婚約破棄は、わたくしの余興ですわ 〜真実の愛(アイ)も、すべてわたくし〜
「マリベル・ルクォート!お前との婚約を破棄させて貰う!」
夜会の場、朗々と響く声。
男のそばには、傅く赤いドレスの黒髪の少女。いかにも貴族然とした姿ながら、その実……。趣味が奇術という風変わりも極まった少女だった。
そして、今しがた問題の発言を響かせた王子は――。
私。
皆の瞳に姿が映る。
第三王子、リチャード・エル・マグリッジ。
緩いウェーブの栗色に近い金の髪、瞳は黄金。目鼻立ちははっきりと、まるで少女のような甘さが漂う。
市井で流行りの恋愛小説、謳われる一節の姿そのまま。
彼の突然の登場に、どよめきが起こる。
その中には、黄色い声も幾つか混じった。
王子の口角が、満足げに上がる。
「これは余興だ!
今宵は無礼講ゆえ、私の趣向にどうか、お付き合い頂きたい!」
シルク仕立ての、蒼いマントを翻す。
決めポーズのひとつを、観衆に見せつけた。
「何故、でございますか?」
井戸の底に、暗い水面に落ちた雫のような、静かな……しかし奥底から響くような声。
騒ぎたてていた観衆の音と気配が、少女を中心に、静寂の波紋のように広がっていく。
「それはな。貴様がエリナを虐めたからだよ。」
「……エリーナ・ラトワント嬢でございますか?」
それは、同じく市井で流行りの娘。
王子と同じく、恋物語のもうひとりの主役。
「ああ。彼女は素晴らしい……。」
宙を見上げた王子の感じ入る声。
芝居がかった仕草だが、彼の風貌にはよくあっている。
マリベル嬢の伏せた顔が僅かに上がった。
これは……、化粧によって整い過ぎた容貌。エリナにも引けを取らぬほどの美貌だった。
舌打ちする。些か目立ち過ぎていた。恐らく、お付きのメイドの仕業であろうが……。
薄く開いた瞼の奥には、夜会のシャンデリアの光を受けて輝く澄んだ黒曜石の瞳。それは整いすぎた顔と相まって、些か……人形味が強すぎる。
「ええ。黒ずくめのわたくしと違う、金髪と翠玉の瞳の美しいご令嬢ですわね。控えめで……、いつもふらりと裏庭に現れては、花や子供と戯れ、微笑んでいる優しい少女。」
思い思いのイメージを馳せられるように、一拍を置いて区切る。
「……みなさま、ご存知の通りの娘。そうで御座いますね?」
流れるように響く声。
それは咎めるどころか、むしろ笑みすら含んでいた。
聴衆からは微風のような囁きと、なぜか少しの拍手まで。
音が落ち着くのを待ってから、次の言葉を紡ぐ。
「ああ、その通りだ。お前は、その娘のドレスを破き、教科書を隠し……。」
不敬にも王子の言葉を遮って、俯いたままの少女がおかしそうに笑う。
「まぁ、可愛らしい悪戯。証言したのは、メイドかしら?」
「……そうだ。」
「ふふ、でもその子。あとで探しても全然……、見つからなかったでしょう?」
「……何故それを……?はっ、まさか……!」
「――ええ、その通り……。」
王子が近づいて、触れた途端。
マリベル嬢のドレスは視界を覆い尽くすほどの大きな布になって空中を舞う。
「あのメイドは、わたくしだったのですから。」
そして代わりに現れたのは、傅いたままのメイドの少女。
真っ白なエプロンとホワイトプリム。黒を基調とした服にブーツ。
夜会の給仕を任されたメイドの制服そのものであった。
伏せていた顔が僅かに上がり、栗色の髪と深い青の瞳が僅かに覗く。
よくよく見れば、瞳も髪の色も長さすら違っているのに、表情や仕草はマリベル嬢の面影がある。
「――ば、ばかな。」
周りがまるで波のように揺れる。その中心はもちろん、一際驚愕に染まる王子だった。
一瞬にして夜会の参加者の耳目を集めるメイド。その頬がほんのり朱に染まる。そして――。
「全く、お気づきになりませんでしたわね。メイドの躾は、使う側の義務ですわよ。」
朗々と声を響かせた。
「……ええ、わたくしも勝手な盛り上げで足元を掬われかねませんもの。」
その後ろに、こっそりつけた呟きに、ぴくりとメイドの少女が反応したが……。構わずに続ける。
「一体……、アルフレッドは何をしていたんだ!」
王子が、数歩下がりながら愕然と呟く。
それは王子の友人として名高い。いや悪名高い、生徒会長の名前。
「すばらしい友情ですわ。さすが心を許した、頼もしいご友人であらせられますわね。先日も、ご一緒にカルミダ劇場でご歓談されておられましたのは、わたくしも聞き及んでございます。……もちろん、皆々様も。」
観客の中にアルフレッドを全く知らない方は、よもやいないであろうけれども。関係は言葉に紡いでおく。
「……ええもちろん、本来の彼なら存じ上げていたはず。けれども彼は、この夜会に於いては申し上げることができなかったのですわ。なぜなら――」
「ま、まさか……!」
王子が近づいて、メイドに手を伸ばす。
するとメイドのエプロンドレスが解け、まるでベッドシーツのように広がって視界を覆い尽くし……。
「――そう、それも。わたくしで御座いましたから。」
現れたのは、冷たい灰色の瞳をもつ銀髪の貴公子。
彼の象徴たる氷の微笑は現れると同時に、すでに口元にあった。
周囲が、王子と一緒にどよめきに揺れる。
別に悔しいとかは思わないけれど。黄色い歓声は、王子の登場時よりも遥かに多い。
王子は、まるでその魅力に弾かれたかのように大きく吹き飛んだ。
「うわぁっ!」
ゴロゴロと床を転がった後、両手を翳して驚愕を示す。
大きな動きに、わっと驚く声が集まって、それから笑いの音に変わっていく。
「――なん、だと……。」
王子の動揺は、もはや誰にとっても明白だった。顔色は白く、突き出した手はわなわなと震えている。
「ご友人は、見極めねばなりませんわね。」
アルフレッドを思わせる冷たい物言い。だが声はマリベル嬢のもの。
「……ええわたくしも。もう少し、外堀に気をつけておくべきでしたわ。」
小さく付けた囁きに、不敵な笑みを宿した貴公子の口元がわずかに崩れる。
だが何もなかったかの如く、言葉は先へ続いていく。
「そう、そして肝心の彼女ですけれど……。」
アルフレッドの瞳が王子に向いた。ただそれだけで、王子の目が怯えに揺れる。
「誘っても夜会には来なかった、そうでありましょう?」
「……その、通りだ。ま、まさか……!」
嘘であってくれ、そう願うように王子が手を伸ばす。
だが、アルフレッドはマリベル嬢の声のまま淡々と言葉を紡ぐ。
「ええ、そのまさか……。」
王子が駆け寄った瞬間。
彼は一礼して、跪くようにしゃがんだ。
途端、彼の周りに制服のような色の布が花のように大きく広がって、一瞬で姿が見えなくなる。
そして――。
蕾が開くように、周りに高く飛んだ布がひらりひらりとゆっくり落ちていく。
布が落ち、顕になったその中心には、祈るように両手を合わせて座った人の姿。
黄金色の結い上げた髪が、ふわりと桃色のドレスに落ちる。
宝石のよう、と謳われる翠玉の瞳、会場に等しく注がれた微笑み。
幾人かの令息があまりに目を奪われ過ぎて、婚約者に手を引かれた。
……さすが生粋の貴族令嬢。美貌の引き立ち具合は舌を巻くほかない。
呆れに近い関心を抱きつつ、言葉を続ける。
「わたくしは、エリーナ・ラトワントでも御座いましたから。」
「なにぃ…!?そんな、そんな馬鹿な……!?」
マリベル嬢の決めのセリフで起きた、大きなどよめき。王子の言葉は不本意ながら、その音にかき消された。
だから代わりに……、王子は足をもつれさせ、ド派手に転倒して尻餅をつく。
「な、何故、こんな事を……。」
息も絶え絶えの彼は、それだけを言うのが精一杯。
しかしエリナ嬢は、可愛らしく小首を傾げる。
「もちろん、婚約破棄。余興に御座いますわ。」
可愛らしい、小鳥のようなエリナ嬢の声。
しかしそれに続く言葉は、マリベル嬢の声だった。
「王子……。楽しかったでありましょう?
だって王妃様からも、婚約破棄をしても良いとお許しを得ていたのですから。」
「ま、まさか……、母上も、なのか……?」
王子の顔は、青を通り抜けて既に土気色に近い。死霊に魂を抜かれたような姿であった。
……が。ぶつぶつ何か呟いていた王子は突然沈黙し、時間が止まるように動きを止めた。
それを……、様子が変わったのを会場の誰かが気づいた。それは徐々に周りへと伝播し、笑いと囁き声が一段低いものになっていく。
そして……、十分すぎる溜めの後。
王子はバネのように跳ね起きて笑い出した。それは、得心と、勝利を得た不敵な声。
顔色が戻り、そして自信と傲慢さが顔に満ち満ちていく。
「はは、はははは……!分かった!ようやくわかったぞ!」
勝ち誇った態度で、そして自信満々に告げる王子。
「……あなたは、いや貴方様は、母でありエリナ嬢でもある女神!ならばっ!私には、かくも強く美しい味方が……!」
そしてエリナ嬢に迫り、その手を勝手に取って傅いた。許しすら得ないその行為に、観客の、主に若い令息からブーイングが飛んだ。
「…………。」
見上げる視界、間近で光り輝くその美貌。
「私よりも貴女の生の方が長い。しかしどうか……。私と一緒に暫しの時を歩いてもらえないか?」
ついうっかり王子に溺れすぎて、唇が心の奥に焼きついた大事な言葉をなぞってしまう。
しまった、と宙に飛んだ言葉に手を伸ばす。
そこだけ切り取れば、令嬢に手を伸ばす王子の、恋愛小説のワンシーン。しかし、エリナ嬢の表情は微塵も動かなかった。
「……まさか。冗談でございましょう?
わたくしがマリベルならば、あなたには頷くはずもありませんわね。それにわたくしは、あなたの母でも、女神でも、王妃様でもありませんのよ?」
返ってきたのは、小鳥のようなエリナ嬢の声。穏やかで優しい、しかしはっきりと拒絶の声だった。
完璧な返し。見惚れて、ほぅ、とこっそり息を吐く。
エリナ嬢に擦り寄って、案の定あっさりあしらわれる王子に笑いが巻き起こる。
「でも許可だけは、真っ当な本物を取り付けておりますのよ。それは女神様に誓って。」
マリベル嬢の声で付け加えた一言に、さらなる笑いが重なった。
笑いの声が少し収まるのを待ってから。
マリベル嬢の声は、静かに告げた。
「でも王子、クライマックスが残っておりますの。」
ぽつりと呟かれたそれは、最後通牒。
宣言に腰を抜かした王子がパニックで手足をばたつかせる。
王子が焦れば焦るほど、それはそのまま会場の盛り上がりへと変わっていく。
ざわざわと囁きの波が広がっていく。
「さあ、みっつ数えるとわたくしは追放され、あなたは王子ではなくなるのですわ!」
「……な、なんだとっ……!なんだ!?何が起こるというのだ……!?」
取り乱す王子には取り合わず、エリナ嬢の姿のマリベル嬢は会場の皆に呼びかけるように手を広げた。
「ではみなさま。ご一緒に。」
「――さん。」
王子が、激昂して口から泡を飛ばす。
言葉を忘れたかのような意味不明な早口。意味を聞き取れたものはいないだろう。
会場の皆の注意が、騒ぎたてる彼へと集中していく。
「――に。」
王子が、無様にもマリベル嬢に背を向けて逃げ出そうとする。
しかし、腰が抜けたままの王子は、床の上で溺れるようにもがいただけだった。
悲壮というよりは、どこか間の抜けた道化のような振る舞いで、笑いを誘った。
「――いち。」
王子が泣き言を呟き、震えながら自らのマントを床で翻し、その中に逃げ込むようにくるまった。
王族としてあるまじき、あまりにも情けない姿に、ヤジまで飛んだ。
そして――。
パァン……!
弾けたのは、エリナ嬢の桃色のドレス。
大きな煙が、一瞬で彼女の姿を隠した。
そして王子も大きく広がったマントの中へ消えて……。
そのマントの裏から紅玉のドレスを纏ったマリベル嬢が現れた。
「そう、王子なんていませんのよ?
だって、すべて。わたくしなのですから。」
どよめきと、そして歓声。
万雷とは言わぬまでも多くの拍手と、喝采を受けて、わたくしは一礼をする。
市井で流行りの恋愛小説のキャラクターを借り、絡めて編んだ断罪劇。
わたくし付きのメイドのララと、友人のフィリアの力を借りて、一昨日から準備を始めたにしては、まあまあの出来と感触だった。
「マリベル嬢。」
呼ばれて振り返ると、そこには渋みのあるおじさま。
いつもきっちり整えている銀髪。そして鈍い紅玉の瞳はわたくしのお気に入り。
「あら、王弟閣下。もうおいでになられましたの?」
「何をしているんだ?」
改めて問われたので、深々とカーテシー。
少し芝居じみてしまうのは、もはや職業病みたいなもの。
「初めにわたくしが宣言していたではありませんか。余興ですわ。」
「王子はお前、マリベル役の方は……、人形、ララ、フィリア嬢が二役か?セリフは、ほぼお前の腹話術だな。」
「ご明察でございます。」
ぴたりと言い当てられたところから、きっと最初からどこかで見ていたのだろう。
近くのテーブルにかけられたクロスの下。
こちらを伺う2人の顔が覗いていたので、こっそり手を振って目配せした。
「婚約披露の前に、破棄を余興にするとは。なかなか思い切った趣向だな。」
「あら、今夜は無礼講ですのよ?」
エリナ嬢に扮したフィリアのように小首を傾げる。
あのような、圧倒的な美貌とは行きませんけれど。
百万分の一でもあやかりたいところ。
「それに……、奇術ではなく、わたくしを見るためだけの会に、こんなにも人が集まってしまったんですもの。タネも仕掛けもない舞台なんて、とっても不安で、恥ずかしくてたまらないんですのよ……。」
贈られたばかりで、着慣れないドレス。
この滑らかな布ざわりは、指で触るだけで心を和ませるものではありますけれど。
わたくしが眠れない時に抱くクッションの生地と、全く同じ手触りだった。
……微笑もうとした先は、わたくしの視線が向く前に咄嗟にクロスに隠れてしまった。
「婚約は、嫌か?」
それはおじさまが頓に気にしていること。
しかし、嫌であろうはずがない。
劇団にいた落胤のわたくしを拾い上げたのも、教育してくださったのも、おじさまだった。
だから、まずはきっぱりと否定。
「……いいえ。」
それから、とびっきりの思いを微笑みと一緒に言葉に乗せる。
「情熱的なところが、とっても素敵ですわよ。」
わたくしの顔を覗き込んでいた王弟閣下は、ごほんと大きな咳払い。
「……しかし。劇では断っていなかったか……?」
プロポーズの言葉。王子のセリフに紛れ込ませてしまったそれは聞こえていたらしい。
「だって、語り手も、受け手も違っておりますもの。閣下が口にしなければ、マリベルには魔法が掛からないんですの。」
フィリア嬢と目をちらりと合わせてから、わたくし達はくすりと笑う。
「マリベル。見事な劇だった。だが、ひとつ要素を忘れているな。」
……なんて言われたものだから。
わたくしは内心少しだけ焦りつつ、外観は努めて平静に。奇術の本番の面持ちで受け答える。
「なんでしょう?もし、男を誑かす悪女をお望みなら、これから……、貴方に連行されるところですけれど……。」
閣下に見せつけるように小首を傾げる。
すると彼は破顔し、わたくしをエスコートするふりをして両腕に抱いた。
「なんとも可愛い悪女だね。
だがわたしが言いたいのは違う、真実の愛だ。
どうだろう?必要では無いかね?」
「ふふ、……それならね。あなた。
いいえ。最初から忘れてなんかいませんとも。」
ロマンチストな彼のリクエスト。
もちろん、想定の範囲。
「すべてわたくしなのですから。
残っていますのは、真実の私ですわよ。」
彼と向き合う。
まだ小娘、周りにはそう言われるけれど。
背丈だけならもう、彼にだいぶ追いついた。
「では、その可愛らしい愛を、皆に披露してもいいかね?」
「……ええ、もちろん。貴方にカーテンコールされたなら、戻らざるを得ないですもの。」
そしてわたくしたちは、祝福する皆の待つ方へ。
待ち望まれてる、人生でおそらく一度限りのメインのほうの劇のため。
彼のエスコートとわたくしのヒールの奏でる音で、ふたりは共に、開演の合図を切った。
同じく少し捻った婚約破棄モノあります。もしご興味ありましたら、こちらもご賞味ください。
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