87 フィオネール家15 ヴェルト 後編
「あー、えっと、ヴェルト? そろそろ僕が話しかけてもいいかな」
半開きの玄関ドアから顔を出したユリアンは、少し困ったように声をかけた。
「あっ、ユリアン!」
「殿下、申し訳ありません。護衛の任についておりながら、私情を挟んでしまいました。お声かけくださり、感謝いたします」
ユリアンの登場で、ヴェルトは伯父さんからキリッとした騎士団長の顔に戻っていた。
「いいよ、ヴェルト。ごめんね、リーフもテラも。立ち聞きするつもりじゃなかったんだ。ヴェルトに用があって玄関に来たら、テラが見えて……偶然なんだ、本当にごめん。ヴェルトがテラを抱きしめている辺りから聞いていたんだ……」
「いえ。隠し立てすることでもないので、わざわざお話する機会を設ける必要がなくなったということで、今回はよしとしますが……殿下、立ち聞きはあまりよろしくないですね」
ヴェルトは姪を抱きしめた姿を見られていた事に少しばかり照れつつも、ユリアンにやんわりと釘を刺した。
このような遠慮のない言葉を交わせるのは、ユリアンが幼い頃から護衛として仕えていたヴェルトだからこそだ。
「悪かったよ、ヴェルト。だけど、ヴェルトはテラの親族だったんだね! こんな偶然があるなんて、本当に驚いたよ!」
ユリアンはテラに向き直り、言葉を続けた。
「ねぇ、テラ! せっかくだし、結婚パーティーにヴェルトを招待するのはどう?」
「いいわね! お祝いは人数が多いほうがいいもの!」
「テラとリーフの結婚パーティーですか?」
「ええっ!」
テラは思わず叫んで、リーフとの繋いだ手を慌てて隠した。
リーフはヴェルトの言葉を聞いて、ふと考えた。
結婚という言葉は知っているし、お祝い事ということも知っている。
しかし、何がどう結婚なのか、結婚したら何が変わるのか、具体的なことは知らないし、考えたことすら無かった。
『愛する女性と共にいたいなら、プロポーズしないとだろう?』
『人の習慣に合わせるのも大切なことだ』
リーフはジオの言葉を思い返していた。
「違う、違う。言ってなかったかな? ファルとリモの結婚パーティー、18日だよ」
ユリアンは苦笑しながら、優しくヴェルトの勘違いを解いた。
「ああ、騎士団の訓練を見学に来ていたという青年ですね。私はまだファルさんにお会いしていないのですが、よろしいのですか?」
「今から会えばいいよ。ちょうどお昼にしようって話しててね。ヴェルトも一緒にと思って、呼びに来たところだったんだ」
「そうでしたか。私も一緒に昼食とは、珍しいですね」
「ここではそんなの気にしなくていいよ。王城じゃないからね」
ユリアンは悪戯っぽい笑顔を浮かべて、ふふんと笑った。
「それじゃ、ヴェルト伯父さん。お昼ごはん、一緒に食べましょう!」
「それでは、お言葉に甘えて」
姪の誘いにヴェルトはニッコリと微笑むと、ゲストハウスの中に足を踏み入れた。
こうして、ヴェルト、テラ、ユリアン、ファル、カリスの5人は一緒に昼食を摂ることになり、その場には珍しく、リーフとリモ、ヘリックスも立ち会った。
「みんな、ごめんね。心配をかけてしまって……」
全員が揃ったところで、テラが謝罪の言葉を口にした。
怪我から回復した格好で戻ってきて、そのまま2日間部屋に閉じこもってしまった件の謝罪だった。
「ううん、テラが元気になったみたいで本当によかった……」
カリスは心底、安心したようにテラの手を握った。
「僕も安心したよ。顔色もよくなったし、笑顔が戻ったよね」
ユリアンもテラの様子に一安心した。
酷い恰好で戻った時の彼女は顔面蒼白だったけれど、今はほんのりと肌に赤みが差して、健康そうだ。
「……本当に、カリスもユリアンも、みんなも、心配してくれてありがとう」
改めて、テラは頭を下げた。
「ねぇテラ、元気になったらお腹空いたでしょ? 今日のお昼はいっぱい準備してるのよ! たくさん食べてね!」
「ふふ、ありがとう、カリス。お腹空いたし、たくさんいただくわ!」
昼食の席で、午前中にヘリックスとユリアン、カリスの3人で話し合った結婚パーティーの詳細がユリアンの口から語られた。
もちろん、内緒にしておくことは伏せつつ、上手い具合に話した。
「前日からの泊りがけ……そうね。そのほうがゆっくり準備できるし、みんなで前日と当日、王城に泊るのはいいわね。ヘリックスもそれでいい?」
「ええ。特にファルとリモは、準備に時間が必要だものね?」
「……なんだか済まないな」
ファルが頭をかくと、ヘリックスは楽しそうに笑った。
「あら、ファル。全然いいのよ。しっかり準備して、この記念のイベントに挑まなきゃでしょう?」
「ヘリックス……そんな、挑むだなんて、緊張すること言わないでくれ」
「ふふっ。ファルでも緊張するのね」
その場にどっと笑いが起きた。
結婚パーティーまであと3日。
みんなが揃い、あとは当日を待つばかり――なのだけど。
「ちょっと待って。リモにお願いしたこと、私、うっかり忘れてたわ!」
カリスはリモにお願いしていたことがあった。
それはリモのしおりの件。
「そうだったわね。明日でいいなら……どうかしら?」
「ええ! それじゃ明日、ぜひお願いするわ!」
翌日には、当初の予定通りカリスの知り合いに会い、直接話を聞いて、しおりに『特別な加護を付与する』という仕事を果たすリモには、通常価格の10倍もの報酬が支払われることになるのだけれど、まさかそんな高額報酬案件だとは、この時のリモには知る由もなかった。
「僕からもいいかな?」
ユリアンは少し身を乗り出し、ソランの誕生祝いの話を切り出した。
「ソランの誕生日プレゼント、じつは考えていることがあって、みんなはどうかなって」
「ああ、そうだな。まだ特に決めてないが、皆からってことで今日か明日にでも買い物に行くかな。テラは何か考えてるか?」
「ううん。とりあえず何にするか決める? ヘリックスは何かある?」
テラに話を振られたヘリックスは、少し考えてから口を開いた。
「特に考えてはいないけど……ソランへの誕生日プレゼントなら、予算は10,000ŞĿくらいかしら?」
10,000ŞĿ(シルヴァ)は通常の宿で6泊から7泊分に相当する金額だ。
ヘリックスは一人2,000ŞĿ、旅を共にしている5人だけで計算して10,000ŞĿと言ってみた。
「ここにいる8人、全員からってことなら、一人2,000ŞĿでも16,000ŞĿになるわ。けっこう良い物が買えそうよ?」
カリスはヘリックスが口にした予算が旅をしている5人だけと気付き、この場にいる全員での予算を提案した。
「それなんだけど……」
ユリアンは、満を持して、ソランの誕生日を知ってからずっと温めていた秘策を明かした。
「城で飼っている犬が、2、3か月ほど前に八頭の子を産んだんだ。そのうちの一頭をソランに贈ろうと思っていてね」
「へぇ! 子犬! すごいな! いいんじゃないか?」
ファルの声が弾む。
「ソランが喜びそうだよな!」
皆も一様にウンウンと頷き、そのアイデアに賛成の意を示した。
「子犬がいるとソランも寂しくないかなって思ったんだ。それで皆に相談なんだけど、子犬の首輪や玩具を皆からってことにしない?」
「いいわね! でも、そういうものって、王都の市場に売っているのかしら?」
犬をペットとして飼う文化はまだ一般的ではないため、テラは純粋に疑問に思った。
「数は少ないようだけど、あるみたいだよ。だけど、僕が革職人に作らせたものがあるんだ。それを皆からってことにできたらって思うんだけど、どうかな?」
「それってもしかして……宝石がたくさん付いているとか?」
テラが想像したのは、宝石が散りばめられた王家のペットらしい派手な首輪だった。
「まさか!」
ユリアンは少しおどけたように笑って続けた。
「ちょっとした装飾はあるけど、たくさんの宝石はさすがに付けてないよ。あと、一緒に遊べるボールなどがあればいいかなと思ってるんだ」
「だけど、お金は足りるのかしら?」
ヘリックスは、ユリアンの話を聞いて、予算内に収まらないと直感した。
「皆からってことなら、僕も入れてもらえたら嬉しいんだけど」
「ふふっ。そういうことね。わかったわ、ユリアン」
ヘリックスは、ユリアンが最初から予算の額など関係なく、『皆から』のプレゼントに名を連ねたいだけだったことを見抜いて微笑んだ。
「それじゃ、皆からのプレゼントとして、首輪と玩具でいいかな。代金はきちんとユリアンに渡すわ。みんなはどう?」
テラが、テーブルを囲む全員の顔を一人ひとり見つめ、優しく尋ねた。
「ああ、俺はそれで構わないぞ。どうだ? リーフは?」
「いいと思うよ。子犬のプレゼントはソランもきっと喜ぶよ」
ファルとリーフが同意すると、リモとカリスも迷いなく頷いた。
これまで静かに話を聞いていたヴェルトも、その決定に満足したように穏やかに微笑んでいる。
これでソランへのプレゼントも決まり、あとは当日を待つばかり。
前日、当日は王城に泊まることになっている。
ゲストハウスでの日々も残りわずかだった。
いつも「刻まれた花言葉と精霊のチカラ 〜どんぐり精霊と守り人少女の永遠のものがたり〜」を読んでいただき、ありがとうございます!
次回『88 親性脳と昂揚感』更新をお楽しみに!