賢者時間
「・・・大丈夫?」
現実に帰還。
立ち上がったとはいえ、まだ頭や体をさすっている二人の少女を交互に見やる。
「旦那様!・・・すみません、すぐ片付けますので!」
私の姿を確認するやいなや、テーブルの周りに散乱した食器の破片や、床に散らばったサラダを拾い集めるせろり。
「あ、せろりさん!・・・いいです、私がやりますから」
と、それを制止して自分で片付けようとするすずめちゃん。
結果、二人の少女がてきぱきと掃除をする事に。
二人のそんな姿を端目に、私はリビングを見渡した。
テーブルの上には出来たての朝ごはん。
今日のメニューは豚汁とアジの塩焼き。
焼たてのアジが美味そうな湯気を立てている。
そしてもう一品、朝ごはんに加えるはずだったサラダを・・・
ぶちまけた、と。
・・・・・・・・・
ふぅ。
ソファや床に散らばった破片や野菜が、何とも切ない。
うちには、サラダやスパゲッティなんかを盛り付ける為の大きな皿があるんだけど。
多分、それの破片だよね、これ。
そう思い、手近に落ちている破片を拾い集めることにした。
「二人とも、怪我は無い?」
集めながら、そう聞く。
「え?あ、はい・・・大丈夫です」
小さなゴミ袋を抱えたせろりが少し恥ずかしそうに答えた。
「すずめちゃんも?」
「ええ、少し頭を打ったくらいなので・・・」
と、彼女は少し申し訳なさそうに答える。
頭をさすりながら、ソファにかかってしまった液体を拭き取っている所だった。
ふむ。
あのせろりにかかっていた謎の液体は、どうやらサラダのドレッシングだったみたいだ。
無性に粘度のある液体だったから、何となくそういうローション的な何かだと思ってしまったよ。
いや、納得納得。
最初見た時は、本当にすずめちゃんが欲情してせろりを襲っているのかと思ったから。
それか、二人のいけないお戯れかと。
だけど真実は、ただすずめちゃんが転んでせろりにサラダをぶちまけただけ。
二人の倒れ方や、すずめの態度を見れば、大方そんなとこだろう。
その結果、あんなに淫らな絡み方やハプニングを起こしたのだから、神様も相当なエロだけどね。
うん、ごめんなさい神様。
エロは私でしたね。
すみません。このヘンチキンタイめを、どうかお許しください。
・・・・・・・・・
ま、最初から分かってはいたんだけどね。
そんな私の妄想のような甘い現実など何処にも無いってことは。
片付けが一段落し、ようやく三人がテーブルの席に着いた。
何とも慌しい朝だったが、これでようやく落ち着いて飯が食える。
「いただきます」
手を合わせてご飯に取り掛かる。
「頂きます」
「・・・いただきます」
私に続いて、二人の少女が食べ始める。
別にそんな決まりなんてものがある訳じゃないけど、何となく私が先にご飯に手をつける事になっている。
まあ私が、この屋敷の主人だからかな。
彼女らも少し遠慮しているのだろう。
せろりは昔っからそうなのだけど、すずめちゃんもそれに倣ったみたいだ。
とりあえず、何事も私が先にやって後に彼女達が続いている。
風呂とかもね。
私自身、別にそんな事にこだわりは持っていないんだけど彼女らがそうするのなら、それに従うまでだ。
そんな事を考えながら、
「・・・・・・・・」
チラッと、すずめちゃんの顔を覗き見た。
「・・・・・・・・」
彼女は黙々とご飯を食べている。
魚、ご飯、豚汁の順に。
綺麗な三角食いだった。
そんな所からも、何となく育ちや性格が見えて面白い。
が、その箸はあまり進んでないようだった。
心なしか、顔色も悪い。
ちびちび・・・とご飯を口に運んでいるご様子。
・・・・・・・・・
ふぅ。
何となく、心の中で苦笑してしまう。
そんなに気に病む事でもないのに。
「・・・すずめちゃん」
「・・・・・・・・・ッ!」
突然の呼びかけに、すずめの肩がビクッとなる。
びっくりしすぎて、箸を落とす所だった。
「ご、ごめんなさい・・・!」
いきなり謝った。
目をキュッと瞑り、ひたすらに頭を下げている。
「いや、それはもう良いよ」
謝り続けるすずめの姿が、何となく可愛くてずっと見ていたかったが、これ以上彼女に落ち込んで欲しくない。
と言うよりむしろ、私は今朝のような事など本当に気にしていない。
本心。
皿の一枚や二枚、どうでもいい。
「怪我が無くてよかった」
それだけ言って、また私は箸を進める。
そんな私をすずめが上目遣いで見つめてくる。
「・・・お、怒ってませんか?」
おずおずと尋ねてくる。
「うん」
「そう・・・ですか」
ほぅ、と息をつき安堵の表情になるすずめ。
その顔に、私も自然と笑みがこぼれる。
「あ、せろり・・・醤油とって」
「はい」
すかさずせろりが醤油を差し出す。
彼女のこういう気配りは抜かりが無い。
たとえ食事中であっても、私の要望には可能な限り応える姿勢で居るのだから。
いや、まったく感心します。
「それにしても、朝に豚汁なんて珍しいな。これもせろりが作ったのか?」
豚汁をすすりながらせろりを見ると、
「いえ、今日の朝食はすずめさんが・・・」
とせろりはすずめのほうを向いた。
私も自然とそちらの方を見てしまう。
二人の視線を受けるすずめの顔が、少しだけ固まった。
「・・・え?・・・あ、いえ・・・」
少し困惑気味に、顔を伏せてしまう。
「へぇ、すずめちゃんがね」
素直に感心してしまう。
「あ、あの・・・おいしく・・・ない、ですか?」
「ううん。美味いよ」
さらっと答える。
だって、本当の事だから。
「ほんとですか!」
私の言葉に、すずめの顔がぱっと明るくなる。
さっきまでの落ち込みが嘘のよう。
その顔を見て、ようやく朝飯が腹に入っていくようだった。
すずめの気持ちは何となく分かる。
自分の味に自信が無い訳じゃないのだろうが、料理を作る側の人間としてはそれでも不味いと言われるとショックなんだろう。
この子の料理を食べるのは、実の所、今朝が初めてだしね。
何となく緊張していたのだろう。
「・・・・・・・・・」
すずめの顔を見つめる。
年相応の無邪気な笑顔。
隣のせろりと料理の事について楽しそうに語り合っている。
二人の年が近いからか、よく喋っている所を目にするよ。
女の子同士だし、話題には事欠かないのだろうな。
そんな二人を見ながら、何となく寂しい気持ちが沸き起こらないでもなかった。
あぁ、これが、娘を持つ父親の気持ちなんだろうか。
とか、訳の分からない事まで、しみじみと思ってしまう始末。
けど。
うん、とにかく安心かな。
この笑顔を見る限りじゃ大丈夫だろう。
すずめがうちに来て、もう一ヶ月が経つ。
あの警察署襲撃事件の後、彼女の身柄は私の予想通り、あっさりと釈放された。
まだ仮釈放の段階だが、警察の話によると、裁判の判決も大方私の予想通りに行きそうだという。
だから裁判までの数ヶ月間、彼女の身柄は予定通り私が引き取る事になった。
一か月。
早いようで、短い時間だった。
・・・うん、つまり光陰矢のごとしだ。
二人の女の子にドキドキしていたら、あっという間に時間が過ぎていた。
まだ何もしていない。
何をしようかも決めていない。
ただ、よからぬ想像を膨らませていただけの一か月だった。
・・・・・・・・・
私は、本当にダメな大人かもしれない。
まだ片付けなくちゃいけない事も残っているし、今後の事とかも考えなきゃいけない筈なのに、まぁもうどうでもいいか女の子と一緒に生活できるなんて超ラッキーッ!
なんて考えている次第です。
しかも、その考えは今日、今現在に至っても・・・
変わっておりませーんッ!
見たい、知りたい、触りたいッ!
願望欲求衝動理性。
全部中学生並の大人が今、私の中に居ます。
・・・・・・・・・
ハハッ。
なんて清清しい朝なんだろう。
そんなこんなで。
「・・・なぁ、せろり。今日の予定は?」
食後のお茶を飲みつつ、何の気なしに。
「特にありません」
期待通り。
素っ気ないその返事と、君の愛くるしい笑顔だけで私は満足だよ。
仕事が無くたって、せろりとだったら生きていける。
二人一緒に歩んで行こう、無職の道。
・・・・・・・・・
一か月前のあの仕事以来、私はニートだ。
おっと間違えた、休職中だ。
次のお仕事のための準備期間だ。いや充電期間かな?
まぁどっちでもいいや。
そんな風にボヤーっとした感じで、
「そっか」
窓の外に目を向けつつ、適当に答えた。
今日も終日休日か・・・
外の景色も移ろったなぁ・・・
もう冬だなぁ・・・
雪降らないかなぁ・・・
なんて、どうでもいい事が頭の中をフラフラしていた。
「あの、勃起○さん」
と、そんなフラフラな頭の中にすずめの声が響いた。
「・・・うん?どうしたの、すずめちゃん?・・・・・・っていうか、伏字使う場所間違えているよ。正しくは、勃○丸さんだよ」
懇切丁寧に説明。
自分でも何が言いたいのか定かでない。
「えっと、あの・・・○起丸さんが何を言っているのか解りませんが、今日はお暇なんですよね?」
すずめは布巾で手を拭いながら私の対面、テーブルの椅子に着いた。
彼女が席に座ると、台所の奥からせろりがお茶を運んできた。
「お皿洗い、ありがとうございます」
と、見るからに温かそうな湯呑をすずめに手渡す。
「あ、どうも・・・」
受け取った彼女は、湯呑を両手で包みこむように持ち、ほぅ・・・とため息をついた。
そんな彼女を眺めながら、この時期の皿洗いは大変なんだろうな、と他人事のように思ってしまった。
見れば、すずめの指先は真っ赤になっている。
もともと色白だったせいもあり、その赤色が何とも痛々しい。
けど、その赤みもせろりの淹れてくれたあったかいお茶のおかげで元の白い指先に戻っていく。
あぁ、なんか良いなぁ・・・
笑い合う二人の少女が何とも微笑ましい。
こういう和やかな空気が・・・あぁ・・・
ずっと続けば好いのになぁ・・・
・・・と、なんだか冬の朝の暖かなティータイムのせいで話がズレた。
「で、すずめちゃん。今日なんか用事でもあるの?」
半ば強引に話を戻す。
「あ、すみません」
と、思い出したように顔を上げ、手に持った湯呑をテーブルに置いた。
そして少しだけ、意を決したように胸の前で手を握ると、
「実は今日、高校の編入の手続きがあるんですけど・・・」
そこまですずめが言って、私は、はたと思い出す。
そういえば、そうだった。
彼女は殺人犯ではあるものの、曲がりなりにも学生の身分だ。
いかに前科者といえども、まだその将来を否定するには早過ぎる。
だから彼女の高校再入学の話は、警察署でさんざん聞かされていた。
はず。
筈なのだけれども、今の今まですっかり忘れていた。
・・・・・・・・・
うん、保護監察者、失格だね。
いや、観察はしてたよ。
じっくりとね。
・・・・・・・・・
いやいや。
違う。
そういう意味じゃない。
そういう不純な意味でなくて。
単に、この子のおっぱいは柔らかいのかなぁ・・・っていう、そんな気持ちで彼女を観察していたんだよ。
うん。
そう・・・純粋なエロ、さ。
清清しいほどエロい気分で、彼女を観察していたのさ。
「そう言えば、今日だったかな?」
至極自然を装いつつ、忘れていた事を誤魔化す。
壁に掛けてあるカレンダーなんかを眺めながら、さも、そうか今日だったのか・・・みたいな顔をしてみる。
ちなみに、カレンダーを眺めてはいるが、今日が何日なのか私には全くわからない。
変化のない日常に堕落しきったせいか、日付の感覚など、これっぽっちも残っていない。
「はい。それで、その・・・」
そんな私に気づく事もなく、すずめは続けた。
「一人だと心細いので、勃起丸さんについて来て欲しいのですが・・・」
とても不安そうな瞳を私に向ける。
その不安は、社会に復帰することへの不安なのか、私に断られることへの不安なのか。
多分、そのどちらも有るのだろう。
しかし。
何だそんな事か。
別にどうという事もない。
どうせ今日も散歩して飯食って寝るだけだったからね。
だから、
「うん、いいよ」
軽く。快諾。
それも、散歩のついでだよ、と軽い二つ返事で。
でも、それだけで。
笑顔になる奴が居るんだから、断る道理が無いよね。
「ありがとうございますッ!○起○さん、すぐに支度してきますね」
と、最後は元気良く部屋から出て行った。
元気良く人の名前を伏せて言った。
・・・・・・・・・
「だからね・・・すずめちゃん」
はぁ。
と、私は溜息をつく。
それじゃ誰だか判んないよ。