79 フィオネール家07 指輪づくりと薬草茶づくり
リーフとリモが精霊界へ発ってからしばらくして、ユリアンがゲストハウスのファルの部屋を訪れた。
まだギリギリ、朝の挨拶でいいかもしれないくらいの時間だ。
「おはよう、ファル。カリスもいたんだね」
「おはよう、ユリアン」
「おう、ユリアン、おはよう! リモが精霊界へ行っちまったから、予定が変わってしまったんだ」
ユリアンはファルの言葉に驚いて、彼に詰め寄った。
「え? 精霊界へ? どうして? 喧嘩でもしたの?」
真剣な表情で心配そうに見つめてくるので、ファルはちょっと吹き出しそうになる。
「いやいや、喧嘩はしてないぞ! リーフが精霊界へどうしても行かなきゃならないらしくてな。リモが付いて行くことになったんだ。帰ってくるのは10日後だって」
「10日後!? それはまた……ファルが言い訳を考えなくていいのは助かるかもだけど……ファル、寂しくなるよね?」
「俺はいいさ。それよりテラだよ。リーフと離れたことなんて無かっただろうからな。一人で寂しいんじゃないかと思ってな」
「そっか……。私、このあとテラの部屋へ行ってみるわ」
「僕もテラのことは気にかけておくよ」
「二人ともありがとうな。俺もテラの様子は気を付けて見ておくから」
うんうん、と三人で顔を突き合わせて頷いていた。
「ところで、ファルはこれから工房へ?」
ユリアンが期待した眼差しでファルに問いかけた。
「ああ、これから行こうと思ってたんだ。どんな風に彫ろうかって考えてたんだが、決めたんだ。構図は頭の中にある!」
ファルは少し誇らしげに話した。
「そう! それじゃ僕も一緒に行っていいかな。どんな風に作っていくのか見たくてね」
「ははっ。いいぜ! それじゃ一緒に行くか!」
ファルとユリアンは何だか楽しげに、ふたりで肩を並べて工房へと出掛けて行った。
そんな二人を見送ると、カリスはテラの部屋へ様子を見に行くことにした。
◇ ◇ ◇
カリスはテラの部屋の前まで来ると、一呼吸おいて、ドアをノックした。
「おはよう、テラ! いる?」
すると、すぐにドアが開き、テラが満面の笑みで迎えてくれた。
「おはよう、カリス! どうぞ入って!」
テラはニコニコな笑顔でカリスを部屋の中へと招き入れた。
ヘリックスはすでに自分の部屋に戻っていて、テラは一人だった。
「さっき、ファルに聞いたんだけど……」
カリスはテラの表情を窺うように、件の話題を振ってみた。
「リーフはもう出掛けたの。10日後に帰ってくるって。私、久しぶりに一人なのよ」
「寂しくなるでしょう?」
思ったより元気そうだけれど、これは空元気? とカリスは思った。
「確かにちょっと寂しいけど、薬草の手入れをしたり、薬草茶を作ったり、料理もしたいし、旅をしていると出来なかったこともあるから……あ! そうだ。キッチンを使いたいのだけど、いいかな?」
テラはゲストハウス滞在中に、やりたいことが色々とあった。
ヘリックスにお願いされた『後押し』もあるため、カリスを巻き込もうと考えていた。
「ええ、もちろん使っていいわよ! テラは料理もするのね! 私なんて、料理は全然なの。テラはすごいのね!」
テラが料理が作れるらしいことを知り、カリスは驚いた。
自分よりひとつ年下のテラは料理ができる……という事実に、カリスは少しだけ複雑な気分だ。
「料理をするには材料が必要だけど……薬草茶ならすぐ作れるわよ。一緒に作ってみる?」
テラからの思わぬ提案にカリスはギョッとした。
「ええ!? 私でも作れたりするの? 何にもやったことないわよ?」
カリスは残念なことに、キッチンに立ったことすらなかった。
「そうね……とりあえず、このムーンピーチ・フラワーの実と葉を別々に採取しよう!」
テラは部屋の南側、バルコニーの傍に置いたムーンピーチ・フラワーのプランターを指した。
「ムーンピーチ・フラワー? それ、知ってるわ! プランターがあるのね」
「ええ、プランターはリーフの依り代に入れてもらっていたのよ」
「へえ……。これが、ムーンピーチ・フラワーなのね。初めて見たわ! こうして触れてみると、葉は肉厚で光沢があって……どこか清涼感のある独特の香りがするわね。まるで、森の中にいるみたい。この香りだったのね」
クンクン、とカリスは部屋の空気を吸った。
この部屋に入った時から、独特の香りがほんのりと漂っていた。
「実は収穫したらとりあえず籠に入れておいて、葉はこっちに……」
「葉は全部とっちゃっていいの?」
「うーん、そうね。今回は1株だけにしておこうかな」
「わかったわ。それじゃ1株だけ、全部葉っぱをとっちゃうわね。結構しっかりしてるのね、この葉。パチン、パチンと、葉を摘むたびに小気味良い音がするわ」
「ふふ、そうでしょう?」
テラとカリスは1株ぶんの実を収穫して、葉も全て摘み取り、葉が入った籠だけを持って1階のキッチンへと移動した。
実はバルコニーで天日干しするつもりだ。
「それじゃ、葉をきれいに洗うわね。依り代に入れておいたし、そんなに汚れてはいないと思うけど……水をかけると、さっきよりもはっきりと、爽やかな香りが立つわね」
綺麗に洗った葉を、今度は1センチ幅くらいに二人でカットしていく。
サクサクと心地よい音がキッチンに響く。
カリスは慣れない手つきながらも、葉の感触を確かめるように、真剣な表情でテラの真似をした。
「カットしたら、天日干しするか、炒めるか、なんだけど、早く作ってみたいから、炒めようね。半分くらいは干しておこう」
フライパンを出して、葉を焦がさないようにゆっくり炒めていく。
ジュッとわずかな音がして、熱が加わるたびに、あたりに甘くスパイシーな、より深みのある香りが広がっていく。
葉は少しずつ鮮やかな緑色からくすんだ色へと変わり、やがてパラパラになるまで水分が飛んでいく。
「さて、ずいぶんパラパラになったわね。これで出来上がりよ。簡単でしょう?」
「そうね。思ってたより。でも、お茶ってこうやって作るのね! それに、すごくいい香り!」
「ふふっ。それじゃ、お湯を沸かして、飲んでみる?」
「ええ! ぜひ!」
ティーポットに茶葉を入れて、お湯をゆっくりと注ぐと、ショウガのような独特のスパイシーさと、ほんのりとした甘みが溶け合った芳醇な香りが、湯気と共に立ち上る。
「この香り、私、すごく好きよ。なんだか、心が落ち着くわ」
「そう? それならよかった! そろそろお茶もいい感じかな」
しばらく蒸らしていたお茶が、いい感じに飲み頃になったようだった。
ティーポットからティーカップに静かにゆっくりと注いでいく。
「うん、いい色ね! 琥珀色に輝いているわ。香りもすごく好みよ!」
「ふふっ、どうぞ、召し上がれ」
カリスは期待を込めた眼差しでティーカップを持つと、それをそろりと口に運び、ひと口、口に含んだ。
「わぁ! 美味しい! これ、ムーンピーチ・フラワーよね? 今まで飲んだことがあるムーンピーチ・フラワーよりも、なんだかすごく美味しいわ! 体がじんわりと温まっていくみたい……」
「そう? それは一緒に作ったからじゃない?」
テラもティーカップを持ち、味を確かめるようにひと口、口に含むと、ふっと頬が緩んだ。
「そんなことないわよ! だって水分を飛ばしたのはテラだもの。たぶん一番大事な工程でしょう? テラがすごいのよ!」
「ありがとう、カリス。そういえば、ファルはまだ部屋なのかな?」
「ファルはユリアンと一緒に工房へ行ったのよ」
「工房?」
テラはきょとんとした表情でカリスを見つめた。
「リモには秘密に、と言ってもリモは出掛けちゃったから、隠す必要がなくなったんだけど、ファルが手作りの指輪を作りたいからって、工房の一角を貸すことになったの。それで、ユリアンも一緒に工房に行ってるのよ」
テラは、ファルが何かしているっぽいのは何となく気付いていたけれど、詮索する気はなかったので特に聞いたりはしなかった。
が、カリスが明かしてくれて、納得した。
「そうなんだ! 何かしてるのかなって思ってたけど、そうだったのね。内緒で手作りの指輪……ふふっ。工房って近くにあるの?」
「工房は本館のすぐ裏手にあって、ここからだと徒歩3分ちょっとで行けるわ」
「そっか。もうすぐお昼でしょう? お昼には戻ってくるのかな?」
「ええ、戻ってくるはずよ」
「それじゃ、ふたりの分のお茶も用意しておこうかな」
「いいわね! きっと喜んでくれるわ」
ちょうどそこへ、ゲストハウスの玄関ドアが開き、ファルとユリアンの声が聞こえてきた。
ふたりが昼食のために戻って来たようだった。
「お、なんだかいい香りがするな!」
「ほんとだ! これは……ムーンピーチ・フラワーかな」
「おかえりなさい、ちょうどお茶を作ったところなの。ふたりの分もあるから、どうぞ、座って?」
テラは二人に声をかけ、ティーポットとティーカップをテーブルに用意した。
「もしかして、テラが作ったのか?」
「ええっ! テラは薬草茶を作れるの?」
ファルとユリアンは目を丸くしていた。
「これはカリスと一緒に作ったのよ。ムーンピーチ・フラワー茶ね」
「……テラが作ったってことは、まさか、すごい効果が!?」
ファルは以前、テラが作った消毒液を使って怪我が治った、という驚きの経験があった。
「このお茶は普通のお茶よ。そんなすごい効果はないってば」
ファルは何かを期待したのかもしれないけれど、紛れもなく、この薬草茶はいたって普通の薬草茶だった。
「え、何の話なの?」
ファルが言っている事が分からないユリアンは、内容が知りたくて尋ねた。
「あ、いや……」
ファルはうっかり『すごい効果』などと口走ったことを、悔やんだ。
そして、テラの顔色をチラリと窺ってみた。
テラは、隠すのも変だろうと思い、自分で話すことにした。
「いいわ、ファル。リーフの守護をかけた薬草で薬草茶や薬を作ると、効果がすごいの。前にファルがちょっと怪我をしたときに、その特別な葉で作った消毒液を使ったら、傷が跡形もなく消えたことがあったのよ」
「傷が跡形もなく!? す、すごいんだね……そんなことが可能なんだ」
ユリアンは薬の効果に驚愕した。
傷が跡形もなく消える消毒液だなんて、聞いたことがない。
「その消毒液だと大怪我はちょっと無理なんだけど、少しの怪我なら、ね」
「それでもすごいよ……」
ユリアンも驚いていたけれど、となりにいたカリスは言葉も出ないようで、驚いた表情でただ、じっとテラを見つめていた。
そんな場の雰囲気を払しょくするように、テラはさらっと話を切り替える。
「まあ、その話は置いとくとして。このお茶、どうかな?」
「うん、すごく美味しいね」
ユリアンにもなかなか好評のようで、テラは嬉しくなってニコニコ顔が収まらない。
おそらく王城では美味しいお茶を日々嗜んでいるだろうから、やはりユリアンに褒められるというのは、気分がよかったりする。
「今度はカリスと料理しようと思ってるから、その時は食べてもらいたいんだけど、いいかな?」
「テラは料理も作るの? ぜひ食べたいよ。カリスも料理するんだね?」
ユリアンの期待に満ちた目がカリスに向けられた。
「えっ、いや……まあ……」
カリスは思わず目線をそらす。
「楽しみにしてるよ!」
「おう、俺も楽しみにしてるから、ぜひ美味しい肉を頼むぜ!」
ユリアンとファルは手料理に期待を寄せると、テラはにっこり、カリスは青ざめた。
皆がゲストハウスにいる間、料理三昧の日々になるとはカリスは予想だにしていなかった。
いつも「刻まれた花言葉と精霊のチカラ 〜どんぐり精霊と守り人少女の永遠のものがたり〜」を読んでいただき、ありがとうございます!