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96 旅の見送り

 

 結婚パーティーの翌々日、2月20日。

 よく晴れた春の訪れを感じさせる朝。


 フィオネール家のゲストハウスの前で、リーフたちは出発の準備をしていた。

 これから王城へ立ち寄り、ユリアンが用意した馬車に乗り換え、イーストゲートまで進む手はずになっている。


 カリスは王城まで同行しないため、ここでの別れとなる。

 本当は王城まで一緒に行きたかったのだけれど、この日はどうしても王城まで行く時間が取れなかった。



「テラ、もうすぐ時間ね」


「そうね。カリス、本当にお世話になったわ……ありがとう」


 テラが優しく微笑むと、カリスは真剣な眼差しでテラを見つめ返した。


「ねぇ、テラ。また会えるの? 私、本当のことを聞きたいの」


「カリス……」


 カリスの言葉には、隠し事を無理に聞こうとは思っていない、けれど、本当の事が聞きたいという複雑な感情が滲んでいる。

 テラは一瞬、言葉に詰まったけれど、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。


「うん、また会えるわ。必ずよ」


 その言葉に、カリスの表情にようやく安堵が広がる。


 テラはカリスに、今、本当のことを言うつもりは無かった。

 ただ、今後、カリスがユリアンと共にあるなら……その時はユリアンの口から聞かされるはず。

 だから、きっと、また会える。

 これは『本当』になる。


 テラとカリスは抱き合い、涙ながらに別れを惜しんだ。




 そうしてフィオネール家を後に、リーフたち一行を乗せた馬車は王城へと向かった。


 王城の南の正門の前には、既にソランとユリアンが待っていた。

 彼らの傍らには、一回り大きな馬車が停まっている。

 ユリアンが手配した駅馬車だった。


「正門の前に荷馬車の列が出来ております。少し離れた場所に停めますが、よろしいですか?」


「ええ、お願いします」


 リーフたちが乗ってきた馬車は、少し離れた広場に止まり、リーフたちが下車した。


「それじゃ、あっちの馬車に乗り換えだな」


 ファルが指さす先では、誕生日プレゼントの子犬を腕に抱いたソランが、元気に手を振っていた。


「ソランも子犬と一緒に見送りに来てるわね」


 テラが微笑んで言うと、ファルが楽しげに頷いた。


「必ず見送るって言ってたからな、ははは」


「ファル兄! テラお姉ちゃん!」


 ソランの明るい声が、早春の澄んだ空に響く。

 ちょうどその時、午前8時を告げる時計塔の鐘がゴーン、ゴーンと鳴り響いた。

 その大きな音に驚いたのか、ソランの腕の中にいた子犬が、ひょいと飛び出した。


「あっ! 待って!」


 子犬は、王都からイーストゲートへ向かうであろう、勢いよく進む大型の荷馬車の車輪めがけて走り出す。

 ソランは迷うことなくその小さな命を救おうと、馬車の前へと飛び出した。


「危ない! ソラン!!」


 ファルの叫び声が、鐘の音の余韻に重なって響き渡った。

 ファルの身体が、ソランよりも早く、そして迅く動いた。

 彼の目には、馬車の前に飛び出したソランと、子犬の姿だけが映っていた。

 考えるより早く、ファルはソランを突き飛ばし、その幼い身体を危険から遠ざける。


 だが、その代償は大きかった。

 鈍く重い衝撃音が、春の訪れを感じさせる空気を震わせた。


 ファルの身体が、止まることなく走り続ける荷馬車の巨大な車輪に、無残にはね飛ばされた。


 路面で冷たくなった土の上に倒れたファルの顔はひどく蒼白で、額からは一筋の血がこめかみに向かって流れている。

 唇はわずかに開き、か細い呼吸が途切れるたびに、白い息が微かに漏れた。

 外傷はそれほど多くないように見えたが、その全身からは信じられないほど生気が失われており、生命の光が今にも消え去りそうだった。


「ファル……!」


 テラの悲鳴にも似た声が響いた。

 事故の現場には、たまたま居合わせた人々が集まり、人だかりが出来始めていた。


「ファルを医務室に運んで! 急いで!!」


 ユリアンが素早く門番の騎士らを呼んで指示を出す。


「ファラムンド……」


 リモは、まるで路面に縫い付けられたかのように立ち尽くした。

 彼女の表情は凍りつき、その目に深い絶望が宿っていた。

 まるで、世界からすべての色が失われたかのようだった。


「ファル兄……! ごめんなさい、ごめんなさい! ぼくのせいでファル兄がっ……!」


 子犬を抱えたソランは、ファルに駆け寄ろうと身を乗り出した。

 大粒の涙が頬を伝い、小さな身体を震わせる。

 だが、その小さな身体はユリアンに止められた。



 医務室に運ばれたファルの脈はほとんど感じられず、辛うじて鼓動があるかどうかの瀬戸際だった。

 この場に居合わせた誰もが、彼がまだ息をしていること自体が奇跡だと感じるような、極めて危篤な状態だ。

 その呼吸は途切れがちで、耳を澄まさなければ聞こえないほどにか細い。

 肌は冷え切り、脈はほとんど感じられない。


 体内で何かが大きく損なわれたような、張り詰めた静寂が彼を包み込んでいる。

 意識の光は完全に消え、まるで命の炎が今にも消えそうな、風前の灯火のような状態だった。

 生きているのが、ただただ信じられないほどの奇跡に思えた。


 ただ、ファルの『リモを残して死にたくない』という強い気持ちだけが、彼の命を繋いでいた。



◇ ◇ ◇



 ファルが王城の医務室に運ばれてからも、リモは事故の瞬間から半日以上が過ぎた今まで、片時もファルから離れようとしなかった。

 彼女の顔色はファルと同じように生気を失い、今にも消え入りそうに見える。



 病室の隣には控室があり、リモ以外は控室に待機していた。

 ソランはユリアンの判断で早くに帰ってもらった。酷く泣いていたけれど仕方がなかった。


 ファルのそばから片時も離れないリモを気遣ったテラが病室に入ると、リモの震える肩にそっと手を置いた。


「リモが倒れたりしたらファルが悲しむから、少し休んで」


 しかし、リモは首を横に振る。

 その瞳には、深い悲しみと、そして揺るぎない決意が宿っていた。


「私はファルと共にあるの。どんな時も、一瞬たりとも離れない」



 頑ななリモが心配になるのだけど、テラは仕方なく控室に戻った。


「リーフからも言ってくれない? これじゃリモが……」


 テラがリーフに助けを求めるように訴えた。


 リーフとヘリックスは、そんなリモに、何も言えない。

 言えるわけがなかった。

 テラが知らない、その場にいるユリアンも知らない精霊の理を、彼らは知っているから。


 リーフは苦しげに顔を歪める。


「テラ、ぼくからは言えない。だってリモは……」


 ヘリックスが、重い口を開いた。


「テラは知らないでしょうけど……ファルが亡くなったら、リモも消滅するの。これは守り人と深く結ばれた精霊の運命で……」



 テラの瞳が見開かれた。


「ファルが亡くなったら、リモも消滅……!? どうして!?」


 リーフが震える声で説明する。


「精霊は、本来なら永遠を生きる存在なの。そして、守り人と深く結ばれた精霊は、長い時を守り人と共に過ごす……」


 リーフは、ファルに寄り添うリモがいる病室側に視線を向け、言葉を続けた。


「リモは、唯一の守り人と共に死ぬ運命を背負った精霊なの。スターチスの精霊、それは、精霊が、愛する守り人との永遠を選ぶ……覚悟の証……」


  「そんな……そんなことって……!」


 テラの顔から血の気が引いた。

 彼女は、目の前で繰り広げられている悲劇の真の深さを、今、初めて知ったのだ。



 テラはしばらく黙り込んでいた。

 ずっと下を向いて、そして何かを決意したように顔を上げると、リーフに声をかけた。


「リーフ、ちょっといいかな?」


「え、うん……」


 テラはリーフを控室の外に連れ出した。



「前にリスの怪我を治したみたいには出来ないの?」


「あの状態だと……無理……」


「そう…………リーフ。ファルを助けて。ファルと契約すれば、ファルは不老不死になるでしょう? 私はいいから、ファルと、契約して」


 テラの声は震えていた。

 その目に宿る切実な光は、リーフの想いを深く抉る。


「それは出来ないよ……そんな簡単なことじゃ……」


 リーフは絞り出すように言葉を出した。


 唯一人の守り人へ永遠の愛と絆を誓う血の契約。

 守り人を必要とするリーフだけに許された、『道理』を超える力。


 唯一の守り人であるテラとの契約を解除し、その力を瀕死のファルに使うなど、想像を絶する重みがあった。

『道理』を超える力を使い、『道理』に背く――。



「お願い、リーフ。私のお願いは何でも聞くって言ってくれたよね」


 こんな時に、こんなことは言いたくなかった。

 しかし、ファルとリモを失うこと、そしてソランがその罪悪感を背負うことが、怖かった。

 ファルを救える唯一の手段があるのに、見過ごすことはできない。

 二人を失って、楽しみにしていた定住地へと、どうして向かえるのか――。


 テラの言葉が、リーフの霊核を強く締め付けた。


いつも「刻まれた花言葉と精霊のチカラ 〜どんぐり精霊と守り人少女の永遠のものがたり〜」を読んでいただき、ありがとうございます!

次回『97話』更新をお楽しみに!

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