61 王都エルドリア
イーストゲートを出て、すでに32日が過ぎていた。
1月下旬には王都エルドリアへ到着する旅程だったけれど、予定より7日遅れ、季節も1月から2月へと移ろっていた。
空気はまだ冷たく、吐息が白くなって消えていく。
王都へ近づくにつれ、町並みは活気が増していった。
露店には干された冬野菜と、春先の食材が並び始め、季節の移ろいを感じさせた。
低い空には淡い夕焼けが広がり、王都への長い旅路の終わりを告げるように、柔らかな光が視線の先の街並みをオレンジ色に染めていた。
やがて、晩冬の夜の気配が静かに街に降りてくる頃――リーフたちはようやく王都に足を踏み入れた。
「やっと辿り着いたわね」
「まあ、仕方ないさ。ソランもいるしな」
土砂崩れに遭い、リーフとファルが救った生き残りの子ども、ソラン。
彼を預かったリーフたちは、ゆっくりと王都へと歩を進めてきたのだった。
◇ ◇ ◇
時は遡り――。
リーフたち一行が、宿を出発する日の朝、施療院に寄った時の事。
「おはよう、ソラン」
「やあ、おはよう。ソラン、調子はどうだ?」
「おはよう、テラお姉ちゃん。ファルお兄ちゃん。もしかして、もう出発するの?」
ソランは二人の雰囲気から、なんとなく察した。
「ああ、これから出発するんでな。その前に顔を見ようと思って寄ったんだ」
「ぼくも連れてって! ぼくも王都に行かなくちゃ」
「王都へは何をしに行く予定だったの?」
テラがソランに訊ねた。
「ぼく、王都のおうちの養子になるから……。一緒にいた人が連れてってくれるはずで……」
「そうか。もしかしてとは思ったけど……」
ファルは、子どもの守り人が親を伴わずに王都へ向かっている、という時点でもしかして、とは思っていた。
王都で貴族の養子として迎えられ、王族の将来の婚約者候補として育てられる可能性も、と。
そうだとしても、婚約者候補は大切に育てられるし、教育も与えられる。
たとえ婚約者になれずとも、守り人は王都で仕事に困ることは無いため、はっきりいって、将来安泰なのだ。
「もしかしてって……?」
テラは言葉少なにファルに答えを求める。
「王都に限っていえば、守り人は増えている。だから、今はもう、そういうのは無くなったのかと思っていたが……。まあ、見目がいい子は、これまでと変わらずってことなのかね」
見目がいい、確かにこの男の子は淡い紺の髪に灰色の瞳が神秘的で、とてもかわいらしく、どこか品のある容姿をしていた。
「どうして俺らと一緒に? 誰かいないのか? この町の領主か……」
ちょうどそこへ、医師と共に領主の使いの人が部屋へと入って来た。
「ああ、おはようございます。あなた方のことは、医師から伺っております。土砂崩れで子どもを救ってくださり、本当にありがとうございます。私は、領主の使いで来た、ギルと申します。男の子は私共で一旦お預かりし、まずは行先を探すことになりますが、もし見つからなければ、私共のほうでお迎えしたいと考えております」
「まあ、俺らがとやかく言うことじゃないからな」
ソランを養子に迎えるのは、おそらく貴族筋だろう。
領主も探してはくれるだろうが、これほど見目の良いソランを手放したくないと思う者がいても不思議ではない。
下手をすれば、取り合いになる可能性すらある。
「ぼく、ファル兄ちゃんたちと王都に行きたい!」
「いや、しかし、どのような方かもわからないのに、大切な子どもをお預けするわけには……」
医師も口を開いた。
「確かに、子どもを預けるには、身元がしっかりしている方でないと……さすがに厳しいね」
「なぁ、ソラン。俺たちは歩き旅なんだ。俺たちと一緒だと、王都に着くまで日数もかかるが、いいのか?」
「いいよ、ぼく、ファルお兄ちゃんとテラお姉ちゃんと一緒がいい!」
目の前にいるリーフ、リモ、ヘリックスの3人の精霊と一緒がいい! というのが彼の本音なのだろう。
3人もの精霊を目の当たりにし、命まで助けてもらったのだから、興奮しないわけがなかった。
ファルが振り返ると、ちょうどテラと目が合った。
テラはウンウン! と頷き、腕でぐいぐいとファルを背中を押した。
『ほら、アレを出しなさいよ』と言わんばかりの目力だった。
「身元を保証するもの、ね。これは、保証できるものか?」
ファルは、ヘリックスから預かっていたチェーンペンダントを懐から取り出した。
それは、ユリアンがヘリックスと別れる際に手渡した『紋章入りのチェーンペンダント』だ。
「なんと……これは……」
医師は目を丸くした。
「王家の紋章が入ったチェーンペンダント……君たちは……何者なのです?」
領主の使いの男性は驚いてファルたちが何者なのかを尋ねた。
「俺らは、王都に着いたら王城に行くんだ。遊びに来てくれってユリアンに言われてるからな」
「ユリアン殿下の知人の方々なのですね。それならば、子どもは王城へ連れて行く、ということになりますか」
領主の使いの男性がさらに尋ねた。
「ああ、そんなところだな」
「ぼく、王城へ行くの?」
「ああ、そうだ。ソランは王城へ連れてってやる」
ソランはぎゅっと荷物を抱え、リーフたちに小さくうなずいた。
その瞬間から――彼の旅もまた、静かに始まったのだった。
◇ ◇ ◇
「ファル兄……ぼく、王城に行っても、大丈夫かな……?」
「心配すんな。王城に着いたら、ちゃんと探してもらえるはずだ。なんとかなるよ」
「もう夜になってしまうし、今日はひとまずどこかに泊まろうか。そして明日、王城に行こう!」
「そうだな、テラ。じゃ、まずは宿探しだな」
一行は王都の町で宿を探すことになった。といっても、ここはまだ王都の西の端。
日が暮れるとさすがに人けはまばらだ。
ファルは右手でソランの手を引き、歩いていた。
「ファル? 私が手を引くわよ? もうずっとだし、大変でしょう?」
「いや、テラ、大丈夫だぞ。問題ないぜ? ソランは俺と一緒がいいもんな?」
「テラお姉ちゃんがいいかも……」
「お、おいソラン……それはちょっと傷つくぞ……?」
「ウソ、ウソ。ファル兄がいいよ」
「無理やりじゃない? ファルったら」
「それじゃ、私と手をつなぐ?」
辺りは薄暗くなり、人影もまばら。
リモは、人目も気にならないだろうと、手をつなぐ役を買ってでた。
「リモちゃん! じゃ、じゃ、リモちゃんはこっちの手!」
「はい、手をどうぞ」
「やった! パパとママみたい!」
ソランを真ん中に、右手はリモ、左手はファルが繋いだ。
「パパとママみたいか。はははっ。リモ、どうする? ママになるか?」
「ふふっ。かわいいのね。ファラムンドがパパなら、私はママでいいわよ? 子どもがいたらこんな感じなのかしらね」
「つか、俺ら結婚もしてないのに……って、あれ? なんで結婚してないんだっけか? ずっと恋人なのに……」
「結婚と言っても人と精霊だから、手続きも何も無いから?」
「なぁ、リモ。……結婚してくれ」
「えっ? それ、プロポーズなの?」
「プロポーズだよ。リモ、俺の恋人じゃなくて、妻になってくれ。リモを紹介するときは、恋人じゃなくて、俺の奥さんだって言いたい」
リモの淡いピンク色の瞳が揺らぐ。
微笑みに滲んだ想いが不意にこぼれそうになり、やがてその瞳から一筋の涙が静かに頬を伝った。
涙に気づいたファルは思わず足を止め、リモの顔を覗き込む。
「リモ……泣いてんのか?」
ファルは優しい柔らかな指先で、リモの涙をそっと拭った。
真ん中のソランがふたりを見上げ、じっと見つめている。
「ファラムンド……すごく嬉しいけど、もうちょっと素敵な場面で言ってくれたらいいのに、もう……」
「すごくいい場面だろ? 子どもがいて、手を繋いで、仲良く歩いて」
ファル、ソラン、リモの並びは、まるで仲睦まじい親子のようだった。
「ふふっ。確かに、そうね。ありがとう、ファラムンド。愛してるわ。私をファラムンドのお嫁さんにしてね」
リモの言葉を聞いて、ファルは一瞬、息を止めた。
『お嫁さんにしてね』――その言葉に、胸がドキリと鳴った。
ファルは照れくささと嬉しさが綯い交ぜになりながらも、リモを見つめ、ふたりはお互い柔らかな笑みを浮かべると、軽めの口づけを交わした。
「ファルパパとリモママ、仲良しだね!」
小さな手でぎゅっとファルとリモの手を握りながら、ソランは無邪気にふたりを見上げていた。
その純粋な目には、ふたりを包む優しい空気が映っていた。
「ああ、仲良しだぞ! 俺とリモはラブラブだからな」
「ラブラブ! ラブラブってなに?」
「ははは。お互いが愛してるってことだよ」
後ろを歩いていたテラとリーフとヘリックスは、ファルがプロポーズしたこと、リモがOKしたことをしっかりと見ていて、3人で顔を見合わせて、何かを企むように頷いた。
「ファル、プロポーズしてたわ! 当然だけどリモはOKしてたし!」
「これは、そのままにしておけないわね」
「なにか、お祝いしないとだよね!?」
テラは興奮したように目を輝かせ声を弾ませると、ヘリックスは『何かしなければ』と考えを巡らせていた。
もちろんリーフはその答えを言ったのだけれど、ファルとリモに勘付かれないよう、どうするか。
ひとまず、ユリアンには伝えないとね、とヘリックスは微笑むのだった。
いつも『刻まれた花言葉と精霊のチカラ 〜どんぐり精霊と守り人少女の永遠のものがたり〜』を読んでいただき、大変ありがとうございます。
とうとう、20万字を超えてしまいました。
ずっと読んでくださっている皆さま、ほんとうにありがとうございます。
これから読もうかな?という皆さま、ゆっくりでも、読んでいただけますと幸いです。
次回更新をどうぞ、お楽しみに!