21話
智幸が「継ぐ気はありません」と突き放した夜から、数日が経った。店の暖簾は変わらず風に揺れ、昼時には少しずつ客が集まるようになっていた。若い二人の奮闘を見守るように、近所の人々が蕎麦をすすり、温かな声をかけてくれる。
「頑張ってるね」「新しい香りがいいよ」
そんな言葉が、智幸と美寿紀の胸に灯をともしていた。
だが、その噂は本家の店にも届いていた。常連客が父に向かって言った。
「若い二人の店、悪くないよ。昔の味とは違うけど、挑戦してるのが伝わる」
父は眉をひそめ、湯呑を置いた。
「……勝手にやればいい。だが、我が家の味とは別物だ」
母は静かにため息をついた。
「あなた、もう気づいているでしょう? 私たちが勝手に『継ぐものだ』と思い込んでいたのよ。智幸さんは自分の道を選んだ。それを否定し続けても、娘との距離が広がるだけ」
父は黙り込んだ。頑なな表情の奥に、わずかな揺らぎが見えた。
その夜、母は一人で美寿紀の店を訪れた。暖簾をくぐると、智幸が厨房で蕎麦を打ち、美寿紀が客に笑顔を向けていた。母は席につき、蕎麦をすすった。
「……香りが立ってるわね。昔とは違うけれど、悪くない」
美寿紀は驚いたように母を見つめた。
「お母さん……」
母は微笑み、娘の手を握った。
「私たちが間違っていたのかもしれない。伝統を守ることに必死で、あなたたちの未来を見ようとしなかった」
その言葉に、美寿紀の目に涙が浮かんだ。
「ありがとう……でも、お父さんはまだ認めてくれない」
母は頷いた。
「ええ。でも、少しずつ変わっていくと思う。客の声を聞けば、頑なさも揺らぐはず」
翌日、父も再び店を訪れた。客の一人が蕎麦をすすりながら言った。
「昔の味とは違うけど、これもいい。若い二人の蕎麦を食べに来てるんだ」
父は黙り込み、箸を置いた。
「……簡単には認められん。だが、継ぐと思い込んでいたのは、私たちの間違いだったのかもしれん」
その言葉は、頑なな父の心に初めて揺らぎを見せた瞬間だった。
夜、片付けを終えた後、美寿紀と智幸は並んで座った。
「少しずつ、変わってきてるね」
美寿紀は涙を拭いながら微笑んだ。
「うん。まだ遠いけど、きっといつか和解できる。私たちの味を認めてもらえる日が来る」
智幸は頷き、彼女の手を握った。二人の影が並び、未来へと伸びていくように見えた。




