06 過去の守り人
リーフとテラ、ふたりの共同生活が始まって10日が経った。
今日もいつものように森に来ていたふたりは、神殿が現れた少し開けた草地の近くで薬草を採取していた。
テラは神殿が現れた日のことをふと思い出し、リーフに訊ねた。
「ねえ、リーフ。私って守り人よね? 守り人の仕事ってどうしたらいいのかしら。あの神殿の守り人って言ってたじゃない?」
『神殿の守り人』というのは、かつてのリーフの守り人、テラのご先祖の守り人が毎日神殿に通い、文字通り、神殿の守り人として周囲に認識されていたのもあり、リーフも『神殿の守り人』と言ったのだけれど、正確には神殿の守り人というより、リーフの守り人である。
「うん、そうだけど……今はいいかな。神殿は隠してあるから」
リーフは少し困ったように答えた。
「そういえばあの神殿、今まで見たこと無かったもの。聞いたことも無かったし。ずっと隠してるの?」
リーフは、かつての守り人を失った日の夜、一夜にして神殿と神殿のそばに立つオークの木を消失させ、突如消えた神殿とオークの木は800年の間に忘れ去られ、この村には『かつてどんぐり信仰があった』という昔話しか残っていなかった。
「アクォリア神殿、昔はそこに在るものだったんだけど……」
リーフは少し言いづらそうに、言葉少なに話した。
「アクォリア神殿っていうのね。ご先祖の守り人さんは神殿で守り人をしてたのかしら」
「……毎日通ってくれてたの……」
「そうなんだ! 毎日リーフに会いに森へ入ってくれてたのね」
「……うん…そう……」
(ライルのこと、そのうち聞かれるかなと思ってたけど……これ以上聞かれたら……)
聞かれたくなかったなと思ったけれど、いつかは聞かれるとは思っていた。その時が来たら言うしかないとも思っていた。これ以上聞かないで、と思いつつも早く言わないと、とも思うし、どうしよう……と考えがまとまらない。
(……?リーフ、元気ない……?)
テラは、リーフがシュンとして元気がなさそうで心配になったのだけど、でも、自分のご先祖でリーフの守り人だったという人にはとても興味があるし、神殿を隠している理由も気になる。だけど、それ以上にどうしても聞きたいことがあった。
その日の夜。『守り人』のことが気になっていたテラは、少し遠回しな言い方でリーフに訊ねた。
「リーフはこれまで何人の守り人と一緒に過ごしたの?」
「テラの前は、ひとりだけ」
やっぱり聞かれるよねと、少しばかりぶっきら棒な言い方になってしまい、つい、フイッと顔を背けてしまう。
「ひとりだけ……ということは、私が二人目なのね。一人目は私のご先祖の?」
「そう。テラの先祖で、ライルという名の男の人」
リーフは顔を背けたまま、なるべく動揺を悟られないよう声の調子を変えないようにテラの問いに答えるのだけど、リーフの顔が見えないせいか、テラの質問攻めは終わらなかった。
「その、ライルさんとは……死別……だったのかな?」
テラは、契約を解除したのか、それとも最期まで共に過ごしたのかが気になっていて、どうしても聞きたかった。どうしても自分と重ね合わせて考えてしまうから。
リーフは、いきなり死別かと聞かれ、答えに迷ったけれど。リーフはテラに話していないことがあって、それは言わなければならないことで。本来なら契約時に言わなければいけなかったことで。
リーフは、言うなら今しかないと、切り出した。
今じゃなければテラに不審に思われてしまうと思ったから。
「そうなるね。800年くらい前かな。ぼくのせいで死んだの。守護が効いてたら、不死だったのに」
リーフは動揺の色を隠しきれないままテラの方に向き直り、真剣な眼差しで意を決したように応えた。
「えっ! ごめん、あの、ちょっといい?守護が効いてたら不死なの!?」
思いもよらないリーフの告白にテラは激しく動揺した。
「言ってなくてごめんね。ぼくの血の契約はとても強力で、ぼくと契約をすると、守り人は不老不死になるの」
リーフはとても大事なことを隠していた。リーフとの契約は人が人でなくなる契約。断られるのを避けたかったばっかりに、血の契約の時に伝えなかった大事な事。
「……え……じゃあ私も……不老不死になったの?」
予想もしなかった言葉にテラは声が震える。
「怒った、よね……先に言わなくてほんとにごめんね……」
これでテラが契約を解除したいと言っても、ぼくにはどうすることも出来ないし、受け入れるしかないとリーフは覚悟した。覚悟と同時にもう消えてしまいたい、とさえ思った。テラを失うなら人間界にいる理由も無いのだから。
「で、でも、ライルさんは亡くなったのよね? どうして?」
不老不死になったはずのライルは亡くなった、それを不思議に思ったテラは、当然の疑問をリーフにぶつけた。
「それには理由があって、ぼくのせいなの。ぼくの力がまだ弱くて、一時的に守護が効かなくなって……助けられなかった……ぼくのせいで、ライルは死んだの」
ぼくのせいで死んだと話すリーフは、体の輪郭がぼんやりと霞んで、向こう側が透けて見えそうな、今すぐにでも消えてしまうんじゃないかというくらい、儚く脆い存在に見えた。
「………」
テラは返す言葉が見つからず、何を言ってもリーフがいなくなりそうに思え、言葉が出ない。
リーフの力が弱かったから? だからリーフは強くなりたいの? 毎日血を飲むと強くなるって言ってたよね。
「……悲しくて情けなくて、今まで神殿ごと隠して、ずっと引き籠ってた……」
自分のせいでライルを失い、誓ったはずの『永遠の愛』と『絆』が断ち切れてしまったことに耐えきれなかったリーフは、800年間、独りきりで人間界から隠れて過ごしてきた。
それでも、隠れていた間も必要とあれば陰から力を使ってはいたし、強くなるために力を使うことは止めなかった。それはどんぐり精霊の性でもあり、リーフの望みでもあった。しかし、それとは裏腹に、どんぐり精霊であることを否定する自分もいた。
「……リーフ……800年も……そんなに……」
テラはなんとか言葉を口にしたけれど、何を言えばいいのか分からずにいた。ただ目の前にいるリーフがあまりにも辛そうで、消えそうで、痛々しくて。
「今度は死なせない、絶対に。今度こそ、永遠に……っ」
リーフにはそれ以上の言葉が出てこなかった。守護した守り人を死なせた自分が何を言っても、嘘になる気がしたから。契約解除と言われる場面を想像して思考が埋め尽くされ、リーフの霊核は冷たく凍りついていく気がした。
言葉に詰まるリーフを見て、テラがリーフの紡げなかった言葉の続きを紡いだ。
「永遠に…………私を守って一緒にいたい? ほんとはライルさんを守り続けて永遠に一緒にいたかったのよね? 私、知ってるの。どんぐりの花言葉。『永遠の愛』と『もてなし』でしょう?……花言葉は、その性質を象徴する言葉だもの」
(テラは……ぼくの性質に気付いてたの……)
テラの言葉に、リーフは800年間ずっと抑えてきた何かがどうしようもなく溢れそうになる。リーフの緑色の瞳が潤んでキラキラと光っていた。
「どんぐりの精霊さんは寂しがり屋さんなのね。ねえ、リーフ。リーフって私くらいの背丈になれたりする?」
「……?……たぶん……テラと同じくらいなら……」
「お願い! ちょっとだけでいいから、今成長してみせてくれる?」
テラは、小さなリーフが深く深く傷ついていて、800年経ってもその傷が癒えていないことに気付き、リーフは今もずっと泣いていると感じた。そして、そんなリーフを心から抱きしめたいと思った。
テラの願いを受けて、リーフはぼんやりと体全体から光を発しながら、小さな手のひらサイズから、テラと同じくらいの背丈に変化してみせた。
「!?」
テラはリーフの背中を少しだけ強く、そして包み込むように優しく抱きしめ、耳元で囁くように話しかけた。
「リーフ、いままで悲しくて辛かったのね。与えてばかりのあなたが辛い時は、私が抱きしめるよ。でも、私が不老不死になったことは、早く言ってほしかったな」
リーフを抱きしめながら、テラはリーフの痛みを少しでも和らげたいと心から願った。
「ほんとにごめんなさい……」
「いいよ、もう。リーフとずっと一緒にいられるんでしょう? これから何年も、何百年も。永遠に」
「うん……血の契約は、ぼくにとって永遠の愛と絆を誓うものなの……」
震える声でそう言ったリーフのエメラルドのような目から、大粒の涙がポロポロと零れ落ちた。
「そう、ありがとう、リーフ。大好きよ。たくさん泣いていいから。たくさん泣いた後は、また笑ってね」
テラはそう言って、にっこりと微笑んだ。
背中に感じるテラはとても温かくて、テラの声はとても柔らかで、リーフのすべてを優しく包み込んでいた。
「テラ。……テラの血の匂いは、ライルと同じなの。とても懐かしくて、とても悲しくて、とても大好きな匂い……」
涙声でそう話したリーフは、この時生まれて初めて抱きしめられ、生まれて初めて涙を流した。
テラは、リーフの目から零れ落ちる涙をそっとぬぐい、涙が乾くまで、じっと抱きしめていた。
どんぐり精霊がその性質から、すべからく『もてなす』存在であるなら、守り人であるテラはこの世界で唯一、リーフを『もてなす』存在であり、リーフが守り人を必要とする理由。
どんなに力を持つ精霊であっても『もてなす』だけでは擦り切れてしまうのだから。
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
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