五月の撫子
「すみません、この花をください」
雲の隙間から差し込む陽は強く、穏やかに吹く風が心地よい五月の休日。
私は近所の花屋に訪れていた。
「かしこまりました。……こちらのカーネーションを二本でよろしかったですか?」
花を預かった店員が、私の顔を少し不安そうに見る。
「はい、大丈夫です。お願いします」
そう、今日は、日頃の母の苦労を労い、感謝を伝える、母の日だ。
南北戦争時代に、アメリカでボランティア団体を立ち上げ、多くの人を救った母、アン・ジャービスの偉大な活動を、娘のアンナ・ジャービスが、教会にて式典を開催し、多くの人に広め、亡き母を偲んだ。
その時に集まった人々に、母が好きだった白いカーネーションを配ったことが、母の日の由来となっているらしい。
母の死後も、その功績を讃えようと尽力した彼女の姿を、私は素直に尊敬する。
そして、普段はなかなか口にできない母への想いを伝える日が、世の中に広くに定着していることを、とても素晴らしいと感じる。
会計を済ませ、ビニールの袋に入れてもらった花を手に店を出た。
まだ太陽がじりじりと照りつけていて、もう夏がすぐそこまで来ているような感じだ。
薄手のコートの袖を少し捲り、腕時計で時間を確認する。長針と短針は文字盤の左側に偏っている。
今日はいつもより少し早く起き、家事や残った仕事はすでに済ませた。
つまり、この後の用事が終われば、のんびりとした休日が待っているというわけで、私は鼻歌まじりに、駅の方へと足を向けた。
私の住む地域は比較的都会で、休日ともなれば、昼前でも駅は人であふれ、前に進むのさえ難しい。
人混みを掻き分け、前もって買っておいた特急券で、改札を通り抜ける。
電光掲示板に表示されている案内に従い、乗車する列車が止まるホームへ向かうと、赤く染まった特急列車がもうすでに到着していた。
購入した指定席へと腰を下ろし、車窓からホームの様子を眺める。
大きなスーツケースを持った旅行客や、柄の揃った服を着た男女二人組、他にもたくさんの人がそれぞれの目的地へ向かおうと列車を待つ中、ある手を繋いだ親子が目に入った。
母と二人で出かけた思い出といえば、小学生の時に、有名な植物園に遊びに行ったのをよく覚えている。
色とりどりの美しい花を前に、楽しそうに笑っていた母の顔は、きっとこれからも忘れないだろう。
そんなことを考えているうちに、今朝の早起きが影響してか、眠気がゆっくりと押し寄せてきた。
目が覚めると、窓から見えていた都会の賑やかな街並みは、緑が豊かに広がる自然の景色へと変わっていた。
車内の案内表示を見ると、次に止まる駅が降りる駅だったため、眠たい目を擦る暇もなく、慌てて降り支度をした。
駅の屋根でできた陰から空を見上げると、まだ陽は強く差しているが、先ほどよりも少し涼しい風が吹いていた。
しかし、目的地へはここから十五分ほど歩かないといけないので、私は鞄の中から日傘を取り出し、小さな日陰に身を包んで歩き出した。
目的地に着き、門を潜る。
敷石が導く行き先へと向かいながら、辺りを見渡すが、ここは休日でも変わらず人気がなく、小鳥の囀りと靴が砂利を踏む音だけが、小さく響いている。
建物の裏へと進み、等間隔に置かれた石の間を通り、その中の一つの手前で足を止めた。
「お母さん、久しぶり」
私は買ってきたカーネーション二本をビニール袋から取り出し、花立に刺した。
綺麗な四角に削られ磨かれた墓石には、亡くなった母の名前が彫られている。
父親のいない、母と二人きりの日常に終止符を打たれたのは、十五年前。
私を一人置いて、母はこの世を去った。
棺に眠る母の顔を、今でも鮮明に覚えている。
そっと触れた手は冷たく、まだ幼かった私が手を握っても、いつものように握り返してはくれなかった。
幸いにもその後、母方の祖父母に引き取ってもらい、一人残された私を可哀想に思ったのか、何不自由ない生活を送らせてくれた。
大学を卒業してからは社会人として上京し、一人暮らしを始めた。
最初は慣れないことも多かったが、今はそうでもない。
次第に忙しくも充実した生活を送るようになっていった中で、地元に帰る機会がなかなか持てず、お墓参りは毎年、母の日にすることが恒例になったのだ。
「今日はちょっと暑いね。おばあちゃんもおじいちゃんも元気だよ。もちろん私も元気。一人暮らしや仕事にもだいぶ慣れて、向こうで友達も出来たよ。毎年一度しか会いに来れなくてごめんね、忙しくてさ。お母さんが生きてたら、ここに来なくても、たくさん話せたのにね……」
動かす顔の筋肉が少しずつ強張ってゆき、目尻から熱くなった涙が静かに頬を伝い落ちていった。
十五年という月日が流れても、幼い頃に母を亡くした悲しみは、少しも和らぐことはなかった。
今でも母を想い、時々子供のように泣いてしまうことがある。
それは、私を一人だけ置いて行ったことへの悲しみではなく、ただ母と話すのが好きだったからだ。
たわいも無い話を優しく聞いてくれていた母は、いつまで経っても私の元へ帰ってこない。
毎年このカーネーションを手に取って伝える母への感謝は、いつまで経っても伝わらない。
悲しみに暮れる私を励ますように、涼しい春の風が吹き抜けてくる。
「また来るね」
涙を拭い、立ち上がると、少し離れた所に、お腹を膨らませた女性が墓参りに来ているのが見えた。
私もいつか、母になる。
その日までは、空に向かって泣いたっていいよね。
見上げた空には、雲に隠れた太陽が天使の梯子降ろしていて、花立に刺した白と赤のカーネーションは、風にそっと靡いている。
それはまるで、私のこれからを見守っているよと、母が言っているようだった。