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嫌よ嫌よも嫌なんです…不味いんです…  作者: 双鶴


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5話

蕎麦打ち教室に通い始めて数週間。智幸は、毎回粉まみれになりながらも少しずつ上達していた。最初は水回しで失敗し、ぼそぼそとした塊を作ってしまったり、延ばす段階で生地を破ってしまったり。切るときには「うどんみたいだな」と講師に笑われた。だが、繰り返すうちに手の感覚が少しずつ変わってきた。


ある日、講師が言った。

「お、今日はいい感じだね。麺が細く切れてる」


智幸は思わず顔を上げた。自分の前に並んだ蕎麦は、まだ不揃いではあるが、確かに以前より細く、形も整っている。湯にくぐらせると、ほのかに香りが立ち、箸で持ち上げても切れずに伸びる。試食すると、まだ名店の味には遠いが「商品として出せる程度」に近づいている気がした。胸の奥がじんわりと熱くなる。


「やっと、少しは蕎麦らしくなったな……」


その小さな成功は、智幸にとって大きな励みだった。


だが、教室に通うために休日を費やすことが増え、美寿紀と過ごす時間はさらに減っていた。ある夜、彼女が不安そうに言った。

「ねえ、最近ほんとに忙しいの? 前より会えなくなった気がする」


智幸は一瞬、言葉に詰まった。彼女の瞳がまっすぐに自分を見ている。秘密を抱えていることが、急に重くのしかかる。


「仕事もあるし、ちょっと用事もあってさ」

と曖昧に答えると、美寿紀は「ふうん」と小さく頷いた。だが、その声には寂しさが混じっていた。


智幸は心の中で必死に言い訳をした。今はまだ言えない。蕎麦が不味かったことを認めることになる。それは彼女の両親を否定することにもつながる。だから、秘密にするしかない。だが、彼女の不安そうな顔を思い出すたびに、胸が痛んだ。


家では母との「出汁研究」が続いていた。母はすっかり楽しんでいて、「今日は煮干しを足してみようか」「椎茸を入れると旨味が増すらしいわよ」と提案してくる。智幸は「へえ、そうなんだ」と頷きながら試す。味はまだ安定しないが、少しずつ「普通に食べられる」方向へ近づいている気がした。父は相変わらず「お前ら、何をそんなに真剣にやってるんだ」と呆れていたが、母は笑顔で鍋をかき混ぜていた。


教室での小さな成功、家での母との協力。二つの努力が重なり、智幸の中には確かな手応えが芽生え始めていた。だが、その一方で、美寿紀との距離が少しずつ広がっていることも感じていた。


ある日、教室から帰る途中、駅前で偶然美寿紀と出くわした。彼女は友人と一緒に買い物をしていたらしく、袋を抱えて笑っていた。智幸を見つけると「あれ、どこ行ってたの?」と軽く聞いてきた。


「ちょっと……用事で」

と答えると、美寿紀は「ふうん」と笑ったが、その目はどこか探るようだった。智幸は心臓が跳ねるのを感じた。秘密がバレそうになる瞬間だった。


その夜、智幸は布団の中で考え込んだ。いつかは言わなければならない。だが、今はまだ言えない。せめて「商品として出せる程度」に仕上げてから。そうすれば、彼女も両親も、常連客も、少しは救われるはずだ。


「必ず、美寿紀の夢を守る」


智幸はそう誓い、翌週も粉まみれになりながら蕎麦を打った。小さな成功を積み重ね、秘密を抱えたまま、彼の奮闘は続いていく。


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