30 赤いベゴニア1
ファルの提案で、男女でテントを分けた次の朝。
朝食を済ませ、荷物も片づけ、さあ出発! となった時、ファルはリーフに声を掛けた。
「リーフ、どうする? 俺の肩に乗るか?」
ファルは笑いながら自分の肩を軽く叩いてみせた。
「え!?」
ファルの言葉を聞いたテラは驚いて、カバンを肩にかけようとしていた手が止まる。
このファルの声掛けは、テラに花を贈るための手伝いをするとリーフと約束をしていたからで、もちろんテラは知る由もない。
「うん! そうする」
テラは聞き間違いかと思ったのだけれど、リーフの返事から聞き間違いではないことは分かった。しかし、その返事に驚くしかなかった。
「え? ええ?!」
困惑するテラを横目にリーフは嬉しそうに笑って、了承を得るためにテラに声を掛けた。
「テラ、ファルの肩に乗るけど、いい?」
「え!? ファルの肩に……?……いいけど、どうしたの?」
「うん、ちょっとファルとお話したいの。ごめんね、テラ」
リーフはテラの肩からふわりと離れ、ファルの肩にしっかりと着地した。
リーフがテラ以外の守り人の肩に乗るのは、当然ながら初めてのこと。テラはその光景を呆然と見つめ、驚きとほんの少しの寂しさが胸をかすめた。
「男同士の友情に目覚めたのかしら」
「リーフが……私以外の守り人の肩に乗るなんて想像すらしたこと無かったんだけど……」
ヘリックスがクスクスと笑いながら呟くと、テラはファルとリーフのほうを眺めながら小さく呟いた。
「あら、テラは寂しいの? リーフを取られたって感じかしら」
困惑気味のテラの顔色を窺っていたヘリックスが少しからかうように言うと、テラは気を取り直して、慌てて首を振った。
「そ、そんなこと無いわよ。リーフの最初の守り人は男性だったし! リーフは男の子だから男同士で話すことがあるのよ、きっと。リーフに同性の話し相手が出来て、私は嬉しいわよ!」
「ふふっ。まあでも、確かにそうね。リーフも楽しそうだし、よかったわ」
テラとヘリックスはファルの肩に乗ったリーフを眺めながら、その珍しい光景からしばらく目が離せなかった。
「テラの肩もいいけど、ファルは肩がしっかりしてて乗りやすいね」
小さな体のリーフにとって、確かにファルの肩は広くて安定感があるようだ。
「お? そうか! それはよかった。いつでも乗っていいぞ!」
ファルは得意げに胸を張り、リーフの言葉に満足そうな表情を浮かべた。
「うん、ありがとう。それで、お花なんだけど……ぼく、贈るお花を決めたの。ベゴニアってお花で、できれば赤いベゴニアにしたくて」
リーフの声は少し弾んでいる。どの花にするかはすでに決めていたようで、ファルは顎を軽く触りながら考え込むような仕草をした。
「俺は花は詳しくないからな。花言葉とかあるんだろ?」
「花言葉は『幸福な日々』『愛の告白』『片思い』なの」
リーフの答えを聞いたファルは、目をぱちぱちと瞬かせ、顔を少し赤くした。
「ずいぶんとロマンチックだな……! 聞いてるこっちが恥ずかしいぜ」
リーフは嬉しそうに微笑むと、テラのほうにチラリと視線を向けた。
「テラに贈るのにぴったりかなって。ぼくは花が咲いてる位置が分かるから、歩いてて近くで見つけたら教えるね。ここまで旅をしてきて、所々でベゴニアが自生している場所はあったの。だから、この先でもたぶん見つかると思うから」
「よっしゃ! 見つけたら言ってくれな!」
ファルはぐっと拳を握り、やる気満々の表情を浮かべていた。
リーフとファルのふたりは、テラとヘリックスに会話を聞かれないよう、声の大きさに気を付けながら、ある程度の距離を保ってテラとヘリックスの後ろを歩いていた。
「そういえば昨日な、リーフが寝てからテラがテントに来たんだ。リーフにおまじないするって」
ファルはふと、昨夜の事を思い出して小声でリーフに話しかけた。
「おまじない?」
リーフは少し驚いたようにまばたいた。知らない話だった。
「あ、知らなかったか、あれっ……」
「え、教えて。気になるよ」
ファルは少し戸惑ったけれど、肩に乗ったリーフの様子をチラリと見て、伝えても大丈夫だろうと思い、ゆっくりと続けた。
「ま、いいのか? たぶんリーフは嬉しいだろうからな……あー、えっと。テラが子供の頃、寝る時に母親がおまじないをしてくれてたらしくてな。『今日よりもっと幸せな明日が待ってるわ、おやすみなさい』っておでこにキスしてな。それを、リーフにしてたんだ。毎晩やってるって言ってたぞ。日課だって」
「そうなの!? ぼく全然知らない……」
「ずっとやってんのか? って聞いたら、リーフが初めて大きい姿になった日からって言ってたな。リーフにはいつも幸せでいてほしいってさ」
おまじないの話を聞いたリーフの目から、ポロポロと涙がこぼれた。
リーフが初めて大きな姿になった日。それは、リーフが生まれて初めて抱きしめられた日で、生まれて初めて泣いた日。あの日の事は、これから何年何百年何千年経とうと絶対に忘れない、リーフにとって、とても大切な日だ。
あの日から毎晩、テラはぼくが眠ったあとにおまじないをして、ぼくの幸せを願ってくれてたの……
「おい、リーフ? 大丈夫か? ごめんな。そんなに泣くなんて思わなかったよ」
ベゴニアを見つけるために力を使っていたリーフの緑色の瞳は、光に当たって一層キラキラと輝いて、涙を溜めてポロポロとしずくが零れる様は、まるで目から宝石の粒が零れ落ちているようだった。
ファルはそんなリーフを見て、とっさにリーフを手のひらに乗せ換え、指先で宝石のような涙をぬぐうと、大きな手のひらで優しく包み込んだ。
「ありがとう、ファル。知らなかったら、ぼく、テラのこと何も知らないのと同じだもの。ほんとにありがとう。教えてくれて。これからも色々教えてくれる?」
「ああ、もちろんだ! だから、もう泣くな? 嬉しいんだろ? 笑おうぜ! な!」
「はは。そうだよね。ありがと、ファル」
そうしてしばらく歩いていると、急にリーフの瞳が強く輝き、その瞬間、パッと笑顔がこぼれた。
「ファル! ベゴニア、見つけたよ! ここからちょっと山側に入るんだけど、いい?」
「よし! それじゃ、テラとヘリックスには適当に言ってちょっと待っててもらうか」
「テラからぼくの依り代を預かってほしいの。摘んだらすぐに保管したいし」
「了解!」
テラから依り代を預かり、ファルとリーフはベゴニアを摘むために森の中へ入って行った。
獣道のような少し荒れた道を草をかき分けながら300mほど進んで行くと、湿気のある鬱蒼とした森の中に、お目当てのベゴニアが咲いていた。
「あったよ! 赤いベゴニア!」
「おう! よかったな! それにしてもすごいな、リーフは。離れた場所からでも分かるんだな。よし、これを摘むか」
「あ、でも、リボンみたいなの、ほしいかも……」
「ああ、リボンか。確かにリボンがあると花束らしくていいよな。そうだな……あとでヘリックスに聞いてみるよ。とりあえず花を摘んで戻ろう。ふたりを待たせてるしな」
リーフは摘んだベゴニアを依り代の中に仕舞い、ファルと共に来た道を急いで戻っていった。
リーフとファルはテラとヘリックスが待つ街道沿いに戻り、リーフはいつものようにテラの肩に乗った。
「ごめんね、お待たせ。テラ」
「ううん、いいよ。ファルは大丈夫なの?」
「え? あ、うん。もう平気みたいだよ」
テラとヘリックスには、『ファルはお腹が痛い』ということにして、待ってもらっていた。
ファルはヘリックスにこっそり尋ねた。
「待たせてすまないな。ところでヘリックスはリボン持ってるか?」
「え? リボン? 何にするの? というか、お腹痛いって噓でしょ」
「ははは、実はリーフがテラに花を贈りたいってな。目当ての花があったから摘んでたんだよ。で、リボンだ」
「ああ、なるほど。ふたりで何してるのかと思ったら、そういうことなのね。仕方ないわね」
ヘリックスは依り代に一旦入り、ピンク色のリボンを持って現れた。ヘリックスの髪にはいつもリボンが結んであり、リボン好きで、綺麗な色や柄のリボンを収集していたのだった。
「リーフがテラに贈るのならリボンはピンクがいいと思うわ。私のリボンは特別製なのよ」
「おう、ありがとうなヘリックス! 感謝するぜ!!」
ファルとヘリックスの協力もあって、こうして無事に、テラへ贈る赤いベゴニアの花束が完成することとなった。
『刻まれた花言葉と精霊のチカラ 〜どんぐり精霊と守り人少女の永遠のものがたり〜』
最後まで読んでくれて嬉しいです!ありがとうございます!
次回もリーフとテラの物語をお楽しみに!