魔王倒して一週間、婚約者に「これでやっと家に尽くせるね」と言われた件
魔王討伐という華々しい功績を讃えたパレードは、王都中を沸き上がらせるほど盛大に執り行われた。
無数の人々が沿道に並び、歓喜に満ちた表情で勇者たちに声をかけている。
ありがとう、よくやってくれた、救世主だ──そう言葉をかけ、色とりどりの紙吹雪を散らす民衆に手を振りながら、勇者の1人であるフェリカはとある人を探していた。
(エメット様、エメット様は……)
早く、あの穏やかで温かな笑顔に会いたい。
「──フェリカ!」
そう人々を見渡していたフェリカは、一際響く声に一瞬息を止めた。
声の方を見やると、蜂蜜色の頭髪を持つ青年が、満面の笑みを浮かべながら大きく手を振っている。エメットだ。
「行ってきなよ、フェリカ!」
隣を歩いていた仲間がフェリカの背を押す。
フェリカは大きく頷くと、会いたくて会いたくてたまらなかった彼の元へ駆け出した。
(会えてよかった、また彼の元へ帰ってこられてよかった)
魔王討伐へ向かう直前のことだ。
エメットは、これから死地へ向かうフェリカの手を取って「君が戻ったら結婚してくれないか」と言った。
エメットは子爵家の息子だ。
卑賎な生まれの自分が想っていい相手ではない、と気持ちを押し殺していたフェリカは、その言葉に涙を流した。絶対に、彼の元へ帰ってこようと思った。
「エメット様!」
「ああよかった、君に大きな怪我がなくて……!」
二人は手を取り合う。
美しい愛の光景に、民衆がわぁっと湧き立ったところで、エメットは待ちきれない様子で身を乗り出した。
「五体満足で帰ってきてくれてよかった。これで君も、やっと家に尽くせるね!」
◇◇◇
時は少し遡る。
「──……リカ? フェリカ! 起きてフェリカ!」
名を呼ぶ声が聞こえ、フェリカはぴくりと手を動かした。
重たい瞼を開けると、泣きそうな顔でこちらを覗き込んでいる少女が、勢いよく飛びついてくる。
「うわーん! やっと起きたぁー!」
「い、痛いよ、ポピー……」
「だってもう一週間も目覚めなかったんだもん! ロキなんてもう起きないって言うからぁ!」
「『パレードまでには起きないんじゃないか』って言ったんだよ。ちゃんと話聞いてたか?」
という言葉も聞かず泣きじゃくるポピーに、革張りのソファに腰掛けていたロキが肩をすくめる。
そこでフェリカはようやく、自分がやたらと豪勢な部屋で寝かされていたことに気付いた。
(ここは、王城の客間?)
未だ覚醒しきっていない頭をなんとか働かせてみるが、魔王を討伐してからの記憶がさっぱりない。
フェリカが意識を失っていたという一週間の間に、王都へ帰ってきていたのだろう。
フェリカはポピーの背を撫でながら、ぼんやりと自分の置かれた状況を振り返った。
『300年後、このレスト王国に、すべての魔物を統べる王が現れるだろう』
稀代の予言者がそんな遺言を残してから、早300年。
予言通りに現れた魔王を討伐するため、国王は各地で名を馳せていた4人の冒険者を招集した。
20歳のフェリカも、そのうちの1人である。
フェリカは貧しい生まれだ。
親も兄弟もおらず、できることと言えば魔法だけ。そんなフェリカには、命を賭して魔物と戦う冒険者になる以外に、お金を稼ぐ選択肢がなかった。
幼い頃からがむしゃらに魔物を討伐し、数年が経つ頃には、名の通る冒険者になった。
そんなフェリカに国王から魔王討伐の依頼が来たのは、当然のことと言える。
見事討伐となれば、褒賞として伯爵位が与えられるらしい。フェリカは地位に興味はなかったが、しかし他にやることもなかった。
(……倒したんだなあ、魔王)
目をつむり、フェリカは細く息を吐く。
文字通りの死闘だった。
魔王の起こす炎が皮膚を焼き、ボロ雑巾のように壁へと叩きつけられ、幾度となく骨が砕ける音を聞いたが、それでも痛みに耐えて立ち向かった。
国と、隣で戦う仲間を守るためにだ。
「おいポピー、程々にしておけよ? そいつ、ただでさえ肋骨がほとんどやられてるのに、それ以上折ったら今日のパレードで歩けなくなる」
「えっ!? あ、ご、ごめんフェリカ!」
ロキがにやりと口角を歪めて言えば、ポピーが慌てて距離を取る。
フェリカは上半身を起こすと、ずきずきと痛む肋骨をさすりながら尋ねた。
「パレードって……魔王討伐の凱旋パレード? 今日だったの?」
「そー。それも国王がえらくはしゃいでて、随分と豪勢なものになるんだと。俺たち、王都を2時間もかけて歩かされるらしい」
「だからフェリカが起きてくれてよかった! フェリカ抜きで歩くのも寂しいし、それに『会いたい人』もいるもんねー?」
したり顔で言うポピーに、フェリカはぼんっと音が出そうな勢いで頬を染めた。
「そ、そういうのじゃないよ!」
「えー? でもフェリカ、あの人に会いたくて頑張ってたんじゃないのー?」
「違うって! もう、からかわないで……!」
そう口では言いつつも、フェリカの顔は耳の先まで真っ赤である。隠しようのない、完全な図星だ。
フェリカには婚約者がいる。
子爵家の次男で、名前をエメットという。
エメットは線の細い青年で、幼い頃から魔物と戦ってきたフェリカと違い、読書を趣味にする穏やかな性格だった。
今にして思えば、きっかけは本当に些細なものである。
領地付近の魔物討伐を依頼されたフェリカが完了の報告へ赴くと、彼は顔を真っ青にしながら「大丈夫か!?」とフェリカの手を取った。
その時のフェリカの手は、傷と血と土で随分汚れていた。
といっても、冒険者であるフェリカからすれば、この程度の怪我は日常茶飯事である。
それでもエメットはフェリカを心配し、服の袖が汚れるのも厭わず手当てをしてくれた。
フェリカが彼に好意を持つのには、それで十分だった。
だがエメットは貴族の息子だ。
フェリカのように「野良犬」と揶揄され、死と隣り合わせの場所に身を置くような人間とは違う。それでもエメットは、フェリカと婚約をしてくれた。
飛び上がるほど嬉しかった。
想いを秘めたまま終わると思っていた。
フェリカは涙ながらに婚約を受け、絶対に彼の元へ帰ると誓った。
魔王に蹂躙され、恐怖と痛みで足が止まりそうになった時、思い浮かべていたのはエメットの顔だった。
「へへ、とびきり綺麗にしないとね、フェリカ!」
「……う、うん……」
「じゃあ、そろそろ準備しなきゃだし行くね。メイドさんが呼びに来るはずだから、フェリカは『一番可愛くしてください』って言うんだよー!」
ポピーはきゃいきゃいとはしゃぎながら部屋を出ていく。
自分もそろそろ支度をしなければ。そうベッドから抜け出したフェリカは、未だソファに腰掛けたままの仲間に目をとめた。
「ロキも準備じゃないの?」
「ん? あー……」
長い脚を組み、落ち着かない様子で視線をさまよわせていたロキは、曖昧に返事をして立ち上がる。
それから大股で歩み寄ると、フェリカの目の前で立ち止まった。
「……え、なに?」
小柄なフェリカに対し、剣士であるロキは、男性の中でも長身だ。
端正な顔と美しい黒髪が相まって、すらっとした細身に見えるが、そばに立つとその厚みに圧倒される。
日頃からよく鍛えているのだろう。魔王を討伐する旅の中で、偶然上裸のロキを目にしたことがあるので間違いない。
あの時は肉体に似合わず、ロキの方が顔を真っ赤にして狼狽えていた。「変態」と言われた時には、どっちがだと反論してしまったが。
「いや……。お前、パレード出るのか?」
「出るよ。起きたし」
「やめとけよ。寝起きだろ」
「歩けるから大丈夫でしょ」
「大丈夫じゃない」
ロキはいつもの人を食ったような笑みを引っ込め、露骨に眉根を寄せた。
「あのなあ、俺、お前が死んだと思ったんですけど」
「……そうなの?」
「そうだよ。お前、俺がどれだけ急いで心臓の音確認したか知らないだろ」
「えっ、触ったの?」
「さっ──んなわけあるか! 婚約者持ちの奴の身体ベタベタ触るわけないだろ!」
なかなか怪しい焦り方だが、フェリカはロキが思いのほか誠実であることを知っている。フェリカは小さく息を吐いた。
「わかったよ。心配してくれてるんでしょ?」
「違っ、そういうのじゃ──」
「でも多少無理してでも出たいの。こんな機会二度とないだろうし、会いたい人もいるから」
エメットの元へ戻ると誓っていたから、きっとここまで頑張れた。
穏やかで、真摯で、フェリカにもとろけるような笑顔を向けてくれる、愛する人。本当は一刻でも早く彼に会いたい。
フェリカは思わず窓の外へ視線をやった。
ロキはそんなフェリカの視線を追うように目を細め、しばし押し黙る。
やがて「そうか」とだけ呟くと、そのまま踵を返して部屋を出ていった。
魔王討伐の記念パレードは、それから数時間もしないうちに始まった。
救国の勇者の凱旋に、民衆は熱狂している。
フェリカが目に涙を浮かべながらエメットへ駆け寄った時、人々は歓喜に声を上げた。婚約者を想いながら戦った勇者の愛に拍手が巻き起こる。
──が、笑顔で口を開いたエメットは、何よりも先にこう言った。
「五体満足で帰ってきてくれてよかった。これで君も、やっと家に尽くせるね!」
婚約者は興奮気味に頬を上気させている。
その言葉の意味を理解できず、フェリカはぽかんと口を開けたまま動きを止めた。
「い……家?」
「だって魔王を倒したんだろう? なら君もやっと家の手伝いができるじゃないか。これからは領地で働いてくれるんだよね?」
楽しげに話すエメットの口からは、命をかけて国を救ったフェリカを案じる言葉が出てこない。
てっきり祝福や労いの言葉がもらえるものだと思っていたフェリカは、一瞬だけ表情を強張らせたあと、慌てて笑みを作った。
(私ったら、褒めてほしいだなんて図々しい。エメット様だって、きっと色々大変だったんだ)
フェリカは浮かれていた自分を叱咤する。
しかしその周囲では、勇者と婚約者の再会を見守っていた民衆が、ほんのりとざわめき出していた。
当然だった。煌びやかな衣装に身を包んではいるが、フェリカの身体がボロボロであることは一目瞭然だ。
わずかに覗く肌には無数の傷が残り、ドレスの裾が揺れるたび、足首に巻かれた赤黒い包帯が見え隠れする。
首元に負った火傷のあとは、もう生涯消えることはないだろう。フェリカだけではない。同じようにパレードを歩く3人の勇者も、皆こうしているのが奇跡なほどに満身創痍だ。
「僕は本当に運がいいよ! ちょうど手が足りていないところに元気な君が帰ってきてくれるなんて。君の魔法があれば帳簿の整理も楽に済むし」
「え、ええと……」
「君のおかげで色々うまく行きそうでさ、これから領地の仕事も忙しくなるんだ! 君にもうんと働いてもらわないと」
にも関わらず、まるでちょっとした出稼ぎから帰ってきたかのような口ぶりに人々の視線が集まる。
それでもフェリカはどうにか心を落ち着けながら、何とか婚約者との会話を試みた。
「あ、あの、エメット様」
「うん?」
「魔王がいなくなっても、各地には残党の魔物がいます。皆さんの安全を守るために、私はそれを討伐しなくてはなりません。ですからもうしばらく旅に出る予定で」
魔王を討伐したからといって、その配下である魔物たちがまるっと消えてくれるわけではない。
魔王がいないぶん多少は弱体化しているだろうが、それでも人を襲う魔物だ。人命がかかっている以上、王国随一の実力者と呼ばれるフェリカたちが休んでいるわけにはいかない。
「……えっ?」
そんなこと誰だってわかっていただろうに、エメットは目を丸くした。
まだ魔物がいるなんて思わなかった、とでも言いたげな顔である。エメットはわずかに眉を寄せると、不満げに視線を逸らしながら言った。
「でも、それは……わざわざ君が行くほどのことじゃないと思うけど」
今度はフェリカが目を剥く番だった。
そんなわけがない。硬い守りの中で暮らしている貴族と違って、平民は毎日魔物の恐怖にさらされているのだ。
「じゃあ君が戻ってくるのはいつになるんだ?」
「少なくとも、あと半年は……」
「半年!?」
「あ、で、でも、まったく王都に帰らないというわけじゃないんです。エメット様にはその、定期的にお会いしたいなと思っていますし」
「そういうことじゃない! 困るよ!」
エメットはフェリカの両手を離すと、今度は両肩を強く掴んだ。肩に負った傷がじくりと痛む。
「伯爵位の叙爵が遅れるじゃないか」
耳を疑う言葉だった。
伯爵位。魔王討伐の褒章として、フェリカたち勇者に与えられる爵位のことだ。
なぜそれを彼が気にするのだろう。
エメットはブツブツと何かを計算し始めたかと思うと、小さく息を吐いた。
「わかった、じゃあ君はその討伐とやらに行っていい。その代わり、先に叙爵の手続きと結婚だけ済ませてくれないか? 叙爵はともかく、結婚は書類に名前を書くだけで終わるからさ」
それから口の横に手を添えると、周囲に聞こえぬよう小さな声で言う。
「魔王討伐の報せが入ってすぐに、母様に報告してしまったんだよ。『僕が婿入りするから伯爵位が貰えるよ』って」
「…………」
「母様もすごく喜んでて、もう叙爵の儀に着ていくドレスも選んでるんだ。君は母様とあまり仲が良くなかったみたいだけど……、でも母様が悲しむ顔は見たくないだろ?」
いよいよフェリカは言葉を失った。
母様。
エメットの母である、子爵夫人のことだ。
フェリカにとって、子爵夫人は誰よりも恐ろしい存在だった。
異常なまでに息子のエメットを溺愛する彼女は、愛息と親しくするフェリカへ容赦のない敵意を向けていた。
貧しい出自ゆえ冒険者として生きていくしかなかったフェリカを「野良犬」と蔑み、吐き捨てるように揶揄したのも、他ならぬ子爵夫人その人である。
「あと、恩賞金もいくらか渡してほしいって母様が言ってるんだ。それは大丈夫だよね?」
罵声を浴びせる母を見て、エメットもフェリカの前では「やりすぎだ」と言ってくれていたのに。
「もちろん、タダで貰おうってわけじゃない。伯爵位と一緒に領地が貰えるだろ? 恩賞金を分けてもらう代わりに、母様がその領地の開拓を引き受けてくれるって言うんだ。君は討伐に出るって言っていたし、母様に任せれば安心だろう? 僕はその……そういうのあまり明るくないからさ」
それだけの仕打ちを受けてきたというのに、エメットは母が喜ぶから結婚しようと言い、王から出る魔王討伐の恩賞金も、母のために渡せと言う。
あげく、フェリカに与えられる領地の開拓まで母にやらせろと言い出す始末だ。
まるで、恩賞金を受け取る代わりにやってあげるのだと言わんばかりに。
(……ああ……)
目の前でフェリカが子爵夫人に殴られ、罵倒されていても、エメットにとってはその程度──『あまり仲が良くなかった』で片付く話でしかなかった。
(そうか。私は勘違いしていたんだ)
フェリカは、婚約者は自分のことなど愛していなかったことに気が付いた。
うぬぼれていた。優しくされて舞い上がった自分が恥ずかしい。
振り返ってみれば、タイミングも露骨だった。エメットが婚約を切り出したのは、魔王討伐の褒賞として伯爵位が与えられるらしいと市井に知れ渡った頃である。
愛の言葉を囁かれた記憶もないというのに、とんだ思い上がりだった。
彼にとって一番は母親で、命をかけて戦ったフェリカは、子爵夫人を喜ばせるための手段でしかなかったのだ。
途端に、フェリカの顔から表情がストンと抜け落ちる。
それを見て何を思ったか、エメットが慌てたように言葉を継いだ。
「もしかして、頬を打たれたことを気にしてる? あれは確かにその……母様も悪かったよ。でも母様なりの愛なんだ」
雲行きの怪しい再会劇に、周囲の人々がどよめいている。
「言葉足らずだから伝わりづらいだろうけど、母様は君に期待してるんだ。厳しくするのはそれゆえで、いつかきっと──」
「失礼」
その時だ。
耳元で聞き馴染みのある声がしたと思ったら、ぐいと身体を引き寄せられた。
フェリカの背中が、誰かの硬い胸板に当たる。
視界の端で、剣士とは思えぬほど美しい黒髪が揺れた。
「そろそろ返していただいてよろしいですか? どうもパレード中にするお話ではないように思いましたので」
完璧な笑みを貼り付けたロキは、「だから言っただろ」とでも言うように、節くれだった指でフェリカの頬をつまんだ。
◇◇◇
「……動きやすいドレスにしてもらったとはいえ、着飾ってんのに切り株に座るなよ」
気づけばフェリカは、ロキに手を取られ、王都の裏手に広がる静かな森へと連れ出されていた。
「……パレード、途中で抜けちゃだめなんじゃないの」
「お前、自分がどんな顔してるかわかってるか? 辛気臭い顔見せる方が失礼だ」
「でも」
「あとはポピーとカミーユが上手くやってくれるだろ」
そう言って、ロキは小さく鼻を鳴らす。
あの2人には迷惑をかけてばかりだ。かと言って民衆に笑顔で手を振る気力があるわけでもなく、フェリカは肩をすくめた。
「ロキはさ、これから何するの?」
沈黙が落ちると、余計なことを考えてしまいそうになる。
それが嫌で尋ねると、ロキは数度瞳を瞬かせた。
「別に、さほど変わらないだろ。残った魔物討伐して、ついでに行ったことない場所でも旅するかな」
「えっ……それでいいの? 爵位もお金も貰えるのに?」
「誰もくれなんて言ってないだろ。見た目だけ豪華な屋敷で暮らすより、知らない場所で未知の酒でも飲む方がよっぽど楽しい」
酒好きのロキは得意げににやりと笑う。
相変わらずだ。フェリカは小さく息を吐いて立ち上がると、木々の隙間から荘厳な王城を見やった。
ちょうど1年前。
魔王討伐を志した4人の冒険者たちは、あの王城に集められた。
剣士のロキ、魔導士のフェリカ、弓使いのポピーと、槍使いのカミーユ。
どれも魔王討伐に足るとされた、王国随一の冒険者たちだ。即席のパーティを組んだ4人は、それから1年かけて旅をした。
最初はまあ酷かった。
というかフェリカとロキの2人が酷かった。
とにかくお互い馬が合わず、日がな一日言い争っては、元からコンビを組んでいて仲も良かったポピーとカミーユに呆れられていた。
ロキは社交的だが、依頼主と円滑にコミュニケーションを取るための癖なのか、とにかくキザったらしい物言いが目立つ。
対してフェリカは無愛想で、お世辞を言うこともできない生真面目な性格だ。旅を始めてひと月が経過する頃には進んで会話をしなくなり、ふた月も経った頃には、些細なことでよくぶつかるようになった。
「……結局、ロキの言う通りだった」
ぼんやりと呟くと、ロキが「はぁ?」と首を傾げる。
「貴族の婚約者がいるって言った時、『上手くいくわけない』って言って喧嘩になったでしょ。その通りだった」
「あ?……」
「あのときの私、エメット様は自分のことを愛してくれているんだって本気で思ってたの。笑っちゃうよね」
けれど、勘違いしていたのはフェリカの方だった。
彼にとってフェリカは愛する対象などではなく、母を喜ばせ、その望みを叶えるための手段でしかなかったのである。
「浮かれてたなあ。私でも愛してくれる人がいるんだって」
婚約者は労いの言葉すらかけてくれなかったのに、一人で有頂天になって恥ずかしい。
(よくよく考えてみれば、私が生還したら伯爵位で、死んでいても婚約がなくなるだけだもの。どっちに転んでも良かっただけなんだろうな……)
何度目かわからないため息を吐き、ぼんやりと空を眺める。
ふと、魔王との最後の戦いを思い出した。
あの時フェリカは、魔王の放った業火をまともに受け、地に伏していた。
皮膚が焼けるも、骨が軋む痛みも、仲間の叫ぶ声も、今でも思い出せる。
足がもつれ今にも倒れそうな中で、朦朧とする意識をつなぎ止めることができたのは、帰りを待つ人がいると信じていたからだ。
焼けかけた喉から声を振り絞り、震える手で杖を構えた。あと一発、あと一発だけ。彼の元へ帰るためにだ。
(……あのときの私の気持ちは、なんだったんだろう)
帰る場所だと思っていた彼が欲しかったのは、母を喜ばせる金と地位だった。
「ったく、だから言ってやったのに。パレードなんか出るもんじゃねえって」
「……うん」
「ロマンス劇みたいに手まで取り合うもんだから、お前たち随分と注目されてたんだぞ。結果これじゃ、しばらくは面白おかしく噂されるかもな」
フェリカの心情が重苦しいことを悟ったのだろう。ロキが茶化すような声色で言う。
フェリカは自分の手のひらを見下ろした。
無数の傷や火傷の痕が、白い光の中に浮かぶ。
人々を守るため、杖を握りしめた手だ。
爪が割れ、骨が折れ、それでもどうにか魔法を放った手だ。
この手を取ったエメットが真っ先に言った言葉は、「やっと家に尽くせるね」だった。
「……っ」
不意に、視界がぐらりと歪んだ。
泣きたいのか怒りたいのか、自分でもわからない。ただ胸の奥が握り潰されたように痛くて、フェリカは拳をきゅっと握った。
「……フェリカ?」
呼びかける声に応えることもできず俯く。
命をかけた。本当に地獄のような戦いだった。
それでもどうにか踏ん張って帰ってきたのに、待ち受けていた現実はこれだった。
エメットは自分のことなど愛していなかった。
彼にとっては生死もどうでもいいような人間で、結局は彼にとっても『野良犬』でしかないのだと。
唇を噛んだ、その時だった。
「えっ」
不意に手首を掴まれ、そのまま引き寄せられる。
フェリカが驚いて顔を上げると、どこか焦ったような顔をしたロキと目が合った。
「……びっ、くりした……」
こちらのセリフだ、と返す間もなく、ロキは小さく息を吐く。
「泣いてんのかと思った……」
「は」
「悪かったよ、茶化して。だからそんな顔すんな」
どうやら、泣かれたと思ったらしい。
フェリカは笑って首を横に振った。まさか、そんなヤワな性格はしていない。
「そんなことで泣かないよ。大丈夫、大丈夫」
「…………」
「自分がその……みっともないなって思って反省してただけ。確かにちょっと悲しいけど、勘違いしたのは私の方だし」
そう気丈に振る舞ってみたものの、ロキはいやに真面目な表情を崩さない。
いっそ笑い飛ばしてくれた方がマシだというのに、珍しく心配してくれているらしい。
それがなんだかむず痒くて、フェリカは掴まれた手首を振り解こうと力を入れた。
「嘘つけ」
それと同時である。
引いたはずの手首が、今度は強く引き寄せられた。
ロキの端正な顔が鼻先の距離にまで迫り、フェリカは息を呑む。
「ちょっ、なに──」
「そんな顔で『大丈夫』とか言うな」
何が、と問う前に、ロキが口を開いた。
「俺が、どれだけお前のこと見てきたと思ってんだよ」
ロキの視線は、まっすぐフェリカを射抜いていた。
フェリカは思わず言葉に詰まる。
旅の中でロキの目を見る機会は何度もあったが、こんな目は初めてだった。
怒っているようで、けれどその奥には、なにか別の感情が、ゆらゆらと揺れている。
「お前が城で眠りこけてる間、俺は10分に1回お前が息をしてるか確認しないと、不安で頭がおかしくなりそうだった」
「ロキ……」
「それなのにあの息子は見舞いにすら来なかった。婚約者がもう起きないかもしれないと伝えてやったのにだ。馬鹿みたいだろ」
ロキは掴んでいた手首をそっと離すと、代わりにフェリカの手を取った。
傷だらけで、お世辞にも綺麗とは言えないフェリカの手を、ロキは壊れ物に触れるように包む。
「フェリカ」
切実な声で名を呼ばれる。
ロキはまるで縋るような、懇願するような表情で、それでも続けた。
「そんな顔させる奴と、結婚なんてするな」
ロキの顔にはいつもの余裕も、人を食ったような笑みもない。
ただ眉を下げ、唇を引き結んで、祈るようにフェリカの手を握っている。
「……あんなのと結ばれるくらいなら、俺に攫われた方がずっと幸せだ」
ロキはそれ以上何も言わなかった。
言えなかったのかもしれない。その代わり、フェリカの手を包む指先に力がこもった。
まるで、この手を離してしまえば、もう二度と触れられなくなるとでもいうように。
(──な、なに、これ)
フェリカは動揺していた。一年間共に旅をして、それでもこんな顔をしたロキを、フェリカは見たことがなかった。
いつだって飄々としていて、余裕のある態度で人をからかうばかりのロキが、まるで拒まれることを何よりも恐れるような目でフェリカを見つめている。
行くなと、暗に訴えている。
「こ……婚約者がいる人の身体は、ベタベタ触らないんじゃなかったの」
いくらかの沈黙ののち、フェリカの口からやっと出たのは、そんな可愛げのない言葉だった。
「……ああそうだよ」
「じ、じゃあこれは、どういう……」
「だから確認してる」
ロキの目がわずかに細まる。
繋いだ手はそのまま、逃がさないとでも言うように、ゆっくりと指が絡んだ。
「お前がまだ、あいつの婚約者でいるつもりなのか」
「…………」
「そうなら離してやる。でも違うなら」
そこで、ロキは一度言葉を切った。
何かに迷っているかのようだった。ロキは喉の奥で息を詰まらせ、けれどフェリカの手を離そうとはしなかった。
「……違うなら、俺はもう遠慮しない」
熱を帯びたロキの視線が、フェリカにじっと突き刺さる。
告白というには不器用な言葉だった。
絡められた指先が熱い。
何かを言わねばならないことはわかるのに、何を言えばいいのかがわからない。
フェリカにとってのエメットは愛する人だった。
帰る場所だと信じていた人だった。
けれど、その相手は命がけで掴んだものを全て奪うような言葉を向け、対して目の前の男は、まるでフェリカを失うことを恐れるような顔をしている。
「……今すぐ答えろとは言わない」
フェリカのぐちゃぐちゃな胸中を察したらしい。ロキが低く言った。
「今のお前に早く決断しろとも言わない。ただ」
ロキは、フェリカの手をそっと持ち上げる。
傷だらけの手だった。
魔法の杖を握りしめ、炎に焼かれ、血に濡れ、魔王を討った手。
エメットが、領地の仕事に使えると言った手だ。
「この手を、あいつらのために使うな」
「…………」
「お前が戦うのは、誰かに使い潰されるためじゃない。お前が守りたいもののためでいい」
フェリカは息をのんだ。
そうだった。
フェリカはずっと、誰かに認めてほしかったのだ。
貧しい生まれで、野良犬と蔑まれ、傷だらけでも、自分には価値があると思いたかった。
誰かに愛される資格が、自分にもあるのだと知りたかった。
だからエメットの優しさに縋った。
彼が差し出した手を、帰る場所だと思い込んだ。
でも、違った。
エメットが見ていたのはフェリカではない。
伯爵位で、恩賞金で、母親を喜ばせるための都合のいい道具だった。
「……私は」
フェリカはゆっくりと息を吸った。
「私は、エメット様の家に尽くすために生き残ったんじゃない……」
小さな声だった。
けれど、言葉にした瞬間、胸の奥に刺さっていたものが少しだけ抜けたような気がした。
「子爵夫人を喜ばせるために魔王を倒したんじゃない……。伯爵位も恩賞金も、あの人たちのためのものじゃない」
「ああ」
「婚約、破棄する」
言葉にすれば、不思議なほど迷いはなかった。
エメットを愛していなかったわけではない。彼の元に返りたくて頑張った気持ちまで嘘にしたくはない。
けれど、その気持ちを踏みにじられてなお、彼の妻になりたいとは思えなかった。
「ああ、それがいい」
ロキはほっと安堵したように笑う。
あの場には大勢の民衆がいた。
エメットの言葉は、すべてではなくとも周囲に聞こえていただろう。
魔王を討った勇者へ、家に尽くせと言ったこと。
伯爵位の叙爵を急げと言ったこと。
恩賞金を母に渡せと言ったこと。
あの場にいた全員が証人だ。文句を言う人間はいないだろう。あの親子以外は。
「全部、終わらせてくる」
フェリカはようやく笑った。
ロキが同じように笑い返した。いつかポピーが、喧嘩する2人を見て「似たもの同士だ」と言ったことを思い出した。
◇◇◇
その後のことは、驚くほど早かった。
王城へ戻ったフェリカは、近衛兵と文官の立ち会いのもと、エメットに婚約破棄を告げた。
エメットは最後まで「誤解だ」と繰り返していたが、パレードでの発言を聞いていた証人はあまりにも多かった。
パレードの途中で婚約者を置いてどこかへ行くなんて、と憤慨していた子爵夫人もまた、「卑しい身分のくせに」とフェリカを罵った。
けれどその言葉は、魔王を討った勇者への侮辱として、彼女自身の首を絞めるだけだった。
エメットと子爵夫人がパレードの場で口にした言葉は、瞬く間に王都中に広まった。
魔王を討った勇者を労うどころか、爵位と恩賞金を当て込んで婚約していたのだと噂され、子爵家は社交界で笑いものになった。
それだけではない。
子爵家と長年取引のあった侯爵家が今回の一件に激怒し、領地間の交易を打ち切ると通達してきた。
もともと経済事情の苦しかった子爵家にとって、それは痛手どころの話ではなかった。ともすれば、家そのものが傾きかねないほどの打撃である。
フェリカの伯爵位と恩賞金を当て込んでいた計画は、当然ながらすべて白紙になった。そこへ取引を打ち切られたことで、子爵家は瞬く間に資金繰りに行き詰まった。
借財の返済は滞り、屋敷の維持すらままならなくなる。
使用人は暇を出され、調度品は売り払われ、子爵夫人が得意げに選んでいたドレスも、袖を通されることなく質屋へ流れた。
それでも社交界で同情する者はいなかった。
魔王を討った勇者を利用しようとした家、という悪評は、子爵家に残されたわずかな信用すら奪っていったのだ。
フェリカは正式に伯爵位を授かった。
とはいえ、立派な屋敷に住む気にはなれなかった。
与えられた領地の管理は信頼できる代官に任せ、恩賞金は、魔物被害を受けた地域の復興に充ててほしいと王へ申し出た。
そして、叙爵からしばらくして。
フェリカは王都の門の前に立っていた。
「ねえ、もう行くの?」
ポピーが寂しそうに眉を下げる。
「うん。残党の魔物もまだいるし、それに……少し、旅がしたい」
「そっかあ。じゃあ、落ち着いたら手紙ちょうだいね! 絶対だよ!」
「うん。ポピーもカミーユと仲良くね」
「もちろん! フェリカもね!」
ほんのりと顔を赤らめるポピーの横で、カミーユが涼しい顔をしている。
フェリカは少しだけ笑った。
胸の痛みは、まだ完全には消えていない。肋骨だって痛むし、杖を握る手にも包帯は残っている。
それでも、笑えた。
「準備できたか?」
荷物を肩にかけたロキが、少し離れた場所から声をかけてくる。
「もう大丈夫」
「よし、じゃあ出発するか」
「うん。……って思ったけど、これからどこ行くの?」
「そりゃ、酒がうまくて飯もうまいところだろ」
「またそれ?」
「大事だろ。で、道中見かけた魔物はなぎ倒す」
ロキはにやりと笑う。
いつも通りの軽薄な笑みだ。
けれど、あの森で見た必死な顔を、フェリカはもう知っていた。
「あのさ、ロキ」
「ん?」
「ロキは『俺に攫われた方が幸せだ』って言ってたけど」
ロキが派手に咳き込んだ。
「私は攫われるつもりはないよ」
そうはっきりと告げると、ロキが静かに息をのむ。
フェリカはそれを見て、少しだけ意地悪な気持ちになった。
「でも、一緒に旅に出るのはいい」
ロキが目を見開く。
フェリカは王都の外へ続く道を見た。
まだ見ぬ村がある。助けを待つ人がいる。美しい景色も、知らない町も、きっとたくさんある。
もう誰かに尽くすためではない。
誰かに縛られるためでもない。
自分の足で、自分の行きたい場所へ行きたい。
「だから、置いていかないでよ」
そう言うと、ロキはしばらく呆然としていた。
やがて片手で顔を覆い、深く息を吐く。
「……置いていくわけないだろ」
その声が少しだけ掠れていたことには、気づかないふりをした。
フェリカは杖を握り直し、一歩を踏み出す。
隣にはロキがいる。
背後では、大切な仲間たちが大きく手を振ってくれている。
魔王を倒して一週間。
婚約者に「これでやっと家に尽くせるね」と言われたフェリカは、その家に尽くすことをやめた。
代わりに、傷だらけの手で杖を握り、少し口の悪い剣士と共に旅に出る。
誰かに使われるためではなく、守りたいものを守るために。




