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國分功一郎「意志と選択」解説(テスト対策)

作者:

筆者は、「意志」と「選択」は違うものだと考えている。それぞれについて、順を追ってまとめる。


◇「意志」とは

・「一般(的)に、目的や計画を実現しようとする精神の働き」・「何らかの力」・「原動力」。

・「意識と結びついている」

・「自分や周囲のさまざまな条件を意識しながら働きをなす(働く・決定する)」

(まとめ)

「意志は自分や周囲を意識しつつ働きをなす力のこと」。

「意志は」「さまざまな影響を受けながら働きをなす」


「ところが不思議なことに」

意志は、「意識された事柄からは独立して」おり、「自発的」で、「自由な選択」による、「自らでなした」行為。


(まとめ)

意志は、

「さまざまな情報を意識しつつも、そこからは独立して判断が下された」もの。

=「自分以外のものに接続されていると同時に、そこから切断されていなければならない」

◎さまざまな情報をもとにはするが、それから独立・切断されたところに「意志」・「判断」はある・下される。


「意志」は「責任」と強く結びつく。「意志」による「行為」は、その「責任を問われる」。


・「過去からの帰結(結果)としてある選択の脇に突然現れて無理やりにそれを過去から切り離そうとする概念」・「選択の開始地点」

・「後からやってきてその選択に取り()く(影響を与える)」。


・「開始する能力」

・「絶対的な始まりを前提」

・「過去から切断された始まりとみなされる純粋」なもの


◇「選択」とは

・「不断に行われている」

・「意志と選択は明確に区別されねばならない」

・「あらゆる行為は選択」

・「過去にあったさまざまな」「数えきれぬほどの要素の影響の総合として」、「選択は現れる」

・「過去からの帰結(なるべくしてそうなること)

・「それまでの経緯や周囲の状況、心身の状態など、さまざまな影響のもとで行われる」


〇筆者のまとめ

「選択」…「さまざまな要素に影響を受ける不純なもの」

「意志」…「絶対的に独立した純粋なもの」


「みなさんが純粋(意志)だと思っていたそれは、純粋ではなかった(選択だった)」


〇感想

 これ以降は私の考えであり、筆者批判になるので、高校生の皆さんは、テストが終わってからお読みください。

 まず、このような何を言っているのかがわからない不親切な文章を、教科書に載せるべきではない。筆者に限らず、哲学者の文章は概して理解不能なことが多く、それは哲学者の怠慢だ。(W田K一さんも同じ) 哲学特有の語句の用法に加え、主張の論拠・説明がとても分かりにくい。私にも分からない。高校生はなおさらちんぷんかんぷんだろう。(この語を使うのは久しぶりだ) 哲学者は、人々から哲学を遠ざけている。

 以下、筆者の論に批評を加えていきたい。


 まず、「意志」とは、「絶対的に独立した純粋なもの」と結論付けているにもかかわらず、初めの部分では「自分や周囲のさまざまな条件を意識しながら働きをなす」とする。意志は「さまざまな条件を意識」するのであれば、その様子を「絶対的に独立した純粋なもの」とは言えないのではないか。「意識された事柄からは独立して」いるや、「さまざまな情報を意識しつつも、そこからは独立して判断が下された」ものだとするのも同じだ。このように、意志は自分や周囲のさまざまな条件を意識しながら働きをなしているにもかかわらず、同時に意識された事柄からは独立している、ということの意味がわからない。さまざまな条件を意識しつつそれとは切り離されるのでは、極端に言うと、そもそもそれらの条件を意識していないのと同じになってしまうのではないか。初めから条件を意識しない方が、「純粋」な「意志」決定は可能だろう。「さまざまな条件を意識」するのかしないのかが曖昧でわからない。

 したがってこの部分は、次のように述べるべきだ。

「何かを判断する場合には、さまざまな情報を意識(参考に)するが、意志決定の場面では、それらの情報とは独立・切断し、判断を下すべきであり、それを「意志」という。さまざまな情報をもと・参考にはするが、それらから独立・切断されたところに「意志」はある・決定は下される、ということ。


 意志は「開始する能力」であり、「絶対的な始まりを前提」とし、「過去から切断された始まりとみなされる純粋」なものだというのも意味がわからない。過去から続いたものをこれで終わらせようという、終了の「意志」は、意志ではないのか。筆者の論ではそれは「選択」となるのか。

 「過去からの帰結(結果)としてある選択の脇に突然現れて無理やりにそれを過去から切り離そうとする概念」・「選択の開始地点」・「後からやってきてその選択に取り()く(影響を与える)」という部分に至っては、読解を許さない。「純粋」と「不純」はふつう対照的なものであるのに、「脇に突然現れて」とか、「選択の開始地点」とか「選択に取り()く」とか、ずいぶん仲良しだ。「選択」するときの「開始地点」であり、「選択」に「取り憑く」のであれば、「選択」と「意志」はまるで似たもの親子か兄弟であり、その場合、親は純粋だが子は不純だとはならないだろう。「選択の開始地点」とあるように、「選択」の決定の場面に「意志」は関与するのだから、そもそもこの二つを峻別する必要がありまた可能なのだろうか。「意志と選択は明確に区別されねばならない」とする理由・根拠のわかりやすい説明がほしい。


 筆者の論では、「選択」は過去とつながっているようだが、それは「意志」も同じだろう。このような「常識」を激しく超えた論についていくことは困難だ。

 「選択」は、「それまでの経緯や周囲の状況、心身の状態など、さまざまな影響のもとで行われる」とするが、それは「意志」決定も同じだろう。意志だけが独立したものであるとする根拠・理由の説明に、説得力がない。


 筆者は、「~は~だ」型の記述を多用し、自分の考え・意見を、断定的・肯定的に論述する。そうして、その根拠・理由の説明が理解しがたい。


 この文章を読んで、「意志」と「選択」の違いをスッキリと理解できた生徒は、どれほどいるのだろう。こういう文章を載せるから、高校生は、現代文の評論が嫌いになる。それは入試問題にさらに強く言えることだが。高校生には受難というほかない。これを教材として授業で扱わねばならない先生方にもお気の毒だ。

筆者と教科書編集委員には、重い「責任」がある。

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