第2話「初めての監査」④
初投稿です。当面の間、週に3回(水、金、日)エピソード更新。
会議室に戻り、経理課長と上長の責任者と二人に説明する事項があると火ノ森が連絡した。
少し待っていると、扉が開き会社の財務部長と経理課長が会議室に入ってきた。机の上には在庫リストのコピーと、火ノ森と綾瀬が確認した資料が整然と並んでいる。
財務部長が先に腰を下ろすと、経理課長はその隣に、やや緊張した面持ちで座った。
「……で、どういうことですか? 工場での実地確認もされたと聞きましたが」
経理課長の声は刺々しかった。疑念ではなく、怒気に近い。財務部長も黙ったままだが、その眉間には深いしわが刻まれている。
火ノ森は肩を竦めた。
「いやあ、見た目は“問題なかった”ように見えたよ。だが、うちの綾瀬が、ちょいと面白いことを見つけてな」
「こちらの方が……?」
経理課長が呆れたように笑う。だがその笑みの奥に、どこか焦りの色があった。
火ノ森が視線を綾瀬に向ける。
「綾瀬。説明してやれ。“違和感”の正体を、言葉でな」
綾瀬は、喉が鳴るのを感じた。緊張で息が詰まりそうになる。それでも、口を開いた。
「……はい。えっと……本日、完成品の在庫棚を実地で確認させていただいたんですが……」
手元の資料を見ず、視線を真正面に向けて続ける。
「在庫リスト上の数量と、実際に保管されていた箱の数は一致していました。でも……その一部の箱は、“空”だったんです」
会議室の空気が一瞬止まった。
「空?」
財務部長が眉をひそめる。綾瀬は頷いた。
「はい。外箱には“10個入り”と記載されているのに、実際には中身が空だったり、半分しか入っていなかったりして……」
経理課長の口元が、ぴくりと動いた。
「だがそれは……あくまで、数え間違いでは? 出荷直前に詰め替えただけとか、そういう作業上のミスでは……」
「違います」
綾瀬は、少し強めの声で答えた。
「箱の封は未開封の状態でした。ラベルも日付も揃っていて、一見すると正しいように見える。でも……そこが逆におかしかったんです」
火ノ森が、そっと腕を組んで彼女の言葉を見守っていた。
「……箱の数を“正しく見せるため”に、中身のない箱が使われていたように思えました。つまり……現物が帳簿に“合わせられていた”。普通は、逆です。帳簿は現物に合わせて記録するはずですから」
言い終わると、心臓が大きく跳ねた。だが、綾瀬は顔を上げたまま、相手の反応を正面から見据えた。
沈黙が流れる。
経理課長の額に、じわりと汗が滲んでいた。
「……その言い分、証拠は?」
「箱の写真を撮ってあります。封を切った時点の状態も。数箱だけではありますが、中身が空か半量以下であることは、現場の管理者である工場長も確認済みです」
火ノ森が頷いた。
「俺の目でも間違いねぇ。“箱だけ”が残ってるヤツが少なくとも3件、疑わしいのを含めればもっとある」
「……それが、意図的だと言うのかね?」
財務部長が重い声で口を開いた。綾瀬は小さく息を呑んだが、まっすぐ答えた。
「まだ“断定”はできません。でも、“帳簿上では存在しているのに、現物は存在しない”というズレが、いくつも見つかっています。それが偶然とは、思えません」
その瞬間、彼女の瞳に一条の光が差し込んだように見えた。
火ノ森がふっと笑みを浮かべ、椅子の背にもたれた。
「帳簿の“数字”と現場の“実体”がズレてる。それを感じたのは、こいつの“監査眼”ってやつだ。最初は根拠も何もなかったが、今こうして言葉にして──ちゃんと伝わったな」
経理課長は返す言葉を探している様子だったが、財務部長がゆっくりと口を開いた。
「……在庫の管理に問題があるということは、間違いなさそうですね」
「それだけじゃ済まねぇだろうがな」
火ノ森が笑いを含ませて言う。
「いずれ、うちの代表や草薙が数字を詰めに来るだろうよ。今日のは、まだ“前哨戦”ってとこだ」
綾瀬はそっと胸に手を当てた。
あの時、声を出すことが怖かった。けれど、今─“自分の違和感”を言葉にして伝えることができた。
(私の感覚は、間違ってなかった)
この日、綾瀬香理は初めて“自分の声”で数字の歪みに立ち向かった。
たどたどしくても、説明はできた。
それは、確かに“最初の一歩”だった。たが、確かにそこにあった。