60 小さな守り人とゆっくりな一日
翌朝。山間の小さな町は、冴え光る朝日が眩しい冬暁の朝を迎えていた。
テラとファルが宿の食堂で少し早めの朝食をとっていると、主人が声をかけてきた。
「施療院で預かっているあの男の子、目を覚ましたって聞いたよ」
「おお! それはよかった」
「ファル、様子を見に行ってみる?」
「そうだな。飯食って、少し時間をおいて行ってみるか」
朝食を済ませた二人はそれぞれ部屋に戻って外出の準備を整え、宿からほど近い町の施療院に出向いた。
リーフはテラの肩に乗り、リモとヘリックスも同行する。
「やあ、おはよう。あの男の子はついさっき朝ごはんを食べて、いまゆっくりしてるよ。助けてくれたヒーローに会いたいって言っていたよ」
この施療院の医師は、ファルと共に救出に当たった人物で、もちろんファルを見知っていた。
優しそうに微笑む医師は、テラとファルを男の子のいる部屋へと案内してくれた。
もちろん、テラの肩に乗ったリーフ、リモとヘリックスも一緒だ。
「助けてくれたヒーローさん、連れてきたよ」
男の子はテラとファルには目もくれず、じっと別の方向を見つめていた。
その瞳は驚きと興奮に満ちていて、まるで星のように輝いていた。
「やあ、おはよう。具合はどうだ?」
「おはよう……ございます」
テラやファルをよそに、男の子の視線は別の方向を見つめ、釘付けだった。
「あれ? まさか……」
その男の子は精霊を見つめていたのだった。
「ねぇ……お兄ちゃん、もしかして……守り人なの?」
「!! あ! そうだ!」
ファルはハッとした表情でテラに目で合図し、医師の腕を軽く引いた。
「先生、ちょっといいか? 聞きたいことがあるんだ!」
テラは、医師を連れてバタバタと部屋を出ていったファルの背中を見送ってから、男の子に話しかけた。
「おはよう、はじめまして。私はティエラっていうの。テラって呼んでね 」
「ぼくはソラン。テラお姉ちゃんも守り人なんだね!」
「そうね。君、えっと、ソランは見えるんでしょう?」
「うん! 見えるよ! 昨日、助けてくれたのは誰? 葉っぱをたくさん生やしてたでしょ? ぼくを包むように、たくさん!」
「それは、私の肩に乗ってるリーフの力ね」
「リーフ! ありがとう!」
ソランは目を見開いて、リーフを見つめた。
「ぼく、すぐ分かったんだ。精霊が……助けに来たって!」
「助けたのはさっきいたファルだよ。ぼくは力を貸しただけ」
「でも! リーフがいたから助かったんだよね? ありがと! リーフ!」
「うん……どういたしまして」
リーフはちょっと照れくさそうに微笑んだ。
「ソランは、王都に行く途中なの?」
「そうだったんだけど……テラお姉ちゃんも王都に行くの?」
「ええ、そうよ。でも、ソランが元気そうでよかったわ。だけど、精霊のことは私たちだけの秘密。いいかな?」
「う、うん。わかった!」
ちょうどそこへファルが医師と共に戻ってきた。
「済まないな、ちょっと先生と話してたんだ。俺はファラムンドだ。ファルでいいぞ」
「ぼくはソラン! ファル兄ちゃん、助けてくれて、ありがとう!」
「ああ、ソラン。本当に、大きな怪我がなくてよかったな」
確かに、目立った大きな怪我はしていない。
擦り傷や多少の打撲はあるけれど。
ファルの言葉に、ソランは気がかりだったことを聞きたいと思った。
躊躇いがちに、小さな声でおそるおそる、ソランは口を開いた。
「あの、一緒にいた人と、馬車の人は……?」
テラとファルは医師と顔を見合わせると、短い沈黙が流れた。
その短い沈黙に、ソランの指先がわずかに震える。
目の奥で、小さな不安が揺れていた。
誰が言うべきか――その迷いの中で、医師が静かに口を開いた。
「ソラン……君を助けようと、全力で君を守ってくれた人たちがいた。その想いは、きっと君の心の中にずっと残る。だからこそ――君がこれから元気でいることが、一番大切なんだよ」
医師の言葉を聞いて、すべてを察したソランの目に涙があふれ、灰色の瞳が揺らぐ。
ソランの様子を見ていたリーフが、テラの肩からふわりと降りて、ソランの手に触れ、優しく声をかけた。
「ねぇ、ソラン。ぼくは初めて人を助けるために力を使ったの。だから、ありがとう、ソラン。元気でいてくれて」
リーフの言葉を聞いて、ソランは少し嬉しくなって、胸の奥の張りつめた痛みが、そっとほどけるような気がした。
「ソラン。ひとまず、ゆっくり休むといいよ。また来るから。な!」
ファルはソランをぎゅっと抱きしめると、慰めるように背中をポンポンと叩いた。
施療院を出ると、冷たい朝の風が頬を撫でた。
町はまだ静かで、どこからかパンを焼く香りが、微かに朝の空気に溶けていく。
テラたちはゆっくりと宿へと戻った。
宿の扉を開けると、外の冷たい空気を押しやるように、ふんわりとした暖かさが迎えてくれた。
「ねぇファル、私たち、いつ出発する?」
テラはファルに問いかけた。
この旅の間、大きな町以外では1泊しかしてこなかった。
連泊する時は、何泊するか予め決めていたし、この町に留まる理由は特に無く、本来なら1泊で発つ予定だったのだから。
「つい、ソランにまた来るって言ってしまったな……ほんと、済まない」
「いいのよ。私も気になるもの。……明日会いに行って、そのまま発つことにする?」
「そうだな、明日、出発前に施療院に寄って行くか」
「それじゃ、今日はこの町でのんびり、でいいかな。特に予定は……」
薬草を買い取ってもらったり、歩き旅のための買い出しをする予定もない。
「ああ、特に何もないし、それぞれ自由にのんびりでいいんじゃないか? たまにはそういう日があってもいいよな」
ゆるやかな足取りで、それぞれの部屋へと戻る。
今日は特に予定もなく、ゆったりとした時間を過ごすことになりそうだ。
テラはリーフと共に部屋に戻り、部屋の隅の椅子に腰かけた。
それから、リーフをそっとテーブルの上に下ろす。
「ねぇ、リーフ。調子はどうかな。昨日の疲れは取れた?」
「うん、たくさん寝たから、平気」
「そう、よかった。今日は一日、ゆっくりできるけど、リーフは何かしたいことはある?」
テラは、リーフが疲れていないようだったら、ふたりで散歩に行こうかしらと考えていた。
「…………」
リーフは少し考えて、ハッとした。
一日ゆっくりできる、ならば、一日中、毛布に包まっててもいいってこと! だと思った。
「あの、やっぱり、寝たいかも」
「そっか。まだ疲れが取れてないのかもだね。もう少し、寝る?」
「……テラも一緒に」
「一緒がいいの?」
「うん……。テラも一緒がいい……」
「そっか。わかった、いいよ」
テラはニコッと微笑んで、一緒に寝ることにした。
もちろんテラは眠くはないのでリーフが寝るまで、と思っているのだけど。
リーフはテラの返事を聞いた途端、テーブルから飛び降りると、ぼんやりと光を纏いながら王子様な姿に変化した。
「その姿で寝るの?」
「だめ?」
「ううん。だめじゃないよ?」
「それじゃ、テラも一緒に」
リーフはふわりとテラを抱き上げた。
腕の中は驚くほど安定していて、その動きはホンモノの王子様のようで自然だった。
「ええっ、リーフ、ベッドはすぐそこっ」
「でも、いいよね?」
ベッドまで運ぶ、と言っても宿の部屋は狭く、抱きかかえて3歩か4歩程度。
リーフはすぐ横のベッドにそろりと静かにテラを下ろすと、毛布をそっと広げて、リーフもすぐ隣にスルッと入る。
「テラ、もっとこっちに」
テラの首付近に腕を入れて、腕枕のようにしたかと思ったら、そのまま肩を抱かれ、腕の中にすっぽりと納まった。まるで抱き枕状態だ。
「ちょ、ちょっと、リーフ……これで眠るの?」
「うん……落ち着く……」
えええ……
リーフの唇がおでこに当たってるよね!?
こ、これは……
か、顔を上げたら絶対ダメなやつ……!
いや、ダメってわけじゃないけど!?
でも、ダメだよね!?
……とにかく! 今は動かない!
絶対に動かない!!!
顔、ちょっと、上げてみようかな……?
もう、そんなことしたら――いや、したらどうなるの!?
でも、ちょっとだけなら……?
いや、いやいやいや!!!
リーフはすでに寝てしまったみたいで
全くの無反応。
そして
「んん……」
リーフの顔が少し下向きになった。
頬!
リーフの唇が頬なんだけど!?
いやーーーーー!
……嫌じゃないけど。
冷静に! 冷静にならなきゃ!
リーフは寝てるのよ!
何かあっても、これは事故!
テラは自分に言い聞かせた。
たぶん、顔をうっかり動かしてしまっても
これは事故だと!
ご、ごめんね、リーフ……
テラは少しだけ、顔を動かしてみた。
心臓は跳ね上がりそうなほどドキドキしている。
リーフの唇が、唇のすぐ横にある。
あと1センチ、未満。
ドキドキが高鳴り過ぎて息苦しい。
時間だけが刻々と過ぎていく。
もう、微動だに出来ない。
「ん……テラ?」
リーフが動いた瞬間、すこし、かすめた。
――心臓が一瞬、止まった気がした。
「……ん……?」
リーフは少し寝ぼけていたようで、またむにゃむにゃと寝てしまった。
『たくさん寝たから、平気』とは言ったけれど、実際にはまだ完全に回復しておらず、寝ようと思えばいくらでも眠れるくらいだった。
はあぁぁーーーー。
私だけ、私だけ
こんなにドキドキして……!
リーフ……
私のこと好きって言ってくれるけど
……どれくらい、本気なのかな……?
まだお昼前なのに、今日のテラは恋愛脳が勝っていたようだった。
リーフは結局、昼食のときにテラがこっそり腕の中から抜け出したことにも全く気づかず、気持ちよさそうに夕方まで眠っていた。
それは、どれほど深く霊力の回復が必要だったかを、静かに物語っていた。
『もてなし』――どんぐりの精霊リーフは、力を尽くすことで存在を示す。
けれど、どんなに強い精霊であっても、与えるだけでは擦り切れてしまう。
だからこそ、守り人は彼をもてなす、世界でたったひとりの『特別な存在』であり、リーフが守り人を必要とする理由。
しかし、リーフにとっての『温める』は、『もてなし』の続きのようでありながら、確かに『好き』というテラに対する好意が込められている。
ただ、テラにとっては、その境界が曖昧に思え、リーフの『好き』に飛び込んでいいのか、その曖昧な線を越えようにも越えられずにいた。
いつも『刻まれた花言葉と精霊のチカラ 〜どんぐり精霊と守り人少女の永遠のものがたり〜』を読んでいただき、大変ありがとうございます。
次回更新をどうぞ、お楽しみに!