第1話幕間:桐原千景、魔術を操る男
初投稿です。当面の間、週に3回(水、金、日)エピソード更新。
「……これ、全部桐原がやったのか?」
古びた洋館のロビー。黄ばんだシャンデリアと深紅の絨毯の上に立ち尽くすのは、スーツ姿の中年男。その目は、半ば呆然としていた。
男の視線の先には、積み上がる山のようなファイルと帳簿、そして――
――まるで魔法陣のように、幾何学的に配置された決算資料の束。
中心に座るのは、一人の青年。
淡いグレーのスリーピース、白手袋、そして傍らには黒いトランク。
その名は─桐原 千景。
「ええ、ひと晩で全部。損失の簿外処理、循環取引、あとは社長個人名義の送金フロー。ついでに、隠し口座もね」
桐原は書類を一瞥しながら、淡々と告げた。
「使ったのは……これだよ」
彼は内ポケットから、一冊の黒いノートを取り出した。
艶消しの革表紙、銀の箔押し。まるで魔導書のような装丁に、男が眉をひそめる。
「“十三章式 財流変態図解”。……これを使えば、財務諸表に隠された“魔術回路”が浮かび上がるんだ」
「お、お前なあ……だから“魔術”とか言うの、やめろって」
中年男の額に青筋が浮かぶ。だが、桐原の眼差しは真剣だった。
「――言霊を、なめるなよ」
その声は低く、どこか響く。
目の奥には、数字の列がまるで魔法陣のように渦巻いているような静かな狂気が宿っていた。
「数字には流れがある。そして、流れには意志が宿る。……それを歪ませる行為は、呪詛と同じ。帳簿の歪みは、世界の歪みそのものだ」
「……お前、ほんとにそれ、真顔で言ってんのか?」
「真顔だよ。僕にとって、会計とは“制御された魔術”。だからこそ、監査人とは“禁呪”を暴く者でなければならない」
桐原は立ち上がり、黒いノートを手に歩き出す。
彼の背後に広がるのは、数百枚の帳票が描いた奇妙な幾何学模様。異様でありながら、どこか美しい。
「……まったく。お前みたいなやつが、普通の会計事務所にいられるわけないよな」
男が肩をすくめると、桐原はあっさりと微笑んだ。
「だから僕は、作ったのさ。監査法人マギア。自ら名乗る、“公認魔術会計士”。……歪みを看過する世の中に、抗うためにね」
「付き合ってる草薙とか火ノ森とか、よく持ってるよな」
「……ふふ、感謝してるよ。彼らもまた、“歪み”を知ってしまったから。僕らは孤独じゃない。だから、次は――」
彼はふと、窓の外を見た。
「もうすぐ、“見る目”を持つ子に出会える気がしてる」
その目は、どこまでも静かで、どこまでも深かった。
――数字の奥に潜む、歪みを視る目。
――それを正すために生まれた、“魔術”としての監査。
桐原千景という男は、ただの奇人ではない。
美貌の奇人にして、数字の魔導師。
その生き様が暴くのは、会計の闇か、それとも─人の本性か。
そして今、彼の運命の歯車は、静かに動き始めようとしていた。