55 イーストゲート14 王命
時は少し遡り――。
誕生会の賑やかな祝宴の余韻がまだほんのり残る夕暮れ時。
ユリアンとヘリックスは、会場になったホールに残り、静かに言葉を交わしていた。
ユリアンは、握りしめた手をほどき、頭を抱えながら深いため息をついた。
「ヘリックスとはもっとたくさん話をしたかったんだけど、僕は時間がなくなってしまって……」
ユリアンの声には、どこか名残惜しさが滲んでいた。
ヘリックスはそんなユリアンをじっと見つめ、落ち着いた声で問いかける。
「そうなの? 何か急用でも?」
ユリアンはゆっくりと顔を上げると、少し悔しそうに口元を歪ませ、残念そうに答えた。
「うん……王命で、急いで王城に戻らないといけなくなったんだ……明日、早朝に発つから」
奥歯を噛みしめ不満を隠さないユリアンとは対照的に、ヘリックスはにこやかに明るい声色で話す。
「あら、残念ね。だけど、また会えるわよ」
「でも……僕はヘリックスの守り人なのに、せめてもう少し……。僕はちっともヘリックスとゆっくり話す時間も無くて。また会えるって言っても、そんなのいつになるのか分からないのにっ……!」
ユリアンの声はかすかに震えていた。
守り人として契約を結んだばかりなのに、こんなにも早く離れなければならないなんて。
その焦りと寂しさが、言葉の端々に滲んでいた。
ヘリックスはそんなユリアンの様子に、くすっと小さく微笑んだ。
「ふふっ。寂しいのかしら」
「い、いや……僕は精霊と契約したのは初めてだし、せっかく契約したのに。ちゃんと話も出来てないのに、まだお別れしたくなくて……」
ユリアンは慌てて顔を背けるようにして、少し声を強めたけれど、その声は尻すぼみになっていく。
「大丈夫よ。すぐに会えるわ。だって、私たちの行先、王都だもの」
ヘリックスはユリアンを見つめ、笑いを堪えるようにして行先を明かすと、ユリアンは一瞬きょとんとして、まばたきすら忘れるほど驚いた表情を見せた。
「ええっ! そうなの!?」
「ええ」
ヘリックスは優雅にニッコリと微笑んだ。
「もう、ヘリックス、早く言ってよ」
「だって、ユリアンったら私たちの行先も聞かずに、もうお別れだーみたいに思ってるんだもの。おかしくって」
ユリアンは両手で顔を隠して恥ずかしそうにしつつも、パッと顔を上げると、安心したように柔らかな表情で笑った。
「それじゃ、王都に来たら、みんなで王城に遊びに来て。歓迎するから!」
「私たちが王城に遊びに行くなんて、いいのかしら?」
「ヘリックスは僕が契約している精霊でしょう? それに、みんな仲間だもの。大歓迎だよ! そうだ、紋章入りのチェーンペンダントをヘリックスに……。門番にこれを見せれば」
そう言うと、ユリアンは腰から下げていたチェーンペンダントを外し、ヘリックスに手渡した。
「ふふっ。わかったわ。王都に着いたら、寄らせてもらうわね」
◇ ◇ ◇
誕生会の翌日、早朝。ユリアンは王城に戻ることになった。
急ぎ、戻ってくるよう王命を受けたためだ。
冷たい朝霧がゆっくりと町の石畳を覆い、空気にはまだ静けさが残っていた。
宿の扉を開けたユリアンは、一瞬、そのひんやりとした空気に目を細める。遠くには馬のいななきが響き、ヴェルトの姿が朝焼けの光を受けて、はっきりと浮かび上がった。
迎えに来たのは、幼いころから第3王子付の護衛を兼ねている騎士団団長ヴェルト。彼も守り人だ。
今は騎士団長になったため、以前ほどいつも一緒にいるわけではないのだけれど、今回は彼が護衛として迎えに来てくれた。
王都とイーストゲートの間には駅馬があり、500km離れた距離を最短で3日~6日で移動できる。
「ヴェルト。こんな早朝に迎えご苦労さま。悪いね。急に呼び出されたせいで」
「ユリアン様はご機嫌な様子ですが、何か良いことがありましたか?」
ユリアンが幼いころからずっと傍に付いていたヴェルトは、ユリアンを一目見ただけで、彼の心境や心持ちが手に取るように分かるらしい。
「そうだ、聞いてくれない? 僕、精霊と契約したんだ! ヘリックスっていうんだけど、すごい契約なんだよ」
「そうなのですか? 近くに精霊はいないようですが」
ヴェルトは少しばかり大げさにキョロキョロと周囲を見渡した。
「ヘリックスは守り人を縛らないから離れていても大丈夫なんだって。僕の手首、ほら。見て。契約の印の紋が刻まれてる」
興奮した様子で、ユリアンは自分の右手首をヴェルトの目の前に差し出した。そこには確かに、契約の印の紋がくっきりと刻まれている。
「これは子孫繁栄の加護だって。ヘリックスとの契約は僕に子どもが出来るまで。子どもが生まれたら契約は消滅するそうなんだ。でも、加護は7代先まで続くんだって! 子孫繁栄、世代交代を保証するってのがヘリックスとの契約だって! すごいよね!!」
「それは凄いですね。それで、その素晴らしい契約の代償は?」
代償をまず聞いてくるのは、王子がどんな契約を精霊と交わしたのか心配したからだろう。
「守り人の子孫が代々続く、これがヘリックスの望みだからって、特に何もないんだ」
「確かに、精霊にとって守り人の子孫が増えることは、最大の望みでしょう。ユリアン様は子孫を残さなければならない使命があります。この契約は本当に持ちつ持たれつ、となりますね」
ヴェルトは安心したようにふんわり笑みを浮かべた。
「そうなんだ。本当によかった。ヘリックスと出会えて。ヘリックスを紹介してくれた、町の食堂で知り合った二人に本当に感謝だよ」
「知り合った二人というのは、旅の守り人だったのですか?」
知り合った二人を気にするのも、王子がどんな人物と関わりを持ったのか、把握するためだ。
「そう。出会った時は、イーストゲートに着いたばかりと言ってた。それで、町の案内をするからって話をして。僕と同じ年のティエラって女の子と、少し年上のファラムンドという男性。ふたりとも精霊と契約してたんだ。その二人と精霊二人、そしてヘリックスの5人で旅をしていて、僕がヘリックスと契約したんだ。僕もみんなと旅をしたかったよ」
「さすがにそれは。でも、楽しかったのですね」
「うん、とても楽しかった! ちょうど昨日がテラの誕生日で、『オリーブ・ルミエール』を紹介してね。みんなで誕生日をお祝いしたんだ。そこにもう一人、テラの友達のカリスっていう女の子の守り人が来てて。すごく良い子でなんだかカッコよくて。久しぶりにこんなに楽しい出会いがあって、もう嬉しくて。本当に、一緒に旅をしたかったな。でもさ、次の行先を聞いたら、王都だって!」
「ほう、それはよかったですね。また会えます」
ヴェルトは、会う機会があれば自分も会いたいと考えた。会ってその人となりを確かめたいと思うのは当然だ。
「みんなにまた会えるのは嬉しいけど、誕生会に来てたカリス、彼女には会えるかな」
「珍しいですね、ユリアン様が会いたいと思う守り人の女性ですか?」
「い、いや、せっかく知り合いになったし、楽しかったし。また会えないかなって。彼女は今日が誕生日で17歳になるんだ。なんだかカッコよくて……優しくて……笑顔が、眩しかったんだ」
カリスの事を話すユリアンは、どことなく頬が赤く染まりその心情が見て取れた。
「なるほど、ユリアン様が初めて、好ましく感じた守り人の女性ということですね。一目ぼれですか?」
ヴェルトは少しいたずらっぽく、ユリアンに訊ねた。
王子相手にこんな話題が振れるのも、ヴェルトだからこそだろう。
「ち、違うよ! そうじゃないけど、また会いたいと思っただけで……」
「では、調べておきましょうか?」
「いや、いいんだ。そんな、調べるなんて。またイーストゲートには来るから、自分で探すよ」
朝焼けの空の下、ユリアンは馬上に身を預けた。
冬の冷えた風が頬をかすめるけれど、その背筋は凛としている。
黄金の光がゆっくりと町を照らし始め、イーストゲートの塔時計が遠くに影を落とす。
ヴェルトが隣で馬の手綱を軽く引き、視線をユリアンへと向けた。
「準備はよろしいですか?」
ユリアンは深く息を吸い込み、前を見据えた。
「――ああ、行こう」
鋭く馬を走らせると、蹄が石畳を打ち鳴らし、二人は王城へ向けて疾走する。後に残る町並みは静寂に包まれ、彼の旅立ちを見送るように佇んでいた。