89 フィオネール家17 準備万端
明日はいよいよ、王城へ行く日。
結婚パーティー前日には王城へ泊りに行くことになっており、当日も宿泊するので、2泊3日の結婚パーティーとなる。
テラは怪我をして以来、4日ぶりに早起きして、普段どおりに朝食を摂り、いつもの生活に戻った。
大怪我をして治って、2日間も閉じこもって、精霊界にも行って、リーフとの関係の変化もあったし、伯父さんにも会えた。
色んなことがあった4日間だった。
そうして完全に日常に戻ったテラは、カリスやユリアン、ヘリックスらとパーティーの準備について話し合いつつ、こうして冷静になってみて、ふと考えることがあった。
リーフは昨夜の『仲直りのキス』を、どうすればもう一度出来るかなと考えを巡らせていた。
『仲直り』するには、何かがないと仲直りは出来ない。
それならば、とリーフは閃いた。
わざとテラに無理そうなお願いをして、昨日と同じように『ダメ』と拒否されればいい。
――完璧だよね!?
昼食のあと、キッチンで何やら作業していたテラに、リーフは話しかけた。
「テラ。ぼく、美味しいお水が飲みたい」
ぼくが美味しいと感じる水は、ここに無いかもしれない。
テラは水を用意出来ないのでは? と思った。
「ここにカスタスがいつも飲んでるっていう水があるの。リーフも飲んでみる?」
テラ自身はカスタスに会っていないので詳しくは知らないのだけれど、カスタスはフィオネール家の敷地内に宿る、アカンサスの精霊だ。
カスタスがいつも飲んでいる水ということで、カリスが準備したものだった。
テラの差し出したコップを、リーフは戸惑いながらも受け取った。
「カスタスが飲んでる水……?」
全く意識していなかったけど、意識してみると確かにこの水は……すごく綺麗だ。
一口飲んでみると、その美味しさに思わず目が丸くなった。
さすが、カスタスがいつも飲んでいるだけある。
美味しい……!
でも、これじゃ……!
この水は王城に運んで、乾杯の時に精霊たちが飲むために用意しているものだった。
ユリアンは数種類の水を用意すると言っていたけれど、そのひとつがこの水。
テラは、汲まれてきた水を運びやすいように、蓋つきの入れ物に移し替えていたのだった。
ちょうどそこに、カリスとユリアンがやって来て、テラと何か相談事をしているようだった。
リーフは、忙しそうにしているテラに『手を繋ぎたい』と言えば、断るだろうと思い、言ってみた。
「テラ。ぼく、テラと手をつなぎたい」
「ちょうどよかったわ。今から庭園に行くのよ。リーフに一緒に来てほしいんだけど、いいかな?」
「うん、一緒に行く!」
ふたりで手を繋いで水路沿いを歩き、庭園の端の少し開けた一角までやって来た。
天気がよくて、お散歩みたいで、嬉しかった。
あれ?
嬉しいけど……
そうじゃないよね……?
次こそは、と思ったリーフは、無理っぽいことを言ってみた。
「テラ。ぼく、テラとお花畑に行きたい!」
「その前に、リーフにちょっとお願いしたいことがあるの。いいかな?」
「? なにするの?」
「ここにあるプランター全部、お花を満開にできるかな? 難しいなら少しでもいいんだけど……」
「全然、難しくないよ! すぐ出来るから、ちょっと待ってね。……リーフヴェイル」
リーフの緑色の瞳が光を帯びると、足元からキラキラとした光が大地を這うように広がっていく。
500個のプランターに力が注がれると、その力によって、小さな苗がみるみるうちに成長し、色鮮やかなスターチスが満開になった。
リーフの力は通常は大地を伝うのだけれど、プランターや植木鉢などは、意図的に土の上から力を注ぐことで、土の中の根に干渉している。
「わあ! スターチスのお花畑ね! ありがとう、リーフ! さすがね! とっても綺麗!」
「スターチスは今の季節だと季節はずれだから、お花が長持ちするようにしたよ」
リーフはテラに褒められ、得意げな様子で満開になった花を眺めた。
「ふふ、ありがとう。お花畑、一緒に歩いてみる?」
「うん、スターチス、とても綺麗だね」
500個ものプランターを所狭しと並べた、満開のスターチスは本物のお花畑のようで、青い空に色とりどりのスターチスが映えて、息を呑むような美しさだった。
「このプランターは王城に運んで、パーティー会場の大広間の外にズラッと並べるんだって。すごいよね!」
「リモ、きっと喜んでくれるね」
「会場の中には、苗のままのプランターを並べるそうだから、ちょうどいいタイミングで、リーフに満開にしてもらいたいってヘリックスが言ってたわ」
「ちょうどいいタイミング?」
「誓いのキスをしてもらうってユリアンが言ってたから、その時に一斉に満開にするのはどう?」
「……誓いのキス……?」
「誓いのキスというのは、結婚するときにするキスのことね。キスした瞬間に花が満開になったら、とても素敵だわ!」
「わかった! そのタイミングで満開だね。任せて!」
「よろしくね、リーフ」
あれ?
なんだか違う気がするけど……
テラとは喧嘩しないし、したくないし
仲直りのキスって思ったより難しい……
でも、スターチスの満開のお花畑、すごくきれいだった!
リーフの『仲直りのキス作戦』は全く思う通りにはならなかったけれど、お願いはすべて叶って何気に満足した。
けれど、思い通りの『仲直り』は難しい、とも思うのだった。
ゲストハウスに戻ると、カリスがユリアンと一緒に食事の用意をしていた。
「ありがとう、カリス、ユリアン。私のほうは頼まれていた件はぜんぶ終わったわ」
頼まれていた件とは、カスタスの水の仕分けと、リーフに頼んでプランターを満開にすることだった。
「そう、早かったのね! それじゃ、今はスターチスが満開になってるのかしら?」
「ええ! もうとっても綺麗だから、運びだす前にユリアンと一緒にぜひ見てきて! 料理は私がやっておくから」
「ありがとう、テラ。ユリアンも見に行く?」
「うん、ぜひ! 500個のプランター全てが満開だなんて、どんな景色だろう! きっとすごく美しいよね」
「そんな壮観な景色、なかなかお目にかかれるものじゃないもの。早く行きましょ!」
いつの間にかユリアンとカリスは、普通の友達のような間柄になっていたようだった。
ユリアンを避けていたカリスからすると、かなりの進歩だった。
「さて、それじゃ料理の続きね。たぶん、ここでの最後の夕飯作りになるから、張り切って作らないと!」
ここでテラは、リーフをちらりと見た。
この場でリーフに頼むことは無いし、たぶん暇だろう。
「リーフは……遊んできていいけど……」
「ええっ!? ぼくもお手伝いしたいよ」
「でも、リーフは味見出来ないし……。そうだ、リーフ。フキノトウ、採ってこれる?」
ふと、リーフに聞いてみた。
どこにフキノトウがあるのか、リーフならすぐに分かる。
自分が探しに行った『あの森』だと言うのだろうか、と気になった。
「フキノトウ? フキノトウ……そうだね……敷地内にあるみたいだけど」
リーフは瞳を輝かせ、力を使い、フキノトウを探った。
「敷地内にあるの?」
「うん。貯水槽が立ってる高台。林みたいに木々があるけど、そのあたりに生えてる」
「……そんな近くにあるのね」
テラはそんな近くにあるとは思っていなかったため、少し困惑したようだった。
「近いし、テラも行く?」
「そうね……。そんなに近くなら時間もかからないし、行こうかな……」
貯水槽のある高台まで徒歩で約3分ほど。
高台は木々に覆われていて、小さな森、あるいは林のようになっていた。
テラは怪我をした日のことを思い返していた。
「ちょっと中に入るけど……あっちのほうだね」
リーフが指したほうへと木々の合間を縫って歩いて行く。
「ほら、ここだよ」
適度な日陰があって湿り気が感じられる木立の中に、フキノトウが群生していた。
「こんなにたくさん……しかもこんな近くに……」
いつもなら、薬草を見つけたらとても喜んでくれるのに、テラの元気がなく、どこか沈んでいるように感じた。
「?……今日はフキノトウの料理にするの?」
「……じつは……私が怪我をした日、一人でフキノトウを採りに行ってたの。怪我しちゃって採れなかったけど……」
「!!……そうだったの」
しばしの沈黙が流れ、ふいにテラが言葉を発した。
「私、リーフがいないとダメね。一人でフキノトウを探しに行って、谷に落ちて大怪我して。フキノトウは持って帰れなくて」
テラは自分の口から出た言葉に、ハッとした。
リーフに当たるつもりはなかったのに、なぜか投げやりな口調になってしまった。
情けなさと自己嫌悪で、リーフを見ることができず、下を向いたままだった。
テラは12歳で両親を亡くしてからは『独りで生きていけるように』と薬草の勉強をしてその一心でやってきたし、生計が立てられるようになった。
15歳でリーフと出会うまでは、そうやって生活をしてきたのだ。
「そんなことないよ、テラ? 全然、ダメじゃないよ?」
「リーフがいないと、薬草ひとつ満足に採取できないもの……」
リーフがいればこんなに簡単に見つけて、安全に採取が出来るという現実。
テラの声には、残念さと情けなさがにじみ出ていた。
「テラ……そんなことない……」
「リーフの守護がなければ、私、今頃……ここにいないもの……」
不老不死――言葉では分かっていたけれど、今までは漠然としていた言葉だった。
それが、死にかけて、はっきりと分かった。
薬草すら一人で採ってこれず、さらには命までリーフに依存してしまっている。
それが嫌なわけではないし、生きていることは本当に有難いこと。
ただ、複雑な気持ちであることは確かだった。
私はこの体もすべて、リーフに依存している――。
「……そんなふうに……思わないで……」
リーフのエメラルドのような目から、大粒の涙がポタポタと零れ落ちた。
『リーフがいないとダメ』
『リーフの守護がなければ』
どの言葉も、リーフの存在と力を肯定するものだった。
けれど、リーフにはそれが辛く悲しい言葉に聞こえた。
それは、テラがもう一人では何もできないと、自分の弱さを悲しんでいるように聞こえたからだ。
「リーフ。私、怪我をした日に一度死んだの。そしてリーフの守護で今、生きてる。この命はリーフにもらったものなの」
「……テラ……」
「これから何度も、リーフから命をもらうかもしれないね」
「……テラは……ぼくの守り人になって、後悔……してる、の……?」
リーフの声は震えていた。
「ううん。してないよ?」
テラは迷いなく、即答した。
そして、リーフに近づくと、胸に抱きついて、背中に腕を回した。
「だけど、リーフに甘えてばかりだと……私、一人で何も出来なくなっちゃう。だから、これからも時々、心配かけるかもしれないけど、私が一人で何かをするときがあっても、あまり心配しないで。ぼくがいないとダメ、なんて、リーフは思わないんでしょう?」
テラの言葉に、リーフを締め付けていた不安が、ふわりと消えていくのを感じた。
「……思わないよ…………テラ……」
リーフはテラの背中に腕を回し、まるでその存在を確かめるように、ぎゅっと抱きしめた。
「ふふ。それじゃ、仲直り、する?」
「うん……する……」
「ごめんね、リーフ。また泣かせちゃったね」
木々が風に揺れる音と水の流れる音だけが響く林の中で、静かに見つめ合うと、テラは手を伸ばしリーフの頬に触れ、そっと涙を拭った。
テラはもう片方の手をリーフの頬にもっていくと、両手でリーフの顔を優しく包みこんだ。
リーフはテラの背に回した両腕をぐっと寄せると、テラはリーフの顔を引き寄せ、ふたりの唇が優しくふわりと重なった。
『仲直りのキス』はほんの数秒間で終わると、テラはリーフの胸に顔を埋めた。
穏やかで優しい二人だけの時間が流れていた。
すると、テラが何か吹っ切れたように、明るい声で話しかけた。
テラの心から、胸の奥に引っかかっていた重りが取れたようだった。
「それじゃ、フキノトウ採取して戻ろうか。フキノトウは下準備に時間がかかるから、早くしないと夕飯に間に合わなくなっちゃう」
ゲストハウスに戻ると、テラは心なしか弾むような足取りで、テキパキとフキノトウの下ごしらえを始めた。
さっきまでの重い気持ちはもうない。
今日の夕食は、あさりとフキノトウのバターオリーブソース炒めと、鴨肉のチーズ挟み焼き、野菜スープだ。
テラ、ユリアン、カリス、ファルは食卓を囲んで、明日から2泊3日の結婚パーティーに想いを寄せ、話は尽きることなく、遅くまで盛り上がっていた。
いつも「刻まれた花言葉と精霊のチカラ 〜どんぐり精霊と守り人少女の永遠のものがたり〜」を読んでいただき、ありがとうございます!
次回『90 結婚パーティー前日』更新をお楽しみに!