では無い。せろりちゃんは今、屋敷でお留守番をしている。
こいつは仲介役。私に仕事を持ってくることを仕事にしている。
「まぁ、仕事だから・・・やるけど」
言って、初めて振り返る。
「お願いします。今回の依頼はなるべく失敗させたくないんです」
振り返った先、およそ目と鼻の先にそいつは居た。
頭を下げている。よろしくお願いします、と。
いや、近いから。
目と鼻の先って比喩じゃなかったっけ。その位近いっていう。
でも、この距離は比喩じゃないぞ。
お前が頭を上げたらマジで目と鼻がくっつくだろ。
それにお前、何に頭下げてんの?
ナニにか?
そう思ってたら、そいつが頭を上げた。
「久しぶりですね、勃起丸様。お元気そうで何よりです」
屈託の無い笑顔。だけど、視線は私に向いていない。
顔は上げたが、視線は下に向いている。
だからお前は、何に挨拶してるんだよ。
やっぱりナニにか?
「・・・ああ、久しぶり。一ヶ月ぶりくらいか、お陰でゆっくり出来たよ」
「ええ、なによりです」
そしてようやく、視線を私に向けた。
いや、ずっと私に向けられていたのは分かっている。
ずっと私を見ていたよ、間違いなく。でもそこじゃないだろう。私は。
私は何か?ナニに付随しているのか。
私にナニが付いているのではなく、ナニに私が付いているのか。
興奮。
ああ、興奮した。興奮しすぎて不適切な表現をかなりしたように思う。
反省。
とにかくこいつ、・・・あぁ、そういやまだ言ってなかったな。
こいつが誰なのか。
このままじゃ、男か女かすら分からない。ちなみに男。少年だ。
歳は十七くらいか。幼い顔立ちが印象的だが、上背はかなりある。
私と同じくらいだ。
私に仕事を持ってくる仲介役として働いている。
本名かどうかは知らないが、不知火、と名乗っていた。
下の名前までは知らない。どうでもいい。
正直、少年には興味ない。
興味が無いので、こいつに関して知っていることは少ない。まあ、仕事上の間柄であるからして、馴れ合うのは良くない事だし。私情が絡むと、仕事がやり辛くなるし。
つまりこいつは、私の中では曖昧な奴なのだ。ふわふわしてる。
あれ?お前顔変わった?みたいなノリ。
だいたい、いねーし、顔変わる奴なんて。
「・・・どうかなさいましたか?」
不知火が笑っている。
ああ、うざい。
年下のしかも男に微笑まれると、何かこう無性に腹が立つ。大人ぶってるみたいで、なんか嫌だ。
ガキはガキらしく、周りの人間に迷惑を掛けていればいい。少なくとも、私の少年時代はそうだった。反抗期真っ盛り。触れるものすべてを傷付けていた。
・・・ああ、俺は今、ナイフエッジでファイアボールなんだ・・・
とか意味不明な、妄想に耽っていたよ。
「あ?いや・・・何でも無い」
多分、未だに私は子供なんだろう。
ナイフエッジでファイアボール。
自分の事を、俺から私に変えたとしても、そこは変わらない。
「それでは、お仕事がんばって下さいね。事後報告は・・・まあ、勃起丸様なら必要ありませんね。報酬はいつもの形でお渡ししますので」
そう言い残し、不知火は山を下りていった。
笑顔だった。
至極、腹立たしかった。
「さて・・・」
切り替え。
「それじゃあさっさと済ませますか」
私の・・・というより龍精根の血筋についてなんだが、少々変わった仕事を生業としている。それも代々受け継がれる伝統みたいなもので、それ以外の職業を志したことは無い。別に選択の余地が無い、という訳ではなかったのだが、私の場合、なりたい職業や将来の夢、なんてものが無かったから成人してすぐにこの仕事を始めた。
端的に言えば、請負人。
誰かから依頼され、それを忠実に遂行する。どんな依頼でも、二つ返事で了承し遂行する。しかし、それだけならば請負人というより、何でも屋のような印象を受けるかもしれない。まあ、事実、何でも屋だろう。
依頼されれば、何でも、仕事として処理するつもりだ。
迷子の猫を探したり、害虫退治だったり、頼まれればなんでもする。自慢のナニを使ってもいい。
だが、実際に来る依頼のほとんどが、こんな感じの依頼だ。
今日の仕事、みたいなやつ。
目の前の、ある意味、異常事態な感じの仕事。
そういう仕事だからか、世間様・・・といっても一部だが、龍精根の名を知る者や、依頼をしてくる者は皆一様に、私達のことを〝罪の請負人″と呼んでいる。
現実的な話をしよう。
これまで、私が処理してきた依頼のほぼ全てが、死体の始末だった。
理由は知らない。依頼主の顔や素性は仲介役を通しているので分かる訳もない。
だけど、一つだけ、はっきりとしている事がある。
全ての死体に共通している事。
みんな他殺だった。
殺された死体だった。
刺し傷や殴打した跡、銃弾で撃ち抜かれていたり明らかに変異している死体もあった。みんなそれぞれ何かしらの外傷があった。
いや、もしかしたら自分でやった奴もいたかも知れない。
けれど、まともに形を保った死体なんて、一度も無かった。
私の仕事は、その死体になってしまった人達を、丁重に自然に還すことだ。
だから、罪の請負人。
私が葬れば、どんな物でも、自然に還すことが出来る。
たとえそれが、死んでいようが生きていようが関係ない。ただ私がそう命ずるだけで、最初から何も無かったことになる。
どんなに探しても、一度自然に還ってしまえば見つけようが無い。
だからこそ、私に罪を消して欲しいという依頼が来るのだろう。
いや、罪のなすり付けかな。
龍精根の一族に代々伝わる技法で人が消える。
そんな話が何処からどう伝わったのか、それは分からない。分からないが、人を消せる、という話が切羽詰った殺人犯には神の言葉のように聞こえたはずだ。
死体がなければ、人を殺した事実も証拠も無くなる。
つまり、罪が消える。まあ厳密に言えば、人を殺していなくとも何らかの罪に問われる事はあるだろう。私が処理する死体は、世間的には失踪という形になるからね。それについては、何ともしようが無い。
だけど・・・まあ、確かに私はその龍精根の技法とやらを受け継いで、さっきの話にあったような事が出来るんだけど。
噂とは、事実がかなり誇張され尾ひれが付くものなんだ。
実際、私がやっている処理とは、人を魔法のように消すのではない。
あくまで自然に還しているだけだ。それこそ、やっていることは埋葬とあまり変わらない。違うのは、その早さぐらいだ。
死体の大きさによってまちまちだが、おおよそ半日もあればその人は消える。
土に還り、自然を巡り、新たな命になる。
私の仕事は、あくまでそれだ。
龍精根という存在意義もそこにある。
伝統も時間を掛けてかなり歪んでしまったのだろう。かつては生命の輪廻が少しでも幸福であるように、と願いを込めた私たちの秘法も、今や薄汚い後始末だ。
どこかの誰かも分からない罪びとの、拭いようの無い罪を請け負っている。
私自身今の仕事に疑問や不満があるわけではないが、時々、何となくだけどそんな風に考えてしまう。
けれど・・・
「それにしても珍しいな・・・いや、初めてかな」
こんな死体。
こんなに、綺麗な死体。
首を吊った彼女の前で、一人になった私は呟いていた。
首を絞められた死体はこれまでいくつも見てきたが、こんなに綺麗なものは初めてだった。
絞首というものは、死に方の中ではかなり凄惨なものだと思う。
幾度も、死体の顔を見てきた。
壮絶な最後。苦悶の表情。変色した皮膚。変形した顔。
とりわけ、首吊りというものは凄惨を極める。
死後、全身の筋肉が弛緩し、排泄物を垂れ流しながら吊るされるのだ。
だから首を吊る時は、三日前くらいから断食して望むように。
うん、そうじゃなくて、自殺はやめようって事で。
・・・いや、それもなんか違うような気が・・・まあ、いいや。
とにかく、彼女は綺麗だった。容姿もそうだが、死体として、異常なほど綺麗だったよ。まるで眠っているよう。あまりにも安らかな顔をしている。
そしてカワイイ。
生きていたら、お友達になりたいくらいだ。
彼女に近づく。
冷たい頬に手をあて、今一度彼女の顔を覗き込む。
「君は何をしたんだい?」
無言。
「私のところに依頼が来るって事は、君も・・・」
何を訊いても、その唇は開かない。
ただ黙って、何もかもを閉じてしまっている。
「・・・殺されたのかい?」
そう。
私の仕事は、死体を葬ること。厳密に言えば、被害者を消すこと。
だから彼女も、何らかの理由があって・・・
吊るされているのだろう、と。
吊っているのではなく、吊るされている。
自殺ではなく、他殺。
私自身、こうして首吊りの現場に出くわすことはそう多くないが、仕事として向かい合っているということは、そこに何らかの理由があるのだ。
だいたい、自殺した人間を消してくれ、なんて言う遺族がどこにいる。
そっちの方が、よっぽど何か理由があるに違いない。
だから、多分、どこかの誰かが彼女をここに吊るしたのだろう。
「・・・かわいそうに。待ってて、直ぐに降ろしてあげるよ」
そう言って、私は腰に手を当てた。
ヒュン・・・
一瞬、風を切る音が鳴る。
次の瞬間には、ドサッという音とともに彼女が落ちてきた。
私は手に持ったそれを腰に仕舞った。
黒い、脇差。
つばが無い、全身黒塗りの小刀。
チキ・・・という音を立て刃を収めてしまえば、それはもう一本の黒い木刀のようだった。
私はこの脇差を、仕事の間は常に持ち歩いている。何と言うか商売道具だ。
こいつが無ければ、私はただの無能な人間だ。
この小刀無しでは、人を自然に還すことは出来ない。
まあそんな訳で、これは特別な刀なんだ。
木の根元に倒れこんだ彼女の体を起こし、ひょいと持ち上げた。
ふむ・・・四十六、いや・・・四十五かな。
意外と軽かった。
死んだ人間、というより意識の無い人の体は、とてつもなく重くなるというが、持ち上げれないほどではない。
彼女を抱えたまま、私は木の根元を離れ、太陽が拝める場所まで移動した。
太陽はまだ、真上付近にいらっしゃった。
足元を確認する。
なるべく・・・草が多く陽の当たる場所がいい。
たいした理由は無いが、何となくそう思った。
ちなみに、私の仕事は、別に彼女を木から降ろさなくても出来た。
その場で彼女の体を切り刻めば、それで済んだのだ。
この刀で。
でも、何となく・・・情が移ってしまった。
今までは、みんなちゃんとした死体らしい死体だったからそんな事無かったが、今回はちょっと特別。
ちょっと所ではない、かなり特殊だ。こんな、異常なまでに生前の形を保ったままの死体なんて、今迄で一番、ぞっとする。
ぞっとする、けど・・・
超カワイイんだ、この子。
「・・・・・・やっぱり、不謹慎だな」
言いつつ、にやけつつ、彼女の体をそっと地面に横たえた。
ここなら陽もちゃんと当たるし草花もいっぱい生えている。おそらく、早い時間で綺麗に還るだろう。
横たわった彼女の顔に光が当たる。美しい肌の白さが際立っていた。
そっと、彼女の前髪を整えてやる。
長い黒髪が死体とは思えぬほど艶めいている。
いや、死体だからこそ、かもしれない。何とも言えない妖しさがあった。
「・・・本当に、きれいだな」
少しだけ、彼女の顔を見つめていた。
だが、どんなに待っても彼女は見つめ返してくれない。
「・・・・・・・」
当たり前のことなのに、何故か残念な気持ちになる。
これ以上変な気を起こしたくなかったので、私は仕事をすることにした。
スッ・・・と黒塗りの脇差を抜く。
彼女の首に手を当て、首を締め付ける縄に刃を当てた。
何の抵抗も無く、縄が切れた。
毎回思うが、本当にすごい切れ味だ。
私は一応剣術をたしなんでいるが、あくまで、たしなむ程度だ。
達人と呼べるほどではない。むしろ下手くそだ。
そんな私が扱っても、この黒い脇差は切れ味を鈍らせない。
さぞや名のある刀匠が打った名刀なんだろう。詳しくは知らないが。
切れた縄を首からはずしてやる。
縄をはずした首筋に、青紫色の跡が残っていた。
痛々しい。
目立った損傷は無い、と言ったが、ここだけは明らかな外傷だろう。
内出血により黒ずんだ部分が、肌の白さによって際立っていた。
「・・・・・・ごめんね、少し痛いかもしれないけど、我慢してくれよ」
言いながら、私は彼女の胸元に刃を突きつけた。
私の仕事。龍精根という名の異質さ。
魂ある言葉は意志を持ち、意志ある言葉は力を持つ。そういう教え。
色んな事を学んできたが、結局理解したのはそれだけだ。
「それじゃ、来世でまた会おう」
それだけ言って、私は刃を彼女の胸に刺した。
また会おう。
いつも、私が投げかける言葉だ。
どんなに酷い姿でも、どんなに醜い最後でも、次の人生に希望を抱くことくらい誰にだって許されるはず。そんな気持ちで、みんなを送り出している。
自然に還れば、巡り巡ってまた会えるかもしれない。それが今とは全然違う形になっていたとしても。
彼女の胸がじんわりと赤くなっていく。純白の学生服を汚してしまったことが、少しだけ悔やまれた。
すっと胸から刀を引き抜き、一閃して血を掃った。ポケットから白いハンカチを取り出し彼女の血を拭い、そのままハンカチを彼女の胸に置いた。
彼女の体からどんどん血が溢れて地面に吸い込まれていく。それを見届けてから、私は山を降りることにした。
無論、彼女の体は、一瞬にして消えるわけではない。
私が去った後でも、二、三時間はあのままだろう。だけど、日が落ちる前にはちゃんと還っているはずだ。
私たちは魔法使いではない。
自然という大きな存在に、直接お願いしているだけだ。
この人をよろしくお願いします、ていう風にね。
そうすると、驚くほど早い時間で人は自然に還っていく。
ただそれだけ。
まあ、その自然への語りかけが龍精根の血筋にしか出来ないらしいのだが。
ああ、あとこの脇差も必要なものだ。この刀で遺体を清めなければならない。
一度試したことがあるが、刀を使わずに人を放置したら、一ヵ月後くらいにミイラ化して見つかってしまった。
あの時ほど冷や冷やした事は無かったね。あれ以来、ちゃんとこの刀で儀式は行っている。
「それにしても・・・」
綺麗な女の子だったなあ・・・
名前、何ていうんだろう・・・
帰りの山道を、そんな感慨に耽りながら歩いていた。
本当に、殺した奴の気が知れない。あんなカワイイ子を。
無意味な憤りを感じてしまう。
時間にしてみれば、およそ三十分。家から出てきた時間を考えると、それでも一時間程度しか経っていない。
一ヶ月ぶりの仕事、終了。
小一時間ばかしの仕事で、さて報酬はいくら位になるのだろうか。
そんな事を何となく考えていた。