54 イーストゲート13 墓参り
イーストゲートでテラの誕生日をお祝いした日の翌日、市場は年末年始の祝祭の人出でごった返していた。
宿の窓から見える通りには、買い物客や商人が途切れることなく行き交っていた。
通りの向こうからは、大道芸人の軽快な声や楽器の音が聞こえ、商人たちは競うように商品を売り込んでいる。空気はスパイスや焼き菓子の甘い香りで満たされ、冬の空気は冷たかったが、市場の熱気がそれを忘れさせるほどだった。
「すごい人出だね」
「買い物に行きたいけど、この人混みだと大変そうね……」
リーフとテラは、宿の窓から外を眺めながら、行き交う人々の多さに驚いて困惑していた。
「俺、ちょっと行きたいところがあるんだ。ついでに買い物は俺とリモで行ってくるよ。この人込みだし、みんなで出掛けるのも大変だろう? ヘリックスとリーフとテラは、宿でゆっくりしといてくれ」
ファルは用事があるらしく、そのついでに買い物をしてくると申し出た。
「そう? 行きたいところがあるってことなら……それじゃ、ファルに任せていいかな? 買いたいのはとりあえずお昼ごはんに食べる物と、あとは何か適当にと思ってたんだけど……」
「ああ、構わんよ。任せてくれ」
そう告げると、ファルはリモと共に言葉少なに出掛けて行った。
ふたりの後ろ姿を見送りながら、なんとなく、どこかいつもと違う気がして、テラにはそれが少しばかり気がかりだった。
◇ ◇ ◇
ファルとリモは150年間ほど、ふたりで放浪の旅をしてきた。
この大陸すべてを回り、色んな町に知り合いがいた。
だけれど、ファルは不老。
一つの町に何年も留まることはなく、時には変装して風貌を変え、各地を点々としていた。
一度はリモとの契約が解除され、50年間を普通の人間として過ごしたけれど、今再び、ファルは若返ってリモと共にいる。
イーストゲートの町でファルが寄りたい場所、それは、かつてこの町で知り合った大親友の守り人の墓だった。彼はファルと秘密を共有し、寄り添ってくれた、かけがえのない存在だった。
ファルはその墓石に手を触れ、静かに過去を思い返した。
初めて彼に出会ったのは、リモと二人で放浪していた頃だった。
そして二度目の再会は、リモとの契約が解除され、ファルが独りになった時だった。
大親友の彼も不老だったけれど、不慮の事故で亡くなった。
墓はファルが建てた。
彼の家族はこの世界にすでにもう誰もいなかったから。
彼が契約していた精霊は、彼が亡くなって、後を追うように消滅した。
次第に冷たくなっていく彼を抱きしめたまま、消えていった。
その瞬間を、ファルは何もできずに、ただ見ていた。
最後に聞こえた精霊の言葉は『離れたくない』だった。
墓地の片隅にひっそりと佇む墓石。
周囲には冬枯れの草木が静かに揺れ、かすかな風が石の表面を撫でる。
「よう、元気にしてたか? 俺、リモと再契約したんだ。よかったな! って言ってくれるだろ?」
長い時が流れても、この場所に立つたびに、風の音の中に彼の声が混じっているような気がする。
「しかも、守り人と精霊が定住する村を作ることになったんだ。お前が生きていたら、飛びついてただろう?」
『また』なんて約束はしたことが無かったのに、最後に別れた時に『また会おう』と言ったのは、虫の知らせだったのか。
ファルはリモの依り代からローズマリーの鉢を出してもらった。
このローズマリーはイーストロードに着いた日、立ち寄った薬草卸店で買ったものだった。
誕生会の時に、何気にリーフに訊ねたりして植えられそうだと判断した。花がついていないのが残念だけれど、植えておくとそのうち花もつくだろう。そんな思いで、墓石のそばの土にローズマリーを植え替える。
「ちゃんとリーフに聞いたからな。ローズマリー、すぐに咲くよ」
すると、どういうわけか蕾が膨らみ始め、一気に薄紫色の可憐な花を咲かせたのだった。
「ええっ! は、花が、一気に……」
「これ、リーフね。リーフの力を感じるもの」
「確かにリーフには色々聞いたが……ここに来ることも知らないのに……!?」
「でも、リーフの力ね。花が咲いているのをファラムンドが見たがってると思ったんじゃない?」
「そうか……リーフ、ビックリさせやがって。ほんとに……」
リーフは大地を伝い、ローズマリーを探していた。ファルにローズマリーの植え方、花はいつ咲くのか、など色々聞かれていたため、もしかしたらと思ってファルが出掛けた後に力を使って探していたのだ。
半径5キロ以内ならばと思っていたけれど、この冬の時期に植えられるローズマリーはそんなに無いはずで、今植えられたばかり、となれば百発百中で探し当てられると考えた。そして、まさにその時、見事に探し当てて花を咲かせた。
リモは静かに、ファルを見つめていた。
ファルの親友の彼が契約していた精霊は、ローズマリーの精霊。
『愛し合い、深く結ばれた守り人と精霊』は、契約を解除しても、遠く離れたとしても、強い絆で繋がり続ける。
そして、愛する守り人の命が消えると、役目を終えたかのように霊核に刻まれた花言葉は消え、霊核が空っぽになって、精霊は消滅する。
リモは、自身の未来を投影する。
ファラムンドの命が尽きれば、私もまた、その運命を共にする。
いつか訪れるその時――それを考えることすら、耐え難い。
消滅することが怖いのではなく、あなたがいない世界で独り生きる事のほうが耐え難く、ただ、あなたを、永遠に失うことが耐えられない。
風が木々の隙間を抜け、微かな囁きのような音を立てた。
墓の周りは静かすぎて、ファルの呼吸すらはっきりと聞こえそうだった。
ファルは大きく息を吐いた。
ここを訪れて、強く思う。
親友と同じ道を辿るとしても、リモを独り残したくはないと。
精霊が消滅する瞬間を目の当たりにしたファルには、その『消滅』が、苦しみからの解放ではなく、耐えきれない悲しみの果てに選ばれた絶望のように思えたから。
◇ ◇ ◇
ファルとリモは市場へと戻り、買い物をしようと露店を見て回る。
墓を訪れた余韻が胸の奥に静かに残る中、リモはふとファルに尋ねた。
「ねぇ、ファラムンド。私が消えたら悲しんでくれる?」
「当たり前だろ、悲しむに決まってる。でもまあ、リモが消えるより先に……俺だろうけどな」
「それは困るわ。私が消滅する理由、勝手に決めないで?」
ファルがリモの瞳をじっと見つめると、淡いピンクの瞳が揺らめいて視線を落とす。
「リモ、愛してるよ」
ファルはリモの耳元で優しく穏やかに囁いた。
「私も愛してる」
リモはそっと顔をあげ、潤んだ瞳でファルを見つめた。その瞳に、すべての想いが込められているようだった。
「リモ! ちょっと、こっち来て」
ファルはリモの手を引いて、市場の喧騒を背に、ひんやりとした路地裏へと入り込む。
そこでは、ファルの言葉だけが、冷えた空気の中に静かに溶けていく。
「俺、怪我したり病気したりしないから、だから、ずっと一緒に、そばにいてくれ」
リモを抱き寄せると、ファルの目から涙がこぼれた。
リモを残して、リモを独りで消滅させたくない。
出来る事なら1秒だけでいいから、俺が後になんねえかな。そしたら俺は安心して笑って逝けるのに。
守り人が精霊より後に逝く、なんて有り得ないのは知ってる。
だけど、リモを独りきりにして、絶望の中で泣かせるなんて……俺には、耐えられない――。
リモはファルが涙を流したことに気づき、すこし、驚いた。
いつも飄々としている彼が、こんなにも強く『一緒にいたい』と願ってくれている。
リモはそっとファルの頬に触れた。その指先から、彼の温もりと微かな震えを感じ取った。
「ずっとそばにいるわ、ファラムンド。私が消えるときまで――いえ、それが運命なら、それすら超えて、あなたのそばに……」
路地裏はひっそりと静まり返り、市場の喧騒がわずかに響いていた。
「……すまねぇ、リモ。なんだかしんみりさせちまった……」
「ううん。ファラムンドがとっても優しいから。……愛してる」
リモはファルにそっと口づけをした。
その瞬間、ファルの胸から、先ほどまでの重苦しさがすっと引いていくのを感じた。
リモの変わらぬ愛が、彼を再び現実に引き戻した。
◇ ◇ ◇
「それじゃ、テラがお腹空かせて待ってるだろうから、そろそろ何か買って帰らないとね?」
「そうだな! 香ばしくて美味そうな串焼きとかいいんじゃねーかな。テラ、串焼き好きだもんな?」
串焼きの香ばしい香りが風に乗り、どこか懐かしい気持ちを呼び起こす。
行き交う人々の笑い声や商人たちの威勢の良い掛け声が、年末の活気をさらに際立たせていた。
「黒パンとチーズもあるといいんじゃないかしら? それとロースト肉とか、ドライフルーツのパイなんかも。ファラムンドも好きだったでしょう?」
色とりどりの果実が木箱に積まれ、焼きたてのパイが棚いっぱいに並べられていた。
「ああ、いいね。パイは色々あるからな。ミートパイもいいし、フィッシュパイにチーズパイ……俺はパイはけっこうなんでも好きだし、いくつか買って行くか」
こうして、買い物を済ませたファルとリモは、その喧騒の中をすり抜けながら、宿へと急いだ。
「悪い、テラ。待たせちまって。遅くなってしまったな」
宿の部屋の扉を押し開けると、外の冷たい空気が一気に和らぎ、ふわりと温かい気配が迎えてくれた。
「買い物ありがとう、ファル、リモ。ファルはもういいの? なにか用事があったのよね?」
「ああ、用事は済ませてきたよ」
買ってきた食料をテーブルに並べていく。
買い物に行くと出掛けて、すでに4時間ほどが経っていた。
「そう。それなら良かったわ。ファルがちょっと元気がないように見えたから、どうしたのかなって思ったから……」
「心配したのか? 済まなかったな。俺は元気だぜ!? ほら、色々買ってきたから! リモと一緒にテラが好きそうな物を選んだんだ」
香ばしい串焼きとロースト肉の香りが広がり、焼きたてのパンからふわっと湯気が立ち、チーズに果物、数種類のパイがずらりと並ぶ。
テーブルに並べられた食べ物からは、ほかほかと湯気が立ち上り、香ばしさと甘さが部屋の空気に溶け込んでいった。
「ふふっ。ほんとに色々買ってきたのね! これだけあれば、夕飯も買わなくて良さそうね! ファルは自分が好きな物もちゃんと買ったの?」
「ああ、俺が好きな物もちゃんと買ってるぜ! パイは大好物なんだ!」
「そう、よかった。ファルもお腹空いたでしょ? 一緒に食べよう!」
温かな雰囲気に包まれながら、テラとファルは遅い昼食をとり、残りを夕飯に回すことにした。
ファルがチラリとリーフを見ると、リーフは眠そうに大あくびをしていた。
「リーフ、ありがとうな」
「うん、間違えなくてよかったよ」
リーフが離れた場所にある草木をピンポイントで操作するのはこれが初めての試みで、これが上手くいったことにリーフはとても満足げだった。けれど、思いのほか力を使ったため、眠気で今にも寝てしまいそうだった。
いつも、『刻まれた花言葉と精霊のチカラ 〜どんぐり精霊と守り人少女の永遠のものがたり〜』を読んでいただき、ありがとうございます!
次回もどうそお楽しみに!