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第3話「監査の本質」②

初投稿です。当面の間、週に3回(水、金、日)エピソード更新。

 昼食を終えた二人は、再びトリニティ建設の会議室に戻っていた。午後の監査対象は主に販管費と役員報酬、加えて一部の関連会社取引の確認だ。


 綾瀬は改めて資料に目を通していたが、やはり何も引っかからなかった。火ノ森との現場では、音や匂い、箱の重さや現物のずれが手がかりになった。だが、ここには“そういう違和感”が一切ない。数字は完璧に並び、処理に瑕疵も曖昧さもない。


 「綾瀬さん、これ。見て」


 草薙が手渡してきたのは、役員報酬の年間推移表と、前期からの総人件費との対比資料だった。


 「……あれ? 役員報酬、全然変わってないですね。ずっと一定で、増減もない」


 「そう。“変化がない”という事実にも、意味はあるの」


 草薙はそう言いながら、自分のノートに簡単な図を描き始めた。収益、販管費、利益の推移線。そして、その下に“安定”とマークされた補足線。


 「この会社は売上が年々微増しているのに、役員報酬は固定のまま。つまり、利益の一定割合ではなく、絶対額で管理してるのね。これは“合理性”として一貫しているわ」


 「……なるほど。数字が静かすぎるのも、“意図的な設計”の結果なんですね」


 「ええ。何かを“操作”した痕跡ではなく、“統制”された結果。監査ではこういう部分を“肯定的に説明”することも、大事な仕事なの」


 綾瀬は思わず口元を引き締めた。


 (“違和感”じゃない……“違和感がない理由”を見つける……)


 まるで逆のベクトルに思えたが、確かに草薙の手元では、数字が意味を持って“語っていた”。


 「でも……草薙さん、私にはそういう視点がまだなくて……。たとえば、不正を見つけるときは直感が働く。でも、何もないときに“何もない理由”を探すって、すごく難しくて」


 綾瀬がつぶやくと、草薙はペンを止めて彼女を見た。


 「違和感が起きないと、自分の力が使えない気がする?」


 「……はい。正直言って、今日はずっと、自分が役に立ってないように感じてました」


 草薙はふ、と小さく微笑んだ。


 「それは自然な感覚。でもね、綾瀬さん。“違和感”っていうのはあくまで“兆候”でしかないの。最終的にそれを“論理”に変えて、他者に説明できて初めて、監査の仕事になる」


 「……それは、火ノ森さんも似たようなことを言ってました。“感覚を言葉にしろ”って」


 「彼らしいわね。彼は現場で見抜く力に長けている。でも、私は逆。現場の空気より、論理の“整合”を見るタイプ」


 草薙の瞳がわずかに鋭くなる。


 「たとえば、経費の精算データ。私たちは一見して問題がないように見えても、タイムスタンプ、起票日、使用目的、上長の承認、帳簿反映までのタイムラグ――すべてを確認する」


 「……それって、ランダムで探すんですか?」


 「いいえ。ランダムじゃなく、“選定”よ。確率論ではなく、構造の中から“不自然さ”を論理で見つけていくの」


 草薙は販管費の精算一覧を広げ、ある行を指差した。


 「この出張費、内容には問題がない。でも、他の精算と比べて承認が異様に早い。稟議から帳簿反映までの時間が最短記録なの」


 「……偶然じゃないんですか?」


 「かもしれない。でも、“疑う”んじゃなく、“確認する”。調べた結果、問題がなければそれでいい。“問題がないことを証明する”。それが、私の監査スタイル」


 その言葉に、綾瀬はハッとした。


 (私、“何もない”って思ってた……。でも草薙さんは、“何もないこと”を証明してる)


 ただ見て通過するのと、“根拠を持って無罪放免を証明する”のとでは、全く意味が違う。

 火ノ森が“見抜く力”なら、草薙は“疑わしきを白と立証する力”。


 「……すごいです。草薙さんって、相手が無実でも、その証拠を作ってる感じがします」


 草薙は少し驚いたように目を丸くしてから、静かに微笑んだ。


 「よく気づいたわね。そう、監査って“裁判”みたいなところがあるの。だけど、私たちは“検察”じゃなくて、“真実の代理人”」


 「“真実の代理人”……」


 草薙の言葉が、綾瀬の胸の奥に深く沈んだ。


 “正しいこと”が、“正しいまま”であると証明する。

 その仕事にこそ、最大の信頼が宿るのだ。



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