97 新たな契約
テラの言葉が、リーフの霊核を強く締め付けた。
確かに、そう誓った。
彼女の願いならば何でも叶えると――。
「だけど……テラと契約解除なんて……ぼくには出来ない」
リーフの記憶の中で、テラとの出会いからこれまで共に歩んできた日々が駆け巡る。
「ファルとリモは一昨日、結婚パーティーをしたばかりなのに。こんな形で二人とも失うなんて……私は耐えられない……ソランだって……。お願い、リーフ。私は必ずリーフともう一度、契約する。だから……」
テラの言葉は、リーフの中の最も深い場所を揺さぶった。
ファルとリモの命が、今、彼の手にかかっている。
「テラ……君は……ぼくにとって唯一の……」
リーフの目は、テラの空の青の瞳に深く吸い込まれた。
彼女の覚悟。
その先に広がる、ファルとリモが消え去る未来。
そして、ソランが背負うであろう罪の意識。
リーフの中で、精霊としての『道理』が、テラへの想い、そして仲間たちを救いたいという純粋な願いと激しくぶつかり合う。
霊核が、抵抗するかのように酷く疼いた。
しかし、テラの揺るぎない眼差しが、答えを指し示していた。
「……分かったよ……」
リーフの絞り出すような声。
どう考えても、いくら考えても、それ以外の選択肢はリーフには思い浮かばなかった。
リーフは手のひらサイズの小さな姿に戻ると、テラの肩に乗った。
ファルの病室に入ると、リモは変わらず憔悴しきった様子でファルに寄り添っていた。
その頬には乾いた涙の跡が、いくつも残っていた。
病室を満たすのは、ファルの荒い呼吸音だけだった。
ゲホッゲホッッ……ガハッ……ッ
意識のなかったファルが、突如として激しく咳き込んだ。
その口から真っ赤な鮮血が飛び散り、リモの服を汚す。
その衝撃で、わずかに意識が戻ったようだった。
ヘリックスとユリアンも控室から病室に入り、ファルの様子を見守る。
「リ……リモ……」
消え入りそうな声でリモを呼ぶ。
「ここにいるわ」
リモはファルの手を握りしめ、ファルの頬に顔を寄せた。
「リ、モ………………おっ……俺っ……ゴホゴホッ」
ファルはもう、声さえまともに上げることができない。
「しゃべらないで」
ファルの声は、かすれ、途切れ途切れだった。
それでも、その唇は、最後に伝えたい言葉を探しているようだった。
「……あい……し…………て…………」
「ファラムンド!!」
リモの叫びは、もはや悲鳴だった。
ファルは、愛する人に最後の言葉を告げるためだけに、死の淵から引き返したかのようだった。
そして、再び訪れた闇へと静かに身を委ねるように、目を閉じた。
「リーフ……ッ!」
テラが肩に乗るリーフの名を小さく叫んだ。
リーフはテラの肩からファルの体にふわりと飛び移ると、ファルの腕の小さな擦り傷を舐め、血を口に含んだ。
それと同時に傷口からリーフの精霊因子がファルの体内に入る。
リーフの緑色の瞳は強く光を放ち、キラキラと宝石のように煌めいていた。
「リーフ!?」
リモはその光景に驚いた。
目の前で何が起こっているのか、すぐには理解できなかった。
「リモ。ぼく、ファルと契約したから。これで、ファルは死なない」
リーフの言葉は静かだったけれど、その声には一切の迷いがなかった。
「どうして!? そんなことしたら……!」
リモはハッとして振り返り、テラを見た。
テラは涙目になりながら、安堵の表情を浮かべていた。
「大丈夫。リモは1カ月後にファルと再契約できるよ」
「!!」
リーフの言葉に、リモは言葉を失った。
リーフが、ファルを救うために自らの力を使い、テラとの絆を手放したのだと、ようやく理解したからだ。
「……テラは……あなたの唯一なのに……」
リモが震える声で、小さく呟いた。
「ぼくが決めたことだから。ファル、リモに生きていてほしい。……それに、二人はソランのパパとママでもあるよね? ファルパパ、リモママってソランが言ってたもの。……なのに、こんなふうに二人がいなくなったら、ソランはどう思う? だから……」
「リーフ…………」
リーフの言葉に、リモは返す言葉も見つからなかった。
すると、ファルの手に力が戻り、リモと繋いだ手を無意識に握り返した。
「ファラムンド……!」
ファルの顔色はみるみる生気を取り戻し、荒かった呼吸もゆっくりと穏やかになっていく。
苦痛に歪んでいた表情は和らぎ、まるで眠りについたかのような、安らかな寝顔へと変わっていった。
ファルはリーフと契約して不老不死となった。
リーフにとっての血の契約は、『永遠の愛と絆』を誓うものだった。
だからといって、ファルとの間で永遠の愛と絆を誓ってはいない。
ただ、命を繋ぎとめるためだけに契約をした。
リーフが誓う相手はテラだけなのだから。
「リモは1カ月後にファルと再契約できるけれど、リーフはテラと契約したのはいつだったの?」
ヘリックスがリーフに訊ねた。
リモがファルと再契約するには1カ月の冷却期間を必要とする。
これはリモ自らが契約を解除したわけではないためだ。
「昨年の9月末頃……だったよ」
「そう。約5カ月……なら、再契約も同じ期間ね」
「うん。再契約するには約5カ月の冷却期間が必要になる」
リーフは淡々と説明するけれど、その言葉の裏に隠されたテラへの想いは、ヘリックスには手に取るように分かった。
「最長で3年だもの。5カ月程度で良かったってところね」
「それはそう……。3年は長すぎるもの」
ヘリックスとリーフの会話を聞いて、テラが問いかけた。
その表情には、不安と、リーフへの申し訳なさが浮かんでいた。
「すぐに再契約は出来ないの?」
「それは出来ない。そんな簡単に契約したり解除したりは……」
精霊が自ら契約を解除した場合、同じ守り人と再契約をするには、最長で3年、契約していた期間が冷却期間として必要となる。
それは、精霊と守り人の絆が、決して軽々しいものではない証だった。
「そうなのね……でも、5カ月なんてすぐだわ!」
テラは、リーフを安心させるように、無理に明るい声を出した。
「あの……リーフに提案なんだけど、テラと再契約するまで、王城で過ごさない?」
それまで黙って話を聞いていたユリアンが、真剣なまなざしでリーフに王城に留まるよう、持ちかけた。
「ここで?」
「旅を再開するのは、テラと再契約した後のほうがいいと思ったんだ。そのほうが安全だよね? それに、ファルの事故を見ていた人がどれだけいたか分からないけど、いきなり元気になって外に出るのは避けたほうがいいかもしれない」
「確かにそうだね……うん……いいと思うけど……5カ月だよ? そんなに、いいの?」
「僕は全く構わないよ。むしろ、みんなの役に立てるのが嬉しいくらいだ」
ユリアンはにっこりと微笑んだ。
「ヘリックスはどう思う?」
リーフがヘリックスに尋ねた。
「私は賛成よ。リモもいいわよね?」
「ええ、もちろんよ」
「それじゃ、今日はもう遅いし、ファルは寝てるから今夜はこのままで。皆はセオドア宮に移動しよう」
ユリアンの提案で、リーフたち一行はこのまま王城に留まる事が決まり、その期間はリーフとテラが再契約するまでの5カ月となった。
◇ ◇ ◇
ちょうどその頃――。
精霊界の中心では、セイヨウトネリコの葉が一枚、二枚と、枯れ落ちていた。
まだ誰も気付かない、けれど、確かな変化が始まっていた。
いつも「刻まれた花言葉と精霊のチカラ 〜どんぐり精霊と守り人少女の永遠のものがたり〜」を読んでいただき、ありがとうございます!
次回『98 これからのこと』更新をお楽しみに!
※更新は明日です!