76 フィオネール家04 白いアカンサス
フィオネール家での初日、テラとファルは本館での楽しい夕食や、ゲストハウス一号館自慢の最新式のお風呂を心ゆくまで満喫した。
ファルとリモ、リーフとテラ、そしてヘリックスは、それぞれの胸に明日への期待を抱きながら長い一日を終えると、静かで穏やかな夜が彼らをそっと包み込んでいった。
そうして迎えた二日目の朝。
ベッドが二つある部屋で、一つしかベッドを使わなかったリーフは、いつもと変わらず元気に目覚めた。
テラとファルが朝食を囲む頃、ヘリックスとリーフの姿は、白いアカンサスの精霊を探し求めて敷地内を巡っていた。
「どのあたりかしら? とても広いわね。どこか聞いておけばよかったわ」
「いいよ。そのうち見つかると思うし」
敷地内の水路に沿ってぐるぐると歩いて約10分ほど、中央の庭園からかなり離れた、敷地の一番奥。
石作りの壁沿いにアカンサスが生い茂る一帯があった。
王都は寒冷地ではないためか、冬でも枯れることなく、アカンサスは緑色の葉を保っていた。
「ここね。カスタス、いるかしら?」
ヘリックスの声に反応したかのように、アカンサスの葉の中から光を伴ってカスタスが顕現した。
カスタスは、白を基調としたエレガントなロングスリーブのドレスに淡い紫の長い髪、紫色の瞳をした美しい精霊だった。
カリスの父が契約している白いアカンサスの精霊、カスタス。
フィオネール家は古い家系で、代々、白いアカンサスの精霊と契約してきた。
カリスも守り人として生まれ、将来はギルド経営を継ぐつもりだ。
ギルドを継ぐと、カスタスと契約することになる。
カスタスは血の匂いよりも、建築が好きかどうか、建築の才能、センスがいい守り人を好むので、カリスが勉強して成長することを期待している、一風変わった精霊だ。
「ヘリックスお久しぶりね。フフッ。何年振り? それと、こちらは……もしかして?」
カスタスの視線がリーフに向けられる。
リーフはどこか緊張した面持ちで、しかし畏敬の念を込めて、挨拶をした。
「ぼくはどんぐりの精霊、リーフ。はじめまして」
カスタスは目を細め、優雅に微笑んだ。
「カスタス、元気そうね」
「ええ、元気よ。あなたたち、カリスと知り合いになったそうね。カリスから聞いているわ」
彼女は既に、目の前の二人がフィオネール家に世話になっている事を知っているようだった。
それならばと、挨拶もそこそこにヘリックスが早速、本題に入ろうと話しかけた。
「じつはカスタスに相談があって、こうして会いに来たのよ」
「私に? どんな相談なの?」
カスタスの問いかけに、リーフが言葉を継いだ。
「それはぼくから。王都に来たのは、君に会うためでもあったの。カリスと知り合ったのは偶然でね。それで、ぼくが計画している『村づくり』のために、君の力を借りられないかと思っていて」
「村づくり?」
カスタスはわずかに眉をひそめた。
カスタスはかなり古い精霊で、精霊界に存在する建造物はすべて、彼女の手によるものだ。
アカンサスの花言葉は『芸術』『技巧』『建築』。
白いアカンサスの精霊は自身の能力で建築が可能だけれど、さすがに人間界で能力を使って建築はしない。
人間界では、建築に優れた人材を育てることが趣味になっていて、時にはギルドの手伝いもするし、アドバイスしたりしてギルドを助けている。
リーフは、まっすぐカスタスの目を見て、自身の計画を語り始めた。
「ぼくは、守り人と精霊が静かに、長く暮らせる村を作りたくて。場所は……森林地帯の真ん中。あの場所なの」
「!! 驚いたわ……。それ、本気なの?」
リーフの言葉に、カスタスは目を見開いた。
「ぼくは本気。ぼくの守り人は、不老不死なの。そうでなくても、不老長寿、不老、 長寿……普通の人よりも長く生きる守り人は、どこにも定住できない。それがどういうことか、カスタスには分かるだろうから……」
本気の意志がそこにあると悟ると、彼女は静かに言葉を発した。
「……ええ、もちろん、分かるわよ」
カスタスの声に、精霊としての長い長い年月と、多くの守り人の生と死を見てきた重みが感じられた。
「ぼくは、守り人と精霊が安心して定住できる村を作りたいの。どれだけ時間がかかっても、必ず」
「……それで、村の設計、建築を私にってことね?」
「うん、そういうことなんだけど……」
リーフが言葉を濁したのは、カスタスの反応が読めなかったからだろう。
「リーフはジオにも会ったの?」
「会ったよ。ジオも賛成してくれた。力が必要な時はいつでも協力するって」
リーフは少しばかり胸を張る。
「ジオの守り人も不老長寿だものね。ここにも立ち寄ったことがあるけれど、その時は各地を転々としていると言っていたわ」
カスタスはジオの守り人も把握していた。
それは、リーフが語る「定住できる村」の必要性を裏付ける事実でもあった。
カスタスはしばしの間、考えを巡らせていた。
その表情は真剣で、安易な相談ではないことを示していた。
やがて、彼女はゆっくりと口を開いた。
「……そうね、わかったわ。その話、協力してもいいわ」
リーフの顔に、安堵と喜びの表情が同時に広がる。
「あ、ありがとう! すごく嬉しい!!」
「私、エルナス森林地帯の中心部まで簡単に行けるのよ。もうずいぶん昔に住処と繋げてあるの。だから、いくつかの建物を建てるくらいなら、やろうと思えば出来てしまうのよね」
「ええっ! そうなの!?」
カスタスの言葉にリーフはとても驚いて目を見開いた。
「そういえば、カスタスはフラクシスと親しいのよね」
セイヨウトネリコの精霊フラクシスは精霊の中でもかなり古い、最古参の精霊で、あまり姿を現さない。
フラクシスを見たことがある精霊は非常に限られていた。
カスタスはリーフに、思いがけない問いを投げかけた。
「住処といえば……リーフ、あなた……精霊界の住処、行ってないわよね?」
実のところ、カスタスはリーフに会う機会があれば、絶対に言いたいことがあった。
精霊界の住処のことだ。
「!! どうして……知ってるの?」
リーフの表情に驚きがよぎり、声がわずかに上擦った。
対するカスタスは、リーフの反応など織り込み済みとでも言うように、静かに微笑んだ。
「だって、私が作ったのよ? あなたが生まれた時に、あなたの住処を私が作った。だけど、未だに名前がついてないじゃない?」
カスタスの指摘に、リーフはさすがに気まずいと思った。
「ご、ごめんね……ぼくの住処、遠くて……生まれてすぐ、行くべきだったのに……」
「まあ、わかるわ。あなたの住処、遠いもの。未完成で生まれたあなたが、住処へ行くのを躊躇ったのもわかるわ。だけど、もう普通に行けるでしょう?」
「そうよ、リーフ。この前の土砂崩れの時、言おうと思ったのよ。力、使いすぎていたでしょう? ギリギリだったと思うわ」
ヘリックスがこれを機にとばかりに畳みかけた。
どっちの味方なの!? とリーフが内心思ったことは顔には出さないけれど。
「うん……それは、わかってる……」
「リーフが依り代を持っていれば、依り代への接続も容易なはずよ?」
住処と依り代を接続するには、依り代の正確な位置が必要になるため、本来なら宿る場所にいる時に接続しておくべきだった。
旅の途中で、宿る場所から遠く離れた場所に滞在しているリーフは、依り代を手にした状態で接続するのが手っ取り早いだろう。
精霊界へ行くだけなら、依り代を自分で持っていても問題はない。
「……そうだけど、それじゃここに戻れないし……」
「いいえ。私かヘリックス、リモでもいいわ。ここにいる精霊が着いて行けば、戻れるわよね」
「……そのとおりなんだけど……」
リーフは答えに詰まり、視線を逸らした。
「テラのためにも、住処に名前、つけておいたほうがいいんじゃない?」
ヘリックスは痛いところを突く。
「それを言われると……」
リーフは言葉を探すように視線を彷徨わせた後、諦めたように小さく頷いた。
「私、村づくりに協力してもいいけれど、条件をつけるわ。リーフが住処に名前をつけること。いいかしら?」
カスタスは条件を提示して優雅に微笑んでいた。
「……わかった……ありがとう、カスタス。……住処に未だに行ったことが無くて、名前も付けていないのはぼくの不手際だし、どうにかしないといけなかったのは本当だから。ただ、今更すぎて、自分では機会を作れずにいた。……だから、機会を作ってくれて、ありがとう……」
ありがとうと言いながらも、少しばかり面倒なことになってしまった、と思っていた。
条件と言われれば呑むしかないし、仕方のないことだけれど。
こうしてリーフは精霊界へ行くことが決まり、ようやく自分の住処に名前をつけることになった。
住処に名前をつけると、宿る場所との接続が確立され、さらに、依り代とも繋げられる。
リーフはまだ見たことが無い自分の住処がどんな場所なのか、少しだけ落ち着かない気持ちになっていた。
リーフとヘリックスはカスタスと別れ、ゲストハウスに戻る道すがら、これからの相談をしていた。
「部屋に戻ったら、テラに言わなくちゃ……」
「何日くらいかかるかしら」
「距離は約一万キロ。一日1,000キロ飛んで、10日間。もっと飛べば短縮は可能だけど……」
「無理をし過ぎてもね。睡眠をとって回復しながら飛ばないと、途中で力が尽きたら面倒だもの」
「10日間もテラと離れるなんて……」
リーフの気が乗らないのは、このためだった。
「だけど、仕方ないわ。そうでしょう?」
「うん、……わかってる」
リーフの表情はどんよりしていた。
「さて、それじゃ、どうしようかしら」
「日数がかかるから、それだけの期間、ぼくに付いて来てもいいってなら誰でもいいんだけど……」
「リモにも相談しようかしらね。だけど結婚パーティーもあるし……パーティーの後にする?」
「それだと長居しすぎにならない? パーティーまでに帰ってくるってことで、早めに行ったほうがいいかなって」
「確かにね。パーティーまであと11日、ギリギリね。だけど、パーティー後にさらに10日もここに留まるというのもね」
「うん。ぼくの都合だけで10日も時間をとられるのは嫌だから。行くなら……すぐにでも行ったほうがいいかな」
リーフの気持ちは、村づくりという大きな目標への期待と、テラと離れることへの寂しさが複雑に入り混じっていた。
遠い精霊界の住処に名前をつけるのは、大切な事。それは分かっている。
けれど、何よりも大切な守り人の傍を離れることに、小さな不安を覚えずにはいられなかった。
いつも「刻まれた花言葉と精霊のチカラ 〜どんぐり精霊と守り人少女の永遠のものがたり〜」を読んでいただき、ありがとうございます!
次回更新もお楽しみに!