20話
夕暮れの商店街。智幸と美寿紀の店「新蕎麦処・智」の暖簾は、風に揺れていた。開店から日が経ち、少しずつ客が増え始めている。昼時には近所の人々が顔を出し、若い二人の奮闘を見守るように蕎麦をすすっていた。まだ繁盛とは言えないが、確かな手応えがあった。
その日、暖簾を揺らして入ってきたのは美寿紀の両親だった。前回の訪問からしばらく経ち、「もう一度確かめに来た」と母が言った。父は腕を組み、店内を見渡しながら無言で席についた。母は緊張した面持ちで後に続いた。客たちは二人の存在に気づき、静かに蕎麦をすすりながら様子をうかがった。
智幸は厨房から出てきて、深く頭を下げた。
「いらっしゃいませ」
美寿紀は胸が締め付けられるように感じながら、両親の前に蕎麦を運んだ。父は箸を取り、蕎麦をすすった。しばらく黙り込み、やがて低い声を発した。
「……やはり認められん。これは我が家の味ではない」
その言葉に、智幸は真っ直ぐに父を見返した。静かに、しかし揺るぎない声で答えた。
「もう、この店でやると決めたんです。継ぐ気はありません」
店内に緊張が走った。母は驚いたように智幸を見つめ、父は眉をひそめた。
母は静かに口を開いた。
「でも、こうして客が集まっているのは事実よ。伝統を守ることは大事だけれど、若い人が工夫してこそ未来につながるんじゃないかしら」
父は唇を固く結び、母を睨んだ。
「伝統は変えてはならん。余計な工夫は不要だ」
その時、隣の席にいた常連客が箸を置き、口を開いた。
「親の店を継ぐかどうかなんて、本人が決めることだろう。二人の蕎麦には二人の味がある。それを食べに来てるんだ。昔の味を懐かしむ気持ちはあるけど、新しい挑戦を応援したいと思う」
その言葉に、店内の空気が変わった。父は黙り込み、母は静かに頷いた。
美寿紀は涙を浮かべ、声を震わせた。
「私はもう家を出ました。智幸と一緒に生きると決めたんです。お父さん、お母さん……この味を否定しないで。これは私たちの未来なんです」
母は娘の肩に手を置き、震える声で言った。
「美寿紀……あなたがそこまで言うなら、私たちも考えなければならないのかもしれない」
父は深いため息をつき、低い声で言った。
「……簡単には認められん。だが、客の声を聞けば、考えざるを得ないのかもしれん。継ぐと思い込んでいたのは、私たちの間違いだったのかもしれん」
その言葉は、頑なな父の心に初めて揺らぎを見せた瞬間だった。
夜、片付けを終えた後、美寿紀と智幸は並んで座った。
「少しずつ、変わってきてるね」
美寿紀は涙を拭いながら微笑んだ。
「うん。まだ遠いけど、きっといつか和解できる。私たちの味を認めてもらえる日が来る」
智幸は頷き、彼女の手を握った。二人の影が並び、未来へと伸びていくように見えた。




