02 リーフの水入れ1
リーフとテラの共同生活は2日目の朝を迎えた。
「今日はあたたかな一日になりそうね」
作業場の一角にある浴室に水を運ぶために、井戸の水を汲んでいたテラは手を休め、まぶしい秋晴れの空を仰ぎ見た。
半戸外の作業場の一角に設えられた浴室は亡き父のお手製で、広くはないし浴槽も小さいけれど、薪で温められる浴室が自宅にあるのはかなり珍しい。
多くの人は公衆浴場を利用するのが普通で、敷地内に井戸まであるテラの家は、他とは少し違う立派な家のようだった。
「この井戸、水が綺麗。すごくいいね」
「リーフは水もわかるのね。この井戸はおじいさんが掘ったそうなの。元々水が少し湧いてたらしくてね。詳しくは分からないけど、そんなに深くはないって言ってたかなぁ」
「ここは地下水脈が上がってきてて、そうだね、あの木のおかげ」
リーフが『あの木』と言って指した木は樹齢300年ほどのケヤキの大木で、ずっと昔からここに立っていて、テラの家族は代々ここに住んでいた。
もしかすると、テラのご先祖の誰かが植えたケヤキなのかもしれない。
「そうなのね。それじゃあの木は大切にしなきゃ。リーフに水が綺麗って教えてもらえて、すごく嬉しいな。お風呂がもっと楽しくなっちゃう」
テラは公衆浴場には行ったことが無く、物心ついた頃からお風呂といえば自宅のお風呂で、週に2~3回ほどのお風呂デーは幼かったテラが楽しみにしていた特別なイベントだった。
「どういたしまして。ぼくが分かる事ならなんでも教えるから、聞いて?」
「ふふっ、ありがとう、リーフ」
今日はお風呂デーの日。
朝から井戸水を運んで浴槽に移し、薪の準備も整えた。
一日の終わりにお風呂に入ることを想像しながらテラは心が弾むようだった。
朝食を済ませ、薬草採取に出掛ける準備をして、昨日と同じようにリーフを肩に乗せる。
きっとこれから毎日、こうしてふたりで出掛けるのねと、思わず頬が緩む。
「さあ、リーフ。今日はローズヒップよね! 行こうか」
「うん、任せて!」
森へ続く20分ほどの道程は、リーフと二人だとあっという間で、ただ歩いているだけなのに、テラはなぜか楽しくて、嬉しかった。
『やっぱり寂しかったんだな、私』ふっとそんなことを考えていたら、耳元でリーフの優しい声がした。
「テラ? ぼく、ここにいるよ?」
「あ、口に出ちゃってたかな。はは。ごめんね。リーフは優しいのね」
テラはニコッと微笑んで指先でリーフの頭をトントンと撫でた。
森に入り、ローズヒップを探し始めるリーフは、綺麗な緑色の瞳を輝かせ、体はぼんやりと白く発光して、この世のものではないような姿をみせていた。
森の中を30分ほど歩いてきたところで、ようやくリーフがローズヒップを感知したらしく、方角を示す。
「テラ、向こうのほうに行ってみて」
「わかったわ」
リーフが指した方向へ森の中を進んで行き、10分ほど。
ローズヒップが自生している場所に辿り着き、そこはまるで群生地のようで、テラはとても驚いた。
「普段はこんなところまで来ないし、けっこう遠くまで歩いてきたかなって思ったけど……すごいわ! こんな群生地、見たことない!」
「感知できる範囲があるから、たくさん歩かせちゃった。ごめんね」
「全然! いいのよ、ありがとう、リーフ! それにしても、ほんとすごい。こんなにたくさんのローズヒップ、誰も知らないのかしら」
「たぶん、この辺りは誰も来ないかな。道から外れてるし、分かりにくい場所だから」
「そうなのね……。それじゃさっそく、収穫するわね!」
テラはバッグから敷き布を出して広げ、そこにリーフをそっと降ろすと、バッグの中から枝を切るためのハサミと10リットルくらいの麻の袋を取り出した。
「リーフはここで待っててね」
さて、収穫しますか! と意気込んで腕まくりをしたテラは、緑色の実がまだ多い中、赤く熟した実を見つけては、枝をハサミで丁寧にカットしていった。
「テラ、ハサミある?」
「え、あるけど、どうするの?」
リーフはぼんやりと体全体から光を発しながら、小さな手のひらサイズから5歳児くらいの大きさに変化してみせた。
「えええええ!」
「これくらいならハサミ使えるかなって。でも、これは力でこの姿になってるだけなの。それに、今はあまり大きくはなれないの」
「じゃ、じゃあ、こっちの小さいハサミはどうかな?」
テラは小さな手でも扱えそうな小ぶりなハサミをリーフに渡した。
「ありがとう、テラ! ぼくもお手伝いするから!」
リーフはとても嬉しそうに、大喜びで赤い実を次々に収穫していった。
ちょっと届かない、背伸びしてやっと届くくらいの高さにある実を取ろうと一生懸命つま先立ちするリーフの後ろ姿に、ある意味感動を覚えたテラだった。
(リーフが人の子どもみたい! しかも、びっくりするくらいすごくかわいい!!)
色んな意味で感動していたテラは思わず口走る。
「リーフは天使なの?」
「え? ぼくは精霊……」
「あ! 精霊よね。うん、わかってるわ!」
そんなこんなでテラが持っていた10リットルほどの麻の袋にローズヒップがいっぱいになり、時間もすでにお昼近くになっているようで、ずいぶんと日が高くなっていた。
「ねぇリーフ、もう袋にいっぱいだから、そろそろ戻ろうか」
「うん、わかった」
リーフは元の小さな姿に戻り、テラの肩に乗せてもらい、ふたりで来た道を戻っていく。
「緑色の果実がまだいっぱいあったし、また行きたいな」
「うん。また行こうね。テラ」
10リットルの麻の袋いっぱいに詰め込んだ枝付きのローズヒップは案外重かったけれど、たくさんのローズヒップをどんなふうに処理しようかと、テラの頭の中はローズヒップでいっぱいだった。
「枝から果実だけを取って、果実は半分にカットするでしょ。それから果実の中に種と白毛があるから取り除いて。果肉はきれいに洗って、しばらく干しておく。種のほうはオイルが取れるけど、私には難しいから種だけ別にしてとりあえず保管しておこうかな」
家に戻り、さっそく作業場へ向かったテラは独り言をつぶやきながらリーフを作業台にそっと降ろし、収穫してきたローズヒップを麻の袋から籠に移した。
「さてと、さっそく果実を取らなくちゃ」
リーフの方をちらりと見ると、リーフは作業台の上でむにゃむにゃと眠そうにしていた。
「リーフ、ちょっと待ってね」
「ん? なあに、テラ」
テラは小さな浅い籠の中にふわふわで柔らかそうな布を畳んで敷き、リーフのそばに置いた。
「お布団にしてみたの。どうかな?」
リーフの体を優しく持ってお手製の布団の上に乗せると、早く寝てみて!と言わんばかりにテラはニコニコとしていた。
「ここで寝るの?」
うんうん! とテラは期待に満ちた表情で頷いて、リーフに寝るよう促す。
「柔らかくて気持ちいいね、ありがとう。テラ」
そのままコテンと寝てしまったリーフの体にそっとタオルを掛けて、まじまじとリーフを見つめるテラ。
すやすやと眠る様子に頬が緩んで、一番満足しているのはテラのようだった。
「あ、そうよ。早く果実を取らないと」
10リットルの麻の袋に入っていたローズヒップは、枝が付いているとはいえかなりの量で、果実を取るだけでも大変そうだ。
カットして種を取り除いて洗って、と考えると気が遠くなりそうだった。
「どうしよう、今日中に終わるのかしら……でも、頑張ろう……」
黙々とひたすらに枝から果実を取って約1時間が経過し、さすがにお腹が空いたので少し遅い昼食を軽く摂った。
ササッと昼食を済ませた後は、果実を半分に切って種を取り除いていく。
これが意外に早く進んで、想像していたよりも早く、3時間ほどで種を取り除くところまで出来た。
私ってば、さすがじゃない? と自画自賛しつつ、あとは綺麗に洗って干すだけね! と達成感に浸っていると、リーフが目を覚ました。
「もうこんな時間……ごめんね、いっぱい寝てて」
空はすでに夕暮れ時。西の空がオレンジ色に染まり、庭のオシロイバナが鮮やかなピンク色の花を咲かせていた。
「リーフ、起きたのね。今日はちょっと遠くに行ったし、力を使って疲れたんじゃないかしら? もういいの?」
「寝たから、平気」
「そう? ならよかったわ。あとはローズヒップを洗って干すだけなの。井戸から水を汲んでくるから、待っててね」
井戸水を汲んで戻ってきたテラは、井戸水を作業台の横に置いてある樽に入れ、ローズヒップを丁寧に洗い、乾いた布で水分を拭う。
最後に、四角い木枠に張られた粗い網状に編まれた麻布の上にローズヒップを広げ干していく。
半分の量は、さらに小さくカットして干すことにした。
「これで完璧ね! 1か月ほどで出来上がりよ」
エッヘン! とばかりに得意げにしているテラに、リーフがか細い声で話しかけた。
「ねぇ、テラ。その柄杓の水、飲んでもいい?」
「え! でも、柄杓にはほとんど入ってないし、井戸水でいいの?」
水を汲んだ柄杓は斜めに置かれた状態で、底にほんの少しだけ水が残っていて、量でいうと小さじ1杯もないくらい。
「うん。その井戸水がいいの」
「そっか! そうよね! もっと汲んでこようか?」
「ううん。柄杓に残ってるぶんだけ」
残ってるぶんだけって、柄杓の底にほんのちょっと溜まってるだけなのに。
でもリーフはそれくらいでいいのね。だけど、水は飲むのね!
しかも家の井戸水がいいなんて、ちょっと嬉しいかも。
せっかくなら、リーフが水を飲むためのカップ……でもリーフに合うほどの小さなカップはないわ……。
何か……リーフが手で持てる、飲みやすい入れ物を考えないとだわ。
などと思考を巡らせていたけれど、良い案は思い浮かばず、今日のところはテラの指先に水をつけて飲んでもらう、ということで落ち着いた。
「ごめんね、私の指からになるけど」
テラは指先に水をつけて、しずくが落ちそうな指先をそろりとリーフの口元まで持っていくと、リーフが口をあーんと開けた。
しずくが唇に当たるようにそっと触れると、しずくが一滴、リーフの口に入った。
「ありがとう、テラ。もう一回、いい?」
「もちろんよ!」
同じように指先に水をつけて、もう1滴。
リーフは2滴のしずくで満足したようだったけれど、テラはますます、リーフ用の水入れをどうするか悩むことになった。
今日は朝から浴槽に水を入れてお風呂の準備をしていたテラは、日が沈む前に薪でお風呂を沸かしていた。
薪をたくさん使うわけにもいかないので、水は少なめだけれど、日中浴槽に水を入れていたので多少は水温が上がって薪の節約にはなったと思う。
湯気が立ち上りはじめ、いい感じに沸いたところでリーフに声をかけた。
「リーフはお風呂入る?」
「ぼくは入らなくて大丈夫だよ」
「そう。それじゃ私はちょっとお風呂に入ってくるね」
そっか。ご飯も食べないもの。お風呂も必要ないのかな。
少し残念だけれど、そうじゃないかなって思ったし。仕方ないよね。
湯気が立ち込める中で、桶でお湯を汲んで体や髪を洗い、浴槽に残ったお湯は足湯のようにして暫く考えごとをしていた。
ふと足元を見ると、浴槽に葉っぱが一枚浮かんでいた。
葉っぱ、気付かなかったな、と手で取ろうとして、あっ! と思い付いたテラは、急いでお風呂から上がり、作業場に出た。
「クズの葉、あったよね」
クズは昨日採取してきたばかりで、きれいなままで作業場に置いていた。1枚の葉を取り、これでいいわ、と葉を正方形に切り取り、折り紙を折るように葉を破らないよう慎重に小さな箱を作ってみる。
テラは案外器用で、細かい手作業は得意だった。
「これでどうだろう?」
試しに水を数滴落としてみると、とりあえず漏れたりはしていないようで、ひとまず安心した。
あとはリーフが気に入ってくれたらいいのだけど。