つばめのさえずり
「お帰りなさいませ、旦那様」
いつものように、せろりのお出迎え。
「ああ、ただいま」
ポンポンとせろりの頭を軽く撫でる。
「ぁ・・・はぅ」
せろりがなんか可愛い声を出した。
その声を聞き、私は心の底から満足した。
・・・・・・・・・
屋敷に着いた頃にはもう、辺りはすっかり暗くなっていた。
学校からの帰り道、すずめと立ち寄った定食屋(和洋中完全対応の万能レストラン)に長居し過ぎたせいだ。
そのせいで、せろりを待たせてしまった事については、何とも申し訳ない気分な訳だけど。
それでも彼女は笑顔で私達を迎えてくれた。
そんな健気な少女の為に、毎日でも神に祈ってやりたい気分になる。
どうかこの子が美人さんになりますように・・・
てね。
「あ、そう言えば旦那様」
と、将来美人さんになる予定の使用人が、
「先程、手紙・・・かな、これ?・・・とにかくこれが屋敷に届きまして」
ごそごそとエプロンのポケットから何かを取り出した。
「ん?なにそれ」
それは確かに、手紙・・・かな?って感じのものだった。
ていうか、端的に言えば紙きれ。
どこにでもありそうなペラッペラのメモ用紙一枚だ。
「何か書いてあるようなのですが、私には意味が分からなくて・・・」
彼女は申し訳なさそうにその紙を私に差し出す。
その紙を受け取る。
隣に居たすずめも、少し興味有り気に横から覗いていた。
「・・・・・・・・・ッ!」
しかしそこに書かれていた内容を見て、真っ先に顔色を変えたのは、他でもないすずめ自身だった。
そこにはこう書かれていた。
つばめちゃんがこわれた
あたしたちじゃどうしようもない
すずめちゃん
たすけて
たったそれだけ。
拙い字で、たったそれだけ書かれていた。
私はすぐにその紙を畳んだ。
いや、乱暴に握りつぶした。
その様子をせろりが不思議そうに見ていた。
無理もない。
彼女は知らない。
ここに書かれてある事の真実など。
かく言う私にしたって事の次第を完全に把握した訳じゃない。
だけど、頭をよぎるのは昼間学校で聞いた話。
通り魔。
人の死。
そして、一か月前の警察署での出来事。
襲撃。
機械。
破壊。
暴力。
三人。
三機。
・・・・・・・・・
目まぐるしく頭の中を駆け巡るその不安要素。
そのどれもが、無関係である気がしない。
しかし、その不安に対して、この紙に書かれてある事だけで状況を判断するなど、勘にも等しい。
だがしかし、と、隣で立ち尽くしている少女に目を向ける。
見れば彼女は、どんどん顔が青くなっていくようだった。
先程まで感じていた小さな幸せ気分が、音も立てずに崩れていく。
それと同時に。
静かに、忍び寄ってきたのは。
ずっと頭の隅に在った、小さな不安。
その小さな不安が、
・・・ジリリリリィィンッ!
「・・・ッ!」
ビクッと肩を震わせる。
突然の音に、握りしめた手紙を落としてしまいそうになる。
「あ、で・・・電話です」
せろりが直ぐに、その音の元へと走っていく。
その後ろ姿をただ呆然と見送る、私とすずめ。
「とにかく、中に入ろう」
「・・・・・・はい」
小さな声ですずめが頷いた。
居間に入る前から、せろりの声がドア越しに聞こえていた。
その内容を全て聞き取る事は出来ないが、正直、嫌な予感しかしない。
ドアを開ける。
「・・・はい・・・はい」
せろりが電話越しに頷いている。
その後ろから、私はせろりの肩に手を置いた。
「・・・代われ。私が出る」
半ば強引に、受話器を奪う。
「・・・不知火か」
『あ、おい!せろり!・・・て、え?勃起丸様?』
「あぁ、私だ」
突然会話を中断されたからなのか、不知火少年は少し慌てた様子だった。
だが気にしない。
気にする必要も余裕も無い。
「不知火・・・詳しい話は後から聞こう。とにかく・・・」
そこで一つ、呼吸を置く。
「今、何が起きている?」
私は走っていた。
全力疾走。
普段の自堕落な生活のつけなのか、右の腹が痛みを発している。
しかし、そんな事は気にもならない。
頭の中にあるのは屋敷に届いたあの手紙と、不知火の言葉だけだった。
『何者かによって、近隣の学校が襲撃されました・・・・・・いえ、正確には現在も襲撃されています』
不知火の声は落ち着いてはいたが、彼の心境は決して穏やかではなかっただろう。
「・・・場所は?」
十中八九、私の予想通りの場所だろう。
嫌な予感という物は、殊更よく当たる物だ。
だがしかし、そうであって欲しくないという希望を込めた、問いかけだった。
『・・・明峰園、及びその併設校・・・です』
それを聞いた途端、私は受話器を電話の上に押し付けた。
ガチャン、という不快な音が居間に響く。
「・・・・・・・・・」
沈黙を異様に長く感じたのは私だけでは無かったはず。
私は振り返り、そこで黙って私を見つめている少女に、
「・・・せろり、仕事だ。刀を持ってきてくれ」
そう告げた。
一瞬、何を言われたのか分からない、みたいな顔をしたせろりだったが、
「あ、はい!今すぐ」
慌てて、私の自室へと走り出した。
居間に取り残された私とすずめ。
二人の間に、嫌な空気が流れる。
「・・・すずめちゃん」
彼女に背を向けたまま、問いかける。
「君の不安と、私の予想は多分・・・同じだ。そして・・・」
「・・・・・・」
無言で彼女は頷いた。
「それは、現実として既に起きている」
「・・・・・・はい」
「私は今からそれを・・・・・・止めてくる」
言葉は・・・選んだつもりだ。
その事は彼女も分かっているのだろう。
何も言わずに、ただ、
「・・・お願いします」
と、頭を下げただけだった。
バタバタとドアの向こうから足音が聞こえてくる。
せろりが慌てて走ってきているのだろう。
そんなに慌てて私の刀を落としたりしないで欲しいのだが、まぁ、この雰囲気の中で慌てず騒がず事を運ぶのはまず無理だろうな。
私ですら、今もどこかで起きている災禍について考えると、足元をすくわれそうになる。
バタンッ!
大きな音を立ててドアが開かれる。
「お・・・お待たせしました!」
はぁはぁと肩を上下させながらも、胸に抱えた私の刀だけはしっかりと握っている。
その姿が私のハートを締め付けた。
胸キュン官能度120%オーバー。
龍精リミッター解除。
下腹部に高エネルギー反応感知。
アクセラレータ起動。
いつでもイケる。
どんな状況どんな姿勢であってもイケる!
「ありがとう、せろり。・・・それじゃ行ってくる」
勝算は無い。
だって暴れているのは、いつぞやのあの機械共だぜ。
平気な顔して警察署に侵入し、訳の分からない技術で私の目を圧倒し、最後は平然と理由があれば殺す、とか言ってたし。
戦って勝てる相手ではないのは百も承知だ。
むしろ戦いになるのかすらも分からない。
ただ一方的に殺されるだけかもしれない。
それに、もし仮にそれを止めたとしても、そこに解決方法など存在しないのかもしれない。
どんな結果になっても、誰かが悲しむかもしれない。
だけど・・・
それでも私は行かなきゃいけない。
こうしてここで不安に押し潰されそうになっている少女を救う為。
私の帰りを待っていてくれる、愛する家族の為。
その障害となる物は、例え何であっても私は許さない。
だから私は止める。
止めてみせる。
襲撃されている件の学校の位置を思い出しながら、私は屋敷を飛び出した。
行先は、明峰園。
私の人生で、最大の、見切り発車の始まりである。
現実とは、時に人の想像を容易く凌駕してしまう物なんだよ。
「・・・・・・・・・ぅ」
それを見た瞬間、人の死に慣れ親しんでいるはずの私ですら、背筋に寒いものを感じた。
損害は甚大。
学校に着く前、付近の住宅街を走っている時点でその被害は想像できた。
・・・端的に言えば、遠くで火事が起きているのが見えたのだ。
住宅の隙間から見える赤い光。
ちらちらと揺れる炎が。
それも普通の住宅火災のようなものではなく、とてつもなく巨大な炎。
隙間などから覗き見るまでも無く、見上げれば、薄暗くなった空にそれを覆い尽くすかのような黒い煙が上がっていた。
そして、それにすがる様に天へと手を伸ばす巨大な火の塊も。
「・・・・・・・・・!」
そしてその現場へとたどり着いた時、一番に感じたのは、意外にも炎の熱さなどでは無かった。
無論、熱い。
死ぬほど熱い。
学校という巨大な建築物が燃えているのだから当然だ。
轟々と音を立てながら燃え盛る校舎の近くで息を吸えば、肺が焼けついてしまうくらいに。
けれど違う。
これは・・・違う。
フィーーーーン・・・
独特の、耳鳴りのような音。
それは一種の結界のようだった。
まだ距離がある地点から聞こえていたその不快な音は、学校に近付くにつれ次第に小さくなっていき、やがて聞こえなくなったと思った瞬間、
「・・・ぅ!・・・がはっ!」
吐いた。
猛烈な吐き気を抑えきれずに、先程定食屋で食った物をすべて吐き出した。
「おぇぇえ・・・・・・」
地面に手をつき胃の中の物をすべて吐き出す
それでも吐き気は止まらず、最後には胃液しか出てこなかった。
「・・・はぁ、はぁ・・・!」
口を拭って顔を上げる。
目の前には燃え盛る校舎。
そして。
人の亡骸。
大量の死体。
死屍累々とはまさにこの事だ。
・・・・・・・・・
この学校にたどり着いて一番に感じた事は、炎の熱さでも無く、原因不明の吐き気でも無い。
それは気配だった。
と言っても、何者かの気配を感じ取った訳でもない。
むしろ逆。
「・・・・・・・・・」
何も感じない。
完全なる静寂。
在るのは今も燃え続けている件の学校と、その周りに散らばる、不自然な死体だけだ。
そこには・・・生きている物の気配が無かった。
これだけ派手に学校が燃えているにも拘らず、それを消火しようとしている人間すらいない。
つまり、消防も警察もここには居ない。
居るかもしれないが、どれがその死体なのか判別できない。
暗い夕闇の中、赤い炎に照らされたその死体達は皆、全て同じ肉の塊に見えた。
そして、この現場に駆け付けようとする人間の気配もまた、一切感じられない。
どんな理由で彼らがここに来ないのかは、何となく予想がつく。
・・・来ないのではなく、来れないのだと。
・・・ドーンッ!
どこか遠くの方で何かがぶつかった音がした。
突然のその音に一瞬後ろを振り返る・・・が、もう手遅れだろう。
原因不明の吐き気。
不快な音。
結界。
・・・・・・・・・
その範囲に入った物全てを拒絶するかのような、悲しい音だった。
恐らくは、この音を少しでも耳・・・いや、感覚器が感知したら、人間は昏倒するのだろう。
そして、ある一定以上の範囲に足を踏み入れてしてしまうと・・・
「ぅ・・・・・・はぁ・・・はぁ」
絶命する。
・・・・・・・・・
いつかの誰かの声が、鮮明に蘇る。
「・・・生体ジャミング」
「そいつを聞くと、運動神経が麻痺する」
「運が悪けりゃ・・・死ぬかもね」
そいつは、何てこと無い事だろ?みたいな顔でそう言っていた。
その時は確かに、何て事無い気味の悪い音なんだろうなくらいにしか感じていなかったが、実際の効果を見れば、戦慄しか湧いてこなかった。
確かに、人の運動神経という物はすべての筋肉を司っている。
そこを阻害すれば人体に様々な悪影響が出る事など、容易に想像できる。
手足が痺れ、体が麻痺して、肺などの呼吸器官にまで影響が出れば、後はただ死を待つのみだ。
何故私がその結界の中に在っても生きていられるのかは、正直私にも分からないのだけれども。
まぁ理由など気にしている場合ではないな。
生きてさえいれば、何とかなるかも知れないし。
何ともならないかも知れないけれど。
膝に手をつく。
目一杯力を込めないと立ち上がることすら難しい。
フラフラとした動作でなんとかその場に直立する。
私が立っている場所。校門を抜けて燃え盛る校舎の手前の昇降口。
ぐるりと見渡せば、そこから様々な人の終わりを目にする事が出来た。
火の手が来ない筈の屋外のグラウンドには点々と人が倒れている。
部活動の生徒だろうか、体操着を着たままその場でピクリとも動かないで居る。
可哀そうに、と私は心の底から同情した。
例の通り魔の事件で下校時間は早まっていた筈なのに、部活はきっちりとやって帰るつもりだったのだろうか。
その見上げたスポーツマンシップのせいで、彼らはもう、ニ度とボールを追う事は出来ないだろう。
そして・・・今なお燃え続けている学校の中の様子は、想像しなくとも嫌というほど頭に浮かんでしまう。
「・・・」
行こう。
心の中で一つ呟き、私は一歩、踏み出した。
「 宵闇の中の陽だまり 」
ねえつばめちゃん。
なに?
あたしたちいっつもケンカばかりしてたよね。
あぁ?ケンカ?そういやそうだっけ・・・
うん、してた。
けど毎回あたしがお前を泣かせて終わりだったよな。
そうだよ・・・いっつもあたしにいじわるばっかして・・・すずめちゃんやひばりちゃんと遊んでた時もさ、つばめちゃんが来るといっつもさいごには泣いちゃうんだから。
はは。
笑いごとじゃないよー。
はは・・・あぁ、ごめんごめん・・・本当は苛めるつもりじゃなくて、ただちょっかいを出したかっただけ。それだけ。
う~んほんとかなぁ・・・
ほんとだって。
うん、まぁ・・・でもね・・・
うん?
そんなイジワルばっかりのつばめちゃんだけど・・・
・・・・・・・・・
あたし、世界で一番好きだよ。
・・・・・・・・・
不意に頭の隅に浮かんだ映像と音は、それが初めから無かったかのように彼女の頭の中から消え失せた。
あれは何だったのだろう?と、もう思い返す事も無い。
もう、自分は戻れない。
それだけを、彼女は知っていた。
「ツ・・・ツ・・・ババメ・・・ェェチャ・・・ンンンンン・・・」
それが何か音のようなものを発している。
「・・・・・・・・・」
黙って見降ろす。
「ダ・・・イ・・・・・・ス」
ドシュッ!
右の掌を差し出す。
それと同時に掌から射出された何かが、それの頭部と思われる個所を貫いた。
「スススススス・・・・・・・・・」
そいつから音が絶え間なく流れている。
しかしそれも長くは続かない。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
停止。
もう何の音もしない。
頭部と思しき部分から発せられていた音も、全身から溢れていた軋むような音もその瞬間消えた。何もかも。
「・・・・・・・・・」
動かなくなったそれを、ただ黙って見降ろしていた。
不自然なほど破壊しつくされた身体。
腕や足はおろか、頭部すらも胴体と切り離されているそれ。
「・・・・・・・・・ぅあ」
その小さな胴体から、様々な色のチューブが飛び出し、そこから何か液体のようなものが漏れ出ている。
「ぁ・・・ぁぁぁ・・・」
その人間とは似て非なる、それを、
「ぁぁあああ・・・」
彼女は知っていた。
知っていたけど。
忘れていた。
今の今まで。
取り返しが付かなくなるまで。
もう取り戻せなくなったそれを、彼女はそれでも目を閉じずに見続ける。
「うああああああああああああっ!」
何だろう。
なんか変だ。
何かしたい。
いや、もう、したい事は終わっている。
したい事は、もう、ニ度とできない。
したい事は、自分の手で、破壊し尽くした。
ニ度と元には戻らない。
うん、それは知ってる。分かっている。もう戻らない。
けど違う。
そうじゃない。
それでもしたい事がある。
そう。
「う・・・うぁ・・・ぁぁぁ・・・・・・・・・ぁ・・・」
膝が崩れる。
カクンと折れるように彼女は跪いた。
ボグッ!ボゴッ!
渾身の力で床を叩く。
自分の力がどういう物で、どれ程の物なのかを知ってはいるが、止められない。
ボゴッ!ドシャッ!ゴキンッ!
何度も何度も叩いているうちに、どんどん自分の体が床に沈んでいく。
それでもまだ止めない。
それでもまだ足りない。
何かにぶつけても、今の気持ちをどうにか出来る気がしない。
そうやって時間が過ぎていくだけで、どんどん、その気持ちが溢れてくる。
だけど、それが自分には出来ない事だということも、理解している。
初めっから分かっていた事だ。
それでも・・・
「ぅわぁああっ・・・」
願わずにはいられなかった。
機械であるはずの自分が。
心など在る筈もない人形である自分が。
それでも、誰かと、何かの、絆を作れたのだとしたら・・・
「・・・・・・・・・ひぃ・・・ん」
泣きたい。
と。
心の底から、彼女は願った。
在る筈もない、心の底から。